携わるとは?

最近、全国の研究機関で研究活動における不正行為や研究費の不正使用が多発している。これは科学研究に携わる者が、科学研究が人類の平和と幸福そして発展のために、人類未踏の領域に果敢に挑戦して新たな知識を生み出す行為であるということ、そして学問の自由の下に自ら専門的な判断により真理を探求するという権利を享受しつつ社会からの信頼と負託に応えるという重大な責務を負っているということを、十分に自覚し得ていない結果であろうと考える。
このような状況の下で、我々高エネルギー加速器研究機構において科学研究に携わる者は、科学研究がより豊かな人間社会の実現に寄与するために、社会に対する説明責任を果たし、自らの行動を厳正に律する必要があることを強く認識する必要があると考え、行動規範を制定した。
この行動規範は、当面我々が認識すべき事柄を記載しているが、今後この規範に基づいて、不正行為への対応を軸としたガイドラインの制定等を行って行くほか、科学研究に携わる者が相互に忌憚無く議論し合える環境の整備を図っていきたい。
科学研究は、人類の幸福と発展のために、人類が未踏の領域に果敢に挑戦して新たな知識を生み出す行為である。
また、科学研究に携わる者は、学問の自由の下に自ら専門的な判断により真理を探求するという特別の権利を享受しつつ、社会からの信頼と負託に応えるという重大な責務を負っている。
したがって、科学研究がより豊かな人間社会の実現に寄与するためには、科学研究に携わる者すべてが、社会に対する説明責任を果たし、自らの行動を厳正に律する必要がある。
これらの認識の下、高エネルギー加速器研究機構は、機構で科学研究に携わるすべての者が共有すべき行動規範を制定する。
科学研究に携わる者は、科学の自立性が社会からの信頼と負託の上に成り立つこと及び自らの専門的知識、技術、経験を生かして、社会の安全と安寧、人類の健康と福祉、そして環境の安全に対する責任を自覚し、常に正直、誠実に判断し行動するとともに、科学研究によって生み出される知の正確さや正当性を、科学的かつ客観的に示す最善の努力をしなければならない。
科学研究に携わる者は、自らの研究の立案・計画・申請・実施・報告などの過程において、本行動規範に基づいて誠実に行動し、研究・調査データの記録保存や厳正な取り扱いを徹底し、自ら捏造、改ざん、盗用などの不正行為を行わないだけでなく、不正行為を見逃さず、不正行為が行われない研究環境の整備に努めなくてはならない。
科学研究に携わる者は、自らの行動において利益相反の有無に十分注意を払うとともに、自らの研究成果の社会還元や専門知識に基づく見解の提示においては、私益に対して公益を優先させなくてはならない。
科学研究に携わる者は、研究費が国民から負託されたものであるとの認識を強く自覚し、法令や関係規則を遵守し、適正に使用しなければならない。

[ 147] KEK:行動規範の制定
[引用サイト]  http://www.kek.jp/intra-j/news/2006/koudoukihan.html

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■ウェブキャリアからあなたへの約束■1.直請け案件にこだわり、エンドユーザーの顔が見える職場環境を用意します!!2.自分の可能性を最大限引き出せるWebのお仕事を常にご提供します!! 3.Web業界の下請け構造改革に注力し、エンジニアの社会的立場の向上を目指します!!4.人と人とのつながりを大切にします!!【事業内容】●Webアプリケーションの開発業務の受託事業●Webエンジニア向けの研修事業●Webエンジニア向けのキャリアカウンセリング事業●Webエンジニア向けの資格・人事評価制度構築事業●Webエンジニア向けの人材紹介・人材派遣事業■主要取引先: KBMJ、サイバー
代表取締役 川井健史学習院大卒業後リクルートスタッフィングに入社。「Webの世界で働く人がもっともっと楽しくなるような会社をつくろう!!」と決意。2006年1月株式会社ウェブキャリアを設立。
