報道とは?
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報道(ほうどう)は、ニュース・出来事・事件・事故などを取材し、記事・番組・本を作成して広く公表・伝達する行為であり、言論の一種である。ジャーナリズム。 現在では技術が発達し、様々な手法・メディアが開発されており、一般にマスメディア(mass media)と言われている。これら報道を行う主体を報道機関という。 報道は社会的に非常に大きな力をもっており、「立法」「行政」「司法」の3つの権力にこの「報道機関」を加え、時に批判的な意味で4大権力と言われている。 取材は報道対象の事実を確認する行為で、報道機関は原則として所属する記者の取材に基づく記事を報道するが、国外など遠隔地で発生した出来事は、通信社などの配信する記事によって報道する場合もある。 スポーツ新聞や地方紙では国内ニュースも通信社の配信記事に頼る場合がほとんどで、全国紙でも場合によっては国内ニュースも通信社の配信を受けることがある。 この場合、国外記事と異なり、ほとんどクレジットは入らない。まれに記事の最後に(共同)(時事)の形で入ることがある。 報道は表現の自由に基づく、報道の自由や知る権利に支えられている。反面、報道は客観報道の原則を守らなければならないとされる。 報道は報道を受け取る大衆との信頼関係の上に成り立っている。 この為、報道は事実に基づいたものである必要があり、事実を追求するための取材が不可欠である。 憶測や推測に基づく記事は、信憑性が失われる原因となり、結果として信頼関係を失うこととなる。 取材をして裏付けを取り、事実を報道することが、報道の原則である。 よく、報道関係者が「真実を伝える」と発言することがあるが、これは原理的に誤りである。 なぜなら、ねつ造しない限り、事実はあくまで事実である。 だが、情報の送り手が真実を判断して、情報の受け手に伝えるということは、その時点で、情報の送り手側が事実に対して何らかの判断を下している可能性がある。 しかし、送り手側がどのような判断を行っているかを情報の受け手側は知りえない以上、この時点で原理的に報道の中立公正さが崩れているからである。 「報道は、事実をありのままに伝えること(事実を曲げないこと)」と言われるのは、この為である。 事実をありのまま述べるのではなく、報道各社の主観を組み入れて構成しなおしたり、自己の政治的なイデオロギーを優先させるため、公平とは言いがたい恣意的な編集が行われている(これに関しては偏向報道を参照)。 三菱ふそうリコール隠しや三菱リコール隠しで、車両火災事故については全国で毎年6,000〜8,000台発生し、1日平均20台以上は事故に遭遇しているにも関わらず、あえて三菱車の車両火災ばかりを特定した報道がおこなわれた(これに関しては偏向報道を参照)。 政府や政治家、スポンサー、広告代理店、芸能事務所、その他の圧力団体の影響を受けることがあるとされる。 ワイドショー化したニュース・報道番組ではストレートニュースと異なり、キャスター・アンカーマンが個人的意見を述べる。あるいは同席した評論家やコメンテーターなどのタレント文化人に意見を求めるという形で(作り手の主張を)代弁させる事が多い。これについてCNNのトークライブでは、コメンテーターなどの主観的意見を、ニュース番組中にストレートニュースとは別のコーナーとして構成している。 例えば、「高齢者(高齢化)問題」「〜系」「ニート」「負け組」「落ちこぼれ」などである。それらのために、国民の間に偏見、差別意識や敵対的な感情等を芽生えさせたり、いじめを助長しかねないような、弊害も生まれている。 誤報ややらせ、虚偽報道の問題がある。表現の自主規制や報道におけるタブーも問題である。記者やニュースキャスターの他、評論家やコメンテーターなどのタレント文化人に関する問題もある。報道番組の「ワイドショー化」である。 中立かつ正確であっても、やりすぎは問題である。例えば過剰に詳細な報道は、模倣犯を生み出す。動機や手口までもが詳細に報じられることにより、犯罪や連鎖自殺を誘発する。 過度の実名報道は、プライバシーの侵害や報道被害・人権侵害につながるとされる。