ドキュメンタリーとは?

ドキュメンタリー(documentary)とは、映画フィルムもしくはビデオなどの映像記録媒体で撮影された記録映像作品の事を指す。
記録映像、記録映画とも言われ、テレビ番組として放送する場合もある。文学におけるノンフィクションに相当し、「取材対象に演出を加えることなくありのままに記録された素材映像を編集してまとめた映像作品」と定義される。個別の作品については様々な手法がとられている。一般的にはドキュメンタリーは制作者の意図や主観を含まぬ事実の描写、劇映画・ドラマは創作・フィクションであると認識されているが、本質的に差はないと実務者(森など)に指摘されている。
ドキュメンタリーの歴史は映画と共にはじまった。リュミエール兄弟による歴史上最初の映画「工場の出口」(1895年)は、その名の通り工場の出口にカメラを設置して、従業員らが出てくる様子をワンショットで撮影しただけのものである。それにつづき「列車の到着」(1896年)では観客はスクリーンの映像を現実のものと見間違えて大騒ぎしたという。これらは上記の定義においてはまさしくドキュメンタリーである。(被写体となった群衆のなかにリュミエールらが仕込んだ関係者が含まれることは映画における史上最初の演出とも云われる。)リュミエールらが撮影したその他の映像(家族で会食している場面など)も一種の記録映画と言える。
初期の映画においては世界各地の風景が盛んに撮影され、大衆に向けて興業された。これも紀行ドキュメンタリーのさきがけともいえる。
しかしながら、初期の映画においてはフィクション・ノンフィクションの境界は曖昧であり、のちに生まれる様々なジャンルへは未分化に状態にあった。この段階ではただ映像が映っていること、物珍しいものが映っていることに観客の関心が始終した。(この流れの中で、演劇を固定カメラによって撮影した映像から劇映画が生まれていくことになる。)
やがて映画という媒体の持ついくつかの可能性がはっきりするなかで、記録媒体という要素を重視しながら自らの問題意識を作品に投影する意志を持った制作者が現れてきた、ドキュメンタリーの父と言われたロバート・フラハティ(アメリカ、1884〜1951)やヨリス・イヴェンス(オランダ、1899〜1989)、ジガ・ヴェルトフ(ソビエト、1896〜1954)などがそれである。
フラハティは代表作である「極北のナヌーク(極北の怪異)」(1922年)を、イヌイットナヌーク一家と一年間共に生活しながら制作した。イヴェンスは当初「橋」(1928年)や「雨」(1929年)によってアヴァンギャルド映画作家としての評価を得たが、これらの映像制作はその後の一貫した記録映画作家としての活動の序章となっている。ヴェルトフは代表作「カメラを持った男」の制作などを通して、現実の徹底的な記録を至上とする記録映画主義「映画眼」を提唱し、後の記録映画作家達に影響を与え続けている。
こうした1920年代の成果をもとに1930年代にいたって、イギリスの記録映画作家グリアスンらが提唱した「英国ドキュメンタリー映画運動」など、映画のもつ教育効果、宣伝効果を利用して社会を変革する意図をもった映画制作が隆盛した。現代の「ドキュメンタリー」という用語はこの運動が発祥とされる。
しかしながら、こうしたドキュメンタリーの技法や技術が確立されるにともなって、映画の大衆宣伝能力が注目され、国家的なプロパガンダを目的とした作品も多くあらわれた。特に第一次世界大戦以降、総力戦を遂行可能にする施策の一つとしてプロパガンダ映画の製作が重視された。
たとえば、レニ・リーフェンシュタール(1902〜2003)の作品「意志の勝利」(1935年)はナチスの党大会を記録した映像であるが、当時としては究めて洗練された映像作品として仕上げられており、その美的印象によって大衆をナチズムに誘導したとされる。そのため未だにドイツでは上映が禁止されている。(こうした映画では必ずしも現実をありのままに記録しているとは限らず、制作者や体制の思想に沿うように現実が歪曲して描かれる傾向が強い。)
ナチス・ドイツは自らの活動について詳細に映像記録を残したが、このなかにはユダヤ人強制収容所の映像なども含まれていた。こうした、もともとはナチスの記録・宣伝用として撮られた記録映像を素材として使用し、反対にその犯罪性を告発した記録映画の代表作がアラン・レネ(1922〜 )の『夜と霧』である。
