新一とは?
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この記事は、上記の親記事が長くなったために分割されて生じた記事です。このテーマについて体系的な情報を得たい場合には、上記の親記事(目次ページ)にあるリンクを順番に辿ってみてください。 江戸川コナン(えどがわ こなん、5月4日 - )は、青山剛昌作の漫画、テレビアニメ・テレビドラマ『名探偵コナン』に登場する架空の人物。 高校生探偵・工藤新一(くどう しんいち)の仮の姿である。 アニメでの声優は、江戸川コナン・幼年期の工藤新一が高山みなみ、中学生以降の工藤新一が山口勝平。ドラマでは江戸川コナンの声を高山みなみ、工藤新一を小栗旬が演じている。 「日本警察の救世主」、「平成のホームズ」などと言われ、東の高校生探偵として名を馳せた工藤新一は、「黒の組織」によって試作段階の毒薬(APTX4869)を飲まされ、子供の姿にされてしまう。正体が露見して周りに危害が及ぶのを防ぐため、帝丹小学校に通う1年生、江戸川コナンとして、新一の幼馴染である毛利蘭の家で居候生活をしている。名前は、父親の書斎にある本に書いてあった江戸川乱歩とコナン・ドイルの名前から考え出した(ちなみに名乗った際に『父がコナン・ドイルのファンだから』と言っている)。 2007年10月現在、コナン=新一の事実を知っているのは、阿笠博士、灰原、服部、優作、有希子、ベルモット、本堂瑛祐の7人。ちなみに、劇場版も含めるならば、怪盗キッド、ノアズ・アーク(『ベイカー街の亡霊』)もこの事実を知っている[1]。 風邪の状態で中国酒の白乾児(パイカル)を飲むことで一時的に体が元に戻ったことが、劇場版を含めて2回ある[2]。また、灰原が白乾児の成分を参考にして作った解毒剤で元に戻ったことも一度あり、その際は灰原の変装による偽装が行われた。だがその反面、体にかける負担は大きく、いずれの場合も風邪に近い状態であり、解毒剤の効果が切れコナンの姿に戻るタイムリミットが近づくにつれ呼吸が荒くなり、激しい動悸のため胸を押さえるシーンがある。 帝丹小学校1年B組。毛利家に居候中。体重は18kg。かなりの音痴で料理も苦手。声も幼い頃のものに戻っている。 小さい頃の顔を知っている蘭に不審がられないよう、新一の父親・工藤優作の眼鏡を咄嗟に掛けたことから、日常的に眼鏡を掛けるようになった。しかし視力は新一の頃のままなので、レンズに度は入っていない。以後は阿笠博士に改良してもらったものを使用。体力などは相応の子供並に落ちているが、性格や癖、頭脳や技術などは変わっていないため、その頭脳を駆使して数々の事件を解決している。また、子供の身体であるがゆえに探偵としての行動に制限が掛かるため、阿笠博士の作ったメカ(「時計型麻酔銃」や「蝶ネクタイ型変声機」など)でそれを補っている。が、あまりにも「小五郎を麻酔銃で眠らせて犯人を追い詰める」というパターンが多いため、現在ではこれをパロディ化した作品も多い(クレヨンしんちゃんやケロロ軍曹など)。 話としては、小五郎・蘭とドライブに行って車がパンクやエンストで動かなくなり、近くの家に助けを求めるものと、阿笠・少年探偵団とキャンプ等に行って事件に巻き込まれるもの、この2大パターンが異常なほど多い。 推理パターンは『小五郎、園子、山村刑事らを麻酔銃で眠らせ、蝶ネクタイ型変声機で真相を話す』『阿笠博士に口パクさせて変声機で真相を話す』『小五郎、目暮警部、横溝警部らにヒントを与えて自力で解かせる(一度ジェスチャーで山村刑事に教えたことも)』『服部平次とのコンビで真相を話す(この場合も小五郎を眠らせることが多い)』などが定番だが、自分で真相を話すこともある。この場合犯人と一対一で相対する場合が多い(劇場版、黒の組織幹部、VS怪盗キッド戦はほぼ毎回このパターン)。また電話越しに蘭に推理を話して蘭自身に真相を話させたり、有希子に推理を吹き込んで真相を話させたこともある。