信条とは?
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スコットランド信条は1560年8月17日に「一字の変更もなしに議会を通過した」。勿論、それまでには訂正、削除などの作業はなされていたという。当時、スコットランド議会は一院制であり、上級聖職議員、貴族議員、下院議員の三つの身分によって構成されており、これらが一堂に会して議決するという方法をとっていた。この三身分をESTATESという。ノックスによると、最初、議会の法案作成委員会で、次いで、三身分全体の議員に信条の草案が提示されたが、全く反対はなかった(飯島 p.294)。「表決の日の17日には、もう一度、『信条』が各章ごとに朗読され、採決がなされた」が、3名の貴族が反対しただけであった。聖職議員は全く発言しなかった。(イングランド大使ランドルフの言葉は省略) 信条は作成命令が出されてから、4日以内に提出された。これはそれまでに準備を全くしていなくて、突然4日以内に書き上げたというのではなく、それまでにかなりの準備がなされていたことは当然である。しかし作成に取りかかってからは大急ぎで作業を進めた。信条の作成は6名のジョンに委任されたとノックスは言うが、実際には一番最初の原案作成者はノックスであったであろう(ヘンダーソン と思われる。ランドルフによると、原案の検討を委ねられたメイトランドとウィンラム(信条作成の一人)は24章の行政官に関する章は削除を求めたが、議会に提出亭主されたときには削除されず、原案は残された。この章は宗教改革者たちと政治権力者たちの妥協の産物であろうと飯島は推測している。 信条は25章から成っている。この信条は、勿論スコットランド宗教改革者たち独自の特色を持っているが、カルヴァンの「キリスト教綱要」、「第1スイス信条」(1536)、「フランス信条」(1559)、ジュネーブのイングランド人教会信条、ヤン・ラスキなどの影響も見られると言われる。その特徴点を挙げるならば、「学問的方法や論理的正確さが欠如しており、繰り返し、分かり難さ、曖昧な表現」などが見られる。フランス信条やウェストミンスター信条と比較してみるとき、どうしても体系的にも論旨の点でもまとまっているとは言えない。カルヴァン主義の影響は明らかであるが、全体として穏健で、17世紀のカルヴァン主義から言えば、不徹底であるとの批判を免れない。 またこの時代の課題であり、巨大な敵であったローマ・カトリック主義を意識して、反論を試みている。 まず序文に注目しよう。ここで特筆すべきことは、この信条にも誤りがあるかもしれないという立場を取っている点である。これはローマ教会とは特別に区別されなければならない特徴である。なぜなら、当時のローマ教会は教会の教えには誤りはない、という立場であったからである。スコットランド信条は言う。もしも、この信条の中に神の御言葉に反する個所や文章があることに気づいたなら、それを文字に書いて知らせて欲しいと言っている。指摘される誤りが聖書から証明されるならば、聖書から満足すべき解答をするか、あるいは訂正することにやぶさかではない、とさえ断言している。これは宗教改革者たちの共通した、また基本的な認識であった。信条は決して聖書を超えるものではない。聖書こそが最高の権威であるから、聖書に反することが告白されているならば、聖書によって訂正されなければならない、と言う。この信条は1560年の時点では全議会によって批准されたが、カトリック信者の女王メアリはこの信条を承認しなかったので、1567年にあらためて議会によって批准された。上に述べたような欠陥を含む信条であったので、これよりも更に優れた信条が作られるときには、それに場所を譲り渡す運命にあった。ウェストミンスター信条がスコットランドの特命委員たちのリードのもとに作成され、議会と教会総会議で承認されると、スコットランド信条は次第にウェストミンスター信条に席を譲り、スコットランドの教会の公的な信仰告白としての地位は失われていった。上記のような弱点を持っているとは言え、そこに述べられている教理は聖書からの教えであるので、今日までしばしば引用されて用いられ、その生命と役割を失ってはいない。 スコットランド信条の本文は「神について」から始まる。フランス信条、キリスト教綱要と出だしは同じである。