加里とは?

中野 友加里(なかの ゆかり、ラテン文字:Yukari Nakano、1985年8月25日 - )は、日本の女性フィギュアスケート選手。愛知県江南市出身。2000年全日本フィギュアスケートジュニア選手権、2007年アジア冬季競技大会優勝。2002年世界ジュニアフィギュアスケート選手権2位。血液型はO型。椙山女学園高等学校卒業。早稲田大学・人間科学部(eスクール)在学中。コーチは佐藤信夫。
6歳でスケートを始め、高校卒業までは名古屋のグランプリ東海クラブに所属し、山田満知子・樋口美穂子の両コーチに師事していた。早稲田大学進学と同時に上京し、佐藤信夫(登録指導者・メイン)・久美子(振付等)夫妻コーチに師事するようになり、練習拠点を横浜に移し現在に至る。日本スケート連盟特別強化選手、JOCオリンピック強化指定選手エリートB。
2002年10月、ISUグランプリシリーズのスケートアメリカにおいて、日本人女子選手としては伊藤みどり以来10年振りとなったトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を成功させる(ISUが公式認定)。当時、世界的に見てもトリプルアクセルを成功させた女子選手は伊藤みどり、トーニャ・ハーディング(アメリカ)に次いで史上3人目となる快挙であった。なお現在までに日本人女子選手で公式試合においてトリプルアクセルを成功させた選手は伊藤みどり、中野友加里、浅田真央の3選手だけである。
主な戦績・賞歴は、2000年全日本ジュニア選手権、2005年NHK杯、2007年冬季アジア大会において優勝など。2002年世界ジュニア選手権では銀メダルを獲得。2006年全日本選手権では初めて表彰台に上がり3位。2006年世界選手権、2007年世界選手権では2大会連続の5位。
1997-1999年シーズン、1997年の全日本ノービス選手権第1回大会に出場し、Aクラスで9位。次季同クラスで優勝する。続く初出場の全日本ジュニア選手権ではショートで出遅れ、フリーで追い上げるも11位。国際大会初出場となった1999年のトリグラフトロフィーノービスクラスでは優勝を飾った。
1999-2000年シーズンからジュニアクラスに移行し、ISUジュニアグランプリにも初参戦。1999年のジュニアグランプリSBC杯で2位となり、ジュニアグランプリファイナルへ初進出し、5位となる。自身が中学2年生の時に初出場したシニアクラスの第68回全日本選手権では8位、初出場の2000年世界ジュニア選手権では7位となった。
2000-2001年シーズン、2000年のジュニアグランプリメキシコ杯、ジュニアグランプリハルピンでそれぞれ優勝し、全日本ジュニア選手権でも初優勝を果たす。2度目の進出となったジュニアグランプリファイナルでも表彰台に上がり3位となった。
2001-2002年シーズン、ジュニアグランプリファイルに3季連続進出するも、5位にとどまる。2001年の第70回全日本選手権では5位に入り、2002年世界ジュニア選手権では3度目の出場で初めて表彰台に上がり2位となった。
2002-2003年シーズンよりシニアクラスに完全移行し、ISUグランプリシリーズにも初参戦。シーズン初戦の中部ブロック大会で女子シングルでは3人目となったトリプルアクセルを成功させ、公式戦スケートアメリカでも成功。西日本選手権、第71回全日本選手権ではトリプルアクセル-ダブルトウループの高難度コンビネーションを成功させた。2003年冬季アジア大会(青森)では、先輩スケーターの荒川静香、村主章枝に次いで3位に入り、続く初出場の四大陸選手権(北京)でも村主、荒川に次いで連続で3位となり、日本人選手の表彰台独占に貢献した。
2003-2004年シーズン、明けて早稲田大学進学後の2004-2005年シーズンは成績が伸び悩むスランプが続く。この間に佐藤信夫コーチの下で基礎スケーティングの向上に専念する。
2005-2006年シーズン、シーズン初戦の2005年東京ブロック大会で2連覇。グランプリシリーズでは、スケートカナダでマイナス評価の認定ながらトリプルアクセルを跳んで3位。怪我で出場を断念した太田由希奈の代役で出場したNHK杯では、故障に苦しんでいた村主章枝を抑えてグランプリシリーズ初優勝。初進出となったグランプリファイナル(東京)でも表彰台に上がる3位となるなど、スランプから抜け出して頭角を現してきた。トリノオリンピックの代表有力候補となったが、五輪選考対象の最終戦であった第74回全日本選手権で5位にとどまり、五輪出場は叶わなかった。
翌2006年四大陸選手権では同大会最高位の2位。続く世界選手権(カルガリー)では、予選BグループでフリーのISUパーソナルベストを更新し2位スタート。ショートでは6位スタートを切り、最終グループ入りを果たし、最終滑走となったフリーでは冒頭のトリプルアクセルを回避して安全策をとりダブルアクセルに変更、初出場ながら5位と健闘する。
このシーズンに一気に世界的な選手となったことから、日本のマスコミでは「シンデレラガール」と呼ばれるようになった。本人もそれを意識しているらしく、「シンデレラ同様にハッピー・エンドで終わりたい」と発言している。
2006-2007年シーズン、シーズン初戦の2006年東京ブロック大会で3連覇を達成。グランプリシリーズでは、中国杯で2位、NHK杯では浅田真央、村主章枝に次いで3位と健闘したものの、前季3位のグランプリファイナルへの進出は逃した。
同12月28-29日、地元・愛知の名古屋で開催された第75回全日本選手権では、ショート3位と好スタートを切り、フリーでは冒頭のトリプルアクセルに挑み、回転不足で転倒したものの、その後の演技は完璧にこなし、フリーでは2位。結果、浅田真央、安藤美姫に次いで自身同大会最高順位の総合3位となった。この結果を受けて東京で開催される2007年世界選手権への出場を決めた。
