存在とは?

存在(そんざい、existence)とは、この世界の多様な現象を把握するために、一定の条件を満たした現象群を統合した呼称。一般的にはその現象群が物理的因果関係を持つ時、その現象群は存在する、と認識される。例えば何らかの塊に力を加えて動いた時、我々はその塊が物理的に存在すると認識する。そして、その表面の色、模様、感触から材質が木である事が分かり、又、形状から機能を推定する事でその塊を「椅子」として認識する。
又、そのような物理的存在を過去や未来、或いは別世界に移動して想像する時にも、その物は存在すると考えられる場合もある。例えば、椅子を動かしたという記憶がある時、我々はその椅子がかつて存在していたと考える。又、多世界論理では様々な世界にそれぞれ椅子が存在し、(椅子に腰掛ける時)我々の意思がそのうちの一つを選択するという形而上学を展開する。これらの存在感覚の底辺を成していると思われるのは「実存感」(reality)であると思われる。
科学的な物の考え方によれば、現実世界は、感覚的に受け取れる物事から構成されている。地球から遥かに遠い星々も、肉眼か、でなければ望遠鏡などを使って観測する事ができ、それゆえに「あの星は存在している」といえる。細菌など微視的な事物についても同様である。
一般に自然科学は存在する物事についての理論的説明であり、理論によって予測された通りの振る舞いが、実験や観測によって確認できるかどうかを頼りに考察を積み重ねていく営みである。そこで、観測不可能なものについては、科学的には存在しているともしていないともいう事が出来ない。
このように観測や実験を通じて確認出来る存在は、しばしば科学的存在と呼ばれ、神や超常現象、死後の世界などのように確認する事の出来ない物事と区別される。又、多くの観察や実験結果と一致するような既存の科学の理論と大きく矛盾をきたす物事は、その存在が疑わしいとされ、科学的存在とは考えられない。
社会的存在という考え方もあり、これは簡単に言ってしまえば、その人物の社会における尺度を軸にその存在をはかるものである。社会における尺度は、社会的地位や、社会に対する影響力などがある。(例えばショパンは音楽界において重大な存在であるが、当時は音楽家の社会的地位は現代よりは低いものとされていた。)
社会的地位が高いと見做される職業に就いていたり、社会的重要性や貢献度の高い業績があれば、その人物は社会的に存在すると言えるが、逆にその人物でなくても代用可能な労働をしている者、また、昔の隠者、現代の引きこもりやニート等はそれぞれ、社会的には存在が応分に希薄であると言える。 存在価値も参照。
感覚が必ずしも頼りにならない事は、錯覚や幻覚、夢などを通じて多くの人が感じ取っている。又、人によっては、時間や空間のどこかに「果て」のようなものがあるとしたらその「向こう」には何が在るのか、あるいはただ無が存在しているのか、無が存在出来るのか、といった素朴ながら答えがたい疑問を持つ事もある。あるいは、自分が経験している物事全てが実は夢なのではないか、自分はいつかそこから目覚めてまったく違う世界にいるのではないかという可能性も、文学や漫画などでしばしば採り上げられる。そうした考えを突き詰めると、自分が普段接している物事が本当に存在しているのか、自分が普段は存在していないと考える物事(架空の物事、信仰の対象となっているが信じていない人々には感じ取れない物事、など)は本当に存在していないのか、といった迷いを持つ事もある。
諸々の宗教の中には特殊な体験(神の顕現や悟りなど)を通じて通常の感覚では捉えられない物事に遭遇する場合もある。それに基づいて、日常感覚や一般に「科学的」といわれるような存在や現実世界についての理解が誤っているとされる事も少なくない。
哲学においては、古代ギリシアのプラトンやアリストテレス以来、存在をどう捉えるかについて様々な考え方が提出されてきた。近代の哲学者の間でも、「物自体」は決して知る事が出来ず、それゆえ、ある物が「在る」かどうかについては断言は出来ないのではないか、という疑問は繰り返し提起されてきており、第一級の思想家と見なされている人々の間でも意見の一致を見ていない。
しかし、以下の事はいいうる。それは、西洋哲学史においては、「存在」が「無」よりも遥かに大きな重要性を持っており、無は存在の否定としてしか扱われなかったという事である。このヒエラルキーは、存在(Being)に対して無が非-存在(Non-being)としか呼ばれない、という言語的な事実によって裏付けられる。
また、マルティン・ハイデッガー以降、「基礎的存在論」と呼ばれる哲学の一分野が大きく取り上げられるようになった。ハイデッガーは「存在者」(Seiende、ザイエンデ)と「存在そのもの」(Sein、ザイン)を分け、前者は後者を生成の根源とすると考えた。自然科学は「ものが存在する」の「もの」すなわち「存在者」の方を問い、「存在すること」その事は問わない。しかし、ハイデッガーなどは、まさに「存在すること」その事を問うたといえる。この問いは純粋に哲学的で、一般に理解されている自然科学の存在の理解とは次元が異なる話である。どのようなものが「存在する」にせよ、「存在する」という事だけは変わらない。ちなみに、この問題を最初に定式化したのは、古代ギリシアのパルメニデスである。彼は、その詩的な著作の中で、「存在するもののみが存在する」とし、「無は無い」と考えた。ただし、これも又、自然科学がしばしば取り上げる「無」とはそもそもの次元が異なる議論である。西洋の無は、存在の否定であり、本当の意味で「無い」という事である。よって、無を考える事は出来ない。 一方、ハイデッガーやパルメニデスにおける「存在」と、東洋的な「絶対無」との関連を指摘する声もある。代表的な論者は井筒俊彦であるが、ハイデッガー自らもこの事を認めていると見られる。すなわち、存在も絶対無も突き詰めれば同じ事柄をいっており、それが世界のありかたの根源的な次元である、と考えられている。ここでいわれている絶対無は単なる非-存在(Non-being)ではなく、無でありながらも、存在と無の対立を超えてそれらを包摂するような「存在者を生じさせるもの」である(無の項目を参照されたし)。
