愛称とは?
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列車愛称(れっしゃあいしょう)とは、列車に付けられる愛称のことである。似たものに車両愛称があるが、車両愛称が鉄道車両そのものやそのグループ(系式)を象徴する物として付けられるのに対し、列車愛称はあくまで列車(国土交通省の鉄道運転規則では「停車場外の線路を運転させる目的で組成された車両」のこと。運行されるに当たっての呼称といえる)につけられるところが異なる。 日本における列車愛称の由来はさまざまであるが、大体下記のように分類できる。沿線にちなんだものが用いられるのが主流である。 鳥類や鳥に関する名前‐「つばめ」・「かもめ」・「しらさぎ」・「つばさ」・『はくつる』など。かつて、特急列車の愛称は鳥類又は日本を象徴するもの(「富士」・『さくら』・『へいわ』など)に限られていた時代があった。このためか、鳥類を用いた愛称名は過去に使われていたものを含め多数ある。 人の名前‐「かいおう」・「こまち」・「いさぶろう」・「しんぺい」。JRで人名に由来する愛称名は、1999年から2003年の間運行された大村線特急『シーボルト』を含め、2006年時点ではこの5例のみ。なお、実際には河童とされるため人名とは言い難いが「九千坊」を含めると6例となる。旧国鉄時代には、人名に由来する愛称名は存在しなかった。 景勝地・史跡・旧跡・公園名など‐「はしだて」・「なすの」(山の意味合いもある)・『かすが』・『大社』・『ぬさまい』(釧路市の幣舞橋から)など。 地域名‐「北近畿」・「きたぐに」・「ちくま」(川の名でもあるが、列車名の由来は地域名)・『東海』など。急行列車の愛称名には地域名や景勝地名をつけたものが多かった。 空・天体名‐「おおぞら」・「北斗星」・「カシオペア」・「銀河」など。天体名は性格上、古くから夜行列車に多く使われている。但し、「北斗」・「にちりん」など例外もある。 基本的には、運行会社の裁量に任せられることから関係者以外ではうかがい知ることが出来ない。しかし、旧国鉄が命名した列車名では、おおむね東京から見て下り方向の目的地に関連した物があてがわれる事例が多い。但し、特別急行列車では鳥ないしは自然現象に由来するもの、夜行列車・寝台列車では天体に依拠するものが用いられる事例が多い。この点については、下記も参照されたい。 また、列車の新設に際して一般公募で名称を募集する事例があるが、この場合には得票数が多い候補があるにもかかわらず採用されない事例も少なからず存在する。例えば、「北斗星」の公募第一位は「北海」であったとされる。 また、一般公募で高い応募数を得ながら採用されない愛称として「いなづま」という名前がある。これは稲妻の本来の意味が「人々が忌み嫌う雷の音『忌な妻』(但し、妻とは、速いの意)」だからである。また、雪に関連する名前も応募者の多くが豪雪地帯に暮らす人々のつらさが理解出来ないと解釈され、運行地域での理解が得られないため、余り採用されないとされる。但し、それでも定期列車として『ゆきぐに』・『しらゆき』という事例があり、またいわゆるスキー臨時列車では、『新雪』・『信州銀嶺』や『シュプール』など広く採用された。 なお「はやて」も、「はやて(疾風)」が農作物に被害をもたらす風や疫病の異名でもあるためといわれこの例に近かったが、2002年の東北新幹線八戸延伸に際して東京駅〜八戸駅間直通列車の名称で使用されることとなった。 また、著名の場所・物であるにも関わらず、語呂が悪いなどの理由で採用されなかった愛称も存在するといわれる。 列車に付けられる愛称の中には、鉄道事業者が公式に定めたものではなく、利用者や鉄道ファンの間で非公式に付けられたものが定着したものもある。例えば、現在でこそ「ムーンライトながら」という公式愛称があるものの、以前は特に愛称がつけられていなかった東海道本線東京駅〜大垣駅間で運行する夜行普通列車は、“大垣夜行”と呼ばれていた。国鉄では、指定席車両を連結したもの以外で定期の普通列車・快速列車に愛称を付けることはまれであったため、利用者が列車を指す際に便宜上用いたものが根付いたと見られている。