プレーオフとは?

プロ野球再編問題で揺れた'04年からパシフィック・リーグで導入されたプレーオフ制度。それまでの制度と違い、レギュラーシーズンで2位、3位のチームにも優勝の可能性があるため、最後まで緊張感のある戦いが続きます。
しかし、昨年度のホークスはプレーオフで惜しくもリーグ優勝を逃し、残念なシーズンとなってしまいました。
136試合のレギュラーシーズン(交流戦を含む)を戦い、3位までに入ったチームにプレーオフ進出の権利が与えられます。
まず、2位と3位のチームが3試合制の「第1ステージ」を戦って、勝ち越したチームが「第2ステージ」に進出。
続いて「第2ステージ」では「第1ステージ」の勝者とレギュラーシーズン1位のチームが5試合制で戦い、3勝を挙げたほうがパシフィック・リーグの覇者として、日本シリーズへの出場権を得ることになるのです。
レギュラーシーズンで1位のチームが2位以下に5ゲーム以上の差をつけると、第2ステージで1勝のアドバンテージが与えられます。つまり、5試合で2つ勝てばいいということです。
そのため、レギュラーシーズンで1位を確定した場合でも、それ以降が消化試合になるわけではなく、5ゲーム差をめぐって最後まで戦いは続きます。
また、「2勝2敗1分」の場合は1位チームの優勝となるという規定もあり、1位チームにとっては有利な条件で戦うことができるのです。
しかし、プレーオフは短期決戦。第1ステージをいいムードで勝ち上がってきたチームには勢いがあるのも事実。地元ファンの声援をバックにした1位チームが勝つか、下位チームの勢いが勝るか・・・そこがプレーオフ第2ステージの焦点となるのです。
'73年〜'82年まで、パ・リーグでは前期・後期の2シーズン制が敷かれており、前期優勝チームと後期優勝チームでプレーオフを行っていました。南海時代のホークスも'73年に前期優勝し、プレーオフで阪急ブレーブスに勝って優勝を成し遂げています。
セントラル・リーグでも'07年度以降のプレーオフ実施が検討されています。しかし、現在でも「2位のチームが勝ち数で1位を上回った場合(順位は勝率で決定)、3試合のプレーオフが行われる」という規定があるのです。今年、阪神と中日が競り合ったままシーズンを終えればプレーオフ実施の可能性もあるというわけです。
レギュラーシーズンで2チームが同率1位になった場合、プレーオフ第1ステージは行われず、1位チーム同士で5試合制のプレーオフが行われます。2位が2チームになった場合は2位チーム同士で第1ステージを戦うことに。
さて、ここまではいいとして、問題は3位が2チームになった場合。この場合は3位チーム同士でプレーオフ進出を賭けた「プレーオフのプレーオフ」とも言える試合を1試合だけ行い、勝者が第2ステージに進出となります。では、3チームが同率で並んだら・・・?そのケースについての規定はありません。
アメリカのメジャー・リーグではプレーオフ制度がすでにおなじみ。ナショナル・リーグ、アメリカン・リーグの両リーグは東地区(East Area)、中地区(Central Area)、西地区(West Area)に分かれていて、それぞれの地区で順位を争いますが、最後にプレーオフでリーグ王者を決定します。
まず、各地区の1位と、2位の最高勝率チーム(ワイルドカード)の4チームでディビジョン・シリーズ(5戦)が行われ、その勝者がリーグ王者を賭けてリーグ・チャンピオンシップ(7戦)を実施。そして、プレーオフを制した両リーグ王者がワールド・シリーズ(7戦)で対決するのです。
韓国のプロ野球は1リーグ制(8球団)。まず、「準プレーオフ」で3位対4位が戦い、その勝者が「プレーオフ」で2位と戦います。最後にプレーオフの勝者とレギュラーシーズンの勝者が韓国シリーズで激突。年間王者を決定するのです。
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[ 97] プレーオフとは | 福岡ソフトバンクホークス
[引用サイト]  http://www.softbankhawks.co.jp/playoff/about.html

この項目では2006年までの日本野球機構のプレーオフ制度について記述しています。2007年以降のプレーオフ制度についてはクライマックスシリーズを、四国アイランドリーグのプレーオフ制度「リーグチャンピオンシップ」については四国アイランドリーグ#試合をご覧ください。
1リーグ時代は現在のような1年1ステージによる長期戦形式ではない時代があり、その年優勝等をかけたプレーオフが行われた。
