アフリカーンスとは?

私が使用しているアフリカーンスのカセットテープの教科書に、アフリカーンスの説明が書いてありました。その書出しの文章です。
『アフリカーンスは南アフリカ共和国の2百万人以上の白人、および2百万人以上のカラード(混血)のホームランゲージです。さらに白人とのコミュニケーションのために黒人に広く使用されています。ナミビアでは、白人とカラードのホームランゲージです。南アフリカと同様に、コミュニケーションのため黒人に広く使用されています。さらにアフリカーンスは、ジンバブエ、マラウイ、タンザニア、ケニアおよびアルゼンチンの白人にも使用されています。アフリカーンスは、ドイツ語系の若い言語です。南アフリカはかつてオランダ語をナショナルランゲージの一つにしていた時代があるため、オランダ語の娘(オランダ語から生まれた言葉。オランダ語の方言)と言われていますが、実際には現代のオランダ語と同時に発展した姉妹言語です』
私が現地の方に聞いた話しでは、スペルはオランダ語に似ているが発音が全く違う単語も多いそうです。また、黒人言語やマレー語の単語も多く入っているそうです。
彼らと英語で話していて戸惑うことがあります。「行ってしまった」のか「行ってきた」のかがよくわからないのです。アフリカーンスには”未来形”、”現在形”、”過去完了形”の3つしかないのだそうです。
本人が「昨日、行った」と言えば「昨日、行ってきた」ことは明らかなのですが、「昨日、Aさんはヨハネスブルクへ行った」と言われると、Aさんが今何処にいるのかわからないのです。
1994年にマンデラ大統領が誕生するまでは、南アフリカのナショナルランゲージは英語とアフリカーンス語の2言語であった。
新政権が誕生し、黒人の9言語が追加されて、ナショナルランゲージが11言語になった。黒人言語は、まだ2〜3の小部族の言語があるらしい。
南アフリカのテレビのSABC放送は1〜3チャンネルあったが、番組が大幅に変わっていた。かつては、アフリカーンス語と英語のニュース放送が一日おきにあり、他にもわずかではあったが黒人言語の放送もあった。
SABCの3チャンネルの放送がすべて英語になっていて、他のSABCのチャンネルも英語の放送が多くなっていた。
当時、私の読んでいた新聞は「シチズン」という、白人層をターゲットにした新聞であったためかもしれない。
白人の小学生は、英語かアフリカーンス語の、どちらかのクラスを選んで教育を受けているらしかった。私の友人のアフリカーナーの方たちは、子供さんをアフリカーンス語のクラスで授業を受けさせていた。
政府は最終的に、白人の方達が通っていた学校を私立として、公立学校なみの資金を出すということで決着したみたいであった。
「白人の方達が通っていた学校」と書いたが、かつては白人の方たちだけが通っていた学校であるが、当時は黒人の方たちもこの学校へ通うことが出来た。
南アフリカは英語圏といわれるように、我々日本人が南アフリカの何処に行っても英語が通じる。何処でもとは言い過ぎかもしれないが、少なくとも観光で行く範囲においては。
殆どのアフリカーナーの方たちは、英語も話す。しかし、50歳以上の方たちは英語を理解するが、満足に喋れない方たちも多かった。とくに50歳以上の女性の方たちの英語は、アフリカーンス訛りが強過ぎて聞き取るのが難しかった。
黒人の方達の中には教育をほとんど受けていない方たちも多く、自分の部族語しか喋れない方たちも多いみたいであった。
アフリカーナーたちがアフリカーンス語を捨てるということは、アフリカーナーの誇りを捨てるということなのかもしれない。
英国系の方たちは、まずアフリカーンス語を喋らない。英語を話すことで、英国人の誇りを持ち続けていたのかもしれない。彼らは、つい数年前まで英国のパスポートを持っていた。
でも、南アフリカで生まれ育った英国系の方たちは、アフリカーンス語を話すことはなくても理解することが出来た。
黒人の方たちは、アフリカーンス語を嫌っている。その理由は、アパルトヘイト時代に無理矢理アフリカーンスを教えられたためかもしれない。
そうは言っても、黒人の方たちは白人の方たちの下で働かなくてはならず、アフリカーンス語を使うのである。「それは仕事のため」と思っているのだろう。
会社の中で巧みに生きていける黒人の方たちは、英語、アフリカーンス語、それにいくつかの黒人言語を喋ることが出来る。
会社のミーティングで、英国系のマネジャーは英語で話していた。でも、部下の答弁が私には全く理解できなかったのである。
「アフリカーンス語訛りが強過ぎるのか?」と最初の頃は思ったが、なんと部下はアフリカーンス語で答えていたのである。
マネジャーから英語で聞いた指示を、部下のアフリカーナーはアフリカーンス語で、黒人のリーダーに指示をする。それを聞いた黒人のリーダーは黒人言語でさらに指示を出すのである。
もちろん黒人同士でも部族語が違うので、よく指示が伝わらないこともある。それに黒人の方たちは、上司から指示されると、分かっていないことも「分かった」という習慣があるみたいで、これがトラブルの原因になった。
ミーティングも、昔はアフリカーンス語で行われていたが、最近では英語で行われるようになった。でも私に聞かれたくないことがあると「オンス・プラート・アフリカーンス」と言ってアフリカーンス語で話し出すこともあったが。
英語で話しているものの、議論がはくちゅうするとアフリカーンス語が多くなり、しばらくするとアフリカーンス語になっていることもあった。
若い人が、年配のアフリカーナーに英語で話しかけると、「アフリカーンス語で話せ。(お前はアフリカーナーだろう)」という言葉もたまに耳にした。