同じように紀勢本線のそれは“太公望列車・新宮夜行”、中央本線のそれは“山男列車・山岳夜行・上諏訪夜行”などと呼ばれていた。 また国鉄本社が正式に認めた愛称のほかに、支局が独自に愛称を付けたものの当局側で認められなかったため、改称を余儀なくされた例もある。広島鉄道管理局は、東京駅〜広島駅間を運行する急行列車に一時“ひばり”の愛称を公募で付けていたが、前述のように鳥類の愛称は特急列車に付けるのが原則となっていたため、後に「安芸」と改称させられた。 日本における列車愛称は、戦前の1929年(昭和4年)9月に鉄道省が公募の結果に基き、東京駅〜下関駅間を運行する特急列車2往復にそれぞれ「富士(ふじ)」・「櫻(さくら)」という愛称を与えた事が始まりとされる。戦中は一時中断したが、国鉄においては戦後の1949年(昭和24年)に特急・急行・準急それぞれで「へいわ」・「銀河」・「いでゆ」といった列車愛称を復活させ、その後国鉄・私鉄共に日本全国へ広まっていった。 1929年(昭和4年)9月 昭和金融恐慌など関東大震災以来の不況が続き、利用客が減少していた鉄道に活況をもたらそうと、鉄道省は当時欧米で広まっていた「列車愛称」を日本の列車にもつけて親しみを持ってもらおうと考えた。その結果、当時日本で東京駅〜下関駅間の2往復(1・2列車と3・4列車)しか存在せず、文字通り「特別」な存在であった「特別急行列車」(特急列車)に、一般公募によって愛称をつける事になった。 公募には19,902票がよせられ、1位の「富士(ふじ)」が1,007票、2位の「燕(つばめ)」が882票、3位の「櫻(さくら)」が834票の順であった(以後10位まで、「旭(あさひ)」、「隼(はやぶさ)」、「鳩(はと)」、「大和(やまと)」、「鴎(かもめ)」、「千鳥(ちどり)」、「疾風(はやて)」と続く)。そして一等車と二等車のみで編成され、当時「日本一の豪華列車」であった1・2列車に1位の「富士(ふじ)」、三等車のみで編成された「大衆向け」とどちらかといえば言うべき3・4列車に3位の「櫻(さくら)」の愛称を与えた。なお2位の「燕(つばめ)」は、翌1930年(昭和5年)10月に運行開始された特急列車(超特急とよばれる程の高速運転を行った事で有名)の名称に採用された。また3〜10位の愛称についても、その後日本支配下の朝鮮半島・中国大陸において運行された列車や、戦前〜戦後に日本で設定された列車の名前に全て採用された。なお投票の中には、「弥次喜多」・「気早の江戸っ子」といった奇をてらったものもあった。 以後、戦前の国鉄が優等列車につけた愛称は1937年(昭和12年)7月に運転を開始した特急「?(かもめ)」のみにとどまり、急行列車には愛称の付けられることなく終戦を迎えるが、臨時の普通列車(快速列車含む)では千葉地区(現在の内房線・外房線など)の海水浴客用の列車には「漣(さざなみ)」・「潮(うしお)」、成田線の水郷観光用の「水郷めぐり」、中央本線の登山客・観光客用の列車に「高嶺(たかね)」・「アルプス」、信越本線の避暑客用の列車に「高原列車」・「涼風(すずかぜ)」などといった愛称が付けられていたという。これらは、地方局が宣伝のために独自に命名したといえるものである。 また私鉄では、大阪電気軌道・参宮急行電鉄(大軌・参急、いずれも現在の近畿日本鉄道・近鉄の前身)の伊勢神宮参拝客用の列車に「いすず」・「神風」、京阪電気鉄道(京阪)の琵琶湖観光客用の列車に「びわこ」、愛知電気鉄道(愛電、現在の名古屋鉄道・名鉄の前身の一つ)の都市間特急列車に「あさひ」などといった愛称が、いずれも昭和前期に付けられていたといわれる。なかには、阪和電気鉄道(阪和、現在のJR西日本阪和線を当時運営していた私鉄)・南海鉄道(南海、現在の南海電気鉄道)の両者から国鉄紀勢西線(現在の紀勢本線)に直通する温泉客用の列車に付けられた「黒潮号」という、国鉄・私鉄をまたぐ愛称も存在した。 