着用とは?

袴の派生の流れや、その種類について記してきたが、ここではそれら袴の実際の着用について、それも戦場での着用に主眼を置いて考えてみたい。
着用と漠然と題したが、着装の仕方は勿論、どの様な袴を戦場ではいたかといった事も含めて「着用」とした。
武家が甲冑の下着として着用する服は鎧直垂であり、袴も鎧直垂の袴(別項参照)である。これは別項でも述べたが、装束化した直垂を活動しやすいように改良した直垂である。
直垂が装束化した為にわざわざ鎧直垂を作った訳であるが、直垂が装束化する以前は素朴な直垂(袖細)の袴(恐らく簡素な括袴)を着用したのであろう。また上級の物は武官にふさわしい装束(狩衣など)の袴を着用したのだろう。
鎧直垂が作られたのが平安時代末期頃であるから、ここでは中世の武家故実に於ける軍用は袴は鎧直垂の袴が使われたという程度に納めておく。
上記した様に、故実に習えば、即ち正式には中世武家戦陣の袴は鎧直垂の袴である。しかしながら実際には、その故実が忠実に守られていない例もある。より簡素で活動的な袴の着用である。
命がけの実戦に於いて規定よりも機能性が重視される為なのか、武家故実が実はそれほど浸透していなかったからなのかは分からない。ともかくも故実とは違う、略儀の袴も着用されている。
これらは絵巻物に着用例を観る事が出来るし(後述の図B参照)、小手指ヶ原の戦いで河越氏を中心とする平一揆衆が赤い四幅袴を着用している例がある(『太平記』「武蔵野合戦事」)。
時代が下ると共に格式の低い物が、その機能性から身分高位者に着用される例が在るが、軍用の袴もその例に漏れない。
織田信長は己の勢威を内外に誇示する為に、洛中で馬揃えを行ったが(軍事パレードとはそういうものである)、その際の参加者にタッツケ袴の着用が見受けられる。また信長本人の革製タッツケ袴も現存する。本来、タッツケ袴は地方武士の狩猟被服であった。いわば貴族の狩猟用被服であった狩衣が、格式在る装束になったのと同じ事が行われてたのである。
こういった現状を追認する様に、江戸時代に作成された具足着用の手本には、短めの小袴(切袴)を履いて脚絆を上からする様に指導し、略儀として股引の着用も紹介している。
鎧直垂の様な高価で格式の高い袴を着用できない奉公人・雑兵の類は、絵巻物などを見る限り、簡素な括袴・切袴(恐らく六布の小袴)、四幅袴を着用した様である。特別の物を支給されたので無い限り、恐らくこれらは普段の作業着や野良着、山着、旅装を流用したのではないか。
物が良くないだとか、より軽装になるという傾向はあるだろうし、好みで着用しているか、着装できないから着用しているかという違いはあれど、略儀の袴と下卒の袴は大して変わらない様に見える。
近世になると、足軽等に股引を履かせる例も出てくる。この際に脛当は勿論、脚絆さえ略して、下の様に脛の上下を紐で結んだだけという着用方法もある。
戦場に穿いて出た大口袴(裾の口の大きな袴)は、道のない場所を駆け回る間に樹木に引っ掛かってずたずたに裂け、下を切り取るしかなかった。伊賀袴でさえ駄目である。股引かダン袋ないとどうしようもない。それが体験的にわかったのである。
文中の大口袴は前述した軍用の小袴(切袴)の事であろう。伊賀袴はタッツケ袴の事。ダン袋はズボンの事である。
さて時代が余りにも違うし、植生の違いもあるかもしれないが、道無き道を駆け回るという状況には普遍的な物があると考えても良いと思う。例えば山仕事をする際には動きやすさや防寒だけではなく、茨や漆などの植物や、毒虫毒蛇といった動物から身を守る為にも、普段着流しで野良仕事をする人間でもタイトなシルエットの山袴を履いた上に、素材を変えたり、頑強に仕立てたり、米糊で固めた山着を着用したという(福井貞子『野良着』参照)。この記述によると、股引やダン袋のようなタイトなデザインの下衣でない限り使用に耐えられないというのも、それもまた当然かと思える。
騎乗していたり、走り回る必要のない身分の武将にとってはともかくとして、徒立ちの者達にとっては活動的な袴が必須である。(もっとも状況によっては高い身分の者でも、野山を走り回らなければならない状況は有り得る。)そう考えると最も適していたのは股引なのであろう。
またずたずたに裂けた袴の下を切り取るという事は、それは膝丈の袴になるという事である。股引が現れる以前の軍用袴として、丈の短い袴が散見されるのも納得がいく。