一部の理論物理学では、宇宙の誕生の過程やミクロの世界の物質の振る舞いを数学的に考察する中から、我々の現実世界以外の平行宇宙や虚時間における物理過程などに言及する事がある。ここでは、現実世界として一般に考えられているような世界の外があり、そこに何かの物事が存在、進行していると呼べば呼べそうな事態がある。
又、コペンハーゲン解釈と呼ばれる量子力学の有力な一解釈によれば、物質を量子のレベルで把握する場合、そこには細かな粒子状の存在物とそれらを隔てる空間とがある訳ではないとされる。単一の量子は空間内に広がりを持って確率的に分布しており、特定の一点に存在する訳ではない。観測行為が起こると、そこで初めて、特定の位置が確定される。(シュレーディンガーの猫、アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックス、ベルの定理も参照のこと)
以下に挙げる例は、物質や物体のように何らかの実体を持つと見なされる存在の例である。物質や物体と同様にこれらの実体もまた、現象、運動、反応、変化を起こすことができ、精神現象、社会現象などというものがある。これらの中には実際にはなんらかの現象、運動、反応、変化を見ているだけで、実体と言えるものはない場合もあるが、どこまでを実体と見るかは文化的歴史的に複数の見方があることが多い。
物質。 多くの現代人の通念としては、物質ばかりが実体的存在として重視される傾向がある。だが、相対性理論によれば物質(質量)も、あくまでエネルギーの状態のひとつにすぎない。物質は反物質と衝突すると対消滅を起こし、いわゆる"物質"としては消滅し、質量がエネルギーとなって放出される。(比較的身近な例では「ポジトロン断層法」、「陽電子」の項が参照可能)
生命 生物は物質でできているが生命は物質ではない。ただし現代的自然科学の見方では生命または生命力という実体があるわけではなく、生命活動や生命現象があるだけである。
情報。 情報はエネルギーの様々な状態である電磁波、磁界、光、"物質"などにより、変化自在に運ばれ、表現される。いわゆる"物質"には必ずしも依存してはいない。

[ 59] 存在 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%98%E5%9C%A8

『存在と時間』(そんざいとじかん、"Sein und Zeit"、1927年)は、ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーの主著。「ものが存在するとはどういうことか」というアリストテレス『形而上学』以来の究極的な問いに挑んだ著作であるが、実際に出版された部分は序論に記された執筆計画全体の約3分の1にすぎない。しかし、それにも関わらずこの作品は20世紀哲学の生んだ最も衝撃的な作品として大きな影響力をもちつづけており、それ以降の哲学の潮流の多くが『存在と時間』をその思想的源泉の一つとしてもっている。実存主義や構造主義、ポスト構造主義(とりわけジャック・デリダの脱構築)など、その影響の及んだ範囲の広さは測り知れない。
エドムント・フッサールによって創刊された『哲学および現象学研究のための年報』の第8巻(1927年)において発表された。ハイデッガーはすでに師フッサールと見解の相違を見せはじめていたものの、『存在と時間』の献辞は「尊敬と友情の念をこめて」フッサールに捧げられた(ナチス政権下の1942年に刊行された第5版では削除されていた)。
このうち、実際に書かれたのは第1部第2編までにすぎず、そこで論じられているのは現存在についてである。序論以降ハイデッガーが何度も言明している「存在一般についての問い」に関する考察が書かれるべき〈本論〉は第1部第3編「時間と存在」という、書名自体にも似た標題をもつ章であると考えられるが、そこでハイデッガーが何を書くつもりであったのか、なぜそこへ至る前に中断されてしまったのかは長いあいだ謎とされてきた。
ハイデッガー自身の証言などから、1923年には『存在と時間』の草稿が書かれていたことが知られていたが、その所在は長らく不明だった。同年にハイデッガーはフライブルク大学の非常勤講師からマールブルク大学への異動が決まっており、そのさいに現在執筆中の著書の概要をまとめたものを審査論文として提示するよう要求され、『アリストテレスの現象学的解釈──解釈学的状況の提示』と題した論考をパウル・ナトルプへ提出していた(通称「ナトルプ報告」)。この論考が『存在と時間』の初期草稿に当たるのではないかと推測する向きと、「アリストテレスの現象学的解釈」と『存在と時間』がいかなる関係をもつのか疑問視する向きとがあったが、この「ナトルプ報告」も行方不明となっていたため結論は出なかった。しかし1989年、マールブルク大学と同時期にやはりハイデッガーを招聘しようとしていたゲッティンゲン大学のゲオルグ・ミッシュに提出した同内容の論考が発見され、その内容から「ナトルプ報告」が『存在と時間』の初期草稿であるとする推測の正しかったことが証明された。そこで明らかにされている本論はアリストテレスの読解を通した古代ギリシアから中世を経て近代に至る存在論、ひいては西洋哲学全体の読み直しであり、問題の第1部第3編「時間と存在」はこの歴史的考察の基盤となるものであること、また序論はその準備段階にすぎないものであること、したがって実際に刊行された『存在と時間』は長大に膨れ上がった序論が本論へたどりつく前に中断されたものであることなどが明らかになった。
1927年の初版以来、この本の末尾には「上巻」の文字があったが、ハイデッガーは1953年の第7版からこれを削除し、後半を書き次いで完成させることを断念する意思をついに明らかにした。弁明としてハイデッガーは、後半を書き加えるには前半もすべて書き直さなければならなくなってしまうことや、存在への問いそのものまで諦めたわけではないこと、それに関しては新著『形而上学入門』(同じく1953年出版)を参照してもらったほうがよいということなどを挙げている。こうして未完成のまま残された『存在と時間』は、現存在についての緊密な分析と解釈をなし遂げてはいるが、その全体的な計画に関する宣言には反して「存在一般の意味」を解明するまでには至らなかった。しかし、その野心的な企図は後の著作において異なる方法によりながら執拗に追求されることとなる。
