というとは?

和製英語として普通に使われるようになった「コンテンツ」という単語。放送番組、映画をはじめ、いわゆるインフラに乗せる“中身”という意味なのだろうが、この単語が堂々とまかり通っている限り、日本の映像ビジネスの発展には大きな壁が立ちはだかることだろう。
わが国では今、至るところで「コンテンツ」という言葉が使われている。役所の公式な研究会の場でさえ、「コンテンツ流通の活性化」といった具合にコンテンツのオンパレードだ。映像ビジネスの場に限らず、「コンテンツ」という単語はもはや立派な「日本語」として、あらゆる所で通用している。
この言葉が使われるようになった経緯だが、おそらくは「放送と通信の融合」といった標語と同じように、ハードとソフトが対比される中で、いわゆるソフト(内容物)を指すものとして使われ始めたように記憶している。ただ、皮肉なことには、「コンテンツ」という単語がまかり通り出した辺りから、肝心の「放送と通信の融合」も難しいものとなってきてしまったのではないかと思われるのだ。
ここ数年、映画や放送の制作現場にいる人たちの間からは、自分たちが作り出す作品を「コンテンツ」と呼ばれることへの反発の声が強まってきている。そこには単なる呼称の問題とは違う、十分な説得力があることに目を向けるべきだろう。
問題は、“コンテンツ”という言葉を使っている限り、箱物行政と同じ失敗を繰り返しかねないということなのだ。
放送・通信のハードに対しては近年、莫大な設備投資を行ってきている。それを回収するためには、多くの人がそこを利用するような仕掛けが必要だ―― 一見見正しいようだが、この発想は逆立ちしている。立派な道路を作る以上は、そこを通る人を生み出す仕掛けを仕掛けを作らなければいけない、という発想で進められてきた道路行政に対し厳しい批判があったのとまったく同じである。
わが国の現状を見ると、ブロードバンドの高度化、普及の拡大と、期待された以上の発展をしてきた結果として、インフラは整った感がある。“内容物(ソフト)”は、その立派なインフラに乗せていくだけのものがそろっているのかという視点からだけ、語られている側面が強い。これは否めないだろう。
コンテンツという言葉が幅を利かせるのも、通信事業者側からの見方がスタンダードとなり、あくまでも、通信インフラという容器に入れる中身というニュアンスで捉えられているからと考えられるのである。
しかしながら、視聴者、もしくはユーザーの立場から言うと、そもそもは立派な伝送路を欲していたわけではなく、高度化したツールを欲していたわけでもない。ユーザーが欲しているのは、そのインフラを使うことによって得られるソフトの方なのである。簡単に言えば、ソフト制作者が自立することによって、ソフト産業というものが磐石になることによって初めて、いわゆるインフラの部分が活用されるという順序で進んでいかなければいけないのだ。
ソフト産業そのものを、きちんと活性化できるような環境を作り上げるための基盤として、ネットワークが整備され、ツールも高度化してきたと、今一度よく考えるべきであろう。「コンテンツ」という言葉では表せないはずのソフト産業が、どうやったら人材を育て上げていくことができるかという点に、活性化させるための鍵があるように思われる。
現在の最大の課題は、ソフト産業が自立していけるようになるにはどうすればいいのか、ということに、放送事業者も通信事業者も腐心していけるかということに尽きると言っても過言ではないのだ。
技術の進歩によってミドルメディアというものが、それなりの市場性を持つようになってきたことも見逃せない。
例えば、アテネ五輪の最中、いわゆるオリンピック番組が50%以上の視聴率を取っていた時に、その裏では視聴率2%、3%という番組が放送されていた。2%や3%という数字では、いずれ地上波やマスメディアから消えていくことになると考えられがちである。
しかし、オリンピック番組のような50%を取るようなものの裏でも、2%、3%の視聴者にとって見たいソフトがあったということは厳然たる事実である。そして、それを生かせるのがミドルメディアなのだ。
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[ 185] ITmediaアンカーデスク:コンテンツという「言葉」の限界 (1/2)
[引用サイト]  http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0503/04/news032.html

