ノンフィクションとは?
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幻冬舎とフジテレビが共催する「感動ノンフィクション大賞」が創設されました。受賞作品については単行本化・ドラマ化が予定されています。選考委員には、大石静氏、重松清氏、ダ・ヴィンチ編集長、フジテレビ常務取締役、幻冬舎編集本部長。第1回の応募締切は10月末日。あなたが実際に体験した貴重なノンフィクション・ストーリーを多くの人に伝えてみませんか。 生きていると、どんな人間にも、信じられないような喜びや試練があるものです。そんな経験を文章で表現できたら、あなたの人生は、もっとステキに輝き、悲しみも癒されるでしょう。ぜひ挑戦してみてください。 生きることに絶望したひとが目の前にいたら、こんな話を聞かせてあげたい。 思い出してください。ささやかな奇跡はあなたのもとにも訪れているはず。書き、伝えてください。福音を受けたあなたの役割として。 人間の深淵を捉えた心ゆさぶるノンフィクション作品が、この新しい賞を通して生まれることを期待しています。 古くからの大切な友人に手紙を書く、ぐらいの気持ちでいいのかもしれません。あまりかしこまって考えずに、大胆に原稿用紙に向かってください。 私たちが日々、生活していく中で様々な物語が生まれています。親子、夫婦、兄弟、友達、恋人・・・・・・そんな人と人との関わりから誕生し育まれたドラマ。また、直面せざるを得なかった理不尽な事件。あなたが体験した、そんな出来事を文章にしてみませんか。大賞作品は原則として、幻冬舎より刊行され、フジテレビでドラマ化されます。 プロ・アマ問わず自作未発表の日本語で書かれたノンフィクション作品。 400字詰め原稿用紙に換算して、150〜300枚。ワープロの場合は30字×30〜40行で作成し、A4判の用紙に縦書きで印字すること。原稿には必ず通しノンブルを入れ、1000字程度の梗概を添付する。タイトル、名前(ペンネームの場合は本名も)、年齢、略歴、住所、電話番号を明記する。 <出版権>出版権、雑誌掲載権、漫画化権は幻冬舎に帰属。出版時に印税が支払われる。 <映像化権>テレビドラマ化権、映画化権、ビデオ化権(DVD等を含む)はフジテレビに帰属。権利料は賞金に含まれる。 <その他>上記以外の二次的利用に関する権利は原則として主催者と著作者に帰属し、詳細については別途協議のうえ決定する。 応募原稿は返却いたしません。必要な方はコピーをおとりください。応募された原稿に関するお問い合わせには応じられません。また二重投稿はご遠慮ください。個人情報については、許可なくほかの目的で利用することはありません。 |
[ 245] 幻冬舎・フジテレビ共催 「感動ノンフィクション大賞」
[引用サイト] http://www.gentosha.co.jp/nonfiction/nonfiction1st.html
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ライター稼業とシュミの読書にいそしむ日々の記録。雑文アレコレ。小堀隆司(コホリタカシ)のシンプルブログ。 TBSのスポーツ中継にはがっかりさせられることが多いけど、同局のドキュメンタリー番組には感心させられることが多い。 3夜連続で放映されている「いのちの輝きスペシャル」http://www.tbs.co.jp/inochi2007/は、たとえ上司からの酒の誘いを断ってでも、あるいは待望のデートを別の日にズラしてでも、見るべき価値がある。あるのではないか、と僕は思う。 描かれるのは、光芒のごとき生の煌めきだ。 苦しみ、喜び。絶望と希望。 