ながらとは?
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ムーンライトながらとは東京と名古屋、大垣間に運行される夜行列車です。青春18きっぷで乗車できるため人気が高く、指定席券は早々と満席となってしまうことも多いです。 シートは一般的な特急車両のリクライニングシートです。車両が比較的新しいため、騒音や振動が少なく比較的ゆったりと乗車できます。 用意するものは以下の3点が必要となります。青春18きっぷを利用して前日からムーンライトながらに乗車したいときには、日付が変わるまでの停車駅までの乗車券が必要になります。 2007/3/18のダイヤ改正で、下りは小田原・上りは大府が日付変更後の次の停車駅となっております。東京−小田原1450円、名古屋−大府320円です。指定席券の入手方法は指定券購入方法のページをご覧ください。 ムーンライトながらの下りは大垣までの運転ですが、後ろ寄り車両の7−9号車は名古屋で切り離しとなります。 自由席区間は指定できませんので、東京−大垣間で申し込むとエラーとなってしまいます。東京−豊橋間で申し込むようにしてください。 上記の方法ですと、指定券は1−3号車までしか発券してくれません。名古屋までの指定席車両は1−3号車のみですので、4−9号車は表示してくれないのです。ですから、満席と言われましたら今度は、東京−小田原間で申し込むようにするのです。すると全車両(1−9号車)表示してくれます。 最初から東京−小田原で申し込み、指定券が1−3号車でしたら要注意です。号車番号が1−3号車で発券されてしまったら、その後の小田原−名古屋が空席になり、小田原以西−名古屋の指定席を発券することが可能になります。もし小田原以西から誰かが指定席券を持って乗車した場合、席を移動しなくてはならないことになります。もし東京−小田原の指定券が1−3号車でしたら、4−9号車に変更してもらうか、名古屋まで延長してもらいましょう。 上記では1−3号車までしか表示してくれません。東京までの指定席車両は1−3号車のみですので、4−9号車は表示してくれないのです。ですから、満席と言われましたら今度は、大垣−熱海間で申し込むようにするのです。すると全車両(1−9号車)表示してくれます。熱海からはそのまま着席していれば問題ありません。 普通車が満席だった、という人はみどりの窓口で「ムーンライトながらのセミコンパートメント席余っていませんか?」と尋ねてみましょう。ムーンライトながらにはセミコンパートメント席と呼ばれます4人がけのテーブル付ボックス席があります。 座席はリクライニングしませんが、かなり広めに設計されていてテーブルも付いています。ただ、車両の端なのでかなり揺れ、デッキにも近いのでうるさいです。この席は一般席と別格扱いになっていて、指定席を発券する端末には違う種類で入っています。きっぷにはムンライトながら(コ)と表示されます。4人などのグループ旅行には最適です。1人でも大丈夫です。 夜行列車に乗るとどうしても飲料水が欲しくなります。飲み物は早めに購入しましょう。駅で買うとしたら、下りでは東京駅10番線のミニコンビニが23時30分まで営業しています。上りでは大垣駅の北口にコンビニがありますが、ちょっと歩きます。 ムーンライトながらは明け方には下りは名古屋近辺、上りは東京近辺を走ります。JRのサービス面において早朝に一般客を乗せたい為、途中から自由席となるのです。下りは豊橋から各駅に停車し、始発電車の役目もしています。 名古屋で後ろ3両が切り離され、名古屋からホームライナー豊橋となり、そこから特急ワイドビュー伊那路に運用されます。 ムーンライトながら1・4・7号車の13Aの席には車いす設置スペース(一人掛けの座席)があります。体の不自由な方、また大きな荷物がある方はこの席を指定してみてください。ただし、デッキの一番近くです。 普通列車の中にムーンライトながらの車両として運行している列車が存在します。その列車は、静岡19:35発東京ゆきと、東京5:20発静岡ゆきの2つです。いづれも9両編成です。普通列車にリクライニングシートの車両を利用しているのでかなりの乗り得です。 また、2006年10月のダイヤ改正で、大垣7:31発米原ゆき、大垣9:22発米原ゆき、米原発8:32大垣ゆき、米原10:44大垣ゆきがムーンライトながらの車両で運行されています。いずれも平日のみです。 |
[ 113] ムーンライトながら
[引用サイト] http://www.din.or.jp/~a-aoki/night_train/nagara.html
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ムーンライトながらは、東海道本線東京駅〜大垣駅間を運行している夜行快速列車。東海旅客鉄道(JR東海)373系電車9両編成(3両編成を3本連結)で、1日1往復運転する。 1996年(平成8年)3月16日のダイヤ改正時に指定席が設けられ、列車愛称が付けられた。それまで利用者の間では終着駅の名前から大垣夜行などと呼ばれていた。 定期列車は上下とも熱海・静岡・豊橋駅で運転士が交替する。また、臨時列車は上下線とも国府津(旅客扱なし)・熱海・静岡・豊橋駅で運転士が交替する。 東京駅から豊橋駅までは全車両が指定席、豊橋駅から大垣駅までは全車両が自由席となる。7〜9号車は豊橋駅発の飯田線特急「伊那路1号」に充てるため、名古屋駅で切り離される。このため、下りの「ムーンライトながら」に大幅な遅れが発生した場合、豊橋駅で接続列車を用意して乗り換えを促した上で車両の切り離しを行うことがある。(「伊那路3号」の車両はムーンライトながら終着駅の大垣駅で切り離される。) 下りの終着駅である大垣駅では、「ムーンライトながら」の到着ホームと後続列車の発着ホームが違うため、青春18きっぷシーズンには、「ムーンライトながら」が到着すると、米原方面へ向かう列車の席を確保するため跨線橋に乗り継ぎ客が殺到し、駅構内が混雑する。 下り列車は、夜間に静岡駅始発の上り普通列車として静岡車両区から出庫回送を兼ねた送り込み列車として東京駅まで運ばれる。