1936年の場合、春季大会は東京巨人軍はアメリカ遠征のため不参加、また名古屋金鯱軍も結成記念リーグ大会を終えるとアメリカに遠征したため、公式戦でありつつ優勝チームを決めなかったが、夏季大会では東京、大阪、名古屋の3大都市でのトーナメント戦で優勝したチームによるプレーオフが予定されていた。しかし、会場の調達が出来なかったため、優勝預かりとなっている。
同年秋季リーグは3大都市での総当りリーグ5回、トーナメント2回の都合7大会それぞれ優勝したチームに勝ち点1(複数均等割り)を与え、その合計勝ち点の多いチームがリーグ優勝となる。だが、東京巨人軍と大阪タイガースが勝ち点2.5ずつを分け合ったため、3戦2勝制の同点決勝を行い、2勝1敗で制した東京巨人軍が最初のチャンピオンに輝いた。
一方1937年と1938年は春季・秋季の2ステージで争い、1937年は春季が東京巨人軍、秋季は大阪タイガース、1938年は春季が大阪タイガースの連覇、秋季は東京巨人軍がそれぞれ優勝して、それぞれ大リーグのワールドシリーズの方式に倣った7戦4勝制による年総合優勝決定戦を開催。それぞれ4勝2敗、4連勝で東京巨人軍を下した大阪タイガースが日本一の座に就いたが、この2年間は春季・秋季のそれぞれのステージが独立したシーズンの扱いと見なされていたため、ステージ優勝に関しては通算の優勝回数にカウントされているが、年間チャンピオンはノーカウントとなっている。
予選リーグは7チームの18回総当り(1チーム108試合)を行い、上位4チームが決勝リーグとしてさらに4回総当り(同12試合)を実施。上位4チームの成績は予選と決勝の総合成績で決定したが、下位3チームとの成績を単純に比べられないこと、さらに「下位球団の切り捨てだ」という批判が出たことにより、1年で廃止された。決勝リーグも公式戦に含まれるため、厳密にはプレーオフではない。
人気低下などプロ野球再編問題に伴って導入された年間26回総当り(同130試合)を前・後期各13回ずつ(65試合)に区切り、それぞれのステージ優勝を決める。前期と後期でステージ優勝チームが異なる場合、5戦3勝制による優勝決定戦を開催した。ホームゲームに関しては、第1・2戦は前期1位チーム、第3-5戦は後期1位チームのそれぞれのホームスタジアムで行った。なお同一チーム完全優勝の場合は施行しなかった。年間順位はプレーオフの勝者が1位で、2位以下は前後期通算の勝率順とした。このため、プレーオフに負けたチームがプレーオフに出場しなかったチームの前後期通算勝率を下回り、年間順位が3位になったこともあった。
なお、個人賞に関しては前後期130試合の成績のみで決定し、プレーオフでの成績は加算されない。(2004-2006年の上位3強順位決定戦の方式も同様)
年間26回総当り(同130試合)を行い、1位と2位のゲーム差が接近した場合(5ゲーム差以内)に、最大5試合のプレーオフを含めた変則1シーズン制を採用(勝率はそのプレーオフ開催分を合わせたもので計算)したものの、この3年間の優勝チームがすべて5ゲーム差を超える独走[1]だったので実際には行われず「幻のプレーオフ」といわれる。
年間27回総当り(同135試合)のレギュラー・シーズン(2005・06年は年間20回総当り(同100試合)とセントラル・リーグとの交流試合(同36試合)の合計136試合)の上位3チーム(Aクラスを確保したチーム)がプレーオフに進出。2004・05年と2006年では方式に違いがあるので、ここでは2004・05年の方式を記し、2006年の変更点については後述する。
第2ステージ - 第1ステージの勝者とレギュラー・シーズンの1位チームが5戦3勝制で対戦しリーグ優勝を決める。但し、1位チームがレギュラー・シーズンで第1ステージの勝者に5ゲーム差以上つけていた場合、1位チームには1勝分のアドバンテージが与えられる。
試合の興行権利は第1ステージではレギュラー・シーズンの2位チームが、第2ステージでは1位チームが全試合獲得する。
延長は12回までの引き分け制が採用されるが、成績がタイの場合(第1ステージでの1勝1敗1分けや第2ステージでの2勝2敗1分けなど)は対戦チームのレギュラー・シーズン成績上位チームが勝ち抜けとなる。
これにより優勝チーム以外はプレーオフの成績による年間順位の変動はない。レギュラー・シーズンの3位チームが第1ステージを勝ちあがって(2位チームを負かして)第2ステージに進んでも、そこで敗退すれば年間順位は2位ではなく3位として扱われる(実例:2006年の福岡ソフトバンクホークス)。
レギュラー・シーズン1位のチームが2チームある場合は第1ステージは行わず(3位チームのプレーオフ出場なし)、1位の2チームで第2ステージのみを行う。
