憎みとは?

中国の中央テレビ局(CCTV)の人気司会者倪萍さんの自叙伝風著作「日子」(日々、作家出版社)に「愛花」(花が大好き)という章がある。その副題に「私は花が大好き。ただ桜が嫌い」とある。
理由2:青島にある桜は植民時代、日本人が植えたから、桜が日本の象徴であり、桜を見るとあの憎むべき歴史を想起される。
理由1についても色々書いたが、「嫌桜情緒」は主に理由2に起因することだというは倪萍さん自身も隠さない。だから「桜には罪がないが、仕方がない」とある。また「桜」を憎む裏付けとして、梁実秋は青島の桜が大嫌いだというエピソードも引出した。勿論、ここでいう桜は植物としての桜に止まるものではないことをわざわざ強調する必要は無い。
「恨屋及烏」(人を憎めばその人の住家の屋根にいる烏をも憎む=この訳は適切ではないが、名訳が浮かべない)は人間の感情世界のものなので、理解できないことでもない。また「前事、忘るべからず」も納得する。しかし、戦後50数年が経っても、はたしてこのように「景に触れば情け生ずる」必要があるだろうか。
ある花屋さんのホームページを見たら、イギリスとポルトガルの国花はバラ、オランダはチューリップ、ドイツはヤグルマ菊、フランスはアイリス、スペインはカーネーション......とあり、どれも愛らしい花だが、こちらの国々はどれも中国を侵略した憎むべき歴史がある。
今も北京の郊外に散在している圓明園の生々しい廃虚はその証拠である。しかし、我々中国人は(倪萍さんもそうだと思うが)、こちらの花を見る時、憎むべき歴史への連想はない。桜だけは運が悪い。この欧米諸国に対する感情と日本に対する感情は何故このように違うかは別の機会で触れたいが、ここで筆者が言いたいのはこれらの愛らしい花を見てあの「憎むべき歴史」を連想しないと同じような気持ちで桜を鑑賞することはできないだろうか。
青島の桜が大嫌いという梁実秋の亡国への鬱憤も当然尊敬すべきだが、「桜花賦」をしたためた郭沫若氏の心も大切だと思われる。郭氏は権力に迎合する所謂「応酬の作」が多かったとしばしば見下げられる傾向があるが、少なくとも「桜花賦」を書いた時の郭氏は聊かの権力によるプレッシャーもなかったし、節を屈してまで桜を謳歌する必要はなかった。ましてや、倪萍さんがいうように旅先で主人に対する礼儀からではないと思われる。
ここで少し話が逸れるが、今月初めに韓国のマスコミを賑わす「金嬉老事件」があった。30年前に静岡県で暴力団員2人を射殺し、人質13人を取って立てこもった罪に問われた在日韓国人、金嬉老さんが7日、千葉刑務所を仮出獄した。逮捕から31年、最高裁の無期確定から24年ぶりの身柄拘束解放だ。同日釜山に到着した金嬉老さんは、「愛国同胞の帰国歓迎」といった横断幕や韓国国旗を持った人々、仏教会婦人合唱団、女子高校の吹奏楽団などの、国民英雄さながらの盛大な歓迎を受けた。
そして、韓国のマスコミは金嬉老さんの仮出獄が確実になった8月下旬からも連日競って大々的に関連ニュースを報道してきた。感情的な対応を避けようとする姿勢も見受けられるものの、感情が先に立つ雰囲気が圧倒的な優勢で、結果的に国民感情を偏った方向へ煽ったこととなった。
「金嬉老事件」は民族差別に起因した事件で、今振り返ってみても金嬉老さんの悲惨な運命に胸が痛む。しかし、冷静に考えれば「金嬉老事件」の金嬉老さんは被害者と加害者であっても、決して英雄ではないことはいうまでもない。それが英雄扱いされたことの底流には、韓国人の日本人に対する言葉では言い尽くせない憎しみのセンセーションがあると敢えて言いたい。そして、このセンセーションを必要以上に煽りつづけてきたのは紛れもなくジャーナリストとマスコミだ。筆者がわざわざ「金嬉老事件」にまで筆を走らせた目的もここにある。
つまり、民族間にあった「過去」は憎むべく、忘れるべきものではない。しかし、過去の如何に拘わらず、ジャーナリストを含む文筆業に従事している人々は民族問題を扱う時は、安易に感情に走るのではなく、事実を如実に伝えると同時に大衆の感情的な高ぶりを冷静にそして未来志向に導くことに努めてもらいたい。残念ながら、中韓日のマスコミの現状を見ると憂慮すべき現象がまだ非常に多い。
