友だちとは?

精神的にせよ妻より深い絆を持った女性がいるなんて事を書いて、奥さんはなんとも思わないのか、掲示板見てないの?という意見がありました。
私の妻はまったくコンピューターに興味がなく、掲示板を見る事もまずないと思います。
それは夫婦だからといって誰よりも深く結びついている訳ではないという事をお互いに知っているからです。
深いところもあれば、夫婦なるがゆえに誤解しているところがあるという現実を受け止めているからです。
森の中にいる者は木は見えても森は見えないという言葉がありますが、夫婦もまた同じ状態があると思います。
キリストが数々の奇跡を起こしながら旅をしていて、生まれ故郷に帰って来たら「なんだあいつは、大工のむすこじゃねえか」なんて言われて、結局ひとつも奇跡が起こせなかったという話がありますが、身近な者のリアリィティにすくいとられると、その人の別の世界を見失ってしまうという事だと思います。
しかしそれはあくまでも理屈であって、夫婦なのに全方位に渡って深い絆を築いていない、理解に到達していないという事は哀しい事に相違ありません。
大抵の女性は男性との間に「あなただけ。君だけ」という唯一無二の関係を求めており、その証が体を交わす事であり「二人だけの世界」をどれだけ持っているかが絆の深さの現われなのだと思っています。
まあ類い稀な出会いをした才能豊かな夫婦なら「自給自足」が可能でしょうが、平凡な男女には望むべくもないと思います。
そのような時にこの面とこの面に関しては配偶者よりはるかに深い絆が出来てしまうという事は致し方ない事だと思います。
それは夫婦にとっては哀しい現実という側面があるけど、個々にとっては「人生の豊かさ」になりうるのではないかと思います。
まして「森の外」にいる人だからこそ発見してもらえる配偶者の側面ということもあるわけですから、嫉妬の対象としてしか捕らえられないというのももったいない事ではないかと思ってしまいます。
どうも露骨な物言いで、心優しいことが言えなくて申し訳ないのですが、例えば「夫婦愛」という言葉があります。
なんとも綺麗なその言葉に見合う内実を持ち得ない、配偶者との一体感を喪失した人たちがたくさんいるのではないかと思うからです。
「夫婦愛」の世界をまっとうしてらっしゃる方々もたくさんいるでしょうが、そうじゃない人もたくさんいますよという事を今改めて言いたいのです。
なまじ恋人から夫婦へと移行した時の一体感まっしぐらの世界を味わっているだけに、一体感をなくした時のつらさは相当なものですが、それはある興奮がすぎたら結局自分たちは何処までも個なのだと思い知ったという事なんだと思います。いつかは訪れる哀しみなのだと思います。
そしてどこまでも個なのだという絶対の孤独を知った上で改めてお互いを想う、婚姻関係を大切にする、それが熟年の夫婦なのではないでしょうか。
山田太一氏が「果実」と言われているのはそのような世界の事を指しているのではないでしょうか。
山田太一氏の「友だち」という作品はそのような夫婦関係の中で、成熟したコントロールのもとに異性の友だちを持ち得ないかという事を提案したものではないかと思っています。
それは喜びと哀しさと豊かさと喪失をないまぜにした複雑な世界だと思います。