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[ 148] 上流から技術の幅を広げる!【サーバ/ネットワークエンジニア】 転職・求人 @type
[引用サイト]  http://type.jp/p/d/47340/

JRAの騎手になるためには、ここ千葉県白井市にある競馬学校に入学することをお勧めします。入学するための試験については、「募集要項」で詳しく説明していますので、そちらをご覧下さい。
まず、競馬学校の朝は5時40分に始まります。生徒の一日は検量(体重を計ること)を行ってからスタートします。各自の体重管理表に測定した値を記入し、ジャージを着て生徒寮の外に整列します。
点呼をしてからラジオ体操を開始します。体操が終わると駆け足で各自が担当している馬のいるきゅう舎へ向かいます。 各自2頭の馬を管理し、馬房の清掃や馬の健康チェック、飼い付け作業(馬のご飯)を行います。
を意味します。)食堂の入口に設置されているボードには各自 の体重推移表が張られており、騎手課程生徒達は自分自身で体重管理をしなければなりません。
8時になると実技訓練が始まります。実技では1年生の最初の頃は覆馬場(屋内にある馬場)で訓練を開始し、10月頃から実践的な競走姿勢であるモンキースタイルの練習を始めます。訓練が始まると実技教官から生徒に対して厳しい声が何度も飛びます。プロの騎手になるための訓練
なので、正しい騎乗フォームや扶助(乗り手の意志を伝える方法)ができるようになるまで徹底的に指導を受けます。
教官は3人体制で様々な角度から生徒の騎乗姿勢をチェックし、時には大声で注意を与え、場合によっては馬を止めて理解できるまでじっくり説明します。なぜなら、騎手の仕事は生命の危険を伴うものだからです。
1頭目の実技訓練に1時間30分を要します。実技が終了すると馬を馬房につれていき、鞍を外し、裏ホリ(蹄の泥を落とす。)をします。そして、2頭目の馬に鞍をつけ同じ訓練をもう一回やります。そし
午後1時からの2時間は学科の授業です。競馬学校で生徒たちは国語・社会・英会話・美術等の一般教科と、競馬人として必要な馬学・競馬法規・馬術学・競馬のしくみなどの専門教科の授業を受けます。
午後3時からは各自が管理している馬の手入れ作業が始まります。午後5時頃に馬の手入れ作業が終了すると、夕食を含めた2時間30分が自由時間になります。
生徒たちはその時間を利用して筋力トレーニングやランニングあるいは学科の勉強などをし、各自がそれぞれに必要な学習・鍛錬をします。午後7時に夜の飼い付け(馬の夕食)が終わると、就寝時間の9時まで引き続きスクワットや木馬を使った競走姿勢の訓練などの自主トレーニングをして、1日がようやく終わります。
以上のように、普通の高校生とは違い、生徒たちは規律ある生活の中で少ない自由時間を有効に使い、騎手になるという夢に向かって毎日自己を律した生活を送っているのです。

[ 149] 〜将来競馬に携わる仕事を目指したい君に〜
[引用サイト]  http://www.jra.go.jp/school/guide/guide2.html

(2)そのテーマに関する知識を仕入れたいが、医療人類学全般の知識がないために不明瞭である。そのテーマに関することだけが分かればとりあえずよい。
(3)専門家だがテーマに関する専門知識が不案内なため勉強の必要性があり、またその知識をより深めたい。
(d)ソクラテス教授法:方法論を中心にイデオロギーを伝授し、この学問の言説を行使することができる実践共同体を再生産する。
教師が教えたい目標と、学生が学びたい目標の関係により、伝える知識の量ならびに授業の強度が異なり、かつ最適な教授法があると考えられる(ただし、この場合、学生の背景知識・熟度・人間的個性には大きな多様性がないものと仮定する)。
・人類学研究とは、人間集団を対象とする質的調査(=フィールドワーク)を主とする実証的な研究をさす。その研究媒体となる資料は民族誌(=エスノグラフィー)と呼ばれる。