報道陣に対し「日本人の中にも人情のある立派な人がたくさんいる。そうした人と差別する人を同一視してはいけない」という金嬉老さんの発言は、彼の悲壮な半生の血と涙の結晶として受け止めたい。
倪萍さんの本には、桜を青島に植えた日本人は桜の木と同じように永遠に青島に居残り、永遠に青島を占領したかっただろうと推測して、益々憎々しさが倍増するという意味の文章がある。しかし、次のように全く逆の発想の方がもう少し夢があり、我々の乾燥した気持ちにちょっとした潤いを与えることが出来るのではないかと思うのは私だけだろうか。
戦争のため青島に駆り立てられた学徒出陣の日本人青年とその学友達は、郷愁を凌ぐために八丈嶺に桜の木を沢山植えた。そして間もなく青年は戦死した。学友達は毎年のように満開した桜の木の下に集まり、戦死した学友を偲び、戦争が早く終わり、帰国できるようにと祈っていた。

[ 99] 悲しむべき東洋民族間の憎み
[引用サイト] 
http://www.yorozubp.com/9909/990916.htm

“躁鬱病” “摂食障害” “パニック障害” と診断された私は、新潟市内にある大きな病院の精神科で入退院を繰り返してきた。一回目で七か月、二回目で一年という入院を経験したあと、私の
“ひきこもり生活” はスタートした。実際にはこのころ “ひきこもり” という言葉は世の中で今ほど使われていなかったと思うが・・・。
今から数年前はまだ世間の精神科に対するイメージは悪かったし、偏見も強かった。 「精神科に行く人間は頭がおかしい人間か、気が狂った人間なんだ。」 と言っていた人達もいたくらい。そのイメージの悪さに、実際に精神科を退院したばかりの私は苦しめられた。時には外の空気でも吸おうと、家から出た時に近所の人は挨拶はしてくれたが、その後私の姿が見えなくなると、きっとそんなふうなことを口にしているのだと思ったら、玄関から外に出ることが怖くなってしまった。
そのため、私の生活スペースは、家の中だけになってしまった。そんな私を、周囲の人は 「怠けているんだ。」 と言っていたようだが、それは違う。 “ ひきこもり生活
“ は実に疲れる。なぜならば、体は動かしていないからそのように見えるのかもしれないが、頭の中ではめいっぱいいろいろなことを考えているので、疲れるのだ。 「怠けているんじゃない。できることなら外にも出たいし、仕事もしたいんだ。」
と叫びたかったが、ひきこもりという状況の後ろめたさから、その言葉を口にはできなかった。他人に話しても解ってもらえず疲れるばかりだった。 「もうこんなことなら人と話すことをやめてしまおう」
孤独感と不安でつぶされそうになった時、追い打ちをかけるように鬱病と過食症が私を襲った。食べては吐き、吐いては食べる毎日。自分の体をコントロールできず、結局布団から起き上がれなくなった。汚い話だが、お風呂に入ることも歯を磨くこともできなくなっていった。布団に入っているからといって、熟睡できていたわけではなかった。熟睡できれば少しは楽なのだろうが、寝ているとも起きているともつかない状態で、時々自分で確認しなければ、生きていることでさえ見失ってしまいそうなほどの濃い霧の中をさまよっていた。しかし、人の話し声には敏感だった。
「うちの子はどうしてこうなってしまったのだろうねえ。これからどうなるのだろうね。」 というような家族の声は、更に私を苦しめた。 「それがわかったら、こうなっていないし、苦労しないよ。一番知りたいのは、自分自身なのに・・・」
ひきこもり生活には考える時間だけはたくさんあった。過去のことを考えれば 「 “ あの時、〜していれば” とか、 “ あの時、〜さえしていなければ”
こんなことにはなっていなかったのに」 と悔やむことになるし、将来のことを考えれば、両親が定年になり働けなくなった後の生活のことが浮かび、 「このまま自分が仕事に就けなければ、ホームレスになるしかない」
