辞めとは?
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2005年2月、フランスは農村発展関連法を施行した。そこには、この法律の目指すべき目的の一つとして、都市住民が農村地域に移り住むことを助成する税的優遇措置が盛り込まれた。つまり、都市住民の農村部移住による農村部での観光参入や起業を促進することが、農村部全体の活性化につながると考えた。 ジャン-イヴ・デュテリエヴォズ氏とマルティーヌ夫人が、この村の古い農家と土地1ヘクタールを取得したのは1983年のことである。 1950年生まれのジャン-イヴ氏は、それ以前、リヨン市内で薬物中毒患者を診る心療内科医として働いていた。同氏と同様に、リハビリの看護師だったマルティーヌ夫人もクロスカントリースキーや自転車が好きで、ヴァカンスのたびに夫婦でヴェルコールを訪れていた。 心療内科医師という仕事は確かに興味深いが、大変なことも多かったのだろう。それに加え、大都市圏での生活も見直そうとしている時期が重なった。人生の転機として考えたのがヴェルコールのオートラン地区メオードル村への移住だった。 1983年に取得した農家は1880年に建てられたもので、1950年頃まではチーズ生産と豚を飼育する農家だった。母屋の一階部分には人が生活に必要な部屋と、牛舎、二階部分は冬の秣(まぐさ=乾草)を入れる倉庫になっていた。豚小屋は敷地内の別棟。建物はほとんど廃墟に近かった。 農家を買ってすぐ長男セバスチャン7歳、長女オーレリー5歳と共に家族でそこに移り住んだのが83年春のこと。その夏には3人目の子供メリーヌが生まれる。冬までには修繕する箇所も多い。車で一時間弱の距離にある中規模都市グルノーブルまで通い医師の仕事を続けながら、この古い民家の改修を始めたが、ほとんどの作業は業者に頼まず自分たちの手で行い冬を越す準備をした。オートランの冬は寒い。集中暖房もなく、1階の居間にある暖炉だけが暖を取る唯一の手段だった。2階の秣置き場が家族の寝室だったが、生まれたばかりのメリーヌが凍えるのではないかと、手に靴下をはかせて寝た経験は今でも忘れられないとジャン-イヴ氏は言う。 農村民宿として活動を開始したのは2年後の1985年のこと。初めての客を受け入れた。その後は、宿泊や食事を提供するだけでなく、余暇活動を組み込んだ1週間のパッケージ商品として売りはじめる。手の空いているときは夫婦どちらかがガイド役をした。 その後順調に常連客も増え1992年には株式会社「アルカンソン」を設立。1週間パッケージの販売を続けた。1998年には農村観光エージェント協会を立ち上げ、周辺地域の観光パッケージ商品を扱うようになった。このときに大学を卒業し別の街で働いていた長男セバスチャンが、やはり子供の頃に育ったところで暮らしたいとオートランに戻り仕事を手伝い始める。その翌年、アメリカでの留学を終えた長女オーレリーも同じ仕事に加わった。 今では観光パッケージ販売の売り上げのほうが大きくなったが、農村民宿を止めようとは思わない。農地はないが、周辺には質の高い生産農家が多い。その農家の直販場へ滞在客を案内することも忘れない。地域との連携に配慮している。農家の直販所では有機食肉、豚肉加工品、AOCチーズ、ジャム、薬草、蜂蜜など手作りのものが置いてある。直販農家も洗練されている。訪問時間を伝え訪ねると見事な対応で飼育場や農地を案内し、直販所に導かれる。 民宿経営のどこが良いのかとジャン-イヴ氏に問うと、生きてきた経験を語りあい交流するのが楽しいのだという。母屋のレストランの食事も旨い。裏の庭にある薪で沸かす樽風呂もいい。驕(おご)らず阿(おもね)らず地域と一体化した行動を一貫して続けている。昨年は長女のオーレリーに孫が生まれた。 広大な公園の静かな村の一角で、忙しく、しかし幸福な家族がその営みを続けている。 (参考:財団法人 北海道地域総合振興機構企画調査時のインタヴューより) 地方自然公園は地理的・文化的な一貫性のある農村・自然地域を指定する制度であるが、その内容は、ある複数の目標を持つ巨大な市町村組合・一部事務組合のようなものである。現在フランスで指定されている公園数は44箇所、その合計面積は、全国土面積約55万2千 km2(注:日本の国土面積:約37万8千 km2)の12.5%を占める。 1967年に開始されたこの制度は、地方都市住民の憩いの場所として、また公園内地域の経済振興のために、10年ごとに更新される目標憲章により、その目的が正確に示される。具体的には農業・林業などへの価値付け、自然・景観の保全および価値付け、観光振興などを中心に目標が定められる。 ヴェルコール地方自然公園の指定は1970年。最も歴史のあるPNRの一つである。グルノーブルを中心に周辺の7つの街を入り口都市とし、イゼールとドロームの2つの県にまたがるこの公園は、平均標高約800m〜1000mの台地が縦横約100km〜70kmにも及ぶ高原地帯である。アルプスと異なり、山地全体の地層が石灰岩であるために、深い谷や複雑な地形がその魅力を成している。また自然も豊かな地区であり、公園南部にはフランス最大面積の自然保護地区(1万7千ヘクタール)がある。 かつては農林業を中心に生活していた地域であるが、1968年のグルノーブルオリンピックのノルディック会場(オートラン)となったことを機に、分散型の穏やかな観光を徐々に発展させてきた。今では無数のテーマの発見要素(農業遺産、建築遺産、自然遺産、景観遺産など)が目録化されており、AOCや有機をはじめとする質の高い農業生産も行われている。 1975年から1999年にかけての人口統計を見ると、イゼール県地区公園内人口が+42.6%、ドローム県地区公園では+11.5%と増加傾向にあり、年齢構成は前者で20歳以下25.6%〜60歳以上19.7%、後者で20歳以下19.7%〜60歳以上27.9%と比較的若い人が多い。 農村観光政策関連委員会委員、地域食品政策関連委員会委員、三浦半島ブルー・ツーリズム推進検討委員会委員、リゾート整備アドバイザー、天草半島ツーリズム大学講師、農業情報学会シンポジウム講師。現職 (財)北海道地域総合振興機構 主任研究員 ※本サイトは、内閣府経済社会総合研究所より (社)日本リサーチ総合研究所に事務の運営を委託し行っております。 |
[ 92] 医師を辞め農村民宿を始め、起業に成功した「ひと」の話
[引用サイト] http://www.wagamachigenki.jp/oversea/060301.htm