また2006年の10月から、平日の早朝に1〜3号車を一旦車庫に引き上げた後、先述した列車の次の便から普通列車として米原まで2往復する。 東京駅 - 品川駅 - 横浜駅 - 大船駅 - 小田原駅 - 熱海駅 - 三島駅 - 沼津駅 - 富士駅 - 静岡駅 - 浜松駅 - 豊橋駅〜(以降は三河塩津駅と尾頭橋駅を除いて各駅に停車)〜大垣駅 名古屋都市圏における始発列車でもあるので、豊橋以西では三河塩津駅と尾頭橋駅を除いて各駅に停車する。三河塩津駅と尾頭橋駅はホームの有効長が足りず「ムーンライトながら」が入りきらないのとドアカット機能がないため通過扱いとなっている。 大垣駅から東京駅までの全区間全車両が指定席。下りのような車両の増解結は行われない。名古屋駅では最後部1号車の大垣寄り乗降扉付近に新聞が積み込まれ、浜松駅まで新聞輸送の一端を担っている。 大垣駅 - 穂積駅 - 岐阜駅 - 尾張一宮駅 - 名古屋駅 - 金山駅 - 大府駅 - 刈谷駅 - 安城駅 - 岡崎駅 - 蒲郡駅 - 豊橋駅 - 浜松駅 - 静岡駅 - 沼津駅 - 熱海駅 - 小田原駅 - 大船駅 - 横浜駅 - 品川駅 - 東京駅 春休み・ゴールデンウィーク・夏休み・冬休みといった多客時には、臨時列車として「ムーンライトながら91号」(下り・東京発大垣行)及び「ムーンライトながら92号」(上り・大垣発東京行)を東日本旅客鉄道(JR東日本)所有の183系・189系を使用して運行する。両列車とも全車・全区間が指定席で、定期列車と停車駅も異なるので、注意が必要である。近年は運行日が減少しており、春期と冬期は週末のみの運行が多く、夏季もお盆の時期までの週末を中心とし、一部の平日の運行がなくなっている。2007年3月のダイヤ改正まで「ムーンライトながら91号」は品川始発だったが、現在は定期列車と同じく東京始発となった。 1989年(平成元年)末から2003年(平成15年)5月のゴールデンウィークまでは同区間で臨時列車が運行されていた。この臨時列車は普通列車として誰でも乗車でき、利用者の間では「臨時大垣夜行」「大垣夜行救済臨」「垣臨」などと呼ばれた。165系モントレー色・169系三鷹色・167系・111系8両編成・115系8両もしくは7両+4両の11両編成が使用されていた。停車駅は概ね現在の「ムーンライトながら91号・92号」と同じだが、大垣行のみ品川〜小田原間は各駅に停車していた。 「ムーンライトながら91号」は定期列車より1時間ほど早く大垣に到着し、「ムーンライトながら92号」は5分ほど遅れて東京に到着する。これらの列車は、前述した臨時列車(通称:臨時大垣夜行)の置き換えとして2003年夏に運行を開始した。 なお、下記の通り臨時列車自体はそれ以前にも運行されていたが、市販の時刻表に初掲載された1989年を初出とした。 かつては4・5号車が喫煙車だったが、2007年3月21日以降は全席禁煙となった。定期列車と同じく熱海・浜松両駅で車掌が交代する。 東京駅 - 品川駅 - 横浜駅 - 小田原駅 - 熱海駅 - 三島駅 - 沼津駅 - 富士駅 - 静岡駅 - 浜松駅 - 豊橋駅 - 名古屋駅 - 尾張一宮駅 - 岐阜駅 - 穂積駅 - 大垣駅 大垣駅 - 穂積駅 - 岐阜駅 - 尾張一宮駅 - 名古屋駅 - 金山駅 - 大府駅 - 刈谷駅 - 安城駅 - 岡崎駅 - 蒲郡駅 - 豊橋駅 - 浜松駅 - 静岡駅 - 沼津駅 - 熱海駅 - 小田原駅 - 横浜駅 - 品川駅 - 東京駅 2007年3月現在、上り列車は国府津駅で熱海駅から乗務している運転士と交代するための運転停車を行う。 2007年3月18日のダイヤ改正までは、下り列車で指定席券を入手できなかった乗客は一部の号車が自由席となる小田原駅で列を作って乗車していた ムーンライトながらの車内。車掌は車内改札をしている(2007年3月3日、上り「ムーンライトながら」で撮影) 「ムーンライトながら」は人の流動が多い区間を走行し、快速列車なので指定席券と乗車券のみで乗車できるため、安価な移動手段として人気がある。青春18きっぷや鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷでも乗車できるため発売開始から2〜3分で完売になることも多い。なお、車端部のコンパートメント席は指定席券の予約システム「マルス」では別列車扱い(指定券や主要駅の指定券券売機画面にはムンライトながら(コ)と表示される)なので、購入時に指定しなければ発券されず、多客時には通常の座席が先に満席になる場合が多い。 小田原や熱海から下り列車の指定席券を購入する際、発売開始日を「乗車日の1か月前」と誤認し、同日の10時には完売という状況も多々ある(指定席券の発売開始は「乗車する列車が始発駅を発車する日の1か月前の10時」)。また毎年8月中旬と12月下旬に東京都で開催されるコミックマーケットの開始日前夜発の上りと終了日発の下りは特に指定席券が取りにくいと言われ、1分と経たないうちに完売することが多い。 青春18きっぷの使えない時期は、ビジネスマンや、東海道新幹線の最終列車に乗り遅れた人などの利用が多く、名古屋駅で東海道新幹線に乗り継ぐ利用客も見られ、金〜日曜日を中心に満席になることが多々ある。また,関西−北関東の夜間移動経路にも,コスト・時間面では夜行バスと同等であり(東京−大阪で効かなかったJRの往復割引が使える。需要が少ないため直行の格安バスが存在しない),乗換の手間はあるものの,途中下車が自由,定時性に優れる,状況によって追加料金で新幹線等を利用可能,などの面から利用される場合も多い。 (一例として大阪−水戸往復の場合 夜行高速バス「よかっぺ号」所要11時間5分(水戸行) 往復運賃18900円,ムーンライトながら利用 所要10時間44分(大阪駅→水戸駅) 往復運賃17200円+指定券2枚1020円=18220円 バス発車地までJRを利用する場合はさらに割安) 下りは途中の小田原から自由席となる車両があったため、「ムーンライトながら」の指定席券を取る場合、希望の区間が満席でも下りなら小田原まで、上りなら熱海までの指定券は残っている場合も多かった。