「食べる物すら買えず飢え死にするかもしれない」 と不安になる。だからといって、現在の状況を考えてみても 「病院の多額の入院費や通院費をすべて出してもらってきたあげく、今は食費まで出してもらって食べさせてもらっている」
考えれば考えるほど不安になり 「何とかしないといけない」 と思う。でもできないし何も変わらない。結局、私の存在自体が周囲の人達に迷惑をかけることばかりなんだと露骨に見えてくる。右を見ても左を見ても、唯一、人のためにできることといったら死ぬことかも・・・という答がぼんやりと見えるだけ。そう、考えることすべてが、ただ自分を責めていじめる材料にしかならなかった。私は大きなジレンマとストレスを抱え、今にもつぶれそうだった。時間だけは待った無しに刻々と過ぎていく。焦る、焦る・・・。
いつものようにめいっぱい考えて大きな不安に襲われたある日の夜のことだった。私はふと隣の洋間のサイドボードにウィスキーが何本か入っていることを思い出した。
「お酒を飲んだら少しは不安が減り、楽になれるかな」 と思った私は、家族が寝静まるのを待って、その後こっそりと持ち出し飲み始めた。しかし、私の思いとは裏腹に不安はますます強まるばかり。家族がお金を払い買ってきたこのウィスキーを飲んでいることさえ罪に思えてきた。どのくらいたったのだろうか。私は、気がつくと持っていたグラスを思い切り床に投げつけていた。まるで、ピーンと引っ張り続けていたゴムがプチンと切れたかのように・・・。ひきこもり生活で多くの不安や悩みを抱え、常に緊張状態だった私がついに耐えきれずに切れた瞬間だった。
白いレースのカーテンごしに淡い陽射しが入り始めたころ、重い頭をやっと持ち上げ、周りを見渡した。キラキラと輝くグラスの破片。真っ赤に染まったクッション。ビショビショにぬれたカーペット。私はウィスキーを飲んだことまでは何となく覚えていたが、その後何が起きたのか思い出せずにいた。
家族が、泥酔状態でボーッとしたままの私をかかりつけの病院の精神科に担ぎ込んだ。医師との話し合いのすえ、私は三回目の入院を迎えるはずだった。しかし、そこで
「前回よりも長くなるだろう」 と聞かされた私は、それを拒んだ。 「それだけの時間を入院に費やすくらいなら、同じ時間を使って自分で何とかできないだろうか?」
そう考えたからだ。やれる自信も裏付けも、その時は全くなかった。もちろん 「入院をしたら、家族にまた迷惑をかけてしまう」 という気持ちがあったのも事実だ。
そんな真っ暗闇の生活に一本のかすかな明かりが見えた日。それはイラストとの出会いの日だった。ある旅行社の一人の営業マンが家を訪ねてきたことから始まった。
「このような旅行のパンフレットを作りたいのですが、イラストを描いてもらえませんか?」 その営業マンはひきこもり中の私に尋ねた。 「どうして?」 と思ったが、話を聞いている間にその理由がつかめた。
かなり前になるが、私が短大に通っていたころの話だ。知人に頼まれて喫茶店で使うメニューをイラスト入りで描いてあげたことがあった。偶然にもこの営業マンが何人かでそこの喫茶店を利用したときに、そのメニューに目が留まったらしいのだ。しかし、頼まれても当時の私には描く自信も気力もなく、断るしかなかった。本来ならばここで終わってしまう話だが、この営業マンは違っていた。その後も、私の状態を気遣いながら何度か足を運んでくれた。そのたびにいろいろと話を聞いてくれ、励ましてもくれた。イラストのことで、営業マンは無理そうなことは頼んでこなかった。
「最初の締め切りは描き上がったときでいいです。出来上がったら連絡をくださいね。私が取りに来ますから。」 私の状況を考えてのこの言葉に、私の気持ちは動かされた。
“ 外に出なくてもイラストは描ける” 何となくできそうな気がした私は 「やるだけやってみましょうか」 とボソッとつぶやいた。今まで “ 家族でさえも私を必要としていないのではないか”