神の本質については、唯一性と属性と三位一体について簡単に述べ、み業については創造と摂理を簡潔に告白している。そしてすべてものは「神の栄光をあらわす目的に添って」摂理されていると述べている。これはカルヴァン主義の顕著な証しである。 第2章は、フランス信条にある啓示論、聖書論を期待したいが、それらは見られず、啓示論は第4章まで、聖書論は第19章まで待たなければならない。この章では普遍的な創造論の言及は第1章で簡単に済ませ、ここでは人間の創造のみに焦点が当てられる。 第3章では、原罪が扱われる。原罪という罪過によって、人の中にあった神の像は全く損なわれ、自然の関係によって生まれる子孫は、罪の奴隷になってしまったことが述べられる。聖霊の力によって再生の命を受けない者たちは永遠の死と滅びに至るが、再生を受けた神の選びの民は聖霊の力によって御言葉によって啓示された神の約束を信じる信仰が与えられ、主イエスにある数々の恵みにあずかり、主を理解するのであると告白する。ここで「御言葉に啓示されている神の約束を信じる信仰」による救いが言及されていることに注目したい。これは宗教改革者たちに共通していた認識である。 第5章では、第4章と特別、明白な論理的継承は乏しいままで教会論の中の「存続、成長、保持」が告白されている。アダム以後の旧約の時代と主イエスが来られて後の新約時代の教会が連続した存在であることを前提にしているが、この章では主として旧約時代の教会について述べている。 第6章は、「キリスト・イエスの受肉について」告白されている。受肉のキリストは二性一位格のお方であることを告白した後、古代教会史の中に現れた異端を断罪する。 第7章は「何故、仲保者は真の神と真の人でなければならなかったのか」という表題が付けられているので、ハイデルベルク信仰問答書のようにその理由の説明がなされていることを期待したいところだが、この章は主イエスの両性の一致は「神の永遠不変のみ旨から出ている」という説明で終わらせている。問いに対する答えとしては不十分であるが、この信条の作者たちは第8章で詳しく説明しようとしたのであろう。 第8章は「選び」である。私たちの選びは「御子キリスト・イエスにある選び」であることが明白に述べられている。そこで「メシアは真の神であり、真の人でなければなりませんでした。なぜなら、メシアは私たちの罪過の罰を受け、御自身を私たちに代わって父の裁きの前に差し出し、私たちの罪過と不服従のために苦しみ、死を通して死の作者であるものに打ち勝つことができなければならなかったからです。しかし、神性だけでは死を苦しむことは出来ず、人性では死に打ち勝つことが出来ないので、メシアは一つの位格に両性を共に結合しておられたのです」 第9章では、キリストの代償的死と苦しみ、そして埋葬が告白され、苦難と悲惨の直中にあっても主イエスは「御父の愛する独り子」であられたことを告白している。 第10章は、死は命の創造者を永遠に死に留めて置くことはできず、死の支配者であるサタンを滅ぼして復活された。そして主イエスの民に命をもたらしてくださったと告白する。この復活には天使たち、使徒たちをはじめ、多くの証人がいると証しされている。 第11章では、主イエスの昇天と神の右の座に着かれ、執り成しをしておられること、そして終わりの日に最後の審判者として再びこの世に来られ、信じる者は永遠の祝福へ、しかしそうでない者は永遠の裁きに遭うことが告白されている。 第12章は「聖霊への信仰」告白である。聖霊論がここで扱われる。聖霊は父と御子と同等の神であられることが告白され、聖霊の恵みのみ業が父のみ業と御子のみ業と区別されて告白されている。 神論から始まって、主イエスの受肉、苦難、復活、昇天、神の右の座への着座、最後の審判、聖霊への信仰、公同教会、体の甦り、永遠の命という筋書きは使徒信条の構造によっていることが明らかである。なお、教会論と終末論の一部 (魂の不死)はもっと詳しく、のちに第16章と第17章で告白されるけれども。こういうわけで、第12章までが一応この信条の前半部分ということができよう。一応というのは、前半部分を教理の部とすれば、後半は実践の部とすることができるが、後半部分になお教理の部の一部が扱われ、明瞭に二区分することができないからである。 第13章は、従って実践としての善行論であり、「善行の原因」が告白される。