一也とは?
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高校時代から駐留軍キャンプ回りのバンドに加わっていました。1953年、高校を中退し翌年、ウエスタン・バンド「ワゴンマスターズ」を結成。コロムビアレコードからレコードデビューを飾ります。小坂さんはリードボーカルを担当。今日のアイドル的な人気を集め、「和製プレスリー」の異名もとりました。オリジナル曲の代表作としては「青春サイクリング」などがあります。 1957年には人気ウエスタン歌手ということから映画にも進出。こうして歌手の余技としての映画出演が数本続くうち、俳優としての資質が見込まれ、1958年松竹と専属契約を結び本格的に俳優としての活動をはじめます。この年の映画「この天の虹」(木下恵介監督)で注目されます。やがて、「恋の片道切符」(篠田正浩監督)や「二階の他人」(山田洋次監督)など、おりから台頭した松竹ヌーヴェルヴァーグの新人監督のデビュー作に相次いで出演。おりしからの木下恵介作品への出演とともに松竹青春映画に欠かせぬ俳優と位置づけられるようになりました。その後、1963年に松竹との契約を解消。その後テレビドラマでも様々な役柄に挑戦。最近に至るまでバイプレイヤーとして重宝されてきました。1997年、食道ガンのため死去。62歳。 主な出演映画としては、「歌う弥次喜多黄金道中」「星空の街」「地獄岬の復讐」「抱かれた花嫁」(以上、1957)、「おんぼろ人生」「その手にのるな」「彼奴は誰だッ」「この天の虹」(以上、1958)、「惜春鳥」「今日もまたかくてありなん」「どんと行こうぜ」「素晴らしき十九才」(以上、1959)、「春の夢」「銀座のお兄ちゃん挑戦す」「若手三羽烏・女難旅行」「日本よいとこ・無鉄砲旅行」「恋の片道切符」「乾いた湖」(以上、1960)、「夕陽に赤い俺の顔」「二階の他人」(以上、1961)、「若いやつ」「花の咲く家」(以上、1963)、「可愛いあの娘」(1965)、「なつかしき笛や太鼓」(1967)、「怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス」(1972)、「新同棲時代 愛のくらし」(1973)、「不連続殺人事件」(1977)、「マルサの女」(1987)、「集団左遷」(1994)、「キャンプで逢いましょう」(1995)などがあります。 1974年、映画「惜春鳥」以後再三共演していた十朱幸代さんと結婚されましたが、翌年離婚。その後は松坂慶子さん(女優)との交際の噂が立つなど話題となりましたが、1977年に別の方と再婚されました。 進藤英太郎、山岡 久乃、林 隆三、尾崎 奈々、大出 俊、磯村みどり、小坂 一也、あおい輝彦、岡崎 友紀 森 光子、船越 英二、松山英太郎、松原智恵子、堺 正章、悠木 千帆(樹木 希林)、西 真澄、紀 比呂子、天地 真理、鈴木 紀子、正司 玲児・敏江、小坂 一也、鈴木 博三(鈴木ヒロミツ)、研 ナオコ 田宮 二郎、山本 陽子、中野 良子、金田龍之介、佐々木すみ江、竹下 景子、山本 亘、井川比佐志、常田富士男、高松しげお、島 敏光、田中 真理、堀内 正美、寄山 弘、中山 麻理、織本 順吉、秋吉久美子、小坂 一也、前田 吟、楠田 薫、紅 景子、尾藤イサオ、桜井センリ、綿引 洪(綿引 勝彦)、久保 幸一、大和 撫子、北見 治一、伊藤 正次、玉置 宏、伊藤 正次、岸田 森 三隅 研次、松本 明、大熊 邦也(助監督・家喜 俊彦、高坂 光幸)(特技・宍戸 大全) 緒形 拳、林 隆三、草笛 光子、岡本 信人、中尾 ミエ、大木 実、堀 勝之祐、島 米八、富田浩太郎、河原崎次郎、小松 方正、大塚 吾郎、芹 明日香(以下ゲスト)小笠原良知、泉 晶子、北村 英三、森崎 由紀、東野 孝彦、長谷川明男、古川ロック、唐沢 民賢、松尾 勝人、山本 亘、榊原 るみ、戸浦 六宏、入江 