ファックスとは?

ジョン・テイラーは1622年に発表した有名な詩のなかで、盗賊や物乞いどもが震えあがる三つの言葉を、よりマシな順に並べてこう書いた。
地獄よりも恐ろしい言葉のうち、ハルとは完璧な治安を誇ったイングランド北東部の町の名で、とくに物乞いや浮浪者に対する無慈悲な仕置きで知られていた。そして、それよりさらに怖いのがハリファックス。詩はこう続いている。
Law)と断頭台(Halifax Gibbet)とによって、イングランド中にその名を知らしめていたわけである。
中世初期のハリファックスはドームズデイ・ブックにも記載されないほどの小さな村落にすぎなかったが、早くも1280年にはハリファックスの処刑台のことに言及した文献があり、おそらくノルマン・コンクウェストと同時に、独自の処刑台を設置する権限を国王から与えられていたと考えられている。ただし、ハリファックスだけが特別だったわけではなく、その当時はヨークシャーの多くの村や町に同様の権限が認められ、100を下らない数の処刑台があちこちに建てられていた。ハリファックスが他から際だつ存在となったのは、他の地域がこの血なまぐさい特権を放棄して次々に処刑台を取り壊してしまったあとも、長きにわたって独自の刑事司法権を頑固に守り続けたからである。
ハリファックス処刑台で執行された処刑の公式な記録は、1541年になってはじめて現れる。それより前のことはほとんど不明であり、どのような処刑台が、どれほどの頻度で稼働していたかを知るすべはない。しかし、実際に処刑が行われたとしても、それはごく稀なことであったと推測される。というのは、それ以前のハリファックスはさびれた寒村で、1453年の記録ではわずか13戸しか存在しておらず、犯罪が頻繁に発生したとは考えられないからである。
しかし、15世紀半ばに始まった羊毛業の流行によって、この僻地の貧しい村にも一大転機が訪れた。地理的な利点と清浄な水資源に恵まれていたことによって繊維産業が花開いたのである。家屋も16世紀半ばには500戸を越えるまでになり、かつての寒村は人の往来も激しい豊かな町に成長した。それにともなってハリファックスの犯罪率も急上昇することになったが、これには単なる人口増加だけでなく繊維業に特有の事情が大きく寄与していた。
近隣の町や村からハリファックスに運び込まれた大量の布は小川の水で洗われ、張り板に伸ばして自然乾燥させられる。羊毛取引がますます盛んになるにつれ、ハリファックスの丘の斜面という斜面は布を張った板でびっしり覆われることになったであろう。しかし、ハリファックスの羊毛業者は町の繁栄を喜んでばかりはいられなかった。高価な布が昼夜を問わず大量に屋外放置されているというこの状況では、盗みを防ぐ手だてがなかったからである。実際に盗難が続出するようになり、自分たちの財産がいかに脆いかを思い知った羊毛業者たちは、軌道に乗り始めたばかりの町の経済活動を守るために思い切った手段をとることを決意した。彼らは新しい処刑台の建設許可を国王に請願し、羊毛業の育成がイングランドの発展の鍵を握っていることを熟知していた国王は、ただちにこれを許可した。
こうして建設された新しい断頭装置は、次のような代物である。まず土台は、一辺が13フィート、高さ4フィート。表面は石で固められ、端に階段が設けられている。土台の中央には、上部を梁でつないだ高さ5ヤードの柱が2本、幅4フィート半の木のブロックを挟んで建てられている。この木塊は、柱に彫られた溝に沿って上下に円滑にスライドするようになっており、これに結びつけられた斧が受刑者の首の上に落下するわけである。斧は峰の部分が幅7インチ、刃渡り9インチ、峰から刃までの長さは10インチ半で、重さは7ポンド12オンスもあった。
斧は滑車を使ってロープで引き上げられ、ロープの端に結ばれた木釘を土台の穴に留めると準備完了である。罪人が斧の真下に首を伸ばし、いよいよ執行の瞬間がくれば、役人がこの木釘を引き抜くわけである。罪人が家畜泥棒である場合は、盗んだ家畜そのものか同種の動物をつかって木釘を引き抜かせることになっていた。したがって、冒頭の図は馬泥棒の処刑風景ということになる。なお、同図で断頭台の左側に立っている黒衣の男は教区の牧師であり、右側にたむろしている正装の男たちは後に述べる16人の陪審員である。また、左図は1650年、すなわちハリファックス断頭台の最後の年にジョン・ホイルが、恐らくは歴史的記録の意味で描いたものである。右上の丘の頂上には当時あった烽火台まで描きこまれており、非常に正確な絵と考えられている。
この断頭台の威力はめざましいものであった。とくに、後のプロの死刑執行人たちが受刑者の首の上で繰りひろげた様々な不手際を思うと、イングランド公式の処刑法に採用されなかったのが残念なくらいである。ホリンシェッドは『英国年代記』のなかでハリファックス断頭台についてこう記述している。「たとえ罪人の首が雄牛のように太くても、一撃で首は見事に切り落とされ、胴体からかなりの距離まで転げ飛ぶ」。またハリファックスの歴史家ライトは次のようなエピソードを書き残している。ある農婦が編みカゴをたくさんつけた馬に乗って断頭台のそばを通りかかったところ、その時ちょうど死刑が執行され、はじき飛ばされた生首がこともあろうにカゴの一つに飛び込んだ。見物人のなかには、首が農婦のエプロンに噛みつき、しばらくぶら下がっていたと断言する者もいる、と。
