違和感とは?
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違和感を大切にするというのは、それぞれが創り出している空間の性質を、柔らかな融合と安心感のある調和を観点に、さりげなく観察すること。これまでの結果としての今(思考)と、これからの原因としての今(心)のどちらを生きているかを、あたり前に原因でいる風景に照らし、眺めてみること。そこでは、ひとつひとつの個性ある空間を記憶に残す間もなく、自分の空間が反応し、思考を働かせるよりも早く、次へと動き出している自分がいる。当然、違和感を抱えたままの関係性を維持することも、違和感に感情で応えることもあり得ない。ただ、思考を超えた、感じるままの判断・選択が研ぎ澄まされるだけ。 その違和感を大切にする人は、空間に責任を取る(責任ある空間を創造し続ける)あるがままの人。常に経験から自由でいて、流れるように新しい今(原因)を創り出している。言葉も行為も、柔らかな感性(感受性)がベースとなり、違和感という認識もなく、ただ感覚的なタイミングにさらりと身を任せている。自らが創り出す空間が、身体活動の手前で、ほとんどの大切な仕事をしてくれている。 ある人と自分の考え方や感じ方の違いを知覚することを、違和感だと思っている人がいる。それらは、単にそれまでの経験と知識で育まれた価値観が生み出した、思考世界の個性でしかない。違和感の対象との関係性がずっと同じままだったり、繰り返し同じような違和感を覚えたりする時は、心より思考が先になって、感情でそれに意識を向けている状態。思考の使い過ぎは、自らが心の世界で違和感の対象になる。 違和感を覚えることは大切なこと。でも、それを頭(思考)で捉えるだけであれば、何も変わらず、いくつもの違和感を蓄積したまま、不自然な状態を慢性化させてしまう。そして、余裕の中で感じる敏感とは程遠い、不安や怖れの感情に操られた過敏になる。思考で違和感を捉えるのは、いろいろな知識や記憶の中の出来事がそれに参加しているということ。不安を抱え込み、心に背を向ける人が得意とする、身勝手な他への反応。心の自由を失くした、未成熟な違和感と言える。 次に繋がる違和感は、空間の意思が案内してくれる、かたちをとらない、流れるような直感と感性。どうでもいい違和感(嫌感)は、空間に囲まれた(閉ざされた)かたちにこだわる個の感情と不安。違和感の性質は、いわば存在の仕事の性質。存在そのものが癒しであり、力強い原因でいるかどうか。当然、違和感の性質にも違いが出る。 大切な違和感は、どこまでも深く広がる原因の中で姿を見せ、想いのままに心を表現する人(存在)の感性によって観察され、そっと癒される。心(エネルギー)の純粋な反応でもあるそのプロセスは、責任ある自分でいるための大切な要素。生命が無視できない、原因の調整と調和。さりげなく次の原因と繋がる、かけがえのない存在の仕事でもある。 違和感は、とても大切なもの。原因でいればいるほど、感じる間もなく瞬時に反応し、変化に乗せ、さらりと次へ行く。必要とされる受容とその責任を余裕の中で観察し、それぞれの空間の成長と方向性を見守る。「ふと感じる」「何気に思う」ことは、どこまでも大きく全体発となり、生命の選択を力強くサポートする。そして、生命としての最高の人間をやることになる。(9/29 06) 「優しいことを言ったり、行ったりする人が優しいんじゃなく、優しい人が言う言葉や行為が、そのまま優しさ」と以前にも書いている。かたち(結果)ではなく、想い(原因)を共有する空間では、誰も優しさを意識することはない。だって、優しさとかけ離れた想いなんて、どこにも存在しないから。 想いは、温かな心に生まれ、優しさに育まれ大きくなる。大きくなった想いは、繋がる責任を感じ、優しさゆえの厳しさと、温かく観察(無視)する想いやりも知り、優しさそのものになる。そして言葉になり、行為になって、縁する人を包み、時を癒す。真の優しさは、原因を生きる人のさりげない想い。かたちで心を表すのではなく、心がそのままかたちになる素朴な動き。それを知る人たちがつくる空間を、時代がとっても喜んでいる。(by Mu 9/18 06) |
[ 136] 違和感
[引用サイト] http://www1.odn.ne.jp/sharla-mu/iwakan.htm