ただ文中に登場する伊賀袴は布製の物と推測するが、前述した信長着用の袴を初め、(保存されている)山袴のタッツケ袴などには革製の物もある。また麻を初めとする草木布であれば、木綿や絹に比べれば遥かに強靱である事も考慮に入れる必要が在るかとは思う。
戦場に於ける装束は武具と同様に、その人物の身分と言った権威を象徴する小道具である。よって高位の武人は、故実に従った権威在る袴を着用する。
(最もそれが強調されるべき洛中での馬揃えにタッツケ袴を着用させた例は、信長の特異性を象徴する物なのか、あるいは武家故実が有名無実化した時代風俗なのかは、なお熟考の余地があるとだけ記しておく)
一方で命をかけた戦場の苛烈さの中で、機能性を追求するというベクトルも存在する。このベクトルと、時に故実は相反する事がある。機能性の高い物は、身分の低い者の装束(下卒の袴)である事が多いからである。
この時にどちらのベクトルを重視するかは、立場や状況、性格に左右されるであろうが、実利性を求めた略儀の袴を着用する姿も多く、意外と下卒の袴との差は無さそうである。
二布の特殊な袴や、表袴(うえのはかま)等の前開きや、横で結ぶ形式の袴を除いて、多くの袴は前と後の布で腰を挟む。
この時、少し後布の腰を、前布の腰より上にずらして履く。つまり横から見ると後布の方が前布より位置が高くなる。(現在の袴でも、後に回した前布の紐の上に、後布の腰板を乗せて着用する。)
宮本馨太郎氏は、中世の絵巻物などにも見受けられる事から、古くからの着装方であるとし、袴の後布が前布と比して新しく発達した事を呈示している例の一つであると分析されている。
四幅袴がこれである。先ず後腰を当てて、前で結ぶ。続いて前腰を当てて、紐を後腰の上へ廻して、前で結ぶ。(『貞丈雑記』など) 江戸時代に製作された甲冑の着用絵図も、やはり「後・前」の順番で着用する様に描かれている。
山袴では男性は「後・前」の順番で着用し、女性のみが「前・後」の順番で着用する。男性用の山袴には襠に縫い外しがあり、ズボンの前開きの様にそこから用を足すが、女性用にはこれが無い為に、後腰をはずして用を足す為という(宮本馨太郎『かぶりもの・きもの・はきもの』p.53)。もし男性の袴にも、この縫い外しが無くとも前腰を直ぐに外せれば難儀しないので、「後・前」の着用順番は合理的である。
カルサンや指貫と言った括袴は、裾を括り付ける位置が上括(しょうくくり)と下括(げくくり)の二種類在る。
丈の長短を問わずに、足さばきを良くする為に、袴の丈を短く履く事がある。上記の上括も同じ事であるが、ここで挙げる例は切袴着用時に股立や裾を腰に挟み込む方法である。
袴の左右の股立(左右の明きの縫い留め部分。図A参照。)を摘み上げて腰紐に挟む方法である。この方法は絵巻物等では分かり難い。恐らく図Bは股立を取った状態だと思われる。
この着装方法はかなり一般的な用法らしく、武士の裃着用時や乗馬時であっても、股立と取って往来を行く姿が見られたという(『昔昔物語』)。ただ例外として侍身分が四幅袴を着用する際は、股立を取らない(『貞丈雑記』。
効果としては袴の裾をからげる方法と変わらないが、恐らく裾の長い着物を着用している時の方法と思われる。
その一方で足下まで丈のある物を着用する場合もある。この場合、丈を短く着るか、あるいはそのままで着用するか二通りの着方がある。
短く着る方法としては、帯に裾をからげたり、帯で着丈を調整する方法などがある。現代の和装の着こなしでは、この方法が一般的で在る様に思う。
そのまま着用する方法とは、字の通りである。この方法だと袴と足に着物の裾がからまり、いささか活動しにくい(個人的な実感だが)。しかし意外と絵巻物などには散見する。下の図もその例である。この方法の利点は防寒にある。つまり足と袴との間に着物の裾がからまる事により、重ね着の効果を生むわけである。これは身幅の狭い袴ほど効果的で、踏込袴が防寒の為の袴とされるのも同じである(別項参照)。そして緊急の場合は、上記の様に袴の腰紐に着物の裾をからげてしまえば良いのである。
戦陣において身分のある人々は通常、鎧直垂やその他の括袴を上括にして脚絆を着けている。しかしその他の戦陣を駆け回る兵士達は多様で、統一性は余り無い様に思う。括袴を上括にして脚絆を着けた者の隣に、丈の短い四幅袴を着用している者もいる。四幅袴の着装方法も上記の如く多様である。袴を着用していない者も多い。そこに身分差や時代差は余り感じない。実に多様である。

