理系とは?

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文系と理系(ぶんけいとりけい)とは、学問(学習・教育・研究などを含む)に対しての日本などにおける大まかな分類方法の1つのことである。文系とは、主に人間の活動を研究の対象とする学問のことであり、理系とは、主に自然界を研究の対象とする学問のことである。二つを合わせて文理(ぶんり)と呼ぶ。
文系と理系の区分は、主に高等学校における履修科目のコース分けにおいて使用される。これは、学問と研究の入り口である大学において、高等学校の科目から見て文系的と考えられている学問を専攻する学部・学科等と、または理系的と考えられている学問を専攻する学部・学科等とで、異なった入学試験の科目を課すことが多い事実にも由来している。
また、この延長から、便宜的に文系(ぶんけい)と理系(りけい)のどちらかに大学の学問領域を分ける習慣がある。文系とは主に、人間の行動や思考が何らかの形で関わった現象についての学問であり、文献などの個別対象や思想などの概念対象を解釈する人文科学と、社会現象や制度を歴史的、思想的もしくは実証的に解釈する社会科学とに分かれる。理系とは人間そのものと人間を取り巻く自然全般を、当為的かつ実証的に研究する自然科学という学問である。
しかしながら文系と理系は、学問的な視点から見れば、あくまで高等学校のコース分けなどに基づく便宜的な分類に過ぎない。本稿でも後述するが、実際に大学の学部レベルで学問の諸分野に触れると、文系・理系といった単なる二分法が、実際に研究するに当たって学問的に都合を悪くすることは多い。学問分野は、伝統的に自然科学・人文科学・社会科学の3つに分類されるのである。
日本では、文系・理系という見方が高等学校の段階で厳密に区別されてしまうことが多いため、学部ごとにある特定分野の知識について社会化された学生が集まってしまい、大学受験以降にて広く学問や社会を見渡すような視点を促す教育・研究活動につなげにくいといった批判がある。特に私立大学の入学試験においては科目数の少なさから、(経済学部などの例外を除けば)理系科目と文系科目が完全に切り離される事も多く、いわゆる学力低下問題と絡んで私立大学の入試科目が批判の対象となる事も少なくない。
また技術系の最高資格である技術士一次試験での共通科目においての受験免除の条件の一つとして理系の大学卒が挙げられていたり、過去には太平洋戦争末期に行われた学徒出陣において、理系学生が技術要員として徴兵猶予が継続された一方、文科系学生は士官候補生として動員されるなどの事例も理系学生と文系学生とで持つ知識に偏りや隔たりが生じている証左と言えよう。
一般に、理系の学問は数学との親和性が高いため、「理数系」と呼ばれる場合もある。しかし無論、文系に属する経済学などは高度な数学を用いるため、数学と切り離すことはできず、また、考古学に至っては放射性炭素年代測定など理化学的検査も行うため、数学や物理、化学と切り離すこともできず、心理学では脳機能科学や神経科学との関連が密であり、福祉では医療系の知識も必要となる。
単に数学や化学、物理、生物との親和性だけが文系と理系を隔てるものではない。更に、理系に属する精神医学が文系に属する心理学と深く関わっているほか、本来理系に属する農学には農業経済学や産業経営学など、文系で扱われる内容が重視される学科が存在する(農学部の農業経済学科は太平洋戦争中、「文系」と見なされて学徒出陣の際、農学部でありながら文科系学生と一緒に徴兵猶予を停止されて徴兵された。李登輝も京都帝国大学農学部農業経済学科に所属していたので徴兵されている。)し、造園学はランドスケープデザイン学、環境デザイン学として、また建築学/建築学科は、それらを学ぶことができる学科自体が文・理の学科双方で多岐にわたって設置されている。
さらに万学の基礎たる哲学では、数学・物理学・化学・生物学などが扱われてきている。ひとつの学問領域に限定されない複合的な視点は、リベラル・アーツ的な視点として古来より存在している。現在ではそれを、文系と理系の双方の考え方を同時に扱おうとする態度は特に、文理融合と呼ばれることもある。また、そのような態度が要求される分野は、学際系と呼ばれることも多い。
