とともにとは?

姫路の中心部にある小高い丘の上にそびえ立つ姫路城。その美しい姿が羽根を広げて舞う白鷺のようだと、別名「白鷺城」(はくろじょう)とも呼ばれています。
五層の大天守と3つの小天守、そしてそれを結ぶ渡櫓。この連立式天守閣の幾重にも重なる屋根屋根と千鳥破風・唐破風の組み合わせ、白漆喰総塗籠造の外壁が、得も言われぬ美しさを築いています。
その壮麗な姿とは裏腹に、複雑巧妙な縄張りを持つ姫路城は、要塞としての機能性も抜群。日本の城郭建築技術が最も発達したとされる安土桃山時代の粋がそこかしこに見られます。
幸い400年の歴史の中で、一度も戦火にまみえることのなかった姫路城は、奇跡的にも往時の姿をよく残すことができました。そして現在、かけがえのない「人類の宝」として、貴重な世界文化遺産となっています。
明治維新後、1871年姫路城主酒井忠邦公は東京移住を令された。しかし旧藩主酒井家を慕う領民が1879年明治政府の許可を得て、酒井家の藩祖酒井正親を祀ったのが初めとされる。1925年現在の位置に遷座し、1961年には歴代酒井家藩主を配祀し姫路城鎮護神社として鎮座された。
この神社では姫路藩の財政を救った家老河合寸翁が祭祀されている。河合寸翁(1767〜1841)は播磨一円の産業の開発を行い、当時73万両(現在の約1兆5000万円)もあった累積債務を7年余りで返済するという偉業を成し遂げた。また、仁寿山校という私塾を起こし、頼山陽らの学者文人を招聘して教育振興に力を注いだ。1957年に現在の社殿が造営された。
農工生産の神として仰ぐ倉稲魂(うがのみたま)大神をお祀りする。元々は坊主町の鎮守であったが、1925年当社にご遷座された。
姫路城の東側にある「姫路市立美術館」は、近代のベルギーやフランス絵画、郷土作家の作品を数多く収蔵しています。明治時代に建てられた元陸軍の倉庫であった赤いレンガ造りの美術館越しに見る白亜のお城は、姫路城10景にもあげられています。
姫路市立美術館の北側、「兵庫県歴史博物館」では、兵庫の歴史や、城と城下町をテーマに展示。木造建築の頂点を極めた姫路城の築城の様子や、仕組みなどもわかりやすく展示されています。鎧や十二単の試着もできます。
「姫路文学館」は、建築家・安藤忠雄氏の設計によるもの。司馬遼太郎、和辻哲郎、有本芳水といった播磨ゆかりの文人たちの作品や原稿、遺品を数多く展示しています。北館展望台からの眺めも壮観です。
姫路城の西側にある1万本の日本庭園「好古園」は、かつて「西御屋敷」や「武家屋敷」があった場所。発掘調査で見つかった屋敷跡や通路跡などの地割りが生かされ、「西御屋敷」など9つの庭園や、長屋門、築地塀を再現しています。四季折々の花が咲き誇る庭園を眺めながら食事やお茶席が楽しめます。 [ Large view ]
「播磨国総社」は、正式名は「射楯兵主神社」といいますが、播磨国内の神様が全部祀られているので「総社」と呼ばれています。ここで行われる20年に一度の三ツ山祭、60年に一度の一ツ山祭は全国でも珍しい祭です。 -
「慶雲寺」には、井原西鶴、近松門左衛門の戯曲で知られる悲恋物語「お夏・清十郎」の比翼塚があります。許されぬ恋に、駆け落ちの末捕らえられ死刑となった清十郎と、狂乱したお夏。「せめてあの世では」と並んで祀られています。
姫路城の裏鬼門の方角に造られた「十二所神社」には、「怪談・播州皿屋敷」の主人公・お菊を祀る神社があります。無実の罪を着せられ無念にも殺されたお菊が投げ込まれたという井戸は、今も姫路城内に残っています。

[ 160] 三川屋とともに日本を感動しませんか
[引用サイト]  http://sansenya.com/castle_area_j.html



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