慎也、大迫 英喜、佐々木松之丞、二宮さよ子、小坂 一也、津川 雅彦(ナレーター・藤田まこと) 栗原 小巻、藤岡 弘、高橋 洋子、宝生あやこ、新 克利、沢本 忠雄、小坂 一也、石浜 朗 竹脇 無我、山本 陽子、田中 健、中田 喜子、萩尾みどり、岡 まゆみ、浜村 純、津島 恵子、小坂 一也、瑳川 哲郎、 賀来千香子、あべ 静江、井原千寿子、小坂 一也、羽田健太郎、杉山とく子、夏木 陽介、宮下 順子、秋野 暢子、垂水 悟郎、寺田 農、神田橋 満、井上 慎一、林 ゆたか、甲 にしき、伊藤 栄子、浅野 真弓、星野 光司 沢田 研二、小川真由美、大竹しのぶ、泉谷しげる、トロイ・ドナヒュー、風吹ジュン、財津 一郎、浅茅 陽子、小坂 一也、垂水 悟郎、待田 京介、浜村 純、工藤堅太郎、桜井センリ、中本 マリ、真梨邑ケイ、山本剛トリオ、ウィンド・ブレイカーズ 名取 裕子、森下 愛子、三原 順子、児島美ゆき、沖 直美、芦川よしみ、松本 留美、福田 公子、藍 公子、大塚 良重、宮下 順子、広岡 瞬、小坂 一也、松山 照夫、内藤 武敏、高森 和子 三ツ矢歌子、高松 英郎、かとうかずこ、三浦 浩一、芦川よしみ、森山周一郎、守田比呂也、川島 一平、千波丈太郎、伏見 哲夫、小坂 一也、竹田 光裕 田村 正和、浅野 温子、所ジョージ、西尾 麻里(西尾 まり)、大塚ちか子、鈴木美恵子、松本 留美、小坂 一也、目黒 祐樹、藤岡 重慶、松澤 一之、室井 滋、斎藤 慶子、(以下ゲスト)小林 薫(ナレーション・芥川 隆行) 尾美としのり、小倉 久寛、中村 久美、小牧 彩里、高沢 順子、小坂 一也、加藤 武、佐々木すみ江、戸川 純、安藤 一夫、ガッツ石松、栗田 陽子、世良 譲、松澤 一之 奥田 瑛二、渡辺 裕之、賀来千香子、麻生 祐未、島田 紳助、山口 美江、久保 京子、小坂 一也 榎木 孝明、原 日出子、岡本 信人、久保菜穂子、大橋 吾郎、岡本 信人、野口ふみえ、小坂 一也、浅利香津代、内田 朝雄、井上 昭文、立花 理佐、高沢 順子、石橋 保、不破 万作、井上 昭文、三田村賢二、荒川 亮(ナレーション・稲垣美穂子) 永島 敏行、高橋 恵子、高橋 良明、橘 ゆかり、平 幹二朗、淡路 恵子、ケーシー高峰、小坂 一也、草薙 良一、松原 一馬、小林 伸廣、渡辺 祐子、二階堂千寿、木之原賀子、小川 晃廣 風間 杜夫、高木 美保、植木 等、大和田 獏、津島 恵子、はかま満緒、小坂 一也、夏 夕介、野村 信次、明石 良、内田 朝雄、白島 靖代、平泉 成 酒井 法子、田村 亮、二宮さよ子、山村 紅葉、小坂 一也、蜷川 有紀、出光 元、小林 勝彦、松井紀美江、横内 正、神津 友子 そのまんま東、黒木 瞳、小堺 一機、小坂 一也、寺田 農、水島かおり、三宅 恵介、明石家さんま 古手川祐子、植草 克秀、三浦 洋一、薬丸 裕英、菅井 きん、高橋ひとみ、小高 恵美、北岡 夢子、山口 弘美、仁藤 優子、ダンプ松本、北村総一朗、土師 孝也、PASSION ROSE、小倉 淳、ラッシャー木村、北見 敏之、アパッチけん(中本 賢)、若林 志穂(若林 しほ)、沢向 要士、小坂 一也、G-GRIP、鶴田 真由、三野輪有紀、石川しのぶ、彩 花、吉田裕美子、田村貴予美、永田 耕一、野村 信次、おやま克信 近藤 真彦、多岐川裕美、三田 寛子、高杢 禎彦、国広 富之、五十嵐いづみ、小鹿 番、小坂 一也、水森コウ太、泉 ピン子、久保 晶、山中 康司 光野 道夫、石坂理江子、林 徹(演出補・林 徹、中江 功)(演出助手・中江 功、緒方 幸夫) 浅野 温子、武田 鉄矢、江口 洋介、長谷川初範、石田ゆり子、田中 律子、竹内 力、浅田美代子、前田真之輔、岩田 美香、斉木しげる、佐藤 幸雄、山崎 満、山木 正義、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、伊藤 美紀、木村 理恵、佐戸井けん太、前田真之輔、岩田 