植草とは?

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1908年、東京・日本橋の小網町。下町の木綿問屋の一人息子として生まれる。早稲田大学建築学科中退(学費未納のため)その後、東宝サラリーマン時代を経て、「ハヤカワポケットミステリー」編集や翻訳、「キネマ旬報」「映画之友」「スクリーン」など映画雑誌などで執筆を行う。「ワンダーランド」後の「宝島」などでは、責任編集を務めた。古本、映画、jazz、ミステリー、ファッション、ポップアート、散歩など…その気取らないスタイルが出来たのは40代に入ってから。銀座、新宿、渋谷、青山、神保町、ニューヨークなど、これが散歩好きで買い物好きのJJコース。好きな食べ物は、ベーコン、やつがしら、カルゾーネで、嫌いなのが光り物、生臭いもの、ピーマンだとか。
好きなタバコはキャメルとラーク。蔵書は4万冊に及び、その量は古書店3件分。また大量のjazzレコードコレクションは、氏の形見分けとして現在タモリが所有しているそう。1979年、心筋梗塞の発作により永眠。
2004年の日本部門ベスト復刻作品を聞かれれば迷わずこのシリーズを挙げます。長年コンプリートを目指し古本屋を回っていたマニアを歓喜(がっかり?)させた、ビニールカバー、月報まで付いた完全復刻。古本、ジャズ、ミステリー、ファッション、そして散歩。全てを好奇心というセンサーで感知し収集した植草甚一。それらはコラージュやイラストと共に膨大なエッセイとして発表されました。それらを編んだ「植草甚一スクラップ・ブック」。オリジナルは晶文社から、1976年(昭和51年)から1980年(昭和55年)までにかけて刊行された全40巻(+別巻1巻)。2004年9月から月に3冊ずつ復刊中。第一期(21冊)ご予約の方には“植草さんの複製年賀状”セットをプレゼント。各巻1470円ご予約は晶文社まで
晶文社より1976年に発行された全41巻の『植草甚一スクラップ・ブック』シリーズに、おまけのように付いていた文庫サイズのザラ紙16頁の針金による中綴じ冊子。この冊子が、後にJ.J好きで、古本好きがこだわり続けるようになった月報で、これが付いているか否かでその本の価値も左右するようになりました。
というのも、本書の面白さはもちろんの事、月報自体が本人による味わい深い描き文字とコラージュで綴られていた日記だったから。そしてこの度、月報の1〜20号「植草甚一日記 1976年」(1月1日〜7月31日にわたる190頁)を集めたのがこの本で、散歩好きのJ.J氏が、古本屋やジャズ喫茶など東京を歩き尽くした楽しい日々が、当時のそのままに掲載されています。頁をめくるとはじめは端正な描き文字が中心で、途中からテーマにあったコラージュが増えてきたりという変化など、当人が楽しんで作られていた形跡がリアルに伝わってきます。また、コラージュとJAZZについて語った1979年のインタビューや、高平哲郎のエッセイ、「J.J氏を知る52の鍵」など大充実の内容。ただ、ユトレヒト的には表紙がちょっと残念…。
晶文社より1976年に発行された全41巻の『植草甚一スクラップ・ブック』シリーズに、おまけのように付いていた文庫サイズのザラ紙16頁の針金による中綴じ冊子。この冊子が、後にJ.J好きで、古本好きがこだわり続けるようになった月報で、これが付いているか否かでその本の価値も左右するようになりました。
というのも、本書の面白さはもちろんの事、月報自体が本人による味わい深い描き文字とコラージュで綴られていた日記だったから。
東京編の「植草甚一コラージュ日記1」に続く第2弾は、JJが愛する街、ニューヨーク編。月報の21〜32号「植草甚一日記 1976年」(4月1日〜6月4日)を集めたのがこの本で、この街は何時間歩いても苦にならないというJ.J氏がニューヨークで体験した、次から次へと現れる強烈な驚きを読感できます。日本とはスケールの違う20万冊を所蔵する古本屋などあちこちを回ったり、アイスクリームを食べながらアンティークやアクセサリーの店を冷やかしたり。コーヒーショップでは様々な街人との出会い、梅子夫人と鑑賞した映画の話しなど、ニューヨークでの楽しい日々が、よりアヴァンギャルドなコラージュと共に掲載されています。「ぼくのニューヨーク」「ステキな買い物」「カフェと食事と」などのジャンル別のJJファンにとっては役立つ索引や、片岡義男、室失憲治のエッセイ、1975年ニューヨークを案内した写真家・青野義一による貴重なインタビュー、「J.J氏を知る52の鍵」など大充実の内容です。東京編と合わせてどうぞ。