ユーザはシステム不具合に遭遇すると気軽に「バグった!」という言葉を連発しますが、システム開発に関わる我々からするとバグという言葉を聞くと心臓に悪いのでやめてほしいといつも思っています。そもそもバグという言葉にはプログラムの不具合という程度の意味しかないわけですが、世の中を見渡してみると、バグという言葉はどうも広い意味で使われすぎているように思います。そこで今回はバグという言葉について考えてみようと思います。
バグという言葉が大衆化したのはファミコン時代からではないかと思います。ファミコンで気軽に遊ぶ子供達が、動作不具合を見つけるや「バグだ。バグった」の大騒ぎ。ファミコンの場合システムトラブルの原因にはプログラムの不具合の他にカセットの差し方が悪い、ほこりがたまりすぎてショートした、熱暴走等々様々な要因があったわけですが、子供達はそれらをひっくるめて全て「バグった」という言葉で片付けてしまいました。ここからバグという言葉に対する誤用の一般化が始まったのではないかと思っています。
社内でシステムを使ってもらっていると、たまに「これはバグですか?」という問い合わせが来ることがあります。調べてみると、元々要件定義になかったので実装していなかった機能についてだったり、ユーザに使い方を誤解されていたりといった場合がとても多いです。これらは明らかにバグではないです。何故なら動作結果はどうであれ仕様通りであり、プログラムの不具合ではないからです。
ユーザにとって、自分自身が想定しない境遇に陥った場合それらはすべて「バグ」と片付けてしまいます。ユーザにとってシステムは一つのブラックボックスであって、自分の思い通りに動かなければ原因がどんなことであれ「バグった」状態であると片付けてしまいます。
しかし我々がユーザに対して「これはバグだ」「これはバグではない」という説明をいちいちしたところで全く効果はないと思っています。何故ならユーザにとっての関心ごとはシステムが正常に動いているか動いていないかであって、これまではそれを「バグった」という一言で説明できていたわけです。もし我々がバグという言葉の正確な定義を教えたとしてもユーザがそのような便利な言葉を簡単に手放すとは思えません。
そう考えると今後も「バグ」や「バグった」という言葉はシステム不具合と同義語で使われ続け、消えてなくなることはないと思われます。心臓に悪いですけど。
jspやapacheなどのエラーメッセージって、いかにもシステムトラブルだ〜って画面でどきっとしますよね。たしかにあの画面を見ればユーザが「バグった〜」と大騒ぎするのもわかる気がします。
そこで私はエラー画面をもっとユーザフレンドリーにすることをお勧めします。たとえばエラー画面を4コマ漫画にしてどう対応すればいいか教えてくれるとか。
ただ残念なことにそういった本質的ではない部分にはなかなか工数や予算をかけられない事情もあるんですよね。そういった遊び心を取り入れられるような楽しいシステム開発を行いたいものです。現実逃避工数(?!)をそちらに回すとよいかもしれません。
国内某有名ITベンチャー企業に創業メンバーとして携わる。国内最大規模のシステムを構築運用してきたほか,社内情報システム業務を経験。韓国の交友関係が豊富なことから,韓国関連で多数のシステムインテグレーションを行ってきた。

[ 186] バグという言葉について:佐野裕のサーバ管理者日記:ITpro
[引用サイト]  http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20061002/249584/

「はてな」トップページ 皆さんは“はてな”の“人力検索”というものをご存じでしょうか? “はてな”をご存じない方のために最初に簡単な説明をしましょう。それは、株式会社はてなが運営するサービスで、ネット生活が楽しく便利になることを目的として運営されています。

この“はてな”の中でも特に“人力検索”というサービスは起業当初から存在する目玉サービスの1つなのです。これがビジネス的にはとても利益を出せそうにないシステムであるにもかかわらず、しっかりと成立しています。そういう意味では、今後のWeb2.0のビジネスモデルを考える上でもとても興味深い事例の一つであると考えられます。