また、1930年代から、映画カメラは文化人類学のフィールドワークに活用されるようになった。こうした映像を活用した人類学は特に映像人類学と呼ばれ、撮影された映像を人類学映画と呼ぶ。ここでは映像は記録者の主観的な解釈に影響される事のない絶対的な客観性をもった記録手段として捉えられている。人類学映画は純粋に学術的記録であり、今日的な意味でのドキュメンタリーとは一線を画するが、ドキュメンタリー映画作家たちに一定の影響を与えてきたと言われる。
第二次世界大戦後、ドキュメンタリーは、産業映画・教育映画と呼ばれる分野から、新植民地主義、キャピタリズムへの異議を唱えるプロパガンダ的なものにいたるまで多様化し、さらにテレビジョンの登場・普及によってテレビ・ドキュメンタリーという放送を前提とした作品分野が登場した。
その中で、古典的スタイルのドキュメンタリー制作は深刻な社会的問題に連動して盛んに制作された。たとえばベトナム戦争の時代にはヨリス・イヴェンスは米軍の北爆に曝されるハノイに入り、市民の日常を撮影し て「ベトナムから遠く離れて」(1967年)や「北緯17度」(1968年)を制作した。なかでも「ベトナムから遠く離れて」はクリス・マルケルやジャン・リュック・ゴダールなどフランスの気鋭の映画作家たちとの共作となった。日本人では、牛山純一がテレビドキュメンタリーとして「南ベトナム海兵大隊戦記」を制作した。日本においてはほかに「絵を描く子供たち」を制作した羽仁進、水俣病を追求し続けた土本典昭や三里塚闘争を描いた小川紳介、「ゆきゆきて、神軍」の原一男などが活躍した。
さらに8ミリ映画、16ミリ映画、ビデオカメラなど廉価に扱える機材が普及したことで、極めて私的な世界を扱った個人映画も勃興した。たとえばジョナス・メカスの「リトアニアへの旅の追憶」(1972年)はアメリカに暮らす作者自身が生まれ故郷であるリトアニアを訪ねる様子を自らの撮影で構成した。一見ホームビデオ的な作品であるが、世界中で個人映画の記念碑的作品として支持された。
一方で、観客の劣情に訴える娯楽としてのドキュメンタリー映画もテレビ・ドキュメンタリーの普及以前には流行した。これらは世界各地の大都市の夜の風俗、退廃的・奇怪なイベント、欧米以外のアジアやアフリカの民族(日本も含む)の「野蛮な」風習を切り取ったものである。特にグァルティエロ・ヤコペッティの「世界残酷物語」(1962年)は海外旅行の珍しい時代に世界の奇習を紹介して大ヒットを記録し、以後1980年代前半に衰退するまでこの手のドキュメンタリーは数多く制作された(これらの映画はモンド映画と呼ばれている)。しかしこれらのモンド映画は当初から多くのやらせを含んでいたほか、ヨーロッパの側から劣った東洋やアフリカを見るというオリエンタリズム的な視線があったことが批判されている。モンド映画ブームの後半にはやらせの手の内を見せる半ばフィクション的なものが登場したほか、観客もやらせの存在を暗黙の了解として楽しむようになり、やがてテレビによるショッキングな特集番組などに吸収されて消えていった。
また、ドキュメンタリーの制作技法がステレオタイプ化し、手持ちカメラなどドキュメンタリーに特有の技法を逆手に取って臨場感・本物感のあるフィクション(ドラマ)が制作されるようなケースが1970年代以降現れ、こうした手法はすでにハリウッドなどでも一般化している。さらに日本においては1980年代頃から伝統的な取材・構成形式の他に、ドラマとともに構成された「ドキュメンタリードラマ」(アメリカでは70年代に確立された形式である)、クイズやスタジオでのトークショーなどを織り交ぜた「ドキュメントバラエティー」などが登場し、それぞれ一般化している。1990年代以降、テレビ放送では「リアリティーショー」と呼ばれる、一定の極端な設定のもとでの、台本なし(という建前)の、視聴者から募った素人出演者など登場人物の言行を固定カメラで観察するというスタイルが世界的に流行した。この技法は真実らしく表現するという意味では、その監視カメラ的な映像故に斬新であったが、演出された(または虚構の)撮影対象を表現手法よって真実らしく見せてしまう実例が目立つ。