善行の原因を人間の自由意志にあることを拒否し、ただ主イエスの御霊にあることが強調されている。 第14章は、「神の御前に善とみなされる行いは何か」と問い、二枚の石の板に記された十戒を行うことにあると答える。 第15章では、「律法の完全と人間の不完全」が告白される。「神の律法は、最も正しく、最も公平で、最も聖く、最も完全で」あるが、人間は全く不完全であるから律法の要求を満たすことはできない。それゆえ、イエス・キリストをしっかり把握して離れず、彼の義と贖いの内に留まらなければならないと言う。この章で、信仰義認の教理が表明されているが、信仰によって義とされるという表現は最後の第25章まで待たなければならない。そこに「赦しはただキリストの血にある信仰によるのみです。なぜなら罪は私たちの死ぬべき体の中に残り、留まり続けますが、私たちに転嫁されず、かえって赦され、キリストの義で覆われるのです」と告白されている。 第16章、第17章、第18章は、特に厳しいカトリック教会批判がなされている3章である。まず、第16章は、「教会について」告白され、教会は神が選ばれた人々の集団であり、主イエス・キリストのみを頭とする公同、普遍の群れであること、この教会の会員に信者の子供も含まれること、そしてこの教会は神のみに知られているが、人間には見えない教会であることが告白されている。 第17章は、「魂の不死について」告白されている章である。まずこの世を去った選びの民は、労苦を解かれて主のみ許に安息を得ていると告白される。信者の魂も不信者の魂も眠っているのではなく、消滅したのでもないと告白される。ここに人間の魂の眠りの思想(サイコパニキア)の誤謬と魂の消滅思想の誤りを指摘している。この章にこの世の教会を「戦闘の教会」という表現がなされている。 第18章は、「真の教会が偽りの教会から区別されるべきしるしと教理の裁判人は誰かということについて」扱っている。この章は、カトリック教会を「害毒を流す会堂」、「汚れた会堂」、「恐るべき娼婦」、「偽りの教会」などと呼んで激しく攻撃する。そして真の教会のしるしとして第1に神の御言葉の説教をあげ、第2に主イエス・キリストの聖礼典の正しい執行をあげ、第3に正しい戒規の執行をあげる。そしてこの御言葉には、「人が救われるために信じなければならないすべてのことが、十分に言い尽くされている」と堅く信じるという告白がなされている。この三点の主張は第25章でも繰り返されている。カトリック教会に対し、真の教会はこのようなものであることを余程、強調しておきたかったのであろう。 これら真の教会の三つのしるしの主張は、カルヴァン主義教会の共通の認識であった。このことによっても、この信条が改革派系の宗教改革の路線上にあることは明白である。そして聖書解釈の真の解釈者は、「個人や公人、あるいは、ある教会によってなされるのではなく、神の聖霊による」ことが力説されている。こうして第18章は、第19章の、「聖書の権威について」の告白に繋がっていくのである。 第19章は、「聖書の権威について」簡潔に告白し、聖書の権威は人間あるいは天使あるいは教会から出るのではなく、ただ「神から出る」と強調する。 第20章では、「総会議、その権威、召集の理由」について告白されている。総会議は「神の明白な御言葉に従って決定し命令する限り」は尊ぶべきであると言う。会議の権威は鍵にあるのではなく「神のかかれたお言葉の権威」によっているのである。「総会議が開催される理由は、神が作っておられない律法を勝手に作って、恒久の律法にするためではなく、私たちの信仰のために新しい信仰箇条を作るためでもなく、神の御言葉に権威を与えるためでもない。」 その第一の理由は、異端を論駁し、後の代の人々に対して信仰の公の告白をすることにある。第二の理由は、教会内に健全な政治が行われ、秩序が保たれるためであると、この信条は教えている。第21章から第23章は聖礼典論が取り上げられている。これらの章はカトリック教会の礼典を激しく攻撃している。 第21章では、二つの聖礼典、すなわち洗礼と聖餐があるのみであると告白する。そしてカトリック教会の化体説を退けると同じに、ツヴィングリの聖礼典を「裸でむき出しのしるし」に過ぎないとする説も断罪している。