最年少とは?
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図 1は幕内の最年少・最年長年齢の変動を 1場所毎に示したものである。江戸時代は変動が激しいが、当時の番付編成は必ずしも実力に拠らなかったので実力が無いのに幕内に付け出されたり、簡単に番付から消えたり再び現れたりする場合が多かったからと思われる。 これでは細か過ぎるので、大雑把な傾向を見る為に年代を約10〜15年毎に区切って各々の最小値・平均値・最大値を算出して変動を示したのが図 2である。以下に各々で見られる傾向を挙げてみる。 概ね明治の初期までは 3つの値は共に変動が激しく、差が大きい。前者は前述した番付編成上の問題が原因だろう。後者は、生年不明の力士が少なくないので本当は更に若い力士が居るのだが判らず、仕方無く生年が判明している年上の力士を選んだ可能性が原因として考えられる。約10歳も有った差も明治の中期には小さくなり、その後は 5歳前後に抑えられている。 江戸時代は漸増していて、末期には最大値が35歳を超えてしまっている。これも、実際より年上の力士を選んだせいだろう。明治に入ると一転して減少を始め、明治末期からは大きな変化は見られなくなるが、これは番付編成が殆ど完全な実力評価に変わり、従来の様に好成績を続けても若過ぎると昇進できなかったり、逆に衰えて不成績が続いても嘗ての功績で地位が下がらないといった習慣が無くなったからと考えている。 史上最年少記録は文化 5年10月に小結として登場した戸田川の16歳である。こんな年齢の三役など現在でも驚きだから、現在よりも力士の土俵寿命が長く平均年齢も高かった当時としては尚更で、他の力士の目には特異な存在として映った事は想像に難くない。こんな年少力士が入幕を果たせた原因を考えると、 と、どれも腑に落ちない。彼は相撲会所筆頭(現在で言えば相撲協会理事長だが、権力の強さは比較にならないだろう) 3代目 錣山の養子に迎えられているので、そうした権力者の意向で据えられたのかもしれない。 実力本位で編成された番付における最年少記録は平成 2年 5月の貴花田の17歳 8ヶ月と考えられる。当分は破られそうにない記録だと思えるが、現在の制度・慣習で可能な最年少記録の限界は果たして何歳なのかを考えてみる。 ここに、相撲が滅茶苦茶に強い中学生が居たとする。誕生月日は当該年度で最も若い 4月 1日としよう。彼は今すぐにでも入門したいと思っていたのも有って或る部屋への入門が叶い、段違いの強さながら前相撲から取り始める。 従来は前相撲から取るしか道が無かったが、平成13年 2月に幕下付け出しの規定が改定され、従来は20歳以上の下限が設けられていたのが、付け出し条件を満たせば義務教育修了(見込み)で適用されるようになった(*1)ので、もし彼が全日本相撲選手権大会で並み居る学生や社会人の強豪連を抑えて優勝を遂げていれば、幕下付け出しで取り始める選択も可能である。 (*1)「相撲」平成13年 4月号120頁の記事に拠ると改定の理由は「中学、高校生でも全日本大会に出場できることなどが理由。」だそうだが、平成 4年12月に20歳以上の下限を設けた理由も同じだった。同じ理由で規定を設けたり廃したりするのだから面白い。 ここでは極端な例を考え、彼は初土俵以来連戦連勝で番付運も良く、考え得る最短場所数で昇進して行くとした場合の各地位における年齢を表 1に示す。年齢の基準日は、前相撲と幕下付け出しは場所開催月、大関と横綱は番付編成会議日(昇進直前場所開催月とする)、その他は番付発表日(場所開催月の前月とする)である。 なんと、15歳台にして一人前の力士たる関取で、横綱へ登り詰めても17歳未満と、かなり現実離れした年齢である。極端な例で考えたので当たり前だが。 ここからは年齢から所要場所数の方へ少し話が逸れるが、初土俵から上記の最短通過所要場所数に沿って成された昇進の内、年 6場所制下では十枚目までは達成されている。これを達成したのは板井だけで、板井は実業団相撲で活躍しており、幕下付け出しが適用されても不思議は無い程の実力者だったから例外と言うべきだろう。幕下の壁は相当に厚いらしく、幕下までは 1年も掛からずに昇進した力士でも、大抵は撥ね返されている。現実には中学生や高校生が前相撲を取り始めてから 1年で関取になるなど至難の業だろう。ならば、幕内上位の壁は推して知るべし、である。 