[ 164] stay004
[引用サイト]  http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/7870/stay004.html

アフリカーンス語/アフリカーンス(アフリカーンスご、Afrikaans)は、インド・ヨーロッパ語族のゲルマン語派で西ゲルマン語群に属する低地ドイツ語系の言語で、純言語学的には低地ドイツ語の中のオランダ大方言(オランダ語)の中の一方言であるとされるが、下記に示すとおりその独特な語彙から低地ドイツ語の中でもオランダ語(オランダ方言)とは別の方言に属すという説も有力。クワズール・ナタール州以外の南アフリカ共和国全土に広く普及しており、オランダ系白人であるアフリカーナー(かつてはブール人と呼ばれた)が母語とするほか、カラード(白人と黒人など有色人種の混血)にも母語とする者が多い。南アフリカ共和国の公用語の一つ。ヨーロッパ系言語の中で最も新しい言語である。
オランダの植民地であった頃に正統オランダ語を基礎にフランス語、ドイツ語などの欧州諸語、更にはマレー語や現地の言語が融合してできた言語。イギリスの植民地になって以来今日まで英語の影響を非常に大きく受け、その語彙や文法の随所に英語的用法、用語が溢れかえっている。また正統オランダ語より派生して以来文法が大きく簡素化し、複雑な語尾変化や時制、冠詞の性別が消滅、その発展過程においてマレー語の影響も強く受けたので、学者間でゲルマン語かクレオール語に分類するかで大きな論争が起きた時期もあったが、当時の白人政権下では純ゲルマン語説が強く推された。 なお、低地ドイツ語を一つの言語としてみた場合、北ドイツ方言とオランダ方言(フラマン語も含む)の差よりもアフリカーン語(アフリカーンス方言)との差の方が大きいという説が有力。このことは逆に、オランダ語を政治的理由で独立言語として扱うならば、アフリカーンス語も独立した言語であるとの主張の根拠にもなっている。現実的、日常的にはかつて、オランダ語の方言であったが、旧白人政権のもとで正式の国語となり、オランダ語から独立した言語となったといえる。
1976年に当時の政府が黒人の子弟に全教科のアフリカーンス語での履修を強制導入しようとしたことによって起きたソウェト蜂起により、アフリカーンス語は圧制者の言葉として世界に知られることになり、1994年の黒人政権(マンデラ政権)誕生以降、それまで英語とともに享受してきた公用語の座からは実質的に追いやられる格好になった。しかもオランダ系住民の間でも英語を使用する割合が徐々に増えており、公用語としての機能は形骸化しつつある。現在の使用人口は約650万人。
南アフリカ共和国のほか、ナミビア共和国でも白人の60%が使用し、ボツワナ、レソト、スワジランド、ジンバブエ、ザンビアにも話者がいる。
同じインド・ヨーロッパ語族のヒンディー(Hindi)と同様に、「アフリカーンス(Afrikaans)」のみで言語を表わすため、本来は「語」を付する必要はない。そのため「アフリカーンス語」という表記は誤りといえる。
この「アフリカーンス語」は、言語学に関連した書きかけの項目です。加筆・訂正等して下さる協力者を求めています。(ウィキポータル 言語学)
カテゴリ: 西ゲルマン語群 | 南アフリカ共和国の言語 | ナミビアの言語 | 言語学関連のスタブ

