旭化成とは?
|
この項目では大阪府に本社を置く旭化成グループの持株会社について記述しています。群馬県の発泡スチロール会社については旭化成 (群馬県)をご覧ください。 東証第1部、大証第1部などに上場(証券コード: 3407)する。登記上の本社所在地は大阪府大阪市北区堂島浜一丁目2番6号新ダイビルであるが、実際の本社業務は東京本社(東京都千代田区有楽町一丁目1番2号日比谷三井ビル[1])で行っている。ただし同社の発祥の地は宮崎県延岡市である。 ルーツは野口遵が創業した「日本窒素肥料株式会社(現在のチッソ)」(1906年に鹿児島県大口市に「曽木電気」を起こして、1907年に熊本県水俣市にある「日本カーバイド」と合併して、「日本窒素肥料」となり、後に1923年、宮崎県延岡市に「日本窒素肥料・延岡工場」として進出するが、その後独立する)で、旧財閥「日窒コンツェルン」の一員であった。 元来、化繊品の製造をしていたが、家庭用品で「サランラップ」の爆発的大ヒットで旭化成の名を一躍全国区に、さらに「サランラップ」を押し進めた形で、冷凍、冷蔵、過熱、解凍が可能な食品保存密封袋「ジップロック」を主力商品とした。 医薬品(一時は一般用医薬品(旧東洋醸造から引き継がれた)の抗アレルギー剤(じんましん薬、鼻炎薬)「サットル」、風邪薬「サットル総合感冒薬」も展開していたが、現在は全て医療用医薬品のみ)や繊維加工技術から発展した弱電部品の製造、そして耐火性・耐候性を前面に打ち出した新建材「ヘーベルパワーボード」やそれを使用した「へーベルハウス」ブランドの住宅の販売も行った。 フジテレビ「スター千一夜」、「なるほど!ザ・ワールド」、「メトロポリタンジャーニー」の単独提供を1959年から1997年の放送終了まで一貫して、旭化成グループとして行った。 2003年に、酒類・食塩製造など非中核事業を売却した上で、持株会社に移行し、各事業の運営は子会社へ移った。 1931年(昭和6年)5月21日 - 日本窒素肥料株式会社延岡工場が独立し、延岡アンモニア絹絲株式会社設立(日窒コンツェルンの一員)。 1933年(昭和8年) - 延岡アンモニア絹絲株式会社は、日本ベンベルグ絹絲株式会社および旭絹織株式会社を合併し、社名を旭ベンベルグ絹絲株式会社と改称 1943年(昭和18年) - 旭ベンベルグ絹絲株式会社は、日本窒素火薬株式会社を合併し、商号を日窒化学工業株式会社に変更。 2002年(平成14年) - 焼酎及び低アルコール飲料事業をアサヒビール株式会社及びニッカウヰスキー株式会社へ譲渡。 2003年(平成15年)7月 - 清酒、合成清酒事業、及び富久娘酒造株式会社の株式の総てをオエノンホールディングス株式会社へ譲渡。 2003年(平成15年)10月1日 - 吸収分割により主要7子会社に営業を承継させ、持株会社へ移行。 2003年(平成15)11月 - 新日本ソルト株式会社及び赤穂海水株式会社の株式を株式会社ソルトホールディングス(現在の日本海水)へ譲渡。 2005年(平成17)4月 - 旭化成情報システム株式会社(現在のAJS株式会社)の株式51%をTIS株式会社へ譲渡。 2007年(平成19)4月 - 旭化成ライフ&リビングを旭化成ケミカルズへ統合し、主要6子会社体制に変更。 1951年創設の柔道部は、全日本実業団体対抗大会を11回制した名門で、オリンピックでも上村春樹、中村兼三、内柴正人と3人の金メダリストを輩出したのを初め、9人で延べ11回の出場を果たしている。2000年シドニーの100kg超級銀メダルの篠原信一も旭化成の所属であった。また、2004年アテネの銀メダリスト泉浩も明治大学卒業後旭化成入りした。 一方、1946年に創立された陸上部も輝かしい戦績を誇る。1992年のバルセロナオリンピック男子マラソン銀メダリストの森下広一、1991年の東京世界選手権男子マラソンで優勝した谷口浩美を初め、宗茂、宗猛、佐藤信之、児玉泰介、女子でも千葉真子、安部友恵、宮原美佐子といった錚々たるアスリートが活躍した。陸上部の拠点は延岡市にある。 カテゴリ: 日本の化学工業メーカー | 日本の医療機器メーカー | 日本の軍需産業 | 住宅関連企業 | 持株会社 | 大阪府の企業 | 東京都の企業 | 宮崎県の企業 | 東証一部上場企業 | 大証一部上場企業 | 名証一部上場企業 | 福証上場企業 | 札証上場企業 | 延岡市 |
[ 120] 旭化成 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%AD%E5%8C%96%E6%88%90