理系全体から医学、歯科学、薬学などの医療系の分野を除いて理工系(りこうけい)ということもあり、特に工学的知識と文系諸学問の思想の双方がに扱われる金融工学などの分野は、文工融合(ぶんこうゆうごう)と呼ばれることもある。
生徒や学生の気質としては、「理系は理詰めで厳密さを求めるが社会性には乏しく、文系はその逆」というイメージが一部に存在する。同様の類型化に、理学や哲学等の基礎学系は理論や手続き重視で理屈っぽく、工学や医学や社会科学等の応用学系は結果重視で必ずしも厳密さを求めない、とか、経済学専攻の人間は社会性があってつきあいやすいが、理工系は堅苦しい人間の集まり、というようなものもある。しかし、個々人の気質により大きな幅があり、必ずしも画一的にそのような見方は当てはまらない。これらはあくまでステレオタイプであり、個々人の性格を左右するものではない。
日本では理系のほうが文系に比べて修士・博士課程に進学する割合が高い(博士号取得者の8割が理系)が、文系とされる博士号取得者は欧米には多数存在する。
近代以後、学問各分野における専門知識の増大により、文系と理系の間のみならず、同じ文系内・理系内においても相互理解が厳しくなっている。このような現状は、最近のことではなく20世紀当初からあったと C. P. Snow は“The two cultures and a second look”の中で述べている。
また、前述のように学問分野の隣接・融合も起こっており、「理系寄りの文系」、「文系寄りの理系」といった分野も存在するため、これも同一学問系内における乖離を引き起こしている。
さらに、次に見るように、同一学問系内でも論理を基底に据えるか経験を基底に据えるかによって立場が大きく異なる場合もある。
数学と物理学はそれぞれ同じ理系に分類されるが、前者は公理と論理によって構築される形式科学 (formal science) に属するのに対し、後者は自然現象の観察という経験を通して構築される経験科学 (empirical science) に属する。数学は算術や天文学に端を発する経験科学という印象を持たれる場合もあるが、実際は自然界に存在し得ないものも表現しうる高度に形而上的な体系となっている。物理学は数学と密接な関係にはあるが、あくまでも自然界に存在するもの、経験に重きが置かれ、事象が説明できれば数学的に厳密な証明を要さない場合も少なくない。両者は密接な関係にありながら、相互の立場、観点は大きく異なる。
文系における哲学や論理学と社会科学や言語学においても、一方が論理と証明を基底とし、他方が経験と実証を基底とする点においては数学と物理学に似た関係が見られる。
日本の政党では自民党と公明党に文系出身者が多く、民主党と共産党と社民党に理系出身者が多い。また、中国共産党の執行部は理系出身者で占められている[1]。
ただし、経済学・言語学・社会学・心理学・デザイン学 には高度な数学的・統計学的解析を伴うものも多い。また、地理学は地球科学と密接な関係を持つため、特に自然地理学や地図学は理系の学問と位置づけられることが多い。
農学、工学には経済学、拓殖学や地域研究、経営学、金融工学、デザイン学、生物学・医学には哲学・倫理学、情報学には社会学など、人文科学的・社会科学的な考えを要する分野もある。またそれぞれの分野の歴史学をも扱う(「○○学史」と呼ばれる)。

[ 84] 文系と理系 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%86%E7%B3%BB

  科学技術を振興させようという動きが活発になっています。そのため、理工系離れ、理科系離れ、理系離れ、理科離れを食い止めようと多くの人が考えています。しかし、それに成功すれば、理工系、理科系、理系の地位は経済原理に照らして低下するでしょう。理工系離れ、理科系離れ、理系離れ、理科離れは当然の現象なのです。
理系は専門分化が著しく、若い頃に専門的なことを多くやる点で、不利な側面があります。理系が専門的なことをやるうちに、文系は色々な経験を積んでいます。そして、歳をとった頃には理系は専門的な力が落ちています。文系は歳をとってから力が伸びます。だから、理系の人は晩年に不利になりやすく、文系は出世しやすくなります。