【A】私自身の経験からお話します。医療人類学とは、(1)医療(広義)を対象にする人類学的研究だと思います。さて、では逆はどうでしょうか? 人類学(広義)を対象にする医療研究……?! これはおかしいですが、(2)人類学理論を包摂した医療研究だったら、それほど違和感はないのでは? 私は大学院での勉強は医学系でしたが、現在の所属学会のうち最も深く関わっているのは文化人類学です。私が、共同研究する人たちもこの文化人類学の人たちが多く、次に精神医学や公衆衛生・国際協力などの友人がつづきます。他方、文化人類学界を根城にしない医療人類学者を名乗る方も増えてきました。公衆衛生や国際医療協力の関連学会で活躍する人たちですね。海外でPh.DやMPHを取得された方たちを中心とします。後者の集団は先に述べた「人類学理論を包摂した医療研究」という方向性がより色濃く出ているのでは? ということは、日本で医療人類学者であることを名乗り、医療人類学を勉強しているという方の意識の中には、この2つの定義のどちらか一方あるいはその両方が宿っているのではないでしょうか。もちろんこれはあくまでも私の心証です(http://d.hatena.ne.jp/mitzubishi/20051227,
・医療人類学が扱う範囲は、広義の〈医療〉だけの研究だけでない。病と癒しという人間の身体や保健(ヘルス)に関わる広範な対象領域をもっている。したがって医療人類学の研究者においてすら、この学問研究の名称を「保健=ヘルス=健康の人類学」と言うべきだという者がいる。この代替名称の是非はともかく、このような意見表明が出てくる“業界の雰囲気”に特段の違和感をもつ同業者は少ない。
・医療人類学が流行してきた背景には、1960年代末から70年初頭に先進国を中心に吹き荒れた近代科学へのラディカルな批判があった。医療人類学がその批判の対象としたのは、近代医療である。医療人類学が医療と人類学の両方の研究者にもたらす魅力は、近代医療の教理(ドグマ)に対する批判力にあると言っても過言ではない。ここでは医療人類学が提供した近代医療批判のテーゼ(命題)を「〜でない」という否定形の形で表し、この学問が模索している代替的な見解や疑問を示してみよう。
(i)「人間の身体では生物医学的反応だけがみられるわけではない」→「人間の身体は生物学的実体のみならず文化社会的実体でもある。医学研究には、生物学的な解明と〈同時に〉文化社会的解明が不可欠である。このことの解明には人類学という学問の特徴である総合的観点が求められる」。
(ii)「近代医療の医師だけが患者を治療する存在ではない」→「多くの社会においてさまざまなタイプの治療者があり、治療のタイプや病気の原因とその解消についてもさまざまなパターンがある。医療をシステムとして見たときに、このようなパターンは幾通りかの組み合わせの要素として抽出し分類することができる。人間なぜこのような治癒のシステム(healing
(iii)「近代医療だけが病気を征圧したり克服したりしてきたのではない」→「人間の病気の〈克服〉というプロセスの中に、医療従事者たちの英雄主義を見るのではなく、人間の生物学的ならびに文化的〈適応〉や〈順応〉というプロセスの中に生物学的実体と社会的実体との相互作用というダイナミズムをみよう」。
(iv)「苦悩や苦しみ(病気)は、人間にとって否定的な意味だけをもつのではない」→「苦悩や苦しみは、それぞれの社会や文化でパターン化されている。近代医療の疾病論もまたそのパターン化のための文化的装置のひとつであろう。他方、パターン化されてもなお人間の生活の実相の中に登場する固有の苦悩や苦しみがある。文化主義によれば人間の病気からの解放のプロセスもまたパターン化して分析可能であるが、同時に人間の苦悩はその個々の事例のなかで豊かな意味論(semantics)をもつ。これらを解読する理論は人類学研究ではこれまで豊富に用意されてきており、苦悩の意味(意義)の解明にこの学問は挑戦するのだ」。
・西洋近代が産んだ独自の知的認識において〈他者〉あるいは〈他者性〉をめぐる様々な学問が生まれた。いわゆる近代主義的な人類学(modernist