さらに、当時日本の領土であった朝鮮や、日本の傀儡政権だったと言われる満州国(日本本土を「内地」というのに対し、これらの地域は「外地」とよばれた)の南満州鉄道を走る列車にも、「あかつき」・「ひかり」・「のぞみ」・「大陸」・「興亜」・「あさひ」・「あじあ」・「はと」といった日本語による愛称が付けられていた。これには、日本人支配を現地人に植え付ける目的もあったとされる。日中戦争によって南京・上海といった地域も日本軍が占領すると、それら地域の鉄道を運営した日本の国策会社である華中鉄道では、南京〜上海間に急行列車を走らせ、それに「天馬」・「飛龍」といった愛称をつけた。 1944年(昭和19年)4月 「富士」を最後に特急列車が全廃、他の愛称列車もこの頃までには戦況の悪化で全廃され、内地での列車愛称は消滅した。 1949年(昭和24年)9月 戦後の混乱も次第に落ち着いてきたこの時、特急列車を東京駅〜大阪駅間で1往復復活させる事になった。愛称は暫定的に加賀山国鉄副総裁(初代総裁の下山定則は下山事件で亡くなった為、翌年第2代総裁となる)が平和を願うという意味で定めた「へいわ」とされたが、後に公募によって正式な愛称を決定する事にした。またこの時、同区間を運行していた夜行急行列車1往復にも「銀河」という愛称が付けられ、初めて本土の国鉄で急行列車に愛称が付けられた。 1949年(昭和24年)10月 東京駅〜伊東駅間を運行する週末運行の温泉客向け準急列車に、「いでゆ」と命名。国鉄準急列車初の愛称となった。2ヵ月後には、その姉妹列車として「いこい」も設定されている。 1950年(昭和25年)1月 「へいわ」を予定通り公募結果に基いて「つばめ」と改称。戦前の優等列車の名前が復活(戦後は平仮名書きだが)した。同年6月には、その姉妹列車として「はと」も新設された。 1950年(昭和25年)11月 急行列車12往復に「明星」・「日本海」などの愛称を与える。以後、特急列車・急行列車に関しては原則として愛称が付けられるようになり、準急列車・快速列車・普通列車でも観光地列車には愛称が付けられる事が多くなった。 なお特急列車には日本を象徴するものか鳥の名前が、昼行急行列車(昼行と夜行の両時間帯にまたがるものも)には地域名や名物が、夜行急行列車には天体名が付けられる事が原則となっていった。 1957年(昭和32年)10月 準急列車「東海」が運行を開始。同列車は、「〜1号」・「〜2号」といった番号による列車識別を始めて採用した(それまでは、各列車ごとに別の愛称をつけて区分していた)。 1958年(昭和33年)11月 151系特急形電車を用いた、「こだま」が運行を開始。これに際して、公募を行い以下の名称が佳作として選された。この列車名はのちに特急列車に用いる事になった。 1961年(昭和36年)10月 「サン・ロク・トオ」と呼ばれる大規模ダイヤ改正により列車が大増発されるが、この頃より愛称の原則も崩れ始めた。その原因としては、以下のことなどがあげられる。 同一区間を走る同一種類・車両の列車でもそれぞれ別の愛称を与える事が多かった。(東海道急行の「なにわ」・「よど」・「せっつ」・・・・・など) また、発車する順に番号をつけて識別する方法も、前述した「東海」以来次第に試みられて来ていたが、「第1〜」・「第2〜」とする方法と、「〜1号」・「〜2号」とする方法が混在したりして(基本的には指定席のある列車は「第1〜」方式、そうでないものは「〜1号」方式とされたが、徹底されてはおらず例外が多数存在した)いて、さらに命名基準の統一も図られていなかった。 1964年(昭和39年)10月 東海道新幹線が開通する。この時、新幹線だけでなく在来線での以後の愛称付け方針にも重要な影響を与える画期的な命名法が同路線ではとられた。それは下記のようなものである。 愛称を速達タイプ(当時の呼称としては超特急)のものに「ひかり」、各駅停車タイプ(当時としては特急)のものに「こだま」というように、最小限識別に必要なものだけに絞る。 列車個々の識別を「〜号」方式による番号識別とし、発車順に下り列車には奇数番号、上り列車には偶数番号をつける。 