最終とは?

最終回(さいしゅうかい)は、複数の回に分けてテレビやラジオで放送されたり、雑誌や新聞で連載される作品において、その作品の放送や連載が行われる最後の回である。
一般に、放送時間や誌面の量的な制約や、視聴者の関心の維持などの理由から、放送や雑誌・新聞においては、作品を複数回に分けて放送・掲載することが行われている。この場合に、その最後の回のことを最終回という。最終話などと呼ばれることもある。
連載や放送期間を通じて単一の主題を巡って物語が展開される連載小説、ストーリー漫画、テレビアニメ、テレビドラマなどにおいては、一般に、最終回に向けてその展開が収束し、伏線が消化されて、最終回において何らかの結末に至る。
日本のテレビドラマ等の場合には、予め放送期間が決められていることが多く(例えば、ゴールデンタイムのテレビドラマの放送期間は3か月(1クール)が主流である。)、必然的に最終回の放送時期や概要も予め決まっていることが多い。近年は最終回に時間枠を拡大して放送することも多く行われる。
また、最終回が掲載、放送された後に、続編が連載、放送されることもある。『水戸黄門』や『渡る世間は鬼ばかり』のようにシリーズ化されるものもある。この場合には各シリーズごとに最終回が放送されるが、その中で次シリーズへの伏線が提示されることもある。米国では特にこの傾向が強い(後述)。
一方、各話(または数話)で完結する物語の集合体で、基本的なシチュエーションに大きな変化がないような漫画、アニメ、シチュエーション・コメディなどでは、最終回にも大きな転機は訪れず、放送や連載が終わってもその物語の世界が継続することを示唆する形で終了することが多い(例:『サザエさん』(漫画))。ただし、中には、最終回間際で大きな転機を迎えて、最終回で物語が収束する場合もある(例:『ハクション大魔王』)。
前者のように明確な結末が示されない場合や、連載が終了しない場合には、架空の最終回が都市伝説のように広まったり、非公式に創作されることもある。有名な例としては、サザエさん(磯野家一家が乗った飛行機が事故に遭い、一家がそれぞれの名の元になった魚などになって海に戻る)や、ドラえもん(動かなくなったドラえもんを直すためにのび太が科学者を志し、成長したのび太がドラえもんを造る)がある。後者は同人誌にもなり、著作権上の問題も起きた。
一貫した物語が作品の核となっていない作品では、ひとつの作品について複数の異なる最終回が描かれることもある。例えば、ドラえもんは、複数の雑誌で連載された上、アニメ化もされており、それぞれで異なる最終回が描かれている(詳細は、ドラえもんの最終回参照)。
ドキュメンタリーなどの物語性のない作品の場合にも、放送や掲載が複数回にわたる場合には、その最後の回が最終回と呼ばれることがある。
米国等においては、テレビドラマやシチュエーション・コメディ等は、通常、いつまで放送されるかは予め決まっておらず、約半年を単位として放送され、約半年間の休止期間を挟んで、またその続きが制作・放送されることが多い。約半年間のひと続きの放送期間はシーズンと呼ばれ、シーズンの最終回はシーズン・フィナーレ(en:Season finale)と呼ばれる。視聴者の関心を次シーズンまでつなぎ止めるために、シーズン・フィナーレと次シーズンの初回放送とがひと続きのエピソードの前後編とされることも多く、このような最終回は特にクリフハンガーと呼ばれる。シーズン・フィナーレに対して、そのテレビ番組自体の最終回は、シリーズ・フィナーレ(en:Series finale)と呼ばれる。

[ 4] 最終回 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E7%B5%82%E5%9B%9E

ドラえもんの最終回が存在する!?との噂が流れたのはいつの頃だったでしょうか、尾ひれが付き、「小学館の倉庫から見つけたきた」とか「藤子プロの家から発掘した」とか曰く付きの最終回がいろいろ出てきました。もちろんこれらはデマで最終回というのは存在しないのです。