次の日から時間がたつのも忘れるほど、ひたすらイラストを描く日々が続いた。描くことに集中していたら、不思議とくよくよと悩むことや不安に襲われることは少なくなっていったので、精神的には楽だった。でも、さすがにブランクがあったことと、気分のコントロールが難しかったことで、最初からうまくはいかなかった。描こうとしても震え続ける手にも苦しめられた。なかなか勘が取り戻せない日々が続き、もがいていた。
「やっぱり描けません」 そう言って断ろうと思ったことも何度かあったが、実際には口にすることはなかった。この時の私の心境は “ とにかく、あの優しい営業マンの気持ちに応えたい”
その一心だったのかもしれない。一度は人と話すことをやめ、強く閉ざした私の心を、少しずつ開いてくれた営業マンだったから。
この頃から私のひきこもり人生は大きく動き出した。私を必要としてくれる一人の人間の存在を知ったこと、またその人間を信じることで私の人生は天と地ほど変わったのだ。最初は、確かに怖かったし勇気もいることだった。でも依頼されたイラストを描き上げるころには、少しずつ自由に楽しみながら描いている自分がいることに気がついた。だいぶ長い間忘れていた
“ 楽しい” という気持ちがよみがえったのだ。また、描き終えたときの何とも言えない達成感が心地よかった。何となくイラストを描くコツと生きるコツがつかめたような気がした。
その後もイラストを楽しみながら描き続け、発信していたらたくさんの人達との出会いがあった。そんな人達の中には新聞記者もいて、地元新聞の記事にも出させてもらった。またその新聞を見た人達の中から講演会やトークイベントの依頼がきた。最近ではひきこもり当事者の居場所の代表もやらせてもらっている。その居場所で私がやっていることは、まさにあの営業マンが私に対してやってくれたこと。私は居場所に来てくれる人達がやりたいことを見つけるお手伝いをし、応援していきたい。また私自身もその人達と関わることで
一度は人を憎み人を恨んだ私だったけれど、そこに救いの手をさしのべてくれたのもやっぱり人だった。 「ほんの少しの勇気と一つの出会いが大きく人生を変えることってあるんだなー」
振り返って考えると苦しかった五年間の “ ひきこもり生活” が教えてくれたことはたくさんある。 「楽しむってことの大切さ」 「笑うってことの大切さ」 「自分を信じるってことの大切さ」
ほかにも書ききれないほどたくさんある。だから決して遠回りだったとは思っていない。一つ一つの大切さを心から知るには必要な時間だったと思うから。
私自身これからも表現力を高め、いろいろなイラストを描き続けたいし、詩やエッセイなども書いてみたい。また機会があれば、舞台や音楽にも挑戦してみたい。やりたいことはたくさんあるが、絶対に
『表現する世界』 で生きていきたいと思う。それは、人生という長い道のりの中で、私が行き先を見失った時に、与えてもらったたった一つの道しるべだから・・・。
とにかくこれからも背伸びもせず、小さくもならず、等身大の自分でゆっくりゆっくり進んでいこうと思っている。
ここに、何度か命を自ら絶とうとした私が、やっとで見つけて今でも大切にしている言葉を残して終わりたい。

[ 100] ひきこもり情報|NHK福祉ネットワーク
[引用サイト]  http://www.nhk.or.jp/fnet/hikikomori/experiences/experiences_11.html

今回、もっとも支持を集めた選択肢は“相手を徹底的に憎み、戦う”。中学生を中心に、2年3組の生徒たちに共感を抱いた意見が多く見られました。それに対し、2番目に支持を集めた“そういう奴だと思ってあきらめる”を選んだのは、会社員や公務員など、社会経験が豊かな方々。実際に社会で辛酸をなめると、あきらめるということを学ぶということでしょうか? もっとも不人気だったのは“何か理由があるはず、と信じようとしてみる”。やはり現実の世界でも、不信感は根強いようです。
2年3組の生徒たちが大人たちに強い不信感を抱くようになったのは、ハイキングでの置き去り事件が原因でした。もし、こんなふうに裏切られたら、あなたはどんな気持ちを抱くと思いますか?