中学生の幕下付け出しも同様で、出場するのでさえ大変な全日本相撲選手権大会で優勝するなど夢の様な話と言える。あの久嶋でさえ、優勝したのは高校 3年生の時だった。 上記の最短通過所要場所数(年齢の話は措く)で今後に達成される見込みの有りそうな例としては、幕下付け出しから 1場所で十枚目に昇進する例が挙げられる。次の段階である 1場所で十枚目を通過する例は、枚数の少なさから見れば頻度が多くても良さそうなものだが、少ない故に星の潰し合いが多いのと、現状では幕内に空きが生じないと中位や下位から一気に入幕できないので、今後も難しそうだ。 江戸時代末期から漸減を続けている。力士の寿命は相撲界内部での変化だけでなく、社会全体の活動速度の向上にも影響され続けているのかもしれない。 明治末期が突出しているが、これは偏に鬼ヶ谷の頑張りに因るもので、実に10年半21場所も連続で最年長幕内の座に在り、引退後に協会から功績を讃える銀杯を授与された。 昭和45年は大きく落ち込んでいる。30歳を切ったのは当時だけだが、理由が在るとすれば 3年前に実施された番付削減が挙げられるが良く判らない。単なる偶然に過ぎないのだろうか。 図 3は各年代において最年少・最年長力士の延べ人数と個別人数を示したものである(生まれた月日が判らない為に複数の力士を併記している場合は 1人として数える)。常に延べ人数≧個別人数であり、両者の差が大きければ頻繁に交替している事を示している。 最年少では昭和の後半の交替頻度が高く、十枚目との入れ替わりの激しさも反映している様だ。最年長では寛政の頃までの交替頻度が高い。 最年少と最年長の両方に登場した力士を表 2に示す。期間は新入幕と幕内最終の間隔を表す(閏月は数えない)。 全部で14人だが明治以降は 4人だけ、それも全て昭和以降であり、安芸ノ島を除いた 3人が最年少に在ったのは 1場所だけである。江戸時代が多いのは、力士寿命が長かったのと、何度も述べているが生年不明の力士が少なくなく真の最年少であったかどうか判らない可能性を含むからだろう。 幕内同士の対戦で最も年齢差が大きかったのは文化 6年10月と 7年10月の戸田川−滝ノ音と思われる。文化 6年における満年齢は17歳と46歳で実に29歳差、対戦成績は 1勝 1敗だった。生まれた日まで明確な者同士だと、明治45年 1月の石山−立川で、当時の年齢は20歳 8ヶ月と42歳 1ヶ月で21歳 4ヶ月差、対戦成績は 1預だった。 最年少・最年長の話題からは些か逸れてしまうが、年齢差が最小、即ち同年月日生まれの組み合わせも挙げておこう。作者が把握している限りで該当する組み合わせは の 6組であるが、幕内同士で対戦が実現したのは 3.と 4.の 2組、 6.も今後に可能性を残している。 2.と 5.は一方が入幕した時には既に他方が廃業している。当然かもしれないが同い年でも出世の歩みは同じとは行かず、初土俵も全て異なり、比較的近いのは 4.ぐらいしか無い。 [最年少・最年長・最新参・最古参][大相撲 記録の玉手箱]この頁に関する問い合わせはyk815103@fsinet.or.jpまで |
[ 182] 最年少・最年長(幕内力士の年齢 四方山話)
[引用サイト] http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/6/011.htm
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史上最年少の名人戦リーグ入りの実績を誇る黄翊祖(こう・いそ)七段(19)か、石がぶつかり合ったときの腕力はピカ一と評判の松本武久六段(26)か――ともに初出場の二人による、囲碁第31期新人王戦U―25決勝3番勝負が13日から始まります。見どころをさぐりました。 両者の手合いは、今年六月の碁聖戦予選での対局が初めてです。このときは松本六段が勝っていますが、プロとして、二人のたたかいは始まったばかりです。 黄七段は昨年四段に昇段したあと、すぐに名人戦リーグ入り。規定により七段へ一挙三段跳びの昇段を果たしました。十八歳六カ月でのリーグ入りは史上最年少記録。さっそうとしたデビューでした。 同リーグでは残留こそできなかったものの、今村俊也九段、坂井秀至七段相手に白星を挙げる活躍をしました。入段以来の通算成績は103勝48敗。今年一月以降の成績は20勝12敗(八月末現在)。地にからく、しっかりした碁風と見られています。 