文化とは?
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いわゆるハイカルチャー(文学、美術など)を指すことも多い。例えば「日本文化史」と称する本の多くは、源氏物語や和歌、仏教美術など上位の階層が担った文化の記述が大半を占めているはずである。 (上記の意味から派生)日本において主に大正時代に生まれた(あるいは輸入された)商品によく冠された言葉。文化包丁、文化住宅、文化鍋など 衣、食、住などの日常生活に関わる慣習や習俗、さらにそれを支える芸能、道徳、宗教、政治、経済といった社会構造まで文化の幅は非常に広く捉えられてきた。イギリスの人類学者エドワード・タイラーは、上述のようなものに加え、人間が社会の成員として獲得したあらゆる能力と慣習が文化に含まれることを指摘している。また、タイラーは単独の要素よりも様々な文化要素の複合に着目し、それらが全体として文化を構成すると主張している。 社会の成熟度が増していくにつれて、文化的事柄の体系と分岐は、繊細さと精緻さの度合いを増していく。たとえば、茶道や華道のしきたり、決まりの細かさを見るとよいだろう。こうした様式の洗練は、文化の成熟の目安でもある。タイラーの指摘に従えば、茶道や華道が単独で文化を構成すると言うよりも、茶道が発達する社会的背景、慣習、宗教などの複合的全体が文化であると定義付けることができる。 また、文化は、「未開」の対極と考えられることもある。ラテン語colere(耕す)から派生した英語のcultureやドイツ語のKulturは、「文化」という意味以外に「耕す」、「培養する」、「洗練したものにする」、「教化する」といった意味合いを持つ。 文化の概念は、通常、ある程度以上のサイズの人間集団に対してのみ用いられ、個人に適用されることはない。また、地域や集団、時代によって文化様式は大きく異なることがある。19世紀末から20世紀にかけて活躍したアメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトは、文化相対主義の立場から、個々の文化はそれぞれの固有様式で統合されており、他の文化からの基準では本当の意味では理解することができないと主張している。 文化は人間集団によって作られるが、同時に個々の人間も環境という形で、不断に文化に適応、学習させられていると考えられる。 日本文化や東京の下町文化、室町文化など地理的、歴史的なまとまりによって文化を定義するもの、おたく文化のように集団を構成する人を基準に文化を定義するもの、出版文化や食文化のように人の活動の種類によって定義するものなど、個々の文化は様々な形で定義、概念化される。 更に小規模な集団にも企業の「社風」、学校の「校風」、ある家系の「家風」などがあり、これらも文化と呼ばれる。 なお、一般には文化の概念を人間以外の動物に適用することはないが、文化の概念をより一般化した形で、動物にも認める考え方もある。文化 (動物)を参照。 人間は他の動物に較べ、環境に適応し生存していくための身体的特徴が少ない。動物の場合、肉食動物には牙や爪があり、寒冷地に住む動物が獲得した厚い毛皮や皮下脂肪など、生存のための顕著な有機体的特徴・機能を持っている。これに対し人間は、生存手段を生物としての身体的特徴以外に持っている。狩の際には狩猟のための文化、即ち狩の道具や獲物を解体する道具を用い、気候が寒冷ならばそれに適した文化、即ち体温維持可能な服装や住居・生活習慣を生み出してきた。このように、文化は有機体としての身体的特徴を発達した大脳の機能に基づく記憶や知識、思考などによって作り上げたものでカバーし、よりすぐれた道具を使うことで乗り越えてきた。文化のこの性質のために、人間は多様な環境に適応することができ、技術の進歩や社会体制・思想の変化などに応じ、新たな文化体系を生み出してきた。 ある特定地域の文化も、人々がそれを用いることが有益と判断すれば他の地域でも用いられるようになり、また伝播先の文化と融合して新たな文化を創造することもある。