この“人力検索”とは、普通であれば個人が検索サイトを利用して情報を調べて吟味するべきところを、情報を探している相手のために代わりにウェブ上を“人力”で“検索”してあげましょう、というサービスなのです。しかし実はこの“人力”にスタッフは何ひとつ手を貸しません。なんと善意のボランティアとも言えるユーザーがいわゆる“教えるサン”になって回答することにより“人力”の“検索”をして回答を寄せています。

実を言うとこの手のサイトはネット上に他にも多数存在します。ではなぜ、わざわざ“はてな”の“人力検索”に注目するのかというと、このシステムだけが唯一、質問や回答やシステムの利用に実際の金銭が絡んでいるからです。

いったいいくらだと思われますか? 1つの質問に質問者が費やす金額はおそらく50ポイントから200ポイントつまり50円から200円です。そしてその回答に答えた個々の回答者が受ける利益は、おそらく5ポイントから20ポイントつまり5円から20円(普通は複数の回答者が支払われたポイントをの一部をそれぞれ得る)、そしてその1つの質問から派生するこの会社への手数料は質問料の5%、つまりたったの2円ないし10円なのです。

このような試みがビジネスとしては成り立たないという声が、会社創設当初から、それも当の社長の奥さんから社長本人に出されていたのはむしろ当然のことです。

では実際はどうなのでしょうか? 最近になって、あるユーザーが回答によって約半年間に 16万ポイントつまり16万円以上を稼いでいたことが発覚しました。

これはつまり、この1ユーザーの回答した複数の質問者が約半年間に合計160万円以上をこのシステムのために支払い、はてな側はその5%である8万円程度を得た、ということを意味します。これはいったい多いのか少ないのか? 実はこの“人力検索”で1日に出される質問は今でも数100件前後に過ぎないので、仮に1つの質問が200円ということであっても、“はてな”の“人力検索”だけに限ったサイト内の収支は1日20万円を超えないでしょう。“はてな”側に入るシステム使用料も1日1万円を超えることはなく、やはりこのシステムは「設立当初に見込まれたものと実質的には同程度の利益しか生み出していない」ということになるかと思われます。

ではこの“人力検索”のいったいどこがビジネスモデルとして評価できるのでしょうか? それは、システムが実際に生み出す利潤にではなく、たとえば“人力検索”を行っている善意のボランティア・ユーザーに注目できます。なぜなら、これらの人々は全く自発的にこの“人力検索”の運営、稼動、またその存続に“人力”で実際に力を貸して、ほとんど無報酬に近いボランティアを自ら買って出ているからです。

しかも彼ら1人ひとりの行っていることは半端ではありません。先のやや極端な事例を引き合いに出して考えても、16万ポイントを獲得するには単純に計算して恐らく8千回程度は解答する必要があり、仮に1つの回答を行うのに10分程度しかかからないと仮定しても約8万分、つまりゆうに1千時間以上が費やされていることでしょう。

これは時給に換算して160円以下です。どうでしょうか、たとえば東京や大阪といった大都市の街路上でボランティアを募って時給160円でこれと同様のことを行おうとしたり、有志の自宅宛に郵送で資料を送付して同額の内職手当でこれを行おうとしたりすることができるでしょうか。

それは全く実現不可能な、誰も見向きもしないような企画とみなされることはほぼ間違いありません。であるのに、全く実現不可能なはずの誰も見向きもしないような企画に、これら相当数の“教えるサン”が実際にネット上で自発的にこの“企画”に参与して、やり甲斐や喜びをさえ得ているように見受けられます。ここにはいったいどんな“仕組み”が働いているのでしょうか?