少年探偵団がいる時は、彼(彼女)らにトリックの実演またはヒントとなるキーワードを言わせるなどして協力してもらう(というより、何かさせないとうるさいので)。 単行本25巻において犯人に拳銃で撃たれ、左側腹部貫通の重傷を負った。手術の際に輸血用の血液が不足していたが、蘭からの輸血によって命拾いする[4]。 また、かつてベルモットを追い詰めた際にはテレビインタビューによって「奴ら」に自分の生存が確認されてしまうことを恐れていたが、それ以前に「怪盗キッドを追い払ったお手柄小学生」「キッドキラー」などの見出しで何度も新聞に映ったり、毛利小五郎とともに結果的にテレビ出演してしまっていたことが多かったりすることから、意外と注意力散漫なところもあり、時には小学生生活を楽しんでしまっている節もある。 野球などをしてるときも、サッカーの癖が身体に染み付いてしまっているのか、足を使ってしまう事がある。また、TVゲームがヘタで、元太たちによくバカにされている。本人はそれが悔しかったのか、小五郎や蘭が就寝した後、居間でこっそり練習するという努力家(新一の時もそうだが)な一面もある。 劇中ではW21Sのエナジーレッドを愛用している。しかし劇場版などでは多少変更されている。以前は公衆電話や「イヤリング型携帯電話」を使用していたが今はほとんど使っていない。 周囲からの呼称は、蘭・歩美・光彦・阿笠博士・英理・和葉・警察関係者・ジェイムズが「コナン君」、小五郎・元太が「コナン」、灰原・小林が「江戸川君」。平次は何度も「工藤」と言ってしまい蘭などに指摘されると「このボウズ」や「コナン君」などと言い難そうに言い直す(なお、「工藤」と呼んだことに対しては、「苦労」や「くどい」など似た言葉の間違いだったことにする)。園子は「コナン君」または「メガネのガキンチョ」、ベルモットは「シルバーブレット君」または「クールガイ」、ジョディは「クールキッド」または「コナン君」。赤井は「ボウヤ」。また、キッドは通常「探偵君」稀に「名探偵」で、変装時を除き名前で呼んだことはない。 漫画での決め台詞は「江戸川コナン…探偵さ…」。TVアニメ・劇場版での決め台詞は「真実はいつもひとつ」(放送開始前のアイキャッチで使用。以前は「犯人はお前だ」だったが、視聴者を指差しながらの台詞だったためか変更された)。口癖は「あれれ〜?」、「バーロ[5]」。 帝丹高校2年B組。推理オタクであり、中でもシャーロック・ホームズの大ファンで、「世界最高の探偵」と評している。身長は作者と同じ174cm。住所は東京都米花市米花町2丁目21番地[6]。 幼馴染の毛利蘭とは両想いなのだが、素直になれないでいる[7]。コナンが新一だとは夢にも思わない蘭から自分を「だーい好き」だと告白されてしまった。そのため変声機を使用して初めて電話した際「必ず元の体に戻って聞かせてやるからな。オレの本当の声で、本当の気持ちを」と約束し、元に戻ったら蘭に告白しようとしている。一時的に新一の姿に戻った際も、優作が有希子にプロポーズしたのと同じ場所で蘭にプロポーズしようとしたが、事件に遭遇し、何とか事件は解決したものの薬の時間切れ(描写から計算すると約一日半。灰原曰く「予定より24分オーバー[8]」)によってそれはかなわなかった[9]。 サッカー好きで、中学までサッカー部に所属していた。その技術はJリーグにスカウトされるほどだったが、新一本人はあくまで運動神経を養うためだけに行っていただけらしく、止めてしまった。蘭曰く、続けていれば国立のヒーローになっていたらしい。 性格は常に冷静な二枚目を気取っているが、その実は負けず嫌いで嫉妬深く、煽てられると喜びを大いに表したりと、実生活ではクールに成り切れず二枚目半に落ち着いてしまう部分が多くある。特に蘭の事となると、たまに子供のような態度や無謀な行動に走ることも少なくない(その無鉄砲ぶりは阿笠博士にも警告されている)。だがどんなときでも諦めない強い意志と熱い部分を合わせ持つ青年である。 