勝率1位のチームが1チームのみで、勝率3位チームが2チームある場合は前年レギュラー・シーズン成績上位チームの本拠地で3位決定戦を延長無制限で行い、第1ステージ進出チームを決める。
2004・05年のレギュラー・シーズンの1位はともに福岡ソフトバンクホークス(2004年は福岡ダイエーホークス)だったが、両年とも2位とのゲーム差は4.5と、あと0.5ゲームの差で1勝のアドバンテージがつかなかったことが災いし、第2ステージは2回とも2勝3敗で敗退。このため、1位通過チームと1stステージ勝利チームとの不公平性などが内外で議論を呼んだ。また、2004・05年ともに第1ステージ勝利チームが日本一となったことで、セ・リーグ優勝チームとの不公平性も議論された。
第2ステージでは、レギュラー・シーズン1位チームに無条件で1勝のアドバンテージ(☆)が与えられる。このため、第2ステージは4戦制となった。なお、使用球場は第1・2戦がレギュラー・シーズン1位チームの本拠地、第3・4戦が第1ステージ勝者の本拠地。
勝率2位・3位のチームが2チームある場合も同様に順位の上下を決めるので、2位同士の第1ステージや、3位同士での3位決定戦は廃止された。
なお、2007年からこの形式を模し、セ・パ両リーグでクライマックスシリーズが開始されることが決定し、2004年からパ・リーグのみで行われたプレーオフ制は3年間で終了となった。
セントラル・リーグでは以前、公式戦全日程終了時点で勝率(もしくは勝利数)が複数球団において同率(同数)だった場合、3試合(2戦先勝)制のプレーオフを実施する旨を定めていたが、過去実施に至ったケースはない。
また2001年から2006年まで6シーズンの間は、公式戦全日程終了時点で勝利数1位のチームと勝率1位のチームが異なる場合にもプレーオフを実施する旨を定めていたが、こちらも結局実施には至らなかった。
導入初年度の2001年は勝利数を優先したため、シーズン中は試合の消化ペースが速い球団が上位になり、また順位表においても勝利数と勝率の2つの順位を表記しなければならず、多少なりの混乱をきたした。
2002年からは勝率を優先する方式に改めた。但し、勝利数が多くても勝率順位で3位を下回った場合はプレーオフの進出資格を喪失し、勝率1位の球団がリーグ優勝となる(この場合でも、勝利数で勝率2位の球団を下回った場合はプレーオフを実施する)。また勝率が並んだ場合は勝利数の多い球団の優勝とする。
なお、2007年にクライマックスシリーズ(先述)が導入された際の規定は「レギュラーシーズンの順位は勝率によって決定する」と定められており、仮に同率で順位が並んだ場合は、まず「当該球団間の対戦勝率が高い順」を優先する。このケースでシーズン中の対戦成績が同率だった場合は「前年度順位の上位」を優先する。クライマックスシリーズの出場球団も、この規定によって決定されている。
日本プロ野球では2005年まで、各リーグ公式戦の全日程終了時点で複数球団の勝率(もしくは勝利数)が全く同一の状態で1位に並んだ場合には、プレーオフを実施してリーグ優勝球団を決定する旨が取り決められていた。またセントラル・リーグでは一時期、勝率1位の球団と勝利数1位の球団が同一でない場合にもプレーオフを実施する旨を取り決めていた(上述)。
このようなケースでプレーオフを実施する可能性が生じたことは過去に何回かあったものの、実際にプレーオフを実施するに至ったケースは一度もない。下記にこれらケースが生じたシーズンについて概説する。
この年はグレートリングが65勝37敗2分け(勝率.637)、巨人が64勝38敗2分け(勝率.627)で最終戦を迎えることとなったが、巨人が勝ってグレートリングが敗れると65勝38敗2分け(勝率.631)で並ぶため、プレーオフが実施されることになっていた。しかし巨人がセネタースに敗れたため、グレートリングが中部日本戦を待たずに球団史上初の優勝を決めた。
パシフィックは、この年戦前からの既存チームでプレーしていた白石敏男(元巨人)と藤井勇(元阪神)を入団させたが、両選手の帰属を巡って巨人と阪神が提訴し連盟が調査中だった。その最中にも拘らず試合に出場させたとして没収試合を4試合経験した。これによりパシフィックがグレートリングからあげた1勝が負け扱いされた。これがパシフィックの負け扱いにされていなければグレートリングの最終成績は64勝39敗2分け(勝率.621)で巨人と同率となり、プレーオフが実施されていたことになる。