[ 165] アフリカーンス語 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%AA%9E

ケープタウン市(英語:Cape Town、アフリカーンス:Kaapstad )は、南アフリカ共和国西ケープ州の州都にして、南アフリカ共和国の議会や政府機関が置かれている立法首都。アフリカーンスではカープスタット(Kaapstad)と呼ばれる。テーブル湾に面する同市はその港が有名であるとともに、世界的に有名なテーブルマウンテンや喜望峰などを含んだケープ草原(en:Cape floral kingdom)のなかにある。その地形から世界でもっとも美しい都市のひとつと見なされることも多く、南アフリカへの旅行者にとってケープタウンは最も人気がある。
ケープタウンはもともと東アフリカ・インド・東アジア貿易に携わるオランダ船の食料基地として建設されており、それはスエズ運河が1869年に建設される200年以上も前のことであった。en:Jan van Riebeeckが1652年4月6日に到着して南アフリカで初めてのヨーロッパ植民地を設立するのであるが、ケープタウンは急速に成長してヨーロッパ初の前哨基地(en:Castle of Good Hope)という元々の目的を超えてしまった。 ヨハネスブルグやダーバンが成長するまでは南アフリカ最大の都市であったのである。
2001年の南アフリカの国勢調査によれば、ケープタウンは295万人の人口を持ち、[1] 面積は2499平方キロメートルで南アフリカの他の都市よりも大きい。この結果、人口密度は比較的低くなり1平方キロメートルあたり1158人である。ケープタウンは フランスのニースやイスラエルのハイファと姉妹都市となっている。
1652年にオランダの東インド会社が東南アジアへ航行する船の補給基地としてアフリカ大陸南部に植民を始めたケープ植民地に由来する。このケープ植民地からセイロン島を経由して東南アジアへと航行できるため、戦略上重要な位置にあった。1815年、ウィーン議定書によってイギリス領となり、1854年にはケープ植民地議会が置かれた。1910年にはイギリスの自治領(南アフリカ連邦)となり、この地に南アフリカ連邦の議会が置かれた。アパルトヘイト廃止運動の中心人物であり、1994年に黒人初の南アフリカ共和国大統領になったネルソン・マンデラは、この地(ロベン監獄島)に幽閉されていた。
ケープタウンの中心はケープ半島の北の端に位置する。市街地の背後に見事にそそり立つテーブルマウンテンは1000メートル以上の高さを持ち、ほぼ垂直の崖で取り囲まれている。この山にときおり薄い雲がかかったりすると、その外観から「テーブルクロス」などと呼ばれることもある。この半島を背骨として貫く山脈が大西洋の中を南に張り出し喜望峰となっている。ケープタウンの中にある300mを越える頂(いただき)は70以上。ケープタウンの多くの郊外住宅地区は半島と本土を結ぶケープ平原にある。ケープ平原は海底が隆起して出来た陸地であり、大方は砂っぽい地質である。テーブルマウンテンはかつては島だったことになる。
ケープ半島は 地中海性気候 でありはっきりとした季節がある。5月から9月まで続く冬には大西洋から 寒冷前線が雨と強い北西風をもたらす。冬は寒く、平均最低気温は摂氏7度。年間降水量の大半は冬に集中しいるが、山がちな地形によって、特定箇所の総降水量は大幅に変化する。市の南部ニューランド郊外は南アフリカ共和国内で最も降水量が多い。峡谷部や海岸部の年間平均降水量は515ミリだが、山間部では1,500ミリにもなる。10月から3月まで続く夏は暑くて乾燥している。半島は東南から強い風をしばしば受けるが、これは「ケープ・ドクター」と呼ばれている。汚れを吹き飛ばし、空気を清浄にするからである。この東南風は南大西洋からケープタウンの西に張り出している 南大西洋高気圧 によるものである。夏の気温は温暖であり平均最高気温は26°C である。[2]
2001年南アフリカ国勢調査によれば、ケープタウンの人口は2,893,251人である。公式世帯数759,767のうち87.4%が水洗あるいは化学処理トイレを持ち、94.4% が週1回以上の自治体によるゴミ収集を受け、80.1%の世帯が主なエネルギー源として電気を用いている。 16.1% の世帯が独身である。[3]
人口の48.13%を カラードが占めており、次いで黒人が31%、白人が18.75%、アジア系が1.43%である。24歳以下が46.6%で65歳以上が5%であり、中央値が26歳。100人の女性に対して男性は92.4人。市街地に住む19.4%が失業しており、失業者の58.3%が黒人 、38.1%がカラード、3.1%が白人で、0.5%がアジア系である。
ケープタウン居住者の41.4% が家庭で話すのは アフリカーンス語であり、28.7% が コサ語、27.9%が英語、0.7% がソト語、0.3%がズールー語、 0.1%がツワナ語 、0.7% がその他の非公式言語を家庭で話している。居住者の76.6% がキリスト教徒であり、10.7%が無宗教、9.7%がムスリム、0.5%がユダヤ教徒、0.2%がヒンズー教徒、2.3%が他の宗教もしくは不特定な信仰をもっている。
