近眼とは?

近眼は、屈折異常のひとつで、眼球内に入ってきた光が網膜上の正しい位置ではなく、もっと手前に焦点を結んでしまう状態。近眼(きんがん、ちかめ)ともいう。
遠方視の場合に、屈折機能が無限遠まで対応できないためはっきり見ることができない。 逆に近方視の場合は支障は少ない。近眼は屈折の問題であり網膜や視神経の疾患ではないので原則的に矯正視力が低下するものではない
誕生から20代前半にかけては眼球が成長するので誰でも例外なく近眼の方向に屈折状態が変化する。つまり、
この時期に近眼の症状が現れなかった者は、近眼化しなかったのではなく、遠視が十分に強かったために近眼が顕在化しなかっただけである。成長期の終わった後の最終的な屈折状態(近眼または遠視の強さ)は、
最終的な屈折状態を決める要因としては (1) が主なものであることで専門家の意見が一致している。つまり、生まれ持った遠視の強さによって将来近眼になるかはほぼ決まる。
(2) が100%遺伝だけで決まるかには議論がある。遺伝のみで全て決まるとする説もあれば、環境によって左右されるとする説もある。ただし、いずれにせよ (1) に比べれば影響は少ない。
現代、近眼は増加傾向にある。小中学生でも近眼の割合は年々高まり、小学生の1/4、中学生の1/2は近眼であると言われる※1。この増加傾向は、小中学生の生活習慣の変化によるものとも、小中学生の平均身長が伸びたことの不可避的な副産物とも言われている。
近眼は目の成長が止まるにつれて進まなくなる。現代では目を酷使する機会が多いため20代後半を過ぎても進む事が多いとも言われるが、目の酷使と近眼の進行を結びつける科学的根拠はない。
※1 逆の側から見れば、小学生の3/4近く、中学生の1/2近くは遠視であるということである。正視は近眼と遠視の狭間の狭い範囲でしかないので少数しか居らず、近眼でない者は殆どが遠視と考えられる。ただし、軽度の遠視は若いうちは矯正の必要がなく、本人も自分が遠視であることすら知らないことが多い。
眼球が通常より前後に長いため、水晶体と網膜との距離が長過ぎ、網膜よりも前方に像を結んでしまうもの。 遺伝性の近眼は大半が軸性に分類され、補正を必要とする。 眼球が通常より引き伸ばされているため、網膜が薄くなっており、網膜剥離を起こしやすい。
眼の疲労により一時的に近眼のような状態になること。仮性近眼、調節緊張性近眼とも呼ばれる。近眼に含めない考えで単に調節緊張と呼ぶ者もいる。
テレビやパーソナルコンピュータ等で目を酷使した後は強くなり、目を休めたり遠くを見ると弱くなる。点眼薬を使って調整を麻痺させないかぎり完全に無くなることはない。視力に問題が無い者を含めて万人が持っているものである。
一見妙な話だが、遠視の者は近眼の者より強い偽近眼を持っていることが多い。つまり、その時々による遠視度数の変化が近眼の者の近眼度数の変化より大きい場合が多い。遠視の者は遠くを見るのにも調整力を働かせねばならず、正視や近眼の者より眼に対する負担が大きいためと思われる。
名前の通り「偽」の近眼であり、上記の本物の近眼とは別物である。偽近眼を放置したからといって本物の近眼に移行することはないし、逆に目を休ませても治るのは偽近眼だけであり本物の近眼が治ることはない。 偽近眼と本物の近眼を併発している場合は目を休ませることにより偽近眼の分だけが回復する。
偽近眼として通常問題にされるのは2の場合である。1の場合は自覚症状がないし、3の場合は偽近眼が治っても眼鏡等が必要なことに変わりがないのであまり問題にされない。2の場合は偽近眼を治すことで眼鏡等が不要になるので治療が試みられることがあるが、偽近眼が治ったかどうかに関係なくしばらく経つと本物の近眼になってしまうことが多い。
