凶悪とは?
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ひろた・てるゆき 1959年広島県生まれ。著書に『日本人のしつけは衰退したか』『陸軍将校の教育社会史』(サントリー学芸賞受賞)など。 「青少年の凶悪化」がしきりに騒がれている。その議論をきっかけに、今の少年法のシステムは破綻しているから厳罰化で対処せねぱならない、という見方が一部に出てきている。だが、ちょっとまってほしい。 戦後の数十年間の犯罪・非行統計をきちんと調べてみると、意外なことに他の先進諸国の傾向とは異なり、最近の青少年は昔に比べてはるかにおとなしくなっている。最近、年齢層別殺人率を十年ごとに算出した長谷川眞理子・早大教授が、青少年が「殺人」で検挙される割合は、戦後一貫して低下していることを指摘して反響を呼んだ(『WEDGE』5月号ほか)。私も統計を検討し直してみたが、殺人率の低下だけでなく、全体として、青少年は決して凶悪化しているわけではない、という結論に至った(『教育学年報8』世織書房、十月刊行予定)。 では、「青少年の凶悪化」という虚像はどこからくるのであろうか。ここでは、センセーショナルな報道に走るマスメディアの責任を2点指摘しておきたい。 第1に、凶悪非行への関心を喚起しようとして警察庁などが発表する、部分的で短期的な数字や解釈を、メディアが無批判にたれ流しているという点である。 たとえば、「凶悪非行の低年齢化」という見方には事実誤認が含まれている。発生率では、年少少年(14、5歳)の層の凶悪化を示す、一貫した傾向は見られない。細かな増減はあるが、極めて低い水準で推移している。むしろ、中間少年(16、7歳)や年長少年(18、9歳)で検挙される者が大幅に減少してきた(特に年長少年)ために、低年齢の少年が目立つようになっただけである(グラフ参照)。 同様のことは「粗暴犯のうち少年が占める割合が過去最高になった」という報道にも当てはまる。少年の粗暴犯の発生率は、三十数年前と比べると半減している。だが、成人(特に二十代)がそれ以上におとなしくなったため、見かけ上、少年の占める割合が上がったにすぎない。 「死に至らしめる事件を起こした少年」がここ数年急増している、と報じられることもある。だが、増加分の大半は「傷害致死」で、多人数がかかわったとされて一網打尽になる者が増えているのである。1998年でいうと、82%が4人以上の「共犯」である。それゆえ、被害者数が激増しているわけではない。私の推計では、被害死者数は依然として、60年代半ばの4分の1から5分の1にとどまっている。 さらに、警察庁発表などの報道は、減少・沈静化しつつある罪種よりも、増加傾向にある罪種を強調しがちである。また、「昨年に比べて激増」「過去5年間で最悪」などと発表されるものは、その直前の時期までさかのぼってみると、やはり現在の方がはるかに減少していることがよくある。先日、警察庁が今年上半期の非行状況をまとめ、各紙とも、「凶悪化」という見出しでそれを伝えた(4日付朝刊)。だが、そこでも、たまたま殺人が極端に少なかった昨年の数字と比較されているなど、強引な解釈が目立った。 第2に、ごく例外的に起きる重大事件に対して、不必要なまでに微細に報道し、解釈しようとする、メディアのあり方が問題である。 かつての報道は、事件の経緯をたどることに重きが置かれ、その背景や動機は簡潔な紋切り型の表現で片づけられていた。佐賀のバスジャック事件がもし数十年前に起きていたら、「内向的」で「学校嫌い」で「世間を怨んでいた」というふうに、簡単に片づけられたはずである。 ところが近年は、ごくまれにしか起きない例外的な事件に対しても、青少年全体の病理を代表しているのでは、という視点から、細かな詮索や解釈がなされるようになった。その結果、「いつでも、どこでも、誰にでも」起きてしまうかのような錯覚が生まれている。しかも、他者には簡単にはわからない「心」の部分を「事件発生のカギ」とみなすようになったから、どんなに周辺情報を集めてみても、「解決」するわけがない。不安を募らせるだけである。また個々の事件がもらさず報道されることで、少年事件が格別増えたような印象をもたらしてもいる。 稀有な事件の報道では安易な一般化は慎むべきだし、事件と関連の薄い情報の氾濫は、単なる「覗き趣味」にこたえるものでしかない。 最後に、現状の病理面にばかり注目する傾向が強いメディアが見落としがちな、重要なもう一つの点を指摘しておきたい。右で触れた、十代後半から二十代の青少年の凶悪犯や粗暴犯が減少してきたという事実が示すのは、現行少年法のもとでの保護システムが、それなりにうまく機能しているのではないか、ということである。 科学警察研究所の調査などによれば、約9割の非行少年は、1、2度捕まったら非行をやめている。保護観察や少年院への送致など重い処分を受けた者もその後、大半は更正してきている。そうであるがゆえに、二十代の犯罪率が他の国に例のないほど低下したのである。 少年法を改正して成人並みの処遇をおこなうことは、更生不可能な若年成人を大量につくり出す危険性をはらんでいる。犯罪者の大半は、執行猶予がついたり、実刑の場合でも数年後ないしは十数年後には出所してくる。少年たちに刑事罰を科しても、この点は変わらない。 70年代以降、厳罰化の方向に向かった米国では、自暴自棄になった大量の若者たちを生み出す結果になっている。「犯罪大国」の悪循環から生まれた理念や制度を、わが国がまねようとするのは愚行である。 もちろん、被害者やその家族の応報感情に対応できる制度的措置など、考えねばならない点はたくさんある。しかし性急な法改正で現在の保護主義的な枠組みの長所を失うのは、リスクが大きすぎる。同時に、過剰な不安をあおるメディアのあり方が反省されねばならないだろう。 |
[ 57] メディアと「青少年凶悪化」幻想
[引用サイト] http://www.jca.apc.org/toudai-shokuren/dekigoto/000824a.html