痛みを知らない人間に、同じ痛みを心のそこから理解できるだろうか? そんなことを自問し、己の無力さに、軽薄さに、口のなかが苦くなるような思いもするけれど、それよりも、たとえブラウン管を通してでも彼らと出会えたことに、僕は感謝の念を抱く。思わず、彼らの立ち上がろうとする姿を見てよ! と大勢に呼びかけたくなる。 番組で時折かかる小田和正の曲に、こんな歌詞があったことを思い出す。 弱いから立ち向かえる、悲しいから優しくなれる♪ 強さこそが正義である、と信じて疑わない人にこそ、この番組(明日最終日)を見てもらいたい。 フリーランスのつらいところで、 仕事が集中するときもあれば、時間をもてあますときもある。 ほぼ白紙に近いカレンダー(予定表)を見て、 自分にはなにが足りないのだろう、としばし考える。 ペラペラとその先をめくろうとして、 今年も残り2枚ちょっとの紙切れ分しかないことに気づき、呆然とする。 世間ではもう十分に「中年(オトナ)」と呼ばれる年齢だ。 そろそろ人生にケリをつけなければいけないのではないか? しっかりと土台になるような作品を仕上げて、エイっと力を込めて跳ばなければ、 将来というものを見通せないのではないだろうか? 足りないことを怖れているばかりでは、前に進めない。 子育てで時間がないとか、まだ力が足りないとか、そんな言い訳は一切やめて。 ありったけの情熱を、目の前の原稿用紙に書きつけるべきではないのか? この先の予定などすべて、自らの文字で埋め尽くしてしまえばいい――。 フリーランスには幸か不幸か、将来を選択する自由があるのだ。 うーん、またも抽選に漏れたか……。次こそは! と意気込んでいただけに、残念。このシューズはおよそ10年前にホノルルを走ったもので、思い出がつまっているからなかなか捨てられないでいる。じつは今もこれを履いて河川敷を(ときどき)走っているのだが、両方とも側面に穴があいているからか、雨の日などは靴下がグチョグチョになる。ソールはすり減り、色だってもはや白かグレーかわからない。だからこそ来年の東京マラソンを、大切なシューズの卒業式にしたかったのだが……。※ あまりにも靴がボロくてお見苦しいので、先日のぶらり旅で出会った爽やかな笑顔の写真を同時に載せたいと思う。※ なお、現在発売中の週刊文春に「ぶらりわが街〜」の記事を、ナンバーに「富士スピードウェイ物語」が掲載されていますので、書店にお立ち寄りの際はぜひご一読を。 有名人がそれほどお好きですか? と、思わず問うてみたくなる。 さきほど週刊誌を積ん読して知ったことだが、某料理評論家は経歴を詐称していた。某東大出の官僚は虚偽の内容で本を書き、とんでもない過去を隠していた。環境問題に熱心なことで知られるアメリカの元副大統領は、自身の不都合な真実を隠していた……。 いずれも人格が疑われるようなスキャンダルだが、なぜか彼ら、世間では人気がある。 イメージや知名度って、それほど信頼に足るものだろうか? ウソをつくのがブームであるかのような世の中だ。 政治家は連日、ウソの釈明に追われている。社保庁職員による年金横領のニュースは記憶に新しい。食品メーカーによる虚偽の賞味期限問題は後を絶たないし、詐欺事件も横行している。まるで、ばれないウソならつかなきゃ損、損♪とでもいわんばかりに。 事実は曲げられ、都合のいいように捏造され、しばしばイメージはつくられる。 黒が白に。醜聞が美談に。 それを暴くのは、一部週刊誌や新聞社の、気骨ある記者だけでは限界がある。限界があるのではないか、と僕は思う。 「私たちのオジイやオバアが、ウソをついているとでもいいたいのですか」 といった、沖縄の高校生は立派だった。 今年度の教科書検定で、「沖縄戦で集団自決を日本軍は強いた」(失われる必要のない命が失われた、という戦争の負の象徴とでもいうべき行為)という表現が削られた問題に対して、沖縄の方々が集会を開き、それは大きな声となりうねりとなって、歴史の歪曲を再び正常化させようとする動きを活発化させている。 