美香、田中友香里、山木 正義、船田 幸、伊藤 正博、田村 元治、小坂 一也、野村 ちこ、小西 邦夫、南雲由記子、篠田 高信、麻美ユリエ、白井 勝雄 浅野ゆう子、柳葉 敏郎、佐藤 浩市、横山めぐみ、広田玲央名、向井 亜紀、小木 茂光、斉藤 慶子、小坂 一也、古柴 香織、高津 住男、和泉今日子、賀川黒之助、真野 圭一、山口 晃史、五十嵐五十鈴、椎名 茂、藤堂 新二、長谷川哲夫、藤原 稔三、佐藤 幸雄 牧瀬 里穂、稲垣 吾郎、筒井 道隆、深津 絵里、竜 雷太、洞口 依子、田中 律子、深水 三章、小坂 一也、河内 桃子、坂井 真紀、河原崎建三、吉野由樹子、早川 亮、島田 果枝、真野 圭一、加藤 善博 真田 広之、桜井 幸子、峰岸 徹、渡辺 典子、赤井 英和、京本 政樹、持田 真樹、佐藤 浩一、山下容莉枝、中島 元、時田 成美、若林 志穂(若林 しほ)、広田玲央名、関根 雪絵、小坂 一也 ビートたけし、大谷 直子、反田 孝幸、森本 レオ、小日向文世、斉藤 洋介、渡辺いっけい、小坂 一也、芦川 誠、斎藤 晴彦、鶴田 忍、小宮 健吾、加賀谷純一、島田 洋七、三川 雄三、椎名 茂、北川陽一郎、森山 米次、山口 夏穂、夏川加奈子、大川 明子、柾木 良子、寺田 千夏、秋山見学者、吉田 祐健、森田 晶、高橋 寛、永井 洋一、青木 秋美、森 廉、船木 雅樹、村岡 直美、川崎 良介 西田 敏行、早見 優、国広 富之、渡辺 裕之、小坂 一也、長谷川哲夫、森次 晃嗣、斎藤 晴彦、篠塚 勝、佐々木勝彦、藤代美奈子、倉石 功 酒井 法子、中尾 ミエ、林 隆三、布川 敏和、小坂 一也、梨本謙次郎、浜村 純、真矢 武 南原 清隆、内村 光良、鈴木 京香、常盤 貴子、笹峰 愛、小島 一慶、神戸 浩、小坂 一也、長谷川初範、室井 滋 中井 貴一、富田 靖子、津川 雅彦、柳沢 慎吾、平田 満、川谷 拓三、渡辺えり子、斉藤 晴彦、中野 英雄、櫻井 淳子、白川 由美、小坂 一也、柳葉 敏郎、橋爪 功、日野 陽仁、布施 博、村上 冬樹、西岡 徳馬、掛田 誠、赤座美代子、手塚 理美 浅野 温子、中井 貴一、風間 杜夫、室井 滋、奥山 佳恵、小木 茂光、鈴木 清順、草笛 光子、草刈 正雄、吉田 亮、柴田 理恵、吉田 亮、塚本 信夫、長内美那子、須藤真里子、大林 丈史、西村 雅彦、小坂 一也 所ジョージ、田中美佐子、渡瀬 恒彦、柳葉 敏郎、津川 雅彦、長沼 達矢、三木のり平、段田 安則、室田日出男、瀬戸 朝香、小坂 一也、矢崎 滋、石倉 三郎、杉本 哲太、すま けい、春田 純一 江口 洋介、鈴木 杏樹、武田 真治、豊原 功補、麿 赤児、京野ことみ、榊原 るみ、三ツ木清隆、相島 一之、渡辺 慶、黒田 福美、五十嵐いづみ、冨家 規政、相沢 友子、南 美江、長谷川初範、柴田 理絵、牛尾田恭代、小林 由利、西側有利子、渡辺 妙子、長井 槙子、玉川 祐美、小坂 一也、井出 薫(ゲスト)、網浜 直子、有福 正志、野村 佑香(ゲスト) 長野 博、松村 邦洋、小沢 真珠、細川ふみえ、村田 雄浩、羽賀 研二、小林 克也、石井 苗子、片桐はいり、上原 恵子、犬山 犬子、秋山菜津子、小坂 一也、佐藤 B作、大泉 滉、奥村 公延、桂 枝雀、河原 さぶ、ペコちゃん、河原 さぶ、あがりた亜紀 中山 美穂、唐沢 寿明、飯島 直子、宅麻 伸、草なぎ 剛、森本 レオ、山口紗弥加、渡辺 文雄、原田美枝子、中原ひとみ、小坂 一也、高田万由子、山田 明郷、柏谷 享助、橋爪 淳、北村総一朗、田山 涼成、若松 武、阿部 雅、たうみあきこ、志賀眞津子、木村 翠、増子倭文江、森川 数間、新本 芳一、井地 英紀、梅野 泰靖、宮藤官九郎、金内喜久夫、西牟田 恵、鈴木 美恵 中井 貴一、小林 聡美、森本 毅郎、椎名 桔平、小坂 一也、七瀬なつみ、生瀬 勝久、神山 繁、加藤 武、最上 莉奈、高橋 克実、小山 僚太、佐藤 慶、段田 安則 原田 知世、大沢たかお、工藤 静香、別所 哲也、小坂 一也、竜 雷太、羽田恵理香(羽田惠理香)、長谷川理恵、湯江 健幸 ※上記中、最下段の「土曜ワイド劇場/私を信じて!」は1997年6月に途中まで放送されましたが、神戸市の男児殺害事件の犯人逮捕の特別番組に差し替えられたため、後日に放送が延期されたままとなっているものです。 |