相手を徹底的に憎み、戦う,私はやっぱり信じていた人にそんなひどい事されると許せない。どんな理由があろうとも…自分さえよければいいなんて考えちゃいけない!!!!その先生のとこ行って、ぶん殴ってやりたくなると思います。やっちゃいけないと思っても自分を押さえきれなくなると思います(女性 12歳 中学生)
先生を探して謝らせる!!! ゃっぱコレしか頭に浮かびませんooあたしがそんなんされたら絶対に許しません。でもナッキーみたぃな先生がきたらまた大人を信じちゃうと思います…(*´凵`Y★)〃(女性 12歳 中学生)
だってふつうこういうことされたら恨むでしょ!?自分のことばっかり考えてる教師って1番だいっきらいッ!しかも、もし生徒が死んでたら先生は殺人者になっちゃうじゃん。生徒に信用されたかったら、ちゃんとまわりをみなよ!! (女性 13歳 中学生)
中学校の時にそんな事が起こったら、まだ心が発達途中なのに相手や大人を超えて世界を信じられなくなる。(女性 22歳 会社員)
難しい・・・。知り合いで別な感じだけど信じてる人に裏切られた人がいてほんとに人が信じれなくなるまで傷付きつらい思いをした人がいます。悪魔が囁いたのだとしてもその償いはして欲しいと思う。(女性 21歳 会社員)
私は「自己中心的」と言う言葉が大嫌いです。(なのでテレビの画面に向かって、ずーっと「最悪な先生やん。」「信じられん。」「ひどすぎやん。」と叫んでいました。)なので「自己中心的」と言う言葉がぴったりの、あの先生が今もなお大嫌いです。(女性 13歳 中学生)
一度友達に裏切られたので2-3の気持ちが分かる。今でも裏切った友達を徹底的に怨んでます。尚、今では友達でも知り合いだとも思ってません。(女性 12歳 中学生)
私は、裏切られる事が大っ嫌いなんで、私がもし同じ事をされたら2年3組のみんなみたいに徹底的に恨みまくります。(女性 12歳 中学生)
裏切りに飲み込まれたら、負け。命がある限り、自分の人生を見失わずに生きるのが勝ちだと思うので、裏切るヤツには裏切らせておけばよい、と思う。(女性 28歳 会社員)
世の中にはいい人も悪い人もいる。先生にだって責任感強い人もいれば、そうでない人もいるんだから、たった一人の先生に裏切られたからって世界中の先生全員を憎む必要なんてないと思う。裏切られても、「そういう人もいるんだな」って思い過ごせばいいと思う。(女性 23歳 会社員)
中学時代の自分なら血気盛んだったから「相手を徹底的に憎み、戦う」を選んだと思う。36にもなると諦めて次の行動に移るべきだと思う様になった。ダメ人間には何を言っても遣ってもダメだってコトが20代半ばでようやっと判ったから。(男性 36歳 公務員)
3時間くらいは落ち込むと思うけど、もうその人とは関係ないから(笑)次の幸せを待ちます(笑)(女性 14歳 中学生)
大人になった今だからこそ言えることだけど、憎み戦うことは結構疲れるので、世の中には色んな人間がいると思えば、諦めもついて楽になれるかもしれないな〜…と思いました。(女性 23歳 会社員)
人は、信じられるものじゃないし、都合が悪くなったらすぐに捨てて、捨てられるから。それに、うらんでも解決しないし、そいつを認められるってわけでもないから。人間なんて、脆くて虚しいものだから。(女性 12歳 中学生)
最初は(その人を)憎むと思うけど、次第に面倒臭くなる。そんな事に時間をかけている自分自身がバカらしく思えるから。そんな面倒な事をするより、もう一度人を信じてみようと思う。そう努力しようと思う。人を信じないと、自分自身も信じられないと思うから。(女性 19歳 専門学校生)
