マクレーとは?

フォードフォーカスやスバルインプレッサ、三菱ランサーなどに乗り込みラリーを戦っていくシミュレーション。降雨や雪といった天候の変化などを、グラフィックによる表現はもちろんタイヤやグリップなどへの影響もリアルタイムにシミュレートされている。
ラリーを題材にしたレースゲームはいくつ存在しているが、その抜群のリアリティーにより、発売されるや否やいきなり定番ソフトの地位を獲得した「Colin McRae Rally」。その待望の続編が、いよいよ発売される運びとなった。
このソフトの監修を行ない、ゲームタイトルともなっているコーリン・マクレーは、世界ラリー選手権 (World Rally Championship) に出場する選手で、かなりの人気者だ。'91年にスバルチームに初参加するとクラッシュもするがとにかく速いというアグレッシブな走りで、一躍注目を集めたイギリス人ドライバーだ。昨年フォードチームに移籍したが、相変わらずの人気を誇っている。
現在のWRCには、市販車をベースにした車両が使われている。このゲームも、実際に街中で見掛けるようなお馴染みの車 (もちろん中身はレース用に改造されているが) を、自分の車両として操ることができる。初期状態でプレーヤーが選択できるのは、フォードフォーカス、スバルインプレッサ、PEUGEOT 206、三菱ランサー、TOYOTA CORLLA、そしてSEAT CORDOBAの6車種。だが、ゲームを進めて一定の条件をクリアすると、最終的には合計20車種以上の車が利用できるようになる。その中には、スーパーカー世代にはお馴染みのLANCIA STRATOSなども含まれている。
いずれのモードもそれぞれの楽しさがあるのだが、やはり本ソフトのメインとなるのは、1番最初に挙げたRally MODEだろう。
Rally MODEでは、全世界8カ国、合計90以上ものコースを走破することになる。舗装道路、未舗装のダート、そして一面が銀世界の雪道。本物のラリーと同じく、変化に富んだそれぞれのコースは、いずれも細かい部分までよく描き込まれており、ただ走っているだけでも楽しくなるほど。特に今回の“2”では、時間の経過が導入されており、レースが進むにつれて朝日が序々に昇るなど、思わず見とれてしまうような光景に遭遇することもできる。
とはいえ、実際にレースに参加している間は、そうした景色の素晴らしさを堪能している暇はないかも知れない。 各コースは、いたる所にコーナーが設けられており、風景に見とれていたりすると、目前に迫ったコーナーに気付くのが遅れ、曲り切れずにコースアウトしてしまうこともしばしば。無事にゴールを目指すためには、常に先の先を読んだ行動が必要とされるのだ。
短いコースを周回するタイプのレースなら、そのコースのレイアウトを記憶することにより、待ち受けるコーナーの出現なども察知できる。だが、とにかく各コースが長いラリーの場合は、そうもいかない。そこで重要になるのが、ラリーならではの、コ・ドライバーの力だ。このコ・ドライバーとは、マシンの助手席に同乗するナビゲーターのこと。事前にコースのレイアウトを調査し、ドライバーに適切な指示を与えるのがその役目だ。本作では、画面上に、コ・ドライバーの指示がリアルタイムで表示される。その内容は、コーナーの存在や、この先の道路の曲り具合など、非常に重要なものばかり。コースアウトをしたくないのなら、常にその表示から目を離さないようにしなければならない。ちなみに、前作で好評だったコーリン・マクレーのコ・ドライバー、ニッキー・グリスト本人の声による音声ナビゲートも健在。英語を聞き取ることができる人は、それも参考にしよう。
ところで、前作をプレイしていない人の中には、なぜそれほどコースアウトについてうるさく言うのかわからない人もいるかも知れない。もちろん、これには、それなりの理由がある。通常のレースゲームでは、コースアウト=単にタイム面でマイナスというだけ。しかしこの作品では、それと同時に、車両に与えられるダメージが心配になるのだ。このゲームでは、車両がどんどん故障していく。ただでさえ苛酷なコースを長時間走行するラリーではマシントラブルが発生して当たり前なのだが、コースアウトして樹木にぶつかったりすると、いきなり走行に支障をきたすほどのダメージが発生してしまうのだ。つまりこのRally MODEでは、本物のラリーと同様に、いかに車両のダメージを押さえる走りをするかも、ドライバーに求められる重要な要素というわけだ(コーリン・マクレー自身はそういうタイプではないが)。
