井口とは?

井口 資仁(いぐち ただひと、本名:井口 忠仁(読み同じ) 1974年12月4日 - )は、サンディエゴ・パドレスに所属するメジャーリーガー(内野手)である。代理人はロッキー・ホール。
メジャーリーグの中でも状況に応じた打撃(右打ちや進塁打)のうまい選手であるため、つなぎを求められる2番での起用が多い。
1993年 國学院久我山高から青山学院大学へ進学。青山学院大学では同期の澤崎俊和(元広島)、清水将海(中日)、倉野信次(ソフトバンク)1学年下の高須洋介(楽天)らと共に全日本大学野球選手権大会優勝を始め多くの輝かしい実績を残した。個人としても東都大学リーグ三冠王やリーグ記録となる1シーズン8本塁打などを記録。大学通算本塁打数は24本で、現在も破られていないリーグ記録である。
1996年 アトランタオリンピック野球日本代表として銀メダルを獲得し、「20世紀最後の大物内野手」として争奪戦が繰り広げられたが、福岡ダイエーホークスを逆指名。ドラフト1位指名を受けて入団(背番号7)、ちなみに同期には松中信彦(ドラフト2位)、柴原洋(同3位)や、大学時代チームメイトだった倉野がいる。
1997年は3月のオープン戦で右足首を捻挫したため、4月の開幕には間に合わず、5月3日の対大阪近鉄バファローズ4回戦(福岡ドーム)で、2番遊撃手として初出場。1回のプロ初打席で初安打、4回の3打席目では満塁本塁打を相手先発の山崎慎太郎から放ち、見事なデビュー戦を飾った。(外国人選手を除き)新人選手のデビュー戦での満塁本塁打はプロ野球史上初の快挙だった。順調な滑り出しとは裏腹にその後、バッティングに苦しみ、打率は2割台前半しか打てず主に下位打線で起用されるようになった。
1999年は開幕から3番を任されるものの、その後低迷し下位打線で起用されるようになったが、サヨナラ打を3度記録するなど勝負強さを発揮した。9月8日の首位攻防となる西武ライオンズ26回戦(福岡ドーム)では西崎幸広からサヨナラ満塁本塁打を、9月25日の対日本ハムファイターズ26回戦(福岡ドーム)、マジック1で迎えたこの試合では金村暁から決勝本塁打を放ち、福岡ダイエーホークス初のリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。
2000年 シーズン中に左肩を負傷、手術を行い、長期離脱。日本シリーズで復帰するが、守備に定評のある鳥越裕介の1軍定着により、こだわりを持っていた遊撃手のレギュラーを剥奪され、遂には二塁手にコンバートされてしまう。優勝旅行にも参加せず、オフに登録名を本名の「忠仁」から「資仁」に変更して飛躍を誓った。
2001年 期待されながらもなかなか芽が出なかった「20世紀最後の大物内野手」も遂に覚醒し、強力打線の3番に定着。打率は.261ながら史上3人目の30本塁打40盗塁を達成。44盗塁で盗塁王のタイトルを獲得。強肩、俊足を生かしたセカンドの守備も評価されベストナイン、ゴールデングラブ賞にも輝いた。ちなみにこの年、井口の他に小久保裕紀が44本塁打、松中信彦が36本塁打、城島健司が31本塁打し、パシフィック・リーグ初の30本カルテットを形成。日本人のみの30本カルテットはプロ野球史上初である。
2003年 前年は打率.259に終わったものの、城島健司と共に金森栄治スコアラーに指導され、「より引き付けて打つ打法」に変更。これまでの粗いイメージを覆し5試合連続猛打賞、1試合4二塁打の日本タイ記録を達成するなど打ちまくった。1番村松有人、2番川崎宗則とともに盗塁を量産、終盤に村松が骨折で離脱したこともあり再び盗塁王に輝く。さらに4番松中、5番城島、6番ペドロ・バルデスとともに史上初の100打点カルテットを形成するなど、3番としてダイハード打線の中軸を担う。最終的に打率.340、27本塁打、109打点、42盗塁。2度目のベストナイン、ゴールデングラブ賞にも選ばれまさに八面六臂の活躍であった。3年ぶりのリーグ制覇、4年ぶりの日本一に大きく貢献し、日本シリーズ優秀選手にも選ばれた。
2004年 打率.333、24本塁打、89打点と前年並みに打ちまくりレギュラーシーズン1位に貢献したが、チームはこの年導入されたプレーオフ制度の前に敗れ去りリーグ優勝を逃した。このオフ、契約書の特約条項に基づき自由契約選手となり、MLB挑戦を表明した。