理科系の能力のピークは文系より若いうちにあります。理科系の若いうちの待遇を文科系より高くして、生涯賃金が釣り合うようにしなければなりません。今は、そうなっていないので、生涯年収が違うようです。いわゆる文理格差の問題です。理工系離れ、理科系離れ、理系離れの背景には、文理格差の問題があります。
政治家、企業の社長、高級官僚、裁判官などは、多くは文科系です。理系は出世しても工場長、研究所長どまりという悲観論もあります。実際にはそれより上に行く人もいますが、文系よりは少ないのです。政治家の上層部(特に総理大臣や閣僚レベル)、高級官僚(特に事務次官レベル)、裁判官などでは、文系がほとんどです。たとえば、理系の総理大臣は戦後はほとんどいません。官庁の上層部に理科系を探して見てください。この点でも、文理格差は存在しています。
理科系でノーベル賞を取った人を見てください。ノーベル賞を取る直前のその人の待遇はどうでしたか。最高の発明をした人の待遇を見てください。その人の手元にいくら残ったのですか。高級官僚の生涯年収を越えたとはとても思えません。経済団体の会長の方が、ノーベル賞受賞者より、少なくとも日本の中では社会的な影響力があるでしょう。モーツアルトより、大司教の方が力があったようにです。しかし、人類に対する貢献、社会への貢献度はとても大きいのです。人類に多大の貢献をした人の待遇は、文系・理系を問わず、それにふさわしいものになっていません。理工系離れ、理科系離れ、理系離れを防ぐには、トップレベルの待遇を改善して夢を与えることも重要です。
アメリカの国力は、どこから来ているのでしょうか。アメリカは欠点もあるけれども、すごい国です。あの国は優秀なる理科系を優遇しているからこそ、あれだけの国力があるのです。日本の文系の上層部の人も、アメリカには頭が上がりません。日本の文系と理系が協力すれば、日本の国力は飛躍的に上がるでしょう。理工系離れ、理科系離れ、理系離れを防ぐだけではなく、積極的に人材を活用することが、国力の増加に役立ちます。
理工系の方が、就職に少し有利という考えもあるでしょう。でも、別に待遇が良いわけではないでしょう。結局、出世しにくいのであり、待遇ではなく、就職が良いだけです。若いうちは良くとも、理科系は専門分化が激しいので、年齢とともに能力が落ちやすいのです。そして、歳をとるにつれて待遇の差が大きくなっていくのです。理工系離れ、理科系離れ、理系離れには、このような背景もあります。
日本は、理工系離れ、理科離れ、理系離れを食い止めようとしています。この国が傾いていくので、理科系を増員し、科学技術により、日本の競争力を高めてほしいという動きがあります。そのために、理科系の人の数を増やそうという大合唱が今後も続くでしょう。理工系離れ、理科系離れ、理系離れを食い止めるために、このこと自体は必要なことでしょう。しかし、理科系の人の数を無理に増やせば、待遇はますます下がるのであり、経済原理に反したことは実現できません。
子供たちに理科教室を開いたりして、理科離れを防ごうとするでしょう。理科に興味を持たせて、そちらに進学させるように仕向けるためです。でも、親は良く知っています。自分の子供が理科に興味を持たないようにするでしょう。理科離れです。
科学アニメ等を子供に見せて、科学に興味があるようにしようとします。でも、親は知っています。このようなものを見せないようにするでしょう。理科への興味は断ち切られるのです。理科離れです。
科学に興味を持つように、イベントを開きます。でも、親は知っています。男子であれ、女子であれ、このようなイベントに参加させないようにするでしょう。理科が好きにならないように無意識のうちに振舞うのです。あるいは不遇であることを色々な形で子供に伝えるのです。理科離れです。
あらゆる手立てを尽くしても、社会の現実を知っている人の目はごまかせません。子供達の幸せをちゃんと考えているのです。子供自身も、敏感に社会の流れを感じ取り、理科離れをしているのです。今は情報化社会なので、子供達も、はっきりと、あるいは薄々と感じ取るのです。昔のようには行きません。