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今年に入ってから凶悪な少年犯罪が相次いでいる。東京都立大学法学部の前田雅英教授は、少年犯罪増加の実態は一般の認識以上に深刻だと警鐘を鳴らす。 最近、「少年の凶悪化は幻想に過ぎない」という趣旨の評論が見られる。そして、特殊な事件をセンセーショナルに伝えるマスコミに問題があるともされている。たしかに、犯罪報道の割合がかつてより増えたしまた、テレビの番組によっては過度に感情に訴える部分があったかもしれない。 ただそうだとしても、警察庁の資料など日本の犯罪統計数値を見る限り、少年犯罪の増加自体は「事実」なのである。凶悪化もさることながら、少年犯罪全体の増加、若年化、地域の拡大、少女の変化など、むしろマスコミが考えている以上に事態は深刻なのである。そして、何より不気味なのは、成人も含めた犯罪の全体状況が、平成に入り悪化の方向に大きくカーブを切った点である。「治安の良い国日本」は、過去のものになるかもしれない。 現在、全人口の7.4%、にすぎない14歳から19歳の少年が検挙人員の半数を占めている。成人の刑法犯検挙人員は10万人あたり167.5人にすぎないが、少年は1691.9人となる(1998年)。つまり、少年は成人の10倍の割合で罪を犯すようになってしまった。1955年ごろまでは差はなかったのである。 実は、少年の検挙人員の人口比率は戦後ほぼ一貫して増え続けてきた。ただ、統計数値をそのままグラフ化すると平成の増加はさほどでないように見える。しかしここで注意しなければならないのは、平成以降検挙率が急減した事実である。犯罪認知件数が平成に入っても増加し続けたのに検挙人員増が目立たないのは、それまでほぼ60%に維持されてきた検挙率が、一挙に30%台に急落したからである。検挙してみなければ少年であることはわからない以上、少年犯罪は検挙数を基に論じざるを得ない。その結果、少年犯罪が2割急増しても、検挙率が2割減となれば「少年犯罪は減少した」ということになる。趨勢(すうせい)を俯瞰(ふかん)するには、10年前までの検挙率が維持された場合を想定したグラフも作ってみる必要がある。 そうすると、年少少年(14、15歳)は10万人あたり3475人が刑法を犯していることになる。覚せい剤やシンナー等の特別法犯は別にしてである。各地域で「中高校生が悪くなった」という声が強まってきたのは、統計上の数値を投影したものと見ることができる。 ただ、増加数の中心は窃盗であった。そこで、「深刻な問題ではない」と見えたのかもしれない。そして、一般の人から見て最も凶悪な殺人罪が増えているのかどうかが問題とされたのであろう。最近の「凶悪化幻想論」の中心は、「少年の殺人は増えていない」という点にあるといってよい。たしかに、戦後の混乱を引きずった50年代、60年代に比べれば、殺人罪は少ない。特に成人の減少は著しい。しかしそれは4、50年前との比較である。最近10年を見れば、少年の殺人罪も増加したことは明らかである(図1)。 日本は、第二次世界大戦というみぞうの経験をし、その後の社会混乱の中で異常な犯罪多発期を迎えた。そしてその後、高度経済成長の終わるころまで減少を続けて底を打つ。刑法犯全体としてみれば、日本の戦後前半は、敗戦後の混乱の中で多発化した犯罪が次第に沈静化する歴史であった。しかし70年代半ばから犯罪は増加を始める。その原因は少年であった。実は一貫して増加を続けていた少年犯罪数が、それまで成人犯罪の減少にのみ込まれていたのであるが、成人の減少が少なくなったためにあふれ出したのである。 刑事法の世界から最近の「凶悪化幻想論」を見ていて最も奇妙に思うのは、犯罪の一類型に過ぎない殺人だけにスポットを当てる点である。殺人罪は、数が少ないというだけでなく、犯罪学的に特殊な類型とされている。凶悪犯を論じるならば、少なくとも強盗罪も併せて検討されなければならない。年少少年と中間少年の強盗検挙人員率は、戦後最高の域に達している。 そして強盗罪は、平成の少年犯罪増加の主役の一つなのである。いずれにせよ、「最近の少年犯罪が凶悪化したか否か」という点に関し決定的なのは、少年が凶悪犯で捕まる率が、ここ10年で3倍になったという事実である(なお、欧米諸国と比較して、凶悪犯の発生率が低いことは認識しておかねばならない。ただ、だから近時の増加が問題ないというわけにはいかない)。 凶悪犯のみならず、暴行・傷害・恐喝・脅迫などの粗暴犯も、平成に入り少年犯罪が急増した。検挙人員率が、傷害は1.5倍に、恐喝は2倍以上になってしまった。快して、軽微な万引き等だけが増えたわけではないし、特殊な強盗だけが突出しているわけでもない。 なお、米国で、80年代以降少年犯罪が沈静化した事実も重要である。「米国では厳罰化政策は失敗した」ともとれる論述が見られるが、少なくとも、少年厳罰化により少年犯罪の全体数が抑え込まれた事実だけは否定し得ない(図2)。 少年問題は、21世紀前半の日本にとって最大の課題であるといっても過言ではない。そして、刑事システムばかりでなく、家庭を含む教育の問題として取り組む必要があることは疑いない。ただいずれにせよ、具体的な事実に基づいた議論を、冷静かつ慎重に積み重ねていく必要がある。 警察庁によると、今年上半期(1−6月)警察に検挙された刑法犯少年5万9千人余で、前年同期比約4900人減った。刑法犯の少年は2年連続して減少しているが、凶悪犯、粗暴犯は増えている。 しかし、凶悪犯は21人増の1063人で4年連続で1000人を超えた。恐喝、生涯などの粗暴犯は約8400人で1100人増えた。特に殺人は26人増の53人に上っている。(横) |
[ 58] 少年凶悪犯罪深刻さ認識を
[引用サイト] http://www.jca.apc.org/toudai-shokuren/dekigoto/000909n.html