化体説は退けるが、聖礼典が正しく執行されるときには、聖霊による神秘的なみ業によってキリストに結び合わされ、キリストの体と血にあずかることによって主は私たちの魂の栄養となり、糧となってくださると告白されている。洗礼の礼典については、「洗礼によって私たちはキリストの義にあずからせていただくために主に接ぎ木され、それによって私たちの罪は覆われ、取り除かれた」と告白する。二つの聖礼典のことに一応は言及されているが、主として聖餐論が扱われ、洗礼についてはわずかしか触れられていない。これはカトリック教会の洗礼論よりは、聖餐論に対してより大きな反論を必要としたからであろう。 第22章は、「聖礼典の正しい執行について」告白されている。聖礼典は合法的に立てられた教師によって執行されなければならないと主張する。カトリック教会の教師はキリストの真の教師ではないと断言される。また聖霊が婦人に説教することさえ許しておられないのに、カトリック教会は婦人に洗礼を授けることを許している矛盾と突いている。さらにカトリック教会を赦す事が出来ないのは、彼等は主イエスが初めに礼典を執行なさったときに、主がなさらなかったことに新しいことを勝手に加えて礼典を汚していると非難している。勝手に付加された事柄が幾つか指摘されている。そしてミサ否定がなされる。 第23章では「聖礼典は誰に施すべきか」について告白されている。洗礼は分別年齢に達した成人と信者の子たちにも施されるべきであると主張して、幼児洗礼を否定するアナバプテストの誤謬を断罪する。但し、主の晩餐は自己吟味できる年齢以上の者でなければならない。従って幼児陪餐は不信者の陪餐と同じように否定される。牧師に、聖礼典にあずかりたい者の知識と生活態度を審査させるとしている点は注目に値する。長老主義政治では、この審査権能は長老会に属するのである。この審査は、勿論のこと第一コリント11章28節でパウロが言っている「自分をよく確かめたうえで」飲み食いすべきであると言う勧めからきていることは明らかである。 第24章は、「行政官について」の告白である。宗教改革期の多くの信条に見られるとおり、この信条でも市民的政治について、為政者について告白がなされている。宗教改革期は、宗教と政治が明瞭に区別されていなかった時代であったからこそ、この世の政治とそれを司る人々について、教会のために御言葉から明瞭にしておく必要があった。 この信条によると、皇帝、国王、領主、諸侯、また諸都市の行政官の権威は、「神御自身の栄光が現れるため、また人類の益と福祉のために、神の聖なる御定めによって定められたもの」である。すなわち、彼等の権威は神に由来しているというのである。従って、彼等が委ねられた限度内でその権能を行使する限り、服従すべきであること、もしこれに反抗するならば、それは神に反抗することであると言明する。いわば行政官は神の代理人なのである。彼等の義務は宗教の擁護と純化である。こうしてこの章は、信仰者は上に立つ権威に服従すべきことと、この世の行政官の宗教保護の義務を強調している。 この信条は抵抗論に言及しているであろうか。はっきりとした文章としては見当たらないが、行政官が「その職務の限界を超えない限り」という条件の言葉の裏には、行政官が自らの権能の限度をわきまえないでそれを超えるとき、抵抗もあり得ることを示唆していると思われる。ノックスのメアリ女王との激しい対立と激烈な宗教改革運動は、上記の意味での抵抗権を行使した実例であろう。 第25章は、終わりの日に不信仰者と偽信仰者が受ける報いと誠実で真の信仰者がこの世と来世において受ける恵みの賜物が告白される。最後の審判の日には不信仰者も肉の復活が与えられ、その体をもって身も魂も、未来永劫、永遠に消えない火の中で苦しめられる。しかし、真の信仰者はキリストの復活体に似せられ、永遠の命をもってキリストと共に永遠に治める栄光と誉れと不死にあずかると告白して、三位一体の神に栄光あれ、アーメンという賛美をもってこの章を終わる。 |
[ 111] スコットランド信条について
[引用サイト] http://www.calvin.org/about_fsc.htm