この年は予選リーグ18回+上位4強決勝リーグ4回の通算成績で優勝を争うという変則的なリーグ戦だったが、南海と毎日が同勝率でシーズン終了となる可能性があった。120試合を終了した時点で、南海は75勝44敗1分け(勝率.630)、一方毎日は75勝45敗0分け(勝率.625)で本来なら南海優勝であるが、順位決定に際して「最終順位の変動をきたす恐れのある試合は再試合を行う」という取り決めから、このシーズン南海が唯一引き分けた大映との間で再試合を行うことになった。
仮に南海がこの試合に敗れた場合、南海・毎日とも75勝45敗(勝率.625)で並んでしまい、優勝決定戦に持ち越される可能性があったが、南海がこの大映戦を制してパ・リーグ初の2連覇を飾った。
この年は、序盤から独走だった南海と西鉄が熾烈な優勝争いを繰り広げ、10月中旬の時点でも優勝チームが決まらず、西鉄が残り4試合の時点で南海は85勝61敗4分け(勝率.582)でシーズンを終了。
82勝60敗4分け(勝率.577)の西鉄は残り4試合全てが近鉄とホーム・平和台野球場での対戦であり、4試合の成績で1敗1分けまたは2敗ならば南海の優勝、3勝1敗ならばプレーオフ(3試合2勝制)、3勝1分けまたは4連勝ならば西鉄の逆転優勝という状態になったが、西鉄は執念で4連勝を飾り、日本プロ野球史上に残る大逆転優勝を決めた。
この年は10月6日に首位の南海が79勝51敗3分け(勝率.608)で全日程を終えたが、同日時点で2位の西鉄が75勝51敗8分け(勝率.595)でまだ逆転優勝の可能性を残しており、残り4試合に西鉄が全勝すればプレーオフという状況だった。しかし西鉄は初戦となる10月9日の東映戦に1-2で敗れ、南海のパ・リーグ3連覇が決まった。
この年は2連覇を目指す阪急と2年ぶりの王座奪回に燃える南海がともに残り1試合の段階で79勝50敗(勝率.612)で並んでいた。最終戦はともに10月11日で、阪急が西宮での東京戦、南海が日生での近鉄戦で、両チームの最終戦の結果が同じだった場合にプレーオフが行われる可能性があった。
まず先に始まった西宮で阪急が9回裏に矢野清のタイムリーで同点に追いつき、延長11回に矢野が今度はソロ本塁打を放ち、東京に3-2とサヨナラ勝ち。気の早い阪急ナインはこの時点ではまだ優勝が決定していないにもかかわらず西本幸雄監督を胴上げしたが、西宮の試合が終わった8分後に日生で南海が近鉄・鈴木啓示を打ち崩せず敗れ、阪急がリーグ2連覇を達成した。
この年は一時阪神を除いた5球団が24勝・2ゲーム差以内にひしめくという混戦から広島と中日が抜け出したが、9月30日時点で68勝48敗2分け(勝率.586)の広島を、中日が3.5ゲーム差(67勝54敗1分け、勝率.554)で追いかける展開となっていたものの、前年から引き分け再試合制度が導入され、しかもまだ直接対決を6試合残していたため、その後の成績如何では広島と中日が同率でシーズンを終える可能性が残っていた。しかし、10月3日からの直接対決2連戦で広島が連勝して優勝に大きく前進。9日からの直接対決2連戦も1勝1敗で乗り切った広島が13日の阪神戦(ダブルヘッダー第2試合)で優勝を決めた。
この年は同リーグで最もプレーオフに近かったケースである。10月になってもヤクルト・阪神・巨人・広島の4チームに自力優勝のチャンスがあるという異例の大激戦となり先の読めない展開が続いたが、まず広島が脱落した。
この時点ではヤクルト・阪神・巨人の3チームが同率で並ぶ可能性が残されていた。そこで、セ・リーグ史上初の事態に備えるため、1回目の「プレーオフ委員会」が招集され、2チーム同率のときは3戦2勝制のプレーオフ、3チーム同率のときは1試合ずつ対戦相手を変えて2敗したチームが脱落、2チームが脱落するまで繰り返す「三つ巴戦方式」(大相撲の巴戦とは条件が異なる)のプレーオフを行うことがまず決定された。その後巨人が脱落し、3チームプレーオフの可能性はなくなった。
この時点で生き残ったのは阪神とヤクルトの2チームであるが、この2チームは9月に延長15回引き分け・6時間26分の最長時間試合を戦っており、当時の大会規定である引き分け再試合を含め残り2試合の甲子園直接対決に委ねられた。この時、ヤクルトが1勝すればリーグ優勝決定。阪神は2連勝してプレーオフに持ち込まない限り優勝の道がなかった。というのも、2連戦に入る前の成績がヤクルト68勝60敗1分け(勝率.531)、阪神が66勝62敗1分け(勝率.515)で、阪神が連勝(=ヤクルトが連敗)した場合の成績がともに68勝62敗1分け(勝率.523)で並んでしまうからだ。
そこで2回目の「プレーオフ委員会」が招集され、「3戦2勝制とし、第1試合は甲子園、第2試合は神宮とそれぞれのホームで1試合ずつこなし、もし1勝1敗の場合の決勝戦=第3試合、あるいは雨天中止の予備会場は日本シリーズが10月17日開催に迫っていることなどを踏まえ、東京ドームを借りて行う」という取り決めが定められた。しかしその2連戦の最初の試合でヤクルトが勝ちリーグ優勝。セ・リーグ初のプレーオフは行われなかった。