[ 43] Utrecht[ユトレヒト] | 人物リスト
[引用サイト]  http://www.utrecht.jp/person/?p=256

植草 貞夫(うえくさ さだお、1932年9月29日 - )は、フリーアナウンサー、スポーツコメンテーター、植草貞夫事務所・アノンシスト企画代表。元朝日放送アナウンサー。東京都出身。
1955年に早稲田大学卒業後朝日放送入社。同期に山内久司と澤田隆治と槇洋介らがいる。朝日放送時代、全国高等学校野球選手権大会の実況中継で数々の名言を残している。特に決勝戦は1972年(ミュンヘンオリンピックの民放共同制作体(現・ジャパンコンソーシアム)の実況で出張したため出演できず)を除けば、1988年まで何と16年連続で決勝実況を担当すると言う大阪・ABC朝日放送 高校野球中継史上に残る不滅の大記録を誕生させた。
朝日放送を1992年に定年退職後も、朝日放送専属キャスターとして1998年まで高校野球の実況を担当していた。
現在、サンテレビ「植草貞夫のゴルフ交遊録」で阪神タイガースの選手(OBを含む)らとゴルフのラウンドをしながら、アナウンサーの経験から生かしたさまざまなインタビューを行っている。また、2007年10月1日から、ラジオ関西でABC以外初となる自身の番組「植草貞夫の青い空・白い雲」が18時から19時に放送される。
なお、長男である植草結樹は長崎放送→テレビ大阪、三男である植草朋樹はRKB毎日放送→テレビ東京のアナウンサーとしてそれぞれ活躍中。二男である植草裕樹は植草貞夫事務所・アノンシスト企画の取締役および、株式会社UFP(「植草貞夫のオンラインショップ」を、楽天市場・ビッダーズ・Yahooで出店)の代表である。なお、同姓同名の川崎フロンターレの植草裕樹選手は別人。
「甲子園の夏は終わりました。もう戦いはありません!!」:第60回記念大会 決勝戦・高知商(高知)VS PL学園(大阪)
「これで腕が痛いのか?〜怪物ドカベンホームイン!」第61回大会 準々決勝浪商(大阪)vs比叡山(滋賀)その前に自打球を当てるも痛みを全く感じさせない特大ホームランを打ったドカベン香川に対してあえて“怪物”と称した。
「第64回を迎えました夏の甲子園。幾多の名投手・大投手が、この完全試合という記録に挑んできましたが、誰一人その記録を達成した選手はいません」:第64回大会 1回戦・佐賀商(佐賀)VS木造(青森)※完全試合達成間近の佐賀商業・新谷博に対して。
「さぁ〜〜〜〜〜〜移ったセンターの藤井(当時の宇部商業センター藤井進)のところへ飛んだ! 藤井が見上げるだけだ! ホームランか、ホームランだ。恐ろしい。両手を挙げた! 甲子園は清原(和博)のためにあるのか!!」:第67回大会 決勝戦・宇部商(山口)VS PL学園(大阪)そのときの映像
「ノーヒットノーラン目前、しばらくはマウンド上の杉内(俊哉。現福岡ソフトバンクホークス)に注目したいと思います。お許し願いたいと思います。」:第80回記念大会 1回戦・鹿児島実業(鹿児島)VS八戸工大一高(青森)
といった様々な名言を残し、高校野球ファンの絶大なる支持を集めた、言わば杉本清の高校野球の実況アナ版である。彼が44年間のなかで実況できなかった大物選手といえば江川卓と松坂大輔ぐらいである。
また、名言ではないが松井秀喜が5打席連続敬遠された星稜VS明徳義塾戦も彼がテレビ実況を担当し、ともすれば松井ばかりに注目が集まる中、解説としてコンビを組んだ松岡英孝(前北陽高校監督、当時)と共に、ベンチの指示でこのような戦術を取ったであろう、明徳義塾バッテリーの気持ちを慮った「勝負はしません」という実況を行なった。
第80回大会3回戦(14日目)・智辯学園和歌山高等学校vs豊田大谷高等学校戦の試合を以て実況を引退し、その時「残念ながら今日は見ることは出来ませんでしたが"青い空・白い雲"を私の心の中にしまって44年間の実況を終了したいと思います。ありがとうございました」というコメントを残した。自ら、この試合(というよりもその大会で最後に実況を担当する試合)を「野球アナウンサーとしての決勝戦」と位置づけていたという。
朝日放送がプロ野球では阪神タイガースの試合を多く放送したことから、阪神タイガース戦に欠かせないアナウンサーの一人としても有名であった。1973年10月22日に甲子園球場で行われた、「勝った方が優勝」という阪神タイガース対読売ジャイアンツ戦のシーズン最終戦でラジオの実況を担当したが、阪神の惨敗ぶりに7回あたりから放送席にまで暴徒と化した観衆がものを投げ込んだりするようになり(植草によるとほうきまで飛んできたとのこと)、周囲の心あるファンが毛布などでバリケードを作ってくれたおかげでかろうじて放送できたエピソードがある。その後、長らく阪神が優勝から遠ざかった時代には「架空優勝実況」をいくつか吹き込んでいる。こうした「架空実況」は当時評論家で、キー局・テレビ朝日の解説者だった野村克也から批判されたりもして、本人も「本当の優勝実況が一番です」と語っていた。1985年4月17日の甲子園球場での巨人戦での伝説の「バックスクリーン三連発」(ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布)の実況を担当していた。ちなみに、解説は藤田平。
そして、1985年10月16日、21年ぶりの優勝を決めたヤクルトスワローズ対阪神タイガース戦の実況(ラジオ)を担当し、ついに優勝実況の願いが叶った。優勝の瞬間の言葉をいろいろ考えていたが、結局出てきたのは「1985年度ペナントレース、阪神タイガースが制しました」という、アナウンサーらしい冷静な言葉であった。なお日本一を決めた同11月2日の西武ライオンズ戦(西武ライオンズ球場)は放映権の都合上実況できなかった。
カテゴリ: フリーアナウンサー | 朝日放送のアナウンサー | スポーツアナウンサー | 全国高等学校野球選手権大会 | 阪神タイガース | 東京都出身のアナウンサー | 1932年生

[ 44] 植草貞夫 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E8%8D%89%E8%B2%9E%E5%A4%AB



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