2005年4月4日の開幕戦対クリーブランド・インディアンス戦(USセルラーフィールド)に2番二塁手として初出場。開幕2戦目となる4月6日の同じくインディアンス戦では、ケビン・ミルウッドからメジャー移籍後初安打を二塁打で記録(同試合で初盗塁も記録。)。5月3日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦(USセルラーフィールド)では、左腕のブライアン・アンダーソンから左翼席へメジャー移籍後初本塁打を放った。その後も2番二塁手として定着し、移籍1年目でいきなりワールドシリーズ出場、世界チャンピオンに。日本人では伊良部秀輝に次いで2人目のチャンピオンリング獲得。しかし伊良部はワールドシリーズに出場しておらず、実際に出場してリングを獲得したのは井口が初めてである(地区シリーズ、アメリカンリーグ優勝決定シリーズでは活躍した井口だが、ワールドシリーズでは不振のため最後の打席後に交代した。よって優勝決定の瞬間はベンチにおり、「優勝した瞬間グラウンドにいたはじめての日本人選手」は翌年の田口壮に譲ることになった)。また、日本人で初めて日本シリーズとワールドシリーズを制覇した。
2005年オフにワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出される。当初は選出を歓迎する旨のコメントを出していたが、出場表明後NPBから何の連絡も無いことに不信感を持ったことや、メジャーでクリーンナップを打つという夢に向けての調整をしたいということもあり出場を辞退。代わりに宮本慎也が選出された。日本のWBC優勝については「コメントする資格は自分に無いが、日本人として嬉しい」と述べ、多くを語らなかった。
2007年7月27日 右手を骨折したフィラデルフィア・フィリーズの正二塁手チェイス・アトリーの代役としてマイナー投手のマット・マロニーとの交換トレードでフィリーズへ移籍。
フィリーズではアトリーの復帰まではスタメンで二塁手を務めたが、復帰後は代打起用になった。そのためか、フィリーズのナショナルリーグ地区シリーズ敗退後には、「現在、永住権申請中であり、来期は二塁手のレギュラーとして起用してもらえる球団を中心に移籍先を探す」旨の発言をしている。
2004年にメジャーに移籍する際、自由契約選手となっているが、契約における特約条項を使用したとされる。この年高塚猛オーナー代行が不祥事や自身の強制わいせつ罪による逮捕などで辞任を余儀なくされているが、「中内正オーナーの経営体制が刷新した場合、もしくは高塚代行が退任した場合、井口が希望すれば自由契約選手とする」という覚書が前年の契約更改の際に存在したというものである。「不可解、不明朗な契約ではあるが契約は有効」と球団が認めたため、井口は自由契約選手となってメジャー移籍が実現してしまった。
「高塚負の遺産」の一つとされ、重役格が自身の保身として選手を使っていたともとれる前代未聞の契約であるが、元々メジャー志向が高く、大卒である井口のポスティング移籍は時間の問題であった。2002年オフに既にポスティング移籍が確約されていたという報道も存在する。しかしその2002年オフには、大塚晶則が当時の日本球界の評価もあって落札球団0に終っている(中日に1年在籍後、パドレスが30万ドルで落札)。メジャーが2002年頃までの粗さを残した井口を基準にした評価をするのであれば、移籍金は小額のため、選択肢が縛られる危険を回避でき、井口の高額年俸もカットするだけでも双方にメリットがある、などとも考えられた。
ただしこれらどのような憶測・報道も、高塚代行主導の元決められていたという内容であり、王貞治監督は「野球を分からない、愛せないフロントはもういらない」と怒りを顕わにしている。このような契約をとった井口への批判のためか、城島健司の背番号2は欠番扱い(過去には小久保裕紀の9も)だが、井口の7は2005年に大阪近鉄からソフトバンクにFA移籍した、大村直之に引き継がれている。
移籍後は、シーズン当初より内野手として活躍。10月、チームがアメリカンリーグチャンピオンに輝き、日本人選手としては、新庄剛志、松井秀喜、田口壮に次ぐ4人目のワールドシリーズ出場選手となる。レギュラーとして全試合先発出場。日本人野手初のワールドチャンピオンメンバーとなった。
2007年4月20日のデトロイト・タイガース戦で2号本塁打を打ち、メジャー日本人選手通算250号を記録した。
ホワイトソックスの本拠地・USセルラー・フィールドでは井口が打席に入るときや好プレーをしたとき、ブーイングに似た「GUU−! GUU−!」という唸り声をホームの観客が発することがある。これは「グーイング」(guing)と呼ばれる井口への応援である。