この「仕組み」の実体については、“はてな”の利用者の間でも諸説があります。あるユーザーはそれを“オンラインポイントゲットゲーム”と呼びました。無償奉仕に限りなく近い“回答”という慈善的行為に携わることは“教えるサン”にとって知的なレクリエーションや現実逃避、またストレス解消となっているというわけです。

別のユーザーはこうしたシステムは人間の知性に関連した本性を突いていると考えています。そうした考え方によれば、回答者は「あなたの疑問にお答えします」と言ってはいますが、実は「それ知ってる! どうかしゃべらせてくれ! 自分だって捨てたもんじゃないんだ」という動機で回答しているのかもしれません。

さらに別のユーザーは“人助けの快感”という表現を使いました。こうした回答行為に携わることは「知的刺激を単に脳に与えるのみならず、人の理性に訴える社会的にも評価されるべき善行で、しかも質問者からは惜しみない感謝や褒め言葉が得られる、結果として自尊心を強めるものとなる」ということでしょう。

もうひとつの考えさせられる意見は、それは「現代になって希薄になった人間関係を補完するものではないか」という考え方です。やはり人間というものには社会性が必要で、それはネットならではのこうしたボランティア、つまり人助けに携わることにより満たされるのでしょう。

しかしながらこれらの論議は残念ながら、どれも「では他の質問サイトではなくなぜあえて“はてな”の“人力検索”なのか」という問いには答えを与えていません。事実、回答の集まり具合やその質にどうも納得がいかない、第一お金を払って質問するなんて考えられない、と考えるユーザーも実際におり、そのようなユーザーはこのシステムでは“釣る”ことができないのです。

ではこのシステムによって“釣る”ことのできるユーザー層はいないのでしょうか? “はてな”の“人力検索”が今日まで質問者と回答者、特に回答者に見限られることなく続いているという動かしがたい現実によって、そのようなユーザー層が確かに相当数存在することを、わたしたち皆がこの目で実際に確認できます。さて、この事実はわたしたちに何を教えているのでしょうか?

“はてな”の企業利益は“人力検索”からはまず間違いなく出ておらず、これからも出ることはないでしょう。しかし確かにこのシステムつまり“仕組み”はある種の人々を呼び込むことに成功しました。それは仮に時給160円であっても16万円を得てほくそ笑むユーザー、そうしたユーザーを哀れむのではなくつい妬んでしまうユーザー、もう少し平等に数円また数10円を配分すべきだと真剣に討論し合うユーザー、そして100円程度つまりワンコイン出しさえすれば文句も言われず困り事を優しく丁寧に教えてもらえることに気が付いた“教えてクン”という、質問者であるユーザーです。わずかな額の金銭のやり取りという他の質問サイトにはない「儲からない」はずの手法が、実際には一定数の人々を集めているのです。

ここにWeb2.0的ビジネスモデルを成功させるための1つの鍵があります。その鍵また“仕組み”そして“釣り餌”は、小額ではあっても現金に準じた対価そのものにもあった、と断言してしまっても差し支えないでしょう。思うに、もしそのような対価をさらに多く貰える場が新たに設けられるなら、それら“善意の”ユーザーの多くは間違いなくそちらに“反応”するに違いありません。

一方で、計算ずくでユーザーを利用しようとしてこうした手法をまねたとしても、それは必ず失敗することでしょう。人というものはやはり、悪意や狡猾さや欲得ずくといったものに非常に敏感だからです。その点でも“はてな”の“人力検索”は狙っているようには見えません。あくまで関係者すべての“善意”のもとに成り立つ、きわめて小額ではあっても“現金に準じる対価”のやり取りの場がそこにはあります。

こうした善意プラス金銭的対価というマジックによる魅力は、このようなやや皮肉めいた記事によってでさえ、そうそう色あせることがないほど強いものに思えます。Web2.0といっても利用者はやはり人間です。今後、“はてな”の“人力検索”に見られるような、こうした善意から出たソーシャル的戦略、つまり、一見儲けようとは思っていないと思わせるスタンスの企業や個人を実際には富ますことになるのではないでしょうか。

[ 187] 「人力検索」という不可思議なビジネスモデルの「成功」 - OhmyNews:オーマイニュース
[引用サイト]  http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000001439



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