存在とは?

存在(そんざい、existence)とは、この世界の多様な現象を把握するために、一定の条件を満たした現象群を統合した呼称。一般的にはその現象群が物理的因果関係を持つ時、その現象群は存在する、と認識される。例えば何らかの塊に力を加えて動いた時、我々はその塊が物理的に存在すると認識する。そして、その表面の色、模様、感触から材質が木である事が分かり、又、形状から機能を推定する事でその塊を「椅子」として認識する。
又、そのような物理的存在を過去や未来、或いは別世界に移動して想像する時にも、その物は存在すると考えられる場合もある。例えば、椅子を動かしたという記憶がある時、我々はその椅子がかつて存在していたと考える。又、多世界論理では様々な世界にそれぞれ椅子が存在し、(椅子に腰掛ける時)我々の意思がそのうちの一つを選択するという形而上学を展開する。これらの存在感覚の底辺を成していると思われるのは「実存感」(reality)であると思われる。
科学的な物の考え方によれば、現実世界は、感覚的に受け取れる物事から構成されている。地球から遥かに遠い星々も、肉眼か、でなければ望遠鏡などを使って観測する事ができ、それゆえに「あの星は存在している」といえる。細菌など微視的な事物についても同様である。
一般に自然科学は存在する物事についての理論的説明であり、理論によって予測された通りの振る舞いが、実験や観測によって確認できるかどうかを頼りに考察を積み重ねていく営みである。そこで、観測不可能なものについては、科学的には存在しているともしていないともいう事が出来ない。
このように観測や実験を通じて確認出来る存在は、しばしば科学的存在と呼ばれ、神や超常現象、死後の世界などのように確認する事の出来ない物事と区別される。又、多くの観察や実験結果と一致するような既存の科学の理論と大きく矛盾をきたす物事は、その存在が疑わしいとされ、科学的存在とは考えられない。
社会的存在という考え方もあり、これは簡単に言ってしまえば、その人物の社会における尺度を軸にその存在をはかるものである。社会における尺度は、社会的地位や、社会に対する影響力などがある。(例えばショパンは音楽界において重大な存在であるが、当時は音楽家の社会的地位は現代よりは低いものとされていた。)
社会的地位が高いと見做される職業に就いていたり、社会的重要性や貢献度の高い業績があれば、その人物は社会的に存在すると言えるが、逆にその人物でなくても代用可能な労働をしている者、また、昔の隠者、現代の引きこもりやニート等はそれぞれ、社会的には存在が応分に希薄であると言える。 存在価値も参照。
感覚が必ずしも頼りにならない事は、錯覚や幻覚、夢などを通じて多くの人が感じ取っている。又、人によっては、時間や空間のどこかに「果て」のようなものがあるとしたらその「向こう」には何が在るのか、あるいはただ無が存在しているのか、無が存在出来るのか、といった素朴ながら答えがたい疑問を持つ事もある。あるいは、自分が経験している物事全てが実は夢なのではないか、自分はいつかそこから目覚めてまったく違う世界にいるのではないかという可能性も、文学や漫画などでしばしば採り上げられる。そうした考えを突き詰めると、自分が普段接している物事が本当に存在しているのか、自分が普段は存在していないと考える物事(架空の物事、信仰の対象となっているが信じていない人々には感じ取れない物事、など)は本当に存在していないのか、といった迷いを持つ事もある。
諸々の宗教の中には特殊な体験(神の顕現や悟りなど)を通じて通常の感覚では捉えられない物事に遭遇する場合もある。それに基づいて、日常感覚や一般に「科学的」といわれるような存在や現実世界についての理解が誤っているとされる事も少なくない。
哲学においては、古代ギリシアのプラトンやアリストテレス以来、存在をどう捉えるかについて様々な考え方が提出されてきた。近代の哲学者の間でも、「物自体」は決して知る事が出来ず、それゆえ、ある物が「在る」かどうかについては断言は出来ないのではないか、という疑問は繰り返し提起されてきており、第一級の思想家と見なされている人々の間でも意見の一致を見ていない。
しかし、以下の事はいいうる。それは、西洋哲学史においては、「存在」が「無」よりも遥かに大きな重要性を持っており、無は存在の否定としてしか扱われなかったという事である。このヒエラルキーは、存在(Being)に対して無が非-存在(Non-being)としか呼ばれない、という言語的な事実によって裏付けられる。
また、マルティン・ハイデッガー以降、「基礎的存在論」と呼ばれる哲学の一分野が大きく取り上げられるようになった。ハイデッガーは「存在者」(Seiende、ザイエンデ)と「存在そのもの」(Sein、ザイン)を分け、前者は後者を生成の根源とすると考えた。自然科学は「ものが存在する」の「もの」すなわち「存在者」の方を問い、「存在すること」その事は問わない。しかし、ハイデッガーなどは、まさに「存在すること」その事を問うたといえる。この問いは純粋に哲学的で、一般に理解されている自然科学の存在の理解とは次元が異なる話である。どのようなものが「存在する」にせよ、「存在する」という事だけは変わらない。ちなみに、この問題を最初に定式化したのは、古代ギリシアのパルメニデスである。彼は、その詩的な著作の中で、「存在するもののみが存在する」とし、「無は無い」と考えた。ただし、これも又、自然科学がしばしば取り上げる「無」とはそもそもの次元が異なる議論である。西洋の無は、存在の否定であり、本当の意味で「無い」という事である。よって、無を考える事は出来ない。 一方、ハイデッガーやパルメニデスにおける「存在」と、東洋的な「絶対無」との関連を指摘する声もある。代表的な論者は井筒俊彦であるが、ハイデッガー自らもこの事を認めていると見られる。すなわち、存在も絶対無も突き詰めれば同じ事柄をいっており、それが世界のありかたの根源的な次元である、と考えられている。ここでいわれている絶対無は単なる非-存在(Non-being)ではなく、無でありながらも、存在と無の対立を超えてそれらを包摂するような「存在者を生じさせるもの」である(無の項目を参照されたし)。