本作は、緻密かつ辛抱強い走りが要求される。そのため、レースゲームにはスピード感を求めるプレーヤーからすると、やや不満を感じる部分も出てくるだろう。しかし、ひとたびそのシビアな走りにはまれば、長く楽しむことができるはずだ。ラリーファンはもちろん、とりあえず車が好きというみなさんは、ぜひ1度プレイしてみてほしい。
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[ 108] PCゲームレビュー 「コーリン・マクレー ラリー2」
[引用サイト]  http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20001227/game.htm

12月1日(月)赤坂全日空ホテル鳳の間において「スバルワールドラリーチームWRC(世界ラリー選手権)3連覇ご声援感謝の会」が開催されました。関係者及び報道陣が招かれたこの会には、特別ゲストとしてスバルワールドラリーチーム、エースドライバー、コリン・マクレー、コ・ドライバーのニッキー・グリスト、そしてチーム監督のジョン・スピラーの3人が、第13戦「オーストラリアラリー」を走りまだ泥のついたままのWRCar’97とともに来日しました。
まず、富士重工業株式会社代表取締役副社長、松崎氏の挨拶で始まり、続いて全14戦中8戦において優勝し、日本の自動車メーカーとしては初の3年連続マニュファクチャラーズ・チャンピオン獲得という今季WRCにおける輝かしい成績をおさめた555スバルワールドラリーチームのジョン・スピラー監督より3連覇の発表が行われました。
「ミナサン、コンニチハ」と日本語での挨拶のあと、今季のチームについてコメント、本日の司会である小平圭子アネットさんからの質問がありました。
「皆様に心より感謝します。今日のこの席が、成功を祝うだけではなく、ファミリーとして一緒に頑張ってきた皆様とともに喜びを分かち合う場となれば幸いです。今季このような成績を修められたのも本当に皆様のおかげです。何よりもまず最高の車があり、そして最高のドライバーがいて、そこに個人の努力とチームワークが合わさったとき初めてこのような結果が得られるのです。そのことを私たちは、世界で証明してきました。来年を更に素晴らしい年にするにはどうすればよいのか、それが今の課題です」。
Q:日本自動車メーカー初の3年連続マニュファクチャラーズ・チャンピオン獲得という快挙を成し遂げるにあたって、一番難しかったことは何ですか?
A:ミツビシやフォードのプレッシャーですね。そしてもう一つ、最高の車、最高のドライバー、最高のチームワーク、最高の技術やテクニカル・サポート。これらを常にベストの状態で1年間保つことが重要な課題でした。
A:彼は、最高のドライバーです。すべてにベストをつくせた、これが彼のいいところであり、またこのチームのいいところだと思います。
A:たくさんありました。でも、その中からいくつかを選んで紹介するのは、とても難しいです。何といっても、総勢約40人の異なった国のメンバーが世界14ヶ所を旅するのですから、いろいろなことがありすぎて。何を、話したらいいのか・・・。
そして、いよいよ満場の拍手の中、スコットランドの民族衣装を纏ったバグパイプ奏者に率いられ、主役のマクレー・グリストが登場し場を盛り上げました。
ドライバー:コリン・マクレー 「たった2日間の滞在ですが、また、東京に来ることができて、たいへん嬉しく思います。スバルを創り上げ、そして支えている日本の皆様の支援、協力に感謝します。来年も、マニュファクチャラーズ・チャンピオン獲得を目指し、また今年果たせなかった、ドライバーズ・チャンピオン獲得に向けて頑張りたいと思います。」
コ・ドライバー:ニッキー・グリスト 「今年は、スバルでの、そしてマクレーとコンビを組む初めての年でした。また、今年は最高の年でもありました。先日行われたWRC最終戦のRACラリーでも優勝を果たし、最高の結果で今年を締めくくることができました。この調子で’98年も頑張り、そして、今度こそマニュファクチャラーズ・チャンピオンとドライバーズ・チャンピオンのダブルタイトルを獲得したいと思います。」
A:今までの中で最高の車です。何といっても、とても運転しやすい、そして速い。技術開発の成果が手に取るように解りました。スバルが提供する車は、レガシィや、インプレッサなどもそうですが、いつも素晴らしい。ベースカーが良くて初めて、最高のラリーカーが創れるのです。関係者の皆様、本当にどうも有り難うございます。そして今後もより速い車をお願いします。
Q:ニッキーへ質問です。今までにいろいろなドライバーと組んできましたが、マクレーはどのようなドライバーだと思いますか?