一般的に最終回と言われているのがドラえもん6巻に収録されている『さようなら、ドラえもん』が最終回という説で藤子氏もここでいったん終わらせようと思った形跡があります。
『さよならドラえもん』はドラえもんが突然帰らなければならなくなります。ドラえもんはいなくなったあとののび太を心配します。そのことをのび太に告げると「大丈夫」と虚勢を張るわけです。そのあとのび太はいつものようにジャイアンにいじめられるのです。そこでのび太はいつものようにドラえもんに助けを求めようとします。しかし「だめだ、ここでドラえもんに頼っては、安心して帰れないじゃないか!」と思い直し、ドラえもんの道具に頼らず負けても負けてもジャイアンにかかっていきます。
いつまでも帰ってこないのび太を心配してドラえもんが見に来たときには、ジャイアンが「わかった。俺の負けだ」と言うのです。ボロボロになったのび太は言います「ほら大丈夫だろ?安心して帰れるだろう?ドラえもん・・・」と、ドラえもんはそんなのび太を寝かしたあと、ひとり涙し帰っていくのです。そしてのび太が起きたときにはドラえもんはいなくなっていました。のび太は言います「きみが帰ったら部屋が広くなっちゃったよ。でもすぐなれると思う。だから心配するなよドラえもん・・・」
この話は非常に(・∀・)イイ!!と思ってますが、個人的にはこの後のドラえもん7巻に収録されている「帰ってきたドラえもん」が好きです。
「帰ってきたドラえもん」はドラえもんがいなくなってしまったのに、ジャイアンとスネ夫が「ドラえもんが帰ってきた」と嘘をつかれます。他のことなら我慢できてもこの嘘には我慢できなかったのび太は、どうしても困ったことがあったらこのフタを開けるといいと言ってドラえもんが残していった箱を開けます。すると「ウソ800」という道具が出てきます。
この「ウソ800」は話したことが反対になって起こるというもので「今日は晴れてるな」といえば突然雨が降り、「ジャイアンはかーちゃんに怒られない」といえば理不尽な理由で怒られてしまうというもの。これで仕返ししたのび太でしたが、その行為にむなしさを覚え「どらえもんは帰ってこないんだ」と言います。この一言が逆になりドラえもんが帰ってくるのです。ウソ800の効果があるため「ドラえもんはもう帰ってこない」「ドラえもんなんて大嫌いだ」と自分の思っていることの逆を言いながら二人でおいおいと泣くのです。この話はさよならドラえもんと一緒に劇場版になり、今でも親しまれているようです。
私は後者の話の方が好きで、やっぱりいなくなって終わるよりも帰ってきて終わるほうがいいと思っています。
しかしながら、この話でドラえもんは復活し、その後も最終話を書くことなく藤子・F・不二雄氏が亡くなられてしまったため、永遠に最終話というのが生まれることはないでしょう。
しかし、ネットでは色んな噂が飛び交いました。その中で『ドラえもんは植物人間になってしまったのび太の夢』と言うのがあったのですが、わたしはこの噂が嫌なのです。だってそうでしょ?子供たちに夢を与えてきた藤子・F・不二雄氏がこんな話を書くでしょうか?ウソにしてもあまりにもあまりにも・・・
それ以来、ドラえもんの最終話という話は調べなくなったのですが、たまたま見ていたサイトでドラえもんの最終話というのを見つけました。それがTOPに置いてある画像です。興味のある方は全ページ(?)下に置いてありますのでご覧下さい。なにかあるまで置いておくつもりです。私はこれを読んで泣きました。もともとちょっと押されればすぐ泣けるたちなのですが(笑)同人とはいえ、たいへん名作だと思います。
アニメドラえもんの声優が変更になり、1990年代〜のドラえもんとはちょっと変わった、新しいドラえもんがスタートしています。たぶんドラえもんはこれからもちょっとずつ変わっていき、完結することはないでしょうけど・・・

[ 5] ドラえもん最終回?