5試合連続猛打賞(2003年6月3日〜6月8日) *パ・リーグ新記録。プロ野球タイ記録<1954年 西沢道夫(中日)以来2人目>
2006年6月25日対アストロズ戦で、MLB日本人選手中最多の1試合7打点を記録。(左越3点本塁打・左中間満塁本塁打)
日本時代の松坂大輔(現ボストン・レッドソックス)との対戦は、通算で打率.365(85打数31安打 3本塁打9打点)を残し、かなり得意としていた。
井口の青山学院大学入学および福岡ダイエーホークスへの入団は小久保裕紀の影響が大きいと言われる。高校時代に、バルセロナ五輪で唯一の大学生として活躍した小久保の姿に憧れて同じ大学・プロ球団を選択した。
ウォシュレット(温水洗浄便座)に異常なこだわりを持ち、毎年新製品に買い換えている。「活躍の秘訣はこれです」とバラエティ番組でわざわざ公言するほどである。
かつては、国内信販(現楽天KC)、アクエリアスのCMに出演、現在も、ホークス時代から引き続き、まるいち食品のCMに出演している。
46 ジョー・バイセニウス / 44 トラビス・ブラックリー / 52 ファビオ・カストロ / 55 クレイ・コンドリー / 37 チャド・ダービン / 58 J.D.ダービン / 21 アダム・イートン / 46 ジョン・エニス / 61 アンダーソン・ガルシア / 45 トム・ゴードン / 35 コール・ハメルズ / 66 J.A.ハップ / 53 リンコルン・ホルズコム / 38 カイル・ケンドリック / 54 ブラッド・リッジ / 63 ライアン・マドソン / 47 スコット・マシーソン / 50 ジェイミー・モイヤー / 39 ブレット・マイヤーズ / 16 J.C.ロメロ / 48 フランシスコ・ロサリオ / 40 マット・スミス / 60 シェーン・ユーマン / 59 マイク・ザガースキー
4 エリック・ブラントレット / 19 グレッグ・ダブス / 68 ブラッド・ハーマン / 18 ウェス・ヘルムズ / 6 ライアン・ハワード / 11 ジミー・ロリンズ / 26 チェイス・アトリー
-- T.J.ボーン / 5 パット・バレル / 10 ジェフ・ジェンキンス / 9 クリス・スネリング / 99 田口壮 / 8 シェーン・ビクトリーノ / 28 ジェイソン・ワース
41 チャーリー・マニエル(監督) / 17 ミック・ビルメイヤー(捕手コーチ) / 30 リッチ・ダビー(投手コーチ) / 31 ラモン・ヘンダーソン(ブルペンコーチ) / 15 デイビー・ロープス(一塁コーチ) / 7 スティーブ・スミス(三塁コーチ) / 25 ミルト・トンプソン(打撃コーチ) / 22 ジミー・ウィリアムズ(ベンチコーチ)
1 ウイリー・ハリス / 5 フアン・ウリーベ / 7 ティモニエル・ペレス / 8 カール・エバレット / 12 A.J.ピアジンスキー / 14 ポール・コネルコ / 15 井口資仁 / 18 クリフ・ポリトル / 20 ジョン・ガーランド / 22 スコット・ポドセドニク / 23 ジャーメイン・ダイ / 24 ジョー・クリーディ / 26 オーランド・ヘルナンデス / 27 ジェフ・ブラム / 32 ダスティン・ヘルマンソン / 33 アーロン・ローワンド / 34 フレディ・ガルシア / 35 フランク・トーマス / 36 クリス・ウィドガー / 38 パブロ・オスーナ / 43 ダマソ・マーテ / 45 ボビー・ジェンクス / 46 ニール・コッツ / 51 ルイス・ビスカイーノ / 52 ホセ・コントレラス / 56 マーク・バーリー
1位:井口忠仁 / 2位:松中信彦 / 3位:柴原洋 / 4位:倉野信次 / 5位:岡本克道 / 6位:村上鉄也 / 7位:新里紹也
カテゴリ: 日本の野球選手 | MLBの日本人選手 | 青山学院大学硬式野球部の選手 | オリンピック野球日本代表選手 | 福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手 | シカゴ・ホワイトソックスの選手 | フィラデルフィア・フィリーズの選手 | サンディエゴ・パドレスの選手 | 盗塁王 (NPB) | 東京都出身のスポーツ選手 | 1974年生

[ 24] 井口資仁 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E5%8F%A3%E8%B3%87%E4%BB%81



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