この著作でハイデッガーが取り上げるのは、存在の意味についての問い――ものがあるとはどういうことなのか?――である。これは存在論の根幹をなす問いであり、存在者としての存在(「在るもの」として「在ること」)についての研究としてアリストテレスによって定義された(『形而上学』)。この問題に関しては、命題論理的な見地から展開されたアリストテレスとカント以来の(それぞれの哲学的立場は大きく異なるが)伝統があるにも関わらず、ハイデッガーはそこから離れたアプローチをとった。この伝統には、「理論的な知識はひとりの人間と彼を取り巻く(彼自身も含めた)世界内の存在との根源的な関係を意味する」という命題が内在しているためである。
この命題を峻拒してハイデッガーがとったのは現象学的な方法である。この方法を徹底させることにより、現象学を定式化したフッサールのうちにすらなお見られたアリストテレス的/カント的な認知主義の残滓を一掃しようと考えたのである。フッサールと同様に、ハイデッガーは志向性の現象を考察することから始めた。人間の行為は、何らかの対象や目的を(建築という行為ならば建物を、会話ならば話題を)目指す限りにおいて志向性をもっている。ハイデッガーは志向性を「関心(Sorge)」と呼ぶが、これは「不安(Angst)」の肯定的側面を反映している。ここでいう「関心」は志向的存在に関する基本的な概念であり、存在的なあり方(ただ単にあるだけの存在)とは区別された存在論的なあり方(存在という問題に向き合いながら存在すること)として、存在論的に意味付けられたものである。
註:存在者が存在することは前提的に了解した上でその性質や他の存在者との関係などを問う態度を存在的(ontischen)といい、自然科学などがこれにあたる。存在論的(ontologisch)とは、存在者が存在することそのものを問う態度を指し、形而上学や現象学がこれにあたるが、ハイデッガーはこれらも不十分であるとの考えに立ちながら『存在と時間』を書いた。
理論的な知識が表現するのは志向的な行為のうちの一種にすぎず、それが基づいているのは周囲の世界との日常的な関わり方(約束事)の基本形態であって、それらの根本的な基礎である存在ではないとハイデッガーは主張する。彼は「実存的了解」(実存を実存それ自体に即して了解する)と、「実存論的了解」(何が実存を構成するかについての理論的分析)の二種類に分類した。これは、「存在的―存在論的」と呼応するものであるが、人間存在に範囲を限定したものである。ものは、それが日常的な約束事のコンテクスト(これをハイデッガーは「世界」と呼ぶ)の中に「開示される」限りにおいて、そのような存在者である(そのように存在する)のであって、そのコンテクストを離れても客観的に認められる固有性をもっているからではない。カナヅチがカナヅチであるのは、特定のカナヅチ的性質をもっているからではなく、釘を打つのに使えるからなのである。
こうした方法はまた、デカルト的な実体のない「われ」――純粋な思惟者としての「われ」――の否認を必要とする。デカルトが「われ思う」だけは疑いえないものとしたとき、思っている「われ」の存在様式は無規定のまま放置されたとハイデッガーは述べている。その一方でハイデッガーは、人間の行為に関するいかなる分析も「われわれは世界の中にいる」という事実から(世界を「抽象的に」見る風潮に則らずに)始めなければならない、したがって人間の実存に関して最も根本的な事柄はわれわれの「世界=内=存在(In-der-Welt-sein)」であると主張した。人間もしくは現存在(Da-sein)とは、世界の中で活動する具象的存在なのだということをハイデッガーは強調した。したがって彼は、デカルト以来ほとんどすべての哲学者が自明のこととして依拠する「主観 ― 客観」という区別をも拒否し、さらには意識、自我、人間といった語の使用も避けた(ハイデッガーは「人間」の代わりに「現存在(Da-sein)」という)。これらはいずれもハイデッガーの企図にはそぐわないデカルト的二元論のもとにあるためである。
ものがわれわれにとって意味をなすのは、そのものがある特定のコンテクストの中で使用できるためであり、そしてこのコンテクストは社会的規範によって定義される。しかし、元来こうした規範はみな偶発的で不確定なものである。こうした偶然性は、不安という根源的な現象によって明らかにされる。この不安の中に、すべての規範が投げ出され、ものは本来の無意味さの中に、特になにものでもないものとして開示される(少なからぬ実存主義者によるハイデッガー解釈に反して、これは実存のすべてが不条理なものであるということを意味しない。正確にいうならば、実存がつねに不条理の可能性を抱えているということである)。不安の経験は現存在の本来的な有限性をあらわにする。
存在者が開示されうる(コンテクストにおいて有意味にであれ、不安の経験において無意味にであれ)という事実は、いずれにせよ存在者は開示されうるという先行する事実に基づいている。ハイデッガーはそうした存在者の開示を「真実」と呼んだが、これは正しさというよりは「隠れのなさ」と定義される。この「存在者の真実」(存在者による自己発見)は、より本源的な種類の真実を含む。すなわち「存在者の存在が隠されていない、明るみに出された存在者の発露」である。これはギリシア語で「アレテイア(αληθεια)」と呼ばれ、アリストテレスやヘラクレイトスからハイデッガーによって引き出された概念である。
ハイデッガーにとって、現存在を規定するのはこの存在の隠れなさである。ハイデッガーの用語「現存在」とは、おのれの存在を関心事とする存在者であり、また、おのれの存在をそのように開示させる存在者である。ハイデッガーが存在の意味についての探求を現存在の本質についての探求とともに始めたのはこうしたわけである。存在の隠れなさは基本的に現世的かつ歴史的な現象である(本書を『存在と時間』と題したのもこのためである)。われわれが過去・現在・未来と呼ぶものは本来この隠れなさの見地に照応するものであり、時計によって測定される均一的な時間における排他的な三区域のことではない(難解をもって知られるこの本の最終章においてハイデッガーが証明を試みたように、時計の時間もまた隠れのない本来の時間から派生したものではあるが)。