この年は巨人が独走し8月18日に早くもマジック25を点灯させ、24日には中日に9.5ゲーム差をつけたが、翌日からの20試合で4勝16敗と急失速。この間を14勝7敗で乗り切った中日に、9月末の時点で66勝59敗(勝率.528)と並ばれてしまった。残り試合はともに5試合。10月1日・2日はともに白星を重ねたが、4日のヤクルト戦で中日が1-4で敗れ、翌5日には巨人がヤクルトに6-0で勝った。このため巨人が6日のヤクルト戦で勝ち、中日が6日の阪神戦と8日の巨人戦に連勝して、両チームがともに70勝60敗(勝率.538)でシーズンを終了するか、あるいは巨人が6日のヤクルト戦で負け、中日が6日の阪神戦に負けて8日の巨人戦に勝ち、両チームがともに69勝61敗(勝率.531)でシーズンを終了するかで、プレーオフに持ち込まれる可能性が出てきたため、セ・リーグは臨時のプレーオフ委員会を開催した。
しかし、6日の試合で中日は阪神に10-2で勝ったものの巨人がヤクルトに2-6で敗れた結果、残り1試合で両チームが69勝60敗(勝率.535)で並んだため、8日の直接対決が雌雄を決する一戦となり、プレーオフは実現しなかった(当時は引き分け再試合制度があったため、両軍が8日の対決で引き分けた場合、再試合が実施されることになっていた)。なお最終戦は6-3で巨人が勝利した。
この年は序盤から広島が独走したが、7月6日の時点で11.5ゲーム差をつけられていた巨人が猛烈な追い上げを見せ、10月5日の時点で残り2試合で75勝53敗(勝率.586)とし、優勝に王手をかけていた。しかし、巨人と同じく猛烈な追い上げを見せた中日は、同日現在残り3試合で72勝55敗(勝率.567)であり、直接対決も2試合残っていた(つまり、巨人の残り2試合はともに中日戦であった)ことから、中日が残り3試合に全勝すれば両チームが75勝55敗(勝率.577)で並ぶため、プレーオフが実施されることになっていた。しかし、巨人が10月6日の直接対決第1ラウンドに勝利して優勝を決めメークドラマを完結、プレーオフは幻となった。
セ・リーグではこの年から勝利数1位球団と勝率1位球団が異なる場合はプレーオフを開催することになった。このため新聞紙上では勝率1位が確定した時に0になる「勝率1位決定マジック」と勝率1位と勝利数1位が確定した時に0になる「優勝決定マジック」の2つが登場したが、勝率1位決定マジックが0になったのに優勝決定マジックが0にならなかった場合にプレーオフが開催されることになる。
その初年となった2001年は巨人が75勝63敗2分け(勝率.543)でシーズンを終えたが、ヤクルトは10月4日時点で74勝55敗6分け(勝率.574)であった。この時点でヤクルトは5試合を残していたが、仮に残り5試合に全敗すると74勝60敗6分け(勝率.552)となり、ヤクルトの勝率1位は決まっていたが勝利数では依然巨人が上回るため、ヤクルトが残り5試合で1勝もできなかった場合にプレーオフが実施されることになっていた。しかしヤクルトは10月6日に横浜を下して優勝を決め、プレーオフは実施されなかった。
2001年の順位決定は勝率ではなく勝ち星を優先し、勝ち星が同じ場合は勝率順で決定していたが、ファンから不評を買ったため2002年から元の勝率優先に戻した(但し前述した勝ち星1位ながら勝率3位以下のチームが優勝できないシステムに変更された以外、プレーオフ制度の変更はしていない)。また、この年はこのルールだったことが災いし、勝率で横浜を上回っていた広島が勝利数で下回ってしまい、横浜が3位(69勝67敗4分、勝率.507)、広島が4位(68勝65敗7分、勝率.511)という事態が発生してしまった[3]。
この年は9月8日時点で阪神が72勝49敗5分け(勝率.595、残り20試合)で首位にいたが、中日も69勝52敗1分け(勝率.570、残り24試合)で追っており、成績如何では阪神が勝率1位となっても中日が勝利数1位でシーズンを終える可能性があった。そのため、プレーオフ委員会が9月9日と15日に開催され、10月15日から17日まで1回戦甲子園、2回戦以降ナゴヤドームという日程で開催されることが決定した。しかし9月10日に阪神に勝率1位決定マジック15、13日に優勝決定マジック13が点灯。29日に阪神の優勝が決まり、セ・リーグ初のプレーオフはまたも幻となった。
^ 1983年は西武が2位と17ゲーム差、1984年は阪急が8.5ゲーム差、1985年は西武が15ゲーム差をつけてシーズンを終了した。