一部の理論物理学では、宇宙の誕生の過程やミクロの世界の物質の振る舞いを数学的に考察する中から、我々の現実世界以外の平行宇宙や虚時間における物理過程などに言及する事がある。ここでは、現実世界として一般に考えられているような世界の外があり、そこに何かの物事が存在、進行していると呼べば呼べそうな事態がある。
又、コペンハーゲン解釈と呼ばれる量子力学の有力な一解釈によれば、物質を量子のレベルで把握する場合、そこには細かな粒子状の存在物とそれらを隔てる空間とがある訳ではないとされる。単一の量子は空間内に広がりを持って確率的に分布しており、特定の一点に存在する訳ではない。観測行為が起こると、そこで初めて、特定の位置が確定される。(シュレーディンガーの猫、アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックス、ベルの定理も参照のこと)
以下に挙げる例は、物質や物体のように何らかの実体を持つと見なされる存在の例である。物質や物体と同様にこれらの実体もまた、現象、運動、反応、変化を起こすことができ、精神現象、社会現象などというものがある。これらの中には実際にはなんらかの現象、運動、反応、変化を見ているだけで、実体と言えるものはない場合もあるが、どこまでを実体と見るかは文化的歴史的に複数の見方があることが多い。
物質。 多くの現代人の通念としては、物質ばかりが実体的存在として重視される傾向がある。だが、相対性理論によれば物質(質量)も、あくまでエネルギーの状態のひとつにすぎない。物質は反物質と衝突すると対消滅を起こし、いわゆる"物質"としては消滅し、質量がエネルギーとなって放出される。(比較的身近な例では「ポジトロン断層法」、「陽電子」の項が参照可能)
生命 生物は物質でできているが生命は物質ではない。ただし現代的自然科学の見方では生命または生命力という実体があるわけではなく、生命活動や生命現象があるだけである。
情報。 情報はエネルギーの様々な状態である電磁波、磁界、光、"物質"などにより、変化自在に運ばれ、表現される。いわゆる"物質"には必ずしも依存してはいない。

[ 118] 存在 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%98%E5%9C%A8

神の存在証明 (かみのそんざいしょうめい,英語:Arguments for the Existence of God) とは、主として、中世哲学における理性による、神の存在の根拠の提示を意味する。神の存在は、諸事物の存在が自明であると同様に、自明であったが、トマス・アクィナスが『神学大全』において取った立場が示すように、神は、自然なる理性においても、その存在や超越的属性が論証可能な存在である。このように神の存在を、理性(推論)によって導出する手順が、「神の存在証明」と呼ばれる。神の存在証明は、古代から中世にかけての哲学的思索のなかで、代表的には三つのものが知られ、これに、三つの神の存在証明をすべて論駁し否定したイマニュエル・カントが、彼自身の哲学の帰結として要請した「神の存在」の根拠が加わって、四種類が存在する。
また、この四種類の存在証明は、いわば典型的な論証形式のパターン区別に当たり、他の様々な個別的な思想家による、神の存在証明の試みがあった。
宇宙論的証明:因果律に従って原因の原因の原因の…と遡って行くと根本原因があるはず。この根本原因こそが神だ。
前三者は、カントが『純粋理性批判』において中世以来の神の存在証明をその論駁のために独自にまとめたものである。しかし、神の存在証明の分類としてよくまとまっているため説明の際にしばしば使用される。
世界の事物は、自明的に存在し、それらはきわめて精妙かつ、壮大な秩序と組織原理を持っている。太陽や星の運行を見れば、その規則性には驚くべきものがある。あるいは、植物の花や葉や枝などを見ると、信じ難い精巧さで造られている。動物の身体などは、更に精巧で見事であり、人間となると、もっと精巧である。しかも自然世界は、草を食べる牛がいれば、牛を食べる狼や人間が存在し、空から降る雨は、適切な季節に大地を潤し、植物の生長を促し、その実の熟成を、太陽の光が促す。
このような精巧な世界と自然の仕組みは、調べれば調べるほど、精巧かつ精妙で、人間の思考力や技術を遥かに越えている。世界に、このような精巧な仕組みや、因果が存在するのは、「人知を超越した者」の設計が前提になければ、説明がつかない。すなわち、自然の世界は、その高度な目的的な仕組みと存在のありようで、まさに神の存在を自明的に証明している。
アンセルムスが、このような形の神の存在証明を試みたので有名である。しかし、この証明は中世哲学において、極めて一般な証明議論であった。
この証明は、カントが論破したことで有名であるが(目的論的証明も宇宙論的証明もカントによって論駁された)、「存在する」という事態を、「属性」として捉え、例えば、次のような論理を述べる。「存在するという属性を、最大に備える存在者が存在する。何故なら、存在するという属性は、他の存在者もすべて備えているが、そのような属性を「最大に持つ者」は、まさに、自明的に存在するからである」