もし理科離れを食い止めるならば、原因の除去、すなわち、理科系の社会的な地位や待遇が高くなければ難しいでしょう。待遇の問題を無視して、理工系離れ、理科系離れ、理系離れを食い止めるのは、情報化社会が進んだ現代においては、難しくなってしまったのです。
志望者が減ることによって待遇が持ち直すのではないかという淡い期待を一度でも持ったとすれば、その人は理科系人間でしょう。文科系の人はもっと社会を冷徹に見据える目があるようです。
私も淡い期待を持ったのですが、今は反省しています。恐らく、理系の地位向上運動がなされない限り、持ち直さないでしょう。志望者が少なくなれば、数を増やしたい人々は、奥の手を使ってでも、何としてでも増やすでしょう。それは、どんなことをしても止まることはないでしょう。そのことを知らないのが、典型的な理科系人間です。
手段はいくらでもあります。一つには、外国人労働者の導入です。中国やインドには安い賃金で働く人は大勢います。志望者は減るどころか、今後、爆発的に増えるのです。利益追求により、理工系、理科系、理系の待遇は、さらに下がっていくでしょう。
しかし、その前に、理工系離れ、理科系離れ、理系離れが深刻な問題であると宣伝するのです。宣伝を信じて、「これからは理工系の時代だ」などと思って、理工系離れを食い止めるためにそちらに進む人が出れば、このような手段を使わなくてすむからです。理工系離れのマスメディア等での報道を、今後の理系の待遇が改善される兆候と解釈してしまうのは、典型的な理系人間です。判断力の弱い若い人が犠牲になります。理工系離れはいけないことだという耳障りの良い情報が流れるでしょう。しかし、知っている人は知っています。社会の現実がどのようなものであるかを、通常は、親が一番良く知っているでしょう。かなり多くの親は、子供があえて理系に進むのであれば、医学部にしなさいというでしょう。理工学部離れはあっても、医学部離れはないのです。医学部の方が待遇がよいことを親は知っているからです。
理工系離れ、理科系離れ、理系離れを社会は問題視して「悪いこと」という風潮になっています。理科の先生で愛国者なら、何とか食い止めないとと思うかも知れません。しかし、そのような善意こそが、子供達を不遇へと送ることになるかもしれないのです。
理工系離れ、理科系離れ、理系離れを、待遇の問題を避けて解決しようとすると、原因の除去にならず、多くの矛盾が噴出することになるのです。子供達も、理系の勉強は実験もあって大変だけど、暗い人が多くて地味で、女子も少なく、社会に出ても使われる立場で報われない傾向にあることを明確にあるいは薄々知っています。
理工系離れ、理科系離れ、理系離れを、その待遇を改善しないで食い止めるというのは誤った考えです。それをすれば、国を救おうとして善意で理工系に進んだ人だけが、不遇を味わうだけです。
しかし、社会はそのような方向にいこうとしています。これは、昔はうまくいったからです。しかし、今は情報が広く知れ渡ってきています。
理工系離れ、理科系離れ、理系離れを、その待遇を改善しないで食い止めるというのは、日本が戦争のときに、ゼロ戦のパイロットを募集したのと同じです。熟練した質の高いパイロットは、日本の緒戦の勢いに貢献しました。しかし、日本は、パイロットを使い捨てにして死なせていったのです。しだいに、熟練していないパイロットが必死でかき集められました。しかし、人材が枯渇していったのです。人材の枯渇は見えにくいため、気づいたときには手遅れになっているのです。
日本は、これから厳しい時代となり、経済競争のために、理工系、理系の人々がますます重要になります。しかし、日本は、その人の待遇を下げるでしょう。日本は国力が弱いため、経済競争に生き抜くために必死なのです。余裕がないから、これらの人を安く使い捨てることには、抵抗しがたい魅力があるのです。その魅力が信じがたいほど強いものであることを知らないのが、典型的な理系人間なのです。日本は、理系の地位向上運動がなされなければ、恐らくその魅力に負けるでしょう。歴史は繰り返すのです。
理工系離れ、理科系離れ、理系離れは、人材枯渇のサインです。しかし、人材は必死でかき集められることになるでしょう。極端な話、誰でもいいから数集めをしようとするでしょう。もちろん、理工系の待遇はもっと低くなります。