1966年(昭和41年)3月 運転距離が100kmを超える準急列車がこの時全て急行列車に格上げされる事になったが、それにより若干の運行距離の違いで準急・急行がわかれ、結果的に別の愛称を増やさなければならない事態(「富士川」→「富士川」・「白糸」など)や、上りと下りで同一愛称でも準急・急行と種別が異なる事態(「ひるぜん」など)も発生し、無秩序・不統一による氾濫で、国鉄在来線列車の愛称の数はこの頃ピークを迎えた。 1968年(昭和43年)10月 「ヨン・サン・トオ」と呼ばれる大ダイヤ改正が行われ、国鉄では準急列車が消滅し、代わって特急列車・急行列車の大増発が図られた。そして国鉄では氾濫を極めた列車愛称の整理をこれを機に断行し、列車愛称はそれまでの359種類から91種類減らした268種類になった。その整理方法は以下の通りである。 同一区間を走る列車に関して、特急列車では昼行と夜行で原則として別愛称、急行列車では同一愛称をつける。 定期列車と季節列車(この時誕生した臨時列車の呼び名)は原則として同一愛称とする。(それまでは別愛称をつけたり、「臨時わかさ」のように「臨時」をつけて区分したこともあった。) 同一系統・種類の列車が多数(1往復超)存在する場合、発車時刻順に番号によって区分する。それまでは、「第1〜」・「第2〜」と「〜1号」・「〜2号」のように2種類の番号区分があったが、後者に統一する。なお新幹線のように「下り奇数・上り偶数」とはまだせず、上り下り両方に1号・2号が存在した。また、その系統の列車が一つしか存在しない場合は番号は付けられなかった。 1978年(昭和53年)10月 「ゴー・サン・トオ」よばれる大規模ダイヤ改正を実施。在来線でも新幹線同様、識別番号を「下り奇数・上り偶数」とした。この方式は在来線でも1967年(昭和42年)10月〜1968年(昭和43年)10月に特急「くろしお」で試験的に導入された事があったが、かえって混乱を招いたため取りやめられていた。この時の国鉄の列車愛称は262種類である。 この後は、急行列車の特急格上げによる統合などで愛称は減って行き、国鉄分割民営化直前の1986年(昭和61年)11月ダイヤ改正時には132種類となった。現在では優等列車の愛称はさらに減っている。 私鉄の方でも小田急電鉄や東武鉄道などでは、同じような理由で多種の愛称が存在していた。それは、小田急電鉄では現在の「はこね」に相当する小田原線系統で「あしのこ」・「明星」・「あしがら」・「さがみ」・・・・・、東武鉄道では現在の「きぬ」・「けごん」に相当する日光線系統で「さち」・「きりふり」・「おじか」・「かわじ」・・・・・、といった具合であった。しかし、以下の時期に列車愛称の整理が行われた。 ヨーロッパでも昔から優等列車には概ね愛称が付けられていた。やはり日本と同様に、地名や自然現象や天体の名前が多いが、日本に比べて人名も多いのが特徴である。 「フリードリヒ・シラー」(Friedrich Schiller)、「ハインリッヒ・ハイネ」(Heinrich Heine)、「エラスムス」(Erasmus)、「レンブラント」(Rembrandt)、「ゲーテ」(Goethe)、「ルーベンス」(Rubens)など、日本人にも良く知られたこれらの著名人の名前は、いずれもTEE列車の愛称として使用された。芸術家や文豪の名前が多いがそれに限らず、科学者の場合もある。例えばドイツには以前「ヴィルヘルム・コンラート・レントゲン」号というICEが運転されていた(これは、大惨事となった1998年のICE脱線転覆事故(エシェデ事故)で、事故を起こした列車に付けられていた愛称でもある)。 また、自然現象や天体の名前を採用したものには、「ミストラル」(Le Mistral 北風)や「エトワール・ド・ヌール」(L'Etoile du Nord 北極星)がある。 イタリアの「セッテベロ」(Settebello)は、車両の名前が列車の名前になった特殊な例である。イタリアにはこの他、「フレチア〜」という列車が多いが、フレチアとは「矢」のいう意味であり、一種のスピードの象徴であった。