ところで、なぜハリファックスの人々はこのような手の込んだ装置を採用したのであろうか。言い伝えによると、ハリファックスの紳士がたは布泥棒に厳罰で臨むことをやむなく決意したものの、自ら死刑執行人の役を担うことは良心が許さなかった。さてどうしたものかと困っているところへ、たまたま町を訪れた旅の修道士が心やさしいハリファックスの人々に同情し、直接手を下さなくてもいいようにこの機械を勧めてくれたのだという。しかし、斬首の斧をふるって手を汚すのが嫌なのであれば、素直に絞首刑にすればいいはずである。やはり、その冷徹で暴力的な処刑器具の威嚇力が、盗人への見せしめという彼らの要求にぴったりだったからであろう。実際、後に述べるようにハリファックス断頭台には十分な犯罪抑止力があった。
さて、ハリファックス断頭台で処刑されたのは、どのような罪を犯した者たちであったのだろうか。厳格さで鳴り響いたハリファックスの法は、次のようなものだった。
「ハードウィック・フォレストの特許地区(Liberty)の内外で13ペンス半の価値のある布その他の品物を盗んだ重罪人が、特許地区内で盗品を手に持つか(Hand-habend)、背負っている(Backberand)ところを捕まり、あるいは告白すれば(Confessand)、逮捕され有罪を宣告されてからハリファックスの町で開かれる3度の市場または集会のあと、断頭台に引き立てられ、そこで胴体から首を切り離される」
すなわち、13ペンス半(ジョン・テイラーの詩よりも半ペニー高い)以上の窃盗犯が、現行犯逮捕されるか、盗品を所持しているか、あるいは犯行を自白すれば斬首刑を宣告され、判決の日から3度目の市場または集会のあとで執行される、というわけである。少し詳しくみていこう。
まず、被害額13ペンス半という要件は一見いかにも厳しそうであるが、実はそれほどでもない。当時のコモンローは、12ペンス以上の窃盗犯に死刑を認めていたからである。
次に、ハードウィック・フォレストの特許地区で逮捕されることが必要であるが、これにはさらに補足があって、たとえ特許地区内で逮捕され有罪を宣告されても、その後で地区外に逃げ出すことができれば、自発的に地区内に戻ってこない限り、もはや再逮捕されて連れ戻されることはないと決められていた。この特許地区は、断頭台のある丘のすぐ下を流れるヘッブル川が東の境となっていたため、もしも落下してくる斧の刃をすり抜けて500ヤードばかりの丘の斜面を駆け下り、捕まらずに川を渡りきることができれば、処刑されずにすむことになる。
ありえそうもない話に聞こえるが、実際に首尾よく逃走できた者が二人いたと伝えられている。一人はデニスという男で、無事に川を渡り、悠々と歩いていると、出くわした人々がハリファックスから来たこの男に「もうデニスのやつは首を刎ねられたか」と聞いてきて、そのたびに「まだだと思うよ」と陽気に答えたという。
もう一人はレイシーという男であるが、不運にも彼はデニスほど賢くなかった。ハリファックスに二度と足を踏み入れなかったデニスと違い、レイシーは、いったん特許地区の外に逃げ出せば罪が許されると思いこんでいたのか、それとも単にほとぼりが冷めて誰も自分を覚えていまいと高をくくったのか、7年後にのこのこ特許地区に舞い戻ってきたのである。レイシーはすぐに捕まり、かつての判決が執行されて1623年1月29日にハリファックス断頭台の露と消えた。ちなみに、現在ハリファックスにはレイシーにちなんで「ランニング・マン」という屋号のパブがあり、レイシーの幽霊が出るという噂である。
逮捕された盗人に対する審理は次のように行われた。まずハリファックスの代官(Bailiff)が町役人4人を自分の邸宅に呼び出し、盗品の価格を鑑定する。これは大陪審に相当し、13ペンス半以上とみなされれば、町役人たちはそれぞれ4人、計16人の陪審員をすぐに用意するよう命じられる。陪審員は「知性と誠実さで定評のある裕福な者たち」のなかから選ぶべきとされていたが、彼らに課される仕事は大したものではなかった。盗品がたしかに13ペンス半を超えていることと、現行犯か盗品所持または自白の事実があるということを確認するだけだったからである。もしここで要件に当てはまらないと判断されれば容疑者は無罪となり、裁判費用の支払いと引き替えに直ちに放免される。しかし、有罪の評決が出れば、その場で代官が死刑を宣告する。