[引用サイト]  http://iroiro.alualu.jp/doradora/index.html

ドラえもんの最終回(ドラえもんのさいしゅうかい)は、藤子・F・不二雄による未完の漫画作品『ドラえもん』に存在する、三種類の最終回のこと。
また、都市伝説として広まった藤子Fによらない創作の最終回も多数存在し、インターネットを通じてさまざまなバリエーションのものが公開されている。本項ではこれらについても言及する。
未完である『ドラえもん』に最終回が存在する理由の一つは、連載されていた学年誌は毎年3月で読者が進級して読まなくなる(1学年上の学年誌を読み始める)ため、当時『ドラえもん』が連載されていなかった『小学五年生』を新たに購読する事になる、『小学四年生』3月号読者への配慮であったと思われる。
実際に当時の他の学年誌連載作品でも、毎年4月号には新たに購読を始める新学年生のために『第1話的』な内容を書き、年度末の3月号には『最終回的』な内容の物語を掲載することが慣例的に行われていた。
当初はこのような事情もあって最終回を執筆した藤子であったが、後に『小学五年生』・『小学六年生』にも連載が拡大されたことや、単行本が発売されたこともあり、ドラえもんについてはこの趣旨に則って書かれた最終回は2本だけで、以後は3、4月号ともに通常のエピソードを掲載するようになった。
またこの結果、二本目の最終回を読んだ読者は、『小学六年生』からまた読めることになった(『小学五年生』購読の一年を空けて)。そのため『小学五年生』3月号で、ドラえもんがのび太の元へ帰ってくるという1ページ漫画が掲載された。
また、2006年9月1日の「ドラえもん誕生日SP」でも、ドラえもんが引退するかもしれないというストーリーが放送された。なおこの話は下に示すものとは違い、「ションボリ、ドラえもん」(TC24巻)と「ハツメイカーで大発明」(TC30巻)の2つを原作にしている。
ドラえもんによると「未来からの渡航者たちのマナーが非常に悪く、過去の人間に迷惑をかけるために過去への渡航が禁止となり、ドラえもんも帰らねばならなくなった」のび太は泣いて止めるが、否応なしにドラえもんは未来へと帰っていったというストーリー。
のび太が自転車に乗れない事でドラえもんに道具を出してもらいに行ったところ、ドラえもんが未来へ帰らねばならなくなったというストーリー。帰る理由は、ドラえもんに頼りっきりののび太の自立心を養うため。のび太は泣いて止め、困ったドラえもんとセワシはのび太にウソをついて帰ろうとするが、のび太がそのウソを素直に信じ、ドラえもんのために我慢すると言ったので、感激したドラえもんは正直にのび太に告げて、のび太もそれを受け入れてドラえもんは未来へと帰っていった(これが日本テレビ版のアニメの最終回のもととなった)。なお、この最終回には後日談があり、後述する通り1973年4月号より『小学六年生』にも連載が拡大されたため、その前月に当たる『小学五年生』1973年3月号に、再びドラえもんがのび太の元に帰って来るという形式の予告漫画が掲載されている。
この二つは連載雑誌が学年誌で読者が進級後に購読する『小学五年生』にはドラえもんが連載されていなかったため、年度末に最終回としただけであり、翌年度の『小学四年生』には『ドラえもん』が引き続き連載されている(1年後の1973年3月号には最終回は掲載されていないのは、1973年4月号より『小学五年生』『小学六年生』にも連載が拡大されたためである。同年4月から日本テレビ版のアニメが放映されることが決まっていたためという説もあるが。なお、上記二つと同様のケースに当たるはずの『小学四年生』1970年3月号掲載の『けんかマシン』(藤子不二雄ランド1巻収録)は最終回的な話ではない)。
下記に記載した3本目の最終回は、一般には一時は本当に最終回になる予定のものであったといわれているが、後述の通り真相は不明である。
『さようなら、ドラえもん』(『小学三年生』1974年3月号(掲載時は『未来の世界に帰る』)・てんとう虫コミックス6巻に収録)