中世哲学で、「宇宙論的証明」と呼ばれる神の存在証明の論証手順は、古典ギリシアのアリストテレスに遡る。事物や出来事には、すべて「原因」と「結果」があると考えたのはアリストテレスである。従って、神の宇宙論的証明は、アリストテレスがすでに行っていた。
中世スコラ哲学は、13世紀の「アリストテレス・ルネッサンス」の言葉で知られるように、アラビア・スコラ哲学を介して、古代ギリシアの哲学者、とりわけアリストテレスの思想を取り入れたところで成立したとも言える。トマス・アクィナスは、アリストテレスの根本の原因者の概念を、キリスト教の神に当て嵌めて、この証明を行った。
すべての事物や出来事には、必ず原因があり結果がある。これは原因とか結果の概念は何かを考えれば、必然的に妥当な命題である。ところで、宇宙には、運動している物体がある。物体が運動するには、何か原因がなければならない。原因となった出来事が存在して、はじめてこの宇宙での物体の運動という出来事は説明される。そこで、原因となった出来事を考えると、この出来事にもまた原因がなければならない。こうして考えると、出来事の「原因」の序列は、より根本的な原因へと遡行して行くことになる。しかし、この過程は「無限」ではないはずである。宇宙には「始まり」があったのであれば、原因が無限に遡行するというのはおかしい。それ故、一切の運動には、原初の根源原因があるはずであり、出来事の因果は、この根源原因よりも先には遡らない。これこそ「神」であり、宇宙に運動があり、出来事があるということは、その根源原因である「神の存在」を自明的に証明している。
この証明に対し、出来事の原因と結果は、必ずしも一対一ではないという考えがある。原因は一つとは限らないし、結果も一つとは限らない。しかし、原因が仮に非常に多数あったとしても、それらの多数の原因となる出来事の原因を尋ねて行けば、やはり、根源の宇宙の初原の原因に辿り着かざるを得ない。この初原の原因が、すなわち神である。
あるいは、神の世界創造を否定して、宇宙の時間は無限にあるなどという議論も可能かも知れない。原因は無限に遡行して、根源の原因には辿り着かないという可能性である。しかし、我々の世界はそもそも「有限の世界」であり、宇宙が無限だというのなら、そのような宇宙は、この世界に対し超越的であり、超自然である。もし無限の宇宙があるなら、それこそ神の存在の明証である。このような論証を、「神の宇宙論的証明」と言う。
カントは理論理性によっては神の存在証明はいかなる形でも行えないと考えた。しかし道徳的実践においては、実践理性の必然的な対象である最高善の実現のために神の実在と魂の不死とが要請されるとした。
カントは道徳法則に従うことを善としている。道徳法則に従った行為をなしうる有徳な人間は最上の善をもつ。しかし、有徳であるだけでは善は完全でなく、善がより完全であるには有徳さに比例して幸福が配分されねばならない。徳とそれに伴う幸福との両立が完全な善としての最高善である。まずもって不完全である人間が最も有徳であるためには無限な時間が必要である。そこで永遠に道徳性を開発せねばならず魂の不死が要請される。また、この徳と幸福の比例関係の保証は神によってなされるしかありえない。それゆえ、神の存在が道徳的実践的見地から必要とされるのである。
四種類の存在証明は、基本的なパターン分類であり、一人の思想家・哲学者の神の存在論証において、これらのパターンの一部が使用されたり、また複合形で論証が行われたりする例もある。
近世以降にも神の存在論証はあるが、それぞれの思想家で、何を強調するかのバリエーションであるとも言える。「神の不在証明」の問題と共に、人間の思想の歴史を通じて、世界の根源、存在の根拠、人間の存在意味などを問いかけるとき、神の存在と不在の議論がそこには恒に伏在しているとも言える。
例えば、スピノザは神とは「自然」であるとしたが、自然の存在は自明であり、そうとすれば神の存在も自明となる。しかし、このような形の議論は存在証明というより、存在の独断であるとも言える。対し、精神(思惟実体)と物質(延長実体)の二実体論を提示したデカルトの思想では、精神と物体が調和している根拠が不明であり、しかし、にも関わらず、現に精神と物体の調和性が存在することは、両者の仲介者としての「神の存在」が、ここから導かれるとも言える。
あるいはスピノザの場合でも、彼の語る自然は、必然法則を備え、更にその法則は倫理的法則でもあって、物体世界と精神世界が一元論的に統合され、かつ、このような一元実体が倫理的な必然法則を備えるとというのであるから、このような意味では、スピノザの思想そのものが、神の存在証明になっているとも言える。
以下の逸話で語られているニュートンの神の存在論証も、ニュートン力学の構成によって彼が辿り着いた、「神の目的論的証明」のバリエーションだとも言える。宇宙の物体の運動に、想像を絶して精緻な数学的秩序を見出したニュートンが、このような法則構造は、人間の能力を超えた「超越者」の「設計」によると考えるのは、現代の数学者が、抽象数学の定理に、永遠的な美や形而上学的意味を感得するのと似た事態である。
ニュートンは太陽系の模型を上手な機械工に作らせた。その太陽系模型は、惑星を表わす球体が実物そっくりに連動しながら軌道上を回るように作られていた。
ある日、一人の無神論者の友人がニュートンを訪ねた。友人は模型を見るとすぐにそれを操作し,その動きの見事さに感嘆の声を上げた、「だれが作ったのかね?」。
無神論者は言い返した。「君はきっと、わたしのことを愚か者だと考えているのだろう。勿論、だれかが作ったのに違いないが、その人は天才だな。」
ニュートンはその友人に言った。「これは、君もその法則を知っている、はるかに壮大な体系のごく単純な模型に過ぎないものだ。わたしはこの単なる玩具が設計者や製作者なしに存在することを君に納得させることができない。それなのに、君は、この模型の原型である偉大な体系が設計者も製作者もなしに存在するようになったと信じている、と言うのだ!」