最近はあまり無いが、初期の話では、事件が起こると喜んでしまうという悪い癖を持っていた。また、体が小さくなってしまったのも、軽い気持ちで事件に首を突っ込んだからだと阿笠博士に諭された事もある。 極度の音痴で、コナンとなった現在でもそれは変わらない。ただ、日本音響研究所の所長・鈴木松美(実在の人物)曰く、「この音痴は声が上手く出せない音痴であって、音はしっかり聞くことができる音痴である」とのこと。実際に、作中においても音感に関してのみでは蘭よりも遥かに優れており、絶対音感を持っているとも推測される。しかし、音楽の授業は苦手[10]。 ネイティブの人とも普通に話せるほど英語に堪能である一方で、蘭にさえ違和感を覚えさせるほど妙な関西弁を披露したり(平次を眠らせた時)、ポルトガル語ができなかったりするが、作者曰く外国語は「いっぱい」話せるとのこと。拳銃や乗り物の扱いにも精通しており、それらは大抵「ハワイで親父に教わった」とされる。 小学1年生の頃は恥ずかしがって蘭のことを苗字の「毛利」と呼び、自分のことも「工藤くん」と呼ばせようとしていた時期があったが、とある些細な謎解き事件がキッカケで、現在でも互いに下の名前で呼び合うようになったという年相応の過去もある。 自分の想う蘭の恋心に関しては、平次が呆れ果てるほど非常に鈍感。しかし、平次や光彦といった他人の恋沙汰を見抜く能力はある。 自分の好みの話題(特にホームズ関連)になると空気を読まずに一方的に自分の話を続けてしまう。第1話でもせっかく遊園地に遊びに行ったにも関わらず話す内容はホームズのことばかりで蘭に呆れられてしまっていた。 周りからの呼ばれ方は、蘭・優作・小五郎・阿笠が「新一」、園子・英理が「新一君」、灰原・目暮警部・和葉・高木刑事が「工藤君」、有希子が「新一・新ちゃん」、服部が「工藤」。歩美が「新一お兄さん」、光彦が「新一さん」。なお、蘭らの前でコナンとして新一(自分)を呼ぶ場合は「新一兄ちゃん」。また、怪盗キッドと昔会った事があり(直接では無いが)、その時に「頭の切れるジョーカー」と言われていた。 通り魔に扮したベルモットが手擦りから落下しそうになったときに助けた。その時に助けた訳を聞かれ「人が人を殺す理由なんて知ったこっちゃねぇが,人が人を助ける理由に論理的な思考は存在しねぇだろ」と言った。これを機にベルモットは組織から新一と蘭を巻き込みたくないと思い始める。 基本的には標準語を話すが、親しい者との日常会話にはしばしば江戸っ子特有の表現(前述の「バーロ」や、語尾に「よ」を多用する傾向がある(「〜って言ってたからな」→「〜って言ってたからよ」)ことなど)が混ざることがある。 ^ ノアズ・アークはコナンの記憶情報を読み取ったことから察知した(ノアズ・アークは劇中に消滅。その為、後の展開への影響はないと思われる)。 ^ 劇場版『迷宮の十字路』内では白乾児と、風邪と同じ作用を起こす阿笠博士の発明した薬によって元に戻った。 ^ 『バカヤロー』の意。アニメ版での高山みなみの口調が特徴的に聞こえることからか、ネットスラングとして「バーロー」と表記されることが多いが、原作中では「バーロ」の表記の方が主流。本来は青山が『馬鹿野郎』というストレートな罵倒語を作中で用いる事を避けたための表記であり、他のコナンキャラクターも使用する言葉である。 ^ 彼が蘭を好きだと思い始めた時期については中学校の頃言ったとされる「小さい頃から気になっている奴がいる」との言及や『水平線上の陰謀』でのエピソードからも小学校低学年、あるいはその前から好きだったのではないかと推測されるが、蘭が新一への想いに気づいたのは高校1年生で遭遇した事件によるものなために、新一の立場として見れば10年以上と相当な年月をかけた片想いだった可能性が極めて高い。 ^ 20年前にも優作がここで事件を解決した後有希子にプロポーズをしており、他殺に見せかけて自殺した加害者というのは新一が解いた事件の犯人の父親であり皮肉にも親子二代で事件をといたことになったが、肝心のプロポーズはそうはいかなかった。 ^ リコーダーを吹けば教師(松本小百合)にタクトでピシパシ叩かれ、歌を歌えば音程を外す。中学3年間は新一にとっては最悪だったらしい。 ケータイ刑事 銭形シリーズ→多摩川ドイル(脚本の渡邉睦月が生んだシリーズ名物キャラで、チビッ子検事。いつまでも10歳という設定なので、演じる子役が三人交代している) ポケットモンスター (アニメ)→ヒロシ(サトシのライバルの一人でコナンと声優が同じ、番外編では優れた推理力を発揮した) |
