ツッコミとは?
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「ツッコミ」がある。ツッコミは辞書的な意味では「漫才でボケに対して発する言葉」という意味である。漫才のツッコミは「なんでやねん」が基本である。ま た、漫才は普通「ツッコミ」で終わる。しかし、今回、ツッコミの典型である「なんでやねん」は漫才の締めくくり(最後)には使われないことがわかった。 のツッコミの典型は何か?」という質問をしたところ、9割の人が「なんでやねん」であると答えた。当初、漫才の最も盛り上がった部分である最後のツッコミ は、のツッコミの典型「なんでやねん」で終わると我々は考えていた。しかし、実際に漫才を見てみるとそうでないことがわかった。そこで、「漫才はツッコミ とにどんな意味があるのかを考えていきたい。まず、ツッコミの法則性を探るために各年代に代表する漫才コンビを選び、分類をしてみることにした。 含む否定型のツッコミが漫才の中でもっとも多く使われていることから、漫才の締めくくりとしてのインパクトに欠ける為だと推測する。 たため、漫才を続けることができないから終了という流れを作り出す役割があると考えられる。だから、放棄型がもっとも少なくなっているのは、漫才の締めく 「ええかげんにせえ!」と否定していたのでは、コミュニケーションが成り立たない。適切な型のツッコミを適切なタイミングで行うことが望まれる。また、日 常生活の中で、相手が放棄型以外で話している間は順調であるが、放棄型へと変わった場合、注意が必要だろう。それは、相手がそろそろ会話をやめたがってい うに持ってくるかは非常に重要な問題である。毎回「否定型」でツッコミ、そのまま最後も否定型で終わってしまえば、単調でつまらない漫才である。つまり、 ツッコミをどこに、どのような形で持ってくるかということは、より人を惹き付ける話をするために不可欠なのである。例えば、会話や行事の進行などで、序盤 から中盤にかけては、間違いのない確実なものを用意し、終盤には意外性のあるものを用意して盛り上げていく、といったことに応用できるだろう。同様に講 れるべきものである。広い意味で考えれば「うんうん」と頷く相づちなど、他者の問い掛けなどに対する受け答えも一種のツッコミであると考えられる。相づち にも国民性があり、一般的に日本人は相づちが多すぎる民族であるといわれている。相手が一言ボケる発言をすればそれにタイミングを計らってすかさずツッコ べた。おそらく流れという点では、「発話」ではないがレポートなどにも応用できると考えられる。ということは、このレポートは中盤で少しだらだらとしてい るレポートであり、見る側は「ええかげんにせえ!」と思ったかもしれない。今後はツッコミの要素を認識しながら、よりよいレポートが完成するように心がけ |
[ 59] 漫才におけるツッコミの法則
[引用サイト] http://www.human.mie-u.ac.jp/~hkpz/manzai.htm
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これによって、「お客」は、ツッコミのいる「普通の世界」から「変な世界」を観察することが出来ます。動物園で檻の外からボケを鑑賞するような安全な立場におかれるわけです。 このサイトで数回「SMと封建主義」の関係を分解してみようというネタでエントリを書いてみましたが、そういう「他人同士のはずなのに予定調和」という世界の作り方は、日本の文化のお家芸パターンの本質なんだろうと、私は思っております。 浜田氏のツッコミがズンズンとサディスティックになっていくのは、彼に対する「サービスとしてのS」です。 これとの比較で言うと、爆笑問題の大田氏などは、サド型のボケです。横にいる田中氏は「マゾ型のツッコミ」を忠実に行っているわけです。 この二つの漫才コンビは、極めてオーソドックスな組み合わせで漫才を作っているパターンだと思います。これに比べて、最近の若手漫才などだと、組み合わせにバリエーションを設けたりします。・・・が、その話は後にしましょう。 したがって、「変な世界=ボケ」と「普通の世界=ツッコミ」どちらが支配的になるかは、このSM関係で決まる。 官僚システムのお役人がそうであるように、基本的にはツッコミは「仕事人間」であって、「何か決められたテーマについてリアクションする」 という役割になる。だから、ついつい「仕事の話」になる。 