A:ちょっと、物覚えが悪いけど・・まあ、あと2、3年もたてば少しは大人になるんじゃないの?冗談はここまでにして、彼のおかげで今年は本当にエキサイティングな年になったよ。今年、他のドライバーよりも多くの勝利をおさめたし。彼には、スピードがある。だからこそ、このような結果を残せたんだと思う。
A:イギリス人・・・。冗談はここまでにして、ナビが変わるというのはとても大変なことなんだけど、彼とは、車の中だけでなく、外でも友人としてのつきあいができた。
A:出来る限りの力を出しきり、マニュファクチャラーズ・チャンピオンとドライバーズ・チャンピオンのダブルタイトルを獲得すること。そしてもう一つ、最高のチームワークを持続し、プロとしての力、そしてスバルチームらしさを出せるように頑張りたい。
引き続き、STI代表取締役会長の久世氏より、今季、STI代表取締役社長に就任した山田氏が紹介され、スバルがラリーに参加した頃のエピソードを交えて、今後の抱負が語られました。
スバルワールドラリーチームは、今シーズンの自信とチームワークの良さで、来年も素晴らしいラリーをそして結果を私たちに見せてくれそうです。
「この変な服を着ているのは、マーティンです。」とマクレーがある人を紹介してくれました。バグパイプを吹きながら、彼らとともに入場してきたこのマーティンさん、実は’95年以来の大のマクレーファン。自費でマクレーを追いかけて、彼のためにバグパイプを演奏しているのだそうです。そこで彼のコメント。
「私は、マクレー、グリストそしてスバルチームにたいへん惚れ込んでいます。彼らこそ、本物のプロフェッショナルと言えるでしょう。私の本業は建築家なのですが、私にはスバルの車ほど素晴らしいものは創れません。これからも数年は彼らを追い続けていきたいと思います。」
写真撮影のときにはしっかり、スピナー監督、マクレー、グリストと一緒にカメラにおさまっていました。

[ 109] SUBARU : インフォメーション > スバルトピックス1997?2003 > 1997年
[引用サイト]  http://www.subaru.jp/information/topics/2003/wrc_v3/

コリン・スティール・マクレー MBE(Colin Steele McRae, MBE, 1968年8月5日 - 2007年9月15日)はイギリス人のラリードライバー。スコットランドのラナーク出身。父のジミー・マクレー、弟のアリスター・マクレーもラリードライバーである。既婚、2人の子供がいた。
リスクを恐れず攻めに徹した走りと豪快なドリフト走行で世界的に人気を誇る他、スバルのラリー活動の黎明期を支え、スバル車の初優勝、3度のマニュファクチャラータイトルをもたらした立役者として日本のラリーファンの間でも特別視され、なおかつ後述の数々のエピソードから親しみを持たれていたラリードライバーのひとりであった。
1986年からラリー参戦を開始。世界ラリー選手権 (WRC) 初参戦は1987年のスウェディッシュ・ラリー。スバル=プロドライブに才能を見出され1991年に同チームに加入し、スバル・レガシィを駆って1991年・1992年の英国選手権を制覇。WRC参戦をはじめたばかりのスバルの若き期待の星として、しばしば目を見張るスピードを見せるものの派手なクラッシュも多く「マクラッシュ(壊し屋マクレー)」と称された。
1993年のニュージーランドラリーで自身とスバルにとって初のWRC勝利を飾る。1995年にはイギリス人初、史上最年少でのドライバーズチャンピオンを獲得し、スバルも初のマニファクチャラーズタイトルを獲得する。1996年は3勝、1997年は5勝を上げ、スバルのマニファクチャラーズタイトル3連覇に貢献するも、ドライバー部門ではトミ・マキネンに次ぐランキング2位にとどまった。