[ 142] 江戸川コナン - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A5%E8%97%A4%E6%96%B0%E4%B8%80
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星 新一(ほし しんいち、本名は星 親一、男性、1926年9月6日 - 1997年12月30日)は日本の小説家、SF作家。血液型はO型。 東京市本郷区曙町(東京都文京区千石)に生まれ育つ。父は星薬科大学の創立者で、星製薬の創業者星一。本名の親一は父のモットー「親切第一」の略で、弟の名前の協一は「協力第一」の略。イラストレーターのほししんいちとは全く関係がない。 ショートショート(掌編小説)を数多く残し、多作さと作品の質の高さを兼ね備えていたところから「ショートショートの神様」と呼ばれ、生涯で1001編以上の作品を残す。『ボッコちゃん』『悪魔のいる天国』『おせっかいな神々』『ノックの音が』など多くの短編集がある。また、『明治・父・アメリカ』、父親を書いた伝記小説『人民は弱し 官吏は強し』などのノンフィクション作品もある。小松左京・筒井康隆と並んで「御三家」と称される、日本を代表するSF作家として知られている。世代・生育環境が近いこともあり、北杜夫とも親交が深く、北の随筆に屡々エピソードが取り上げられている。 反戦団体「ワールドマップ (World MAP: Mothers Acting for Peace)」代表の星マリナは次女。母方の祖父母は帝国大学医科大学長で解剖学者の小金井良精と森鴎外の妹・小金井喜美子である。また小説家鈴木俊平は父の妹の孫[1]。 容貌や作風から穏やかなイメージがあるが、破天荒なギャグを連発するなど、「奇行の主」と呼べる側面があり、同行している作家仲間を驚かせることがあったという。 大正15年(1926年) - 東京・本郷に生まれる。父は星製薬の創業者である星一。母方の祖父の家がある本郷で、昭和20年(1945年)まで育つ。 東京女子高等師範附属小(現在のお茶の水女子大学附属小)から東京高等師範附属中(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に進む。旧制中学在学中に対米開戦。これにより英語が敵性語となること、敵性語として入試科目から除外されることを見越して英語を全く勉強せず、他の教科に力を入れて要領よく四修(飛び級)で旧制の官立東京高等学校(現在は東京大学教養学部と東京大学教育学部附属中等教育学校に継承)に入学。このため秀才と呼ばれたが、戦後になってから英語力の不足を補うため今日泊亜蘭の個人授業を受け、さんざん苦しんだという。東京高校在学中、満16歳の時に1年間の寮生活を経験。当時の寮生活について、後年「不愉快きわまることばかりで、いまでも眠る前に思い出し、頭がかっとなったりする」[2]、「入ってみてわかったことだが、この学校はとてつもなく軍事色が強く、教師だけならまだしも、生徒たちの多くもそのムードに迎合していたので、うんざりした。着るものはもちろん、食うものもだんだん不足してくるし、学校は全部が狂っているし、まったく、どうしようもない日常だった」[3]と回想した。 昭和23年(1948年)(21歳) - 東京大学農学部農芸化学科を卒業、高級官吏採用試験である高等文官試験(現在の国家公務員I種試験)に合格したが内定を取ることに失敗。