プロフェッショナルとは?

累計発行部数1億以上。漫画界のスーパースター、浦沢直樹。幅広い支持を集める理由の一つが、浦沢漫画の人物の表情にある。漫画らしいシンプルなタッチでありながら、心の奥の深い感情を表現することにこだわる。「苦しいのか、悲しいのか、悩んでいるのか、どうともとれる表情になれば、いい顔が描けたと思いますね」。時には、浦沢自身が漫画のキャラクターの演技をし、鏡で自分の顔を確認しながら、ペンを入れることもある。
連載漫画2本、月に5回の締め切りという過密スケジュールをこなす浦沢。その仕事は、デビュー当時から編集者としてともに作品を作ってきた長崎尚志との打ち合わせから始まる。浦沢漫画のユニークなストーリーは、二人があらすじを独自に考え、それをぶつけ合う中から生み出される。ストーリーが決まれば、今度は「ネーム」と呼ばれる作業に取りかかる。ページをコマ割りし、大まかな絵とセリフを描き込む。漫画家の創造性が最も問われる作業だ。ネームを描き終わった時、浦沢には大泣きしたか、激しく嘔(おう)吐した後のような疲労感が残る。その感覚が強ければ強いほど、良い物ができるという。浦沢にとって最も厳しい読者は、自分自身だ。常に厳しく自己批評しながら、納得するものができあがるまで、もがき続ける。
「ネーム」が完成すると、すぐに長崎にFAXし、最後の打ち合わせを行う。それが終われば、背景を描くアシスタントとともに原稿を仕上げていく。締め切りまで、残りわずか。時間がない中でも、浦沢はキャラクターの細かい動作、微妙なたたずまいの違いまで、徹底的にこだわる。だが、そうして完成した原稿も、時には描き直すこともある。締め切りまで残り30時間を切ったある日、長崎から原稿の修正を求める電話が入った。長崎の意見に納得した浦沢は、すでに完成していたページの修正を受け入れた。20年以上、漫画界のトップを走り続けてきたにも関わらず、浦沢は驚くほど人の意見に耳を傾ける。「自分の力の100%を出しただけでは、満足できない。自分もびっくりするようなものを作りたい。そのために、みんな力を貸してくれって思いますね」。
浦沢には、「生きる指針」とも言える人物が二人いる。手塚治虫とボブ・ディラン。中学時代、手塚の「火の鳥」を読んだ浦沢は、漫画表現の無限の可能性に衝撃を受けた。浦沢にとって手塚は、その高みを目指し歩み続ける山の頂上のような存在だ。また、ロック少年だった浦沢は、観客のブーイングを浴びながらも、ロックを歌い続けたディランの生きざまに、あこがれた。今、大ヒット漫画「20世紀少年」の最終章に挑む浦沢は、読者の熱烈な期待にどう応えるか、深い苦悩の中にいる。自分が目指すものと、読者から求められるもの。浦沢は常にそのはざまに立たされながら、漫画を描き続けている。
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[ 16] 漫画家・浦沢直樹(2007年1月18日放送) | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀
[引用サイト]  http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/070118/index.html