[ 31] 袴の着用方法
[引用サイト]  http://members3.jcom.home.ne.jp/pehota02/equipment/clothes/hakama12.htm

日本自動車会議所は、今年度事業方針の重点項目のひとつに掲げている「後席シートベルト着用促進」に向け、着用を呼びかける啓発チラシを作成し、関連団体と共同でキャンペーンを展開する。
後席のシートベルト着用促進については、警察庁が「交通安全対策推進プログラム」の中で、今後5年間で着用率を50%とする目標を掲げ、着用促進啓発活動の推進に当たる方針を示している。
後席シートベルトの着用率は、平成17年調査では一般道で8.1%、高速道路などで9.8%と運転席の着用率(一般道92.4%、高速道路等97.7%)に比べ極めて低く、後部座席同乗者の交通事故死者も244名で、車外放出による死者も51人にのぼっている。
また、後部座席に同乗者がいる場合の死亡事故395件のうち、運転席のみ死亡が147件、助手席のみ死亡が65件だったのに比べ、後部座席同乗者のみ死亡した件数は164件と一番多く、後席シートベルトの非装着が死亡事故に繋がるデータが示されている。
後部座席シートベルト着用については従来から、道交法で「自動車の運転者は、他の者を運転者席の横の乗車装置以外の乗車装置(注=後部座席など)に乗車させて自動車を運転するときは、その者に座席ベルトを装着させるように努めなければならない」と定められ、努力義務が規定されているが罰則規定はない。警察庁では、着用率が現在の10%以下では着用義務化は困難であり、今後着用率が上がった段階で考えたいとしている。
諸外国の後席シートベルト着用状況は、スウェーデンでは1986年に着用の義務化を図り、それまでは11%だった着用率が義務化後53%に、イギリスは1991年義務化され17%が47%に、オランダでは1992年に義務化され13%が33%に、アメリカのカリフォルニア州は全席同時に義務化し25%が37%と、それぞれ急激に向上、現在各国では70〜90%の着用率で推移するなど、各国では着用率が低い段階で義務化に踏み切りその後着用率が大幅に向上している。また、OECD加盟諸国では、日本を除くほとんどの国が後席シートベルト非着用に対して反則金制度を導入している。
ただ、どの国も義務化しただけで現在の高い着用率になったわけではなく、国を挙げてのキャンペーンや取り締まりなどの努力があったといわれている。
警察庁でも、一連の着用促進啓発活動を通じて5年後までに着用率を50%に引き上げ、その過程で着用義務化を検討する考え。
日本自動車会議所では今年度の重点事業項目のひとつに「後席シートベルト着用促進」を掲げていることから、早期に着用率向上を図る意味でも、自動車関連団体として着用促進に向けた活動を展開することとした。先に開催した当会議所の「交通安全委員会」でチラシ案を提示するとともに、啓発活動の共同展開を要請、啓発チラシの作成を機に「関連団体共同キャンペーン」としての展開を開始する。

[ 32]
[引用サイト]  http://www.aba-j.or.jp/01/01_01_h180712.html



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