指定券を確保する確率を増すため、鉄道ファンなどの間ではこの区間の指定券を第2希望として設定としておくという方法が知られていた他、指定券を確保できなかった乗客も一部の車両が自由席となっていた小田原駅から乗車することができたので、同駅には指定券を購入しなかった、あるいは満席で購入できなかった客の行列が、東海道線の普通列車もしくは新宿方面からの小田急小田原線の乗客を中心にできることがあった。しかし、青春18きっぷの利用可能期間には小田原から自由席となる4〜9号車も指定席区間からの乗客で既に満席になっていたり、1駅前の国府津から乗車する客もいて、乗車しても着席できない場合がほとんどであった。 夜行利用以外に運転区間両端での始発・最終列車としての一面もあった。下りでは東京→小田原間に限り定期券での利用が不可能であるものの、東海道新幹線、東海道線の普通列車、小田急小田原線からの小田原乗り換えで三島・沼津への帰宅客や、豊橋・岡崎などから名古屋方面へ向かう通勤客の利用も多かった。上りでは、朝一番に東京に到着でき、かつ各線の始発列車に接続することが可能であったことから、沼津・熱海・小田原などから羽田空港や成田空港、上野駅以北などへ向かう乗客の利用も見られた。このため、4〜9号車は下りは小田原駅から、上りは熱海駅から自由席として利用客の便宜を図っていた。なお、成田空港へは沼津・小田原から直行バスも運行されている。 また、上り列車は全区間において定期券での乗車が可能であるが、そのため岐阜・名古屋・金山→岡崎・蒲郡・豊橋間で同列車をホームライナーの代わりとして愛用するサラリーマンも多かった。 2007年3月18日のダイヤ改正により、9両編成の全車指定席区間が下りは東京〜豊橋間(豊橋〜大垣間は全車自由席)に、上りは大垣〜東京間の全線に拡大したことから、このダイヤ改正以降は事実上、首都圏〜中京圏の移動の際は指定券なしに「ムーンライトながら」へ乗車できなくなった。併せて9両編成全車が全区間禁煙車となる。また、臨時快速「ムーンライトながら91・92号」は下りの91号の始発が品川駅から東京駅に変更され、下り・上り共に大船駅が通過となった。 東京駅では下りの発車時刻が33分繰り上がり(23:43発が23:10発に)、上りの到着時刻が23分繰り下がる(4:42着が5:05着)。これにより東京駅側での滞在時間が約19時間から約18時間に減り、東北・上越新幹線からの一部の最終列車との連絡が事実上不可能となった。定期列車については下りが平塚駅と国府津駅、上りは富士駅、川崎駅、新橋駅が新たに通過駅となり、下りは同日から開業する野田新町駅が新たに停車駅となった。 さらに、青春18きっぷで東京駅から「ムーンライトながら」・「ムーンライトながら91号」を利用する場合、日付が変わる最初の停車駅が横浜駅から小田原駅となり、東京駅から乗る際に運賃としてそれまでの450円ではなく、1,450円が必要となった。 定期乗車券は、上下とも熱海駅を挟みJR東海管内では指定券追加で乗車可能だが、JR東日本管内では同様の方法で乗車はできない。 2007年3月18日のダイヤ改正前日の17日発は形式上定期列車は運休となり、臨時扱いで上りは「ムーンライトながら70号」、下りは「ムーンライトながら71号」として運転された。使用車両は定期列車と同じ。これらの発車時刻は改正前のままで、深夜日付が変わる頃に改正後のダイヤになる。そのため、70号は富士駅、川崎駅、新橋駅を通過したが、71号は平塚駅、国府津駅、および新設の野田新町駅にも停車した。 定期列車に使用される373系は3両で1編成となっており、3本の編成を連結した9両で運転されている。昼間は大垣側では3分割され、うち2編成は東海道本線の「ホームライナー」で豊橋まで送り込み、飯田線の特急「伊那路」に使用される。残りの1編成は大垣〜米原間の普通列車に充当され、2往復している(平日のみ)。また前述の通り、東京側では373系の所属する静岡車両区と東京を行き来する間合い運用として東京〜静岡間の普通列車に充当している。なお、2007年3月18日のダイヤ改正で同じ373系を使った特急「東海」が廃止されたため、東海道本線東京口で373系が見られるのはこの「ムーンライトながら」とその折り返し・送り込み用の普通列車のみとなった。 臨時列車には、修学旅行列車などの臨時列車を受け持つ田町車両センターの10両編成(H101・H102)が使用される。この編成は元々松本電車区と長野総合車両所に所属していた「あずさ」編成の車両をかき集めて編成したため、車両により設備が違う。H101編成の2・3号車は簡易リクライニングシート、10号車は2編成ともデラックス車、その他の車両は座席のみデラックス車と同等のリクライニングシートに取り替えたもの。この設備差がインターネット上などで知れ渡りつつあり、駅の窓口で申し込むと号車指定もできるため、2・3号車の人気が低い一方、グレードの高い10号車を指定して申し込む客もいる。ただし、10号車は大垣での乗り換えが不便(跨線橋まで最も遠い)というデメリットもある。 「ながら」は、終点大垣駅に着く前に西岐阜駅〜穂積駅間で渡る「長良川」にちなみ、以前から夜行列車「ムーンライト山陽」などで使用されていた「ムーンライト」の称を冠させた。これ以前から「ムーンライト」を称していた新宿駅〜村上駅間運行の夜行快速列車は「ムーンライトえちご」に改称した。 ヘッドマークは、長良川名物の「鵜飼い」を図案化したもの。臨時列車にはヘッドマークはなく、「快速」のみが表示される。 なお、「ながら」という列車愛称はかつて東京駅〜大垣駅間を走る臨時準急列車に使用されていたこともあり、それ以降は名古屋駅〜大垣駅間を走るホームライナーの名称として使われていた時期もあった。 1889年(明治22年)7月に東海道本線新橋駅〜神戸駅間が開業した。この時下記の時刻で設定された1往復の夜行列車が東海道本線夜行列車の起源といえる。しかし、当時の列車は特に夜行を意識していたものではなく、列車の速度が遅いため、東海道本線全線を走ろうとすると、夜間帯にも走行しなければならないという理由で運転されていたと考えられる。 大正〜昭和初期になると東海道本線には1日5〜7往復の夜行普通列車が設定(東京〜名古屋間または名古屋〜大阪間が夜行になっていた)される。