総体的な存在了解は、現存在固有の存在に関する潜在的な知識を説明することによってのみ到達できる。ゆえに哲学は解釈という形をとる。これが、『存在と時間』におけるハイデッガーの手法がしばしば解釈学的現象学と呼ばれるゆえんである。『存在と時間』は未完に終わったため、全体的な計画に関するハイデッガーの宣言や、現存在とその時間内的な限界についての緊密な分析と解釈をなし遂げてはいるが、そのような解釈学的手法により「存在一般の意味」を解明するまでには至らなかった。しかし、その野心的な企図は後の著作において異なる方法によりながら執拗に追求されることとなる。
カントは『純粋理性批判』の序文で、外的世界の存在に関する完全な証明がいまだなされていないことを「哲学のスキャンダル」だと嘆いた(自分の著書がそれを与えるのだと自負した)が、ハイデッガーにいわせればそのような証明ばかりが求められることこそ哲学のスキャンダルであった(本書第1篇第6章第43節)。同時に彼の企図は非常に野心的であり、生物学、物理学、心理学、歴史学といった存在的なカテゴリーにおいて研究される特定の事物の存在には関心がなく、追求したのは存在一般についての問い、すなわち「なぜ何も無いのではなく、何かが存在するのか」(ライプニッツ)といった存在論的な問いであった。われわれにとってあまりにも近く自明なものである「存在一般」への問いこそ何よりも困難なものである。
ハイデッガーはこうした問いに対し、「いかにしてわれわれは世界と具体的かつ非論理的な方法で遭遇するか」「いかにして歴史や伝統がわれわれに影響を与え、われわれによって形成されるか」「事実上いかにしてわれわれはともに生きているか」「そしていかにしてわれわれは言語やその意味を歴史的に形成するか」といったことに注視するという最も具体的な方法をもって取り組んだ。こうした企図はヘーゲルのプラグマティズムを想起させるが、ハイデッガーは「絶対的」なるものへ向けた歴史的プロセスの綜合的な目的を断定しようというような考えはもっておらず、またより高次の統一における矛盾の解消(いわゆる弁証法)についても語っていない。
ハイデガーの見地においては、行為に対する理論の伝統的優位が逆転される。彼にとって理論的な見解というものは人工的なものであり、関わり合いを欠いたまま事物を見ることによってもたらされるものであり、そうした経験は「平板化」(Nivellierung)されたものである。こうした態度は、ハイデッガーによって「客体的」(vorhanden=すでに手のうちにある)と呼ばれ、相互行為のより根源的なあり方である「用具的」(zuhanden=手の届くところにある)な態度に寄生的な欠如態とされる。寄生的というのは、歴史のうちにおいてわれわれは、世界に対して科学的ないし中立的な態度をもちうるよりも前に、まず第一に世界に対する何らかの態度や心構えをもたなければならないという観念においてのことである。
客体的存在と用具的存在に加えて、現存在の第三の様態として「共同存在」(mitsein)があり、これが現存在の本質となる。他者とは、孤立して存在する単一の主体「私」を除いたすべての人びとのことではなく、たいていの場合はひとが自分自身とは区別していない(ともにある)人びとのことである。例えば、「私」が作物を踏み潰したり土を踏み固めてしまわないよう注意しながら畑の周りを歩くとき、この畑は「私」にとって道具的なものであるが、同時に「誰か」の所有地として、あるいは「誰か」に手入れされている(他の「誰か」にとっても道具的である)ものとしても現れる。この「誰か」たる農夫は、「私」が思考のうちでその畑に付け加えたものではない。なぜなら、畑が耕され手入れされているという事実を通してすでに農夫は自らを現しているからである。このようにしてわれわれは世界内において他者と出会うのであり、またこうして現存在が他者と出会いともにある存在の仕方が「共同存在」であるとハイデッガーは述べる。
「共同存在」には好ましからぬ側面もあり、ハイデッガーは「世間」という語を用いてそれに言及する。つまりニュースやゴシップでしばしば見られるように、「世間では〜といわれている」というとき、一般化して断定したり、一切のコンテクストを無視してそれをやり過ごそうとしたりする傾向があるということである。何が信頼に値し、何が信頼に値しないのかという実存的概念が「世間」という考えに依拠して求められるのである。たんに群集のあとを追って他の人々に習うだけでは何の妥当性も保証されないし、社会的・歴史的状況から完全にかけ離れたことが妥当なことだとみなすことなどできないにもかかわらず、「世間」がその平均性のみを妥当なものとして指示するのである(本書第1篇第4章第26 - 27節)。
時間もまた斬新な方法によって考察される。ハイデッガーは、時間というものはアリストテレス以来まったく同じように解釈されてきたと主張する。つまり「過去・現在・未来」という三つの時間が均質的に、しかも無限に続いて存在するというものである。しかしハイデッガーは、根源的な時間とはそれ自体で存在するものではなく、現在から過去や未来を開示して時間というものを生み出す(みずからを生起させる)働きのようなものだと主張する。また現在もそれ自体で生起するのではなく、「死へ臨む存在」(Sein-zum-tode)としてのわれわれが行動する(あるいはしない)ときに立ち現れるものである。したがってアリストテレスの均質的な「過去・現在・未来」という時間はこの根源的時間からの派生物にすぎないとして、これらの派生現象を可能にする根源的な「時間性」(Zeitlichkeit、Temporalitatとも)の概念を提示した。
存在論に関する計画の一環として、ハイデッガーは過去の西洋哲学の再解釈を企てた。彼は理論的な認識がなぜ、またいかにして存在にとって最も本質的な関係をもつものであると見なされるようになったのかを解明しようとした。その試みは哲学的伝統の解体(Destruktion)という形式によってなされたが、これは存在論の歴史において一般的な理論的態度が根強く、そこへ埋没している従来の哲学に則りながら存在についての根源的な経験を暴くという解釈的戦略である。こうした「解体」は、「破壊」のような否定的な意味にばかりではなく、「改築」のような肯定的な意味にも解釈する必要がある。『存在と時間』においては、デカルト哲学の解体が(本格的に展開されるはずであった後半は書かれなかったものの)いくぶん見ることができる。また後の著作においてはアリストテレスやカント、ヘーゲル、プラトンなどの哲学を解釈するのにこの手法を用いた。ジャック・デリダの脱構築は(ハイデッガーの方法とは違いがあるにせよ)この方法からきわめて大きな影響を受けている。
