ウェールズとは?
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この項目ではイギリスの国について記述しています。その他の用例についてはウェールズ (曖昧さ回避)をご覧ください。 ウェールズ(Wales; Cymru/"k@mrI/,カムリ)は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(イギリス)を構成する国のひとつである。ウェールズはグレートブリテン島の南西に位置し、南にブリストル海峡 東にはイングランド、西と北はアイリッシュ海が存在する。 ウェールズのケルト系住民はローマ帝国の支配を受けたが、アングロ・サクソン民族に征服されたわけではなかった。イギリスのアーサー王伝説はアングロ・サクソンに抵抗したブリトン人の王の物語とされる。中世にはケルト系小部族国家が群立し、やがてグウィネッズ、ポウィス、デヒューバースなどの地方王権が形成された。11世紀中葉にグウィネッズ王ルウェリン・アプ・グリフィズがウェールズのほとんどの領域を支配下に収めるなど、幾度か一時的な政治的統一がなされるが、イングランドのような恒常的な統一王権が確立されることはなかった。実態としては、リズラン法典に従うマナー家臣団による統治であり、オックスフォード条項以降のコモンロー支配によって、事実上、ウェールズはイングランド王家に追従した。薔薇戦争やクロムウェルによる独裁の際には、ウェールズはその政争の争奪の舞台になった。この点で、1536年の法律によってウェールズが保護されたことは、イングランドおよびウェールズの歴史を紐解く上で重要な画期になった。 しかし外来者に対しては頑強な抵抗を示し、1066年にイングランドを征服したノルマン朝によるウェールズへの侵略・植民政策は、ウェールズ南東部を除いて恒久的な成功とはならなかった。しかし、1282年ウェールズ大公(プリンス・オブ・ウェールズ)を名乗ったグウィネッズ王ルウェリン・アプ・グリフィズがエドワード1世 (イングランド王)に敗れ、イングランドの支配下に置かれた。エドワード1世は長男エドワード(エドワード2世)にプリンス・オブ・ウェールズの称号を与えたが、ウェールズ人は決してイングランド人に同化されなかった。このような過程を経てウェールズはイングランド王国に征服されその統治を受けたが、このことが逆にウェールズ人の民族意識を強め、またこの地に殖民した異民族のほとんどがウェールズ人化されたという。なおかつ、ウェールズ人の長弓(ロングボウ)隊はイングランド王の軍勢の強力な戦力として名をはせ、後世のチューダー朝の家系に至っては、ウェールズ人のウェールズ大公の血統から出てイングランドの王家に収まり、さらにこの王朝の家臣団ではウェールズ人が重要な地位を占めた。政治的には勢力を失ったが、ウェールズ人としてのアイデンティティは21世紀になった現在でも非常に強いと言われている。 ウェールズは13世紀に公国(Principality)を形成したが、ウェールズ公国は同じ世紀の末にイングランドに併合された。以来、次期イングランド王(後世にはグレートブリテン王)となるべき最年長の王子(王太子)が、プリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales, ウェールズ大公)として戴冠するのが慣わしとなっている。 1536年の合同法以来、ウェールズは長らく単一の国、イングランド王国あるいはイングランド・ウェールズの一部として扱われ、連合王国の中でもスコットランド、北アイルランドとは事情が異なった。イギリスの国旗にウェールズの国旗だけが含まれていないのはそういう事情がある。 1997年ウェールズ議会設置に関する住民投票が行われ、議会設置が決定した。1999年には、第1回議員選挙が行われた。定数は60名。限定的ではあるが、立法権も持つ。 ウェールズの地方行政は1996年4月1日以降、22の単一行政体(ユニタリー)に分かれており、その内訳は9州(county)、3市(city)*、10州区(county borough)† となる。行政体間の関係は対等であり、上下の関係はない。 ウェールズの南部ではM4高速道路が海岸沿いを通ってカーディフ、ニューポート、スウォンジなどの都市を繋ぎ、イングランドのロンドンまで続いている。M4高速道路のセヴァーン橋から終点までのウェールズ側の部分はウェールズ議会(Welsh Assembly Government)の管轄である。同様に北部ではA55高速道路がホーリーヘッド、バンガー、レクサム、フリントシャー、そしてイングランドのチェスターといった都市を繋いでいる。ウェールズの南北に渡る主要な道路として、カーディフとバンガーを繋ぐA470高速道路がある。 カーディフ国際空港はウェールズで唯一の大規模な空港であり、カーディフの市街の中心から南東12マイルのベール・オブ・グラモーガンに位置する。イギリス国内およびヨーロッパのいくつかの都市を結んでいる。 ウェールズの鉄道はカーディフ中央駅をネットワークの中心として、国中に広がっている。ウェールズ議会が鉄道網の管理をしている。旅客鉄道会社としてはウェールズ全域を運行するアリーヴァ・トレインズ・ウェールズの他、ヴァージン・トレインズが北部と南部、ファースト・グレート・ウェスタン(ブリストル・ロンドン方面)、セントラル・トレインズ(カーディフ−バーミンガム−ノッティンガム)が南部に乗り入れている。 