リアリティー番組や実話再現番組、警官密着番組などの隆盛により、人々が台本のあるドラマよりも真実やドキュメンタリーらしく見えるものを好みつつある傾向が明らかになってきた。また、2001年のアメリカ同時多発テロ事件の影響でドラマは打撃を受け、一方で監督本人や素人が社会問題などに突撃するリアリティー番組に似たスタイルのドキュメンタリー映画が良い興行成績を出すようになった。「華氏911」や「スーパーサイズ・ミー」などはその例である。
フィクションとノンフィクションの境界は曖昧なものとなり、全体としてはドキュメンタリーは以前ほど「真実」と近しいものとしては受け入れられなくなりつつある。
1938年 「オリンピア」(第1部:「民族の祭典」/第2部:「美の祭典」)(ドイツ):レニ・リーフェンシュタール
1967年 「ベトナムから遠く離れて」(フランス):クリス・マルケル、ジャン=リュック・ゴダール、アラン・レネ、ウィリアム・クライン、ヨリス・イヴェンス、アニエス・ヴァルダ、クロード・ルルーシュ
1983年 「残酷を超えた驚愕ドキュメント・カランバ」(イタリア):アントニオ・クリマーティ、マリオ・モッラ
1999年 「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ (映画)」(独・米・仏・キューバ):ヴィム・ヴェンダース
河村雅隆 『ドキュメンタリーとは何か』テレビ・ディレクターの仕事 ブロンズ新社 ISBN 4893091026
佐藤真『ドキュメンタリー映画の地平』世界を批判的に受けとめるために〈上〉凱風社 ISBN 4773625058
佐藤真『ドキュメンタリー映画の地平』世界を批判的に受けとめるために〈下〉凱風社 ISBN 4773625066
この項目「ドキュメンタリー」は加筆依頼に出されており、内容をより充実させるために次の点に関する加筆が求められています。
加筆の要点 - ドキュメンタリー映画・番組としての最近のもの、華氏911やプロジェクトXのような有名なものに関しての加筆をお願いします。
カテゴリ: ドキュメンタリー | ドキュメンタリー映画 | ドキュメンタリー番組 | 映像作品 | 加筆依頼

[ 22] ドキュメンタリー - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%BC

国際情報波として定評ある衛星第1放送がお届けする直球ドキュメンタリー番組。世界を揺るがせた大事件のその後、誰も目を留めない社会の底辺で進んでいる恐るべき事態。世界中で起きているあらゆる出来事に目を配り、多彩なテーマ、素材にタブーなく、真っ向から取り組みます。★再放送のお知らせ教育テレビで「アジアに生きる子どもたち」3本の再放送が決まりました。放送予定は以下の通りです。10月30日(火)午後7:00〜7:50「友達とまた遊びたい〜フィリピン・農地改革に揺れる島で〜」10月31日(水)午後7:00〜7:50「夢はサーカスの曲馬団〜モンゴル・遊牧民の誇りを求めて〜」11月01日(木)午後7:00〜7:50「僕とチョンプーの旅立ち〜タイ・象使いをめざして〜」
「BSドキュメンタリーは、ある意味テレビの原点だよね」。昨今新聞、テレビで引っ張りだこの、ある大学教授が私に言った言葉です(もちろん、私がこの番組の担当だと、彼は知りません)。普通には行けない土地の、普通では立ち会えない出来事を体験する。確かに、テレビというメディアが持つ特性を愚直に守っているという点で、原点かも知れません。暗いと言われようが重いと言われようが、この直球真っ向勝負を貫きます。(衛星放送局・山崎秋一郎)
ネパールではここ数十年、貧しい農村から騙されてインドの売春宿に売られたり、中東にメイドとして送られたりする少女が後を絶たなかった。中には10歳以下の子どもも珍しくなく、外国に売られた少女の総計は30万人にのぼると推計される。いま、海外の人権団体などに救助された被害女性たちが帰国し、自ら先頭に立って、新たな被害者を作らないための活動を行うようになった。悲惨な実態が白日の下にさらされたことで国民の間に波紋が広がり、ネパール新政府は9月5日を「人身売買廃絶デー」と定めるなど、対策に乗り出した。しかし、少女の人身売買を生む土壌は変わらず、撲滅は容易なことではない。番組では、人身売買の撲滅・救済に取り組んでいるネパールの元・被害女性たちに密着する。リーダーのギータさん(27)は被害者を救出し、心のケアを行うだけでなく、なぜ自分たちが騙され売られて行かなければならなかったか、根本原因までさかのぼって追及しようとする。いまだ多数の少女たちが犠牲となっている「人身売買」というアジアの“負”の現実をあぶり出す。