18世紀の数学者レオンハルト・オイラーは、ロシアに滞在していた時、エカテリーナ女王から「ディドロが無神論を吹聴しているので何とかしてほしい」という依頼をうけた。オイラーはディドロと対決し、
と問いかけたところ、数学の素養のないディドロは尻尾をまいて逃げた、というエピソードが語られている。無論、この数式は何の意味もないまったくのデタラメである。
20世紀のカトリック思想家で、考古学者であったテイヤール・ド・シャルダンの人間精神の進化思想と、その究極目標としての「オメガ点」の措定は、生物進化の多様さと精緻さ、その「目的性」という観点からは、「目的論的証明」の一種であるとも言える。またオメガが、人間の倫理性から進化するとの考えからは、「道徳論的証明」の一種とも考えられる。
また、20世紀後半以降、「人間原理」の概念が提唱されている。これには「弱い人間原理」と「強い人間原理」があるが、とりわけ強い人間原理の思想的背景は、人間の現象の意味の根拠として、「神の存在」を論証していると解釈することも可能である。
この「神の存在証明」は、哲学に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正して下さる協力者を求めています。(Portal:哲学)

[ 119] 神の存在証明 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AE%E5%AD%98%E5%9C%A8%E8%A8%BC%E6%98%8E

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存在そのものに対する疑問は哲学者で誰が研究されたことがありますか?できるだけ世界的に有名な哲学者の名を挙げてください。できれば著書もお願いします。
存在は人間に認識されて初めて価値を持つでしょう。しかし人間が認識せずとも、それは存在し、そのものは自然界においての自らの役割を果たします。存在って何なのでしょうか?
>存在は人間に認識されて初めて価値を持つでしょう。しかし人間が認識せずとも、それは存在し、そのものは自然界においての自らの役割を果たします。
>これは現時点での私の結論ですが、 存在は価値や意味を持つようなものじゃない。 意味や価値がると誤解し、それを追求していまう というのが人間という自然法則だと思います。
この結論大変興味をそそられました。存在を確かめようとする行為が存在そのものに影響を与えたり、存在が無と相対的な状態である。無も状態である。
ハイデッガーは難しいぞー、私は挫折しました。認識論、現象学、実存主義、まあ、それぞれ、異なる視点から存在とは何かを論じていますが、「存在」とはなにかを真正面から論じているのはハイデッガーだけだという話です。デカルトは「我」の存在、認識論は存在をどう「認識」するか、現象学は「認識された」存在のありかた、ハイデッガー以外の実存主義は「どのように」存在するかを問題にしているような気がします。
この回答へのお礼ハイデッガーは文庫本で「存在と時間」を買ったまま、難しさに、積読状態です。もう一度挑戦してみます。
私は質問を読んだ後、直感でデカルトの「我思う、故に我あり」の哲学がお求めになっていらっしゃる回答になり得るのではないかと思ったのですが。
この回答へのお礼デカルトの方法序説も積読状態でした。やっと読むための精神状態になったんですね。いやはや、真実の追求の旅に出ます。
存在する人間がいるから、自然は存在する考えが観念論で、自然は存在するから、その社会的存在によって人間を認識することができると考えるのが唯物論です。
観念論と唯物論の比較検討が「存在」についての理解を深める事ができるでしょう。下記ページを参考にしてみてください。
この回答へのお礼>存在する人間がいるから、自然は存在する考えが観念論で、自然は存在するから、その社会的存在によって人間を認識することができると考えるのが唯物論です。
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[ 120] 「存在」について -OKWave
[引用サイト]  http://okwave.jp/qa533498.html

ごくわかりやすいエピソディックな話を二、三案内して、『存在と時間』という、とてつもなく難解な哲学書を柔らかくしておこう。 まずは、意外かもしれないが、女の話をしておく。
というのも、ハイデガーの存在学(ontology)は、荒っぽくいえば、存在が存在するということで、こんなことをどうして考える必要があるかと問うたわけである。
およそ世界に存在しないものなんてないはずだ。宇宙も杉も、ライオンも病原菌も、人間も書物もテーブルも、存在しているのは当たり前である。そんなことをわざわざ考えに考えて哲学にするには、世の中の存在というものをいったん否定するか、それとは逆に、まるごと許容する以外はなく、いずれにしても、存在の発現が存在の終焉に触れあいながら存在しているのだということを、自分という存在を賭けて感じる必要がある。
このことを実感できる最も身近なことは、むろん虫や星や音楽に夢中になってもいいのだが、時期によっては男と女がどのように感じあえるかということが、最もセンシティブである。とくに若いあいだは、このことに勝る存在の感じ方はない。それで女の話なのである。いや、男の話でもかまわない。
ハイデガーがその女学生を虜にしたいと切に感じたとき、その女学生は18歳だった。写真を見てもらえばわかるように絶世の美少女だった。ハンナ・アレントである。