『存在と時間』は初期ハイデッガーの最も偉大な業績であるが、他にも以下のような重要な著作が同じ時期に書かれている。

[ 60] 存在と時間 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%A8%E6%99%82%E9%96%93

ごくわかりやすいエピソディックな話を二、三案内して、『存在と時間』という、とてつもなく難解な哲学書を柔らかくしておこう。 まずは、意外かもしれないが、女の話をしておく。
というのも、ハイデガーの存在学(ontology)は、荒っぽくいえば、存在が存在するということで、こんなことをどうして考える必要があるかと問うたわけである。
およそ世界に存在しないものなんてないはずだ。宇宙も杉も、ライオンも病原菌も、人間も書物もテーブルも、存在しているのは当たり前である。そんなことをわざわざ考えに考えて哲学にするには、世の中の存在というものをいったん否定するか、それとは逆に、まるごと許容する以外はなく、いずれにしても、存在の発現が存在の終焉に触れあいながら存在しているのだということを、自分という存在を賭けて感じる必要がある。
このことを実感できる最も身近なことは、むろん虫や星や音楽に夢中になってもいいのだが、時期によっては男と女がどのように感じあえるかということが、最もセンシティブである。とくに若いあいだは、このことに勝る存在の感じ方はない。それで女の話なのである。いや、男の話でもかまわない。
ハイデガーがその女学生を虜にしたいと切に感じたとき、その女学生は18歳だった。写真を見てもらえばわかるように絶世の美少女だった。ハンナ・アレントである。
かくしてハイデガーは1924年にフライブルク大学からすでにマールブルク大学に移っていて、そこの哲学教授になったばかり、35歳である。その教室にアレントが来た。
アレントはただちにハイデガーが「思考の王国を統べる隠れた王」であると見抜いた。またそこには、「中世騎士道物語から抜け出したような意志」があると見えた。が、これだけでは、何もおこらない。ハイデガーも突拍子もなく、ときめいた。ハイデガーは自制心の強い男ではあったけれど、アレントの魅力が飛び抜けすぎていた。ハイデガーはアレントを、アレントはハイデガーを求めあった。むろん不倫だった。
アレントはこのときのことを、のちに「ただ一人の人への一途な献身」を募らせたと回顧している。 不倫というのは、すでにハイデガーはエルフリーデという、これもたいへん美しい女性と結婚していたからだ。それでも、ハイデガーはアレントにぞっこんになった。その数年後、『存在と時間』の前半部が刊行された。時期からいえば、アレントを貪りながら草稿を書いていたといったほうがいい。 ハンナ・アレントについては、すでに第341夜に『人間の条件』を採り上げておいた。
ここで最低限に付け加えておくべきは、アレントがユダヤ系であること、ハイデガーと出会う前の14歳のときに、池田晶子の『14歳からの哲学』ではないけれど、はやくもカントやヤスパースを耽読していたこと、16歳になるとギリシア語で古典作品を読んでいたこと、それから、流行の服を着るのが好きな、やけに目立った学生だったこと、とくに緑色を好んだので、学生のあいだで「みどり」と呼ばれていたことなどである。さらに詳しいことを知りたいなら、エリザベス・ヤングブルエールの大著『ハンナ・アーレント伝』(晶文社)を読まれると、よい。
もうひとつ付け加えておくと、エルフリーデとハイデガーが結婚するきっかけはドイツ青年運動に共感したせいだった。ドイツ青年運動がどういうものかは、第749夜に書いておいた。
ハイデガーはこのように、自分が苛烈になるときには、そこにつねに異性の存在があったのである。 最初に男と女のことを持ち出したけれど、むろんハイデガーが世間体を忍んでまで男女の恋愛に入っていったのには、いくつかの背景がある。身体と時代の生い立ちに関しての背景だ。
ハイデガーは病弱だった。ときどき心臓発作がおこる。それが25歳くらいまで何度か間歇的に続いた。 生きようとすると、死にかける。ずっと病気なのではなく、間歇的であることが気になる。このことがハイデガーの思索に微妙に影響を与えた。そして、どちらかといえば、“彼岸的な生の価値”のほうに思想的関心が動いていった。
このことはハイデガーの生い立ちとも少なからぬ関係がある。ハイデガーは南ドイツの田園地帯(バーデン州)のカトリック教会の堂守の子である。かなり質素な生活だったようだ。それを伝来の信仰の日々が支えた。
生まれはパリ博でエッフェル塔が立った1889年で、「千夜千冊」に採り上げた人物でいえば、ハッブル、トインビー、ヴィトゲンシュタイン、コクトーとまったくの同い歳、いわゆるベルエポック世代だ。
しかしこの世代は、等し並みに第一次世界大戦で青春の蹉跌を受ける。兵士だけで900万人が死んだ。ベルエポックはヘルエポックになった。ハイデガーのばあいはそこに心臓疾患が加わった。
これで、聖職の道が断たれた。19歳でイエズス会の修道院に入るのだが、身体の疾患でそこを出た。ドイツは戦争の渦中にある。ハイデガーはしだいに「死を通じて生へ」(per
mortem ad vitam)という思考に傾いていく。彼岸から此岸への転戦だ。 かくてハイデガーは修道院からフライブルク大学に転じた。神学は哲学に変わった。 死をつきつめて考えるということは、存在の究極に思考を致すということである。しかしながら、生きたまま存在の究極としての死を考えるというのはいささか妙なことで(生と死を天秤にかけている)、この思考には何か別の回路が必要だった。
それをハイデガーは、当初は「擬死化の技法」(メレテ・タナト)が必要なのかと考えてみたのだが、どうもそれだけではすみそうもない。 すでにニーチェによって「神の死」が宣告されていた。ドイツの知識人はみんなそのことが気になっていた。が、いったい神の存在に代わるものなんて、あるのだろうか。