このような作用によって様々な文化が交じり合い、より高度な文化が創られてきたともいえるが、一方で自文化の変容に対しては反発もあり、各種の紛争の要因ともなっている。 例えば仏教は、インドで発祥し、宗派の分裂や各地の文化の影響もありつつ、中央アジア諸国や東アジア諸国など周辺地域へと伝播していく(上座部仏教や大乗仏教も参照)。その後日本にも伝えられるが、当初はその受容につき激しく争われた(崇仏論争、仏教公伝も参照)。受容後は中国などからの影響も受けつつも、日本独自の宗派も発達し、神道との融合なども行われた(神仏習合)。 |
[ 214] 文化 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96
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分類については、まだ発展・整理の途上であり、正式なものではない。日本発祥のもの以外でも、日本に深く根付いているものはこの記事に含まれる。 各年ごとの分野別の文化・流行などは年表からたどった各年の記事内の「芸術・文化・ファッション」の項を参照。 文化という言葉は、人間が生み出した高い達成度を持つもの(ハイカルチャー)を指すとともに、人間の社会が長年にわたって形成してきた慣習や振舞いの体系を指す。後者の意味では衣、食、住などの日常生活全般に関わる慣習や、芸能、道徳、宗教から政治、経済といった社会構造まで、その範疇は非常に幅広い。日本の文化も単純にひとくくりにできるものではなく様々な要素を含んでおり、また他国からの影響も受けながら、時代とともに変遷してきている。ただし、日本の文化を決定づける要因として、日本固有の価値観を核として捉えることは重要である。 日本には古くから「神道」というシャーマニズムやアニミズムといった自然崇拝、精霊崇拝である多神教(八百万の神)に基づく宗教文化がある。原始宗教に近く、アイヌ民族や沖縄の人々とも共通し、世界各地に存在するものと傾向を同じくするものである。「神道」という言葉自体は当時の中華文明圏で名付けられたものであるが、これを日本では国家の宗教として大切に引き継いできた。いっぽう日本は、遠くインドを起源とする「仏教」を大陸から受け入れて、政治や経済と結びつきあるいは離反しながらも、様々な宗派に分裂して改変し、独自の仏教文化を定着させてきた。さまざまな伝統や慣習のうちには仏教の教義を起源とするものも多く見られ、その影響も多岐に亘っている。 日本は永らく神道と仏教とを神仏習合(神仏混淆)という形で共存させてきたが、近代になって明治新政府によって再分離され、神道は国家神道とされて軍国主義と一体となり国家覇権の手段ともなった。第二次世界大戦敗戦後にGHQによって、神道およびこれに係わる文化(剣道や歌舞伎など多岐に及ぶ)は排斥され、日本人の中にも神道をタブー視する雰囲気も現れた。また、新興宗教や左翼、共産主義者や日本人以外の民族主義者勢力からの批判もあるため、日本人の日常の生活意識から神道の精神的影響は薄れてきている。また明治維新後の西欧化思想によって日本人自身の手で抹殺してしまったものあり、その顕著な例として踊りや唄の伝承書が焚書されるなど、喪失された文化も多い。 古代より受け継がれている日本の神道においては、他国の多神教では見られない独自の特徴がある。たとえば、道具や言葉、吐息にまで命が宿るという考え方(具体的には、針供養、道具塚や言霊、息吹という表現などにみてとれる)や、侵略してきた敵さえも祀るという考え方(例えば、蒙古塚)などである。中華文明圏では儒教から発展した朱子学という考え方も強くあり「敵は死者でも鞭を打て、恨みは石に刻め」などとするが、日本では「恨みは水に流す」と正反対である。このような宗教に基づく価値観は日本の風俗習慣、文化に深く根ざしており、祭礼、伝統芸能、武道、農業、林業、水産業、建築、土木、正月、七五三など、さまざまな場面に影響を及ぼしている。