いつもの通り、ジャイアンにいじめられて帰ってきたのび太。ドラえもんに甘えるが、ドラえもんは未来に帰らなければいけなくなったとのび太に告げる(理由は不明)。最初は泣いて引き止めたのび太だが、パパとママに説得されてこれを受け入れ、最後の夜に二人で夜の散歩に出かける。涙をみせまいとしたドラえもんと途中で別れたのび太は夜中に寝ぼけて徘徊するジャイアンに出会い、喧嘩になる。ジャイアンに何度も何度も倒されるが、ドラえもんに頼ることなく自分がしっかりしないとドラえもんが安心できないと、必死でジャイアンにつかみかかり、ついに最後には自分の力のみでのび太はジャイアンに「悪かった、おれの負けだ、許せ」と言わせる。そこに駆けつけたドラえもんはボロボロになったのび太を担いで家に帰った。眠るのび太の横顔を涙ながらに見守っていたドラえもんは、朝の陽光が差すときにはもういなかった…。
1997年にテレビ朝日系で放送されていた歴史バラエティ番組「驚きももの木20世紀」内で、当時の小学館の担当者が経緯を説明したところによると、この話は前年に日本テレビ版のアニメが終了したことや作者が新しい連載(『みきおとミキオ』など)を抱えていた事情などがあり、一時期は本当の最終回にするつもりで構成したものの、次の作品を考えていても作者はドラえもんの事が頭から離れず、思い直して『帰ってきたドラえもん』を構成、翌月号である『小学四年生』4月号に掲載されてドラえもんは続けられたとのことであった。この二作品を合わせた話が『帰ってきたドラえもん』として1981年にTVアニメ化、1998年に映画化されている。しかし雑誌掲載時は「4月号に続く」と書かれていたため、本当に最終回とするつもりが思い直したのか、最初から続くつもりで描かれたのかは不明。また、当時『ドラえもん』は『小学一年生』から『小学四年生』まで連載されており、『小学三年生』にだけ最終回が掲載されるというのも不自然とも言え、真相は不明である。
ドラえもんがいなくなった後、暗い毎日を過ごしていたのび太だったが、ついに気をとりなおして明るく暮らすことを決意する。外へと繰り出すと突然ジャイアンが現れ、のび太にドラえもんを見かけたという。ドラえもんが帰ってきたのだと思ったのび太は大はしゃぎだったが、しかしその日は4月1日。つまりドラえもんを見かけたというのはエイプリルフール、すなわち『四月バカ』の嘘だったのだ。
残酷な仕打ちの嘘にだまされて泣いているうちに、のび太はドラえもんが「ぼくが出て行った後、どうしても我慢できないことがあったらこれを開け」と言って残して行った、ドラえもんの形をした箱を思い出す。これを開ければそのときに必要なものが出てくるというのだ(アニメ版では“使えるのは一度だけ、開封の瞬間が最初で最後”と説明されている)。出てきたのは、しゃべったことが嘘になる、つまり、しゃべったことと逆の事柄が起こる飲み物「ウソ800(うそえいとおーおー、元ネタは『嘘八百』)」。これを飲んで、のび太はジャイアンやスネ夫に嘘をついた仕返しをする(「今日は良いお天気だね〜」とのび太が二人に言うと大雨が降り、「大雨だね」と言うと日本晴れになったり)。しかし、仕返しを終えると虚しくなってしまい、「ドラえもんは帰ってこないんだから」、「もう、二度と会えないんだから」と独り言をいう。
部屋に戻ると、奇跡が起こった。そこにはドラえもんがいた。ウソ800を飲んでいたので、先ほどの「ドラえもんは帰ってこないんだから」、「もう、二度と会えないんだから」という独り言が嘘になり、「ドラえもんが帰ってくる」、「また会える」という事になったのだ。のび太は「うれしくない。これからまた、ずうっとドラえもんといっしょにくらさない。」と逆さ言葉で再会を泣いて喜ぶのだった。
この話が本来のテレビ朝日版の最終回(本来1本15分がその話のみ15分に分割した1本30分放送になっていた。)になるはずだったが、その後、「最終回にしないで」という反響を呼び、この最終回は幻になった。その後1994年と1997年のスペシャル放送でその最終回になるはずだった話を2回再放送され、映画版でも同時上映作品としてリメイクされた。