なおかつ役人嫌いの父親に受験が発覚し、厳しく叱責された。東大の大学院に進学し、坂口謹一郎のもとで農芸化学を研究。昭和25年(1950年)に、大学院の前期を終了する。卒業論文は「アスペルギルス属のカビの液内培養によるアミラーゼ生産に関する研究」(アオカビを固形物で培養し、ペニシリンを生産する研究)であった。 昭和24年(1949年)(22歳) - 同人誌「リンデン月報(9月号)」にショートショート第一作『狐のためいき』を発表する。おそらく、星新一の初めての作品である。 昭和26年(1951年)(24歳) - 父が急逝したため、同大学院を中退し、父の会社を継ぐ。当時の星製薬は経営が悪化しており、経営は破綻。会社を他人に譲るまでその処理に追われたという。この過程で筆舌に尽くしがたい辛酸をなめた。のちに星新一自身は「この数年間のことは思い出したくもない。わたしの性格に閉鎖的なところがあるのは、そのためである」と語っている。会社を手放した直後、病床でレイ・ブラッドベリの「火星年代記」を読んで感銘を受ける。この出会いがなければSFの道には進まなかっただろうと回顧する。星は厳しい現実に嫌気が差し、空想的な空飛ぶ円盤に興味を持つようになる。たまたま近くにあった「空飛ぶ円盤研究会」に参加。この研究会は三島由紀夫、石原慎太郎が加わっていたことでも知られている。 昭和32年(1957年)(30歳) - 柴野拓美らと日本初のSF同人誌「宇宙塵」を創刊。第2号に発表した『セキストラ』が、当時江戸川乱歩の担当編集だった大下宇陀児に注目され、「宝石」に転載されてデビューした。昭和35年(1960年)には「ヒッチコック・マガジン」に作品が載り、また、「文春漫画読本」から注文がくる。 昭和36年(1961年)(34歳) - 医者の娘で小牧バレエ団のバレリーナだった村尾香代子と見合い結婚。髪が長いのが結婚を決意する決め手になったと後年語った。 昭和38年(1963年)(36歳) -ウルトラシリーズ第一作『ウルトラQ』に、日本SF作家クラブの一員として企画会議に加わる。会議に同席した、『変身』、『悪魔ッ子』の脚本担当者、北澤杏子の証言によると、この場においては、後に伝説となるような、飛躍した発想の発言は聞かれなかったとのことである。また、この年に特撮映画『マタンゴ』の脚本を担当している。 昭和55年(1980年)(53歳) - 日本推理作家協会賞の選考委員を務める。昭和56年(1981年)まで。 平成9年(1997年) - 12月30日、18時23分に東京都の病院で間質性肺炎のために死去。享年72(71歳没)。 昭和36年(1961年)2月に、ショートショート6編(『弱点』、『生活維持省』、『雨』、『誘拐(その子を殺すな!)』、『信用ある製品』、『食事前の授業』)で直木賞の候補作に選ばれる。 昭和37年(1962年) - ショートショート集『人造美人』、ショートショート集『ようこそ地球さん』(旧バージョン)、ショートショート集『悪魔のいる天国』で第15回日本推理作家協会賞候補。 昭和56年(1981年) -「マンボウ・マブゼ共和国」(北杜夫の小説に登場する架空の国)から文華勲章が授与される。「日本の勲章ならみっともなくて下げておられぬが、外国の勲章なら……」と語った。 星の作品、特にショートショートにおいては、通俗性を出来る限り排し、具体的な地名・人名といった固有名詞はあまり登場させない。また、例えば「100万円」とは書かずに、「大金」・あるいは「豪勢な食事を2回すれば消えてしまう額」などと表現するなど、地域・社会環境・時代に関係なく読めるよう工夫されている。また存命中は、機会あるごとに時代にそぐわなくなった部分を手直し(「電子頭脳」を「コンピュータ」に直すなど)したという。激しい暴力や殺人シーン、性行為の描写は非常に少ない。このことについて本人は「希少価値を狙っているだけで、別に道徳的な主張からではない。」