なぜ偽近眼を治療しても近眼になってしまうか。そもそも偽近眼が自覚されるようになったのは上記1の状態から2の状態になったからである。つまり幼少時の遠視の状態から正視かそれに近い状態まで近眼化している。自覚の無いまま近眼化の過程の大半がすでに終わってしまっていると言ってもよい。一方、偽近眼を治療しても本物の近眼の進行には何の影響も無い。幼少期の遠視がほとんど無くなるまで順調に進んでいた近眼が偽近眼を治療した途端に進まなくなるには偶然に頼る他無いが、そのような偶然の起こる可能性は低い。よって偽近眼を治療しても近眼になってしまうことが多いのである。
* 偽近眼を治療しても治療を中止すれば元に戻ってしまう。一時的に治すだけのために時間・手間・費用を掛けるのは無駄である。
* 偽近眼が自覚されるほど遠視が弱まっていればいずれ本物の近眼になるのは避けられないので、偽近眼を治療しても意味がない。
* 「治療可能な偽近眼という近眼がある」ということを殊更に強調すると近眼全般が治療可能であるかのような誤解を招き、効果不明の民間療法を利することになるので良くない。
一般的に遺伝・環境が要因とされる。両方が原因となる場合もある。 具体的な原因は今も不明。
遺伝・環境により発生する近眼。大半の近眼は単純近眼に分類される。 小学校高学年くらいから始まる事が多く「学校近眼」とも呼ばれる。
何らかの異常により眼軸が伸びて発生する軸性近眼を「病的近眼」と呼ぶ。 幼児期より発生する事が多い。
近眼の原因として最も広く支持されている説は、主に遺伝に因るとするものである。近眼の遺伝率は89%と高率であり、また近年の研究で関連する遺伝子も特定された。双生児の研究ではPAX6遺伝子の欠陥が近眼と関連しているようである。この説では、発達上の問題から眼球の奥行きが若干延長され、映像が網膜上でなく網膜の前方に結するようになるとされる。近眼は通常8歳から12歳までの間に発現し、殆どの場合青年期を通じて徐々に進行し、成人になると頭打ちになる。遺伝説では、何歳のときに近眼になり始め何歳までにどこまで進行するかが生まれつき決まっていると考える。遺伝要因は、他の生化学的要因からも近眼の原因となりうる。例えば結合組織の弱さなど。
専門家の間では支持されないが、一般に広く信じられているのは、水晶体の厚みを変える毛様体の筋力の衰えによるとする説である。衰えた毛様体筋では遠方視に合わせて水晶体を調整する事ができず、結果遠方のものがぼやけて見える。この説では毛様体筋の衰えは携帯電話やPCなど近業のし過ぎが原因であるとされる。目が滅多に遠方を見ないので、毛様体筋が使われず、従って衰える。眼鏡やコンタクトレンズが毛様体筋の働きを肩代わりするので、ますます筋力が衰え近眼が進行するとこの説の支持者は主張する。代わりに、様々な目の体操で筋肉を鍛えるとよいとする。
この説の泣き所は、主流の眼科学や薬学では毛様体筋は近くを見るときに収縮し、遠くを見るときには弛緩するとされる事である。他の説では、過剰な近業によって眼が痛められ近くを見る状態に凝り固まってしまったものなので、眼の体操で筋肉をほぐして遠くを見られるようにするという。
毛様体筋説が正しいかどうかはさて置き、遺伝率が高いからといって、必ずしも環境要因や生活態度が近眼の発生に関係ないとは言えない。遺伝率の高さは単に、特定の時代の特定の集団の変異は遺伝に因るものであるという事に過ぎない。例えばTVやコンピュータの発明により環境が変われば遺伝率は高いままにせよ、近眼者の率は変わり得る。
2002年の報道(英語)では幼年期のパンの摂り過ぎ、或いは炭水化物の摂り過ぎによる慢性の高インスリン血症が近眼の原因かもしれないと指摘している。この資料(英語)に纏められているように他の栄養素も近眼の原因とされている。
就寝時に電灯を点けたままにする習慣のある家庭に育つなどして、幼年期に長時間網膜が光に曝されると近眼が発生するとする説。近代の近眼の増加をうまく説明できる。