・人類進化論、精神分析、コロニアリズム、民族誌学、オリエンタリズムなど〈他者性〉をめぐる学問的議論には、知と権力の結びつきという批判的テーマが一貫してみられる。具体的には、人類の多様性の中における野蛮人の位置づけ、自己の内なる他者、統治対象としての他者、他者の表象化と権力との結びつきといったように、〈他者〉をどのように理解し、自己の世界の中に取り込むのかというテーマが色濃く投影されている。
・医療人類学もまた(あるいはそのアバンギャルドとして)つよく〈他者性〉に取り憑かれた学問のひとつである。医療人類学者は、普遍的な医学現象と同時につねに具体的な他者の医療・保健行動への関心をもち、それらを論文のテーマにしている。
・医療人類学のトピックは〈他者〉や〈他者性〉を切り口とし、病気や医療について考えることであると言っても過言ではない。
・医療人類学の用語と概念について早くから(およそ1960年代後半から70年代前半にかけて)確立したアメリカ合州国や、その影響を受けた国々では教科書や論文を通して、この学問の研究とスタイルが徐々に確立していった。このような蓄積の結果は、すでにこの研究領域の事典などにまとめられている。
・様々な諸相から〈この学問〉を眺めると、医療人類学者が自分たちの研究を説明するのにいくつかの視座や立場から説明している。ここでは、それらを5つの大きな柱に分類してみて、それぞれ解説を試みる。
医療人類学の原動力は、近代医療批判から生まれてきた。この面白さをいくつかの命題にまとめることができるが、それはこの批判力に由来するものだ。“これが医療人類学だ!”という研究上のリストを我々は書き出すことができる。これらのリストはこの学問の必然性というよりも、この学問をおこなっている人たちのコンセンサスの結果という経験的事実によるものだろう。さらに〈あらゆる学問的営為は社会的である〉という観点から考えると、(a)研究共同体のメンバー自体の評価基準による研究の陳腐化や新興領域の誕生や、(b)政府や企業が資金を投下することによってその分野の〈政策解決的アプローチ〉が隆盛するなど、研究動向は変化するだろう。このような研究に対する再帰的な反省は、次に述べるポストモダン的な医療研究の誕生と大いに関連性を持ちうるはずだ。
ポストモダン的とは、これまでの近代(=モダン)が準備していた分析枠組み(=大きな物語)や研究の手法が無効とされた以降の時代的秩序の中で考えだされた、知のあり方の代替案に冠された形容表現のことである。ここでは、これまで説明してきた医療人類学の分類体系による分析が無効になってきた学問状況をポストモダン状況と呼び、その代替案として考え出された医療人類学研究を、ポストモダン的医療研究として理解してみよう。
これまでの医療人類学が探究してきたことは、(a)人類社会における病気をめぐる現象や医療行動の理解にあったと言っても過言ではない。そこでは現地で生活している調査対象となる人たちは、人類学を研究する人たちにとっては、自分たちの認識の前提を破壊するための〈触媒〉でしかなかった。しかしながら、観察者の実践的関与に関する議論が重要なテーマとして浮上した今日、観察対象を客体化ならびに表象化するというこれまでの人類学的営為は一定の疑問に付されることになる。そもそも現地人という〈他者〉とはいったい誰のことであり、調査者とどのような関係を取り結んでいるのかという問題が問い直されることになったのだ。
これらは我々に対してこの学問の批判的判断力の効用論から実践的参与論の展開を召喚するものであった。より具体的には、近代医療の問い直しへの材料を提供してきただけの従来の医療人類学が、(b)近代医療のもとで発生してきた種々の問題を考え直したり、何らかの実践的関与を含む新しい研究テーマを模索しようしたりする動きが生まれた。この動きには、モダニストが準備した主体と客体の二元論を当然のこととし、前者(人類学者)が後者(現地人)を研究対象として表象することができるという民族誌の認識論的枠組みが「崩壊」したことと関連性がある(もちろん完全な崩壊ではないが、すくなくとも疑問視はされている)。民族誌は現地社会の客観的記述から、フィールドワーカーが現地社会の文化をどのように客体化していったかの行動の記録へと変貌していったのである。そのような文化をめぐる相互交渉の中から主体と客体の二元論そのものが疑問視されるようになったのである。つまりモダニスト人類学の捉え直しや新しい実践的関与に関する議論が生まれてきたのである。