理工系、理系は重要だから大事にされると考えるのが、典型的な理科系人間です。すでに博士が増員されました。博士は日本にとって重要だからです。それでは、増員された博士の待遇はどうなったでしょうか。博士の地位は著しく低下し、就職もままならなくなりました。いわゆるポスドクの問題です。重要な人材でも、社会的に力がなければ、低く処遇されていき、最も国にとって重要な若者も、最も低く処遇されるのです。嘘だと思わるなら、
さらに戦局が悪化すれば、理工系離れ、理科系離れ、理系離れを食い止めるどころか、日本のために、特攻隊として、これらの人々が大募集されるのです。国のために重要だと言われていた特攻隊の待遇はよかったでしょうか。死という待遇が与えられました。
お国の一大事であるとして、お国のために死ぬことが良いとされました。今、理科系離れ、理工系離れ、理系離れが問題であるとして騒がれています。そして、理科系、理工系、理系に進むことが良いとされているのです。その意味を、このページを読む前にご存知でしたか。もっと希望的な観測を抱いていたのであれば、典型的な理系人間です。理工系離れ、理科系離れ、理系離れには、このような深い意味があるのです。
日本の経済戦局が悪化すれば、これが人材育成と大増員の大合唱となっていくでしょう。そして、外国人を含む増員にともなって、その待遇は、救いようもないほど、低下していくでしょう。理系の地位向上運動が必要なゆえんです。
理工系離れ、理科系離れ、理系離れは、その待遇の改善によって解決することが一番の解決です。それ以外の、理科教室とか、子供の理科離れを食い止める教育とか、子供たちに科学アニメを見せるとか、科学イベントをやるなどは、効果が薄いでしょうこれらは、待遇の改善という一番日本がやりたくないことから、目を逸らしてしまう危険があります。
待遇の改善策としては、若い頃の給与は、理工系の方が2割程度高くすべきでしょう。理工系の能力のピークは若い頃にあるので、若い頃に優遇しなければ、生涯賃金が釣り合わないからです。
このようなことを実現するには、理工系、理科系の人の広範な連帯が必要です。これは、文科系の人には自明なことなのですが、理科系の人にはそうではありません。理工系離れ、理科系離れ、理系離れを、誰かが防いでくれると期待してしまうのです。
理工系、理系の人は、何か具体的な得がないと、自分から動こうとしない傾向があります。損得計算が合理的だからです。そのような合理的な損得計算が、理工系、理系の人は非常に得意です。そして、そのような合理性により、理系、理工系の待遇は下落していったのです。
また、理工系、理科系の人は、人が良い人が多い傾向があるようです。耳障りのよい情報が流れていけば、すぐに誰かが将来待遇を引き上げてくれるだろうと考えてしまうのです。若い特攻隊員も、そうやって戦場に送られていったのです。
理工系ばなれ、理系離れ、理科系離れ、理科離れの解決には色々と難しい問題がありますが、待遇改善、文理格差の是正がなければ、理工系離れ、理系離れ、理数系離れ、理科離れの解決はないでしょう。待遇改善、文理格差の是正に向けて、理系は連帯していかなければならないでしょう。
理工系ばなれ、理科系ばなれ、理系ばなれ、理科ばなれの原因は、はっきりしています。「医学部ばなれ」などというものはないのに、「理工学部ばなれ」、「理工ばなれ」があるのは何故かを科学的に考えれば分かるでしょう。なぜ人は、医学部に先を争って入学するのでしょうか。
原因は昔からはっきりしています。理工系が大事なら近いうちに原因の除去が行なわれるだろうと考える人は、若い理工系の人だけでしょう。
私は、現象世界の成り立ちに探究心を持ち、高校のときに物理学に没頭しました。現実を良く知っていた文系の人とは、社会的な待遇面で大きく差がついたのです。文系の人は「物理学など生きていくのに必要ない」といいました。生きていくって何なのかと反発もしました。しかし、よく考えると、文系の人は、ずっと賢かったし、大人だったのです。社会の現実を思い知らされたときの苦痛は耐えがたいものがありました。同じ犠牲者を二度と出してはならないと思ったのです。