東京駅から大阪駅の他、参宮線の鳥羽駅、山陽本線の姫路駅・岡山駅・下関駅までを結ぶ列車が現れ、設備の面では食堂車や寝台車を連結された列車も存在するなど、黄金期を迎えた。1934年(昭和9年)12月の丹那トンネル開通に伴うダイヤ改正時の概況を示すと、下記の通りになる。 1942年(昭和17年)11月に関門トンネルが開通し、下りでは東京駅〜長崎駅・久留米駅間、上りに至っては鹿児島駅〜東京駅間を直通運転する列車(34列車・当時1493.1km・所要41時間25分、時刻は下記)も設定された。東京と九州を結ぶ普通列車が他にも何本か設定されるなど、運行区間と本数においては最も充実した時代といえた。しかし、その後は太平洋戦争の戦況が悪化し、軍需用貨物列車増発のため旅客列車が削減されていくようになり、1944年4月には寝台車の連結も廃止される(食堂車の消滅時期は不明)。 終戦時、東海道本線には下り6本、上り7本の夜行列車が設定されていた。但し、特急・急行列車削減の代替という側面(この当時、特急列車は全廃、急行列車は他の線区含めて、東京〜下関間の1往復のみとなっていた。)もある。また、設定はされていても、実際は空襲による路線・車両の被害などで運転されなかった列車も多いという。 戦後は終戦時以上に受難の時代を迎える。特に1945年(昭和20年)秋〜1948年(昭和23年)は車両や設備の荒廃、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による車両の接取(連合軍専用列車も参照)、労働者不足などが原因の燃料の石炭不足などで列車が削減され、時刻表に掲載された通りに列車を運転できない事態も多く発生した。 特に1947年(昭和22年)初頭には冬の石炭不足で列車が大幅に削減され、急行列車が全廃されてすべて普通列車になり、東海道本線の夜行列車は東京駅〜門司駅間の1往復、東京駅〜沼津駅間の下り臨時列車1本(夜行といえるか否かは微妙な時刻)、そして上りの名古屋駅〜東京駅間1本のみとなった。 1947年(昭和22年)6月には、復員・引揚列車を兼ねた列車(列車番号8000番台。普段は一般旅客列車として運転するが、復員・引揚客のある時は一般旅客の乗車制限を行う列車。)が登場する。この列車の混雑は激しく、座るためには列車の発車の相当前から始発駅で並ぶ必要があった。しかし、切符が販売制限されていたということもあり、座れるかどうかより列車に乗れるかどうかの方が問題だったといわれている。 世情が落ち着くのに応じて輸送力も回復していくが、戦後は急行・準急列車の増発が中心となり、長距離普通列車はそれほど増発されなくなった。その中で1956年11月には東海道本線の全線電化が完成し、この時のダイヤ改正で夜行普通列車は下り4本・上り3本(東京駅〜門司駅・大阪駅間)に増発、戦後の最盛期を迎える。 しかし、これ以降は特急・急行列車の増発のため、徐々に削減されていく。1961年10月には大規模なダイヤ改正(通称「サンロクトオ」)により特急・急行が増発される傍らで、2往復(東京駅〜姫路駅・大阪駅間)に削減される。 1967年10月には、東京駅〜大阪駅間の1往復(下りは東京〜名古屋間、上りは大阪〜名古屋間が夜行運転)と豊橋駅〜東京駅間の上り列車1本のみとなる。しかし、東海道新幹線が開業した後であっても利用客は多く、特に繁忙期には数時間並ばなければ座れないことも多かったといわれる。 前述の夜行普通列車は、東海道本線の普通列車で唯一の客車列車となっていたことから、合理化のため1968年(昭和43年)10月のダイヤ改正(「ヨンサントオ」)において廃止することが決定していた。しかし、そのことが新聞などで発表されると廃止反対の要望書が国鉄本社などに多く寄せられ、またこの列車には荷物・郵便輸送の役割もあったため、急行形電車を使用して存続することになった。 電車化に際し、運転区間が大垣駅(下りは翌1969年10月まで枝線の美濃赤坂駅行)までに短縮され、一般に大垣夜行と呼ばれることとなる。大垣発着となったのは、ここに車両基地の大垣電車区があり、運用上好都合なためである。なお、上りは前述の豊橋駅〜東京駅間の列車を大垣発に延長した格好となった。この列車の人気は高く、特に青春18きっぷの販売が開始されると、その利用可能期間となる夏・冬・春の繁忙期にはラッシュ時の通勤列車並みもしくはそれ以上に混雑する列車となった。 学生運動が盛んだった頃には関東・関西の運動家が往来するのによく利用されていた。このため、当時は公安警察の私服警官が必ず乗り込んでいたといわれる[要出典]。 電車化後しばらくの間は客車時代の番号を踏襲した143Mと144Mを名乗ったが、後に他の普通電車と同じ体系(3XXM) に変更されている。 かつては、上り列車に限り清水駅(深夜1:10過ぎ)と浜松駅〜静岡駅の各駅に停車していた時期もあった。 青春18きっぷの販売が開始される前はグリーン車から席が埋まっていたが、青春18きっぷの販売が開始されてからは普通車から席が埋まるようになり、特に下りの始発駅である東京駅では数時間前から行列が出来ていた。青春18きっぷが発売されない時期は、東京ミニ周遊券などの利用客が、格安料金でゆったり過ごせるとしてグリーン車を利用することも多かった。 深夜の静岡駅では駅弁の立ち売りがあり、長めにとっていた停車時間を利用して駅弁を購入するのが楽しみのひとつであった。深夜の駅弁販売は1990年代まで続いたが、需要減により惜しまれつつも廃止された。末期は小ぶりの幕の内弁当1種類のみの販売であったが、それでも売れ残りではなくこの列車のために調製されたものであった。 1986年11月1日に国鉄最後のダイヤ改正が実施され、荷物列車がほぼ全廃となったことから、上り列車に関してスピードアップが行われる。これにより、名古屋駅の発車時刻が新幹線の東京駅行最終「ひかり」の発車した約1時間後となり、列車の需要拡大につながった。 1987年3月末には、4月1日の分割・民営化を前に殺到した「国鉄お別れ乗車」の乗客に対応するため、田町電車区の167系8両による臨時列車が突発で設定された。これが「臨時大垣夜行」(現在の「ムーンライトながら91・92号」)の起源のようである(諸説あり、詳細は不明)。