、「単に書くのが苦手」という説明をしている。加えて、時事風俗は扱わない、前衛的な手法を使わない、等の制約を自らに課していた。 ショートショートの主人公としてよく登場する「エヌ氏」の名は、星の作品を特徴づけるキーワードとなっている。作品ごとに、エヌ氏の境遇・容姿・年齢・性格などは異なっていて、同一人物ではないと思われる。 作品は20言語以上に翻訳され、世界中で読まれている。冷戦を扱った作品が英語・ロシア語に翻訳され、米ソ両国で読まれていた事は、星の作品の普遍性の高さを示している。 寓話的な内容の作品が多く、星も自らを「現代のイソップ」と称していた。その柔軟な発想と的確に事物の本質をつかんだ視点の冷静さから、多くの読者を獲得したほか、学校教科書の題材や、テレビ番組『週刊ストーリーランド』(「殺し屋ですのよ」など)や『世にも奇妙な物語』(「おーい でてこーい」「ネチラタ事件」など)の題材に採用されている。 また、一コマ漫画の収集家でもあり、それらをテーマ別に紹介した『進化した猿たち』(全3巻)という本も出している。さらに、官僚の壁に立ち向かい、そして敗れた父星一を描いた『人民は弱し 官吏は強し』、明治時代の新聞の珍記事を紹介した『夜明けあと』のようなSF以外の近代史ノンフィクションや『気まぐれ-』で始まるタイトルのエッセイなども多数残している。 作品のアイデア同様、他の作家とは着眼点が異なり、第一回奇想天外SF新人賞の選考委員として、小松左京や筒井康隆がほとんど問題にしなかった新井素子の『あたしの中の……』を強力にプッシュし(結果は佳作入選)、作家として活躍していくきっかけを作った。ただ一人、選考委員を任じたショートショート・コンクール(のちにショートショート・コンテストと名称変更)からも、数千にも及ぶ作品の中から、後にプロとして確固たる活躍をしていく作家を多数発掘しており、その慧眼ぶりを発揮しつつ、後進に道を拓いている。 とはいえ、星といえども、ショートショートに万能というわけではなかった。星新一ショートショート・コンテストとほぼ同時期に募集・発表があったショートショート・コンテスト「ビックリハウス」のエンピツ賞受賞作については、理解が及ばず、お手上げの状態だったという。また、向田邦子の直木賞受賞作を含むショートショート集『思い出トランプ』についても、好みでない旨を語っていた。星新一ショートショート・コンテストの選考においても、そのような作品は選外とした旨を語っていた。 生前は、自己の作品の映像化・戯曲化をほとんど許さなかったらしく、アニメ化を持ちかけた製作会社の担当者に「自分の作品がいじくられるのは真っ平ごめんだ。やるなら俺が死んでからにしてくれ。それなら文句は言わない」と断っている(これは暗に、自分の死後なら映像化を許しているともとれる)。自己の作品のイメージを、自分以外の第三者に委ねたくないという拘りを感じさせるエピソードである(小松左京はこの件を聞き、「星さんならそう言うだろう」と前述の担当者に語ったと言う)。例外的に短編のいくつかが、アニメーション作家の岡本忠成によって人形アニメーションとして製作されている。 昭和49年(1974年)、超能力ブームが起き、超能力者を名乗る人物が何名も出現した際、「空中に投げたスプーンが、途中で、くの字に曲がるのだ」や、「これは大事件ですぞ。どうして新聞各社は報道しないのですか」などと、朝日新聞記者にからんだ。からまれた記者は報道のため、超能力の現場をストロボ分解写真で写すなど、取材を開始。その結果、超能力と称するものが一種の手品のたぐいである事が発覚。記事は、朝日新聞系の『週刊朝日』に掲載される。その際に星は、「超能力者が現実に現れたら、SF作家は失業してしまいますからね」と述べた。 また、「リスクもなく大きな儲けが出る」と称して、大量の人から金銭を集める詐欺行為の被害者について、「騙された者は、欲に目がくらんだ者であり、救ってやる必要などない」、などと辛らつな内容をエッセーに書いていた。