整理すると(a)はひたすら文化的および社会的解釈が中心であった理論が、(b)においては、実践的な処方せんを視座に入れ、近代医療ひいては近代人類学の基盤を問い直す理論を提出しようとするのである。この(a)(b)のモーメントは一見相反する方向性を(現時点では)とっているように思われる。ここでいう認識論上のジレンマとは、相も変わらず応用人類学上の効用を説く「文化=道具」学派と、主体と客体の二元論の克服を目的としフィールドワークから得られる実践上の教訓を何らかの学問的な反映として取り込もうとする「実践学派」との、現時点における呉越同舟状態のことを意味しているのである。
上述の学問の認識論上のジレンマを乗り越えるべく代替的な研究スタイルを模索する人たちの研究には、2つの〈新しさ〉を希求しているように思われる。その新しさのひとつは(a)研究対象や素材の新しさであり、他のひとつは(b)分析手法の新しさである。これらはどちらか一方か、ともに具有するものがあるが、その根っこでは相互に関係するものである。つまり(a)研究対象や素材が、新しいものになれば従来の分析方法では物足りなくなり、それが分析者をして(b)新しい分析手法に向かわせることになるからである。
例えば、臓器の国際的な流通や、富裕層の医療ツーリズムという研究テーマの採用は、フィールドワークの範囲を人類学の従来型のローカルコミュニティからグローバルなセッティングにおかれた点と点をむすぶ人間と人間、人間と物、そして物と物とのネットワークという観点に立つ研究へと拡張・変更する必要性をうむ。また世界銀行が提唱する貧困削減とそれに関連する健康達成という目標が国際社会にとって大きな課題になったことは、これまでの保健における国際政治や国家保健統計上だけの問題にとどまらず、ローカルなコミュニティにおける人々の生活の質を変えようとする具体的なプロジェクトなどに影響を及ぼすことになる。
このような研究対象の広がりは、従来の社会分析を踏襲し発展させることだけでなく、それらの現象に対して相互に関連性を持たせるため、他領域の研究分析手法を「大胆に」折衷する必要も生じてくるはずだ。『20世紀の医療[研究]必携』(Cooter
and Pickstone eds. 2000)と題された研究書には、その解説のジャンルを「権力・身体・経験」という三題噺(=ジャンル)でまとめている(下記)。
文化人類学や隣接研究分野におけるポストモダン研究の代表としてあげられるのがカルチュラルスタディーズ(CS)である。Du
Doing Cultural Studies: The story of the Sony Walkman. London: Sage. に収載されたCSの一例として、ソニーの携帯音楽再生機(商品名:ウォークマン)について研究された際に、その開発・生産・流通において人と商品がどのような過程に晒されたのかを(i)生産、(ii)消費、(iii)制御、(iv)表象、(v)アイデンティティという諸観点と、それらの要素の間の相互作用の点から分析している(Du
Gay, Stuart Hallらはこれらの要素の布置とダイナミズムを「文化のサーキット」と呼んでいる。)。
これを手本(モデル)にして、医療研究におけるポストモダン的研究を模索すると、およそ次のような観点を指摘することができる。まず、CSで指摘された文化のサーキットを医療研究に流用するならば、医療研究には圧倒的に身体(心身)に関わる事柄が大きなウェイトを占めるので、それがどのあたりとの部分と最大の親和性をもつかと言えば、それは行為者のアイデンティティに他ならないだろう。仮にそのように文化のサーキットの他の4つの要素をアイデンティティの回りに配して、先の『20世紀の医療[研究]必携』で取り上げられているテーマをここで仮に、権力の二様態(フーコーに倣って抑圧的ならびに生産的)、経験、身体と名付けて配置すると別図のようなものになろう(もちろんここでの提案はあくまでも試論である)。