(針供養を行う寺は多いが、針を含めた道具に命が宿るとする考えは元々の仏教には、ないとされる) 純粋な宗教的価値観の具現化でないとしても、古来の神道が礎となってその上に仏教、そして儒教や道教、あるいはキリスト教をも含め、さまざまな外来の宗教を混在させながら、今日ある日本の精神や文化の土壌は形成された。神道を主体とする宗教を抜きにして日本の文化や精神の本質は語れないという側面がある。現代世界が抱える諸問題において、このような日本的な宗教的価値観が有効とされる場合もある。これを方法論としてみた場合、たとえば「里山文化(鎮守の森)」の考え方は環境保全に対し、「大豆文化(倹約、醸造は神事)」の伝統は食糧危機問題に対し、問題の解決を示唆する可能性もある。 日本文化を特徴的に示す概念として、「和」という言葉がしばしば用いられる(例:和語、和文、和歌、和服、和食、和風旅館など)。「和」は古くから日本を示す言葉で、漢(中国)や洋(西欧)など外国からの事物に対比して使われる。また「大和」という言葉が使われる場合もある(例:大和言葉、大和魂、大和撫子、大和絵など)。「大和」は本来、奈良地方を指すが、同時に日本全体を示す古い言葉でもある。古代からこの国において不変と考えられる事象を示して呼ぶことが多い。 日本の文化は、古代から中世にいたっては中国を中心としたアジアの近隣諸国、そして明治以降の近〜現代では欧米からの影響を受け、吸収・取捨選択を繰り返し、様々な手が加えられて独特な展開を遂げている。日本の伝統文化といっても、決して固定したものでなく、時代とともに変遷してきたものである。また、表面的に大きく変化していても、その中に一貫する極めて日本的な要素や傾向を指摘できる面もある(例:住居が和風の座敷から洋間に変わっても、室内に靴を脱いで上がる点では変わらない)。 紀元前から大陸や南方から渡ってきた人々が文化をもたらすことはあったと考えられるが、話す言葉や生活などは日本固有の文化が育ってきた。4世紀頃からヤマト王権が他の諸豪族を圧倒して支配力を持つようになると、文化面でも先進国であった中国の文物を積極的に受け入れるようになった。漢字や仏教などがその代表である。遣隋使、遣唐使が派遣され、留学生が先進文化を学び、日本に持ち帰ってきた。また朝鮮半島からの遣日本使を迎え入れ、逆に遣新羅使、遣渤海使を派遣するなど外交的・貿易的なつながりを持っていた。こうして朝廷を中心に日本固有の文化の上に外来の文化が取り入れられていった。 遣唐使の廃止(894年)後、外国からの影響が日本独自に消化されてゆき、「国風文化」時代を迎えた。貴族の女性の間で漢字からかな文字が生まれ、和歌や日記文学など文芸が盛んになった。芸術の分野でも、法隆寺や唐招提寺の建築には中国などの影響が強く見られたのに対して、宇治平等院では日本人好みの表現になっている(建築史では和様という)。 該当する文化:旧石器文化、縄文文化、弥生文化、古墳文化、飛鳥文化、白鳳文化、天平文化、弘仁・貞観文化、国風文化 古代末から中世に武士が台頭してくると、流鏑馬、犬追物など武士特有の文化が生まれ、合戦をテーマにした軍記物語(平家物語など)も生まれた。都や農村では猿楽や田楽などの舞踊が発達した。平清盛の宋との貿易や、禅宗僧の往来、天竜寺船、勘合貿易など再び中国との交流も盛んになり、唐物が珍重された。室町時代は戦乱の世であったが、東山文化の時代を中心にして、猿楽(能)、茶の湯、書院(書院造)などが発展し、今日「日本的」といわれる文化の多くがこの時代につくられた。 安土桃山時代にヨーロッパの新しい異文化がもたらされた(南蛮文化)。鉄砲が戦闘形式を一変させ、天下統一への道を開いたほか、外来語、天ぷらなど飲食物も伝えられた。イエズス会の宣教師がキリスト教の布教を進めたが、スペイン・ポルトガルの領土的野心(サン=フェリペ号事件ほか)が知られたため、宣教師は追放され、次いで禁教の施策が取られた。江戸幕府は最初外国との友好的な外交を目指したが、危機は拭えず、やがてキリシタン弾圧、そして鎖国の道を選ぶことになる。