なお海外ではこの回だけ放送しない方針を藤子プロが取り、海外では未放送である。ちなみに同局で爆笑問題の出ていた単発バラエティ番組で海外の人にも見せた事がある。よく、幻の最終回などとして紹介されているものの、日本では「ドラえもんコレクションスペシャル 春の4」というDVDに収録されており比較的容易に入手が可能である。
ドラえもんのアニメは、現在テレビ朝日系列で放映されているシンエイ動画版以前に、日本テレビ・日本テレビ動画で製作された、通称「旧ドラ」がある(作品の詳細に関してはドラえもん (日本テレビ版テレビアニメ)の項を参照のこと)。
このシリーズは2クール52話26週で完結したため、「最終回」が描かれている。内容は、自転車が漕げなかったのび太が泣きながら自転車を漕ぐ練習をするところを、未来の世界から見守るところで物語が終わるというもの。原作において発表された3本の「ドラえもんの最終回」のうち、単行本未収録の1本を映像化したものである。
日本テレビ版ドラえもんの最終回では、最後の放送だったにもかかわらず、いつもの放送の最後と同じセルで「次回をお楽しみに」というアイキャッチを表示した(前週までは「次週お楽しみに」)。これはただの手抜きやミスではない。日本テレビ動画再建と続編の製作を、「再びいつかドラえもんを……」という希望を込めて、スタッフたちはあえて、「次回お楽しみに」との言葉を表示したのである。
これに対し、テレビ朝日版では第1話に“ドラえもんが未来からやって来る”という原作第1話のエピソード『未来の国からはるばると』を避け、「ゆめの町ノビタランド」とした。ドラえもんがやってくるエピソードは後に特番で番外編的に描かれた。
1990年代の終わりごろから『ドラえもんの最終回』と称するチェーンメールが出回り始めた。その中でも最も有名なのが「のび太植物人間説」と「ドラえもんの開発者はのび太説」の2つである。
1986年頃に一時期子供たちの間で流行した都市伝説であり、このチェーンメールの最終回はそれを少し改変したものである。内容は、「ある日、事故にあって植物状態になったのび太を、ドラえもんが天国へと連れて行く」というものや、「植物状態ののび太が見ていた夢」「実はのび太は心身障害者で、ドラえもんは彼による作り話(妄想・羨望といった派生型あり)」といったものである。ちなみに、「植物状態に陥った人物のうわ言がドラえもんのヒントになった。よってこのような最終回になった」という話を根拠にしたと推測されている。この最終回の噂はマスコミなどでも大きく採り上げられたため、原作者の藤子不二雄が正式に「流言飛語で根拠のないデマ」・「ドラえもんはそのような悲観的な終わり方にはしないつもりだ」とするコメントを発表する事態となった。
又、同じ植物状態説でも「動かないのび太にドラえもんが自分の全エネルギーを与え、自身の命と引き換えに助けた。その後、のび太が停止したドラえもんを抱きしめ、泣きながら『ドラえもーん』と叫ぶと、垂れた涙がドラえもんに当たった瞬間にドラえもんが復活し、オープニングテーマが流れスタッフロールが出てきてフィナーレ」というハッピーエンドになるものもある。ちなみにこのエピソードは1991年にアニメ化された『丸出だめ夫』の最終回ほぼそのままの話である。
ある日突然ドラえもんが動かなくなってしまった。未来の世界からドラミを呼んで原因を調べたところ、バッテリー切れが原因だと分かった。しかし、旧式の猫型ロボット(この場合はドラえもん)のバックアップ用記憶メモリーは耳に内蔵されているが、ドラえもんは既に耳を失っていたので、バッテリーを交換してしまえば、のび太と過ごした日々を完全に忘却(リセット、すなわち『消去』)してしまう事が分かった。バックアップを取ろうにも方法が分からず、開発者を呼ぼうとするも設計開発者の情報は訳あって絶対に開示されない超重要機密事項となっていた。