この列車はその後も多客期に品川(東京)〜名古屋間に設定され、1989年(平成元年)12月からは時刻表にも掲載されるようになり、平成の初め頃までは朝の通勤時対策として豊橋〜名古屋間のみを運転される日もあった。なお、設定当時の「臨時大垣夜行」は近郊形の113系による運行であった。同電車を使用した列車のうち、JR東日本の車両で運行したものは自社管理区間で使用する車両を充当したことからグリーン車も連結されていた。なお、1990年(平成2年)8月の旧盆の6日間だけは定期の列車が米原駅まで延長運転されたこともあるが、その際に米原駅がパニック状態となり、同駅の在来線部分を管轄する西日本旅客鉄道(JR西日本)から苦情が出た[要出典]こともあってこの時限りで中止された。 1994年になると、臨時大垣夜行も波動用の急行形車両を使用するようになる。当時の東京駅は東北新幹線ホーム増設工事のため東海道本線ホームが狭い仮ホームとなっており、混雑期に行列が危険な状態となってしまうため、定期・臨時ともに下り列車は品川駅始発で運転された。 1996年3月に、前述のような混雑の解消、通勤客など短距離利用者と長距離利用者との分離、そして長距離利用者の着席確保を狙い、特急形車両である373系を使用した指定席列車となり、「ムーンライトながら」と命名された。この時に長らく連結されていたグリーン車は廃止となった。また、車両が急行形11両から特急形9両となり座席数が減少するため、お盆や年末年始など特に混雑が激しい時期のみ運行される場合が多かった臨時列車を、青春18きっぷが使用できる時期は学校の長期休業期間を中心に多くの日に運転、名古屋発着であった運転区間も大垣まで延長するようになった。 2001年夏にはJR東海所有の165系が事実上全廃されたのに伴い、一部の臨時大垣夜行が近郊形の113系10両編成で運行された。しかし、セミクロスシートで座席数が少ないことや、片側3扉で半自動扉が設置されていないことから、乗客には大変不評だったといわれている。そのため、以後は原則としてJR東海の車両は使用せず、すべてJR東日本の波動用急行形電車を使用するようになった。ただし、この頃までは最混雑時には続行で突発の臨時便が運行されたこともあり、これには急行形以外に115系や113系など近郊形電車も使用されていた。 2003年には、それまで使用していた田町電車区の167系が全廃されたため、2年ぶりにJR東海113系が運用に復帰、JR東日本は新前橋電車区の165系を使用し、1日おきに担当した。全車自由席の無愛称列車としてはこれが165系最後の運転となった。7月には、臨時大垣夜行は従来の車両持ち合いからJR東日本所有の波動輸送用の特急形車両(183・189系)を利用する指定席列車となり、「ムーンライトながら」の臨時増発列車として「91・92号」の名が与えられた。これは、定期列車がJR東海からJR東日本への片乗り入れの体制を取っていたことや、JR東日本の急行形車両も老朽化により廃車されたことによる。 2007年3月18日のダイヤ改正で、前述の通り「ムーンライトながら」の運行形態が変更され、運行時間の変更、全席禁煙化の他、停車駅も削減された。 中央高速バス名古屋線・中央道高速バス新宿線…新宿駅〜名古屋駅間を結ぶ高速バスで、夜行便が運行されている。 カテゴリ: 出典を必要とする記事 | 国鉄・JRの列車愛称 | 東海旅客鉄道 | 東日本旅客鉄道 |
[ 114] ムーンライトながら - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%89
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日常ながら運動は「チョコマカ・チリツモ」方式だからたくさんできる 日常ながら運動の3本柱−ちょっと素早く・力をこめて・大きく伸ばす− フィットネス研究所、日常ながら運動推進協会、ダンベル健康体操指導協会、アロマフィットネス協会各代表。 日常ながら運動の考案、提唱者。日常ながら運動、ダンベル健康操を通じて、21世紀型の健康づくりの啓蒙、普及をテレビ、雑誌、講演会、講習会等で展開。「はなまるマーケット」「NHKおしゃれ工房・ハツラツ道場・まいにちスクスク」等の講師でも活躍。 著書に「日常ながら運動のすすめ」「実践!日常ながら運動ダイエット(講談社+α新書)「50歳からの『ながら運動』健康法」「ビシッと鍛える・ながら筋力トレーニング」(PHP研究所)、「長野式ながら運動かんたん健康法」(技術評論社)「腹がスッキリすればすべてが変わる!」(講談社α新書)、「ベスト版・即効長野式ながら運動ダイエット」(PHP研究所)、「一日一動スッキリ!」(講談社+α文庫)等多数。 1958年、山梨県生まれ。筑波大学卒。スタジオジャック代表、アロマフィットネス協会、ダンベル健康体操指導協会各会長。テレビ、雑誌、講演会活動でエアロビクス、ストレッチ、ダンベル体操、アロマでの健康づくり、ダイエットを提唱、アロマダイエット、ダンベルダイエット、ブームを引き起こす一方、アロマフィットネス、ダンベル健康体操指導員の育成認定講習会および通信講座を全国展開。 「健康第一、自然が一番」をモットーに自ら41歳で初産、43歳で第2子、45歳で第3子を高齢出産しながら理想体型をキープするカリスマインストラクター。 著書に「キレイをつくる−アロマフィットネス7つの法則」(講談社)、「ベスト版・ヤセたいところがミルミルやせる!30秒ストレッチ(PHP研究所)、「即効!1週間「部分やせ」エクササイズ」(PHP研究所)、「ザ・ストレッチング」「基本ストレッチ」「部分やせダイエット」(日本文芸社)、著作に「ビデオ・ダンベル健康体操基本・応用全2巻」(TDK)など多数。 日常ながら運動は「チョコマカ・チリツモ」方式だからたくさんできる 日常ながら運動の3本柱−ちょっと素早く・力をこめて・大きく伸ばす− 健康づくり、ダイエットには運動が大事だということ、また運動は溜めがきかず、規則的に継続していかなければ効果が出ないということは、誰もが理解しています。 