別のエッセー集『できそこない博物館』では、父が急逝し業務を引き継いだ星製薬時代のことを指していると思われる「不渡り手形を掴まされれば、誰だって人間不信になる」といった一文を目にすることができる。 1979年より始まった星新一の選考によるショートショート作品のコンクール。毎年の優秀作品は単行本として出版されている。星の死後も選者を阿刀田高に変え、マイナー・チェンジを繰り返しながら継続中。 受賞者のなかでも、江坂遊の才能は非常に評価しており、星自身は「唯一の弟子」と考えていた。 カテゴリ: 日本のSF作家 | 日本の推理作家 | 東京都出身の人物 | 1926年生 | 1997年没 |
[ 143] 星新一 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E6%96%B0%E4%B8%80
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星新一 一〇〇一話をつくった人 のお求めはビーケーワンで。1500円以上で国内送料無料。最速24時間以内に出荷可能。 【講談社ノンフィクション賞(第29回)】製薬会社の御曹司、終生つきまとう“負の遺産”、創作の舞台裏、生き残りをかけた戦い…。ショートショートで「未来」を予見した小説家には封印された「過去」があった。関係者への取材と遺品から、謎に満ちた実像に迫る。 〈最相葉月〉1963年生まれ。関西学院大学法学部卒業。科学技術と人間の関係性、スポーツ、教育などをテーマに執筆活動を展開。著書に「絶対音感」「東京大学応援部物語」など。 本書は、1001話を越えるショートショートを発表し伝説を作ったSF界の大長老・星新一氏の評伝。とにかくこれは、ものすごい労作だ。著者である最相葉月氏が、故人の奥様に遺品の整理をまかされ、また家族・親戚・友人・星製薬関係者など、多くの人々の証言や資料を元に、気の遠くなるような作業の末にまとめられたもの。資料的な価値は計り知れない。 星作品は教科書にも載り、学校図書館でも定番中の定番。その名を知らない人はない。また、氏が星製薬の御曹司であり、父君の急死により経営の傾いた会社を引き継いで整理に苦労した事も、ご本人のエッセイなどから周知の事実。だが、その「苦労」の具体的な内容が、ここまで… 最相葉月の精神的体力には感服する。約560ページのボリューム、しかもノンフィクションである。創作とは違い「ちょっとしんどくなったから、この辺とこの辺は適当に辻褄を合わせてショートカットしよう」というわけにはいかないのだ。 いかに自分で興味を持ち調べ始めたこととはいえ、行き詰まり、心が奮い立たない時もあっただろう。まして「絶対音感」「青いバラ」といったこれまでの作品と違い、今回の対象は「星新一」という人間である。 実に7年という歳月をかけ、一人の人間を掘り下げようとした著者の姿には、心身をボロボロになるまで追いつめ1001話を書き上げた星新一に通じるものを感じた。まさに執念である。 星新一とい… 星新一のショートショートが前人未踏とも言える1001編に達したのは昭和58年である。作家デビューから26年、56歳であった。昭和63年には、新潮文庫の総発行部数が2千万部を突破したとのことだ。この数字は、松本清張、司馬遼太郎に次ぐという。すごいとしか言いようがない。星新一は、「くすりはホシ」「ホシ胃腸薬」などの宣伝でかつては圧倒的な知名度を誇っていた製薬会社の御曹司であった。しかし戦後の混乱のなかで会社は倒産騒ぎに巻き込まれる。父の事業を引き継いだものの、借金は膨れ上がり、二十代の星が処理仕切れるものではなかった。会社は依然として債権者と係争中、製薬会社としての再建にはほど遠い。そんな状況から… |
[ 144] オンライン書店ビーケーワン:星新一 一〇〇一話をつくった人
[引用サイト] http://www.bk1.jp/product/2758871