一般に、ツッコミは「ボケ」か「仕事」のどちらかがないと、路頭に迷います(SOS団以前のキョンを参照)。 このように、至極オーソドックスな組み合わせですので、キャラクタの組み合わせだけで会話が安定して量産可能ですね。 最近のジャンプは、どのキャラクタもボケとツッコミを両方こなす、複合型のギャグが主流になっています。※ 私はその先鞭を明確につけたのが、OnePieceだろうとにらんでいます。これによって、キャラクタのパーティ内での無限ボケ合戦が可能になった。 OnePieceでは、全員がボケネタを一つずつ持っている。で、ツッコミもそれなりにはこなす。基本スペックとしては、以下のように推定。 場合によって、ボケ・ツッコミなどの行動は属性変化するが、「対角線方向」にはあまり動かないので、それなりにキャラクタに安定感がある。 ・ 基本的に、ツッコミのプレイヤ2人は、「嘆くツッコミ」「怒るツッコミ」どちらもするが、怒るのはナミの役目で嘆くのはウソップの役目・・・だと思う。まあ、あのマンガ、全員ツッコミは出来るんだけどね。 ・ ウソップとチョッパーは、マゾ型ツッコミ内でのヒエラルキーとして、「ウソップがボケ、チョッパーがツッコミボケ」という構造を保っています。M側にいるこの二人は、立ち位置が同じでも仲が良い。 ただ、ツッコミってのはリズムが命なので、こういう変動組み合わせ漫才のマンガは、アニメ化したときに、声優さんに過度に負担がかかるみたいですね。 そもそも、この手の漫画で多用される「会話だけでボケツッコミ」ってのは、お客さんに理解させた上で面白いリズムにしようとすると、それこそものすごく話芸がいるし。 サド型の敵対者として現れたヤクザも、文句言いながらも弥子のボケまで拾うようになっている立派なマゾ型ツッコミになりました。・・・吾代、哀れだ。 このように、サド型ボケの争いでは、負けたほうがクラスチェンジを余儀なくされる場合があります。大抵はサド型ツッコミに移動しますが、負け癖が付くと一気にマゾ型ツッコミの位置にまで動きます。 「マサルさん」や「ジャガー」などの、「うすたマンガ」もこのタイプですので、主人公よりもボケるのは基本的にご法度。 でも良いボケキャラが出た場合には、主人公が自らツッコミに回ります。基本がSですから、この場合のツッコミは容赦ありません。垂直落下式ブレインバスターのように、さんざん持ち上げておいて一気に落とします。 例)「ああっ女神様」や、西尾維新の「戯言シリーズ」など、「恋愛ゲーム型」「エロゲ型」の多数ヒロインキャラクタ配置の場合には、このパターンが多いようです。 ヒロインがサド型ボケ/ツッコミの場合には、ヒロインにとって、このまったりキャラクタが内心の嫉妬の対象になることもあるわけですが。(例: ラブひな=成瀬/むつみ) ツッコミのキャラクタにはすごく生き辛い世界です。小さくなって小声でツッコむ以外に生き延びる術はありません。 ギャグ話の展開に困った方は、ご一考あれ。 ・・・でも、「分析」ってのは所詮、第三者である「編集者向き」のツールなんですけどね。 (※) とりあえず、私のネタはいつも、ボケがボケっぱなしでツッコミ要素が足りない気がする。サド型ツッコミとかについての修行の必要がありますなあ。 武装連金愛好blogの、「よいこノート」(06年08月12日)で、この手法を用いて、武装連金の分類をなさってました。 あれは、マゾ型ツッコミの「少女小説体質」の娘が、≪怒りから「ダークサイド」に転がって≫、サド型ツッコミ属性に相転移したパターンだと思います。状況証拠としては、あの「私語り」を始めたときの内向っぷりがそれを示しております。 あと、夜一さまは、外見からサド型ボケっぽく見えながら、大事なところではマイペースで動いてしまうマゾ型ボケなんじゃないですかね。その辺りのギャップが蜂さんの悲劇を生んだのだと思いますが。 妙な理屈でもって変態的な行為を突き進むボケ役しんのすけに対し、数多いる母親・大人たちという権威ある存在達がツッコミに立つ・・・ このようなタイプの物語では、基本的に「サドボケ」の主人公の子供一人に対し、多くの「サドツッコミ」の大人、そして少数の「マゾツッコミ」の主人公の友達、という形になると思うのですが・・・ ボケとツッコミの関係は、つまるところ「文化の進化」がどう進むか、という話です。文化の進化とは要するに「子供と大人」という模倣ゲームに帰着されるのでしょう。 友達が読んでるのを横から覗き込んだ程度ですが、美輝がサドボケ、めぐみがサドツッコミでバランスが取れているみたいです。 時折ボケとツッコミが入れ替わったり、酒が入るとサドボケからマゾツッコミに変わったりと、読んでて楽しい作品ではないかと思います。 他に太田さんと勘九郎がマゾボケ、真紀子がサドツッコミ、茅原先生と若菜がマゾツッコミに当たるのではないかと思われます。 「無敵看板」については愛読者ですので、確かになるほどと思われる次第です。・・・なるほど母親の愛がタップリこもったサドツッコミですね。 成人男性が夜中に少女漫画を大人買いすることは大人気ないだろうという反省の念による自主的略式裁判 (07/31) |