のび太は迷いの末、とりあえずドラえもんを押入れにしまい込み、皆には『ドラえもんは未来へ帰った』と説明したが、ドラえもんのいない生活に耐えられず、猛勉強をしてトップクラスのロボット工学者に成長する。工学者になってからしずかちゃんと結婚したのび太は、ある日妻となったしずかちゃんの目の前で、努力の末に記憶メモリーを維持したままで修理完了したドラえもんのスイッチを入れる。
ドラえもんがいつものように『のび太君、宿題終わったのかい?』と言い復活する。ドラえもんの製作者が明かされていなかったのは、開発者がのび太自身であったためだった……
この話は、あるドラえもんのファンページの作者が、あくまで「自作の最終回である」と言明しウェブサイト上に公開していたものがチェーンメール化したものである。ちなみに、後の脚色で「のび太は15歳で海外に留学した(飛び級で大学に入ったとする事もある)」、「修理には妻となったしずかちゃんが立ち会った」などが付け足されている場合もある。このファンページの作者は当時「チェーンメールはまことしやかに流布され、原作に対する権利の侵害、熱心なファンに対する冒涜であり、このような騒ぎになったのは私の責任」だとし、ファンページを閉鎖したが、その後もチェーンメールは真実の確認がなされぬまま流され続けた。2007年現在も未解決の問題である田嶋安恵による同人誌が作られた際にはファンページの作者とは連絡が取れなかったことが想像できる(ただし、作者が現在どういった立場にあるかについては、2007年1月の中日新聞特集記事上で明らかにされているし、またそれ以前にもインターネット検索で容易に知ることができる)。さもなければファンページの作者が最も憂慮した結果にはならなかったはずである。
鈴木蘭々などのドラえもんファンのタレントが、深夜番組などで「最終回は〜(のび太発明者説)なんだって」等と語った事から広範囲に流布し、一部ではこれを真の最終回だと誤解した人もいたという。また、この話に対する反論として、「原作に出る高校生のび太は馬鹿なままだ」とか「大学生のび太がタイムマシンでやってきた時、ドラえもんを見て何のリアクションも見せないのはおかしい」「ドラえもんのエネルギーは食べたものを使う原子力エネルギーだからバッテリー切れをするのはありえない(原子炉のトラブルで22世紀に飛んで帰る話がある)」「ドラえもんは1年に1回は22世紀へ行ってバッテリー交換をしていると漫画で紹介されたから、バッテリー切れなんてあり得ない」「そもそも、耳は無くても生活に支障は無いと医師が公言している」などが挙げられる(ただし原作者による作品の中でも主にタイムマシンなどの時間移動を伴う部分で随所に設定的矛盾がある)。また、「出来る範囲で頑張る」という作品の中で示されるのび太の成長が、「一生懸命頑張って立派になる」というように変わってしまっており、『ドラえもん』のテーマを完全に取り違えているとの批判もある。
ちなみにこのストーリーは、後年の美少女ゲーム『To Heart』(1997年発売)のエンディングの一つ(およびそれを原作としたアニメ『To Heart 〜Remember my Memories〜』の最終回)と重なる部分が多かったり、ドラえもんのパロディーであるPCゲーム『ぱちもそ』において、EDの一つとしてこの最終回を元にしたものがある。
この話をヒントにして、ファンページの作者に了解を取り、ファンページ作者が「Director's Thanks」としてクレジットされている実写映画『ジュブナイル』が製作された[1]。1998年から2000年の間にファンページの閉鎖、ファンページの作者によるチェーンメール化を嘆くアナウンスがなされている。
2005年末、漫画家の田嶋安恵がこの話を漫画化した物を同人誌として発行した。表紙は本家の小学館のてんとう虫コミックスの体裁を真似ており、ペンタッチは本来の作者の藤子を模倣したものだった。A5判の20ページでイベント頒布価格は300円、メロンブックスにおいて420円(税込)で委託販売した。半年の間に同人誌では異例の1万3千部が売れるヒットとなり、ネットオークションでも高値を呼ぶ人気となった。インターネットのブログでも公開(事後に田嶋から掲載承諾を得る)されたことから、さらに流布される形になっていった。この作品を傑作と評価する声もあり、中に本当に藤子が描いた最終回と勘違いした地方の小学校の教師が道徳の授業の教材に使いたいとして、小学館に問い合わせの電話があったという話がある。
