樋口とは?

このページの項目名には、環境により表示が異なる文字があります。公式の表記では「樋」の「?」(しんにょう)の点が2つです。
樋口家は甲斐国山梨郡中萩原村(旧山梨県塩山市、現在の甲州市)の百姓。祖父や父の則義も俳諧などの文芸や経書に親しんでいる。結婚を許されなかったため駆け落ちし江戸に出たという。則義は公用人を経て安政4年(1867)年に同心株を買い幕府直参となり、明治維新後には下級役人となる。
「一葉」は雅号で、戸籍名は奈津。なつ、夏子とも呼ばれる。「樋口一葉」として知られるが、歌人としては夏子、小説家としては無姓志向の一葉、新聞小説の戯号は浅香のぬま子、春日野しか子として筆名を使い分けている。発表作品においては「樋口夏子」に類する本名系と「一葉」の雅号系に分類される。「樋口一葉」と混合した署名を用いている例はわずか1つであり、「たけくらべ」未定稿などにおいて「一葉」と記された署名に別人の手により姓が書き加えられているケースがある。明治前半期の女性作家においては家への抵抗や姓の変遷などから同様に姓の忌避や創作世界においては雅号を用いるといった署名傾向があり、一葉にも女戸主としての意識が強くあったとも考えられている。一葉という筆名は、当時困窮していた事(お足が無い)と一枚の葦の葉の舟に乗って中国へ渡り後に手足を失った達磨の逸話に引っ掛けたものである[1]。
中島歌子に歌、古典を学び、半井桃水(なからいとうすい)に小説を学ぶ。生活に苦しみながら、「たけくらべ」「十三夜」「にごりえ」といった秀作を発表、文壇から絶賛される。わずか1年半でこれらの作品を送ったが、25歳(数え年、以下同様)で死去。『一葉日記』も高い評価を受けている。
1872年5月2日(明治5年3月25日)、東京府第二大区一小区内幸町の東京府庁構内(現在の東京都千代田区)の長屋で、樋口為之助(則義)、古屋家の娘多喜(あやめ)の第五子、二女として生まれる。姉ふじ、兄に泉太郎、虎之助がおり、後に妹くにが生れた。
少女時代までは恵まれた家庭で、子供時代から読書を好み草双紙の類いを読み、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』を7歳の時に読破したと伝えられる。1877年、本郷小学校に入るが、幼少のために続かず、吉川富吉が始めた私立吉川学校に入学した。1881年、次兄虎之助が素行が修まらないために分籍。下谷区御徒町へ移ったため、十一月に上野元黒門町の私立青海学校に転校。高等科第四級を首席で卒業するも、上級に進まずに退学した。これは母・多喜が、女性に学業は不要だと考えていたからだという。
一方、父・則義は娘の文才を見抜き、知人の和田重雄のもとで和歌を習わせた。1886年(明治19)、父の旧幕時代の知人である遠田澄庵の紹介で、中島歌子の歌塾「萩の舎」に入門。ここでは歌のほか、古典を学ぶ。一葉の家庭は転居が多く、短い生涯に12回の引っ越しをした。16歳で、将来を期待された兄泉太郎を亡くし、父は事業に失敗して病死したため、1890年(明治23)に17歳にして戸主として一家を担わなければならなくなる。その後、本郷菊坂(東京都文京区)に移り母と妹と三人での針仕事や洗い張りをするなど苦しい生活を強いられる。ただし一葉自身は労働に対する蔑視が強く、針仕事や洗い張りはもっぱら母や妹がこなしていたとも言われる。
同門の姉弟子である田辺花圃が小説『薮の鶯』で多額の原稿料を得たのを知り、小説を書こうと決意する。20歳で「かれ尾花一もと」を執筆。同年に執筆した随想で「一葉」の筆名を初めて使用した。さらに小説家として生計を立てるため、東京朝日新聞小説記者の半井桃水(なからいとうすい)に師事し、図書館に通い詰めながら処女小説「闇桜」を桃水主宰の雑誌「武蔵野」の創刊号に発表した。その後も、桃水は困窮した生活を送る一葉の面倒を見続ける。次第に、一葉は桃水に恋慕の感情を持つようになる。しかし二人の仲の醜聞が広まったため、桃水とけじめをつけるかのように全く異なる幸田露伴風の理想主義的な小説『うもれ木』を刊行。皮肉にもそれが一葉の出世作となる。
ヨーロッパ文学に精通した島崎藤村や平田禿木などと知り合い自然主義文学に触れあった一葉は、「雪の日」など複数作品を「文學界」で発表。このころ、検事になったかつての許婚者阪本三郎(「坂本」とも)が求婚してくるが拒否。生活苦打開のため、吉原遊郭近くの下谷龍泉寺町(現在の台東区竜泉一丁目)で荒物と駄菓子を売る雑貨店を開いたが半年後には閉店。この時の経験が後に世間によく知られるようになる小説「たけくらべ」の題材となっている。本郷区丸山福山町(現在の西片一丁目)に転居して執筆を継続した。1894年12月に「大つごもり」を「文學界」に、翌年には「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」などを発表し、鴎外、露伴らから絶賛を受ける。森鴎外は「めさまし草」で一葉を高く評価している。また、「文学界」の同人も多く訪れるようになった。
だが1896年4月頃から体に異常が起こり、8月に診断を受けたが絶望と診断された。結局11月23日に肺結核のため25歳で死去。14か月という短い作家生活であった。
家が没落していくなかで、自らが士族の出であるという誇りを終生持ち続けたが、商売が失敗したのもそれゆえであるとみるむきもある。生活は非常に苦しかったために、筆を折ることも決意したが、雑貨店を開いた吉原近郊での生活はその作風に影響を与えた。井原西鶴風の雅俗折衷の文体で、明治期の女性の立ち振る舞いや、それによる悲哀を描写している。『たけくらべ』では吉原近くの大音寺前を舞台にして、思春期頃の少年少女の様子を情緒ある文章で描いた。ほかに日記も文学的価値が高い。
一葉の肖像は2004年11月1日から新渡戸稲造に代わり日本銀行券の五千円券に新デザインとして採用された。女性としては神功皇后(大日本帝国政府紙幣;壱円券は1881年発行開始;肖像は全くの創作)以来の採用である。なお、2000年に発行開始された弐千円券の裏面に紫式部の肖像画があるが、この肖像画は肖像の扱いではなく、弐千円券には肖像がないことになっている。よって写真をもとにした女性の肖像が日本の紙幣に採用されたのは一葉が最初である。偽造防止に利用される髭や顔の皺がすくないため版を起こすのに手間取り、製造開始は野口英世の千円券、福澤諭吉の一万円券より遅れた。
肖像を女性にしたいがための安易な採用との非難があるが、聖徳太子の紙幣使用の終わり(1983年)ごろ、新紙幣の図柄を決める関係者の女性を採用してはという意見の中で、清少納言、紫式部、樋口一葉、与謝野晶子(出生順)の4人が候補に上がったが、当時はいずれも採用にはいたらなかったという逸話がある。
紙幣の肖像画になるのがふさわしいか否かの議論は別として、一葉が優れた近代女流作家であり、与謝野晶子などの後に続く近代の女性文学者の先駆けであったことは間違いない。比較的高額の紙幣に採用されたにしては皮肉なことに、一葉の短い生涯は、金策に常に不便するという生涯だった。ただし一葉が資金的に窮乏した原因には、労働者に対する蔑視や、父親が薦めた許婚者を父親の死後に一葉側が一方的に破棄したこと(ちなみ許婚者は後に秋田・山梨県知事となる)、士族や華族を崇拝する身分差別的思想などの一葉自身の内面的事情が少なくないため、一葉を才能に恵まれながら資金的に不遇な生涯を送った聖人のように考えるのは一方的な見方であるとの意見もある。ただ、いずれにしても高額な紙幣への採用は皮肉であったことに違いはない。
新札発行記念ドラマ『樋口一葉物語』(2004年TBSテレビ 脚本 : 渡辺千穂 主演 : 内山理名、永井大)
『偽伝、樋口一葉』(2006年アロッタファジャイナ 監修 : 金子修介 作・演出 : 松枝佳紀 主演 : 満島ひかり、俊藤光利)
カテゴリ: 日本の小説家 | 歌人 | 明治時代の人物 | 東京都出身の人物 | 1872年生 | 1896年没