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*神戸の事件や女子高生コンクリート詰め殺人事件や、ホームレスをなぶり殺しにするような、そんなきわめて凶悪で悲惨な犯罪が起きないことを、心から願っています* さて、いろいろな場所で、「少年犯罪の増加、凶悪化」が話題になります。私自身、マスコミ報道を見ていると、そんな「印象」を受けてしまいます。しかし、今回、実際に犯罪白書(最新の平成9年版)を読んで、その統計を見ると、また違った印象を受けました。 結論を先に言えば、「少年犯罪が増加、凶悪化している」とは、少なくとも一概には言えないのではないかと思います。 白書のグラフを見ると、戦後、少年犯罪増加の3つの山があり、増減をくりかえしながら、全体的にはだんだん増加しているように見えます。(p.113) しかし、実はこのグラフの昭和45年以前の部分には交通関係業過が含まれています。全体が増加して見えるのは、免許取得者が増え、交通関係で検挙される少年が増えたためです。 白書も「昭和30年代後半以降の増加は、交通関係業過によるところが大きい〜」と述べ、この統計から少年犯罪が増加してきたとは解釈していないようです。 そこで、「交通関係業過を除く刑法犯を基礎として整備された昭和41年以降」のグラフで、少年の検挙人員数を見ると、昭和40年代が15万人前後、その後増加して昭和55〜60年ごろが25万人前後、その後減少して最近はまた15万人前後になっています。(p.114) 参考までに、島根警察のホームページの「少年非行Q&A」を見ると、そのQ11でも、「確かに最近5年間の傾向をみると、平成7年を底として上昇傾向であるが、戦後からの動きを見ると件数的には大きな問題が生じているとは思えない。〜増加傾向とはいえ、現時点では、これらのピークと比較して、目立った数値ではない。」と解釈しています。 終戦後から「昭和40年代前半までは200人台から400人台で増減を繰り返し」、「40年代後半からおおむね減少傾向を示し」、「50年代に入ると100人を割り」、その後現在まで、「おおむね70人台から90人台で推移」しています。 昭和40年台前半までは、だいたい2,000人から3,000人の間で推移しています。その後減少し、昭和46年には1,000人を割り869人になりました。その後は横ばいでしたが、平成になってからやや増加し、平成8年は1,082人でした。 この数年だけを見ると増加傾向です。ただし、もっと以前からの統計を見ると、近年特に強盗が増えているようには思えません。 島根警察のホームページの少年非行Q&AのQ8「触法少年の伸び率は?」でも、過去10年分の統計を示したうえで、「凶悪犯や粗暴犯(の件数)は、特に目立った動きはない。」と解釈しています。 (Q11では、「〜現代で問題となるのは、少年非行の件数ではなく、悪質化である」と述べ、「悪質化」という少年非行の質的変化を問題としているようです。) このように見てくると、やはり「少年非行が増加、凶悪化している」という主張には、疑問が生じます。 少年による強姦は、昭和40年前後は4,000人前後ですが、その後急減し、52年には1,000人を割り、平成8年は過去最低の227人でした。(p.119) 白書の中の少年非行に関する多くのグラフが、右肩下がりか、あるいは大きな変化がないのに、この項目は明らかに大幅な増加を示しています。ここでいう横領とは、「ほぼ100%遺失物等横領であり、その大半は放置自転車の乗り逃げ」だそうです。(p.118) 犯罪白書を自分の目でみて、自分の頭で考えた結果は、上に書いた通り「少年犯罪が増加、凶悪化しているとは、少なくとも一概には言えない」というものですが、それ以外の資料も見てみました。 雑誌に掲載されていた警察庁の「少年非行等の概要」を見ました。そのグラフを見ると、過去数年間に少年凶悪犯が大きく増大しているように見えます。 凶悪犯の推移(補導人員)として、93年が1,144、95年が1,291、97年が2,263となっています。(白書の統計とは異なるようですが、検挙と補導の違いなのか、凶悪犯の分類の問題なのか、よくわかりませんでした。) 島根警察のHP「異界にすんでいる子供たち」の「第1、少年による凶悪事件の増加」や「第5、現代における少年事件の特徴と傾向」を見ると、凶悪な少年犯罪が増えているように思えます。 ここでは、このホームページ独自の分析なども行っているようです。お忙しい中での大変な作業に、本当に頭の下がる思いです。 ただ、前に述べた「少年非行Q&A」での解釈(少年の凶悪犯の数に大きな動きはない)と、どのように整合するのかが、分かりにくいとも思われます。凶悪犯の数は増えていないが、凶悪犯罪の内容がより凶悪なものに変質化しているということでしょうか。 ここで述べられているように、殺人の中でも特に悪質なものはあるでしょう。ただ、たとえば沈着冷静で返り血を浴びるようなこともない殺人と、怒りや悲しみに我を忘れ、自分の将来のことなど考える余裕もなく、部屋中血だらけにしてしまった殺人、グループ間の抗争、あるいは親族殺人などと、いったいどちらが本当に悪質で凶悪な殺人なのか、私にはよくわかりません。 A 「〜長期間にわたっておおむね減少ないし横ばいの傾向が続いており、近年の数値も、ピーク時と比較すれば低い水準にあると言えます。」と述べると同時に、平成になってからの強盗の増加を指摘し、強盗の増加は最近の少年非行の大きな特徴だと述べています。またこの強盗の多くは、路上での強盗のようです。 (強盗に関しては、個々の事件を「強盗」に分類するかどうかが場合によっては微妙であり、統計における「強盗」の分類に疑問を持つ人もいるようです) なお、同書97年版は、「殺人・強盗に係る少年〜その再犯は道路交通法違反や業務上過失致死傷害などの交通事犯が大半を占め、再び殺人・強盗を犯した者は、強盗に係る仮出獄者(73人)のうち3人(4.1%)のみです。」と述べています。(注) 「少年事件の中心である刑法犯検挙人員は、〜減少傾向を示しており、〜検挙人員の比率を表す人口比も〜穏やかに減少してきた傾向が明らかになっている。」p.5 「殺人、放火、強姦などが減少している傾向がめだつ」「〜が、平成7年になって傷害致死や強盗傷人の非行が目立っている。」