1999年シーズンから新鋭WRカー・フォードフォーカスWRCを擁するフォードに移籍。マシン開発と並行しながらの参戦にあって時折勝利を飾るものの4年間の在籍期間でタイトル獲得はならず。ラリー史上最高額と言われる契約金がフォードワークスの財政事情に大きな負担となり、放出の最大の原因ともなった。
以降WRCへの参戦は実現していなかったが、2005年に入りシュコダとの接触が報じられ、9月のラリーGBと11月のラリー・オーストラリアでシュコダファビアWRCに乗りスポット参戦を果たした。オーストラリアではレグ3の午前中のサービスに入る時点まで3位を走行しており、コリン自身はもとよりシュコダ勢では久しぶりの表彰台が期待されたが、惜しくもマシントラブルでリタイアとなってしまった。
2006年10月、シトロエンのセバスティアン・ローブがトレーニング中の骨折で欠場したため、13戦トルコに代理参戦した。しかし途中6位〜7位と振るわず、最終日に電気系トラブルでリタイアし、1戦のみの参戦となった。
2004年、2005年にはニッサンワークスチームからパリ・ダカール・ラリーに参戦した。時折好タイムをマークするなど健在ぶりを見せ付けるも、2004年は途中でマシントラブルに見舞われ順位を大幅に下げ、2005年は前半首位を快走していたものの突如横転しリタイア。もう一つの「らしさ」を見せてしまう。2005年限りで日産自動車がパリ・ダカール・ラリーから撤退したため、以後は参加することはなかった。
2006年にはXゲームズの新ステージ「ラリー」に出場。さすがの走りで終始トップ争いをしていたが、最終ステージのジャンプの着地に失敗し、転倒。それでもすぐに体勢を立て直し、左リアタイヤがパンクしながらステージを走りきり、2位でフィニッシュした(1位はトラビス・パストラーナ。)。2007年も引き続き出場したが、準決勝で2年連続の転倒を喫し敗退。結果的にこれがマクレーにとっての最後のラリーとなった。
2007年9月15日、自宅のあるラナーク周辺にて自身が操縦していた自家用ヘリが墜落し、39歳の若さで死去。このヘリにはコリンの他に5歳の長男ジョニー、ジョニーの遊び友達、マクレー家の友人のフランス人も同乗していたが、地元警察により全員の死亡が確認された[1]。
その死はいち早くインターネットで報じられ、モータースポーツ関係者には広い交友関係を持っていたこともあって、WRC関係者やファンのみならず世界中のモータースポーツに関わる人間に深い衝撃と悲しみを与えた。同い年のマーカス・グロンホルム、フォード時代から親交のあったペター・ソルベルグをはじめとするラリードライバーや各ワークスチームなどWRC関係者を中心に、同じスコットランド出身であるF1ドライバーのデビッド・クルサード、WRC参戦の経験もあるMotoGPを代表する選手、バレンティーノ・ロッシ(ロッシはコリンの死の翌日9月16日に行われたMotoGP 第14戦ポルトガルGPの勝利をコリンに捧げた)などラリー以外の多くのモータースポーツ関係者からも追悼の言葉が寄せられ、異口同型にコリンの生前の活躍を賞賛し、早すぎる死を惜しんだ。FIAも、9月16日付けで声明を出している[2]。またコリンの公式ページの追悼メッセージ欄には5万件を超える書き込みが寄せられた。
葬儀はマクレー家の強い要望により親族と友人のみで静かに営まれた。9月30日夕方にはラナークの聖ニコラス教会で関係者を招いた追悼式が行われ、続いて追悼パレードがラナークのメインストリートで行われた。沿道にはラナークの人口(約8500人)を超える21000人以上のファンが詰め掛け、通りには100台を超えるスバル・インプレッサが配置された。