同様な愛称には、ロンドン〜パリ間の特別急行列車であった「ゴールデンアロー」(金の矢、フランス名:ラ・フレシュドール)がある。 また旅の郷愁を誘うような愛称には、「ワゾー・ブリュー」(L'oiseau Bleu 青い鳥)、「ブラウェル・エンツィアン」(青りんどう)、「トラン・ブリュー」(青列車)など青色が多く関わっている。 ヨーロッパにおける列車愛称の変り種としては、ドイツのベルリン発着のICEに"Blauer Engel"号という、ドイツ映画のタイトルを冠した列車が存在した(邦題は「嘆きの天使」として知られる)。日本で言えば、文学作品から採用された「踊り子」号と近い発想である。また、ルーマニアには、1989年のルーマニア革命にちなんだ特急「ティミショアラ89」号というものもある(ティミショアラは、ルーマニア革命のきっかけとなった都市の名前)。 アジアの国々でも韓国、中国、台湾などで列車に愛称が用いられている。中国には、共産党軍の軍事行動を記念した「長征号」がある。「セマウル号」・「自強号」などが代表といえるが、列車種別の区分を兼ねているものが多い。インドには、ガンディーの「不殺生」を記念した「アヒムサ急行」がある。 アメリカでも「エンパイア・ビルダー」(empire builder 帝国建国者)「20世紀特急」などといった愛称が存在する。アメリカの列車愛称は19世紀から存在し、日本の列車に愛称をつけるきっかけともなった。アメリカでは列車の愛称のほかに、車両や編成、路線の愛称的をつける事も多かった。プルマン社の寝台車には全て固有名称が与えられ(全盛期には1万両もの車両が存在したため、画一的なものが多かったが)、流線型車両を中心とした画期的な車両編成には、シカゴ北海岸線の「エレクトロ・ライナー」や、シカゴ・バーリントン・クインシー鉄道の「ゼファー」のように編成単位で愛称が与えられた。 列車の愛称名と同様の理由で、特に全席指定席の高速バスを中心に、バス便に対する愛称が付けられることが多い。特に、「ドリーム号」などJRのみどりの窓口で発売されるものには、マルスへの収録のために鉄道の列車同様に愛称が必要となり、JRの列車と同じ体系(例:「ドリーム大阪X号」)を持っている。 JRバス以外の高速バスのように、JRのみどりの窓口で発売されないバスについては、必ずしも愛称名を持っていないか、個々のバス便ではなく、高速バス路線(事業)全体に対しての愛称名がある(例:「プリンセスロード」・「やまと」・「サラダエクスプレス」など)場合が多い。 全席指定席でない(事前予約を取らない)場合には、路線としての愛称(例:「つくば号」など)が付けられることが多い。 この「列車愛称」は鉄道に関連した書きかけの項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(ポータル 鉄道/ウィキプロジェクト 鉄道)。 カテゴリ: 鉄道関連のスタブ項目 | 鉄道 | 列車 | 日本の列車 | 鉄道と文化 | 鉄道運転業務 |
[ 28] 列車愛称 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%97%E8%BB%8A%E6%84%9B%E7%A7%B0
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盛岡市は6月26日に「岩手公園愛称検討懇話会」を設置し,岩手公園の愛称について検討を進めています。 岩手公園は,歴史的にも観光面でも市街地の核であり,盛岡市の最大の資源ですが,「岩手公園」という名称については,以前から,「盛岡や盛岡城にちなんだ分かりやすい名称にしてほしい」との提案をいただいていました。 市は,本年が公園の開園100周年という記念の年でもあり,今後の100年に向けて,岩手公園に県内のみならず県外の多くの皆様に訪れていただけるよう,公園の実体を率直に表す分かりやすい愛称を検討するため,懇話会を設置しました。 懇話会は,学識経験者や市民代表,まちづくり団体,観光団体などの7つの分野の9人の委員から構成されています。 