[ 143] 小坂一也さん
[引用サイト] http://www.tvdrama-db.com/kazuya_k.htm
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芹沢一也。専攻は近代日本思想史。著書に『犯罪不安社会』(浜井浩一との共著、光文社新書)、『ホラーハウス社会』(講談社α新書)、『狂気と犯罪』(講談社α新書)、『から解放される権力』(新曜社)。現在、『論座』にて犯罪季評「ホラーハウス社会を読む」を連載中。 とぜひ合わせてお読みください。現在、フーコーをめぐってどのような思考が営まれているのかがお分かりになるかと思います。 現在、たとえば公園のベンチには仕切りがつけられている。いうまでもなく野宿者が横たわるのを防ぐためだ。そしてその背後には、異質な存在を生活空間から排除しようというセキュリティの意志がある。公園のベンチの仕切り、こうした極小の仕掛けのうちにも社会の意志が宿っているのだ。今回のセミナーは「建築と社会」との関係について、建築批評家の五十嵐太郎氏をお招きして話を伺う。建築を通してみえてくる、現在の社会の姿とはいかなるものなのだろうか。 気がつくと、建築から社会のことを考えてきた。今にして思えば、始まりは東大駒場寮の強烈な空間体験だったのかもしれない。その後、卒業設計で原子力発電所のプロジェクトを構想し、オウム真理教のサリン事件をきっかけに、新宗教の建築・都市研究を博士論文としてまとめた。外からサティアンを評論するのではなく、できるだけ共同体の内側から建築の誕生する場を想像するためである。もちろん、ミッシェル・フーコーの影響も大きい。『ビルディング・タイプの解剖学』(王国社)では、彼の仕事をほかの施設でトレースし、宗教建築もそのひとつとして考えた。共同体と共同体が接触する場において発生する戦争。『戦争と建築』(晶文社)では、こうしたトピックに焦点をあてた。そこからのスピン・オフとなる『過防備都市』(中央公論新社)では、共同体の内部を引き裂く無数の切断線に興味を抱き、セキュリティがもたらす空間の変容を論じている。耐震偽装の事件を受けてまとめた『見えない震災』(みすず書房)も、同じ問題意識を共有したものだ。『美しい都市・見にくい都市』(中央公論新社)は、国家が「美」を語ることの気持ち悪さを論じながら、自分のなの建築的な欲望に気づかされた著作である。セミナーでは、最新刊の『「結婚式教会」の誕生』(春秋社)まで、建築と社会の関係をめぐって、これまでの思考の軌跡を振りかえろうと思う。 1967年、パリ(フランス)生まれ。建築史・建築批評家。1990年、東京大学工学部建築学科卒業。1992年、東京大学大学院修士課程修了。博士(工学)。現在、東北大学准教授。著書に『終わりの建築/始まりの建築』(INAX出版)、『近代の神々と建築』(廣済堂出版)、? 『戦争と建築』(晶文社)、『現代建築のパースペクティブ』(光文社)、『美しい都市・醜い都市』(中公新書ラクレ)、『現代建築に関する16章』(講談社現代新書)、『新編?新宗教と巨大建築』(筑摩書房)、『「結婚式教会」の誕生』(春秋社)ほか多数。現在の主な仕事=日本建築学会『建築雑誌』編集長、連載「ゼロ年代の建築・都市」「考える建築」「アーキネマ」など。 わたしたちはいま、「政治の季節」の到来を目前にしている。だが来るべき政治的な出来事のなかにあって、わたしたち一人ひとりはいかにアクター=俳優として振る舞うことができるのか。