かくしてハイデガーは1924年にフライブルク大学からすでにマールブルク大学に移っていて、そこの哲学教授になったばかり、35歳である。その教室にアレントが来た。
アレントはただちにハイデガーが「思考の王国を統べる隠れた王」であると見抜いた。またそこには、「中世騎士道物語から抜け出したような意志」があると見えた。が、これだけでは、何もおこらない。ハイデガーも突拍子もなく、ときめいた。ハイデガーは自制心の強い男ではあったけれど、アレントの魅力が飛び抜けすぎていた。ハイデガーはアレントを、アレントはハイデガーを求めあった。むろん不倫だった。
アレントはこのときのことを、のちに「ただ一人の人への一途な献身」を募らせたと回顧している。 不倫というのは、すでにハイデガーはエルフリーデという、これもたいへん美しい女性と結婚していたからだ。それでも、ハイデガーはアレントにぞっこんになった。その数年後、『存在と時間』の前半部が刊行された。時期からいえば、アレントを貪りながら草稿を書いていたといったほうがいい。 ハンナ・アレントについては、すでに第341夜に『人間の条件』を採り上げておいた。
ここで最低限に付け加えておくべきは、アレントがユダヤ系であること、ハイデガーと出会う前の14歳のときに、池田晶子の『14歳からの哲学』ではないけれど、はやくもカントやヤスパースを耽読していたこと、16歳になるとギリシア語で古典作品を読んでいたこと、それから、流行の服を着るのが好きな、やけに目立った学生だったこと、とくに緑色を好んだので、学生のあいだで「みどり」と呼ばれていたことなどである。さらに詳しいことを知りたいなら、エリザベス・ヤングブルエールの大著『ハンナ・アーレント伝』(晶文社)を読まれると、よい。
もうひとつ付け加えておくと、エルフリーデとハイデガーが結婚するきっかけはドイツ青年運動に共感したせいだった。ドイツ青年運動がどういうものかは、第749夜に書いておいた。
ハイデガーはこのように、自分が苛烈になるときには、そこにつねに異性の存在があったのである。 最初に男と女のことを持ち出したけれど、むろんハイデガーが世間体を忍んでまで男女の恋愛に入っていったのには、いくつかの背景がある。身体と時代の生い立ちに関しての背景だ。
ハイデガーは病弱だった。ときどき心臓発作がおこる。それが25歳くらいまで何度か間歇的に続いた。 生きようとすると、死にかける。ずっと病気なのではなく、間歇的であることが気になる。このことがハイデガーの思索に微妙に影響を与えた。そして、どちらかといえば、“彼岸的な生の価値”のほうに思想的関心が動いていった。
このことはハイデガーの生い立ちとも少なからぬ関係がある。ハイデガーは南ドイツの田園地帯(バーデン州)のカトリック教会の堂守の子である。かなり質素な生活だったようだ。それを伝来の信仰の日々が支えた。
生まれはパリ博でエッフェル塔が立った1889年で、「千夜千冊」に採り上げた人物でいえば、ハッブル、トインビー、ヴィトゲンシュタイン、コクトーとまったくの同い歳、いわゆるベルエポック世代だ。
しかしこの世代は、等し並みに第一次世界大戦で青春の蹉跌を受ける。兵士だけで900万人が死んだ。ベルエポックはヘルエポックになった。ハイデガーのばあいはそこに心臓疾患が加わった。
これで、聖職の道が断たれた。19歳でイエズス会の修道院に入るのだが、身体の疾患でそこを出た。ドイツは戦争の渦中にある。ハイデガーはしだいに「死を通じて生へ」(per
mortem ad vitam)という思考に傾いていく。彼岸から此岸への転戦だ。 かくてハイデガーは修道院からフライブルク大学に転じた。神学は哲学に変わった。 死をつきつめて考えるということは、存在の究極に思考を致すということである。しかしながら、生きたまま存在の究極としての死を考えるというのはいささか妙なことで(生と死を天秤にかけている)、この思考には何か別の回路が必要だった。
それをハイデガーは、当初は「擬死化の技法」(メレテ・タナト)が必要なのかと考えてみたのだが、どうもそれだけではすみそうもない。 すでにニーチェによって「神の死」が宣告されていた。ドイツの知識人はみんなそのことが気になっていた。が、いったい神の存在に代わるものなんて、あるのだろうか。
どうみても人間しか残らない。そこでハイデガーは人間という存在を考える。けれどもそれまでのような彼岸の目だけでは、人間は掴めない。むしろ、いまだやってこない「事実ではない死」よりも、どうやら、いまある「生の事実」の“裸”の現実ほうが重要になってくるようだ。
もっとも、その「生の事実」だって、ふだんはぼうっとしたままになっているか(生の朦朧性)、あるいはそこに埋没した耽落(Verfallen)のままにある。だから「生の存在」を感じるには、死や否定や放下や負といった回路をいったん媒介にしたほうが、感じやすいということになる。そこから見つめなおした人間という存在こそが、新たにハイデガーの相手にすべき存在問題だった。
この回路をへて残った存在というものが、有名な「現存在」(Dasein)という新概念として、次に投入されることになっていく。 こうしてハイデガーは「存在と死」から、「存在と生」という方向へ進んだのである。その時期にハンナ・アレントがかかわったのだ。
ハイデガーがアレントと不倫関係になったことと『存在と時間』が関係ありそうな書きっぷりをしたかもしれないが、まさにその通り。おそらく深い関係がある。互いに濡れながら、互いに哲学したといってよい。そのことを証明する気はないが、そんなことはすぐに見当がつくことだ。最近では、やっと刊行された二人の書簡集がそれを証している。
ただし、ハイデガーはのちにナチズムを称揚する態度を示して、たとえば1933年のフライブルク大学の総長演説では、国家社会主義的な国家の行方と教育の方針を重ねたりした。のちにハイデガーが「わが生涯最大の過誤」と苦痛に満ちて反省したことである。アメリカに亡命していたアレントは、そういう師を非難した。
