美術とは?
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視覚によってとらえることを目的として表現された造形芸術(視覚芸術)の総称。英語では art、あるいは fine arts. (本項において記述する) 美術は芸術の一分野である。芸術とは、表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動である。とりわけ表現者側の活動として捉えられる側面が強く、その場合、表現者が鑑賞者に働きかけるためにとった手段、媒体、対象などの作品やその過程を芸術と呼ぶ。表現者が鑑賞者に伝えようとする内容は、信念、思想、感覚、感情など様々である。 日本語の「芸術」は明治時代に西周 (啓蒙家)によってリベラル・アートの訳語として造語された(1870年の『百学連環』?)。「美術」は1873年(明治6年)、当時の日本政府がウィーン万国博覧会へ参加するに当たり、出品する品物の区分名称として、ドイツ語の Kunstgewerbe および Bildende Kunst の訳語として「美術」を採用したのが初出と言われている。あるいは西が1872年(1878年説もあり)『美妙学説』で英語のファインアート(fine arts)の訳語として採用した。 日本語の「美術」はその後、ファインアートのうち視覚芸術に限定して使われ、これからはみだした、詩、音楽、演劇なども含むファインアートに相当する日本語としては「芸術」が使われるようになった[要出典]。 「美術」と「視覚芸術」、「造形芸術」はほぼ同義であり、ファインアートの一部と見てよいが、本来ファインアートに属さない応用美術も含めた総称で使うこともある(応用美術を含まないことを明示するために「純粋芸術」あるいは「純粋美術」と言うこともある)。そもそもファインアートの定義も曖昧であるが、その日本的解釈が曖昧さに拍車を駆けている部分もある。(→ファインアート) 代表的な美術の分野(ジャンル)は絵画と彫刻である。これに版画、陶芸、染織、写真、映画、建築なども含む場合がある。隣接するものには、イラスト、デザインや工芸などが応用美術と見なされ、漫画やアニメ、劇場映画の多くは大衆芸術と見なされるなどがある。 美術あるいはファインアートと、応用美術や大衆芸術との区分は18世紀のヨーロッパで確立したものなので、他地域たとえば日本や、時代を越えて通用するかどうかは疑問がある。たとえば日本で「美術工芸」という言葉は、「美術と工芸」という意味にも、「美術的価値の高い工芸」という意味にも使われている。また、必ずしも視覚が中心とは言えない作品も現れるなど、ジャンル間の融合や新しいジャンルの発生なども起こっている。現代においてはその区分が輻輳し、あるいは曖昧になりつつあると言うことだけはできる。 応用美術が著作権法の保護の対象になるかどうかが論点になった判例がある。 [1] 応用美術が著作権法と意匠法のどちらで保護されるのかは、時代とともに変遷しているので注意のこと。 欧米では建築が美術の一部あるいは美術に隣接した分野とされることも多いが、日本では、建築が工学的側面から捉えられることが多く、美術と捉える意識は薄い。明治維新以降、日本政府は富国強兵・欧米列強国との不平等条約等を覆す目的で近代国家作りに励んだため、建築もまず技術として捉えられたこと、また関東大震災などの影響で耐震技術への関心が高かったことなどが理由に挙げられる。大学においても建築の課程は芸術系に置かれるよりも、工学系に置かれる場合が多い。(「建築」の言葉そのものの語源は別項を参照) 原始時代の洞窟壁画(ラスコーの壁画など)は呪術的な目的で描かれ、人間、牛の姿を巧みに捉え、日常的な実用性を離れた表現となっており、美術史の始めのページを飾るものである。美術は多く宗教とともに発達してきたが、近代以降は宗教から独立した一分野を形づくるようになり、個性の表現としても捉えられるようになってきた。 伝統的には、美術史の知識を持ち、美術を鑑賞する能力を持つことが教養人の要件であった。現在では、鑑賞者が作品にふれて考え、感じるプロセスが重要であり、多様な作品解釈がありうるという捉え方がある。この見方によれば美術鑑賞は創造的な行為と考えられる。 ある時代の美術が一定の特徴や傾向を示している場合、様式概念を用いて説明することがよく行われる。例えばゴシック様式、バロック様式などである。一つの優れた作品、あるいは優れた作家が誕生し、時代の要求に応えた新たな美の形式を提示すると、同時代の作家たちがそれに影響され、多くの模倣作が造られるものである。 |