わたしたちをオーディエンス=観客に押し込めようとする数多の力に、いかにして抗いうるのか。今回のセミナーでは「新たなジャーナリズム」を実践している廣瀬純氏をお招きして、南米の政治空間における運動=闘争の経験から〈変革のレッスン〉を学ぶ。 この夏、メキシコ・チアパスに行ってきた。言うまでもなく、その地で展開されているサパティスタ運動の現状をよりよく知るためだ。サパティスタの人々と実際に触れ合うことで何よりもまず驚いたことは、自律性を創造し維持しようとする彼らの意志の強さである。資本制経済システムの外で、同時にまた、代表制政治システムの外で、自律的な生活空間を創り出すこと、そしてまた、そうした空間を維持し続けること。彼らが「mal gobierno」(悪い政府、悪い統治)と呼ぶ州政府や連邦政府による暴力的かつ執拗な様々な介入の企て(いわゆる「低強度戦争」)に抗して、サパティスタの人々は絶えず新たな自律性構築技術を開発しつつ「日常生活の前衛」とでも呼び得るような闘争を力強く展開し続けている。自律的な生活空間を創造し維持しようとする闘争、すなわちクリエイティヴに生きることそのものを通じた闘争、あるいはさらに言えば「生きること=創造すること」そのものとしての闘争は、アルゼンチンやボリビアなど、他のラテンアメリカ諸国にも見られるものだ。日本に暮らすぼくたちは、ラテンアメリカにおけるそうした「生-闘争(bio-lucha)」から何を学ぶことができるのか。いかにしてネオリベラル的逆境を闘争の条件へと反転させることができるのか。ネオリベラル右派が「前衛」の旗を振りかざすなか、そしてまた、左派諸政党が「社会的なもの」の復権を求める「保守」でしかないなか、いかにしてぼくたちは真の「前衛」であり続けることができるのか。今回のセミナーは、そうしたことを参加者のみなさんと一緒に考えてみたい。? 廣瀬純(ひろせ・じゅん)1971年生まれ。龍谷大学経営学部専任講師。専門は映画論。仏・映画批評誌「Vertigo」を主たる媒体として映画論を発表しつつ、ヨーロッパ・ラテンアメリカにおける運動・闘争を日本語環境に紹介する仕事を行っている。著書に『美味しい料理の哲学』(河出書房新社)、『闘争の最小回路』(人文書院)ほか。 また9月2日には関連イベントとして、高桑和巳さんによるセミナーがシノドスで行なわれます。高桑さんが訳されたフーコーの『安全・領土・人口』 をテーマとしたものとなります。フーコーに関心がある方、まったく知識がない方でも大丈夫ですので、ぜひご参加ください!お申し込みはシノドス 現在、フランスの哲学者、ミシェル・フーコーがふたたび重要性を増している。だがそれは、かつてとは異なった相貌をもつフーコーである。「生権力」「統治性」「セキュリティ」、こうしたタームとともに現われるフーコーとは、わたしたちの〈現在〉を語る上で何をもたらしてくれるのか。今回はその核心ともいえる『安全・領土・人口』を翻訳した高桑和巳氏をお招きして、フーコーの現在性についてお話しいただく。 セミナー概要 ミシェル・フーコーがあらためて注目されている。東浩紀氏の『情報環境論集』(近刊)も、萱野稔人氏の『権力の読みかた』も、この哲学者の議論を重要な参照項としている。フーコー自身が刊行に関わり1978年に出されていた『哲学の舞台』(渡邊守章氏との共著)も増補復刊されている。一時期まで、社会学や社会批評の文脈で参照されるフーコーといえば「一望監視施設(パノプティコン)」で有名な規律(ディシプリン)論『監獄の誕生』(1975)だったが、いまは違う。この10年あまりはむしろそれ以降(具体的には1970年代後半)のフーコーが注目されている。代表的なキーワードは規律や矯正ではなく、セキュリティや統治だ。最近の動きはこの近年の傾向を最終的に総括するものだ。私が芹沢一也氏と論集『フーコーの後で』(近刊)を編集したのは、いわばこの運動を明確化し決定づけるためだと言っていい。