「件数が少ないので、一般化は難しいが、多人数による〜暴行が目につく〜非行の手口の変化の例である」p.6 再犯率に関しては、かつて昭和30年代、少年院仮退院者の再犯率は異常に高かったそうですが、現在では、保護観察になった少年も、少年院を仮退院した少年も再犯率が下がっているそうです。 犯罪白書(7年版)によれば、「悪質・重大」な犯罪で少年院に入った少年の再犯率は「1.5%に過ぎないという調査結果を明らかに」しているそうです。 私も今回、初めてよくわかりましたが、かつては今よりずっと多く、毎年何百人もの少年殺人犯、何千人もの少年強盗犯や少年強姦犯が生まれ、彼らは少年法による裁きを受け、そして今は、大人として社会にいるのですね。 犯罪白書を見るかぎり、少年犯罪が増加、凶悪化しているとは、少なくとも一概には言えないと思います。 しかし、どのような犯罪をどの時点とどの時点で比較するかによって、判断は違ってくるでしょう。また、立場の違いによっても解釈は違ってくるでしょう。 たとえば、法務省関連の統計よりも、警察関連の統計の方が、少年犯罪が増加、凶悪化(悪質化)しているという印象を与えるように思います。この理由としては、立場の違いがあるように思います。 現場の方々にとっては、たとえばこの数年の強盗の増加は、大きな問題であり、対処が迫られます。一方、少年犯罪の動向や少年法の改正などを考えるときには、もっと大局的な見方が必要とされるのではないでしょうか。 私は、少年犯罪が増加、凶悪化していると主張するつもりはありません。しかし、ずっと減少してきた少年犯罪が下げ止まってきたようには思います。私たちに衝撃を与える凶悪事件も起こっています。「少年犯罪Q&A」が指摘しているような少年犯罪の内容の悪質化も危惧しています。自転車泥棒のような犯罪が増えている(「横領」が増加している)ことも、大きな問題です。真剣に考え、対処していく必要があると思います。 このような近年の少年犯罪に対応して、警察、学校、地域社会などが、少年の健全な育成と市民を守るための様々な工夫を考えることには、賛成です。 統計を無視することは賢明だとは思いませんけれども、統計には限界もあるでしょう。犯罪統計の数字はわかっても、実数はだれにもわかりません。 さらに、昭和40年に検挙された少年殺人犯が370人、平成8年が97人、そして将来、年間わずか数名になったとしましょう。あるいは凶悪犯の再犯率が0.1%になったとしましょう。 統計的に見れば、素晴らしい数字です。しかし、被害者や遺族にとってみれば、統計などは関係なく、大きな悲しみであることには違いはありません。統計とは、しょせんそんなものでしょう。 しかし、もしも「少年犯罪は増加、凶悪化している、だから、少年法を変えなくてはいけない」と考えている方がいらっしゃれば、その前提である「少年犯罪の増加、凶悪化」には、統計資料を見たかぎり、大きな疑問があります。 また、凶悪事件を起こした少年の再犯率が高い(更生できない)とお考えの方がいらっしゃるとすれば、再犯率の統計を見るかぎり、それも誤解のように思えます。 少年法の改正は、長く論議されてきたことであり、現在の少年法にも様々な問題があるでしょう(少年が非行事実を否認した場合や被害者保護の問題など)。今回の神戸の事件をきっかけにより良い論議をすることは、社会のためにも、犠牲者の死を無駄にしないためにも、大切なことだと思います。 ただし、今の少年たちが起こしている殺人や強盗よりも、今の大人たちが少年だったときに起こした殺人や強盗の方が、実はずっと数が多いことは、忘れるべきではないと思っています。 *どのようなご意見、お立場の方々とも、互いに成長しあい、少しでも社会に貢献できるような議論ができることを、心から願っています* 注)〜再び殺人・強盗を犯した者は、強盗に係る仮出獄者(73人)のうち3人(4.1%)のみです。」は、少年ではなく、成人の話でした。お詫びして訂正いたします。 法務省によると、65年以後、殺人や強盗などの凶悪事件を起こした年少少年(14、15才)40人のうち、再び凶悪事件を起こしたのは、強盗致傷を起こした1人(2.5%)だけだったそうです。 |
[ 59] 少年犯罪は増加、凶悪化?(犯罪白書を読んで)
[引用サイト] http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/news/toukou6.18.html
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少年たちの凶悪な事件が続いている。神戸で中学二年生が小学生を惨殺する事件(一九九七年)がおこり、二〇〇〇年には、愛知県豊川市の主婦刺殺事件(五月一日)、佐賀バスジャック殺人事件(五月三日)、岡山の金属バット殺傷事件(六月二一日)、大分の一家六人殺傷事件(八月一四日)と続いた。いずれも高校生によるものだった。マスコミはその度に、少年犯罪が凶悪化していると言いたててきた。 少年犯罪凶悪化報道は最近のことではない。一九八〇年代もつづけられていたことである。少年による凶悪な犯罪事件や、学校での暴力事件などが大きくとりあげられ、そして身近でクソババア・クソジジイなどと罵られる場面を体験すると、そういう見聞がいっしょになって、多くの人たちは「少年の凶悪化」を「実感」することになる。少し変わった風体の若者に出会うと、恐しくなる。 しかし少年凶悪化現象の実態は非常に曖昧なままになっている。いくつかの部分的な事実や言説をもとにして、想像がふくらんで、少年恐怖症(youth phobia)が社会に広がっている。私はすでに一〇年近く前に少年犯罪凶悪化は単純な事実ではなく、統計の上で見るならば、少年による凶悪犯罪は大きく減少していると書いた。すなわち、「凶悪犯」とは殺人、強盗、強姦、放火犯の四種を指すが、その少年検挙者総数は、一九六〇年の八一一二人をピークとして、八七年には一六三〇人にまで減少している。[1] もちろん、だから安心していい、騒ぎ立てるな、と書いたのではない。件数としては明らかに減っているのに、身近に少年犯罪が迫ってきているように感じるのはなぜか、問うべきは少年犯罪の質の変化がどのようにあるのかないのか、なのである。