20歳以上で4.2%の市民が教育をまったく受けていない。11.8% はなんらかの形で小学校に行ったことがあり、7.1%は小学校のみ卒業し、38.9% はなんらかの中等教育を受け、 25.4%が高校までは卒業し、12.6% がそれ以上の教育を受けている。20歳から65歳の中央年収額は25774 ランド、男性に限れば中央年収額は28406ランド、女性に限れば22265ランドである。
気候の良さ、地理条件、比較的良く整ったインフラなどから、ケープタウンはおそらく南アフリカでもっとも人気のある観光地である。[4] この都市は観光客を引きつけるいくつかの良く知られた自然環境に恵まれている。もっとも著名なのが テーブルマウンテン[5] であり、 テーブルマウンテン国立公園の一部をなしていると同時に市街地の背後に立っている。この山にはハイキングでもケーブルカーでも登ることができる。 ケープ岬はケープ半島の見事な岬角である。[6] 多くの観光客は ノードホーク と ホウト湾を結ぶ狭い チャップマン・ピーク・ドライブをドライブして大西洋と山々の眺めを楽しむ。テーブルマウンテンと市街地を間近に見ることができる シグナルヒル は車でもハイキングでも登ることができる。[7]
多くの観光客はケープタウンのビーチもよく訪れるが、これらは地元民にも人気の場所である。一日のうちに異なる雰囲気を持つ様々なビーチに行くことができるのである。大西洋側のビーチの水は概して冷たいが、これは南極大陸の氷河の氷が解けて運ばれてくるからである。フォルス湾の海岸はしばしば10 °Cほども暖かくなる。[8] どちらも人気があるが、裕福なCliftonや大西洋側のビーチは、レストランやカフェが多い。ことにキャンプス湾のビーチへの商店街はレストランやバーで活気が溢れている。サイモンズ・タウン近くのボルダー・ビーチは ケープペンギンのコロニーで有名。[9] サーフィンは人気があり、サーフィンの競技会en:Red Bull Big Wave Africaを市は毎年開催している。
いくつかの注目すべき文化施設もある。 ケープタウン港の波止場の上にある Victoria&Alfred Waterfrontは市で一番の人気ショッピング街であり、数百の商店と海洋水族館がある。[10][11] このV&Aは現役の港に隣接し訪問者は船が出入りするのを眺めることができるのが魅力である。ここにはネルソン・マンデラ・ゲートウェイというのもあって、ここから ロベン島へのフェリーが出ている。(ノーベル平和賞受賞者ネルソン・マンデラは政治犯としてこの島の監獄に長く収監されていた。)[12] また、 ホウト湾、 サイモンズ・タウン 、 ケープ毛アザラシ のコロニーなどへのフェリーも出ている。 ケープ草原、カラードの タウンシップ、, and カヤリシャのタウンシップなどへのツアーは数社が出している。ケープタウンのタウンシップで一泊するというオプションもある。安全で本物のアフリカの夜を過ごせるB&B(朝食付き簡易宿泊所)も幾らかはある。[13]
ケープタウンは建築遺産でも見所があり、世界の中でもっとも ケープ・オランダスタイルの建物の密度が高い場所である。これはオランダ、フランス、ドイツ建築の混淆でありコンスタンシアのビジネス地区の古い政府関係の建物や ロング・ストリートに沿って顕著に見られる。[14][15] The annual ケープタウン吟遊詩人カーニバル、アフリカーンス語ではKaapse Klopseは毎年行われる規模の大きな 吟遊詩人のフェスティバルであり、1月2日("Tweede Nuwe Jaar":アフリカーンス語で「2番目の新年」)に開かれる。参加チームは鮮やかな色のコスチュームに身を包み色の付いた傘を持つか楽器を演奏する。アートスケープ・シアター・センター がケープタウンにおけるこのパフォーマンス芸術のメイン会場である。
ケープタウン国際空港は国際線と国内線が発着する南アフリカ第2の空港であり、ケープ地区への旅行者にとっての主要玄関口である。ほとんどの国内都市への直行便が出ており、多くの国際都市にも直行便が出ている。[16]
2010 FIFAワールドカップへの下準備として、増加が見込まれる観光客をさばくためにケープタウン国際空港は2006年6月に拡張されている。巨大な新駐車場、改造された国内線到着ターミナルと新しい国際線ターミナルがその改修内容である。手荷物関係の施設も拡張され、更地がオフィスやホテルに変貌している。
このケープタウン国際空港はアフリカの先進的空港として国際旅行大賞(en:World Travel Awards)を受賞した。
この「ケープタウン」は、アフリカに関連した書きかけの項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。(P:地理/PJ国)
カテゴリ: 書きかけの節のある項目 | アフリカ関連のスタブ項目 | ケープタウン | アフリカの首都

[ 166] ケープタウン - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3



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