そんな恨んだって、もどる事はないし…。そういう時は、ほかの先生に電話とかがいいんじゃないのかなぁ…なんて!! (女性 14歳 中学生)
基本的に誰かに裏切られた経験とかはないんで分からないですが、最近のニュースとかを見て結構大人不信というか人間不信です(といってもそこまで嫌いなわけでもありませんが)大人たちが不正をしたり人を殺してしまったりするのをニュースで聞くと「大人ってなんてバカな事するんだろう!!!」って思います。大人はすぐ子供がどうのこうのっていうけど、本当は大人の方が色んなことやってると思う。なんだか悲しいですね…。(女性 17歳 高校生)
自分は人に話したりするのが苦手ですが、まず理由を聞いたいと思います。なぜかというと自分はそういう人を見捨てられないからです。ちょっとずつでもいいから理由を聞きたいと思います。(男性 15歳 中学生)
他人を信じることのできない世界がだんだん広がっていく。裏切るという行為で悲しみを覚える。「これは正しい」「あれは間違っている」と白黒つけられる社会。曖昧な日本人にとって陥りやすい心の闇。犯罪も裏切りも、見えない不安や疑いからうまれ、またそれが別の闇を生んでしまうことを、この2話で訴えていたと私は感じました。(女性 17歳 高校生)
もちろん怒りの感情を持つけど、本当に信じていたのなら、私はあきらめません。もとから信じていなかったら、もちろんあきらめますけどね。憎しみの心を持ったってしょうがないから、私は理由を探します。だって、可能性はゼロじゃないと思うからです。(女性 14歳 中学生)
諦めることも憎むことも、私には出来ないと思います。裏切られたと分かっているのに、どうしようもなく信じてしまうのです。(女性 13歳 中学生)
何であんな人を信じたんだろうと後悔します相手を憎んでも何もならないし相手を理解するつもりもなくなるしましてや信じるなんてありえないだヵら私はあんな人を信じた自分に後悔します(女性 13歳 中学生)
相手を徹底的に憎むけど、戦えないと思う。。。誰も信じられないようになると思います。(女性 14歳 中学生)
何がそうさせたのか先生と話してみたいと思うと思う。先生のことを信用していたなら先生のこともよく知っていると思うから。よく知っているからこそ分かることとそうじゃないことがあると思う。(女性 15歳 高校生)
憎みはするけど、戦えない。でもすっぱりあきらめることもできない。もう一度信じる勇気なんて持ちあわせてない。だからきっと、もう相手に近づかないと思う。避けて、逃げて、ひたすら怖がってると思う。私は多分そんな人です。(女性 16歳 高校生)
裏切りなんて日常茶飯事だから特に何とも思わないです。…突然ですが「大人」って何ですか?私は今まで「大人」だと思った人が一人もいません。先生や親さえもただ図体がでかいだけの「ガキ」に見えます。この世界に本当の「大人」なんて存在しているのですか?見た目は成人していてもみんな「ガキ」だから平気で「裏切る」事ができるんですよね。(女性 16歳 高校生)
憎むと思うけど・・・、その前に友達に相談する。そして、よりよい解決法を考える。(女性 14歳 中学生)

[ 101] 生徒諸君!<視聴者諸君!>
[引用サイト]  http://seitoshokun.asahi.co.jp/bbs/theme_02_com.html



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