「一日の身体活動量(総エネルギー消費)が多い者や、運動をよく行っている者は、総死亡、虚血性心疾患、高血圧、糖尿病、肥満、骨粗鬆症、結腸がんなどの罹患率や死亡率が低い」(健康日本21、厚生労働省)ということも裏付けられています。それにもかかわらず、多くの人が運動を習慣化できずに肥満、生活習慣病に悩んでいます。 去年まではいていたパンツがきつくなり、駅の階段を上ると息が上がり、健康診断で血糖値、肝機能、総コレステロール、中性脂肪、尿酸値などの項目に「要注意」と出ると、あわててジムにいったり、腹筋、腕立て伏せ、スクワットを始めたり、早起きして走りだしたりしますが、それこそ舌の根の乾かいうちに挫折する、いわゆる「健康難民」は増えるばかりです。 運動が続けられない理由は、さまざまですが、要は、自分のライフスタイルに無理に上乗せさせる特別な健康づくり、ダイエットでは、1カ月、2カ月は続けられても、半年、1年となると99%続かないということなのです。 それならば、運動による健康づくり、ダイエットを諦めるしかないのでしょうか? そんなことはありません。発想の転換をして、通勤、仕事、家事、買い物、生活をしながら、日常生活活動(Activity)を効果的な運動(Exercise)に変えてしまえばいいのです。それが「日常ながら運動」なのです。 ジムに行くことも、運動のためにきっちり時間を割くことも不要です。面倒もなく、体にきつくもありません。お金もかからず、他人の目を意識することもありません。それでいて、運動不足が解消され、体が引き締まり、肥満が解消され、体力が上がり、体調も改善され、生活習慣病が予防され、高齢になっても自立生活を続けられる、そんな理想的な健康づくり・ダイエット法が、日常ながら運動なのです。 日常ながら運動と聞くと、そんな程度の運動で健康づくり、ダイエット効果があるのだろうか?と思うかもしれません。一般的に健康づくり、ダイエットを成功させようとすると、「ちゃんとした、ダイナミックな、汗をダラダラかくようなきつい運動」に走りがちです。では、そのような運動が健康づくり、ダイエット効果を上げてきたのでしょうか?そうでないことは、急増する肥満者、生活習慣病患者が実証しています。 ・16人の男女に、体重維持に必要なカロリーより1000kcalも多い食事を8週間にわたって取らせた。1000kcalというと、ご飯では4〜5杯分、ラーメンでは2杯分、大盛りカツ丼では1杯分、寿司では2人前チーズバーガでは3個分くらいに当たります。 ・その間、肥満防止のためのジョギングや水泳といった「特別なきつい運動」は禁止したが、日常生活活動は普段通りとし各人に自由にさせた。 ・結果は運動とも言えないような日常活動を活発にする人ではあまり肥満せず、日常活動の不活発な人は肥満した。 ・日常活動を活発にする人と日常活動をあまり活発に動かない人を比較したところ、蓄積脂肪で最大10倍もの個人差が(最小0.36kg増・最大4.23kg増)がでた。 太らなかった人たちの生活行動にみられた特徴は「日常活動を活発にする、姿勢の良い人」だったという内容です。恐るべし日常ながら運動効果です。 日常ながら運動を「きっちりした運動ができない人」「忙しい人」「意志の弱い人」の補助として「やらないよりまし」という程度で捉えるかもしれませんが、「日常ながら運動」では「ながらでも」とか「ながらしか」ではなくて、「ながらこそ最強、最良」だという考えを持つものです。 健康づくり、ダイエットの大原則は、できるだけエネルギー消費を増やして、余分な脂肪を燃やすことです。意外に感じるかもしれませんが、日常ながら運動はチョコマカチリツモ方式で、この大原則にピッタリ合っているのです。 一度に集中して行わないので疲労しにくく、また疲労しても軽いのですぐに回復します。そのため、ちょこちょこ何度でもでき、結果として1日のトータルの運動量が多くなり、しかも明日に疲れをもちこすことなく毎日続けることができます。 椅子に座ったままできる腹筋運動を例にとると、ジムで行えば1回につき10回〜20回を1セットとして、多くても3セットが目安です。それがながら運動だあと、1日100回〜200回は軽くできます。チョコマカチリツモ方式だから確実に運動量を増やすことができるわけです。 例えば、日常ながら運動は1分間に5kal前後消費します。ながら運動を1時間に2回意識して行えば、起きている16時間で160kcalになります。3ヵ月では14400kcalで脂肪2kgの減量となります(脂肪1gを7.2kcal換算)。半年で4kg、1年で8kgです。日常ながら運動を意識して行うだけで、多くの人が5kg〜10kg近くやせたということが理解できます。 「できれば、ちゃんとした運動のほうが、より効果が上がるのでは」と思うかもしれません。たしかに、きつい汗をたっぷりかくような運動は、一見エネルギー消費量は高そうに思えますが、実は、きつい運動しても、しなくても、それほどエネルギー消費量に差がないというショッキングな研究報告があります ・56歳から78歳までの男女11人に8週間、1日150kcal消費する持久的トレーニングを行ってもらい、トレーニング期間前後の1日の総消費エネルギー量を比較した。 ・その結果、1日の総エネルギー消費量でみると、トレーニング前とトレーニング後でほとんど変化しなかった。 きつい運動を続けると、疲労が徐々に蓄積され、体は本能的にエネルギー節約モードに入るというわけです。運動した翌日は疲労回復のため、動きが緩慢になり、姿勢がデレッとする経験はだれにでもあります。これでは「元の木阿弥」、骨折り損のくたびれ儲け、運動効果も帳消しですね。 健康づくり、ダイエットが続かない最大の理由は、忙しくて時間が取れないということです。その心情は充分理解できますが、それでは時間が取れれば本当にダイエットは成功するのでしょうか? 仮に運動のために時間を取ったとしても、体力レベルが落ちていると、実際にはエネルギーを消費することはできません。「今日は3時間、ばっちり鍛えた」というのは錯覚で、準備や着替え、休憩、お風呂、整髪などに大半の時間をとられ、結局運動に集中するのは30分程度というのが現実です。 日常ながら運動は、仕事、家事、生活活動に100%重ね合わせて行うので、ダイエット、健康づくりに特別な時間を一切取る必要はありません。