^ 2006年の2ndステージは1位チーム(日本ハム)に1勝のアドバンテージ(☆)が与えられた。また、第1戦・第2戦を札幌ドーム、第3戦・第4戦をヤフードームで開催することになっていたが、2戦で終了したためヤフードームでの対戦は行われなかった。
^ もし、このルールが無ければ広島は1997年以来、4年ぶりのAクラス入りを達成し、連続Bクラス(1998年〜)のシーズンもこの年で途切れることになっていた。また、1997年の広島のAクラス入りは勝率5割を割っていたので(97年は66勝69敗、勝率.489の3位)広島としてはその前年の1996年以来(96年は71勝59敗、勝率.546の3位)、5年ぶりとなる勝率5割以上でのAクラスまでもがこのルールのせいで幻のものとなってしまった。

[ 98] プレーオフ制度 (日本プロ野球) - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%AA%E3%83%95%E5%88%B6%E5%BA%A6_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%97%E3%83%AD%E9%87%8E%E7%90%83)

プレーオフ(英語:Playoff )とは、スポーツ競技における通常の順位決定方式の後に行われる試合のこと。「プレイオフ」ともいう。
プレーオフは、通常の試合による一連の順位決定戦が行われた後に行われる試合のことで、通常の順位決定戦の予備的な方法で優勝者を決める試合や、さらなる上位の試合への出場権を争うときに予備的に行われる試合を指す。プレーオフでは、通常の順位決定法とは異なる方式で優劣を決めるため、対戦方式や結果がしばしば問題になる。
プロスポーツでは、通常の順位決定戦(レギュラーシーズン)よりも、プレーオフの方が注目度も収益性も高いため、プレーオフを、予備ではなく予め行われることにしていることがある。この場合、レギュラーシーズンの消化試合を少なくするため、プレーオフ出場枠を増やす方法がとられることもある。また、興行的にプレーオフの試合が多くなると、「予備」の意味とはかけ離れてくるため、「ポスト・シーズン・ゲーム」と呼ぶこともある。
通常の順位決定戦において、成績1位の者(またはチーム)が複数出る可能性がある方式の場合、競技者同士が話し合って、より多くの競技者が優勝賞金を得られるよう意図的に横並びにする危険がある。そのため、成績1位の者(またはチーム)が複数出た場合、優勝賞金を得られる優勝者(または優勝チーム)を絞り込むプレーオフが行われる。この場合のプレーオフは「優勝決定戦」とも呼ばれる。
サッカーのFIFAワールドカップの予選では、通常の順位決定戦によって出場権を得られる順位の次点だったチームが、残る出場権を得るために行う予備的な試合をプレーオフと言う。
入れ替え制度を導入しているリーグでは、入れ替え戦の事をプレーオフと呼ぶ場合がある。これについては入れ替え戦を参照。
複数組に分かれ、それぞれの地区やブロックごとにプレーオフ進出者を決定、最終的に選ばれたもの同士が勝ち残り式トーナメントや総当りリーグ戦を行い優勝者を決定する。
アメリカのプロスポーツの多くはこの形のプレーオフ制度を採用し、興行としての価値や盛り上がりを高めている。各組の順位も、シードの権利や、相対的に弱い相手とあたれる権利、各リーグ2位のうち最高成績者は選出される(ワイルドカード)ことなど、上位の順位争いも興をそがないような工夫がされている(ポストシーズンともいう)。
地区予選ともいうべき制度。アメリカンとナショナル、各リーグで4〜6チーム程度の地区ブロック(東・中・西)に分かれてブロック成績最優秀チームを選出した後、そのチーム相互による決勝戦を行う。勝ち抜いたチームがリーグ優勝となり、締め括りにその2チームによる7番勝負、ワールド・シリーズを行い、その年の優勝チームを決定する。システムの詳細はメジャーリーグベースボール参照。
メジャーリーグ同様、各地区リーグの成績最優秀チームがプレーオフ進出の権利を獲得し、各カンファレンスの優勝者が決勝戦を行う。その決勝戦はスーパーボウルと呼ばれ、毎年盛大な盛り上がりをみせる。システムの詳細はNFL参照。
全30チームをイースタン・カンファレンスとウエスタン・カンファレンスに等分し、さらにそれぞれのカンファレンスを5チームからなるディビジョン3つに分け、リーグ戦を戦う。全日程終了後、カンファレンスごとに各ディビジョンの勝率1位と残り12チームのうち勝率上位の5チーム(計8チーム)で、ノックアウトトーナメント方式のプレーオフを行う。2つのカンファレンスで優勝したチームはNBAファイナルと呼ばれる7番勝負を行い、優勝を決める。システムの詳細はNBA、NBAプレーオフ、NBAカンファレンスファイナル参照。