少年犯罪の傾向については、たくさんの論述が行なわれてきた。そして最近、少年法改正問題と絡んで、雑誌や新聞にも凶悪少年犯罪は増えていないという論調も、かなり目にするようになった。しかし依然として、世間的常識では少年犯罪凶悪化言説優位である。 ところが最近、少年犯罪凶悪化を統計的に正面から実証しようとする本が現れた。前田雅英『少年犯罪――統計からみたその実像』[2]である。従来の凶悪化論が、統計を十分に踏まえないで行なわれる印象主張であったのに対して、もっぱら統計によりながら少年犯罪凶悪化を主張しているのである。いわく、「国民の大多数が肌で感じている『少年犯罪の増加・凶悪化』は、統計的に裏付けられた事実なのである」(一〇二頁)。 (1)「少年の凶悪犯(殺人に強姦や強盗・放火を加えたもの)を犯す率は、ここ一〇年で三倍にもなってしまった」(図1) (3)「戦後一貫して、成人の検挙率のほうが少年のそれより高かった殺人罪において、九九年に初めて、少年の検挙人員率が上回った」、「少年犯罪の凶悪化を示す事実といえよう」[3](図2) このような図表を見せられれば、やっぱり少年犯罪凶悪化は紛れもない事実なのだと、誰でも信じたくなる。しかしもう少し丁寧に統計を追ってみると、事はそんなに単純ではない。たとえば同じ本の中で、「戦後復興と少年犯罪」の章に掲載されている別の図表と比べてみる。これは戦後から今日に至るまでの殺人犯の変化を示したものである。この図からは、少年による殺人は、戦後五〇年代と六〇年前後をピークとして、その後大きく減少していることが分かる。たしかに九〇年代には増加傾向にあるが、大きな流れからすれば、急激な変化だとはとても言えない。 ここで図2と図3を見比べて欲しい。まったく同じ数字を正確にグラフ化しているにもかかわらず、九〇年代の少年殺人犯の数的変化について、まったく違った印象を受けないだろうか。グラフにはこのような魔術があり、危険がある。 表1から分かるように、凶悪犯検挙数も殺人犯検挙数も九〇年がもっとも落ち込んだ年である。そして九八、九九年は急増した年である。その九〇年から九九年の間だけを切り取って図示すれば、凶悪犯増加の図を描けるのは当然である。しかし八九年の殺人検挙数は一一六人で九八年の一一五人より多かったのである。 ただ、この表からも少年凶悪犯検挙数は九七、九八年と急増していることは確かである。その急増を担っているのは、主要には強盗犯の検挙数である。強盗犯検挙数は凶悪犯検挙総数のうちの、九七年は七四%であり、九八年は七二%を占めている。 犯罪発生の増減を知ることができる数字は、検挙数あるいは検挙人員率(人口一〇万人当たりの検挙者数)にたよることが普通である。しかし検挙数は発生数をそのまま表わしていない。犯罪発生数と認知数と検挙数の間には差がある。その差は、犯罪の種類によっても違う。殺人はもっとも差が少ないだろう。 しかし殺人の場合でも、人が突然原因不明の死に方をしたとき、病死か、事故死か、自殺か、他殺か、判断できないこともある。他殺と認知されても、検挙されるまでには、いくつかの壁がある。ましてや、他の犯罪の場合は、発生数と検挙数との間には大きな差がある。しかもそれぞれの犯罪の検挙率も、警察の方針やそれとも関係する警察力量配分などの要因によって、大きく違ってくることがある。 四つの凶悪犯の中では、殺人の場合は発生に対して検挙率は高いであろう。しかし強盗の場合はどうなのか。「おやじ狩り」などの事件を想定すれば、おそらく殺人事件ほどには高くないであろう。検挙率が不安定だということも考慮にいれて、その増減数を読むべきである。[4] 少年による強盗事件が「おやじ狩り」のような形でこの二、三年増加していることはたしかだが、それがこのまま一層増加の趨勢をとるのかどうかは、もう少し長く見なければならない。そういう忍耐を怠って、危機的な凶悪化であると断定することは軽率であり、その分野の統計を長く扱ってきた専門家がそのようなことをすれば、自説を強化するために都合のよい図表づくりをしたと批判されてもしかたがない。 以上のように述べたからといって、現在の少年犯罪の状態に心配の必要はないと、主張しているのではない。凶悪化を言い立てて取り締まりの強化や管理強化をすればいいというような論調は安易に過ぎる。現代の少年犯罪問題の正確な理解と対応への努力を放棄させる危険がある。たとえ少年犯罪の数量が減少しているとしても、問題は大きいと私は考えている。 少年犯罪凶悪化の主張は、統計的数量の上では正確ではない。それにもかかわらず、凶悪な少年犯罪が増えているにちがいないし、身近におこるかもしれないという、多くの人たちが持っている実感はどこからやってくるのか。それは少年犯罪の質的変化を反映しているのではないのか。 まず、少年による凶悪犯罪は減少しているし、九〇年代になってもその統計的傾向は大きく変わっていない。八〇年代後半までについては既に書いたことがあるから、詳しくはそれを見て欲しい。そこで示した少年凶悪犯の補導・検挙数の変化は図4のとおりである。 これを見て分かるように少年凶悪犯補導・検挙数最高は一九六〇年であり、その人数は八一一二人であるが、一九八七年は一六三〇人であり、五分の一にまで減っている。この数は一三歳以下も含めているから、それを除くと、検挙数は一九六〇年が七五〇四人、一九八七年が一三一八人であり、その減り方はもっと大きい。(一三歳以下の「凶悪犯」で補導されることが一番多いのは「放火」である。ちなみに一九六〇年の一三歳以下の補導数六〇八人のうち放火は四〇二人、一九八七年は三一二人のうち二六五人である。) その後九〇年代は、表1から分かるように、しばらくは同じような数で推移してきたのである。そしてこの三年(九七、九八、九九年)の凶悪犯検挙数は急増している。一九九五年の一二九一人に比べると、一九九七年の二二六三人は倍増に近い。しかしその増加分の九七二人は、強盗の八一〇人と強姦の一三七人がほとんど(計九四七人)である。強盗は八六五から一六七五へ、強姦は二六四から四〇一へと倍に近い増え方である。