どうみても人間しか残らない。そこでハイデガーは人間という存在を考える。けれどもそれまでのような彼岸の目だけでは、人間は掴めない。むしろ、いまだやってこない「事実ではない死」よりも、どうやら、いまある「生の事実」の“裸”の現実ほうが重要になってくるようだ。
もっとも、その「生の事実」だって、ふだんはぼうっとしたままになっているか(生の朦朧性)、あるいはそこに埋没した耽落(Verfallen)のままにある。だから「生の存在」を感じるには、死や否定や放下や負といった回路をいったん媒介にしたほうが、感じやすいということになる。そこから見つめなおした人間という存在こそが、新たにハイデガーの相手にすべき存在問題だった。
この回路をへて残った存在というものが、有名な「現存在」(Dasein)という新概念として、次に投入されることになっていく。 こうしてハイデガーは「存在と死」から、「存在と生」という方向へ進んだのである。その時期にハンナ・アレントがかかわったのだ。
ハイデガーがアレントと不倫関係になったことと『存在と時間』が関係ありそうな書きっぷりをしたかもしれないが、まさにその通り。おそらく深い関係がある。互いに濡れながら、互いに哲学したといってよい。そのことを証明する気はないが、そんなことはすぐに見当がつくことだ。最近では、やっと刊行された二人の書簡集がそれを証している。
ただし、ハイデガーはのちにナチズムを称揚する態度を示して、たとえば1933年のフライブルク大学の総長演説では、国家社会主義的な国家の行方と教育の方針を重ねたりした。のちにハイデガーが「わが生涯最大の過誤」と苦痛に満ちて反省したことである。アメリカに亡命していたアレントは、そういう師を非難した。
アレントだけではなく、ハイデガーはマールブルク大学の次に母校のフライブルグ大学の哲学教授になるのだが、そこで最初の助手を勤めたヘルベルト・マルクーゼも師のナチズム参画を非難した。マルクーゼについては第302夜に『エロス的文明』を紹介しておいた。
ハイデガーがいっときナチズムに共感を示したことについては、このところずいぶん問題になり、それに関する研究もだいぶん出揃ってきた。ヴィクトル・ファリスの『ハイデガーとナチズム』(名古屋大学出版会)はそういう一冊だ。帯に「逸脱か、本質か」とある。
ただし、このような出来事は、むろん『存在と時間』を書いたのちのことになる。『存在と時間』の前半部を書きおえてから、ドイツは戦争の悲劇を乗り越えて、ヒトラーによる「異胎」に向かっていったのだ。 これで、初期のハイデガーをめぐる重要人物をあらかた紹介したことになるのだが、もう一人、重要な影響を与えた人物がいる。エドムント・フッサールである。
これもわかりやすくするため、エピソディックに紹介しておく。 神学から哲学に移動したハイデガーは、大学に入ってまもなくフッサールの『論理学研究』や『算術の哲学』を図書館から借り出して、読み耽っている。そのフッサールがフライブルク大学にゲッチンゲンから転任してやってきた。
フッサールはすでにゲッチンゲン時代に「現象学的還元」という方法を“発見”していて、これによって、われわれのふだんの意識においてなんとなく働いてしまっている世界との信憑関係を遮断して、超越論的な意識をあからさまに取り出すことができるというようなことを、提案していた。これが『イデーン』Iという成果になった。
着任後のフッサールはハイデガーを気にいるが、フッサールがゲッチンゲンから連れてきた弟子の女性エーディット・シュタインはハイデガーを気にいらない。大学なんて、いつもこういうことが渦巻く社会なのである。
ちなみにフッサールという哲人はかなり愛国的な人物で、夫人が反戦を主張する独立社会民主党(その左派がいわゆるスパルタクス団、のちのドイツ共産党)を支持すると、のべつ夫婦喧嘩をするようなところがあった。次男が戦死していて、その悲痛との対峙もかかわっていた。 一方、ハイデガーは第一次世界大戦のため戦時勤務と国民軍観測隊に編入したので、師弟の研究活動はいったん中断、その後、復員してやっとフッサールの第一講座の助手となった。
ここでハイデガーは現象学の方法をあらためて学び、「概念構成以前」とか「体系構成以前」という方法を思いつく。“現在”“いま”“ここに”にいるという立場をもって、現象学をやろうとした。これはさきほど書いた「生の事実性」にもとづく現象学を試みるということにあたっている。のちにアメリカン・ヒッピーやニューエイジが好んだ“be,here,now”とそれほど変わりない。
ただ、ハイデガーはこういう方法による現象学的思索を難しく「根源学」(Urwissenschaft)と呼んで、根源的な体験をすることを「原体験」とか「環境体験」と名付けた。 根源的な原体験といったって、これだけでは何のことかわかりにくいだろうが、ハイデガーが現象学の定義として使った次の説明から察すれば、多少はわかりやすい。
ハイデガーは現象学を、「みずから示すものを、それ自身でみずからが示すとおりに、それ自身のほうから見えるようにすること」というふうに捉えた。ようするに、「それ」を最低限の方法で示すことによって、かえって「それ」が「それ」自身を示すようにすること、これを重視したのだ。実質的な叙述には頼らずに、暗示的にほのめかすといってもよい。それがかえって根源的な体験を、それを示した者に維持させるのである。
しかし哲学では、ほのめかしを文芸するわけではないから、ここに最低限の概念をポンと入れこむ。たとえば「現存在」とか「世界内存在」というふうに。
こういう最小限の概念投入を、ハイデガーはあまりいい言葉ではないが、「形式的指標」(die formale Anzeige)の投入だとみた。指標が必要だと感じたのだ。
こうしてポンと投入された「それ」は、“それ”自身として示されただけなので、あとは「それ」としての開示を“それ”がしていくしかない。なんだか変な方法に思われるかもしれないが、これがハイデガーの異能による“発明”だったのである。
この方法はぼくも以前から大好きな方法で、ぼくのばあいは、たとえば「遊星的失望」とか「最も過激なフラジリティ」とか「分母の消息」とか「負の山水」といった言葉で投入してきた。
