しまうとは?

HOME > 雑誌サイト > 日経エレクトロニクス > Appleの話になるといつも感情的になってしまう
Appleの話になると,いつも感情的になってしまう−−何も私だけのことではない。このブログでApple社や同社製品について書くと,毎回たくさんのコメントをいただく。その一つ一つに目を通して,いつも感じるのがこの点だ。感情的といっても,決して非難しているわけではない。むしろ,そこにこそ同社の好調ぶりが由来すると考えている。みんなAppleが好き(あるいは嫌い)なのだ。
iPhoneもしかり。機会に恵まれしばらく使ってみたら,やはり同じ目にあった。最初は大したこともないと高をくくっていたのに,二日もすると虜である。米国のユーザーも同じらしい。マスコミのレビューから,ブログの感想から,iPhoneと恋に落ちたといわんばかりの反響が押し寄せてくる。
だから来週のセミナーの打ち合せで京都に向かったときも,ぜひその点で意見を交換したいと思っていた。ユーザー・インタフェース・デザインの老舗のソフトディバイス。代表取締役 CTO(最高技術責任者)の八田晃氏に,iPhoneのインタフェースについてご講演いただく予定である。
「なぜiPhoneはユーザーに感情的な反応を呼ぶんでしょう」。単刀直入に聞いてみた。しばらく考えた八田氏が慎重な口振りで話してくれた仮説が,「iPhoneには性格がある」というものだった。同氏に依頼した評価から見えてきたのは,iPhoneにはものすごくこだわった部分と欠けている要素があることである。この判断は,本誌に掲載した米国のデザイン会社2社の評価でも一緒だった(本誌の関連記事)。使ってみると確かにそうで,強い意志を感じる部分と,何だか歯がゆいところが混在している印象だ。こうした「個性」が,ユーザーに好きか嫌いかの判断を迫り,感情をかき立てるのではないか。
実際,思い当たる節はいくつかある。私が気に入ったこだわりの一つは,むやみに説明しないことである。まずiPhoneには分厚いマニュアルがない。「Finger Tips」と題した細長いペラペラの紙が一枚あるくらいだ。「わざわざ説明しなくても使える」というApple社の自信の表れともいえるが,最新の電子機器に馴染みのないユーザーには,傲慢と映って不思議はない。
ただし私はそうでもなかった。仕事柄,iPhoneの操作について事前に知っていたこともあるが,操作の作法を試行錯誤して見つけるとむしろうれしい。WWWブラウザーで画面を指でたたくと,表示されている文章の一行分が横幅一杯になるようにページが拡大/縮小することが分かったときは,ついついにやけてしまった。八田氏には,地図ウィジェットで画像を縮小するやり方を教わった。このアプリケーション・ソフトでは,指で画面を叩き続けると,画像は拡大する一方である。画面の上で二本の指を縮めると画像は縮小するけれど,どうにも釈然としないでいたら,指二本でたたくというのがあるらしい。やられた,と思いながらも,なぜだか喜んでしまう。「おおっぴらにしていないけど,実は色々考えてあるんだよ」−−そういう意図が見えるのである。
2007 11/15著作権絡みの議論がなぜ腑に落ちないかをPerfumeとニコニコ動画から考えてみる
同時になんで自分はそんなことが思いつかないんだろうとトホホにもなる。ただ,MACは好きだけれど,MACユーザーは嫌いだというのもあります。
自分が作ったみたいに熱く語る人とか,それが嵩じて競合製品をこき下ろしにかかるとちょっと落ち着いてよ,って言いたくなりますね。(2007/08/09)
■ソニー製品を持ち上げて感情的にコメントを書き込む人もいるのですから,Apple社がどうこうとか関係ないのではないでしょうか。(2007/08/06)
今回のブログを読んでいてカチンと来るのがまるで彼女に自分の持ち物を自慢して得意になっている彼氏のような雰囲気が伝わってくるからです。
それというのも先日娘のためにMP3プレイヤーを買いにいったところ店員さんからApple社の製品はS社に比べて音は悪いし,修理その他いちいちネットからでないと受け付けてないから不便と聞きました(お店は最大手のY社です)。
「NE記者」としてブログを書いているのだからもっと市場の声を冷静に聞いた上でブログを書いていただきたいです。
iMACがそうですが,製品やサービスの基本的な部分が悪いと大きなブームになっても所詮は一過性のものではないでしょうか。(2007/07/31)
■スクロールして検索する際ですが,右端に小さくアルファベットが並んでいて,そこを押すことでショートカットが出来るようですよ。ですから,実際にはスクロールで検索という作業も大分楽に出来そうではありますね。