また少年法のように法的に規制されている物もある。ただし実名報道そのものは、報道の自由や知る権利によって認められている。 過剰な取材も問題である。取材マナーやモラル、メディアスクラムの問題がある。パパラッチがその例である。 報道番組の過剰演出の問題がある。取材映像にBGMや効果音、あるいはなぞりテロップやナレーションを付加する事により必要以上に演出される。 肩書報道には問題がある。古くから日本人は肩書が好きと言われるように、日本では報道においても人物を表す手段として職業が多用される。 事件報道において職業名の表記が正当化されるのは、(1)政治家、上級公務員などいわゆる公人の関与した事件であり、その報道が市民による政治の監視機能に役立つ場合、(2)公人、有名人など社会的影響力があり、その報道が犯罪の抑止効果に役立つと考えられる場合、(3)ある企業・学校の成員によって集団的になされた事件や、特定の職業層に頻発している事件など、職業と密接に関連していると思われる事件であり、その報道が事件の解明・予防に寄与すると考えられる場合などであるが、実際には単に容疑者・事件関係者の人物像を表す手段として利用されている。 また、学生は単に学生と表記すれば良いところ、大学生、女子大生、専門学校生、予備校生などと区別されたり、ホワイトカラーの被疑者は「会社員」などと具体的な職種が報道されることが少ないのにブルーカラーの被疑者は「配管工」「塗装工」などと具体的な職種が報道されたりと差別に繋がる報道がなされることが多い。 肩書報道は極端になればその問題があたかも特定の職業だけの問題であるかのような錯覚を与えやすく、例えば福岡飲酒運転事故以降に行われた飲酒運転に関する報道では、公務員の飲酒運転を中心に、また民間人に比べ時間を長く報道されたため、公務員は飲酒運転が多い、という印象を持つ者や公務員批判を行う者も少なくなかった。 ジャーナリズムとは、散在している事物や人について現在起こっている出来事、流れ(トレンド)の情報を集め、検証し、レポートし、分析する技能・訓練のことである。それらの技能を有している者・それらの作業を行っている者を、ジャーナリストと呼ぶ。 ジャーナリズムは、しばしば「歴史」の最初のドラフト版、同時代史と呼ばれる。たとえニュースの記事がしばしば締め切りに追われたなかで書かれるものだとしても、それらは通常、出版される前に編集され、校正される。 ジャーナリストの情報源との関係(相互作用)には、ときおり守秘義務を含む。西洋の多くの政府は、報道の自由を保障している。それはときおり、ジャーナリストへの法的な保護にまで拡張される。検察や警察からの要請・要求があった場合でも、ニュースの情報源を秘匿することが許されるのである。 ジャーナリズムの中心的な活動は、出来事を誰が、何を、いつ、どこで、なぜ、どのように行ったかをレポートすること、その出来事や流れが持つインパクトや意味を説明すること、である。ジャーナリズムは、幾種類ものメディアに存在する。新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、そして新しくは、インターネットにである。 しかしながら、この区別はしばしばとても難しい。ジャーナリストは、プロパガンダ(宣伝)や偽りの情報に、意図せずに乗せられることに陥りやすい。またジャーナリストは、報道する事柄を取捨選択する作業の中で、事実の持つ意味・価値に、先入観や特定の傾向や偏見を与えることになりやすい。たとえば、何か逸話に焦点を当てるときや、一連の出来事への部分的な説明を試みるときである。外国の出来事をレポートするときは、よりそうした罠に陥る余地がある。なぜならそれはその距離から、地理的な理由により、ライターや新聞の編集者たちにとって、事実を確認して報道することはより難しいからである。 新聞や定期刊行物は、しばしばジャーナリストによって書かれた特集記事を含む。特集記事を書くジャーナリストはその道のスペシャリストである。 |
[ 131] 報道 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%B1%E9%81%93