おそらく、一人や二人が声を上げただけではどうにもならなかっただろう。 11万人という、予想をはるかに超える島民が集会に参加したからこそ、「検定はやり直さない」と頑なに突っ張っていた文部科学省を窮地に追い込んだのだと思う。 無知は罪か否か? もちろん、罪ではない。ただ、カスガイという言葉を知らなければ、「あたいが鎹? だから母(かあ)ちゃんはおいらの頭を金槌(カナヅチ)で撲とうとしたんだね」という落語噺のオチが理解できないように、真の感動を共有することができない。ひとり、蚊帳の外に置かれてしまう。 そこを、悪意が突いてくる。 都合の悪い事実には目をつぶり、反省も回顧もなく、空疎なスローガンを掲げるばかりの政治家(同じ穴のムジナのくせして、ミャンマーの現政権を厳しく批判できるのか)を僕は信用しない。同じように、素知らぬ顔でひとを欺く有名人に対しても。 信頼できるのはそう。私利私欲のためでなく、いざというときに勇気を奮って立ち上がることのできる人物……。たとえば07年9月29日、沖縄の抜けるような青空のもと、義憤を胸に駆けつけた、名も知らないオジイやオバアたちだ。 同じ日本人として、彼らの行動を誇りに思う、よ。 かくも有名な小説「檸檬」が、仮に「蜜柑」であったなら……。 あるいは、檸檬ではなく、「レモン」であったとしたら……。 あの作品は名作と呼ばれることはなかったかもしれない。 檸檬から連想する、特有の香りと色かたち。 「恐ろしい爆弾」は黄金色に輝いていたからこそ、読者のイメージをふくらませることができた。できたのではないだろうか、と僕は思う。 さて。言葉の選択はどうしてこうも難しいのだろう。 積み重ねた画集の上にさらに檸檬をのせるバランスに似て、ひとつでも載せ方を誤れば、それは一気に瓦解する危険性がある。 紙一重の均衡を可能にするのは確かな判断力と慎重さであり、できうる限りの推敲に他ならない。でも、かりにうまくバランスがとれたとして、必ずしもそれがベストというわけではないのだ。 いわば、正解のない問いに答えを求める矛盾。 そこに文字をつらねていく難しさがある。 今日は一日原稿とにらめっこをしていた。昨夜書いた原稿を一日かけて推敲して、結局夕方になって単語をひとつだけ入れ替えた。(こういうことは決してめずらしいことではない) そしていま、あらためて読み直して、再びその単語を元のものと入れ替えたところだ。 さて。今日という時間はムダだったのか? そうではなかったのか? 答えは僕にはわからない。 梶井基次郎に問いかけてみても、きっと返事は返ってこないだろう。 ※ 現在発売中の雑誌、週刊文春でジャガー横田さんの記事(家の履歴書)を、ナンバーには北島康介選手のタイアップ記事を、ヤマケイで小林泰彦さんの記事を書いています。書店でお見かけの際はぜひ、ご購入の上ご味読を。 71年 三重県生まれ大学卒業後、大手損保企業に入社。入社5年目の冬、ライターを志しフリーに。以降、書店でアルバイトをしながら、人物ノンフィクションを中心に執筆活動を始める。03年、ヨット界に材をとった「風を裁く。」でナンバー・スポーツ・ノンフィクション新人賞(文藝春秋主催)を受賞。現在は「ナンバー」「週刊文春」等の雑誌に記事を執筆。著書に大阪市との共同企画「小さな帆船、大きな世界」(海文堂出版)がある。なお、趣味はスポーツと読書で、小学生時に少林寺拳法(黒帯)を、中学は野球部、高校はサッカー部、大学では某地区のYMCAで水泳の指導員をするも、全てにおいて目立った成績はなく、最近はもっぱら読書を楽しんでいる。 |
[ 246] ノンフィクションな日々
[引用サイト] http://blogs.dion.ne.jp/swim/