遺伝説の補足として、戦時に視力の良いものから徴兵されて死亡率が高まり、逆に近眼者は徴兵検査に不合格になるか合格しても後方に配置されて死亡率が低かったことから、近現代の近眼の増加を説明するもの。
遺伝説の一種で、日本人は農耕民族なので狩猟民族に比べて遠くをはっきり見る必要が少なく近眼の遺伝子が淘汰されなかったとする説。日本の農耕の歴史は諸外国に比べてむしろ浅いという欠陥を持つ。
その目を正視に矯正するために必要なレンズの度数で表される。単位はD(ディオプター)。Dを表す式は D = 1(m)/焦点距離(m)。 近眼では負の値、正視の場合は0となり、遠視では正の値となる。
近眼の程度は以下のように分類されるが、単に区切りの良い数字で区切ったに過ぎず、便宜的なものである。
近眼の度数と裸眼視力には大まかな関係しかない。 度数の強い割に裸眼視力の高い人もいれば、度数の弱い割に裸眼視力の低い人もいる。従って度数が幾つだから裸眼視力が幾つだとか、裸眼視力が幾つだから度数が幾つだとかいう事は極めて大雑把にしか分からない。
最も一般的な矯正法。 凹レンズの眼鏡、コンタクトレンズで行なわれる。 高すぎる屈折力を凹レンズで緩和することにより、網膜上にピントが合うようになる。
角膜の周辺部にリングを埋め込んで変形させる。成功すれば眼鏡・コンタクトレンズの煩わしさが無くなるが、
* 気圧が下がると(飛行機内や高山で)近眼が戻り、気圧が上がると(ダイビング等)遠視化する
近眼の原因として最有力の遺伝説によれば予防法は無いが、そう言ってしまっては身も蓋も無いので、少なくとも害にはならず眼以外の健康にも良い方法として次のようなものが指導される。
照明については、日本では「暗すぎると良くない」ことが強調され、欧米では「明るすぎると良くない」ことが強調される。遺伝説によればどちらにせよ近眼とは無関係である。
幼年期には眼球も小さいので、殆どの人は軸性の遠視である。幼年期に遠視でなく正視であったら、成人するころには強度の近眼になることが予想される。それが身体の成長につれて眼球も大きくなって近眼化し、理想的には正視になった時点で成長が止まる。幼年期の遠視が弱過ぎるか近眼化の度合いが強過ぎるかすると、正視を通り越して近眼になってしまう。
しかし、+2Dの遠視から0Dの正視になった時には本人には自覚がないが、0Dから-2Dの近眼になったときには同じ2Dの変化でも裸眼視力の低下という自覚症状がある。つまり、同じ速度で近眼化していても0Dを越えるまでは自覚症状が無いのに対し、0Dを越えると自覚症状が現れる。このことが「急に」近眼になったという錯覚を引き起こす。
迷信である。上記のごとく、遠視から正視になるまでは自覚症状が無いのに対し正視から近眼になると自覚症状が現れる。自覚症状が現れた時期と眼鏡を掛け始める時期が同じになるためにこのような錯覚を引き起こすのであろう。ただし、近眼用眼鏡は遠方にある物を見たときに最もピントが合わせやすいように度数が設定されているので、近くのもの、例えば本の文字やテレビを見る際に眼鏡を掛けたまま見ると、目が近くを見るときの状態で凝り固まってしまうので、近くを見るときには支障が無い範囲で眼鏡をはずした方が目の負担が減る。
TVの見過ぎ、テレビゲームのし過ぎ、あるいはPCの使い過ぎで近眼になるという事がよく言われるが、いずれも科学的根拠は無い。目の疲労や仮性近眼の原因にはなるが、その事と近眼には関係があるとはいえない。
これにも科学的根拠はない。正しくは「近眼だと本を読む姿勢が悪くなる」である。ただし、近眼の問題は別にして姿勢が悪いのは健康に良いことではない。
勉強をし過ぎると、或いは本を読み過ぎると近眼になると言われるが、誤りである。ただ「近眼の人はよく勉強をする」とは言えるかもしれない。