プレーオフ制度は初年度より実施していたが、2007-08シーズンよりカンファレンス制導入に伴い装いも新たに行われる。カンファレンスごとにレギュラーシーズン2位と3位で「ワイルドカードゲーム」を行い、その勝者とレギュラーシーズン1位でセミファイナルを行う。それぞれの勝者がファイナル、敗者は3位決定戦に進む。システムの詳細はBjリーグプレイオフを参照。
2006年から2地区制になり、両地区のレギュラーシーズン上位2チームがプレーオフに進出。たすきがけ方式で3戦先勝の準決勝を行い、勝者が3戦先勝の中国シリーズで戦う。
複数組に分かれ予選を行い、それぞれの成績優秀者が本戦に進出、準成績優秀者で残りの本戦進出者を決める。国別対抗大会に多い。
サッカーのFIFAワールドカップの地域予選では違う地域の準成績優秀者同士で対戦し、勝てば成績優秀者と共にワールドカップ本大会へ出場できる。これを「大陸間プレーオフ」とも言う。FIFAワールドカップ以外にも、シドニーオリンピック予選にも適用された。
また、欧州地区予選では、各グループに分けてリーグ戦を行い、グループ2位が別のグループ2位と対戦し、勝てばグループ1位と共に本大会へ出場できる。大会によっては「プレーオフ」と「大陸間プレーオフ」の両方と行うこともある(無論、大陸間プレーオフに回るのは1チームだけ)。しかし、大会によってはグループ2位の成績優秀者がプレーオフを行わず自動的に本戦に出場できることもある。
サッカーのFIFA女子ワールドカップの地域予選でも大陸間プレーオフが導入されている。2003年大会より北中米カリブ海3位とアジア4位の間で争われているが、2大会連続で日本とメキシコの組み合わせで日本が勝利している。
サッカー欧州選手権の予選では5〜6チームずつのグループに分かれてリーグ戦を行い、1位が本戦へ進む。そして2位チームで残りの出場枠を争って戦う。大会によっては2位の成績優秀者が自動的に本戦に出場できることもある。
サッカーワールドカップの予選と似た「敗者復活プレーオフ」が存在する。主にヨーロッパ地区4位、アメリカ地区4位、アフリカ地区2位の3チーム、オセアニア3位とアジア2位との対戦で、勝てば本大会に出場することができる。
オリンピック競技では地域予選の準成績優秀者が集まる「世界最終予選(Olympic Qualifying Tournament;略称OQT)」が行われることがある。総当り方式により上位チームが本大会に進出するケースが多い。北京オリンピックではバスケットボール・バレーボール・ハンドボール・ホッケー・野球・水球・卓球・シンクロナイズドスイミングで採用されている。
レギュラーシーズンを複数のステージに分け、プレーオフの進出者を決定、組別と同じように優勝者を決定する。
2000年から前期と後期の2シーズン制になった。2000年から2004年までは前期と後期の1位同士、2005年以降は前期と後期の1位のうち年間最高勝率ではないチームと他方の最高勝率チーム、その勝者が年間最高勝率チームと対戦する。前期と後期の1位が同じ場合は他方の最高勝率チーム(2005年以降は他方の勝率2位チーム)が繰り上げ出場する。詳細は中華職業棒球聯盟を参照。
1973年から1982年までの10年間、前期と後期の2シーズン制で行われ、それぞれの1位が対戦してリーグ優勝を争った(前期と後期の1位が同じ場合はそのチームが年間王座となるのでプレーオフは行わない)。
1993年から2004年まで1996年を除く11年間2シーズン制で行われたが、年間王座決定戦(サントリーチャンピオンシップ)の開催方法が1993年〜1995年と1997年〜2004年で違う。
1993年〜1995年は前期(サントリーシリーズ)と後期(NICOSシリーズ)の1位同士で対戦。両シリーズの1位が同じ場合はそれぞれの2位同士が対戦して勝者が出場、2位も同じ場合はその1位と2位が対戦する(しかしこの3年間は各シリーズの優勝チームが異なったため、後者の方式でチャンピオンシップが開催されることはなかった)。
1997年〜2004年は前期(第1ステージ)と後期(第2ステージ)の1位同士が対戦。両ステージの1位が同じ場合はチャンピオンシップを行わないことになった(2002年はジュビロ磐田、2003年は横浜F・マリノスが両ステージを制覇したため、この2年間は行われなかった)。