人の価値観は多様であり、待遇についても、金銭面、出世のしやすさ、雇用の安定、自由、やりがい、仕事の面白さ、時間的余裕、勤務環境、人類への貢献度など多数の側面のどれに重点を置くかは人により異なります。また、個々人は、やりたいことや適性などもそれぞれ異なっています。人の価値観はそれぞれ異なるので、上に述べたことは、個々人の価値観や適性に応じて、あてはまらないと感じられることがあるでしょう。人の価値観は多様なので、理系の待遇はむしろ文系より高いと感じる人もいるはずです。たとえば、就職のしやすさを重視する人は、理系の方が就職がよいことが多いことを重要視するかもしれません。
特に、自分の選択している職業については、地位が高いと感じる傾向にあることに注意が必要です。たとえば、技術者に、技術者と医者とどちらが地位が高いかを質問すれば、技術者の地位は医者より高いと答える人が一定数存在するでしょう。これは、技術者になった人は、技術が好きで、技術にやりがいを見出すという価値観や、技術に医術よりも適性を持っている傾向が強いからです。だからこそ技術者になった人も多いでしょう。中には仕事が給料の割りにきついどころか、技術が楽しいと感じ、むしろ医者の方が給料の割りにきついと考える技術者もいるでしょう。
ある価値観、考え方から見れば、技術者の方が医者より地位が高いのです。しかし、技術者離れと医者離れを比べれば、技術者離れの方が医者離れより問題になっているのではないでしょうか?医学部に志望者が集まらなくて医者離れが深刻だという話は聞きません。
技術者の地位が高いという価値観を根拠に、技術者の地位向上の必要性を否定する技術者もいるでしょう。しかし、重要なのは、将来の技術者となるかどうかを決める若者の動向です。現在の技術者の一部が、技術者の地位は十分に高いと感じても、仮に現在の若者が、理工学部より医学部に進んで医者になる方が地位が高いと感じるのであれば、技術者離れが生じます。
社会の中では、理系離れの方が文系離れよりは相対的には問題とされているのであれば、理系の地位向上は、文系の地位向上より重要なのではないでしょうか?多くの人が理系の地位向上のために積極的に動けば、理系の地位は向上すると思います。

[ 85] 理工系離れ、理科系離れ、理系離れ
[引用サイト]  http://banare.rikoukei.com/

Keywords:できるかな?|マンガ|美人|シミュレーション|理系|めがね|めがねっこ|魔性|物理|女子|瞳|アイドル|スキー|レンズ|近視|遠視|好き|答え|ストーリー
■めがねっこ大好き。めがねを外すと美人になるは本当か!?理系=めがねっこ大好き? 「どんな時に自分を理系だと思う?」と文系人間に聞かれた。私は「うむむ…」と答えに詰まってしまった。そんな私に、その文系人間はまるで勝ち誇ったような表情で「じゃぁ、理系と文系はどう違うと思う?」と畳みかけるように聞いてきた。この手の数限りなくある、「理系と文系」「男と女」はどう違う?という問いには立ち入ってはいけない、というのが私の家の代々の家訓なのであるが、ここで黙りこんでいては「勝ち負け」でいうところの「負け」だと思ったのか、理系の誇りを守るべく、私の口がいきなりしゃべり出した。  例えば、建築で言えば、鉄骨建築が理系で、プレハブ住宅が文系なのである。体で言えば、皮膚の感覚を大事にするのが文系で、骨から組み立てていくのが理系なのである。つまり理系は骨があるのである。そして、詩で言えば、散文詩は文系で定型詩が理系なのである。つまり、理系は型にこだわる部分があるのである。 だから、例えば理系は女子高生の制服が大好きなのである。色々ある女子高生をセーラー服(あるいはブレザー)という記号で記号・集合論的に取り扱うことを可能にし、その記号を言葉にし、ついにはその制服を見るだけで萌えることができるのである。それが理系なのである。 つまりは、「このアイドルがなんとなく好き」というのが曖昧模糊としたものが文系であるならば、「このアイドルがめがねっこだから好き」という確固とした意志それすなわち理系なのである。理系=めがねっこ大好きなのである。 