即ち、将来近眼になる人は小学生のころの遠視が弱いので長時間勉強を続けても目が疲れにくく勉強の習慣が身に付きやすいが、逆に将来近眼にならない人は小学生のころの遠視が強いので長時間勉強をすると目が疲れてしまい勉強の習慣が身に付きににくい。教科書やノートの文字を長時間見ていると、目が近くを見る状態で凝り固まり柔軟性を欠き、結果として視力低下の原因となるので勉強中は時折遠くを見たりして目を休める事が望ましい。

[ 164] 近眼 手術 メガネ 治療 老眼 レーザー 治療 矯正でお困りの方へ
[引用サイト]  http://otoku45.web.fc2.com/page/kingan.html

近視(きんし)は、屈折異常のひとつで、眼球内に入ってきた平行光線が、調節力を働かせていない状態で、網膜上の正しい位置ではなく、もっと手前に焦点を結んでしまう状態。近眼(きんがん、ちかめ)ともいう。
遠方視の場合に、屈折機能が無限遠まで対応できないためはっきり見ることができない。 逆に近方視の場合は支障は少ない。近視は屈折の問題であり網膜や視神経の疾患ではないので一般的に矯正視力が低下するものではない。
誕生から20代前半にかけては眼球が成長するので誰でも例外なく近視の方向に屈折状態が変化する。つまり、
この時期に近視の症状が現れなかった者は、近視化しなかったのではなく、遠視が十分に強かったために近視が顕在化しなかっただけである。成長期の終わった後の最終的な屈折状態(近視または遠視の強さ)は、
最終的な屈折状態を決める要因としては (1) が主なものであることで専門家の意見が一致している。つまり、生まれ持った遠視の強さによって将来近視になるかはほぼ決まる。
(2) が100%遺伝だけで決まるかには議論がある。遺伝のみで全て決まるとする説もあれば、環境によって左右されるとする説もある。ただし、いずれにせよ (1) に比べれば影響は少ない。
現代、近視は増加傾向にある。小中学生でも近視の割合は年々高まり、小学生の1/4、中学生の1/2は近視であると言われる。[1]この増加傾向は、小中学生の生活習慣の変化によるものとも、小中学生の平均身長が伸びたことの不可避的な副産物とも言われている。
近視は目の成長が止まるにつれて進まなくなる。現代では目を酷使する機会が多いため20代後半を過ぎても進む事が多いとも言われるが、目の酷使と近視の進行を結びつける科学的根拠はない。
^ 逆に言えば、小学生の3/4近く、中学生の1/2近くは遠視であるということである。正視は近視と遠視の狭間の狭い範囲でしかないので少数しか居らず、近視でない者は殆どが遠視と考えられる。ただし、軽度の遠視は若いうちは矯正の必要がなく、本人も自分が遠視であることすら知らないことが多い。
眼球が通常より前後に長いため、水晶体と網膜との距離が長過ぎ、網膜よりも前方に像を結んでしまうもの。 遺伝性の近視は大半が軸性に分類され、矯正を必要とする。 眼球が通常より引き伸ばされているため、網膜が薄くなっており、網膜剥離を起こしやすい。
眼の疲労により一時的に近視のような状態になること。仮性近視、調節緊張性近視とも呼ばれる。近視に含めない考えで単に調節緊張と呼ぶ者もいる。
テレビやパソコン等で目を酷使した後は強くなり、目を休めたり遠くを見ると弱くなる。点眼薬を使って調節を麻痺させないかぎり完全に無くなることはない。視力に問題が無い者を含めて万人が持っているものである。
一見妙な話だが、遠視の者は近視の者より強い偽近視を持っていることが多い。つまり、その時々による遠視度数の変化が近視の者の近視度数の変化より大きい場合が多い。遠視の者は遠くを見るのにも調節力を働かせねばならず、正視や近視の者より眼に対する負担が大きいためと思われる。
名前の通り「偽」の近視であり、上記の本物の近視とは別物である。偽近視を放置したからといって本物の近視に移行することはないし、逆に目を休ませても治るのは偽近視だけであり本物の近視が治ることはない。 偽近視と本物の近視を併発している場合は、目を休ませることにより偽近視の分だけが回復する。