死刑の執行は、「判決が出てから3度の市場または集会の後」とされており、ハリファックスでは毎週火、木、土の各曜日に市場が開催されていたから、死刑執行までいつも5〜6日間の猶予があるはずであるが、実際には、その週に有罪判決を受けた者をまとめて最も大きな市場が開かれる土曜日に処刑することになっていた。したがって、死刑囚があと何日生きられるかは判決の出された曜日で決まった。なかでも土曜日に死刑判決を受けた者は不運で、判決後すぐに牢屋のある代官屋敷から断頭台へ直行させられる羽目になった。
土曜日以外に死刑を宣告された者たちも、この世の最後の数日間を牢屋で静かに過ごすというわけにはいかなかった。土曜日まで毎日牢から引き出され、広場で足かせにかけられたからである。このとき、見物人に罪状が一目でわかるよう、盗んだ布を死刑囚の肩にかけ、あるいは盗んだ家畜をわきにつないでおくのが常だった。
ハリファックスに残る公式記録によれば、1541年から1650年の廃止までの間に52人がハリファックス断頭台で処刑されている。彼らの名前も記録されており、男女を問わず処刑されていたことが分かる(女は、何某の妻と記載されている)。それにしても、110年間で52人という数字は、ハリファックス断頭台の悪名の高さを考えると拍子抜けするほど少ないと言わねばならない。その理由は、あるいは陪審員たちが死刑を嫌ってわざと盗品の価値を低く見積もることがあったからかもしれない(いわゆる敬虔な偽証)。容疑者が地元のよく見知った者であったりすればそのような気になるのはむしろ自然である。だが、最も大きな要因は、ハリファックス名物と化したグロテスクな殺人装置が人々の心に並はずれた恐怖心を植えつけるのに成功したことだと思われる。
死刑が執行される日の市場には近隣から普段にもまして大勢の人々が押しかけ、噂に聞く断頭機械の獰猛な仕事ぶりを固唾をのんで見守ったに違いなく、彼らが目を輝かせて語る目撃談は尾ひれをつけて広まっていったであろう。ひとたび有罪とされたが最後、聖職者の特権のような逃げ道を許さず、女の首すら容赦なく刎ねるという法執行の厳格さもまた威嚇効果を高めるうえで重要な働きをしたはずである。そして、一人歩きをはじめた悪名は、地方の様々な詩や歌のなかで誇張して宣伝され、運用実態とはかかわりなくハリファックス断頭台の恐怖のイメージを増幅していったであろう。こうしてハリファックス断頭台は、一、二年に一度いけにえを喰わせてやりさえすればハリファックスの布を盗人の手から守り続ける優秀で経済的な番犬となることに成功したのであろうと思われる。タイバーンなどでの公開処刑が結局のところ犯罪を抑止できなかったことを考えると、ハリファックス断頭台は最小限の見せしめによって最大の抑止力を獲得した稀有の例と言えるのではないだろうか。
しかし、これほど成功を収めたハリファックス断頭台も1650年に廃止された。廃止の理由は定かではないが、その前年のチャールズ1世の処刑が、ハリファックスの有力者たちの心に斬首刑に対する自粛の念を喚起したのかもしれない。
最後の受刑者となったのは、ウィルキンソンとミッチェルという二人の男である。彼らは16ヤードの布と2頭の子馬を盗んだ罪で逮捕され、盗品の総額が5ポンド8シリングと認定されて1650年4月30日に死刑を宣告された。運悪くこの日は土曜だっため、二人は判決後すぐに刑場へ送られた。どちらが後に執行されて断頭台の最後の相手役を努めたのかは記録されていない。奇しくも、ハリファックス断頭台が役目を終えた日からちょうど170年後の1820年4月30日、イギリスで最後の斬首が行われることになる。
その後、ハリファックス断頭台は顧みる者もないまま荒廃し、その跡も分からなくなっていたが、1839年6月、地元で処刑台の丘(Gibbet
Hill)として知られていた台地の掘削作業中に土台が発見され、200年近い眠りの底から掘り起こされた。表面が一部風化し、階段が一段なくなっていたことをのぞけば、ほぼ完全な姿で残っていた。その近くではその数年前に首のない2体の骸骨が掘り出されており、ウィルキンソンとミッチェルのものではないかと推測されている。
遺跡は厳重に柵で囲って保存され、1852年にハリファックス市長が私財を投じて詳しい発掘調査を行った結果、首斬り斧も発見された。この歴史的な斧は最初ウェイクフィールドの領主邸で保存され、次にハリソン・ロード警察署に移された。その後、警察署が移転する際にカルダーデール産業博物館に贈られ、現在そこの展示品となっているが、残念ながらこの博物館は資金難により閉館中である。
1974年、この遺跡の上にハリファックス断頭台を再現するプロジェクトが開始され、同年2月22日に完成した(左写真)。もちろん作動はしないが、博物館のオリジナルの斧から型をとって鋳造するなどきわめて正確なレプリカであり(上のホイルの絵と見比べられたし)、かつて人々に地獄よりも恐れられたその偉容を21世紀の今に伝えている。

[ 48] ハリファックス断頭台
[引用サイト]  http://www.ff.iij4u.or.jp/~yeelen/system/law/halifax.htm



お気に入り



  • track feed
    • seo