・人類学研究とは、人間集団を対象とする質的調査(=フィールドワーク)を主とする実証的な研究をさす。その研究媒体となる資料は民族誌(=エスノグラフィー)と呼ばれる。
1.人々の健康と病気に関する信条や実践は文化的に修飾された結果生まれる多様なものであり、それらの実態は時間的に変化するものである。
2.文化的に修飾された人間の行動は、環境への適応や生物進化という医学的知見によっても解析可能である。
3.それらの知見により、人々の生活の質を改善できる可能性を信じるに足る実証的証拠をもとに、特定の集団の健康と病気に関する生活慣習への介入をおこなうことできると考えている。
3.民族誌[論文]の作成:現地で得られた資料を、読者(=他の研究者)に理解可能な形で提出する。学問的生産のパターンを習得する。
※教室での教育はおもに1.が中心になり2.3.は頭の中で思考実験するに留まるために、博士課程などの長期の本格的なフィールドワークに着手される前の人類学的教育は“本物”ではないとしばしば指摘される。つまり人類学者の本当のイニシエーションは本格的なフィールドワークそのものであると言われる(cf.
フィールドワークに基づくファーストハンドな資料にもとづく研究。(逸脱例:フィールドワークを行わない。ファーストハンドではないデータや解釈、つまり伝聞推定やねつ造あるいは思いこみの結果の解釈)
先行して存在するあるいは流行している理論的枠組に則った“洗練した”解釈がなされ、その理論に固有の専門用語(ジャーゴン)が適切に使われている。
イデオロギーの機能としての〈呼びかけ〉という観点から医療人類学の理念とその普及について考えてみよう。医療人類学者は自らの学問的プレゼンスにおいては、(次の3つの集団に属している)誰に呼びかけるかで、それぞれ3つの異なった態度で望まなければならないことになる。
まず、(i)業界外の人には、この学問の価値を高めると同時にこの学問の独自性――――人類学者にしかできない!という経験的優位性、さすが人類学!と唸らせる主張の特異性――――についてアピールすることである。この態度は、ちょうど社会学帝国主義者と類似のものである。それにより隣接諸学問に対して共同研究やコメントを求められるという友好な関係をもたらすことができる。
(ii)業界内の人にはひたすら理論の発展と方法論上の修練を向上させることに繋がる態度が重要になる。具体的には論文の生産と魅力的な研究会・学会(分科会)の組織である。常に〈良質の〉人類学的言説を生産することである。権威主義と自らの方法論に対する知的傲慢がこの態度にとっての最大の敵。この研究と教育の業界が頭打ちにならない限り、同僚潰しには何の意味もないだろうから。
(iii)未来の業界人つまり将来の医療人類学者に対する呼びかけは、逸材を発見し、また将来の担ってもらう人のために機能する。そのためメッセージはあくまでも魅力的なものでなければならないだろう。2.〈定義・実態〉から〈面白さ〉へ
◎医療人類学研究はなぜ面白いのか、で述べたように、それらは、これまでの医療や人類学の研究に対する批判力の陶冶につながるものでもある。ただし、これには学問的教育におけるオリエンテーション技法(次項)が必要である
“これが医療人類学らしい研究だ!”という特徴を我々は指摘することができる。しかし、それは学問の必然性からというよりも、研究者たちのコンセンサスともいうべきものである。従って、この特徴に当たらない医療人類学的研究が将来登場しても、それは驚くにはあたらない。いうまでもなく、そのような革新的研究の未来は当の研究者じしんの斬新な実践にかかっている。