[ 60] 3ToheiLog: ボケとツッコミのキャラクタカップリング理論
[引用サイト] http://semiprivate.cool.ne.jp/blog/archives/000452.html
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自動車やオートバイのレース等で使われる言葉。直線路からカーブ(コーナー)へ(勢いよく)進入する行為。 ボケが面白いことをする(おかしなことを話す)役割であるに対し、ツッコミはその間違いを素早く指摘し訂正する役割である。 ボケから話題を引き戻すことによって、次のボケがやりやすくなり、結果的にテンポを良くすることができる。 ダウンタウンの浜田雅功は、「見る側に(相方である松本人志の)ボケをなぞって分かり易くしてやる」とツッコミとしての自分の役割を定義している。 明石家さんまは、「見ている人よりちょっとだけ先回りして、ボケの笑いを引き立てるのがツッコミ」と語っている。 このやり取りは、報道・情報系番組でアナウンサーが行うこともある。NHKニュースおはよう日本で歴代の女性アナウンサーがメインキャスターらにツッコミを入れるのは、その例である。 おかしな事を言ったボケ役の頭や体を手や道具で叩いたり押したりし、その間違い(おかしさ)を強調する。ボケ役が自分の身体を使って叩いたり押したり(ぶつかったり)するほか、ハリセンやピコピコハンマーなどの道具が用いられる場合もある。日本(特に大阪などの関西圏)では、お笑い芸人だけではなく一般人同士でも軽いどつき行為を行う例が見られるが、海外ではツッコミの概念自体が存在しない国が少なくないため、どつきを行うと大問題に発展する恐れもある。もちろん日本人同士でも度を過ぎたどつきは好ましくなく、節度やどつく相手との上下関係・信頼関係などを判断すべきなのは言うまでもない。例として中川家礼二がツッコミ感覚で一般人を叩いた(とされる)行為が暴行問題に発展した事がある。俳優の今井雅之は、自作の舞台「THE WINDS OF GOD」を海外で上演した際に、劇中で演じる漫才師のどつきを伴うツッコミには拒否反応があったと語っている。 「みのもんたの朝ズバッ!」(TBS)でいじめ問題についてコメンテーターが「お笑いタレントが人をバカにしたりするのも、イジメを助長すると思う。」と述べると、みのもんたが「ある関西出身の芸人がね、人の頭を平気で叩いて笑いを取っている。私はその芸人の番組には出演しないようにしているんですよ。」と批判。ネット上で、この関西出身の芸人が誰なのかという意見が飛び交い、同時に、お笑いにおける“どつき”は「愛」があってのものなのか、単なる「暴力」なのかという論争が起こり、週刊誌で取り上げられるまでに事は大きくなった。因みに今のところ、みのもんたがあげた関西出身のお笑い芸人は、ダウンタウンの浜田雅功だと言われている。 ボケを「○○じゃないんだから」「お前○○か!」などと何かに例えてつっこむ。パイオニアはビートたけしと言われている。くりぃむしちゅーの上田晋也はそれをさらに昇華させ、例えば「遅いよ! 1月3日の中央高速か!」などのように独特の芸にしている。 ボケ(ツッコミ役の身体的特徴や私生活を引き合いに出したボケが多い)を一旦肯定した後にツッコミを入れる。肯定してすぐツッコミを入れる手法もあれば、ボケを肯定しさらにそのボケから話題を広げた後でつっこむ手法もある。例えば、「おまえの彼女、亀なんだよな?」「そうそう動くのがとっても遅いんだよー、って違うわ!」などのように。中田ボタン(中田カウス・ボタン)によるものが代表的。「ダウンタウンのごっつええ感じ」の有名コント「Mr. BATER」は、今田耕司が無言で演じるキャラクター「マスター」のボケに対して松本の「Mr. BATER」がベタなノリツッコミをする、という構造で作られている。 