洋二とは?

安生 洋二(あんじょう ようじ、1967年3月28日 - )は、日本のプロレスラー・プロ格闘家。東京都杉並区出身。
少年時代をニュージーランドで過ごす。埼玉県立和光高等学校卒業後、第1次UWFに入門し、1985年7月8日、広島県立体育館での星名治戦でデビュー。
第1次UWFが興行活動を停止後、UWF軍として新日本プロレスに属したが、のちに第2次UWFの設立に参加。
第2次UWF解散後はUWFインターナショナルに加わり、選手として戦う傍ら、団体経営にも携わるようになる。特に、堪能な英会話力を生かして、外人レスラーとの折衝にあたった。また、道場での強さを評して「ラッパ先生」と呼ばれた。スパーリング中に相手の鼻・口の上に乗ることにより息をさせなくする安生の得意技があり、練習生が必死に息をしようとするとその音がラッパを吹いているように聞こえることに由来する。
UWFインターに所属していた1994年12月7日、グレイシー道場へ道場破りに行き、ヒクソン・グレイシーに返り討ちに遭い、チョークスリーパーで失神させられた。この事件は、後にヒクソンvs高田延彦が行われ、PRIDEが立ち上がるきっかけとなった。
1995年には、新日本プロレスとの対抗戦にて、長州力と対戦し敗れる。その後は高山善廣、山本健一(現・山本喧一)と「ゴールデン・カップス」として活動する。
1996年7月20日、声優の富沢美智恵とゴールデン・カップスの共同名義で、CDアルバム『OHTACO』をリリース。
UWFインター解散後キングダムを設立するもののまもなく活動停止に追い込まれる。その後は全日本プロレスなどに参戦する傍ら、総合格闘技やK-1JAPANにも出場。K-1では佐竹雅昭とも対戦。
2004年からはプロレスイベント「ハッスル」で、高田モンスター軍のアン・ジョー司令長官として参戦している。この年は道場破りから10年となる節目の年でもあり、同年12月31日の『PRIDE 男祭り 2004』ではグレイシー一族のハイアン・グレイシーと対戦。一区切りをつけた。
前田日明と、1994年、リングスとUWFインターナショナルとの対抗戦の交渉時に「前田さんなんか高田(延彦)を出すまでもない。僕でも200%勝てますよ」と発言。安生の代名詞であるミスター200%はこの発言からきている。また交渉決裂後も罵りあう(この際、「自宅を襲撃する」などの脅迫めいた発言を前田がしたとされる)。1996年6月、FIGHTING TV サムライ開局のパーティーでは前田が安生を裏拳で小突いた(レスラーやマスコミ等が周囲にいる中での出来事である、猪木が仲裁していた)。1999年11月14日は、UFC-J会場において、安生が前田に「前にやられた時のお返し」として突如として背後から襲撃した(安生は略式裁判で罰金刑)。罵り合いから双方の事件まではお互いに期間が空いているが、安生によると期間が空いたのは「それまで会う機会がなかったため。会ったらやり返すつもり(自分が殴られた時は『パーティー』という場であることを考え、応戦を思いとどまったそうである)だった」とのこと。ちなみに前田はかつては「俺を倒したい奴は後ろからでも闇討ちでもやってこい。叩きのめしてやる」と豪語していたが、この事件後は言っていない(安生は「反撃してこないのに驚いた」とコメント)。当時、前田と確執があった選手が多数いた他、業界では安生に対し同情的なコメントが多かった。二人の確執はともかく、他の興行の会場内で、背後から殴り気絶させるというのは、ショーの範囲を超え暴行罪、傷害罪である。賞賛される行動ではないであろう。
グレイシー道場破りの失敗は安生本人にとって格闘家人生のトラウマとなり、後に「面と向かって高田さんの前に立てなくなった。自殺も考えた」と語っている。前述した「ゴールデン・カップス」の結成も道場破りでの敗北が遠因であるとし、「『笑い』に走らなければやっていられなかった」と振り返っている。また、道場破りの件が影響して格闘家としての能力があまり評価されていないきらいがあるが、U-COSMOSでムエタイ戦士チャンプア・ゲッソンリットと渡り合ったように、キックの技術は高いものがあった。かつて船木誠勝ははっきり名前こそ出さなかったものの「立ち技専門の選手に立ち技で対抗できる人」と評したことがある。その他、桜庭和志、金原弘光、鈴木みのるなどの元同僚や後輩のみならず、エンセン井上も「柔術の黒帯に勝てる」、平直行は「同じ階級のレスリングのメダリストからも関節を取れると思う」と絶賛している。
スパーリングに関し、新日−UWF系のスパーリングは先輩がいったん関節技を極めたあと、そのままの体勢で別の技を次々かけていく「根性だめし」「しごき」に近いものだったものを、いったん技を極めたら元の体勢に戻ってやり直す方法に変えた。桜庭や金原はこの点でも安生に感謝している。
高評価とは裏腹にシュートボクシングで行われたマンソン・ギブソン戦では圧倒的にルールや体重差で有利にもかかわらずドロー、UFC-Jでのムリーロ・ブスタマンチ、マット・リンドランド戦ではそれぞれいいところなく惨敗した。
いわゆる総合格闘技、K-1の試合のほかに、UWFインターのイスラエル遠征の際、現地の腕自慢の挑戦を受ける「チャレンジマッチ」を行い、勝利したという説もある。
実兄は国際資格取得の専門学校と人材派遣業運営を主とする会社「ANJOインターナショナル」(2006年倒産)創業者だった安生浩太郎(現在は株式会社SPACEサーチ社長)。
芸能事務所「株式会社アネット」の社長を務めている。アネットにはエスパー伊東らが所属している(エスパー伊東とは同じ高校出身である)。
阪神タイガースファンであり、「優勝したら千本ノックを受ける」と発言した。その後、2003年に優勝したが、実際に千本ノックを受けたかどうかは不明である。
カテゴリ: 日本のプロレスラー | 日本の総合格闘家 | 東京都出身のスポーツ選手 | 1967年生

[ 13] 安生洋二 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E7%94%9F%E6%B4%8B%E4%BA%8C



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