・内容は承前。ただし誰に医療人類学を教えるかで、そのカリキュラム内容の作成の際には留意する必要がある。それは受講者たちの動機や期待や、授業で話される知的水準と受講者の資質などとのマッチングについて考慮しなくては効率的な授業ができないからだ。
文化人類学は人文社会学の中では比較的人気のある学問である(あった)。その学問の特徴は、人類学者が弄する秘儀的で難渋な議論やエキゾチズムに満ちた事例にある。そのため入門の学生は、特定のテーマ(例:シャーマニズムや国際協力)や関心に傾斜し熱烈なファンになるか、あるいは逆に「引いてしまう」のである。人類学の教育現場では、日本にいるという日常性の壁を相対化することになかなか成功することは容易ではないという声がよく聞かれる。それは日本の学生が異文化状況に馴染む機会が少ない(避けている)という理由の他に、人類学研究者の多くが異文化の研究に従事するものが多く、教室の中で異文化経験を学生たちの経験に訴えて伝えることが困難だからである。人類学者はフィールドにおいては自分自身の経験の相対化(ないしは翻訳)を、そして自国にもどり今度は現地人の社会的経験を相対化(ないしは翻訳)しなければならないという〈二重の翻訳〉をやっている。だが学生はその一方のプロセスのとば口にいる。
学部教育では、調査実習という実践的経験と、それらを報告書にまとめる作業、および民族誌等のテキスト読解という3本立ての訓育がおこなわれてきたが、このような〈二重の翻訳〉を学生たちにシミュレーションさせる有効かつ具体的な教育手段をまだ我々は自家薬籠中のものとはしていない。
・授業のなかで見られるのは、つぎの3つの講義形式の単一あるいはそれらの組み合わせであるということが経験的に指摘することができる。
・学問分野(discipline)から入るオーソドックスな方法だが、理論用語が多くなり、学説解説か学説史偏重になるので、聞き手には退屈な授業になる。また、実践的知識は提供されにくい。落ちこぼれは少ないが――――学期末に他人の講義ノートの丸暗記でリカバーできる――――授業に眠り込む学生が多いかもしれない。
※この〈概論 outline〉という用語は次項の〈入門〉と区分するための便宜的なレッテルで、我々の日常的慣用語法に必ずしも則るわけではない。
・医療人類学という学問の多様性を紹介する内容が保障されにくいので、医療人類学の専門家になろうという人か、その問題に強い関心を抱く人以外には、敷居が高く(=情熱の維持が難しい)落ちこぼれを生んでしまう危険性がある。
※この〈入門 introduction〉という用語は前項の〈概論〉と区分するための便宜的なレッテルで、我々の日常的慣用語法に必ずしも則るわけではない。
3.医療人類学における多様なテーマを1回ないしは2回で変えてゆく方法:いわゆる〈バラエティ〉あるいは〈オムニバス〉形式
・テーマが次々と遷移するために比較的に落ちこぼれは少ない。ただし、テーマ(対象)が変わっても同じような発想・同じような分析手法をおこない、対象に切り込めるという〈具体的イメージ〉を強く提示しないと、エピソードの記憶が断片として残るだけで、この学問の方法論や発想(=神話的性格)が受講者の体験の中に残らない。我々の業界の編著本にある論文集と同じように、編著者がしっかりして各執筆者の論文――――この場合は毎回講師が話す内容――――に全体企画との統一性(=いわゆる“素材を料理する”)を持たせないと、玉石混淆ないしは内容がその都度バラバラのような印象を払拭できない。
伝統的な人類学の教育・研究は、文献研究によるテキスト読解と解釈、調査実習(学部専門教育以上)および報告書(=広義の「民族誌」あるいは「民族誌論文」)の作成にあると述べた。このような伝統的な教育手法では、民族誌を理解する現場の想像力や知識――――今日では現場知・臨床知・暗黙知などと呼ばれるもの――――が学べないと批判したのが演出家で演劇学の教授のリチャード・シェークナーと今は亡き人類学者のビクター・ターナーである。彼らは、民族誌を読解するプロセスのなかに、その状況を創造的に再現する方法が重要であると考えた。具体的には、民族誌(彼らの授業実験で使われたのはターナーのンデンブの民族誌)にもとづく脚本を作成し、その舞台をつくり、そこで自ら役者(人類学者、インフォーマント、村の人たち、それ以外の登場人物)となり演じることを通して、人類学における民族誌とは何かを理解させようとした。
