満員とは?
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少年マガジンだったかジャンプだったか忘れたけれど、読者の欄に「嫌われ者の友人のAは満員電車で初めて人のぬくもりを知ったかわいそうな奴です。」などと書いて有って少し笑った。しかしその後すぐ、僕も「ぬくもり」を強く意識したのは確かに満員電車が初めてだったな、と思い出した。中高生時代、僕も確かに嫌われ者の部類に入っていたかも知れない(なにせ変な奴でしたから)。けれど変な奴らは少数であっても居て、変な奴ら同士で結構つるんでいた。そこには友人同士のぬくもりは確かに有ったはずだ。それに僕の両親は僕にぬくもりを惜しみ無く与えてくれて居た(僕自身あまり気付いていなかったが)。多分読者欄に出て来た嫌われ者の友人A君もいろいろな場面でぬくもりを与えて来てもらったはずだ。けれど僕もA君も満員電車の中で初めて強くぬくもりというものを意識しなくては成らなかった。「ぬくもり」という言語を使って表現しなければ成らない経験を、満員電車の中で初めて味わったのだ。 僕の経験とA君の経験がどこまで重なるのか保証は出来ないが、その経験について話してみよう。僕が満員電車に乗り始めたのは高校生に成ってからだった。学校に通うために毎朝満員電車に乗ったのだ。それまで満員電車に乗ったことが無かった訳ではないが、ひたすらにひしめいた窮屈な空間は単に不快なだけの場所だった。しかし毎朝それを経験するとなったからには多少は慣れなければ成らないし、その中で生きて行く方法を見付けなければならなかった。 そう、満員電車の中では躰をふにゃふにゃにし、出来るかぎり回りの動きや全体の意志に同調して動かされる方向に動いて行くのが良い方法だった。僕という個を半分壊して全体という一を見ながら満員電車という空間を自己の肉と化してしまう。その場に居るという意識と感覚を朦朧とさせ、自分の勝手な思考の中に入り込んで行く。多分そんな自閉した処世方を使いこなせるようにして満員電車という空間を生きていくのだ。 けれど、そんな場所に強く意識の必要とする存在が現われた時、そう、有り体に言えば、かわいい女の子が現われた時、思春期の僕は彼女の肉体をどう扱うべきなのだろうか。要はそこが問題と成るのだ。悲しい性欲を恐れながら、僕は少女を強く意識し、希求しなければならないだろう。 僕は回りの押しつけてくれる力を利用しながら、やわい半液体の女という肉質を楽しんでしまう。経験から言えば、少女はたいがい協力的に僕の皮膚にへばり付いて来る。ただしその関係は必ずある種の必然を見せかける必要が有る。見せかけ合うという見知らぬ相手との共同の嘘が必要なのだ。その根底には相手の皮膚を求め合う欲望が存在している。それを十二分に分かりながら素知らぬ振りをし、求め合うのだ。 そんな不気味な肉体の関係が満員電車の中で繰り広げられる。僕はそんな違和感と肉体の温度に「ぬくもり」を初めて強く意識してしまったのだ。 このことは痴漢行為として相手の少女に認識されるのだろうか。あるいは痴漢された女性が派手に涙を見せるのは満員電車という公の場であり、又肉欲の空間でもあるその世界の中で、自分自身にある不気味な欲望を見付けるからなのだろうか。 学校からの帰り道、電車の入り口の隅に躰を小さくして寄り掛かっていた。僕はとても眠かった。クラブのシゴキでとても疲れてしまっていたからだ。半分眠りながらそこの場所に立っていた。そしていつのまにか気が付かぬうちにぬくぬくとした「ぬくもり」に包まれていた。柔らかくぬくもった肉が僕の躰を覆って、乳房や太股の感じを喜んでいた。そう、見知らぬ女性が押しつけて来る肉体を楽しみ、その中で赤子のように安息していたのだ。その肉体はひどく優しかった。僕はそこが電車の中であることさえ忘れていた。肉体と肉体の接触による温い温度。そして彼女が与えてくれる女の匂いのやさしさ。それらの安心の中で僕は心地良く眠っていた。 ところがだ。二つぐらい過ぎた駅に付いた時、突然彼女は僕の下半身を握った。ぐにゅぐにゅと二回ほど握り締め、さっと電車を降り逃げて行った。僕は何が起こったのかすぐには理解できなかった。しばらくして、こういうのが痴漢というのだろうと理解した。そう、僕は受け身の行動に見せかけていたけれど、意識の上ではむしろ積極的に肉同士の絡み合いを肯定していた。しかしながら満員電車はあくまでベットの上では無かった。気違いじみた「ぬくもり」を交換せざるを得ない空間であったとしても、ルールが有ったのだ。いわば下腹部を握るのは満員電車の中では明らかなるルール違反(痴漢)なのだ。 何かの雑誌で「満員電車の中で手の甲で女の尻を触るのは痴漢では無いが、裏返して手のヒラで触った途端それは痴漢となる。」などといった変な考察が書いて有った。しかしそれはある程度正しいルール認識だと僕は思う。触るという能動的な行為と接触するという受動的行為は、そこに積極的な意志の有る無しによって区別される。それを表わす指標として手のヒラと甲はひどく強い区別を常識の中で認識させられている。そう、普段僕たちはものに触る時、手の甲ではなく手のヒラで触るからだ。だから私は積極的ではなく回りに押されてこうならざるを得ないのです、という意思表示として手のヒラでなく甲で触るのが満員電車での肉感の交流のルールなのだ。いわば満員電車という人と人とがひどく近い距離に存在しなければならない空間では、手のヒラと甲のように微妙な違いが大きな違いとして認識されてしまうほど、繊細なるルールが発生するのだ。 |
[ 46] 満員電車1
[引用サイト] http://www.fukusibunka.com/sakuhin/manninn1.htm