翌2007年、日本学生氷上選手権(インカレ)では3連覇を達成し、冬季アジア大会ではフリーで村主を僅差で逆転し優勝した。
同3月に開催された世界選手権の開会式では選手宣誓。24-25日の競技本番ではショートプログラムで課題のコンビネーションジャンプがやや乱れたが、ISUパーソナルベストを僅かに更新して7位。最終グループ入りを逃したフリーでは冒頭にトリプルアクセルを入れるものの回転不足で着氷が乱れ転倒したが、その後のジャンプはほぼノーミスで無難にまとめた。トータルでもISUパーソナルベストを僅かに更新し、前大会に続き2大会連続で最終順位は5位となった。
新シーズンの課題として、3回転-3回転のコンビネーションジャンプを挙げている。現在の女子シングルにおいては、安藤美姫、浅田真央、キム・ヨナ、キミー・マイズナーなどのトップ選手は全て3回転-3回転を取り入れており、成功がメダルの絶対条件と言っても過言ではないからである。 2007東京フィギュアスケート選手権ではトリプルサルコウ−トリプルループというコンビネーションジャンプに挑戦している。
大学生最後のシーズンとなる2007-2008年シーズン、フリーのプログラムには信夫コーチが現役時代に使用していた「スペイン奇想曲」を選曲。シーズン初戦の2007年東京ブロック大会のフリーでは、トリプルアクセルに果敢に挑戦し、およそ2年ぶりにトリプルアクセルと認定されるジャンプを跳び、4連覇を果たした。11月のスケートカナダでは、ショートプログラムではルッツジャンプで転倒し4位と出遅れたが、フリースケーティングでは公認記録となるトリプルアクセルを跳び、フリップジャンプがダブルジャンプになるミスがあったもののほぼノーミスの演技で巻き返しISUパーソナルベストを更新して2位となった。
ノービスの頃からトリプルアクセルに取り組む選手として知られていた。1999年のSBC杯でISUジュニアグランプリ史上初めて5種類のトリプルジャンプとトリプルアクセルに挑戦するも、トリプルアクセルは両足着氷で失敗。その後、2002年の中部ブロック大会で伊藤みどり以来10年ぶりとなったトリプルアクセルを成功させ、前述のスケートアメリカでの成功はISU公認記録となった。新採点移行後は、2005年・2007年のスケートカナダでの成功が公認。その他、2002年の西日本選手権、全日本選手権では、トリプルアクセル−ダブルトウループの難しいコンビネーションを跳んでいる。
トリプルアクセルを構成に含めることにより、新採点において国内の競技会で5種類のトリプルジャンプとトリプルアクセルを成功させた最初の、そして唯一の選手となった(2005年東京ブロック大会)。一方、回転不足の着氷によりダウングレードされたり転倒するケースも多く、きわめてリスクの高い要素となっている。
スピンの評価は高く、特に“ドーナッツスピン”のポジショニングや回転速度、回転軸の安定性には定評があり、2005年以降は演技の一番の見せ場ともなっている。
歴史的には、ノービスの小学生の時からプログラムに入れていたビールマンスピンを、2000年シーズンのショートプログラムにおいて、日本人としてはじめてISU公式試合で披露した選手である。90年代後半には世界で柔軟性を生かした様々なスピンと難しいスピン・コンビネーションが普及し、彼女はビールマンスピンをいち早く導入する。と同時に、そこから軸足を変えてキャッチフットレイバックスピンへ移行する高難度の足換えコンビネーションスピンを完成させた。その影響は大きく、同2000年国内ノービス大会で後輩の浅田真央や安藤美姫もこのスピンに挑戦するなど、中野の到達点は以後の世代に必須の課題となった。
彼女自身はそれ以降、ビールマンスピンを体への負担からしばしば封印し、キャッチフットスピンを得意としていたが、2006年、新採点におけるポイントアップのために再び取り入れるようになった。すでに高い柔軟性を誇る多くのスケーターたちがこの技術を普通にこなす時代になっており、さらに彼女がビールマンスピンを日本に輸入して新時代を画した「元祖」であることを知る人も少なかったゆえに、むしろ披露したこと自体が驚かれ、「私はビールマンできないと思われていたのか」と本人が苦笑したエピソードがある。また、2007年のドリーム・オン・アイスでは、フリーハンドを背に当てる形の独自の片手ビールマンスピンを披露している。
明確な減点対象とまではならないが、ルッツジャンプ、フリップジャンプ、ループジャンプの空中姿勢で足が十字交差する巻き足(leg wrap)になる癖があり、伊藤みどりも同じ癖を持っていたことから、国際的にも珍しいスタイルのジャンパーとして知られている。旧採点の時代には、しばしば国際ジャッジによって「ゆかり跳び」と揶揄され、それが得点を抑える原因となったとも指摘されていた(2001年3月世界ジュニア選手権放送J-sports城田憲子解説による)。
演技中の表情が硬いことを懸念した佐藤信夫コーチは、コンパルソリ(スケーティング技術の基礎になるいくつかのエッジワークを組み合わせた一連の動作)を毎日練習させ、スケーティング技術に対する不安を解消させた。また練習中から笑顔で本番と同じように滑ることを意識させる指導をしている。
2006-2007年シーズン終了時点のISU世界ランキングで第3位に浮上した(現在は第5位)[1]。
カテゴリ: 日本のフィギュアスケート選手 | 愛知県出身のスポーツ選手 | 1985年生

[ 88] 中野友加里 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%87%8E%E5%8F%8B%E5%8A%A0%E9%87%8C



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