と、スキーのモーグル競技でコントロールを失い、コースアウトしてしまう選手のように私の口は暴走を続け、理系=めがねっこ大好き、という辺りではもう「勝ち負け」でいうところの「負け犬」であるようにしか思われず、理系の誇りを守るどころか、理系を単に汚しただけに終わってしまった。そこで、悔しさのあまり、今回は「めがねっこ」に対し理系的なアプローチで近づいてみることにした。そして、私が汚してしまった理系の汚名をすすぎたいと思うのである。 「めがねを外すと美人になる」は本当か!? よく、少女マンガなどで、「ヒロインが眼鏡をとると美人になった」というストーリーをみかける。今はどうだか知らないが、少なくとも昔はよくそんなストーリーを見かけた。あれは果たして本当だろうか。そして、それが本当であるならばそれは一体どんな物理現象なのだろうか?そして、ヒロインが眼鏡をとると美人になった」というストーリーと「めがねっこ大好き」というそ相反する二つの事象はどんな原因に基づいているのであろうか?それを理系的なアプローチで明らかにしてみたいと思う。  めがねはもちろん視力が悪い場合に、その矯正を行うための道具である。近視の人であれば矯正のために凹レンズをかけるし、逆に遠視の人は矯正のためには凸レンズをかける。凸レンズと言えば、虫眼鏡と同じで、何かの近くにレンズを持っていけばそれが拡大されて見える。また、逆に凹レンズであれば、対象物が小さく見える。 凹レンズ(右)と凸レンズ(左)凸レンズでは文字が大きく見え、凹レンズでは文字が小さく見えている だから、近視の人が凹レンズである眼鏡をかけた場合には、その人の目が他の人からは小さく見えてしまうのである。実世界でも、少女マンガの世界でも大きな瞳は美少女の象徴であるが、近視の人が眼鏡をかけると、大きな瞳を持つ美少女でもちっこい瞳になってしまうのである。 試しに、仲間由紀恵に凹レンズの眼鏡をかけさせた場合の、シミュレーションを行ってみたのが下の結果である。左のめがねをかけた「近視の」仲間由紀恵は確かにキレイではあるけれど、右の仲間由紀恵の方が、美少女という魔性の魅力という点で遙かに勝っていることが判るだろう。 近視の場合めがねをかけた「近視の」仲間由紀恵めがねを外した「近視の」仲間由紀恵 そう、近視の人の場合には、「めがねを外すと美人になる」は物理的に本当なのである。近視の人の割合は国によって大きく違うらしいが、少なくとも現代の日本では近視の人の割合は圧倒的に多い。ほとんどの人が近視である、といっても良いくらいである。ということは、そんな日本では「めがねを外すと美人になる」はかなりな確率で事実である、と言えるわけだ。  それでは、「めがねを外すと美人になる」ということと相反するとしか思えない「めがねっこ大好き」現象をどう説明したら良いだろうか?一つは、遠視の場合先の近視の場合と逆のことが起きる、ということである。すなわち、遠視の人の場合には、眼鏡をかけると瞳が大きく見えるのである。すなわち、眼鏡をかければ、美少女の象徴たる大きな瞳が手に入るのである。 下の「遠視の」仲間由紀恵の場合の眼鏡シミュレーションを見てみると、めがねをかけたことでずいぶんと美少女度がアップしていることが判ることと思う。まさに、その瞳には魔性の魅力が宿っているとしか思えないほどなのである。 遠視の場合めがねをかけていない「遠視の」仲間由紀恵めがねをかけた「遠視の」仲間由紀恵 ということは、「眼鏡を外すと美人になる」は本当。ただし、近視の人の場合は、ということなのだ。そして、もし遠視の人であれば、「眼鏡をかけると美人になる」が本当なのである。 とはいえ、日本人では遠視の人は少ないわけで、それではめがねっこを増やす原因たる「眼鏡をかけると美人になる」が少なくなってしまう。そこで、他の原因を考えてみると、例えば近視の人が裸眼の時には瞳の口径を小さくすることで、被写界深度を深くする、すなわちハッキリとものを見ようとして、目を細めがちであること、すなわち小さな瞳になりがちであること、なども原因の一つとして考えられるだろう。 そしてまた、実は近視の程度が低い場合には、「めがねっこ大好き」現象を支えるもう一つの事実がある。レンズの度数がきつくなくて、他の人から見た瞳の拡大縮小が行われないような場合にも、眼鏡をかけると実は心理的に瞳の大きさが変わって見えるのである。 