懇話会では,歴史的経緯やこれまでの市議会や商工団体,市民からのご意見ご提言を踏まえて,幅広く検討していただくこととしていますが,今後の議論を進めるにあたっての参考とするため,皆様のご意見を募集します。 7月15日〜17日の間に入力していただきましたご意見につきまして,こちらの誤操作によりご意見を削除してしまいました。つきましてはお手数をおかけして申し訳ございませんが,もう一度ご意見の入力をお願いいたします。大変申し訳ございませんでした。 愛称の検討が新聞等で取り上げられるようになって以来,市民の皆様からは「愛称」と「正式な名称」はどう違うのか,といったご質問が寄せられています。 「岩手公園」という名称は,都市計画法や都市公園法に基づく法的な手続きを経て決定されています。 都市公園としての名称は,開設の際,その位置や区域などと共に公告することとされていますが,開設された公園の名称を変えることは,法律上想定されていないことから,正式名称を変更することは考えていません。 懇話会は3回程度の開催を予定しています。懇話会としての意見の取りまとめは,8月始めごろを予定しています。 背景,これまでの経緯,名称の法的位置づけ,各種計画おける岩手公園の位置づけ,今後の進め方 岩手公園といえば明治39年に整備された盛岡城跡のイメージを持っている市民が多いと思うが,岩手公園は旧県立図書館や芝生広場を含む広域的な公園の名称であり,一般市民の理解とは異なるのではないか。 盛岡商工会議所では,岩手公園という名称だけでは,どのような公園なのか分からない。盛岡城の美しい石垣などの歴史的な内容を発信することが必要と考えている。 仕事上でも観光客から岩手公園のことを聞かれるが,説明するまでどんな公園か分かってもらえないという経験があるので,「盛岡城」などの情報を発信していかなければならない。 岩手公園は,自然公園や都市公園でもあるが,盛岡城の跡に整備された公園として,歴史的な部分をもう少しアピールしていきたい。 100年の節目に,盛岡城なり,不来方城なり,親しまれる愛称をつけて,それを活かして今後のまちづくりや公園整備を考えていこうということは,歴史的なものを後世に残す意味でも必要なことである。 盛岡の観光にとっては「まちなか」をどう売り込んでいくかが大事であり,岩手公園はまだ生かされていない。ただ,名称の変更に係るコストと時間に対して,どれだけ効果があるかを吟味する必要がある。 全国的に定着している名称を変えるということは,相当の効果が見込めるのか検討すべきである。 「岩手公園(盛岡城址)」という名称は結構定着しており,いつの間にかなじんできた名前であると思うが,これをさらに定着させていくことが必要ではないか。 名称を考えるには,復元に向けて努力をしていくのかどうかという検討が必要ではないか。 将来盛岡城を復元するということであれば「盛岡城公園」という名称がいいだろうし,石垣のままでいいというのであれば「盛岡城址公園」とかになる。 100周年にあたって,復元の決意を示しながら名称を検討するほうが盛岡をアピールできるのではないか。 まちの中心に城址とすばらしい石垣があるのが城下町盛岡の財産であり,これをぜひ観光に生かすべきである。 お祭りやイベントだけではなく,甘酒を売るとかソフトの面も再検討する必要がある。 市では愛称をつけるのであり,法定の名称を変更するものではないとしているが,マスコミ報道を見聞する限り,市民県民には岩手公園の名称変更と受け取られている。 盛岡地域以外の住民にとっては,盛岡への一点集中に反発する声も根強いものがあり,岩手公園の名前から岩手を外すことは地域エゴと受け取られかねない。 県庁所在地の盛岡市としては,他地域への配慮も考える必要があるのではないか。 |
[ 29] ウェブもりおか:公園みどり課からのお知らせ:岩手公園の愛称について意見募集
[引用サイト] http://www.city.morioka.iwate.jp/09tosi/koen/topics/060712aisho.html