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前回は、私たちの学びの標準となる「ニカイア信条」の全文を掲げました。日本基督教団改革長老教会協議会教会研究所による翻訳です。その際、あまり詳しい説明をしませんでしたが、実は、「ニカイア信条」の名で呼ばれる信条には三つの型があります。その内の一つは、他と区別するために、わざわざ「原ニカイア信条」と呼ばれています。これは西暦紀元三二五年に、ニカイアで開催された公会議において制定された最初の信条です。このニカイア公会議は、三一三年にキリスト教がローマ帝国によって公認された後に開かれた、最初の世界教会会議です。この大切な教会の会議において、キリスト教の正統的信仰を巡って、論争がおこりました。当時、アレクサンドリアの司祭で、アレイオス(アリウス)という人がいました。この人が主張したキリスト論の特徴は、キリストが神であることを否定するところにありました。簡単にいえば、キリストは万物の中で、最も神に近い人であった、という主張です。「御子が存在しない時があった」という象徴的な言い方で、父なる神だけを唯一の神として告白しようとしたのです。御父と御子は決して同格ではなくて、御子は、あくまでも御父に従属する被造物だという考え方になります。確かにその方が、唯一神教としては筋が通るように聞こえます。しかし、三二五年のニカイア公会議において、アレイオス派(アリウス派)の主張は退けられ、御子が人となった神であること、その本質は父なる神と同じであることが明確に宣言されたのです。そこで制定された信条が、「原ニカイア信条」と呼ばれるものであります。 我等は、唯一の主イエス・キリストを信ず。主は神の御子、父より生れ給いし独り子、即ち御神の本質より出で給いし者、神の神、光よりの光、真の神よりの真の神、造られずして生れ、御父と本質を一つにし、天にあるものも地にあるものも万のものこれによりて造られたり。主は我等人類のためにまた我等の救いのために降り肉体を受け人となり、苦難を受け、三日目に甦り、天に昇り給い、生ける者と死ねる者とを審かんために来り給わん。 主の在りし給わざりし時あり、生れざれし前には在さず、また、在らざるものより造られ給いたりといい、異なる存在、また本質より成り、(造られしもの)神の変じ化へ得べき子なりと言う者、かかる者等を公同なる使徒的教会は呪うべし。(東京基督教研究所訳) --> われらは信ず。唯一の神、全能の父、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。われらは信ず。唯一の主、イエス・キリストを。主は神の御子、御父よりただ独り生まれ、すなわち御父の本質より生まれ、神よりの神、光よりの光、真の神よりの真の神、造られずして生まれ、御父と同質なる御方を。その主によって万物、すなわち天にあるもの地にあるものは成れり。主はわれら人類のため、またわれらの救いのために降り、肉をとり、人となり、苦しみを受け、三日目に甦り、天に昇り、生ける者と死ねる者とを審くために来り給う。われらは信ず。聖霊を。 御子が存在しなかったときがあったとか、御子は生まれる前には存在しなかったとか、存在しないものから造られたとか、他の実体または本質から造られたものであるとか、もしくは造られた者であるとか、神の御子は変化し異質になりうる者であると主張するものを、公同かつ使徒的な教会は呪うものである。(関川泰寛訳) 「原ニカイア信条」の形の上での特徴は、最後に「アナテマ」と呼ばれる呪いの言葉が置かれていることです。イエス・キリストについて異端的な告白をする者たちは、呪われるように、というのです。そこで第一に考えられているのは、アレイオス派の主張を退けるということでした。この「原ニカイア信条」の画期的な成果は、「御父と御子が同一の本質を持つ」ということを「ホモウーシオス」というギリシア語で明確に表明したことにあります。この「ホモウーシオス」という言葉自体は、「同質」と訳されます。実は、新約聖書の中には出て来ない言葉なのです。そういう聖書の中にないような言葉、下手をするとギリシア哲学の影響をもろに受けているような言葉を、教会の信仰箇条の中に入れるかどうかで、大きな議論が起こりました。会議は大きく揺さぶられたのです。アリウスの主張に賛同する人も多くいたと言われます。真っ向から「原ニカイア信条」に反対する人もいるし、積極的には同意しないという中間派もいるという状況です。