アレントだけではなく、ハイデガーはマールブルク大学の次に母校のフライブルグ大学の哲学教授になるのだが、そこで最初の助手を勤めたヘルベルト・マルクーゼも師のナチズム参画を非難した。マルクーゼについては第302夜に『エロス的文明』を紹介しておいた。
ハイデガーがいっときナチズムに共感を示したことについては、このところずいぶん問題になり、それに関する研究もだいぶん出揃ってきた。ヴィクトル・ファリスの『ハイデガーとナチズム』(名古屋大学出版会)はそういう一冊だ。帯に「逸脱か、本質か」とある。
ただし、このような出来事は、むろん『存在と時間』を書いたのちのことになる。『存在と時間』の前半部を書きおえてから、ドイツは戦争の悲劇を乗り越えて、ヒトラーによる「異胎」に向かっていったのだ。 これで、初期のハイデガーをめぐる重要人物をあらかた紹介したことになるのだが、もう一人、重要な影響を与えた人物がいる。エドムント・フッサールである。
これもわかりやすくするため、エピソディックに紹介しておく。 神学から哲学に移動したハイデガーは、大学に入ってまもなくフッサールの『論理学研究』や『算術の哲学』を図書館から借り出して、読み耽っている。そのフッサールがフライブルク大学にゲッチンゲンから転任してやってきた。
フッサールはすでにゲッチンゲン時代に「現象学的還元」という方法を“発見”していて、これによって、われわれのふだんの意識においてなんとなく働いてしまっている世界との信憑関係を遮断して、超越論的な意識をあからさまに取り出すことができるというようなことを、提案していた。これが『イデーン』Iという成果になった。
着任後のフッサールはハイデガーを気にいるが、フッサールがゲッチンゲンから連れてきた弟子の女性エーディット・シュタインはハイデガーを気にいらない。大学なんて、いつもこういうことが渦巻く社会なのである。
ちなみにフッサールという哲人はかなり愛国的な人物で、夫人が反戦を主張する独立社会民主党(その左派がいわゆるスパルタクス団、のちのドイツ共産党)を支持すると、のべつ夫婦喧嘩をするようなところがあった。次男が戦死していて、その悲痛との対峙もかかわっていた。 一方、ハイデガーは第一次世界大戦のため戦時勤務と国民軍観測隊に編入したので、師弟の研究活動はいったん中断、その後、復員してやっとフッサールの第一講座の助手となった。
ここでハイデガーは現象学の方法をあらためて学び、「概念構成以前」とか「体系構成以前」という方法を思いつく。“現在”“いま”“ここに”にいるという立場をもって、現象学をやろうとした。これはさきほど書いた「生の事実性」にもとづく現象学を試みるということにあたっている。のちにアメリカン・ヒッピーやニューエイジが好んだ“be,here,now”とそれほど変わりない。
ただ、ハイデガーはこういう方法による現象学的思索を難しく「根源学」(Urwissenschaft)と呼んで、根源的な体験をすることを「原体験」とか「環境体験」と名付けた。 根源的な原体験といったって、これだけでは何のことかわかりにくいだろうが、ハイデガーが現象学の定義として使った次の説明から察すれば、多少はわかりやすい。
ハイデガーは現象学を、「みずから示すものを、それ自身でみずからが示すとおりに、それ自身のほうから見えるようにすること」というふうに捉えた。ようするに、「それ」を最低限の方法で示すことによって、かえって「それ」が「それ」自身を示すようにすること、これを重視したのだ。実質的な叙述には頼らずに、暗示的にほのめかすといってもよい。それがかえって根源的な体験を、それを示した者に維持させるのである。
しかし哲学では、ほのめかしを文芸するわけではないから、ここに最低限の概念をポンと入れこむ。たとえば「現存在」とか「世界内存在」というふうに。
こういう最小限の概念投入を、ハイデガーはあまりいい言葉ではないが、「形式的指標」(die formale Anzeige)の投入だとみた。指標が必要だと感じたのだ。
こうしてポンと投入された「それ」は、“それ”自身として示されただけなので、あとは「それ」としての開示を“それ”がしていくしかない。なんだか変な方法に思われるかもしれないが、これがハイデガーの異能による“発明”だったのである。
この方法はぼくも以前から大好きな方法で、ぼくのばあいは、たとえば「遊星的失望」とか「最も過激なフラジリティ」とか「分母の消息」とか「負の山水」といった言葉で投入してきた。
こういう言葉は、それ自体としては意味が掴めないようになっていて、にもかかわらず、その言葉が或る文脈や或る場面に入ったとたんに、劇的に動き出すようになっている。ハイデガーは、この投入法に気がついたのだ。 ハイデガーにとってはこのような方法は、従来は健全だとおもわれてきた二分法による思考(昼と夜、善と悪、男と女、国家と個人など)を、一挙に宙づりにして、そこから脱出して新たな思考に入ることを、つまりは根源に入ることを意味していた。
なぜなら、「それ」は最小限にまで穿たれることによって、かえって燦然と輝いてくるからだ。ぼくの言葉でいえば「負の方法」の自覚ということになる。 さて、こんなような「存在の現象学」に熱心になってきたハイデガーは、すでにフッサールの現象学からしだいにはずれていた。師と弟子は、エンサイクロペディア・ブリタニカの「現象学」の項目執筆を前に、意見の対立が目立つようになる。しかし、フッサールの『内的時間意識の現象学』はハイデガーの編集によるものだった。
ハイデガーはマールブルク大学の哲学教授に着任し、そこで女学生ハンナ・アレントにぞっこんになる。このあとフライブルク大学に戻るまでのあいだが、『存在と時間』を苛烈に執筆した時期になっていく。