この同人誌の存在については、月刊誌の「創」が2006年6月号で報じたり、徐々に世間の知る事となっていった。『ドラえもん』の出版権を持つ小学館サイドも事態の拡大について放置出来なくなり、藤子の著作権を管理する藤子・F・不二雄プロとともに、著作権侵害にあたるとして、2006年6月に文書で警告して販売中止と回収、ネット公表の中止を要請。話し合いにより、田嶋が数百万円の売上金の一部を藤子プロに支払うとともに、在庫の破棄、二度とやらないことを誓約して謝罪することでこの問題は決着した。
小学館の大亀哲郎知的財産管理課長は同人誌の部数が多かったこととデザインがオリジナルに酷似していたことが、個人や仲間内での楽しみの範囲を超えていたとし、さらに第三者が勝手に最終回を描いたことを改変として問題視したとしている。また、漫画家で日本漫画家協会常務理事の松本零士はこの最終回の漫画化作品を「営業妨害」だとコメントした。
この事件については、単なる著作権侵害事件とみなさずに、同人作品や模倣、オマージュのあり方について問題提起になったとする報道も存在した。[2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]
田嶋が漫画化する以前にもこの話はファンの手によってフラッシュムービー化されておりWebで公開されていた。これは後に小学館よりクレームがつき公開を終了したが、2007年現在、YouTube、その他Webで見ることができる。
ほかにも、以下のようなさまざまなバリエーションのものがあるが、もちろん全てファンフィクションまたは誤解。
※この話はケロロ軍曹にも栗饅頭がいきなり団子に変更された怪談話として登場する。ただし、宇宙が滅びるということについては、作中で「いきなり団子はブラックホールと化す」として否定されている。
「時空法が改正され、過去で未来の道具を使うことが禁止される。そしてセワシがドラえもんを未来につれて帰る」(同上)[10]
「のび太がドラえもんの道具で悪戯をした為に、ドラえもんの開発者の存在が消え、未来が変わってドラえもんやセワシの存在も無くなった。未来を軌道修正するため、長い年月をかけてのび太・しずか・ジャイアン・スネ夫・出木杉がドラえもんを開発する。」[11]
「タイムトラベルを幾度も繰り返して異世界で長く過ごしたため、のび太が実年齢以上に成長して誰にもいじめられなくなり、そののび太に安心してドラえもんが未来に帰る」[12]
「未来世界は機械帝国に支配されており、ドラえもんはそのスパイで、未来に帝国反対派のリーダーとなるのび太の未来を変えるべく現在へとやってきたが、のび太に情が移ったドラえもんが裏切り、いつものメンバー及び脇役と一緒に機械帝国を滅亡させて…」という長編の話もある[13]。
なお、これは1999年頃にチェーンメールで出回ったもので、「1999年12月31日放映予定」と書かれていることがある(「東映動画に友達がいて…」と出所が書かれている場合もあるが、ドラえもんの製作元はシンエイ動画である)。
ドラえもんの初登場が正月ということでのび太の初夢という説もある[要出典]。この説で現実ののび太は正反対の文武両道。
ドラえもん最終回については以上のとおりであるが、映画原作を除き実際に最後に描かれた作品については以下のとおりである。なお本作は複数誌に跨って連載された作品であるため、各誌とも最終連載時期が異なる。
このうち最も最終期に連載された作品は、1991年5月号の『こわ〜い! 「百鬼線香」と「説明絵巻」』であり、これがドラえもん通常連載の最後の作品となる。なお、通常連載終了後も各誌(基本的に映画原作以外は再録が主体だった『コロコロコミック』も含み)において再録連載は当分の間、継続した。