一連の式典にはマーチ卿ことチャールズ・ゴードン=レノックス伯爵(グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードの主催者)、スバルテクニカインターナショナル(STI)社長の工藤一郎、デヴィッド・リチャーズ(プロドライブ創設者)、マルコム・ウィルソン(Mスポーツ代表)夫妻と息子のマシュー、ギィ・フレクラン(シトロエン・ラリーチーム代表)、アンドリュー・コーワン(元三菱モータースポーツ(MMSP)監督)、デレク・リンガーとニッキー・グリスト(それぞれコリンのコ・ドライバーを勤めた)、アリ・バタネンとマーカス・グロンホルム、ディディエ・オリオールら歴代WRC世界王者、パニエラ・ソルベルグ(ペター・ソルベルグの妻で元ラリードライバー。都合により出られなくなったペターの代理として出席)、デイモン・ヒル(元F1ドライバー。1996年世界王者)、ダリオ・フランキッティ(IRLの2007年王者。スコットランド出身)などイギリス国内外の多くのモータースポーツ関係者が姿を見せ、また日本GPに参戦していたデビッド・クルサードは日本からビデオでメッセージを寄せた[3]。
追悼式の中で、2006年までスバルのラリー活動の陣頭指揮に当たり、長年コリンと共に戦ってきたプロドライブのデヴィッド・ラップワースがこう述べた。「彼(コリン)は、ファンにとってはアイルトン・セナやバレンティーノ・ロッシに匹敵する正真正銘のモータースポーツのヒーローである」
コリンの生涯におけるWRC通算25勝は2007年シーズン開始時点でセバスティアン・ローブの28勝、カルロス・サインツの26勝に次ぐ、史上3位であった。
コリンといえば豪快なドリフトが代名詞であった。コーナー直前からドリフトを開始し、コーナーの道幅を大きく使いほぼ横向きになりながらコーナーを通過し抜けていく彼のスタイルは非常に多くのファンを魅了した。彼はイギリスのある自動車番組の中で、WRカー(フォード・フォーカス WRC)を用いてサーキットを走ったところ、コーナーで軽くドリフトを見せるなど「らしさ」を見せ付けた。
しかしながら、ドリフト走行は見栄えこそ良いものの、コーナリングにおいては無駄の多い走り方である。グラベルにおいては(ある程度の)ドリフトは有効であると言われているが、セバスティアン・ローブやペター・ソルベルグに代表されるグリップ走行重視のドライバーの成績を見た限りでは、コリンのような過度のドリフト走行のスタイルは時代遅れとなってしまった感もあり、晩年のWRCにおける成績の低迷に繋がったと見られる。
かつては素朴な人柄故、スピーチひとつできなかったほど。スバル時代、首脳陣を交えたパーティーでアリ・バタネンが朗々とスピーチをするのに対し、コリンは何も喋れなかったという。
ジミー・マクレーを筆頭にマクレー家の人間は何らかの形でラリーやモータースポーツに関わっているが、三男だけは例外で地元でサンドイッチ屋を営んでいる。
スバル初期の同僚バタネンもコリンに負けず劣らずのクラッシャーとして知られるため、隠喩を込めて「師弟コンビ」と呼ばれることも。
毎度のごとくクラッシュしたコリンに対し、プロドライブのリーダー、デヴィッド・リチャーズはこう言った。「とりあえず問題ない。スペアボディならいくらでもある」
スバル時代、あまりにクラッシュを繰り返しチーム首脳陣から叱責されたコリンを擁護し、励ましたのはSTIの創設者、久世隆一郎であった。
頭に血が上ると、とにかく物に当たる。チームオーダーが言い渡されるとタイヤを蹴り飛ばし、車が動かなくなるとボディを蹴る。そのため「コリンは蹴ってマシンを修理しているんだ」というジョークが生まれ、「マクレーキック」なる言葉まで生まれた。
クラッシュの数だけ怪我も増える。特にフォード時代は突き出した木の枝で頬骨は折る、肺は痛める、挙句の果てには小指が切断寸前の状態になるなど散々な目に合った。だが、マシンが半分近く潰れるほどの大クラッシュに見舞われても無傷だったことも多い。実際、初期のフォーカス WRCは「重戦車」の異名を持ち、少なくともボディの頑丈さだけは他のWRカーよりも群を抜いていたといわれ、「フォーカスでなければコリンは死んでいた」とする声も。