この時期には、宣教師及び朝鮮出兵で捕虜となった技術者が活版印刷の技術を伝え、刊行本が世に出回り始めた。 政権が安定し、鎖国により外国と隔絶された日本では、平和な時期が長く続き、再び独自の文化が発達した。寺子屋や藩校の普及により読み書き算盤が広く浸透し、幕府奨励の儒学のほかに本草学などの自然科学が育った。庶民の間では演劇(歌舞伎、人形浄瑠璃)や刊行物(浮世草子、読本、浮世絵など)が愛好され、世俗文化が栄えた(プロスポーツとしての相撲である大相撲が始まったのもこの頃)。鎖国体制の中でも、オランダを通じて少しづつ西洋文化の流入があり、知識人の好奇心を刺激し、洋学や蘭学(医学)が発達した。この流れは、幕末に帝国主義時代の欧米の接近に際して対応する力となり、開国の原動力のひとつになった。 幕末の開国、明治維新を経て、欧米の文物・制度を取り入れ日本の近代化を図ることが国家目標になった。新奇な風俗が次々にもたらされ文明開化の風潮が広まった。政府主導で積極的な西洋文化の導入が図られ、鹿鳴館時代には皮相的に急激な西洋化が図られたが、日本の伝統を見直そうという反動の動きも起こった。「和魂洋才」という言葉もよく使われた。啓蒙的な思想家が封建的な思想や習慣を否定し、西洋の政治制度、文物を紹介し、新聞、雑誌などのメディアや鉄道など交通機関の発達は各地に新しい文化を広め、庶民生活に大きな影響を与えた。しかし、都市部から離れた地域(農村部)では依然として、農業を基盤とした伝統的な行事や生活習慣が続いていた。 大正時代頃には進学率の上昇などを背景に、都市を中心に洋風の文化が次第に浸透し、デパートに代表される消費文化、大衆文化が成立した。アメリカの大衆文化の影響もあって、都市にはカフェーや映画館などの享楽的な文化も広まり、エロ・グロ・ナンセンスが流行した。しかし、昭和初年の大恐慌により経済は疲弊し、農村は荒廃し、知識人の間ではソ連の社会主義への関心が高まった。こうした状況に危機感を抱いた軍部の少数がクーデターを起こし、国民の期待は軍部に集まり、弱腰であると非難されていた政治家は信頼を失った。中国共産党軍のテロに対応して軍部が中国での戦線を拡大していくと、国内的には共産主義・社会主義への弾圧や経済への統制が強まり、戦意高揚のために日本及び日本民族の優秀さが説かれた。国際的には英米などから批判を受けて孤立し、敵国語として英語が禁止された。やがて真珠湾攻撃により太平洋戦争を開戦し、第二次世界大戦に参戦、国家総力戦のため食料や資源が統制された。 ポツダム宣言を受け入れて降伏し、アメリカ合衆国が主体とする連合国軍に占領されると、支配階級、武装及び軍国主義(と連合国軍に思われた物)の排除・解体・追放と産業・経済の民主化が進められた。連合国軍によって積極的に(強制的に)アメリカ流の民主主義が取り入れられる過程で、国民の間でも電化製品やハリウッド映画に代表されるアメリカ流の生活・文化(American way of life)が生活の規範となった。一方、連合国軍による(戦前よりはるかに強力な)発行物検閲によって戦前や日本の伝統的な文化を全否定する風潮が強くなった。人々ははじめ敗戦に打ちひしがれていたが、次第に生活を立て直そうと復興と上昇を目指すようになった。科学技術の発達は希望となり、日本人の器用さや、真面目で勤勉な性格は、高度経済成長を支え、日本人の長所として前向きに作用した。アメリカに次ぐ経済大国となった日本は自信を回復し、1970年の大阪万博では「人類の進歩と調和」が謳いあげられた。 一方、科学技術・産業・文化の高度化とともに公害に象徴される科学技術の暗い面がメディアに採り上げられ始め、科学技術には良い面も悪い面もあるとする認識が広まっていった。また、それまで否定されてきた“和風文化”を見直そうとする機運も生まれた。また、1990年代以降、アメリカやヨーロッパ、アジア諸国にも日本発の文化(のある側面)に興味を持つ人々が増えてきた。特にアニメやキャラクターなどのコンテンツ分野、食文化、スポーツ、武士道などは多数の人が知るようになり、それらに関する店や施設(寿司バーや漫画ショップ)ができるまでになってきている。 