通常連載終了後、連載開始25周年を記念して『小学三年生』『小学四年生』『小学五年生』の3誌同時に1994年7月号〜9月号に集中連載された中編。
また、コロコロコミックの1994年9月号では完全版としてドラえもん44.5巻という別冊付録で掲載された(完全版と称するもののコミックス45巻では更に加筆されている)。
映画原作を除き、通常連載分と本作を区別しないならば、本作が事実上最後の連載作品となる。物語はタイムマシンを効果的に利用したSF色の強い規模の大きな物語であり、映画原作にも匹敵する完成度であった(むしろ劇場原作という枷がない為か、ギャグのシュールさと毒では劇場版を超えている)。本作は現在、単行本45巻(最終巻)の最後に収録されている。1999年に大晦日の特番で「地球を救え! のび太VSアリ軍団」のタイトルでアニメ化されたが、物語が大幅に簡素化されているため、ほぼ完全な別物となっている。
『45年後…』 小学六年生1985年9月号(この後にコロコロコミック1986年6月号再録、小学六年生1989年3月号、1991年3月号でも再録)
全作品中で唯一、老年期ののび太(小学6年生ののび太から見て45年後なので56〜57歳)が登場する。ラストシーンではのび太自身が過去の自分に対するエールを送る。これは初収録時が小学六年生であることから、これからの苦難に向けて読者に向けたメッセージとも言われている。
『ぼくドラえもん』の付録最終巻の最後に収められた話でもあり、ファンの間でも『実質的な最終回』としてみられる話である。
また、この話は大山のぶ代の『ドラえもん』引退時に最終週の前週に放映された。翌週はほぼスペシャル扱いだったために、通常放送の最終話との位置づけと考えられる。
なお、この話は2005年〜2006年刊行の「ドラえもんプラス」シリーズ全5巻のコミックスのラスト(5巻最終話)を飾る話としても用いられた。
前述の『45年後…』の翌週の2005年3月18日、スペシャル版『オールキャラ夢の大集合スペシャル』として放送。大山版アニメとしては最後のテレビ放送となった。
原作はコミックス35巻の同タイトルのエピソードで、以前にも『ドラえもんに休日を』(1985年3月8日放送、1990年代に再放送)としてアニメ化されている(ドラえもん (テレビ朝日版テレビアニメ)を参照)。のび太がドラえもんに1日だけ休日をプレゼントし、ドラえもんは念のためにのび太に呼びつけブザーを預けた上でミィちゃんとデートに出かける。原作や以前のアニメではのび太がドラえもんを想い、ピンチに見舞われても、ドラえもんを呼ぶブザーをのび太は自ら踏み壊し、ドラえもんに頼らずに危機を自力で乗り越えていこうとする話である。ところが2005年版アニメではのび太が誤ってブザーを押してデート中のドラえもんを呼びつけてしまう。怒ったドラえもんが未来へ帰り、後は「オールキャラ夢の大集合」というだけあって原作とは異なりセワシ、ドラミ、ミニドラたちが登場するといった、ほぼオリジナルのエピソードとなっている。原作の「自力で頑張るのび太」というのび太の成長が描かれるどころか正反対に「ドラえもん無しでは何も出来ないのび太」のまま描かれており、「改悪」とする意見も聞かれる。
^ 青井輪廻「出版界に一石を投じることになるか『ドラえもん最終話』同人誌が大ブレイク」創、2006年6月号
^ 青井輪廻「傑作ゆえに思わぬ騒動に出る杭が打たれた!?『ドラえもん最終話』」創、2006年12月号
カテゴリ: 中立的観点に議論ある項目 | 出典を必要とする記事 | ドラえもん | 都市伝説

[ 6] ドラえもんの最終回 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%88%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%AE%E6%9C%80%E7%B5%82%E5%9B%9E



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