下の「目が小さい」仲間由紀恵は左右で目の物理的な大きさは完全に同じである。が、心理的には結構違って見える。眼鏡をかけた仲間由紀恵の方が目が大きく見えることが判ると思う。「目が小さい」場合、めがねをかけると瞳が大きく見えるのである。 めがねっこチェック「目が小さい」場合、 めがねっこの方が絶対可愛い?。めがねをかけていない「目が小さい」仲間由紀恵めがねをかけた「目が小さい」仲間由紀恵 日本人は目が小さい人が多いから、このような眼鏡をかけると心理的に瞳が大きく見える影響は無視できないに違いない。 ところが、目がもともと大きい場合には、この現象はそれほど大きく現れるわけではない。もともと瞳が大きいがために、眼鏡をかけたからといって割合的にそれほど瞳が大きく強調されたりはしないのである。その例を下に示す。下の二枚は目の物理的な大きさは完全に同じなのであるが、心理的に受ける瞳の大きさ=美少女度の違いは上の例ほどではないことが判るだろう。 めがねっこチェック「目が大きい」場合 …う?ん、あまり差がない?。めがねをかけていない「目が大きい」仲間由紀恵めがねをかけた「目が大きい」仲間由紀恵 ということで、瞳が多きい近視の人の場合、眼鏡を外すと美少女になる目が小さかったり、遠視だったりする人の場合、「めがねっこ」=美少女になれるなどのさまざまな知見を理系的アプローチで見つけることができ、これまでの少女マンガなどに描かれたストーリー達が実は物理現象をこと細やかに描写した事実に即した観察日記であったことが明らかにされたわけである。ところで、理系と文系… さて、理系的「めがねっこ大好き論」も良いのだが、話をそもそもの「どんな時に自分を理系だと思う?」という問いに戻ろう。 よく私が見かけるパズルは大抵が論理的なパズルだ。論理的=理系ではないから、それを理系パズルと呼ぶのはいけないと思うが、あえてそれを理系パズルと呼んでみる。間違っているのを承知で、あえてここではそう呼んでみる。 そんな理系のパズルでもやっぱり色々あるだろう。大抵のそんなパズルの答えは答えがただ一つに限られるものだろうが、時にはその答えが無限にあるものもあるかもしれない、そして答えが一個もないパズルだってあるかもしれない。そしてまた、「答えを見つけられないこと」を証明できるようなパズルだってあるだろう。だけど、いずれにせよ、そのパズルを解く過程で現れようとする「割り切れない何か」は「それが割り切れる軸」を駆使することで、巧妙に消し去っていくことができる。だから、とてもそれは結構気持ちが良い作業だ。少なくとも、私にはそうだ。あるいは、答を判定するものが、自分ではない論理なり自然現象に任せられているから楽なのかもしれない。 だけど、もしそんな論理的なパズルとは違う非論理的なパズル、ここではあえて文系のパズルと呼ぶようなものがあったとしたら、その答えは「割り切れない何かを拾い集めたようなもの」であるような気もする。そして、その解く過程はもしかしたら割り切れない感情や雰囲気を拾い集めて、割り切れないままに何とか答えを投げ出しいく作業であったりするのかもしれない。それに、そこでは答を判定する何かなんかそもそも存在しないか、あるいはその判定する何かが人であるのかもしれない。 私には、そんな「割り切れないままに何とか答えを出していく作業」はちょっと辛いなぁと思う。やっぱり、私は理系パズルの方がずっと楽で気持ちが良い。だから、今度「どんな時に自分を理系だと思う?」と聞かれたら、そんなことを上手く言えたらいいな、と思う。いつも、思い浮かべたことを伝え続けたいな、と思う。関連記事を読む >> Keywords:できるかな?|マンガ|美人|シミュレーション|理系|めがね|めがねっこ|魔性|物理|女子|瞳|アイドル|スキー|レンズ|近視|遠視|好き|答え|ストーリー

[ 86] hirax.net::Article::めがねっこ大好き。
[引用サイト]  http://www.hirax.net/dekirukana6/glasses/index.html



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