平成に入って、世界規模、地球規模で環境の危機が認識され、合理的、機械的な文化に代わり、シンプルで素朴な文化の良さが少しずつ人々に再認識され始めた。いっぽう各方面の技術の高度化や改革(環境に配慮した技術やIT、ハイテクなど)が進み、文化の流行は常に変わってきている。 総じて、日本文化は有史以来、輸入文化・翻訳文化の側面を持ち(固有の文化が存在しないという意味ではない)、自文化(自国)より上位の文化(国)を尊び、外国の事情に通じた知識人が文化上の優位を保つ傾向があった。 とくに、平安期と江戸期に日本は外国との交流を絶ったが、この時期に日本独自の文化が顕著に熟成されたという特徴がある。 強大な中華帝国唐が盛んな時代には、留学生が学んできた先進文化が政策上の規範になった。「国風文化」の時代にかな文化は起きたが、絵画の世界では中国の山水画がもてはやされた。江戸時代、鎖国の世に伝統への回帰として国学などの学問も興ったが、儒学者などの間には中国崇拝の風潮が強く残っていた。 その後、近代日本の文化は、明治維新と連合国占領時代の2度、大転換期を迎えた。われわれ現在の日本人がイメージする伝統的文化にも明治以降に生まれたもの(例:神前結婚)や俗に言う外国文化であるもの(例:”コウノトリが赤ちゃんを運ぶ”という伝説。これはヨーロッパの民話であるが、日本でも地域的に定着している。)も多い。「明治維新以降-第二次世界大戦降伏まで」の時代には、帝国主義国が植民地争奪を繰り広げる国際環境の中、西洋の圧倒的な文明と先進文化を前に日本のアイデンティティをどう捉えるかが課題であった。 日本を強国にするため積極的に西洋の文物を取り入れようとする動きと、独立のために伝統を強調しようとする動きの両者が存在し、時には極端な西洋崇拝になったり、逆に外国を排斥するようになったりもした。第二次世界大戦後は、差し迫った危機感が去った(薄れた)ものの、両者の動きは続いていると見られる。 21世紀初頭の今日、占領という経緯を経てアメリカ文化の強い影響を受けた日本は、「51番目の州」と自嘲・揶揄される面もある。いっぽう、大海と大陸に挟まれた極東の小さな島国において、文化的な寛容さを持ち、他国の文化の長所を取り入れ咀嚼し、様々な要素を含みながら発展してきた日本文化は、世界文化史的にもユニークな一画を占めていると考えることができる。しかし、グローバリゼーションと情報化という新たな国際化の波のうえで、日本の伝統文化も、その形骸化や排他性などの側面において、さまざまな新規課題を突きつけられている。日本人が育んできた独自の文化の形態を、歴史的な遺産として保持継続していくだけではなく、そこで培われた精神性や本来の意味を、自らが正しく理解し、広く国際的にも伝えていくことが、いっそう求められるであろう。そして、日本人自身が誇りと責任をもって、この文化を遂行していくことの重要性については論を待たない。 日本文化、あるいは日本人を特徴づけると考えられる概念を中心にした日本文化論・日本人論も多く提唱されている(日本人論の項目を参照)。 日本文化がヨーロッパでまず注目されたのは浮世絵などの美術品であった。その後、非ヨーロッパ国として初めて近代化に成功し、日清・日露戦争に勝利した日本に対して世界的な関心も高まった。外国からイメージされた「日本」の文化は、特に欧米圏では、キリスト教文化とは全く系統の異なる文化への好奇心(エキゾチズム)から、ある一面が誇張され、あるいは中国などと混同され、ステロタイプ(ステレオタイプ、紋切り型)化されて伝わる傾向があり、日本人から見れば「偏った認識」と思われるものが多く見受けられた。 しかし近年では、日本製品やコンテンツ、アニメやマンガやJ-POPなどが海外で注目され、今までとは違った「日本」のイメージを持つ者も増えてきている。ハリウッド映画にも、本気で日本を描こうとする作品が作られたり、日本映画をリメイクしたり、日本人監督を起用するなどの動きが見られる。 