私はまた、この「フーコーの後」を代表する幻の連続講義『安全・領土・人口』(1978)を翻訳する機会にも恵まれた。そこで今回は、まずこの500ページにおよぶ大著の要諦を翻訳者の目からまとめ、そのうえで、論集での議論をふまえつつ「なぜいま、あらためてフーコーなのか」を明確化してみたい。 高桑和巳(たかくわ・かずみ) 1972年神奈川県生まれ。慶應義塾大学理工学部専任講師。翻訳家。フランスやイタリアのいわゆる「現代思想」関連の著作を紹介。訳書にジョルジョ・アガンベン『人権の彼方に』(以文社、2001年)、同『ホモ・サケル』(以文社、2003年)、同『バートルビー』(月曜社、2005年)、ミシェル・フーコー『安全・領土・人口』(筑摩書房、2007年)、編著に『フーコーの後で』(芹沢一也との共編、慶應義塾大学出版会、2007年[近刊])などがある。 「「ポスト近代社会」において、メリトクラシーは「近代社会」におけるそれよりも、ある種純化された、かつ、より苛烈なかたちをとる」。そしてそうした事態は、いわば〈生〉そのものが労働に動員されていくことを意味している。耐久消費財を大量生産・消費するフォーディズム的な社会にあっては、社会的地位の選抜・配分を決める評価基準は標準化可能な学力や学歴であった。ところが高度消費社会化とともに情報化とサービス化が進むポストフォーディズム社会では、評価基準が個性や創造性、ネットワーク形成能力といった「ハイパー・メリトクラシー」となる。そこでは人間の全人格が不断の評価の眼差しに曝されるが、「単に勉強していればよいだけでなく、意欲や創造性、柔軟な対人関係までもが日々の生活において不断に求められる状況は、「社会」が「個人」を裸にし、そのむき出しの柔らかい存在のすべてを動員し活用しようとする状況にほかならない」。かつてポランニーは次のように述べた。「市場メカニズムに、人間の運命とその自然環境の唯一の支配者となることを許せば、…社会はいずれ破壊されてしまうことになるだろう。…文化的諸制度という保護の覆いが取り去られれば、人間は社会に生身をさらす結果になり、やがては滅びてしまうだろう。」新自由主義化の激流に呑み込まれつつある世界は、ポランニーのこの予言を忠実になぞりつつあるようにみえる。しかも総力戦体制への国民の動員、共産主義国家と革命への対抗、高度経済成長を支える消費者の育成といった、かつて労働者、あるいは国民の生存への配慮を生み出した条件はもはや存在しない。そうしたなかフレキシブルな労働市場において、保護の覆いを剥ぎ取られた個人が剥き出しの〈生〉を極限まで活用される。本田由紀はこうした事態に対抗するために、「専門性」という鎧を身に纏うことを処方箋として提示する。「「専門性」という「鎧」を身につけていれば、…個々人は、あらゆる事柄に対して自分があまねく「意欲的」で「創造的」であることを示す必要はなくなる」。その実効性については異議が唱えられることもあるだろう。だがそれはポスト近代社会の不可逆性を認識した上で、あるいは「使い捨て労働者」が労働者のプロトタイプとなっている現状を行き抜くために、若者たちに何とか武器を与えたいと願う思いが結晶化したものなのだ。亢進するハイパー・メリトクラシシー化から若者たちを守ること、本田由紀の営みと熱情はただこの一点にのみ向けられている。 これまでこのテーマについては、主に精神科医たちが取り組んできた。そこではとくに歴史にまつわる多くの事柄が明らかにされ、現在、後進の研究者たちにとって不可欠の先行研究となっている。本書における論考の大半も、そうした精神科医たちの研究に恩恵を被っている。 しかしながら精神医療をめぐる諸問題はつねに複合的である。精神医療をテーマにするということは、政治や法制度、文化や風俗、民俗や宗教、社会やメディア、そして社会運動と、さまざまな領域にまたがって、あるいは数多の領域が交錯するなかで、錯綜した系譜をもつ諸問題に取り組まねばならないことを意味する。 