九〇年代後半の増加傾向がそのまま進んでいくとすれば、それは少年犯罪の凶悪化が統計的事実となった言えよう。しかしそれは一時的な傾向なのか、それとも今後も続く傾向なのか、まだ分からない。 少年凶悪犯検挙数が増加していないにもかかわらず、少年凶悪化論は八〇年代からずっと続いている。凶悪犯検挙数が底値になって安定し始めた頃から、逆に少年凶悪化論が言われ始めたのである。少年による殺人検挙数は七五年に一〇〇を切り、八〇年が四七人(一三歳以下の触法少年をふくめても五一人)と最低で、その後八九年と九八、九九年を除いて、一〇〇人以下で推移している。この八〇年の四七という数は、六一年の四四〇人の九分の一以下である。二〇年の間に少年凶悪犯罪は激減したのであるが、その時、凶悪化論が出てきたということは、どう説明したらよいのだろうか。少年犯罪の内容において際立った変化があり、それが「凶悪化」の言説と印象をつくっているのだろうか。 九三年の論文で取り上げた少年事件のうち、少年犯罪事件は当時世間に大きな衝撃を与え、それぞれにかなり詳しいルポなどがある次の六つであった。 一、一見したところ安定した生活を営んでいると見える家族に、事件が起こっている。((1)(2)(5)(6)) 二、「明るい」「ひょうきん」などと評されていた「普通の子」が、重大事件を起こしている。((1)(2)(5))(6)の場合も中学生までは「普通の子」であった。 衆目一致の不良少年ではなく、経済的にも安定した家庭で親から大切にされて育った「普通の子」が、残虐事件を次々に引き起こすようになった。周囲の人びとも、当人もどうしてそのような事件を起こさなければならなかったのか、分からない。世間は、勉強を強いていたのではないか、冷酷な育て方をしてきたのではないか、冷たい関係しかない家族だったのではないか、子どもの気持ちをえぐるような叱り方をしたのではないか、などと、残虐事件発生の原因を見つけ出して、自分たちの家の我が子どもたちと、事件の子どもたちとは別なんだという安心を得ようとしたが、無駄だった。自分たちと同じような家族に、あるいは自分たちよりも経済的にも安定し、親の社会的地位も学歴も高く、子育ても丁寧にしていたとしか思えないような家族に、悲劇が起こったのである。それならば、我が家にだっていつ事件が起こるか分からない、という不安が生じるのも無理ないことである。 さらにこれらに付け加えて、最近起こっている少年犯罪では、まったく無関係の人を誰でもいいから殺傷するという共通の特徴をもつ事件が続いている。(豊田市の主婦殺し、佐賀のバスジャック殺人、東京池袋や横浜の通行人襲撃など) 凶悪な少年犯罪は私たちの身近でいつどこで起こっても不思議ではなくなったのである。我が子も、毎日会っているまじめなあの子も、ひょっとしたら凶悪犯罪を起こすかもしれないという恐怖が、「凶悪化」論調を生み出している。 凶悪事件は増えていない。しかし凶悪事件は身近でおこる。「身近」とは私の生活圏で、ということであるが、また私の家庭や子どもと異質ではない家庭や子どもに、ということでもある。それが七〇年代末以降の少年事件に生まれた傾向である。 では六〇年代始めに現在の数倍もあった殺人事件は、私たちの「身近」ではなくて、どこで起きていたのか。どのようにして私たちの「身近」にやってきたのか。 凶悪犯罪は六〇年代の経済成長と共に急減する。それは成人についても、少年についても同じである。そして成人はなおも減り続けるが、少年については七〇年代の後半にその検挙数は底をつく。 ところがその時期から、従来の少年犯罪についての常識では理解できない凶悪事件がおこりはじめる。その一番早い例が、七九年の有名な学者一家の少年による祖母殺し事件であり、翌八〇年の川崎金属バット両親殺害事件であろう。その先駆けとして、少年による事件ではなくて親による犯罪だが、七七年の家庭内暴力の開成高校生を父親が絞殺した事件も、新しい少年問題として重要である。 「経済的貧困を主要な原因とする犯罪が一九六〇年代頃より急減し、それに代わって新しい形の少年犯罪が八〇年頃から目立つようになった。(中略) 経済的貧困が少年犯罪の温床であることは現在でも変わりはない。現在の日本ではそれが少し下火になっているだけで、そこを軽視してはならない。もし貧富の差が拡大したり、若者の失業が急増するようなことが起これば、貧困を原因とする青少年犯罪もたちまち増加に転じることはまちがいない。 しかしこの貧困という原因の他に、別の犯罪誘発原因が現代日本の子どもたちを動かしている。その最大のものは、管理と競争の社会であり、その教育であろう。学校だけではなく、企業も世間も家庭も親も、成績主義競争をけしかけている。それによって、子どもたちは現代の差別と抑圧の下におかれている。それに耐えられなくなった子どもたちが暴発する」[6] 上に断ってあるように、経済的抑圧原因型非行は現在でもあるし、また逆に、学校の成績競争など非経済的要因がもたらす抑圧によって追いつめられ、犯罪的逸脱行動にはしった少年は、もちろん、いつの時代でもいた。図5は、七〇年代の後半を境として、少年犯罪・非行の主導的な原因が、前者から後者に転換したことを示している。文化的抑圧原因型犯罪・非行は、かつては世間に見えないほど少数の事例だったが、確かにあったのだということを、哲学者鶴見俊輔の少年時代の逸脱に見ることができる。 俊輔の父は貴族院議員、母は後藤新平の娘で、姉に続く二番目の長男として一九二二年に生まれた。いつも、デキのいい姉とくらべられ、学校の成績は良くて当り前、名門の長男として特別に厳しく監視されて育てられた。 「うちにはくつろぎがないし、といって学校にもない。学校とうちとの間を、もがいて歩くわけですね。そのころの東京は一五区で小さかった。だから、電車を降りちゃ、いろんなところを歩くわけですよ。いろんなとこへ降りていって、道端へ座ってね、小学校三年か四年で道端に座って、あーっと溜め息ついてるわけ(笑)。そういう暮らしですね」 学校の成績でも、生活でも、最上級であることを要求する母親にたえられない俊輔は、母親の期待に反する行為へと傾いていく。