偽近視として通常問題にされるのは2の場合である。1の場合は自覚症状がないし、3の場合は偽近視が治っても眼鏡等が必要なことに変わりがないのであまり問題にされない。2の場合は偽近視を治すことで眼鏡等が不要になるので治療が試みられることがあるが、偽近視が治ったかどうかに関係なくしばらく経つと本物の近視になってしまうことが多い。
なぜ偽近視を治療しても近視になってしまうか。そもそも偽近視が自覚されるようになったのは上記1の状態から2の状態になったからである。つまり幼少時の遠視の状態から正視かそれに近い状態まで近視化している。自覚の無いまま近視化の過程の大半がすでに終わってしまっていると言ってもよい。一方、偽近視を治療しても本物の近視の進行には何の影響も無い。幼少期の遠視がほとんど無くなるまで順調に進んでいた近視が偽近視を治療した途端に進まなくなるには偶然に頼る他無いが、そのような偶然の起こる可能性は低い。よって偽近視を治療しても近視になってしまうことが多いのである。
偽近視を治療しても治療を中止すれば元に戻ってしまう。一時的に治すだけのために時間・手間・費用を掛けるのは無駄である。
偽近視が自覚されるほど遠視が弱まっていればいずれ本物の近視になるのは避けられないので、偽近視を治療しても意味がない。
「治療可能な偽近視という近視がある」ということを殊更に強調すると近視全般が治療可能であるかのような誤解を招き、効果不明の民間療法を利することになるので良くない。
老人性白内障に伴い、近視化することがある。 核性白内障が起きた際、起きる。 その際には不同視を引き起こすことも多い。
遺伝・環境により発生する近視。大半の近視は単純近視に分類される。 小学校高学年くらいから始まる事が多く「学校近視」とも呼ばれる。
近視の原因ははっきりしておらず様々な説が出されている。有力なものに遺伝説と環境説があるが、全ての近視の原因を遺伝だけ、あるいは環境だけで説明しようとすると無理が出るので、遺伝と環境が複雑に絡み合って近視が発生するのだろうとされている。
近視を主に遺伝に因るとするものである。近視の遺伝率は89%と高率であり、また近年の研究で関連する遺伝子も特定された。双生児の研究ではPAX6遺伝子の欠陥が近視と関連しているようである。遺伝説では、何歳のときに近視になり始め何歳までにどこまで進行するかが生まれつき決まっていると考える。発達上の問題から眼球の奥行きが若干延長され、映像が網膜上でなく網膜の前方に結するようになるとされる。近視は通常8歳から12歳までの間に発現し、殆どの場合青年期を通じて徐々に進行し、成人になると頭打ちになる。遺伝要因は、他の生化学的要因からも近視の原因となりうる。例えば結合組織の弱さなど。
ただし、全ての近視を遺伝だけで説明することは難しい。長時間勉強や読書をする人に近視が多いというのは多くの人が感じる傾向である。遺伝だけで説明しようとするならば、この傾向は、近視の者のほうが近くを楽に見られるために勉強や読書が長続きしやすい傾向から来るのだということになる。近くを見る際に近視用眼鏡を外せば大いに楽に見られるし、たとえ眼鏡をかけたままでも、近視でない者の多くを占める潜在的な遠視者よりは楽に見られるというわけである。しかし、根気と集中力さえあれば、近くを見るのが辛くても長時間の勉強や読書に堪えられるはずなので、無理のある説明である。
勉強や読書、パソコンなど近くの物を見続けることに対して目が適応してしまうという考え方。 長時間勉強や読書をする人に近視が多い傾向や、途上国の農村など勉強をする機会が少ない人に近視が少ないことなどから支持されている。