もちろん、精神科医たちもそうしたことには自覚的だった。彼らも精神医療が関係した諸領域を精力的に考察の対象としてきた。だが問題は、学際的なアプローチが必要となるこのテーマにあって、精神科医たちがそれに相応しい方法的な配慮をもってはいなかったことだ。彼らの研究は素朴な実証主義にとどまっているか、体制批判を目的とした政治主義に染め上げられているか、ほぼいずれかのタイプに収まるだろう。 学問的に停滞しているといっても過言ではない、こうした研究状況を打ち破るために本書は編まれた。テーマが要求する学際性を満たすために、思想史(芹沢一也)、精神医療史(橋本明)、歴史学(兵頭晶子)、福祉社会学(永井順子)、宗教学(寺田展子)、社会学(佐藤雅浩)、医療人類学(北中淳子)、医療ジャーナリズム(月崎時央)といった多様な領域の論者たちを糾合している。 また多くの大学院生、若手研究者を起用したのも本書の特色である。これは本書を編むきっかけとなったことだが、各学問分野で精神医療というテーマに取り組む研究者たちが、ようやく現われはじめたということを反映したものである。 こうして本書は、各分野の新しい研究者たちを結びつけることによって、学際的な知の営みのもとで精神医療を問題化しようとした。諸領域を横断するかたちで存在している〈問題〉の所在を可視的なものとし、それに対する多様なアプローチのあり方を示すためにだ。 日本の精神医療については、検討に付すべき多くの事柄がいまだ手つかずのままである。それゆえ本書が後進の研究者たちによる、さらなる研究の発展に寄与することを願う。 苛酷な労働環境のなかにあって、若者たちはなぜワーカホリックになっていくのか。今回のセミナーは社会学者の阿部真大氏をお招きする。阿部氏は好きなことを仕事にする「元気な男の子たち」のバイク便ライダーと、「優しい女の子たち」のケアワーカーの職場に参与観察することで、彼ら、彼女たちがワーカホリックになるさまざまな仕掛けを明らかにした。それではそうした仕掛けから逃れる術はどこにあるのか?現在、社会学が与えることのできる処方箋を示したい。 セミナー概要 専門性を確立することで無制限な労働に歯止めをかける。明確なジョブディスクリプションを作成し、細かな職階を決める。これを「キャリアラダー(キャリア階段)」と呼ぶとすると、現在、不安定就業者たちの世界で求められているのは、ワーカホリックを防ぐための早急なキャリアラダーの構築である。注意しなくてはならないのは、キャリアラダーの議論は、しばしば、ネオリベラリズム的な言説(「自発的な社会参加」への動員)と共振してしまうのではないかとの疑義が差し挟まれることもあるが、実際のところ、この発想はそういったものとは無縁であるということだ。キャリアラダーにおける「ラダー」のイメージをあまり大したものと考えてはいけない。時給800円から出発して最後は年収500万円の正社員、などというようなラダーではなく、せいぜい時給800円から時給1500円の間のラダーである。それは、労働者の短期的なモティベーションを喚起するというよりは安定性を確保するという目的をもっている。セミナーでは不安定就業者のワーカホリックを防ぎ、未来の予測可能性を確保するためのキャリアラダーの構築に関する研究を紹介し、ワーカホリックの問題を社会学的なアプローチから解きほぐしていく。 阿部真大 1976年岐阜県岐阜市生まれ。東京大学大学院博士課程を経て現在、学習院大学非常勤講師(社会統計学)。2006年に自らのバイク便ライダー体験をもとに執筆した『搾取される若者たち』(集英社新書)でデビュー。2007年にはケアワーカーの労働実態をまとめた『働きすぎる若者たち』(NHK生活人新書)を刊行。現在調査中の配管工の世界を描いた『管の都市』(仮題)と併せて「労働3部作」を予定している。他に、「合コンの社会学」(北村文との共著)を「本が好き!」