フジヤマ、テンプラ、ゲイシャ、スシ、ニンジャ、サムライ、武士道、禅 - 明治期の開国で訪日した人の報告・訪欧した人の主張や、日清・日露戦争に勝利した日本を見て広まった印象・把握。 日本食 - 回転寿司、醤油、豆腐、すき焼き、照り焼きなど。海外で知られる日本食は日本のそれとは別物である場合もある。 エコノミック・アニマル、ジャパン・インコーポレイテッド - 高度経済成長期からバブル期の日本人の経済活動を揶揄した言葉。(揶揄ではないとの意見もある。『「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史』多賀敏行著)) ファッション - コム・デ・ギャルソン、ヨウジ・ヤマモトなどのブランド。裏原宿系、ロリータ・ファッションなどの日本独自のムーブメント。 可愛い - いい印象、好ましいイメージ、目指したい姿像を表す言葉・概念「カワイイ」が、2005年頃、海外に広がりを見せる(他の国の例では、たとえばアメリカの同様の言葉・概念に「cool」がある)。 もったいない - 複数の意味を現した外国語にない日本語の一つ。環境保護活動家ワンガリ・マータイが感銘して世界にMOTTAINAI運動を広める。 桃太郎、金太郎、浦島太郎、花さかじいさん、さるかに合戦、一寸法師、舌切り雀、鶴の恩返し、かさじぞう、おむすびころりん、うりこひめとあまのじゃく 百物語、皿屋敷(播州皿屋敷、番町皿屋敷など)、四谷怪談(東海道四谷怪談など)、小泉八雲『怪談』所蔵:小豆とぎ・耳無し芳一・雪女、牡丹燈籠(灯篭)、おいてけ堀、八反坊、鍋島藩の化け猫騒動 (スタブ)古く縄文時代の遺跡から見つかるアクセサリーなどから、日本の衣文化は稲作より古い時代に始まり、主に身分や階級の違いや、生活の豊かさをアピールするものだったと考えられている。その後、時代によって衣装はめまぐるしく変わりながらも、身分によってある程度分類されていた。明治時代以降、軍隊や官庁、学校などから次第に西洋風の服が採用されるようになり、今日では日常的には洋服を着用し、晴れの日やめでたい日など和服を着る、といったスタイルが多くなっている。 和服、着物、背広、浴衣、筒袖、留袖、色留袖、狩衣(かりぎぬ)、訪問着、付け下げ、小紋、色無地、紬、ウール着物、羽織、束帯、十二単(じゅうにひとえ)、甚平 日本の料理は「和食」(学術的には「日本料理」)と呼ばれており、欧米の料理とはかなり異なっている。同じ米食文化を共有する東アジアや東南アジア諸国には、日本と類似した料理、食材などが数多く見られる、しかし東アジア諸国での食事の仕方は鍋物や大きなお皿に盛った料理を皆で取り分ける食べ方が多くみられるが、日本では個人専用の食器を使い、個別におかずが出るお膳などで食事をとるなど違う点もある。また、箸文化圏内で箸しか使わないのは日本だけとされる。(他地域では汁物や米を食べる時にレンゲやスプーンなどのすくうものを使うのが一般的である。)近年は低脂肪の日本食が評価され、全体で栄養バランスの取れた健康的な食事とも言われる。 現在の日本は世界の歴史的観点から見て明治維新からそう月日が流れておらず、食文化は都道府県の区分けによって分かれているのではなく、明治初頭の廃藩置県前まであった藩ごとの地方によって分かれている。藩は気候風土・政治文化・食文化などの関係によって多種多様の領土面積によって成り立っていた為、藩一つ全体が鹿児島県となった鹿児島藩などは別に、山形県・岩手県など複数の藩が一つにまとまった都府県では地方ごとに食文化が異なる状況が生じている(県交通機関の発達していない時代、国境の多くは山脈によって分かれている為)。 このように、現在の都道府県内部において地域ごとに食文化が異なるのは、内陸・海岸等の収穫物の違いもさる事ながら、食文化・風習そのものが違う藩の合併によっておきている。これらは郷土料理として、地域の特色を生み出す結果となる。 今日の日本人は朝・昼・夜と3回の食事を取るのが一般的である。保存技術の発達により、日本のどこでも新鮮な海産物が手に入る(日本は魚介類の消費が世界一である)。