[ 26] 友だち
[引用サイト]  http://members.jcom.home.ne.jp/0512573101/page056.html

私がホームページを開設してから気づいたことのひとつに、多くの若者が「友だちができない」といって悩んでいることがあります。 なぜ「友だちができないのか」、またはなぜ「友だちができても長続きしないのか」について考えてみます。
本題に入る前に考えておきたいことがあります。 それは「友だちと親友」の違いです。 このことについては以前にも書いていますが、いまの若者は友だちはいても親友がいないということがあると思います。 この区別をわきまえておかないと、人間関係で思わぬ失敗をすることにもなりかねないからです。
と、このように考えます。 友だちがいなくて悩んでいる人は、友だちがいないのか、親友がいないのかをはっきりさせる必要があると思います。 そによって対応が違ってくるからです。
私が指摘したい一番の問題点は、友達を作りたい一心で相手にごまをすってしまうことです。 要するに相手に気に入られようとして、自分の考えを曲げてしまい、相手の考えに同調したり妥協してしまうと言うことです。 これはだれでもが陥りやすい過ちのひとつです。 確かに相手に気に入ってもらえば一応友だちとして認められるかも知れませんが、それでは自分は相手に利用されるだけであり、相手にとって自分の利用価値がなくなれば真っ先に捨てられるだけなのです。 このことを肝に銘じて欲しいのです。
それからもう一点は、相手に妥協ばかりすること (八方美人になること)によって、肝心要の自分の考えがなくなってしまい自分に自信を失ってて行くことです。 このことも何度も書きました。 そしてついには自分の存在そのものが、価値のないものになってしまうのです。 相手に気にいられることで友だち関係を結ぼうとすると、こんな危険が待ち受けているのです。
自分の考えを曲げないで、友だちになることはできないのでしょうか。 相手に気に入られなければ、友だちにはなれないのでしょうか。 そんなことまでして友だちになっても、それは自分のためになる友だちなのでしょうか。
とっても大切なことと思います。 自分の意見を言わない人を友だちにしていても、その人の本心が分からないので、相手もあなたに近づきたくてもなにを考えているか分からないので近づくことに躊躇するのだと思います。 相手がなにを考えているのか分からない人に、積極的に近づく気になれますか。 なれないでよね。
友だちが自分を去っていく理由のひとつは、あなたがなにを考えているのか分からないからかも知れません。 だから自分は相手に気に入ってもらおうとして、自分の意見を言わないことが、相手があなたに近づくことを妨げているのです。 人の心理とは微妙なものですね。
何度も言ってきたことを、ここでも繰り返します。 友だちが欲しければ、自分の意見をはっきりと言うことです。 いままでそうできなかった人に、いきなりそう話しても難しいことですが自分の意見をはっきり言わないで、友だちが欲しいということは矛盾しているとさえ言わざるを得ません。 「泳ぎを覚えるまで水にはいるな」と言っているようなものです。 自分の意見をはっきり発言すれば敵ができると思うでしょう。 確かに敵ができると言えます。 しかし大切なことは、同時にあなたに賛成する人もできるということです。 その賛成する人たちと、友だちになればいいでしょう。 相手はあなたの考え方を分かって友だちになろうとしているのですから、よけいな気を遣わないで友だち関係を築くことができるはずです。 本当は反対者の意見を聞くことも大切なのですが、とりあえずは考え方を同じくする友だちができると思います。 ここの点を勘違いしないことです。
自分の殻に閉じこもってばかりいて、友だちができないと嘆いても、それは当然なのです。 「味方が欲しければ敵を作れ」。 これが私の生き方の基本姿勢のひとつです。 あえて敵を作る必要はまったくありませんが、結果として自分に反対する相手がでてくることは避けられないのです。 このことの重要なことですから、覚えておいて損はないと思います。 避けられないことを避けようとするから、生き方が苦しくなるのです。 このことも口が裂けるほど言ってきたことです。
いま自分の感情の表現の仕方が分からなくて、短絡的に非行に走ってしまう若者が多いのです。 自分の感情や考えを素直に表現できないと、屈折した気持ちがたまって自分で自分がどうにもならなくなってしまうこともあるのです。 自分を素直に表現することは重要なことです。 そのためには日本語をよく知っておくことです。 言葉もありまり分からない、感情の表現の仕方も分からなければ、自分の気持ちが屈折しても不思議ではないと思います。
感情のはけ口を持っていることがどれほど重要なことか、我々の想像を超えるものがあります。 言いたいとは言えない、したいことができない、このような状況が長く続けば心が鬱屈して当然ではないでしょうか。

[ 27] 友だちができない、友だちが去っていく
[引用サイト]  http://www4.plala.or.jp/k-k/komoku163.html



お気に入り



  • track feed
    • seo