[ 74] 樋口一葉 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E4%B8%80%E8%91%89

樋口真嗣(ひぐち しんじ、1965年9月22日 - )は、日本の特技監督で、映画監督。茨城県古河市出身(生まれは東京都)。茨城県立古河第三高等学校卒業。
1984年、『八岐之大蛇の逆襲』などで親交のあった庵野秀明らが設立したガイナックスに参加し、『王立宇宙軍〜オネアミスの翼』で助監督をつとめる。
2007年、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の、主にクライマックスのヤシマ作戦部分を中心に絵コンテを担当。
画作りが高く評価されており、非常に多くの映画に画コンテを提供している。コンテの通りになかなか映像が出来あがらない事が特技監督に手を染めた一因だという。初期には特に『ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説』や『帝都物語』といった特撮作品に画コンテを提供しており、それらの作品の特技監督大木淳吉が特技監督としての師匠である。
庵野秀明との親交が深く、『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公・碇シンジの名前の由来であることも有名である。
異常な酒量と食欲の持ち主で、20歳代には50キロ台だった体重はその後見る見る増加の一途を辿り、今ではその面影を見ることは出来ない。2005年の監督作『ローレライ』撮影時には一切の炭水化物を断って20キロの減量に成功するが、翌年には元通りになってしまった。
『クレヨンしんちゃん』の監督・原恵一を「強いトルクを持つ男」「恐ろしい男」と称し、敬い畏れている。また樋口がアニメ作品に深い関わり(TVシリーズの監督など)を持たないのは、原恵一がいるためだと公言している。
小説家の福井晴敏とも深い交流がある。福井の著作『亡国のイージス』を読んだ樋口が感動し、福井に「第二次世界大戦」「潜水艦」「女」の3つのテーマを基にした作劇を依頼、その草案を基にした映画『ローレライ』を監督した。福井曰く、「雷と共にやってきた男」。なお、二人の好きな映画三本は完全に一致している(福井の項を参照)。
押井守、細田守との親交も深いが、スタッフとして参画した『G.R.M. THE RECORD OF GARM WAR(ガルム戦記)』は凍結に追い込まれている。
島編で監督を庵野秀明から譲り受けた(庵野は「総監督」となる)ことから、当時「樋口は作品の内容に怒ったNHKが送り込んだ老人演出家」というデマがファンの間で語られた。一説にはこのデマはガイナックスが意図的に流したともいわれる。当時、角川書店から発行されたイラスト集では「老人演出家」のインタビュー記事が掲載されている。
劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション 七夜の願い星 ジラーチ(2003年) - 絵コンテ
カテゴリ: アニメ関係者 | 日本の映画監督 | 1965年生 | 東京都出身の人物 | ガイナックス | 特撮スタッフ

[ 75] 樋口真嗣 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E7%9C%9F%E5%97%A3



お気に入り



  • track feed
    • seo