つまり、「忙しくてできない」という理由は成立しません。 さらに、ながら運動をマスターするには、もう一歩進めて、「特別な時間をかけてはいけない」くらいの心構えが大事です。そう意識することで、生活活動の全てをながら運動として工夫するようになります。「明日やろう」「後でやろう」という考えもなくなります。「いつでも、どこでも、すぐできる」それがながら運動のモットーなのです。 ウォーキングを始めた人が、わざわざ車で隣町の公園にまででかけて一汗流した後、涼しい顔をして車で戻ってくるといいます。近所を歩きまわると「いつまで続くかね」「どうせ3日坊主だよ」とう噂されているようで、落ち着かないからだそうです。 久しぶりに運動しようと、やや敷居が高くなっているフィットネスクラブに行くと、フロントで「お久しぶりです、3カ月ぶりですね」などと声をかけられます。いくら愛想よくても「3カ月もさぼって、駄目ですね、意思が弱いですね」と言われているようで、その無神経さに腹が立ち、また足が遠のくということになります。 日常ながら運動の良い点は、このような他人に見られているストレスが全くないとことです。オフィスで、通勤途中で、外出先で、やっているのかいないのか分からないほど、何気なく、さりげなくできます。ある日、家族に、スタッフに「あれっ、やせた?ダイエットした?」と聞かれ、「別に、特に何もしてないよ」と答えるのも、ながら運動の密かな楽しみです。 思い立ったときに、「いつでも、どこでも、すぐできる」ながら運動には、もともと「やらなければ」という強迫的なストレスも「できなかった」という挫折感も発生しようがないということです。 まず1つ目は歩くことに代表される全身持久力運動(有酸素)で、エネルギーを消費して心肺機能を高め、疲れにくい体をつくります。運動不足や老化に関係する病気の予防、改善にも効果が認められています。 買い物歩き、通勤歩き、階段昇降、室内その場歩きなどの他、床掃除、風呂掃除、ゴミ出し、洗車、草むしり、布団たたみ、本箱の整理など、本箱の整理など、ちょこまかと5〜10分以上続けて作業できる活動などもすべて持久力を鍛える運動となります。普段より「ちょっと素早く動く」ことを心がけて行います。 2つ目は筋肉に軽い刺激を与えるレジスタンス運動です。たるみを引き締め、筋肉の質を高めて基礎代謝を上げ「太りにくい体質」にします。肥満、糖尿病、骨粗鬆症に効果が認められています。 デスクワーク、通勤、家事、歯磨き、入浴、買い物、信号待ちレジ待ちなどの場面で、普段より「ちょっと力をこめて、ゆっくり」行うのがコツです。などの場面で工夫するとジムでやるより、たくさんの筋肉刺激運動ができます、普段より「ちょっと力をこめて、ゆっくり」行うのがコツです。 そして3つ目はストレッチです。血行を良くし、新陳代謝を高めて丈夫な筋肉や骨づくりをサポートします。腰痛、肩こりなどの体調不良を改善し、免疫力を高める効果があります。ストレッチチャンスは仕事や家事の合間に、お風呂・テレビタイムにといつでも、いたるところにあります。普段より「ちょっと大きく」伸ばすのがコツです。 日常生活をながら運動にするコツは、意識して「ちょっと素早く動き、力をこめてゆっくり動き、大きく伸ばす」ということです。 日常ながら運動は普段の生活活動の一つ一つを意識して、健康づくりに効果的な運動に変えることです。寝るとき以外、全ての活動に共通しているのは座る、立つ、歩くときの姿勢です。姿勢を正すということは、四六時中ながら運動を意識することに通じるのです。 まずは「お腹へこませ、背中シャキッ」を心がけることです。あごを軽く引き、背すじを伸ばし、少しきつめのスカート、ズボンをはくイメージで、お腹をギュッとへこませ、それから、肩を一度引き上げてからストンと落としてリラックスさせます。 昔の日本人の足腰が強かった理由の一つに、正座姿勢で下までしゃがむ生活様式挙げられます。正座から立ち上がる、布団を敷く、たたむ、乾す、拭き掃除、和式トイレ、ちゃぶ台での食事などで、この動作を行ってきました。 スクワットとはもともと「しゃがむ」という意味なのですから、難しく考えることはありません。例えば床に散らかっている雑誌、新聞、ゴミ、孫のおもちゃなどは、これからは、まずきっちりとひざを折り、しゃがみこんでから拾い、それからゆっくり立ち上がる「くせ」をつけるようにします。 日常ながら運動を行うということは、1日中、ちょこまかと動き、姿勢をシャキッとさせ、筋肉に少し力を込めたり、伸ばしたりすることです。言いかえれば、胸を張り、外に向かってエネルギーを発散させることです。逆にストレスにさらされている姿を想像してみてください。背中を丸め、肩を落とし、うつむき、表情は暗く、不安げで、声もか細くなるものです。ストレスも高じると、不眠、うつ、閉じこもり、アルコール依存症、ときには、自殺問題にまで到ることもあります。 日常ながら運動はストレス自体の発生を押さえ、マイナスをプラスに転換するポジティブシンキングを鍛える最適な方法なのです。 現在の生活習慣を大幅に変えようとすると、必ず挫折します。まずは、最もやりやすい日常ながら運動は何か、いつなら、どこならできるかを考え、無理なく取り入れます。 「大また歩き」が自然にできるようになったら「階段の上り下り」を加えていきます。慣れてきたら5〜10種類のながら運動を目標にします。 1度に10回行うときついなら、3回とか5回にすればよいのです。結果的には、50回〜100回と自分でも驚くほどたくさんの量をこなしていることに気がつくはずです。 また、現代人の疲労のほとんどは全身の肉体疲労ではなく、運動不足が原因のむくみ疲労や手、指、腕の小さな動きばかりを何度も繰り返す作業による部分疲労です。 そんな疲労を解消させるには「疲れたら休め」ではなく逆に「疲れたら動け」です。不思議なほど疲労が解消されます。 日常ながら運動を考案したきっかけは、今から300年ほど前の江戸時代、貝原益軒が84歳のときに著した「養生訓」(1713年)に出会ったことにあります。貝原益軒が活躍した時代は江戸時代でも最も平和で安定した元禄時代に当たり、今でいう健康雑誌的なものも100冊を越え、空前の健康ブームだったそうです。 