今期トーナメントでは、最初から有力な優勝候補の一人でした。一回戦以降、三谷哲也三段、首藤瞬四段、山本賢太郎四段、山田晋次四段を連破して決勝の舞台に躍り出ました。 一方の松本六段は、黄七段とは対照的に、ねじり合いの局面でもっとも力が出る碁風です。今期トーナメントでも、その碁風を存分に発揮しています。若きタイトル保持者・河野臨(こうの・りん)天元を破って勝ち上がってきた張豊猷(ちょう・りゆう)七段との準々決勝は、わずか89手の短手数。準決勝の安斎伸彰三段戦も164手で相手の大石を取っての勝利でした。 入段以来の通算成績は277勝118敗1持碁、勝率7割。とくに今年は絶好調で、一昨年、昨年と17勝止まりだったのが、今年は八月末までにすでに17勝(6敗)を上げています。 佐藤伸さん プロ棋士の碁を「力が強い」と評するのはいささか気がさす。力だけで勝ち抜けるほどこの世界は単純ではないからだ。 にもかかわらず、松本武久の豪腕は格別。名人リーグの経験で一回り大きくなっているに違いない黄翊祖にどこまで通用するかが見ものである。楽しみな三番勝負となった。読者といっしょに、たたかいの碁の醍醐味を心ゆくまで味わいたい。 本戦出場三十三人中六番目の若さの黄翊祖七段(19)と、二十六歳になったばかりの松本武久六段の世代対決である。 今期のトーナメントは、隣の山と比べたら楽だと思いましたが、それでも首藤四段との碁は危なかった。山田さん(晋次四段)との準決勝は、去年の借りを返そうと頑張りました。 松本さんとは、一回、この六月に碁聖戦であたり、負けました。その借りを返したい。松本さんは手が見えて早打ち、力が強い碁です。私の碁は、張栩さん(ちょう・う、名人)の影響も受けていまして、地にからい碁です。地をとってうまく逃げ切れれば、それが理想です。 三番勝負は、なんと言っても体力が大事なので体調を万全にし、あとは運を天にまかせようと思っています。 【黄翊祖七段】 台湾出身、十九歳、鄭銘コウ九段門下。二〇〇二年入段、〇五年四段、同年名人リーグ入りにより七段へ昇段。 今期の新人王戦は一回戦の大橋拓文三段に苦しい碁を勝ったのが大きかった。その後はだんだんと内容が良くなってきました。新人王戦では予選に出てもすぐ負けていたので、今回本戦に出てそのまま決勝に出れるとは思っていませんでした。 黄さんはしっかりした碁です。細かい碁になると分が悪そうです。六月に一度勝っていますが、「まさか」という感じでした。珍しくうまく打てたかもしれません。 三番勝負はきびしい勝負になるのは間違いありません。一局目が大事なので、いかに早くリードできるかが勝負です。悪くしてしまうと逆転するのは大変そうですから。 新人王戦 今期から出場資格を二十五歳以下(四月一日時点)に引き下げ、「新人王戦U―25」として再スタートしました。本戦・決勝の持ち時間も一時間短縮し、三時間としました。 編集局発・こんにちは「しんぶん赤旗」です いま「赤旗」が読みどきです メディアも注目の「赤旗」 「赤旗」はなぜスクープを連発できるのか 「しんぶん赤旗」は2万号 真実を伝えつづけて 本当がみえる 暮らしに役立つ「しんぶん赤旗」の魅力紹介 腐敗の聖域―軍事利権を追う 政治国際経済社会 地方国民運動学問文化 科学くらし家庭スポーツ テレビつり行楽電話相談 学習党活動読者の広場 「しんぶん赤旗」主張 Q&A 知りたい聞きたい 注目のキーワード 世界と日本が見える、生きる 勇気がわく 福田政権と正面対決――政治の根本転換もとめる くらしと労働の現場から 平和・憲法をまもるたたかい 世界の流れがわかる くらしに役立つ ゆうPRESS若いみなさんといっしょに考え交流し合っていきます 列島だより ふるさとの話題が満載の特集(毎週月曜日掲載) 囲碁・将棋 「しんぶん赤旗」主催の棋戦 新人王戦熱戦続く日本棋界の若手登竜門 07年・第45期 赤旗名人決まる 「赤旗」編集局案内 ご存知ですか?──日刊「赤旗」はこういう新聞です |日本共産党ホーム|サイトマップ|「しんぶん赤旗」|著作権|リンクについて|メールの扱いについて| |
[ 183] 「最年少」と豪腕/囲碁第31期新人王戦U−25/決勝3番勝負 13日から/「しんぶん赤旗」主催
[引用サイト] http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-09/2006090914_01_0.html