(光文社)で連載中。 比較的若い世代による、社会と大人への「異議申し立て」が注目を集めている。ある者は「大人」の「若者」に対するバッシングを糾弾し、別の者は、自らが得ることのできなかった可能性を、「戦争待望論」をちらつかせながら、「既得権」を持つ人びとに対して要求する。「こんな国はもう滅ぼすしかない」と叫ぶ声が、ネタ半分とはいえ喝采を浴びる一方、制度を脱臼させるような社会運動、カーニヴァル的な抗議運動も、じわじわと広がりを見せている。こうした動きを、どのように理解するべきか。重要なのは、これらの異議申し立てが、硬直した社会支配の有り様に対して向けられたものであり、その点で、これまでの日本の文脈における「右翼/左翼」の図式を逸脱した、ある種の「アナーキズム」へと向かう特徴を有しているということだ。 私見に従えば、こうしたアナーキーな志向性は、運動の当事者の意図を超えて、より流動性の高い社会における、よりネオリベラルな制度をさえ要求しかねない。そしてそれは、インターネットの普及に伴ってバージョンアップした、「サイバー・アナーキズム」とでも呼ぶべき、大きな流れの中に位置づけられるものなのではないか、と私は考えている。今回の講演では、こうした流れについて、現代の事象と社会思想を架橋させながら、今何が求められているのか、そしてそれが向かう意図せざる帰結について論じていく。そのことが、近視眼的で「すぐ結果が出そうな」運動への指向と、抽象的な「社会への語り」とのあいだに挟まれた私たちが、これから何をすべきなのかについて、考え、行動するための一助となれば幸いである。 1976年生まれ。国際大学GLOCOM研究員。専門は理論社会学。インターネットの社会学的分析を主なフィールドにしながら、現代における社会思想の意義について論じている。著書に『カーニヴァル化する社会』『〈反転〉するグローバリゼーション』『ウェブ社会の思想』ほか。 いまだに非正規雇用の若者に対して「だらしない」「甘えている」などという「誤解」がまかり通っている。いまや働く人の三人に一人がフリーターを代表とする非正規雇用。24歳以下では二人に一人。これは若者がだらしないからでも甘えているからでもなんでもない。企業はこの「失われた10年」に、非正規雇用のうまみを知ってしまったからだ。金のかかる正社員など雇いたくないからだ。好きな時に使い、いらなくなったら廃棄し、人件費を安く抑え、利潤を追求したいからだ。国際競争に勝つためなら、そこで働く若者の未来が奪われようと食えない賃金であろうと不安定な生き方が原因で心を病もうとホームレスになろうと餓死しようと、そんなことはどうでもいいからだ。日本を代表するような大企業が軒並み「偽装請負」などの違法行為に手を染め、若者の生活をメチャクチャに破壊していることを見てもそれは明らかではないか。 10年以上働いても一円の時給も上がらないフリーターが量産され、その一部は既にホームレス化している。深夜のマクドナルドに行ってみるといい。日雇いの仕事で疲れ果てた若者たちが、テーブルに突っ伏して仮眠をとっている。低賃金で何の社会保障もない彼らはいつだって失業を前提とした生活を余儀なくされ、貯金もないのですぐに住む場所を失ってしまう。親に頼れればいいが、親が死んでいたり、貧乏だったりする若者から、ホームレス化が始まっている。これのどこが自己責任なのか?こういった問題の背景にある経済のグローバル化、ネオリベラリズム、そして不安定な日々を生きる若者の状況について、話したいと思っている。そしてそこから始まっている数々の「反撃」も。 FXはマネーパートナーズ / 転職ならen!NTTコムのアフィリ! / FXならCMS日本支店 サイバーエージェントFX / 妻たち本音トークは続く |
[ 144] 芹沢一也blog
[引用サイト] http://ameblo.jp/kazuyaserizawa