家庭で料理するより、外食・中食で済ませる機会も多くなっている。米食よりパン食、麺類を好む人も多くなっており、世代を問わず伝統的な和食を取る機会も減ってきている。 外国から見ると、日本人が魚介類や卵を生で食べることは奇異に感じられることもある。海草を食べることも、諸外国では少ないようである。また、鍋料理のように、素材のまま出し、食べる人が自ら味付けや調理を行う料理法は、他の国にあまり例がないようである。 鮪(まぐろ)、鰹(かつお)、鮭(さけ)、秋刀魚(さんま)、鰯(いわし)、河豚(ふぐ)、鯖(さば)、鯵(あじ)、鮒(ふな)、鰻(うなぎ) 日本各地では、古くからその土地にあった建材を利用した住宅が建てられてきた。そのような地域差がありながらも、日本全国どこでも木を使った住宅(日本家屋、和風住宅)が建てられてきた。この背景には、豊富な木材と、湿度の高い気候、木の性質をよく知った技術者の存在などがあった。 住宅は近年までほとんどが木造であったが、現在は鉄筋コンクリート造の住宅(戸建て、集合住宅)も多くなってきている。 法隆寺西院伽藍・夢殿、薬師寺東塔、東大寺(法華堂など)、唐招提寺(金堂など)、平等院鳳凰堂、中尊寺金色堂、三十三間堂、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、清水寺、日光東照宮 日本各地で、「ご当地〜〜」と呼ばれる土産品があるが、それらの日用品は、地域の自然や歴史、産業、伝統などに見合った製品を作ろうとしてきた地域の人々の工夫の賜物である。また、日用品も、現代では多くが大企業の工場で作られるようになったが、その技術も、古くから培われてきた伝統工芸品の技術を応用して生産されているものが多い。 あいさつ - いただきます、ごちそうさま(でした)、ただいま、おかえり(なさい)、いってらっしゃい、いってきます、失礼します(した)、お邪魔します(した)など。他の文化圏にはない概念もある。 談合 日本人気質ならではの犯罪行為であるという人もいるが、日本国外でもカルテルといった似た行為が多く存在する。 自動販売機 - 日本では街じゅうに多種多様な自動販売機が設置してある。最も多いのは飲料を販売するものである。日本全国の設置台数は800万台を超える。これは諸外国と比べて格段に多く、日本の大きな特徴になりつつある。 宗教意識が薄れている現代にあって、葬式は、特に宗教上の信念があってキリスト教式、神道式で行われる場合を除けば、仏教の形式を用いる仏式葬儀が行なわれることが多い。 これは、古来からの菩提寺と檀家の関係が現代まで引き継がれた結果のもので、純粋な宗教行事というより、習俗化したものといえる。 ビジネス化された仏式葬儀に疑問を持つ人びとも増えつつあり、自然葬(散骨、宇宙葬、森林葬など)もひとつの形式として浸透し始めている。また、そういった自由な葬送を推進する機関(葬送の自由をすすめる会)も出てきている。 七五三、入学式、卒業式、成人式、送別会、還暦・古希・喜寿・傘寿・米寿・卒寿・白寿、若衆宿、元服、隠居、出家・得度・剃髪 中元、歳暮、年賀、暑中見舞、寒中見舞、火事見舞、病気見舞、快気祝、内祝、熨斗・水引、香典・香典返し、冠婚葬祭、無尽講・頼母子講 保育園、幼稚園、学童保育、義務教育、小学校、中学校、高等学校、専門学校(専修学校)、大学、国立大学、私立大学、短期大学、大学院、養護学校、学士、修士、博士、教員免許、各種学校、夜学、通信教育、入試、お受験、母子健康手帳 農業類に関する行事も戦前ごろまで大きな行事であったが、農家の減少や機械化により農村部以外では行われないようになった。(農事暦参照) 1月 - 正月(三が日は1日〜3日)、新年、初夢、年賀状(1日が主)、新学期、初詣、七草粥、新年会、鏡開き(11日)、左義長 5月 - 端午の節句(5日)、ゴールデンウィーク(3日、4日、5日を中心に連休の長さにより毎年変動)、母の日(第2日曜) 国土の大半が温暖湿潤な気候帯に属し、春夏秋冬がはっきりと推移するこの国においては、この気象条件から、稲作による定住生活が生活の基盤となった。