[ 96] 美術 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E8%A1%93
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今日の日本の怪獣デザインは、先行する海外の特撮仕様の怪物とは一線を画し、作家達が感性を発揮する創作活動の一環として行われてきました。本展では、デザイン画、フィギュア、撮影に使用された造形物、写真資料等で各作家の怪獣制作を多角的に紹介するとともに、怪獣以外の創作活動も紹介し、怪獣デザインの美術的価値について再検証します。 幻東西交易の要として発展した水の都に花開いた、絢爛豪華なヴェネチィア派絵画の粋を、イタリアの公私のコレクションから約70点で紹介します。 宮沢賢治(1896-1933)の自筆原稿、その作品の挿絵として描かれた原画により、稀代の童話作家・詩人の生涯と創作、そしてその言葉から創出される絵画世界を展観します。 イリヤ・カバコフ(1933年ウクライナ生まれ)は、旧ソ連政権下アンダーグラウンドの芸術集団で活躍し、ユーモアと色彩に満ちた絵柄で鋭い時代感覚と不屈の精神を表現してきた。重要な素材として活動初期から手がけてきた美しい絵本原画約900点で、その世界観に近づく。[→詳細はこちら] 17世紀オランダ黄金時代に風俗画家として活躍したヨハネス・フェルメール(1632〜75年)。現存する30数点の中でも傑作中の傑作で、所蔵するオランダ国立美術館門外不出の作品である「牛乳を注ぐ女」が日本初公開となります。 当時、未曾有の経済的発展により富裕な市民階級が台頭したオランダでは、それまでの歴史画にかわり日常生活の情景を描いた風俗画が大いに流行した。本展では、ヤン・ステーンからゴッホに多大な影響を与えた19世紀のヨゼフ・イスラエルスまで、フェルメールの同作を中心に、油彩、水彩、版画、工芸品計110余点でオランダにおける風俗画の多様な展開を紹介します。[→詳細はこちら] 「叫び」で知られるノルウェーの画家エドヴァルト・ムンク(1863〜1944)。人間の苦悩や不安、病と死に対する恐怖や悲しみをテーマとしたムンクの作品は、見るものに強烈な印象を残してやまない。 本展は、ムンクが目指した装飾性と壁画に焦点をあて、オスロ市立ムンク美術館所蔵作品を中心に油彩約50点、水彩・素描・版画約70点で構成。「不安」など初期代表作とデザイン案から、ラインハルト・フリーズ、後期のオスロ市庁舎壁画プロジェクトまでを、画家自身による作品展示案や実際のアトリエ写真をもとに当時の展示プランを再現。ムンクが目指した装飾性、展示性を実証します。[→詳細はこちら] 日本人なら誰がなじみのある北斎(1760〜1849)だが、北斎が参勤交代で江戸参府中のオランダ商館長から受注し作成したとされる肉筆画の存在を知る人は少ないだろう。こうした作品として、シーボルトが持ち帰り現在オランダ国立ライデン民俗学博物館にある15点と、フランス国立図書館所蔵の25点が認められています。 本展ではこの40点と、ライデン所蔵の版画・版本に国内所蔵の北斎代表作を一堂に集め、北斎の全画業と、シーボルトとの関係を明らかにします。[→詳細はこちら] |
[ 97] 東京新聞:美術 一覧:イベント情報(TOKYO Web)
[引用サイト] http://www.tokyo-np.co.jp/event/bi/