ただし、全ての近視を環境だけで説明することは難しい。長時間勉強や読書をする人に近視が多いというのは多くの人が感じる傾向だとはいえ、長時間勉強や読書をしても近視にならない人や、勉強や読書をあまりしないにも関わらず近視になる人も存在するのである。環境だけで説明しようとするならば、長時間勉強や読書をしても近視にならなかったと称する人は嘘をついているのだ、ということになるが、無理のある説明である。
専門家の間では支持されないが、一般に広く信じられているのは、水晶体の厚みを変える毛様体の筋力の衰えによるとする説である。衰えた毛様体筋では遠方視に合わせて水晶体を調整する事ができず、結果遠方のものがぼやけて見える。この説では毛様体筋の衰えは携帯電話やPCなど近業のし過ぎが原因であるとされる。目が滅多に遠方を見ないので、毛様体筋が使われず、従って衰える。眼鏡やコンタクトレンズが毛様体筋の働きを肩代わりするので、ますます筋力が衰え近視が進行するとこの説の支持者は主張する。代わりに、様々な目の体操で筋肉を鍛えるとよいとする。
この説の泣き所は、主流の眼科学や薬学では毛様体筋は近くを見るときに収縮し、遠くを見るときには弛緩するとされる事である。他の説では、過剰な近業によって眼が痛められ近くを見る状態に凝り固まってしまったものなので、眼の体操で筋肉をほぐして遠くを見られるようにするという。
また、毛様体筋でなく外眼筋が衰えることによって眼球をうまく支えられなくなり、その結果、眼軸が伸びて視力が低下すると説明するベイツ理論も存在する。この説も専門家の間では支持されていない。マーティン・ガードナーは、擬似科学批判の古典的著作である『奇妙な論理』の中で、ベイツ理論に対する批判に1章を割いている。
2002年の報道(英語)では幼年期のパンの摂り過ぎ、或いは炭水化物の摂り過ぎによる慢性の高インスリン血症が近視の原因かもしれないと指摘している。この資料(英語)に纏められているように他の栄養素も近視の原因とされている。
就寝時に電灯を点けたままにする習慣のある家庭に育つなどして、幼年期に長時間網膜が光に曝されると近視が発生するとする説。近代の近視の増加をうまく説明できる。
遺伝説の補足として、戦時に視力の良いものから徴兵されて死亡率が高まり、逆に近視者は徴兵検査に不合格になるか合格しても後方に配置されて死亡率が低かったことから、近現代の近視の増加を説明するもの。 旧日本軍の徴兵制の場合、明治17年10月10日の陸軍医官徴兵検査規則によると「眼瞼ノ内外翻転、眼瞼結膜ノ瘢痕性変性等」「涙瘻」「角膜虹彩等ノ疾病ニシテ著ク視力ヲ妨クルモノ」「白内障・黒内障」「視力減退シテ尋常視力ノ二分ノ一以下ニ至ルモノ」「斜視眼」「近視眼」「遠視眼」「一眼ノ失明」「夜盲」の10項目が「終身兵役二堪ユ可ラサル疾病崎形」とされた。
遺伝説の一種で、大和民族の多くは農耕民族なので狩猟民族に比べて遠くをはっきり見る必要が少なく近視の遺伝子が淘汰されなかったとする説。ただし、日本の農耕は弥生時代になってようやく始まったので、西洋に比べてむしろ歴史が浅い。
その目を正視に屈折矯正するために必要なレンズの度数で表される。単位はD(ディオプターあるいはディオプトリ)。Dを表す式は D = 1(m)/焦点距離(m)。 近視では負の値、正視の場合は0となり、遠視では正の値となる。
近視の度数と裸眼視力には大まかな関係しかない。 度数の強い割に裸眼視力の高い人もいれば、度数の弱い割に裸眼視力の低い人もいる。従って度数が幾つだから裸眼視力が幾つだとか、裸眼視力が幾つだから度数が幾つだとかいう事は極めて大雑把にしか分からない。
最も一般的な屈折矯正法。 凹レンズの眼鏡、コンタクトレンズで行なわれる。 高すぎる屈折力を凹レンズで緩和することにより、網膜上にピントが合うようになる。 また、見えにくい自覚症状が有る場合で偽近視で無い場合、医師の処方にもとづいて、メガネ・コンタクトレンズを購入するのが大原則である。 見えにくいままでいると、頭痛や肩こり、また生活するうえでのストレスとなり、体に大変好ましくない。