2001年、南米アルゼンチンはグローバル化の影響が直撃し、深刻な経済危機に襲われた。多数の企業が倒産。失業率は25%を超え、銀行は取り付け騒ぎにあい、大混乱に陥った。あれから6年。いま、解雇された従業員たちが自分たちの手で会社再建に乗り出し、実に200以上もの企業がよみがえっている。倒産した企業の工場を行政当局に収用してもらい、当局から借り受けて経営を再開。いわば労働者同士が協同で、自主自立して、破綻企業を再生させるシステム。全員平等の協同組合方式で経営に関する発言権も賃金も一律という、一種の「労働者革命」が進行している。また、失業者たちが全国団体を組織し、自らの手で病院を開き、食堂や寺子屋、コミュニティ農園などの経営を始めた。「連帯経済」という考え方・運動が、急速に広がっている。 番組では、ある製陶工場の復活をドキュメント。労働者の生活、意識の変革再生までの道のりを追う。南米で進む「グローバリズムに対抗する動き」の実態を見つめる。
世界最長9,300キロのルートをおよそ150時間かけて走るシベリア鉄道。1904年の全線開通から1世紀余り。帝政ロシアからソビエト連邦、そして新生ロシアへと、緑色の客車に激動の時代を反映しながら走り続け、今なおロシアの大動脈である。1982年2月、NHKは、当時の社会主義体制下で機密のベールに覆われていたシベリア鉄道の取材許可を特別に得て、NHK特集「シベリア鉄道」として放送した。番組は、大自然や独特の旅情とともに、当局から許されたギリギリの範囲から、ソビエトの現実や市民の素顔を垣間見せ、視聴率22.1%と、好評を博した。その後、ソ連は1991年に崩壊、経済の大混乱を経て、いま豊富なエネルギー資源に支えられふたたび「大国」としての自信と存在感を取り戻し始めた。文字通り、激動の25年だった。番組では、かつてNHK特集がたどったのと同じ、モスクワからウラジオストクまでのルートを、ふたたび行く。25年前の映像を番組の足がかりとし、それと対置させながら2007年の現実を見る。その変化の激しさ、新生ロシアの“今”をドキュメントする。■ 第1回「急激な変化 ヨーロッパロシア」【モスクワ 〜 チュメニ】 かつてモスクワからの乗客は主に行商人だったが、現在、その様相は大きく変わった。石油のパイプライン開通に向けて行き来する中国人、政権と相まって影響力を増すロシア正教の巡礼者、更正目的で全寮制の厳しいバレエ学校で学ぶ少女など、それぞれが今のロシアを体現している。エネルギー大国として急速な発展を遂げる一方で、格差の広がるロシアを浮き彫りにする。■ 第2回「シベリアの光と影」【チュメニ 〜 ベロゴルスク】 列車は広大なシベリアを駆け抜け、眼前にはバイカル湖などの雄大な自然が広がり始める。いま、この地にも時代の波がさまざまな変化をもたらしている。増加する違法森林伐採、地球温暖化の影響、活発化する中央アジア地域との交易。シベリアにもたらされた変化、その光と影を見る。■ 第3回「変わる極東、行き交う民族」【ベロゴルスク 〜 ウラジオストク】 やがて列車は極東に入る。25年前、悠久のたたずまいを見せていた沿線のタイガでは、いま温暖化で森林が毎年焼失し、永久凍土が溶け出している。新商売の可能性を探る中国人、都市の建築現場を支える出稼ぎ北朝鮮人、起業に走る少数民族など…。第三回は、とりわけ中国の市場経済化の影響が及び、アジア、太平洋への「出口」として活況を呈する極東の現状を描く。
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[ 23] NHK BSオンライン
[引用サイト]  http://www.nhk.or.jp/bs/bsdoc/



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