いろいろな政治的な駆け引きもあって、ニカイア公会議においては、最終的には、この「原ニカイア信条」が制定されることになりました。しかし、それで問題が決着したわけではありませんでした。その後も、揺り戻しがあり、混乱は続いたのです。アレイオスに対抗して論陣を張ったのは、アタナシオスという人でしたが、いわば勝利したはずのこの人は、その後、何度も追放の憂き目にあっています。会議においては正当信仰と認められたにもかかわらず、それが教会の具体的な礼拝の言葉になっていくまでには、なお戦いが必要だったのです。 その混乱に一つの区切りをつけたのが、三八一年に開かれたコンスタンティノポリス公会議でした。そして、この会議において制定されたのが、正式にいうと、「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」と呼ばれる信条なのです。通常は、「ニカイア信条」と言うと、これを指すことになります。ここで、三二五年の「原ニカイア信条」と三八一年の「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」の違いをきちんと整理して理解しておく必要があるでしょう。一般には、原ニカイア信条の改訂版として、ニカイア・コンスタンティノポリス信条が制定された、というふうに受け止められているところがあります。しかし、事情はそれほど単純ではありません。ニカイア公会議において、明確に現されたキリスト論、そしてそのキリスト論を含む三位一体論が、その後実際に、教会の礼拝の中にどのような影響を及ぼし、どのように受け入れられていったのか、そのことをきちんとたどってみる必要があると思います。ただ単純に、三二五年のニカイア会議で「原ニカイア信条」が作られ、三八一年のコンスタンティノポリス公会議において、「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」が作られたということではないのです。この二つの会議の間には、原ニカイア信条に歌われたキリスト論の信仰を、大切に受け止めていこうとした教会の戦いがあります。教会の礼拝の現実の中で、大切に告白され、整えられていった言葉が、コンスタンティノポリス公会議において、教会の告白として正式に制定されたということなのです。信条の言葉は、それを生み出し、それを告白した教会の礼拝という現実から切り離しては正しく理解できないのです。 いずれにしても、三八一年のコンスタンティノポリス公会議において、「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」が制定されたわけです。しばしばこれが「ニカイア信条」と呼ばれます。そうなると、今回私たちが学ぼうとしているのは、これかということになります。しかし、厳密には少し違うのです。少し世界史の勉強を思い起こしていただく必要があるかも知れません。当時の教会は、コンスタンティノポリスを首都とするキリスト教ローマ帝国と重なり合うようにして、形成されて行きました。後には、歴史家によって、ビザンティン帝国と呼ばれるようになる国家です。以前からあった異教的なローマ帝国と区別して、キリスト教を国教としたローマ帝国のことを、特にビザンティン帝国の名で呼ぶようになったのです。このキリスト教ローマ帝国には、五つの総主教区が設けられていました。その一つがローマ総主教区です。そのほかに、コンスタンティノポリス総主教区、アレキサンドリア総主教区、エルサレム総主教区、アンティオケ総主教区が設けられていました。その後、政治的な分裂によって、文化圏が切り離される中で、ローマを中心とするラテン語を用いる文化圏のキリスト教と、ギリシア語を用いる文化圏のキリスト教とが別れていくようになります。ビザンティン帝国の東部や南部の地域は、かなり早い時期から、イスラム勢力に脅かされていました。その対応に追われている間に、西の方には、ゲルマン民族が国を建てていきます。そういう中で、ローマの総主教は、自分たちでゲルマン民族を相手にしなければならなくなります。こうして八世紀頃から次第に、ビザンティン帝国の五つの総主教区のうちで、ローマ総主教区が、独立した一つの教会のように活動を始めるようになっていくのです。一般には、一〇五四年に、ローマの総主教とコンスタンティノポリスの総主教がお互いを破門し合ったのが、東西教会の分裂とみなされます。