ということで、やっと『存在と時間』の説明に入っていくことにする。 80歳になったハイデガーが若き日々の『存在と時間』をふりかえって言った説明がある。きわめて端的なもので、「あれは、思考の場所の革命だった」というものだ。
まさに、そうなのである。 近代哲学というものは思考を意識の中にもちこむことによって成立した。デカルトのコギト(自己思考・意識主体)とはそういうことだ。ハイデガーはこれを嫌って、意識が慣れすぎた場所から、ふいに「べつ」や「ほか」に移すための方法を開示した。その瞬間移動の中間に“裸の場所”があり、そこにポツンとおかれた存在の“裸の姿”が、いわゆる「現存在」(存在を理解するための特異な存在者)なのである。
この現存在はそのようにポツンとおかれることによって、自身が次の開示を遂げる可能性をもっている。つまり、そのような現存在は、そもそもが「世界内存在」(In-der-Welt-sein)になりうるのである。 この稿のはじめに、「宇宙も杉も、ライオンも病原菌も、人間も書物もテーブルも、存在しているのは当たり前。そんなことをわざわざ哲学するには、世の中の存在というものをいったん否定するか、まるごと許容する以外はない。いずれにしても、存在の発現が存在の終焉に触れあいながら存在しているのだということを、自分という存在を賭けて感じる必要がある」と、書いた。
この「存在を賭けて感じる」ための媒介的な拠点が、現存在というギリちょんに剥いだ人間の姿なのである。 さて、以上のことは、だいたい見当がついただろうか。ついたとして、話を進めるが、世の中の存在として、もうひとつ素材にあげなくてはならないことがある。
それは、宇宙や杉や人間や病原菌やテーブルが存在するとしても、では、時間はどうなのか。思い出や音楽は存在するのか。それらは存在といえるのか。恋や食欲や関係は存在するといえるのか、そういう問題だ。
これはなかなかの難問で、ハイデガーもアタマを悩ました。『存在と時間』の悩ましさは、このあたりかをなんとか切り抜けようとする“もがき”からくるといってもいい。しかし、ハイデガーはここでも驚くべき執念と異能をもってこれを踏破した。
では、その踏破ぶりを、一気に駆け抜けて短絡してみたい。すでにそのようにしてきたが、ハイデガーが最小指標として投入した概念にはドイツ語がつけてある。 ハイデガーは『存在と時間』を書く前に、すなわちハンナ・アレントと密(蜜?)になっていたころ、『仮面論』『根拠とは何か』を書いて、そこで「世界というものは日常的な現存在が演じている演劇のようなものだ」と指摘していた。
つまりハイデガーがいう「世界」は世界劇場なのである。その舞台は、それを知ったときには、すでになんらかの演劇が進んでいるというような、そういう舞台世界のことをいう。われわれは自分に気がつくと、そこにいる。
ということは、われわれは当初から共世界的(mitweltilich)で、存在そのものが世界内存在で、ようするに、はなっから世界制作的だということになる。
こうしてハイデガーは、すでに存在は世界(世界劇場)に投企(Entwurf企投)されていると考えた。 ただし、この投企に気がつかないでは、これは埋没であり、耽落(Verfallen)である。ちなみに、このヴェルハーレンというドイツ語の概念は、ハイデガーがけっこう気にいっていた埋没概念で、ぼくにはすぐに六本木のディスコが思い浮かぶ。
ともかくも、このようにすべてを「世界内存在」としてみれば、ここに主体と客体というような二分法をもちこむのは、まったくムダになってくる。それならまだしも世界と人間の関係を、スケーネー(場面)とドラーマ(活動)とペルソナ(役柄)に分けて見たほうがいい。誰だって、このいずれかの渦中にいるはずだ。
そこで問題は、この“降りられない舞台”で、いったんは耽落した自身が、いよいよ何にめざめていくかということ、このことになる。 世界劇場においては、われわれは“役柄の自己”から始まっている(たとえば氏名をもっている、学校の生徒だ、居住の住所がある、肩書がついている)。
それゆえ、この役柄を耽落から出て、捨てるにあたっては、そこに待ち構えている“本来の自己”をちゃんと覚悟しておかなくてはならない。だって本来性というものは、急に剥き出しに露頭してくることもあるからだ。それができないようならば、まだしも役柄を続けていたほうがいい。
つまりは、耽落から一歩めざめれば、そこは役柄がはがれて裸の存在が見え隠れする。このことを知っていなければならない。 問題は、この自分の奥にある裸の自己がどの程度のものかということだ。インチキかもしれないし、見るに堪えられないかもしれない。
こうしてハイデガーは、この裸の自己をそれなりに覚悟しておくことを、存在学(存在論)としたわけである。そのためには、ハイデガーは最低でも、二つのことが必要になると見た。 第1には、その本来の自己に先立つ思想をもつことだ。突然に裸の自己を見ようとしたって、うまくいくわけがない。がっかりするか、動物的な本能に負けていくか。そのどちらかだ。
そこでハイデガーは「自身に先立つこと」(Sich-vorweg)を第1にあげた。あらかじめ「それ」に先立つようにすることだ。 これはどういう意味かというと、「それ」としての本来の自己は、役柄の自己からすると「外」にあるものなのである。「ほか」や「べつ」なのだ。だから、「それ」をあらかじめ凝視していなければならない。そして、その「外」へ脱自していくことを惧れないようにしなくてはならない。
第2に、そのように「それ」を想定できるのなら、その本来自己と役柄自己とのあいだで、自由に「自身の取り戻し」(wiederholen)をすることを勧めた。