こういう言葉は、それ自体としては意味が掴めないようになっていて、にもかかわらず、その言葉が或る文脈や或る場面に入ったとたんに、劇的に動き出すようになっている。ハイデガーは、この投入法に気がついたのだ。 ハイデガーにとってはこのような方法は、従来は健全だとおもわれてきた二分法による思考(昼と夜、善と悪、男と女、国家と個人など)を、一挙に宙づりにして、そこから脱出して新たな思考に入ることを、つまりは根源に入ることを意味していた。
なぜなら、「それ」は最小限にまで穿たれることによって、かえって燦然と輝いてくるからだ。ぼくの言葉でいえば「負の方法」の自覚ということになる。 さて、こんなような「存在の現象学」に熱心になってきたハイデガーは、すでにフッサールの現象学からしだいにはずれていた。師と弟子は、エンサイクロペディア・ブリタニカの「現象学」の項目執筆を前に、意見の対立が目立つようになる。しかし、フッサールの『内的時間意識の現象学』はハイデガーの編集によるものだった。
ハイデガーはマールブルク大学の哲学教授に着任し、そこで女学生ハンナ・アレントにぞっこんになる。このあとフライブルク大学に戻るまでのあいだが、『存在と時間』を苛烈に執筆した時期になっていく。
ということで、やっと『存在と時間』の説明に入っていくことにする。 80歳になったハイデガーが若き日々の『存在と時間』をふりかえって言った説明がある。きわめて端的なもので、「あれは、思考の場所の革命だった」というものだ。
まさに、そうなのである。 近代哲学というものは思考を意識の中にもちこむことによって成立した。デカルトのコギト(自己思考・意識主体)とはそういうことだ。ハイデガーはこれを嫌って、意識が慣れすぎた場所から、ふいに「べつ」や「ほか」に移すための方法を開示した。その瞬間移動の中間に“裸の場所”があり、そこにポツンとおかれた存在の“裸の姿”が、いわゆる「現存在」(存在を理解するための特異な存在者)なのである。
この現存在はそのようにポツンとおかれることによって、自身が次の開示を遂げる可能性をもっている。つまり、そのような現存在は、そもそもが「世界内存在」(In-der-Welt-sein)になりうるのである。 この稿のはじめに、「宇宙も杉も、ライオンも病原菌も、人間も書物もテーブルも、存在しているのは当たり前。そんなことをわざわざ哲学するには、世の中の存在というものをいったん否定するか、まるごと許容する以外はない。いずれにしても、存在の発現が存在の終焉に触れあいながら存在しているのだということを、自分という存在を賭けて感じる必要がある」と、書いた。
この「存在を賭けて感じる」ための媒介的な拠点が、現存在というギリちょんに剥いだ人間の姿なのである。 さて、以上のことは、だいたい見当がついただろうか。ついたとして、話を進めるが、世の中の存在として、もうひとつ素材にあげなくてはならないことがある。
それは、宇宙や杉や人間や病原菌やテーブルが存在するとしても、では、時間はどうなのか。思い出や音楽は存在するのか。それらは存在といえるのか。恋や食欲や関係は存在するといえるのか、そういう問題だ。
これはなかなかの難問で、ハイデガーもアタマを悩ました。『存在と時間』の悩ましさは、このあたりかをなんとか切り抜けようとする“もがき”からくるといってもいい。しかし、ハイデガーはここでも驚くべき執念と異能をもってこれを踏破した。
では、その踏破ぶりを、一気に駆け抜けて短絡してみたい。すでにそのようにしてきたが、ハイデガーが最小指標として投入した概念にはドイツ語がつけてある。 ハイデガーは『存在と時間』を書く前に、すなわちハンナ・アレントと密(蜜?)になっていたころ、『仮面論』『根拠とは何か』を書いて、そこで「世界というものは日常的な現存在が演じている演劇のようなものだ」と指摘していた。
つまりハイデガーがいう「世界」は世界劇場なのである。その舞台は、それを知ったときには、すでになんらかの演劇が進んでいるというような、そういう舞台世界のことをいう。われわれは自分に気がつくと、そこにいる。
ということは、われわれは当初から共世界的(mitweltilich)で、存在そのものが世界内存在で、ようするに、はなっから世界制作的だということになる。
こうしてハイデガーは、すでに存在は世界(世界劇場)に投企(Entwurf企投)されていると考えた。 ただし、この投企に気がつかないでは、これは埋没であり、耽落(Verfallen)である。ちなみに、このヴェルハーレンというドイツ語の概念は、ハイデガーがけっこう気にいっていた埋没概念で、ぼくにはすぐに六本木のディスコが思い浮かぶ。
ともかくも、このようにすべてを「世界内存在」としてみれば、ここに主体と客体というような二分法をもちこむのは、まったくムダになってくる。それならまだしも世界と人間の関係を、スケーネー(場面)とドラーマ(活動)とペルソナ(役柄)に分けて見たほうがいい。誰だって、このいずれかの渦中にいるはずだ。
そこで問題は、この“降りられない舞台”で、いったんは耽落した自身が、いよいよ何にめざめていくかということ、このことになる。 世界劇場においては、われわれは“役柄の自己”から始まっている(たとえば氏名をもっている、学校の生徒だ、居住の住所がある、肩書がついている)。
それゆえ、この役柄を耽落から出て、捨てるにあたっては、そこに待ち構えている“本来の自己”をちゃんと覚悟しておかなくてはならない。だって本来性というものは、急に剥き出しに露頭してくることもあるからだ。それができないようならば、まだしも役柄を続けていたほうがいい。
つまりは、耽落から一歩めざめれば、そこは役柄がはがれて裸の存在が見え隠れする。このことを知っていなければならない。 問題は、この自分の奥にある裸の自己がどの程度のものかということだ。インチキかもしれないし、見るに堪えられないかもしれない。
こうしてハイデガーは、この裸の自己をそれなりに覚悟しておくことを、存在学(存在論)としたわけである。そのためには、ハイデガーは最低でも、二つのことが必要になると見た。 第1には、その本来の自己に先立つ思想をもつことだ。突然に裸の自己を見ようとしたって、うまくいくわけがない。がっかりするか、動物的な本能に負けていくか。そのどちらかだ。