14チームが2回総当りのリーグ戦を実施し,その年間総合成績上位6チームがプレーオフのトーナメントに進出。 プレーオフはリーグ戦の年間成績で3位-6位,4位-5位で1回戦を実施し,その勝者同士で2回戦を行う。2回戦の勝者とリーグ戦年間成績2位のチームが準決勝で対戦し,その準決勝の勝者とリーグ戦年間成績1位のチームでチャンピオン決定戦を開催して優勝チームを決める。1回戦から準決勝までは一発勝負。決勝だけはホームアンドアウェー。
リーグ内での順位争いを活発化させ、1チームが独走した後半戦にも興味を持続できるようにする効果がある。ただし、リーグ戦が実質的に「プレーオフ進出者決定戦」という予選的な存在になりリーグ戦の価値が低下する憾みは存在する。
パリーグでは、2004年より2006年までの間、レギュラーシーズンの3位チームと2位チームが先ず2戦先勝方式の第1ステージを行い、その勝者とレギュラーシーズンの1位チームが3戦先勝方式の第2ステージで対戦してリーグ優勝を決める方式で開催していた。 セリーグでは、勝率が同じ場合のプレーオフ実施が原則であったが、2001年より勝率上位のチームと勝利数上位のチームでのプレーオフが規定されていた。(セリーグでのプレーオフ発生は事例はない) 2007年から両リーグともに、プレーオフ制度は廃止され、日本シリーズに進出するリーグ代表を決めるために「クライマックスシリーズ セ」、「クライマックスシリーズ パ」を開催することとなったが、リーグ優勝はペナントレース勝率1位のチームとなることから、従前のプレーオフの位置づけとは異なる。日本プロ野球のプレーオフの詳細についてはプレーオフ制度 (日本プロ野球)を参照。
レギュラーシーズン4位と3位で準々決勝の「準プレーオフ」を行い、その勝者と2位が準決勝の「プレーオフ」、さらにその勝者と1位が決勝の「韓国シリーズ」を行って優勝を決める。
前述のパシフィックリーグのようなアドバンテージはないため、勝率5割以下の4位が優勝する可能性も高く、不公平感も大きい。
プレーオフ初開催は8チームだった為上位4チームでのトーナメントだったが、9チームとなり上位6チームに増えて1位、2位はファーストラウンド免除。
セミファイナルは1位vs4位vs5位の勝者・2位vs3位vs6位の勝者が、5試合3勝先勝ち方式で対戦。
レギュラーシーズンの3位チームと2位チームが準決勝を行い、準決勝の勝者とレギュラーシーズンの1位チームが決勝を行う。男子は第29回大会(2004年)から、レギュラーシーズンの1位チームと4位チーム、2位チームと3位チームが準決勝を行い、その勝者同士で決勝が行われる方式に変更された。
NASCAR・ネクステルカップにおいては、「Chase for the Nextel Cup(略称・チェイス)」と呼ばれるプレーオフ的システムを導入している。
たまたま最優秀成績者等が同星、同勝率、同スコアにならんだ場合、特別に競技を再度行い、その最優秀成績者を優勝等とする方式。
ホールアウト時に最高成績者が同スコアでならんだ場合に行われる。3ホール程度のエキストララウンドのストローク、もしくはホール数無制限でのサドンデスで優勝者を決定する。プレーオフの結果はスコア自体には影響しない。一般的には後者、即ちサドンデス方式が多い。
A級順位戦で同星になった場合、順位下位者から勝ち残り式(パラマス式)のトーナメントで挑戦者を決定するプレーオフを行う。 第50期名人戦(1992年度)には、谷川浩司、南芳一、大山康晴、高橋道雄、の4者が6勝3敗でならび、順位最下位の高橋が3連勝で挑戦者の座をつかんだ。 なお、B1順位戦以下の昇級者ならびに全順位戦の降級者は、前年度の成績から決定された順位で優先度を決定し、プレーオフは行われない。
大相撲では幕内、十両は15番で行われ、幕下以下は7番で行われ一番勝ち星が多い者が、2人以上いる場合は優勝決定戦を行う。2人の場合は直接対決で行われ、3人の場合は巴戦で行われる。巴戦の場合は3人のうち1人が2連勝しない限り延々と続けられる。又、5人6人の場合も予選を行い、3人に絞りこんで巴戦をやる。4人又は7人以上の場合はトーナメント制で行われる。
イタリアプロサッカーのセリエAでは純粋に勝敗(勝ち点)のみで順位を決定し、同率の場合でも得失点差などは考慮せず同順位としている。しかしカップ戦(UEFAチャンピオンズリーグなど)出場権やセリエB降格などで厳正に順位を決定する必要がある場合のみホーム・アンド・アウェー方式のプレーオフを行っている。

[ 99] プレーオフ - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%AA%E3%83%95



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