角膜の周辺部にリングを埋め込んで変形させる。成功すれば眼鏡・コンタクトレンズの煩わしさが無くなるが、
視力回復トレーニングにより毛様体の筋力を回復させる。しかし民間療法であることから、十分なエビデンスは得られず、ためしてガッテンでもその効果は微妙である、と放送された。
幼年期には眼球も小さいので、殆どの人は軸性の遠視である。幼年期に遠視でなく正視であったら、成人するころには強度の近視になることが予想される。それが身体の成長につれて眼球も大きくなって近視化し、理想的には正視になった時点で成長が止まる。幼年期の遠視が弱過ぎるか近視化の度合いが強過ぎるかすると、正視を通り越して近視になってしまう。
しかし、+2Dの遠視から0Dの正視になった時には本人には自覚がないが、0Dから-2Dの近視になったときには同じ2Dの変化でも裸眼視力の低下という自覚症状がある。つまり、同じ速度で近視化していても0Dを越えるまでは自覚症状が無いのに対し、0Dを越えると自覚症状が現れる。このことが「急に」近視になったという錯覚を引き起こす。
迷信である。上記のごとく、遠視から正視になるまでは自覚症状が無いのに対し正視から近視になると自覚症状が現れる。自覚症状が現れた時期と眼鏡を掛け始める時期が同じになるためにこのような錯覚を引き起こすのであろう。
近視用眼鏡は遠方を見たときに最もピントが合わせやすいように度数が設定されることは稀で、それより弱めに、眼鏡をかけても近視が多少残るように度数が設定されるのが普通である。そのほうが近くにピントが合わせやすく、日常生活で快適だからである。遠くに最もピントが合わせやすいように度数を設定すれば1.5や2.0の矯正視力が得られる人でも、実際に日常生活で使う近視用眼鏡では0.7から1.0程度の矯正視力しか出ていないことが多いのはそのためである。近くのもの、例えば本を見る際に眼鏡を掛けたまま見ても、正視の人が裸眼のまま近くを見たときほどには目に負担がかからないが、さらに負担を減らしたいならば、支障が無い範囲で眼鏡を外した方が目の負担が減る。目の負担と近視の進行には関係がないが、負担を減らしたほうが快適に近くを見られる可能性がある。
TVの見過ぎ、テレビゲームのし過ぎ、あるいはPCの使い過ぎで近視になるという事がよく言われるが、いずれも科学的根拠は無い。目の疲労や仮性近視の原因にはなるが、その事と近視には関係があるとはいえない。
これにも科学的根拠はない。正しくは「近視だと本を読む姿勢が悪くなる」である。ただし、近視の問題は別にして姿勢が悪いのは健康に良いことではない。
勉強をし過ぎると、或いは本を読み過ぎると近視になると言われるが、誤りである。ただ「近視の人はよく勉強をする」とは言えるかもしれない。
即ち、将来近視になる人は小学生のころの遠視が弱いので長時間勉強を続けても目が疲れにくく勉強の習慣が身に付きやすいが、逆に将来近視にならない人は小学生のころの遠視が強いので長時間勉強をすると目が疲れてしまい勉強の習慣が身に付きにくい。
教科書やノートの文字を長時間見ていると、目が近くを見る状態で凝り固まり柔軟性を欠き、結果として近視の原因となるとされることがあるが、科学的根拠はない。眼精疲労の原因にはなるが、それと近視とは別問題である。また、もしそうならば、遠視の人は遠くを見ていても近視の人が近くを見ているのと同じ状態なので、遠視の人ほど目が近くを見る状態で凝り固まって柔軟性を欠き結果として遠視が治るはずだが、実際には遠視は決して珍しくない。自覚のない軽度の遠視を含めれば、近視でない人のほとんどは遠視である。

[ 165] 近視 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E7%9C%BC



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