そこでハイデガーは「自身に先立つこと」(Sich-vorweg)を第1にあげた。あらかじめ「それ」に先立つようにすることだ。 これはどういう意味かというと、「それ」としての本来の自己は、役柄の自己からすると「外」にあるものなのである。「ほか」や「べつ」なのだ。だから、「それ」をあらかじめ凝視していなければならない。そして、その「外」へ脱自していくことを惧れないようにしなくてはならない。
第2に、そのように「それ」を想定できるのなら、その本来自己と役柄自己とのあいだで、自由に「自身の取り戻し」(wiederholen)をすることを勧めた。
これは、もはや役柄に惑わされない存在を自覚できるということにあたっている。 ざっとこんな順番でハイデガーは、世界内存在における自己の二重性ともいうべきを、すばやく往復するような存在学を提示した。 さあ、そうなると、この世界劇場での時間というものは、演技上の時間を本来の自己の時間が刻一刻という単位で、如実させているということになる。また、その逆もおこっているということになる。その入れ替わりは、まことに速い。
この存在のすばやく入れ替わる二重性に関与している時間こそが、ハイデガーの時間論の中核にある「刻一刻性」(Jeweligkeit)、あるいは「刻時性」(Zeitlichkeit)なのである。
『存在と時間』というタイトルの「時間」には、このような特色があったのだ。ハイデガーの時間とは、刻一刻、生起と消滅を同時化する時間なのである。 ところで、このZeitlichkeitの“Zeitlich”というドイツ語には、そもそもが「はかない」とか「無常の」という意味をもっているということには、もうすこし注目が集まっていい。ぼくは『花鳥風月の科学』(淡交社)では、この“Zeitlich”を、万葉の歌から採って「まにまに」としたものだ。 これでおよその見取図が見えたと思うのだが、これらをまとめていえば、ハイデガーの存在学では、現前が不在であり、隠れることが現れることなのである。存在とは、このような現出の様式をもっているということなのだ。
ということは、存在には、究極の依り所なんてものはないのだということでもある。存在の起源や存在の理由をもちだそうにも、もちだせない。それが存在なのだ。 なんという変なものだろうか。
しかし、これこそは稲垣足穂が黒森の哲人ハイデガーに憧れた「ハイデガー存在学の無底性」という、まことにカッコよい考え方なのだ。
存在には底がない? そうなのである。存在は底なしなのだ。いいかえれば、存在が底なのである。これは『存在と時間』のひとつの結論ともいうべき提唱である。ハイデガーはこれをもって「存在の途方もない不可解」とも言っている。
しかし、いったいこれはどういう意味なのか。ここは難しく考える必要はない。たとえばペットボトルには底がある。その底で「生茶」や「十六茶」が支えられている。けれども、そのペットボトルの底自体には、底はない。バスの終点はたしかに終点である。けれども、その終点のバスストップそのものには、終点がない。
人間存在も、そのように底がない。それこそ、無底という底自体が発現した存在なのである。 存在とはそういうものなのだ。そのような存在の赤裸々の事実を知ることが、役柄を捨てても平ちゃらに本来の存在に向き合える方法なのである。
これをオントロギッシュ(存在論的)な方法という。「現存在」という人間の特異な存在性にかかわって人間存在を考えることをいう。これに対してモノを取りのけると、そのモノの行方ばかりが気になるような思考を、オンティッシュ(存在的)な考え方という。オンティッシュな見方には存在の開示という根本動機が欠けているわけだ。
ハイデガーはあくまでオントロギッシュであろうとし、これを「存在関与構造」(zu-Sein)とも呼んだ。 だいたい見えてきたと思うが、ハイデガーの存在学は喚起哲学なのである。投げかけ、なのだ。どこで喚起するかといえば、「近さ」(Nahe)で喚起する。また「あたり」(Gegend)で喚起する。
喚起してどうするのか。そこへ「放下」(Gelassenheit)すればいいんじゃないかと言う。 この「近さ」「」あたり」「放下」については、ここでは説明を省略するが、ハイデガー選集第15巻に『放下』(理想社)があり、また、短文ではあるが、『遊学』(中公文庫)に「無の存在学」を通したハイデガーの一端、すなわち関心(ソルゲ)の連続体としての存在にかかわる「差異の哲学」がどういうものであるかを、スケッチしておいたので、それらを読まれたい。
そこではぼくは、関係ABが存在の本質だと書いた。文末にリルケの次の言葉を引いておいたのも、参考にしてほしい。「われわれは、彼女よりも彼女の持ち物のほうに存在の本意を知ることがある」、というやつだ。
大急ぎで『存在と時間』の近道(猫道?)のようなところを走ってみた。むろんこれだけでは、ハイデガー存在学の部分要約にもなっていない。とくにハイデガーの後半期における思索について、何もふれはしなかった。
そこでは、世界の組み立ての構造(ゲシュテル)についての想定があって、ハイデガーが世界ニヒリズムと根本対決を迫っていく日々がある。必ずしも器用でなかったハイデガーが、さらに不器用にこの対決を試みる姿は、ぼくにはどこか痛ましい。ヘルダーリンは熟知しても、清元や新内に「東洋の無」を窺い知ることができなかったハイデガーは、どこか根本的な寂寞の微笑から、遠ざけられていたようにも見えるのだ。
そういうことはあるのだが、またナチズムに触れて感染症に罹ったハイデガーもいたのだが、ぼくはハンナ・アレントと燃えつつ綴った『存在と時間』のハイデガーの投企と放下にこそ、あいかわらず関心を寄せている。
また、そのようなハイデガーを、ハンス・ゲオルグ・ガダマーやエマニュエル・レヴィナスが何度も描きなおそうとしつづけたことに、いまは時間をさいている。 マルティン・ハイデガー。黒森の哲人。いまだその本懐がとげられない存在学の人。
ぼくとしては、もう少し深入りしたかったところだが、この先の話は、明日の夜の意想外の一人の日本人に託すことにする。

[ 61] 松岡正剛の千夜千冊『存在と時間』(全3冊)マルティン・ハイデガー
[引用サイト]  http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0916.html



お気に入り



  • track feed
    • seo