盗んで金をためるようになる、自殺を図る、手首を切るとか、致死量のカルチモンをのんで渋谷の道玄坂をふらふら歩いていて、警官とやり合って、病院に担ぎ込まれるとか、たばこを食べるとか、いろんなことをやる。動機は、 「おふくろに対して、はっきりオープンに世の中で復讐したかったんです。自罰的なんですね。おれは悪い人間だから死ぬ。悪い人間としてしか、おれは生きられないんだ。それですね」[7] 少年が管理と監視と過剰な期待の下に縛られてしまえば、現在の自分も、将来の自分も肯定できなくなって、行き場を失ってしまう。それはいつの時代も変わらないということを、上の例は示していないだろうか。七〇年代後半以降、俊輔的少年の苦悩が、日本の普通の家族の中に広がっていったのである。 その事態にマスコミは驚き、慌てふためいた。少年犯罪が自分たちの身近に近づいてきたからである。これは考えてみればずいぶん勝手な話である。 六〇年代はじめの頃、数倍もの少年凶悪犯罪が発生していたにもかかわらず、マスコミは小さくしか取り上げなかった。経済的貧困と社会的差別の下におかれていた家族に悲劇が限定され集中していて、経済的に一定の安定を獲得していた家族からは遠くはなれた別の場所の出来事であったから、マスコミは大きな関心を示さなかったのではないか。些細なことでの親殺し、教室での友人刺殺など、当時も次々に起きていたのだが、新聞は数行で小さく載せるだけだった。そして、自分たちと同じ家族に悲劇が迫ってはじめて、多くの人たちは少年の犯罪を自分たちの問題と見ることができるようになったのである。 七〇年代後半を境として、少年凶悪犯罪の主役は経済的抑圧原因型から文化的抑圧原因型に転換したのだが、しかしその両者には、外側の原因の違いにもかかわらず、共通する苦悩があったと見るべきだろう。それは、自分の存在の意味を感じることができない、という共通の苦悩である。青年は将来に大きな希望をもちたいという願いと、それが次々と断ち切られていく絶望の現実とにはさまれ、もみくちゃにされて、自分を失う。この青年の苦悩は自殺や犯罪の温床である。 たしかに、経済的貧困は少年犯罪の直接の原因になる。例えば、食べるものがなく、空腹の少年が他人の食物を強奪しようとするが、抵抗されて殺してしまう、というような犯罪がその典型であろう。しかしそのように経済的困窮が直接に凶悪な犯罪に結びつく事例は、戦後日本の最も貧しかった時期でも、それほど多くはなかったのではないか。 敗戦後、地主と小作のように身分に基づく関係と言っていいような、固定的な階層較差を解消する方向で、法と制度の改革が進展した。学校教育についても単線型学校制度が実現した。前期中等学校教育が義務教育になって、さらに誰でも、高校・大学へと進学することができる形が現われた。職業選択をはじめとして、自分の人生を自分で選択し、自分でつくる自由、自分の存在の意味を自分でつくることができる自由へと、日本社会の制度原則は大きく前進した。しかし法的・制度的な形として保障されたこの自由は、経済的かつ文化的に比較的恵まれた少年たちには享受されたが、経済的・文化的貧困の中におかれた多くの少年たちには、掲げられた自由と平等の理念とその制度を利用することができなかった。中学校の卒業が近づくにつれて、掲げられた素朴な希望は現実の絶望にとって代わる。 一九五〇年代、中学を卒業して進学できないで、家で農業を継ぐことになって数年間の農村青年を、堀越久甫は「忘れられた青年たち」といって、彼らにもっと注意を向けるよう呼びかけていた。彼らは、青年団にも出てこない、サークルにも参加しない。なにを考えているのか、サッパリわからない、と周りの者から言われていた。 「私は、中学をでて、すぐ家の農業で働くようになった青年たちのことを考えると胸が痛くなる。私自身、そうであった頃があるからである。希望と絶望が、無茶苦茶に胸のなかをかけめぐっていた頃が。これは、おそらく、高校、大学と進んだ人たちにとっては想像もつかない心境であろう」[8] そして数年たち、百姓で生き、死ぬのだと、彼らはあきらめを身につけさせられて、やがて青年団にも出てくるようになる。だからほうっておけばいい、というのは誤りだ、この青年たちの悩みを放置しておいて、学校教育や青年の学習活動を語ることは許されない、と堀越は書いた。 一九六〇年、私は二〇歳だった。堀越が「忘れられた青年たち」と注意を喚起したその青年たちと同世代である。そして凶悪犯罪最多期をつくり出したその少年・青年たちと全く同世代であることになる。 しかし大学まで疑いもなく生きていくことができた私のような者には、中学卒業で進学を諦めなければならなかった少年たちの苦悩が、十分に理解できていなかったと、今になって思う。空間的には私が彼らと別世界で過ごしたわけではない。私の学区は、東京のはずれの農村と工場地帯を含むような地域だった。わたしはその農村部に住んでいた。同じ集落の同学年生は八人だったが、私ともう一人の女子を除くと、女三人、男三人の六人は高校に進学しなかった。学校成績で言えば、内一人以外は、比較的よくデキル生徒だったと思う。特に女子の二人はクラスの上位にいると見られている子だった。また中学校区は貧しい家庭をたくさん抱えた地域だったが、そのまま進めば、どこの有名大学に入学しても当然であるような成績の生徒たちが、何人も、中学校卒業と同時に就職しなければならなかった。そのうちの多くは夜間定時制高校へ通ったけれども。彼らもまた、堀越と同じような苦悩を体験したに違いない。しかしそのすぐ側にいながら、なさけないことに、私は彼らの苦しみを共有することができなかった。 彼らには、学校制度体系の単線化によって、能力に応ずる教育機会の理念と制度が、示されていた。前期中等教育の義務化によって、従来よりも一層深く、知的世界への関心が開かれていた。その理念と制度の船に乗って中学校卒業の時点までやってきて、この社会での役割と位置を思い描き、進むべき道を選ぼうとしたとき、その船は経済的現実や親の無理解という嵐に翻弄されて、難破した。彼らは自分の存在の意味づくりを、大きく制限されたのである。