その中でも「養生訓」は今でも古典として読み継がれるだけあり、シンプルな健康づくりの知恵に満ち、高齢化社会の健康哲学もしっかり著され、健康づくりを考えたり、実践したりする際にとても参考になります。 「人間の寿命は百歳を上限とする。上寿は百歳、中寿は八十歳、下寿は六十歳である。六十歳以上の人は長生きである。世間の人をみると、この下寿の六十歳まで生きる人は少なく五十歳未満の短命の人が多い。 人の命は、なぜこのように短いのか。これはみな養生の術がないからである。短命の人は生まれつきではない。十人のうち九人までは自らの不養生で身体を害している。だから、人はみな養生の術を心得なくてはならないのである」 「身体は毎日、少しずつ動かすものであり、長く座ってばかりではいけない。毎日食後には、庭を数百歩静かに歩くこと。もし雨の日だったら、室内でいいから何度もゆっくりいったりきたりするとよい。このように、毎朝毎晩運動をすれば、鍼・灸を使わないでも、飲食はすすみ、血液の循環もよく病気にかからず、痛い思いもせずに、楽に健康を保つことができ得る」 雨の日だからできないという理由をつけさせないところに説得力があります。 「家にいるときには自分の体力に適した労働をすることだ。立ったり座ったりする動作をいとわず、部屋の中のことは下女、下男を使わないで、できるかぎり自分の体を動かすようにしなければならない。そうすれば思ったように事が調のうので、人でを必要とせず、召使を使うための心労もしないですむ」。 当時でも人を気持ち良く働かすための気苦労がうかがえます。自分から率先して動けば健康にもいいし、精神的なストレスをためることもなく一石二鳥といっているのです。 「人間には三つの楽しみがある。一つは道を行い心得違いをせず善を楽しむこと。二つ目は健康で気持ち良く楽しむこと。三つ目は長生きして長く久しく楽しむことである。いくら富貴であっても、この三つの楽しみがなければ真の楽しみは得られない。それゆえに富貴はこの三楽にいれないのである。もし善を楽しまず、また養生の道を知らないで、身体に病が多く、短命となる人は、この三楽を得られない。人と生まれたからには、この三楽を取得する工夫がなくてはならない。この三楽がなければ、どのように富貴であっても楽しめないのである」 富を築き、名誉を得た経済人や政治家でも最後は寝たきりとなれば、すべての財産を投げうってでも、もう一度自分の手で食事をし、自分でお風呂に入り、排便をし、自分の足でしっかり歩きたい、それができれば何も要らないのが本音なのです。 貝原益軒の説く通り、私たちが健康づくりに励むのは、その短い定められた一生を、少しでも楽しむために他ならないのです。 「人生は50歳くらいにならないと血気がまだ不安定で知恵も出ないし、昔から今までの歴史的な知識にもうとく、社会の変化にもなれていないので、間違った言も多く、行いに後悔することがしばしばである。人生の道理も楽しみも知らない」 高齢者を弱者扱いしないで、むしろ人生の先達として高く評価している姿勢が明確に打ち出されています。 「腹七、八分でちょっと食べ足りないかなと思われるくらいのときにやめるのがよい。食後しばらくすると、必ずお腹が十分になってくるものだ。もう十分だと思うほど食べると、食後は必ず膨れすぎて、病気の原因になる」 ・どうせ面白くない階段上り、1段飛ばしで力強く、グングン昇れば、さらにエネルギー消費が上がり、お尻の筋肉も引き締まる。 ・椅子に浅く座り、右足を軸足としてしっかり固定させ、左足を右足のアキレス腱側にあてる。左足のひざを前に伸ばすように力を込め10秒押す。(サッカーボールをキックするイメージ)。 ・次に左足を右足首の前に移し、左足を後に押し付けるように力を込める(ひざを手前に曲げるイメージ) ・椅子から立ち上がるときには、手に体重をかけないようにして、少し腰を浮かせた姿勢で2秒静止してから、ゆっくりと、立ちあがる。 ・椅子に座るときにも、脱力してストンとお尻を落とさないで、できるだけゆっくりと沈みこみ、2秒静止してから座る。 ・お腹の前で、両手グーの形にしてこぶしをくり、手首どうしを上下に当ててクロスさせる。 ・下の腕はポパイの力こぶを作るように曲げようと力を込め(前側を刺激)、上の腕は下の腕に逆らって上から押さえつけようと力を込め(後側を刺激)、静止した状態で10秒押し合う。 ・上体を後ろへゆっくり倒し、背もたれにつく直前で止め、10秒キープしてから、ゆっくりともとに戻す。 ・顔は正面に向けたまま、反動をつけずに、上体だけを大きくねじり、両手で椅子のわきにタッチして10秒キープ。 ・足を肩幅に開き、上体をやや前傾させて、お腹をへこませ、ひざの外側に両手のひらを当てる。 ・ひざは外側に開こうと力を込め(太ももの筋肉を刺激)、両手はその力に負けないように内側に力を込め(胸、腕の筋肉刺激)、10秒押し合う。 ・その姿勢から、かかとの上げ下げを繰り返す。1秒間に1回のペースで10回、1秒間に2回のペースで20回、合計30回を1セットとする。 ・1セット終えたら、足を一歩前に出して、つま先を出来るだけ立て、かかとを突き出すようにしてアキレス腱からふくらはぎ伸ばす。 ・足幅を広げ、右足を曲げるときは左足に、左足を曲げるときは右足に重心をかけると、さらに効果アップ。 ・ひざを小刻みに、1秒2回のリズムで、60秒で120回を目安に上下させながら掃除機をかける。 ・右側エリアを、ぞうきんを持っている右手で、できるだけ大きく遠くまで伸ばして床を拭く。次にアヒル歩きで右足を一歩前に出し、ぞうきんを持つ手を左手に持ち替えて左エリアを拭く。これを交互に繰り返す。1回60秒を目安。 ・左足を半歩前に出して、背筋を伸ばしたまま、ひざからゆっくり深くしゃがみ、両手で洗濯物を取り上げ、ゆっくり立ち上がる。 ・両足をそろえて肩幅より広く開き、あごを上げ、胸を思い切り伸ばして、顔を青空に向け、洗濯物を頭上高く上げる。 ・次に真横に、余裕があれば斜め後ろにと、上体をねじりながら左右に仕分けの山をいくつも作っていく。 |
[ 115] 日常ながら運動推進協会
[引用サイト] http://www.dumbbellers.net/nagara/nagara.html