プロはこの項目プロフェッショナルへ転送されています。その他の用例についてはプロ (曖昧さ回避)をご覧ください。
プロフェッショナル (en:professional) 、略称「プロ」には以下のような意味が含まれている。
プロフェッショナルスポーツなど何かの専門分野か、広範囲の人々によって行われる分野において、それを職業としている人。趣味としている人であるアマチュアに対する語。プロとアマチュアの境界は、ジャンルによって異なる。
パチンコやパチスロなどのギャンブル系で高度な技術でプレイし、生計を立てられるほどの収益を上げている人(例:パチプロ)。
スポーツの場ではスポーツを職業として、尚且つ報酬を受け取っている者を指す。この場合の対義語はアマチュア(アマ)で、彼らは職業としないで、且つ報酬を受け取っていない者である。いくつかの競技団体では「プロ」と「アマ」に明確な分断が見られる。
日本にスポーツという概念が定着する前(江戸時代)にはすでにプロ選手(力士)が存在しており、興行として成立していた。その後に学生などの「アマチュア相撲」が誕生しているが、交流戦などは行われていない。
日本で野球は大学に紹介されたといわれる。そして学生野球が盛んになり、やがてアメリカ合衆国のプロ球団との対外試合も行われるようになった。しかし学生が職業野球のチームと対戦することに対する批判がおこり、やがてこれがきっかけでプロチームが誕生することとなり、学生チームとの分断がなされる。そして1961年には社会人野球の選手を引き抜いた(柳川事件)としてアマチュア野球との間に断絶が深まり、プロ野球経験者(OB)がアマチュア野球へ関わることについて厳しい制限が課せられるようになった。その後、社会人野球との関係は徐々に改善されてきているが、未だに制限は残っている。
ゴルフ(日本プロゴルフ協会)では、試合(トーナメントツアー)に参加して賞金(報酬)を得ることを目的とする「トーナメントプレイヤー」と、ゴルフを報酬を得て指導するための「ティーチングプロ」(この場合には冒頭の(1)の意味も含む)という2つのプロ資格がある。ゴルフにおけるオープン大会はプロだけではなく、アマチュアにも参加資格を解放している。なおアマチュアがオープン大会で優勝しても賞金は支払われない。
サッカーにおいてプロフェッショナルの選手が誕生したのは、19世紀から20世紀に掛けてのイングランドである。当初のクラブは、街や地区、教会、企業、工場、パブなどのコミュニティーを単位として運営されていた。選手はサッカーとは別個の仕事を持っており、収入はここから得ていたが、クラブ間の競合が激しくなり、選手にもレベルアップが求められるようになると特に労働階級出身の選手に対して練習の時間を確保し、収入の道を絶たれる怪我を恐れずにサッカーができるような体制をとるため、サッカーをする事そのものに対して報酬(保証金)が支払われるようになった。これがプロフェッショナルプレーヤーの誕生である。
イングランド以外の地域では、1920年代までアマチュア主義が幅を利かせて、こうした動きをルールによって規制する事が一般的であった。又プロ化する事で報酬が限りなく上昇する事も問題視されていた。(この問題は現在に至るまで解決されていない。)それでも1920年代中ごろには、オーストリア、チェコスロバキア、ハンガリー、アルゼンチンなどがプロ化に踏み切った。
日本では1960年代までは、全ての選手がアマチュアであった。こうした形態を大きく変えたのが初の全国リーグとなる日本サッカーリーグの創設である。
日本サッカーリーグでは1970年代ごろになると、選手に対して、練習時間を就業中、若しくは残業として認め給与を支払ったり、その他様々な名目(例えば勝利する事で会社の知名度を上げたとして賞与を与える=実質的な勝利給)でお金を渡す事が一般的となった。こうした形態は完全にIOCやFIFAが定める「アマチュア」では無かった。更に1969年創設の読売クラブでは、サッカーをする事そのもに対して報酬を支払っている事が公然の秘密と成っていた。こうした形態を日本サッカーリーグ事務局、又日本サッカー協会が追認する形で認めたのが1985年から初められたスペシャル・ライセンス・プレーヤー制度(実質的なプロ契約)である。当初スペシャル・ライセンス・プレーヤーとして西ドイツ(当時)のブンデスリーガ、1.FCケルンなどでプレーし、日本に帰国したばかりで古河電気工業サッカー部の奥寺康彦と日産自動車サッカー部の木村和司の2人が登録した。しかしながら日立サッカー部、古河電工サッカー部などは殆どの選手をアマチュアとして登録していた。(実態は何らかの手当てを受け取っており、アマチュアとは言えない。)
しかしながら1980年代末から1990年代初めに架けて、プロリーグ化の流れが顕在化してくるに従って、殆どの選手がプロフェッショナルプレーヤーとして登録されるようになり、1993年に開幕した日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)では殆どの選手がプロとしてプレーする事が一般的となった。ただし現在に至るまで若干の社員契約での選手が残っている。
世界中ほとんどのプロクラブは、年齢によって「ユース」「ジュニアユース」またはそれ以下のカテゴリーのチームを所有している。これらは当然アマチュアチームである。又ドイツや日本のジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ、徳島ヴォルティス・アマチュアなどの年齢制限の無いアマチュアチームを所有している例も列挙に暇が無い。こうした形態はサッカーにおけるプロとアマチュアの関係(ヒエラルキー)を如実にあらわしていると言える。
サッカーではプロチームを頂点として、その下にカテゴリー別のアマチュアチームを抱えるピラミッド型のクラブ形態が一般的である。(ただし韓国・Kリーグには下部チームが存在しない。)又これらのカテゴリーに所属しているアマチュア選手が同じクラブのプロチームの試合に出場する事に対しては何の制限も設けられていない。
クラブだけでなく各国協会もプロチームだけでなく、アマチュアチームを含めた全てのクラブ、チームを統括している。これによってプロ・アマ問わず、それぞれの国の協会に加盟している全てのクラブ、チームが参加するトーナメントの開催が可能になる。こうしたトーナメントとしてイングランドのFAカップ、日本の天皇杯全日本サッカー選手権大会がある。
オリンピック等ではアマチュア規定に基づき、長い間プロの参加は認められていなかった。ただし無報酬でスポーツを行い、オリンピックなどの大きな大会に出場できるのは、それなりの社会階級に属しているものに限られる。アマがプロを締め出したのは下層階級に対する差別的な面も否定できない。また日本のスポーツでは、勝つ事による名誉のみを求め、無報酬でスポーツを行うことの精神的美しさが強調された面もある。
大陸間での国際トーナメントを行うテニスや、毎週末試合を行うサッカー、毎日試合を行う野球等では早くからアマチュアだけでやっていくのは困難になった。そこでこれらの競技では20世紀初頭から選手のプロ化が始まった。最近になって国際的な認知度がようやく高まった野球を別として、アマチュア至上主義をとっていた国際オリンピック委員会(IOC)とテニス、サッカーの競技団体は非常に折り合いが悪かった。(プロを解禁した現在ではIOCよりこれらの競技団体が優位に立っている)

[ 17] プロフェッショナル - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB



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