彼らの中にはそのために、自分の存在意味を見失ってしまう者もいたであろう。 今日の子ども・青年たちが、経済的理由から進路を阻まれることは、少なくなった。しかし高校に進んで、大学に進んで、専門学校に進んで、そのあとなにがあるのか、見えない。そこで彼らは苛立ち、苦しんでいる。四〇年前の若者も現代の若者も何者かでありたいと切実に希求している。しかしその道が絶たれる。 存在あるいは生きることの意味は、社会との関係から出てくる。社会との関係において実感することができる。社会にとって意味のある役割を果たしていること、そしてできれば、社会からその役割を認められ歓迎されていること、これが私の存在の喜びであり、意味である。それぞれの人にとって、「社会」の範囲や質には違いがある。小さく家族や地域の範囲に社会が限定されている場合もあれば、現代日本あるいは現代世界である場合もある。さらに過去も未来も、死者も子孫も含んで「社会」である[9]場合もある。 子どもが幼なければ、その「社会」は小さい。家族や仲間集団や学級が「社会」である。その社会の中で、その子が肯定的に受け入れられることが必要である。思春期になれば「社会」は時空共に広がる。やがて自分が参入していく社会が描けて、そこに受け入れられて、そこで必要な参与ができる、そういう見通しを、思春期以後の子ども・青年は必要とするようになる。その見通しの中に現在の生活が位置づいていると感じることによって、今の生活への意欲も意味も生まれる。[10] この点では一九六〇年代の経済成長期の日本社会は単純だった。日本社会が経済的豊かさを実現していくこと、それに寄与するために経済・生産活動に参加し、その結果として家族の経済的安定を確保すること、それは価値あることだった。そのために学校に行き、努力をし、勉強をし、仕事の場に参加したいと思っても、五〇年代の貧しさは、それを許さなかった。しかし六〇年代に入ると、経済成長と進学率が相伴って高くなっていったから、子ども・青年にとって社会参加の見通し、したがって生活と学習の意味は、見やすかったのである。その意味が現在から見て正しかったかどうかは、ここでは問題にしない。 ところが七〇年代になって、高校進学率は九〇%を超え、高度経済成長も終わる。経済的豊かさは、実現されれば当然の日常となり、高校卒業も当たり前のことになる。他方では、過剰な生産と過剰な消費が自然環境と社会を蝕みつつあり、そういう事態がハッキリしてきたのに、どうすることもできない。社会の次の課題、歴史の課題が、見えなくなる。青年が参加するに足る価値ある社会が見えなくなる。見通しを失った青年の新たな苦しみが、ここから始まったのである。 家庭で子どもたちの役割がなくなったことも、存在意味喪失感をもたらしているに違いない。一世代前までは、ほとんどの家庭で、子どもは一〇歳にもなれば家族生活を支えるためにどうしても必要な仕事を割り当てられていた。その仕事を子どもは嫌々やっている場合でも、自分が必要とされ、当てにされているんだと感じたし、親から喜ばれれば、存在の充実を感じたであろう。しかしいまや、子どもは愛情の対象ではあっても、役立たずであり、厄介者である。 しかも進路・職業選択は制度的形式的条件からすれば自由になっているのに、偏差値という幻想の怪物ににらまれて心も体も動きがとれなくなっている。制度的希望と実質的絶望の間を揺れ動く青年たちの苦悩は、何者かでありたいと思いながら何者にもなれない、と諦めなければならなかった、あの戦後青年たちと同じではないのか。 少年犯罪が凶悪化しているとは単純に言えないし、ましてやバスジャック殺人事件など上記の最近連続して発生した事件によって、少年犯罪凶悪化を説明することは誤りである。しかし、現代少年が重大な非行や犯罪から遠ざかりつつあるというのではない。逆に、犯罪や非行への接近可能性は一般化し広がっていると警戒すべきであろう。 表2の調査校は東京の「有名進学校」であり、そこの教師目良誠二郎さんが授業の一環として行なったアンケートの一部である。入学してくる子どもたちは、よくデキル、イイ子たちである。「ここ数年の間に身近な人を殺したいと思ったことがありますか」との問いに、半数が「ある」と答えている。比較することができる過去の資料をもたないが、危険な数値であることはまちがいない。少年犯罪拡大の可能性はなくなっていない。 重大な非行・犯罪の発生を促進あるいは阻止する条件を、三つのレベルにわけて考えることが、非行・犯罪発生の原因を探るために有効だと思う。主体的条件のレベル、発生の直接契機(きっかけ、引き金)あるいは阻止の契機(引き留め)のレベル、実行への方法や道具のレベルの三段階である。 第三に、上のような条件や契機があって非行・犯罪実行に近づいたとしても、それを実行するための道具を獲得できなければ、実行は成功しない。非行・犯罪実行方法としてのイメージや言語、実行手段としての凶器などの道具によって、非行・犯罪の発生件数も質も変わってくる。犯罪イメージや言語の情報はあふれている。今後もしも銃器が容易に手に入るようになったら、凶悪犯罪発生は急増するであろう。 *1 奥平康照「現代の子ども事件が問いかけるもの」『講座・現代社会と教育 2 子どもと大人』大月書店、一九九三年。 *4 「おやじ狩り」の場合、金品をひったくるだけなら「窃盗」であり、暴力を加えて奪えば「強盗」である。モノを奪った後で、被害者が抵抗したので暴力をふるった場合はどうなるか。両方を一つの行為と見れば「強盗」であり、二つの行為に分ければ、「窃盗」と「暴行」である。そのどちらの見方をとるかは、裁判の争点になることがある。これも「強盗」について認定の不安定な例である。 *8 堀越久甫「学校は今のままでいいか――農村青年の学習活動と学校教育」『教育』一九五九年三月号、国土社。 *10 奥平康照「社会参入過程としての学習と学校生活」『教育学研究』第六七巻第一号、日本教育学会、二〇〇〇年、を参照。 |
[ 60] 少年犯罪は凶悪化しているか
[引用サイト] http://www.wako.ac.jp/souken/touzai01/tz0113.html