それゆえ、この国に棲む人々は四季の移ろいに敏感で、穏やかではあるが自然に対して感受性の鋭い国民性が育まれた。また、周囲を海に囲まれ個立した島国であることで、他民族との接触に一定の制御が加えられ、前記の特質に加えてさらに、独特の豊穣な文化を醸し出す下地ともなってきた。 日本で古くから行われている祭りでは神を祭る行事として神輿や御神体を使って行われていることが多い。神を称え、豊作や健康を祈ったり、邪悪なものを吹き飛ばすというような意味合いも込められる。祭りは時期を問わずさまざまなものが行われ、キリスト圏でいう「クリスマス」や「ハロウィン」というように祭りが一日に集中するような日というものは特にないが、季節で見ると夏に多く行われ、盆踊りや花火大会が多く開催される。 日本では、仏壇(仏教に従って先祖や故人をまつる)と神棚(神道の神をまつる)が両方あるという家庭もあり、いっぽう近年では、そのどちらもないという家庭も増えている。特定の宗教・宗派に個人的に関わる人も多いが、一般的に葬礼は仏式で行われることが多く、結婚式はキリスト教式あるいは神式で、といった宗教形式の混在現象が見られる。日常的に特定の宗教を熱心に信仰するというよりも、事ある毎に個人や家族あるいは団体で、適宜宗教行事として関わるという傾向が顕著である。墓式に関しては、家族の関わる仏教各宗派に属するものが圧倒的に多いが、最近では無宗教のものも増えている。 各地にキリスト教会があり、クリスマスなどの行事は多くの日本人に親しまれているが、キリスト教の信徒は人口の0.8%程度と少ない。カトリック系が最も多い。 日本の法律、公文書等には日本語が用いられており、日本語が公用語である(裁判所法第74条に裁判では日本語を使うことが規定されているほかは、法律上の明文はない)。実際に使用される場面も日本語が最も多い。 古代から使われてきた言葉が大和言葉であり、中国の影響を受け、漢語も使われるようになった。特に明治時代以降は英語などの外来語も多く使われている。英会話が苦手だという日本人は多いが、英語に由来する外来語(例:グローバルスタンダードなど)は好んで使われる。歴史的経緯や国際化の進展によって、標識や看板などで英語や朝鮮語(韓国語)、中国語、ロシア語などの併記も行われるようになってきている。日本語には、特徴的な方言があり、各地域により日常生活において使用される言葉にはかなりの違いがあるが、学校教育やマスコミ等で使われる標準語の影響で、時代による変化を受けている。 日本では北海道を中心に千島、樺太でも使用される。「日本の先住民」であるアイヌ人が使用していたが、現在では日本語ですべて代用しているため話者が激減し数百名しか話せる人がいない、危機言語(話者がいなくなるおそれのある言語)である。 沖縄地方で話され、「琉球方言」、「沖縄方言」とも呼ばれる。方言か言語かは、未だ議論が続いている。琉球語も危機言語であり、現在沖縄地方ではウチナーヤマトグチなどの日本語標準語に強い影響を受けた言葉が話される。 日本に数多く暮らす在日朝鮮人・韓国人が朝鮮語(韓国語)を使用しており、日本では日本語に次いで話者が多い。 演芸、演劇、お笑い、漫才、コント、手品(和妻)、サーカス(曲馬団)、ミュージカル、レビュー、ストリップ(ヌード)・ショー 蕎麦屋、うどん屋、牛丼屋、寿司屋・回転寿司、カレーショップ、ファミレス、定食屋、お好み焼き屋、カフェ・喫茶店、出前・ケータリング 明治時代以降、海外の影響を受けて野球、テニス、ボート、陸上などの競技が学校を中心に導入された。特に野球人気は高く、草野球でも楽しまれるほか、プロ競技の観戦も好まれる。ゴルフは社交として戦後盛んになり、接待で行われることも多い。 菊・朝顔・桜草・花菖蒲・万年青・イワヒバ・カラタチバナ・万両・ヤブコウジ・松葉蘭・長生蘭・富貴蘭・東洋ラン・桜・椿・・・ |
[ 215] 日本の文化 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96