まぁ,今更コメント欄に書いても誰も読まず,なにやら意味が無いような気もしますが(汗)(2007/07/28)
前者で「感情的になる」というと,確かにその「会社」やその商品の「仕掛け人・広告塔的人物」などの個性,商品そのものの個性に対する思いいれ(反発も含めて)など,幅広く関係してくるように思えます。
しかし後者の場合,どちらかというと「皆がいいって言ってるけど,私にとってはあまり便利とは思わない/使いたいとは思わない」という,どちらかといえば純粋に商品としての価値に対する思いのほうが強いように思います(あまり会社がどうとか仕掛け人がどうとか,そういうのはあまり無いのではないかと)。両者とも反発する人たちの間には,あまのじゃく的な心理が働くという面での共通点はあるかもしれませんが。(2007/07/27)
■あなたはメーカーと言う「会社」に対して感情的になれますか?Appleに対して感情的になるのはその製品にスティーブン・ジョブズと言う生身の個人とその個性を感じるからです。昔はソニー製品にも井深大,大賀典雄の個性を感じて共感したり反発したりしたユーザーが沢山いました。しかし現在はこのような日本メーカーは絶滅の危機に瀕しています。淋しいことです。(2007/07/26)
>その一つ一つに目を通して,いつも感じるのがこの点だ。感情的といっても,決して非難しているわけではない。
■マニアが愛顧するメーカーの新製品自慢を感情的にするような話はやめていただきたいのですが。(2007/07/26)
■同じこと(マニュアルをつけない,検索機能の不備)を日本のメーカーがやったら「ユーザー軽視」だとか「機能の練りこみが足りない」だとか鬼の首を取ったかのように叩くんだろうなあ。
反アップル派が嫌っているのは,アップルの製品ではなく信者のそういう態度です。(2007/07/26)
■Appleは嫌いだけどMac(Apple製品)は好き,Jobsは嫌いだけどMacは好き,というのは特に長いあいだMacを使っている人には多い気がします。
「それでもMac大好き!〜ガイ・カワサキのマッキントッシュ不用語辞典」あたりを読むとそのあたりの感情が多少理解できるかもしれません。(2007/07/26)
■感情的な文章ではないですが,興奮しているのは感じられます。私も根っからのApple派なので,そうだそうだと読みました。初期のMacからマニュアルを読んだことがありません。マニュアルを省けるのはモニターも含めてユーザインターフェースをとことん追求しているので自信があるのだと思います。隠し機能は初期のMacintoshでもあって後からネットなどで知ったものです。
■何だか納得しました。日本の企業が絶対にAppleにはなれない理由がわかりました。昔のソニーはAppleのような側面がありましたね。だからウォークマンができたし,「iPodはソニーが作るべきだった」と言わしめるのでしょう。(2007/07/26)
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ソフトウエアにとって最も大切なものは何でしょうか。その答えが、しっかりとした設計・検証の方法論であることは論を待ちません。本書は、専門記者が最前線で取材・執筆した記事と、専門の技術者による講演内容をまとめ、組み込みソフトの開発方法論を中心に構成しました。
各種システムの障害は,ソフトウエアの不具合によるもののほか,システムを構成する電子機器,もっと言えば,電子機器に搭載されているさまざまなデバイスの故障・劣化によることが少なくない。
今回はイノベーションについて考えてみたいと思います。製造業はグローバルに競争が激化しています。そんな中で競争力を高めるためには,イノベーションが必要不可欠となってくるわけです。
日なたもあれば,日陰もある。多くの技術者は日陰者のようである。もっと日なたに出てもらいたい。私自身も技術者が表に出てくる活動に汗をかいている。今回は,その一端を紹介しよう。
東京大学ものづくり経営研究センターが主催している「ものづくり寄席」を覗いてきた。先生方が祭りのはっぴを着て,経営学を落語風に語る,という趣向である。…
妻が、バスタオルが欲しいので探せという。そういうの得意でしょ、と。今使っているものがどれも随分くたびれてきたので、一気に入れ替えたいらしい。
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[ 86] Appleの話になるといつも感情的になってしまう - 日経エレクトロニクス - Tech-On!