前段がボケ、後段がツッコミの定型にならっているが、一旦肯定することが「ノリ」でボケ要素を持つので、前段をボケと呼ばず「フリ」と呼ぶ場合もある。特にフリと呼ばれる場合は、ボケ的要素は大きくないが「次で大きくボケろ」という指令であり、次いだノリの部分でボケを拡大、そしてつっこんで清算、という流れになる。 ボケを超えるような勢いでツッコミをやることで、ボケ以上のインパクトを与えるツッコミ。パイオニアはさまぁ〜ずの三村マサカズ。三村マサカズを「関東一のツッコミ」とも形容されるほどインパクトが強く、さまぁ〜ず(バカルディ)の再ブレイクの要因になった。ナインティナインはラジオ番組で(勝手に)フィーチャーしていたほど。ツッコミ自体は単純で「○○かよ!」「○○っ!」「○○じゃねぇよ!」とありのままのわかりやす過ぎるツッコミであるが逆にそれまで無かったために注目された。近年ではそれを進化させ、あらかじめツッコミの単語が用意してありそれに対してボケて笑いを獲るスタイルをタカアンドトシが作り上げた。このスタイルを模範とする若手芸人も増えている。トシのツッコミ(例:「欧米か!」)やハリセンボンの近藤春菜のツッコミ「(例:「角野卓造じゃねぇよ!」)」などが有名。 ある人物のおかしな行動を主にボケ側が指摘した直後にそれに対して二人で声と動作(主に前方を指差す)を揃えてツッコミを入れる。星セント・ルイス、B21スペシャル、ハリガネロックなどが使用している。 ツッコミという文化はアジア特有のコメディスタイルと見ることが出来る。それは頭を叩いたり、言葉を返したりするから、という具体的な言動作から派生するものではなく表現の問題である。日本ではボケとは「ファニーな状況を創造し表現すること」であり非現実性が非常に高い。一方、アメリカのボケは基本的に「ファニーな内容を創造すること」であり表現力が日本ほど重要視はされず、内容が比較的現実的で笑いがストレートだ。例えば「僕はこないだトム・クルーズの結婚式に行ったんだ。そしたらウェディングケーキが凄くてね。高さが50センチくらいで、幅が・・・・ちょっと待て・・・そりゃトムだ」(トム・クルーズは身長が低いことで有名ということを揶揄している)(「The LATE SHOW with David Letterman」より)。尚、英語のリスニングができなければ生でその表現を理解することが出来ないため、単純につまらないと判断することは危険だ。そして欧米のコメディはツッコミがないし、必要がない。上記の発言に関して言えば、この言葉で観客が笑って一つのトピックは終了する。これにツッコミを入れるのはアメリカの場合、蛇足的だ(なぜなら既に笑っている)。だからスタンダップ・コメディというものが発達している(それがメインストリームである)。彼らは笑いの感性がブレにくい為、「間」が悪くても笑うし、内容がつまらなければいくらパフォーマンスが優れていても笑わない。逆に日本の笑いは「間」が非常に重要で、パフォーマンスしか取り得の無い芸でも人気が出る。松本人志は電波少年の「アメリカ人を笑わせに行こう」という企画でLAのコメディシアターを見学し「彼らは面白いものがあれば笑う、というダイレクトな部分がある」と評した。 まとめると欧米のスタイルは「おもしろい⇒笑う」であるが、日本は「おもしろい+言葉・行動の表現力(パフォーマンス)⇒笑う」というステップを必要とする。なのでたとえコメディアンが言った事を素人が話しても面白くはならない、しかし欧米はそれが比較的容易である。つまり欧米人にとっては「おもしろさ=ボケ」でありツッコミは蛇足だ。なぜなら「ツッコミはボケではない=おもしろさではない」という部分に帰着するからだ。日本はツッコミを「笑いという表現の一形態」と考えているから使用度が高い。 その為、外国人がボケてもツッコミをすることは基本的に好ましくない。その行為は「邪魔者」と捕らえられる可能性が高く、また体を叩くのは日本特有のコミュニケーション手段であるということを認識する必要がある。比較的近いお笑い文化を共有する韓国でさえ頭を叩く行為は許されることではなく、日本のコメディを観賞した外国人は欧米やアジアに関係なく、頭を叩くという行為に嫌悪感を覚える人が非常に多い。 |
[ 61] ツッコミ - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%83%E3%82%B3%E3%83%9F