シェークナーの演劇論は、脚本の出来がよい/悪いとか、演技内容の評価ということに重きが置かれているのではない。むしろ演劇が構成されてゆくプロセスに着目し、演劇という回路を通して文化を理解するということとは何かを学生に考えてもらおうとするのである。
もちろん、このようなプロセスが興味深く有効だからといって、いきなり日本の大学で教授するのは難しいかもしれない。パフォーミング・アーツに関する学生の興味や理解度に差があるし、演劇論や文化人類学の基礎は必要だし、何よりも脚本の素材となる文化人類学の民族誌が身近に読まれるような学習環境が予めあったほうが好ましいからだ。にもかかわらず、パフォーマンスを伴うWS形式の授業が増えてきた今日の大学の教育環境においては、このような授業を行える条件もまた整いつつある。
医療人類学の授業のタイプには、(1)学問諸分野の解説を中心におこなう〈概論〉形式、(2)ひとつの分野の内容を丁寧に追いかける〈入門〉形式、そして(3)多様なテーマを統一した切り口で分析する〈オムニバス〉形式というものに分けられる。何を誰にどこまで教えるかという問題は、これらの技法の採択により“ある程度”解決可能である。また、演劇論的パフォーマンス研究にみられるような「革新的」授業手法などもあり、今後ともまだまだ改善の余地はある。
[可能性]初学者にとって最もよい医療人類学の授業とは、(a)この学問の下位領域で展開された学問的挑戦がエピソード(=物語)として触れることができること。次に(b)この学問独特の専門用語とそれを学ぶことの意義を理解できること。そして(c)いくつかのエピソードの解釈の背景にある〈医療人類学的思考〉を学ぶだけでなく、自分で使えるようになること。この3つが達成された時、教師の学生に対する欲求不満は極小化されるだろう。
このような思考プロセスは、この学問の大衆化には貢献するだろうが、このような思考パターンに呪縛されているだけでは、自分たちの訓育に忠実な学徒を再生産するだけである。ここで言う「同工」とは、制度的教育の中で作られた判で押したような研究をする「医療人類学者たち」のことであり、「異曲」とは、その「テーマ」の個別性・多様性のことである。そこには新しい医療人類学を切り開いてゆく偶像破壊あるいは概念のずらしによる創造的要素は見られない。判で押したようないわゆる“医療人類学的分析”が横行する文化的流行に留まるだろう。
(a)新しい課題と新しい理論:新しい課題により既存の理論の適用可能性と限界を試す。既存の理論にそぐわない場合は、新しい理論構築をめざす。これらは授業の中でも一部披瀝は可能(→新しい課題を通して古典的理論がどういうものであったのかを検証)。
(b)方法論上の革新:新しい課題に相応しい新しい方法論の模索、方法論を正当化する理論の整備。既存の方法論の整備と改善により、従来の研究の解釈を刷新させる可能性。これらは授業の中でも一部披瀝は可能(→新しい方法論を通して古典的方法論がどういうものであったのかを検証することができる)。
(c)人類学がもつ2つの科学的伝統(実証主義と社会学主義、つまり「人類学の神話的性格」)を維持し、革新してゆくかは、この2つの伝統への挑戦のしかたにかかわっているのかもしれない。
ラビノー、ポール. 1980. 『異文化の理解:モロッコのフィールドワークから』井上順孝訳,東京:岩波書店.

[ 150] 教育に携わる人のための医療人類学入門
[引用サイト]  http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/051210Canthropology.html



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