これは、もはや役柄に惑わされない存在を自覚できるということにあたっている。 ざっとこんな順番でハイデガーは、世界内存在における自己の二重性ともいうべきを、すばやく往復するような存在学を提示した。 さあ、そうなると、この世界劇場での時間というものは、演技上の時間を本来の自己の時間が刻一刻という単位で、如実させているということになる。また、その逆もおこっているということになる。その入れ替わりは、まことに速い。
この存在のすばやく入れ替わる二重性に関与している時間こそが、ハイデガーの時間論の中核にある「刻一刻性」(Jeweligkeit)、あるいは「刻時性」(Zeitlichkeit)なのである。
『存在と時間』というタイトルの「時間」には、このような特色があったのだ。ハイデガーの時間とは、刻一刻、生起と消滅を同時化する時間なのである。 ところで、このZeitlichkeitの“Zeitlich”というドイツ語には、そもそもが「はかない」とか「無常の」という意味をもっているということには、もうすこし注目が集まっていい。ぼくは『花鳥風月の科学』(淡交社)では、この“Zeitlich”を、万葉の歌から採って「まにまに」としたものだ。 これでおよその見取図が見えたと思うのだが、これらをまとめていえば、ハイデガーの存在学では、現前が不在であり、隠れることが現れることなのである。存在とは、このような現出の様式をもっているということなのだ。
ということは、存在には、究極の依り所なんてものはないのだということでもある。存在の起源や存在の理由をもちだそうにも、もちだせない。それが存在なのだ。 なんという変なものだろうか。
しかし、これこそは稲垣足穂が黒森の哲人ハイデガーに憧れた「ハイデガー存在学の無底性」という、まことにカッコよい考え方なのだ。
存在には底がない? そうなのである。存在は底なしなのだ。いいかえれば、存在が底なのである。これは『存在と時間』のひとつの結論ともいうべき提唱である。ハイデガーはこれをもって「存在の途方もない不可解」とも言っている。
しかし、いったいこれはどういう意味なのか。ここは難しく考える必要はない。たとえばペットボトルには底がある。その底で「生茶」や「十六茶」が支えられている。けれども、そのペットボトルの底自体には、底はない。バスの終点はたしかに終点である。けれども、その終点のバスストップそのものには、終点がない。
人間存在も、そのように底がない。それこそ、無底という底自体が発現した存在なのである。 存在とはそういうものなのだ。そのような存在の赤裸々の事実を知ることが、役柄を捨てても平ちゃらに本来の存在に向き合える方法なのである。
これをオントロギッシュ(存在論的)な方法という。「現存在」という人間の特異な存在性にかかわって人間存在を考えることをいう。これに対してモノを取りのけると、そのモノの行方ばかりが気になるような思考を、オンティッシュ(存在的)な考え方という。オンティッシュな見方には存在の開示という根本動機が欠けているわけだ。
ハイデガーはあくまでオントロギッシュであろうとし、これを「存在関与構造」(zu-Sein)とも呼んだ。 だいたい見えてきたと思うが、ハイデガーの存在学は喚起哲学なのである。投げかけ、なのだ。どこで喚起するかといえば、「近さ」(Nahe)で喚起する。また「あたり」(Gegend)で喚起する。
喚起してどうするのか。そこへ「放下」(Gelassenheit)すればいいんじゃないかと言う。 この「近さ」「」あたり」「放下」については、ここでは説明を省略するが、ハイデガー選集第15巻に『放下』(理想社)があり、また、短文ではあるが、『遊学』(中公文庫)に「無の存在学」を通したハイデガーの一端、すなわち関心(ソルゲ)の連続体としての存在にかかわる「差異の哲学」がどういうものであるかを、スケッチしておいたので、それらを読まれたい。
そこではぼくは、関係ABが存在の本質だと書いた。文末にリルケの次の言葉を引いておいたのも、参考にしてほしい。「われわれは、彼女よりも彼女の持ち物のほうに存在の本意を知ることがある」、というやつだ。
大急ぎで『存在と時間』の近道(猫道?)のようなところを走ってみた。むろんこれだけでは、ハイデガー存在学の部分要約にもなっていない。とくにハイデガーの後半期における思索について、何もふれはしなかった。
そこでは、世界の組み立ての構造(ゲシュテル)についての想定があって、ハイデガーが世界ニヒリズムと根本対決を迫っていく日々がある。必ずしも器用でなかったハイデガーが、さらに不器用にこの対決を試みる姿は、ぼくにはどこか痛ましい。ヘルダーリンは熟知しても、清元や新内に「東洋の無」を窺い知ることができなかったハイデガーは、どこか根本的な寂寞の微笑から、遠ざけられていたようにも見えるのだ。
そういうことはあるのだが、またナチズムに触れて感染症に罹ったハイデガーもいたのだが、ぼくはハンナ・アレントと燃えつつ綴った『存在と時間』のハイデガーの投企と放下にこそ、あいかわらず関心を寄せている。
また、そのようなハイデガーを、ハンス・ゲオルグ・ガダマーやエマニュエル・レヴィナスが何度も描きなおそうとしつづけたことに、いまは時間をさいている。 マルティン・ハイデガー。黒森の哲人。いまだその本懐がとげられない存在学の人。
ぼくとしては、もう少し深入りしたかったところだが、この先の話は、明日の夜の意想外の一人の日本人に託すことにする。

[ 121] 松岡正剛の千夜千冊『存在と時間』(全3冊)マルティン・ハイデガー
[引用サイト]  http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0916.html



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