[引用サイト]  http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20070726/136774/

南島歌謡史で、民謡の新しい名称が昭和の後期に生まれた。従来使用していた「民謡」のことを「しまうた」(表記はいろいろあり)と方言で表現するようになったのである。それは大きな社会的出来事であった。「しまうた」という用語は沖縄の本土復帰(一九七二年)を前後して、マスコミや民謡愛好者など一部の人たちから起こった呼称。今日では県内はもとより全国的にも知られ、市民権を得ている。 民謡という用語と併行して「しまうた」が使い始められた頃、沖縄の民謡・芸能界ではかなりの反発があった。中には「なぜ民謡ということばがあるのに、しまうたと呼ぶのか」と文句を言ってくる者もあったほど。ところが、「しまうた」の方が沖縄の土着のかおりと響きがよいということで、あれよあれよという間に流行。これまで異議を唱え、抵抗していた人々も使い出したから驚きである。今日からすれば、まさに隔世の感がするエピソードといえよう。 復帰前後に生まれた「しまうた」ということばは平仮名、片仮名、漢字、漢字平仮名混じりなど表記はたくさんある。沖縄・奄美ともマスコミや芸能界では「島唄」「島うた」「島歌」を。研究者の間では「しまうた」が多い。要するに「しまうた」の土台となる「しま」とは何か、という理解の差によって表記も多様になっている。では、なぜ「民謡」ではなく「しまうた」と呼ぶようになったのであろうか。そのことは本土復帰という社会情勢と決して無縁ではない。いわゆる、沖縄民衆の精神文化の華である民謡を、ヤマトグチ(共通語)ではなく、琉球方言で琉球文化圏の独自性を強調したいという内的欲求から考え出されたもの。そのことばは、沖縄の歌謡史からすれば一種の「造語」になるが、古くから民謡のことを「しまうた」と称している同一文化圏の奄美から、実は拝借して誕生させたというのが真相である。 しまうたの上限下限はウスデーク歌謡から現代までを範囲としている。いわゆる自然発生的民謡から、創作意識をもって作詞作曲されたミーウタ(新作民謡)まで。しまうたの「しま」は、民俗学でいう村落としての「しま」とアイランドの「島」を包含した概念で、南島文化の原郷である。 奄美・沖縄・宮古・八重山は同一文化圏とはいえ、歌の世界では強烈な個性を有し、それぞれ差がみられる。その差があるからこそ、魅力も大きいといえよう。沖縄本島・周辺離島は琉歌(8886)の濃密な文化圏で、沖縄音階が主流。宮古は非琉歌圏で律音階と沖縄音階の併存圏。八重山は琉歌形の稀薄な文化圏で、律音階と沖縄音階の併存圏。奄美諸島は琉歌の文化圏にありながら、北三島は日本民謡旋法をとっている。これら四ブロックとも、歌掛けの伝統が息づいている。「オキナワなんでも事典」より

[ 87] 本文/しまうた
[引用サイト]  http://www.culture-archive.city.naha.okinawa.jp/top/main/show_dinfo3.php?keyvalue=50037000



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