派手なドライビングだけでなく、若い頃は女性関係も派手だった。一時はラリーイベントごとに違う女性を帯同させていたという証言すらもある。しかし現夫人のアリソンと結婚して以降は浮ついた話は出なくなった。
コ・ドライバー(ナビ)、ニッキー・グリストとのコンビはWRCにおける名コンビのひとつとして知られるが、コリンは自分のミスをグリストに責任転嫁することが多く、そのためかシトロエン時代以降はコンビを解消していた。2005年のWRCスポット参戦以降はコンビを復活させた。
2003年、最終戦ラリー・グレート・ブリテン最終SS。生中継のカメラの前でコリンはパンクを修理し、その様子を長年のライバルで、同ラリーをもって引退するトミ・マキネンが見守るというシーンが生まれた。
2005年のパリ・ダカール・ラリーでナビを勤めていたのは、WRC参戦の経験もあるDTMのドライバー、マティアス・エクストロームの夫人で、WRCではナビとしても知られるティナ・ソーナー。コリンの大ファンで、彼のナビになることは長年の夢であった。しかし彼女も、コリンのクラッシュ癖の犠牲となり負傷した。
自分の名前を冠したラリーゲーム「コリン・マクレー・ラリー」シリーズは人気の高い作品。この作品のライセンス料はコリンの年収のかなりの割合を占めていた。この作品によって、ラリーファン以外にもコリン・マクレーの名前は知られていた。コリンがラリー(WRC)から疎遠になっていることから、最新作は「Colin McRae DIRT」と名称が変わった。
このゲームの存在のため、プレイステーション2で発売されたWRC公式のラリーゲーム「WRC」ではコリンの名前等が一切使えず、スコットランド国籍の「Ford Driver」というキャラクターが登場した。2003年に発売された続編の「WRC2」に至っては存在すらも無い。
同じイギリス出身のリチャード・バーンズをことあるたびに話のネタにしていたが、決して本心から彼を馬鹿にしていたわけではない。コリンはコリンなりにリチャードの実力を認めており、ライバルとして意識し、イギリス人ドライバーとしての連帯感も持ち、友人としても交流があった。コリンはリチャードの死に対し「ラリー界にとても大きな穴を開けてしまった」と悲しみをあらわにしている。約2年後、皮肉な事に自らの死によってさらに大きな穴をラリー界に開けてしまった。
マクレーの事故死の翌日、デヴィッド・リチャーズの乗ったヘリコプターもメカニカルトラブルが原因でロンドン近郊に不時着した。幸いリチャーズと同乗していた夫人は無事だったが、2日続けてWRC関係者が巻き込まれたヘリコプター事故が発生した事に関係者は深い衝撃を受けた。
マクレーの特筆すべき点として、さまざまなモータースポーツに精通しているということがある。ラリーに出場する以前にはバイクとも親しんだことがあり、そのライディングもなかなかのものでWGP(現MotoGP)の取材歴があるカメラマンの度肝を抜いたこともある。また、WRCとF1のジョイントイベントでも、F1マシンを駆り好タイムをたたき出した(ちなみにライバルのマキネンはフェラーリをスピンさせた)。F1ドライバーのジャック・ヴィルヌーヴは「マクレーはさまざまなモータースポーツで活躍しうる才能を持つ」と彼を評した。
カテゴリ: イギリスのラリードライバー | 1968年生 | 2007年没 | 大英帝国勲章

[ 110] コリン・マクレー - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC



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