しかしそれ以前から、文化圏の違いによって、それぞれ独自の道をたどり始めていたのです。ちなみに、一一世紀の後半になって、イスラム勢力によって奪われた聖地を奪還するために、東方から西方の教会に依頼して組織されたのが、十字軍です。これを機に、ローマ教会は、独立した地位を確保し、本来は東方教会の教区であるところに、ローマ教会の枝教会を建てることを強引に認めさせるというようなことも起こりました。 いわゆる東方教会のことについて、少し話が長くなりました。「ニカイア信条」の三番目の型が登場する背景を描くためです。次第に独立した地位を築いていった西方の教会においては、ラテン語に翻訳したニカイア信条が定着していきます。信条だけではなくて、礼拝全体がラテン語を用いる典礼として整えられていきます。世界のどこにおいても、ローマ教会の礼拝は、ラテン語の典礼によって導かれました。やがて、ローマ教会が世界中に広まって行っても事情は同じでした。礼拝が、現地の言葉で行われるようになるのは、ようやく一九六〇年代に開かれた第二ヴァチカン公会議を経てからのことなのです。ところで、西方教会でラテン語の「ニカイア信条」が用いられるようになった際に、実は、このラテン語本文に、小さな言葉が付け加えられたのです。「フィリオクエ」という言葉です。直訳すれば、「子よりもまた」という意味の言葉です。三八一年のギリシア型ニカイア信条においては、「聖霊は父から出て、父と子と共に礼拝され、あがめられ」となっていました。しかし、ラテン語版においては、ここに「フィリオクエ」という言葉が加わったことによって、「聖霊は父と子から出て、父と子と共に礼拝され、あがめられ」となったのです。この言葉を巡る論争を「フィリオクエ論争」と呼びます。東方教会では、このラテン語の「フィリオクエ」を含まない元来のギリシア語の「ニカイア信条」を用い続けました。そして、勝手に信条の言葉に加筆した「ローマ主教区」を非難したのです。このことがやがて、東西教会の分裂を決定的なものとする一因ともなりました。そのようにして、東方教会と西方教会に分かれて、ギリシア型とラテン型と、二つの版のニカイア信条が存在することになったのです。私たちの教会は、西方教会の伝統に属しています。西方教会の内部で起こった一六世紀の宗教改革によって、分かれた教会に属しているのです。ルーツをたどれば、ラテン語版のニカイア信条を告白する文化の中に、養われてきたことは間違いありません。それゆえ、「フィリオクエ」を含んだ型の信条を、標準として掲げるのです。 ところで、なぜ、今、ニカイア信条を学ぶのか、ということについても、最後に触れておきましょう。今年の九月一五日に、キリスト品川教会において、改革長老教会協議会の第七回全国協議会が開催されました。その協議会の最後に、声明文が採択されました。その第一項にこうあります。「三八一年ニカイア(ニケア)信条に始まり、一八九〇年日本基督教会信仰の告白、一九五四年日本基督教団信仰告白へと引き継がれてくる、連続した告白の歴史的流れを尊重し、改革教会の伝統にたえず学びつつ、信仰告白を規範とした公同教会の形成に努める」。改革長老教会協議会は、今、改めて、公同教会の形成のために、ニカイア信条の重要性を訴えているのです。私たちの教会では、三要文を重んじてきました。十戒、主の祈りと並んで、使徒信条を大切にしてきました。毎週の礼拝の中で、この三要文のすべてを唱え、祈り、告白しているのです。そういう教会の営みの中で、このニカイア信条をどのように位置づけていくのか、ということを改めて問い直してみたいと思います。それは、現在礼拝において用いている使徒信条を、ニカイア信条に置き換えればそれでよい、というような単純なことではありません。むしろ、私たちの教会が、これまで自覚的に、三要文によって礼拝の骨格を整えてきたことを大事にしたいのです。それを大事にするからこそ、私たちの教会がよって立つ、信条の言葉をしっかりと学びたいのです。使徒信条とニカイア信条の響き合いの中で、三位一体の神の豊かな臨在のもとに導かれる礼拝を築いていきたいと心から願っています。 |
[ 112] ニカイア信条を学ぶ その一
[引用サイト] http://www.yukinoshita.or.jp/tsuushin/nicene1.htm