ウェールズは18世紀に工業が発達し、埋蔵されていた石炭、銅、鉄、銀、鉛、金、粘板岩を産出した。19世紀後半から鉱業と金属工学はウェールズの経済において主要なものになり、ウェールズの南部と東北の工業地域の景観と社会は変化した。その後、石炭から精油への「エネルギー革命」で石炭産業は衰退し、南部を中心に立地した各種重工業がウェールズ経済を支えた。 1970年代にウェールズは伝統的な重工業から軽工業あるいはサービス業へと大きく転換することになった。外国企業の誘致に成功したが、新しい産業の多くは本質的に分工場としての役割であり、流れ作業で熟練を必要としないものであった。ウェールズは人口などの経済的な絶対量は低く、またカーディフはイギリスの他の都市リーズ、マンチェスター、ブリストルや小国の首都であるダブリン、コペンハーゲン、ヘルシンキなどよりも小さく、ウェールズには大都市と呼べる街が無い。にもかかわらず金融や研究開発の分野を発展させ、付加価値の高い雇用を生み出した。 イギリスのほかの地域と比べて、ウェールズの人口当たりの経済的な成果は低い。2002年ではイギリス平均の80%、EU25カ国平均の90%であった。ただし、生活に必要なコストが地域によって異なることに注意が必要である。イギリスの地域と実際の生活水準の差は大きくない。 2002年のウェールズのGDPは260億ポンド(480億ドル)、一人当たり12,651ポンド(19,546ドル)である。2006年の時点で失業率は5.7%で、イギリス全体の平均より高いがEUの平均よりは低い値である。 ウェールズの大部分の土壌は貧しく耕作には適さないため、農業の中心は伝統的に牧畜である。独特な文化と同様にウェールズの景観は多くの観光客を惹きつけている。観光は田園地域の経済において特に重要な位置づけであり、3箇所が国立公園として保護されている。 ウェールズで最も人気のあるスポーツはサッカーとラグビーである。イギリスを構成する4つの国はFIFAワールドカップ、ラグビー・ワールドカップ、コモンウェルスゲームズのような世界大会には各自の代表が参加している。しかし、オリンピックにはイギリスとして参加している。北部ではサッカーの方が好まれるが、ウェールズにおいてラグビーは国としてのアイデンティティーの一部である。ラグビーはウェールズラグビー協会、サッカーは世界で3番目に古いウェールズサッカー協会が管轄している。 ラグビーウェールズ代表として参加する大会として、シックス・ネイションズとラグビー・ワールドカップがある。クラブチームはアイルランドとスコットランドのチームと併せて行うリーグ戦のケルティックリーグと、EDFエナジーカップ、ヨーロッパのハイネケンカップの試合がある。 ウェールズにはスヌーカーの世界クラスのプレイヤー、テリー・グリフィス、マーク・ウィリアムズ、マシュー・スティーブンスがいる。スヌーカーのアマチュア選手のレベルも高い。また、でこぼこしている地形がラリー走行に向いており、世界ラリー選手権の最終戦の開催地でもある。アイスホッケーのカーディフ・デビルズはかつてイギリス全体で活躍した。ボクシングではスーパーミドル級の世界チャンピオン、ジョー・カルザゲはウェールズとイタリアのハーフである。エンゾ・マカリネリはクルーザー級のWBO/WBC/WBU世界チャンピオンである。 F1では二人のドライバーを輩出している。一人は1967年のイギリスグランプリで1位のジム・クラークに4周遅れの9位に入ったアラン・リーズ。もう一人は1974年から1977年の間に3位に2度、ポールポジションを1度獲得したトム・プライスである。世界ラリー選手権では、1996年のドライバーズチャンピオンであるコリン・マクレーのコ・ドライバーを勤めたニッキー・グリストと、2003年のドライバーズチャンピオンであるペター・ソルベルグのコ・ドライバーを勤めたフィル・ミルズがいる。 ウェールズは「歌の国」といわれ、特にハープ奏者や男声聖歌隊そしてトム・ジョーンズ、シャルロット・チャーチ、メリー・ホプキン、キャサリン・ジェンキンス、アレッド・ジョーンズ、ボニー・タイラーなどのソロミュージシャンが有名である。 バンドではマニック・ストリート・プリーチャーズ、ステレオフォニックス、フィーダー、スーパー・ファーリー・アニマルズ、ロストプロフェッツ、フューネラル・フォー・ア・フレンドなどが有名である。 ウェールズにはナショナル・アイステズボッドという音楽と詩の祭典がある。これは1年に1度、毎年異なる街が持ち回りで開催している。スランゴスレンで行われるスランゴスレン国際芸術祭はアイステズボッドに倣ったものであるが、世界中のミュージシャンが参加している。 森林や湖、丘陵、海岸などの豊かな自然が残っている。面積の約20パーセントが国立公園に指定されている。 この項目「ウェールズ」は、調べものの参考にはなる可能性がありますが、まだ書きかけの項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。 このテンプレートは分野別のスタブテンプレート(Wikipedia:スタブカテゴリ参照)に変更することが望まれています。ただし、サーバー負荷軽減のため、スタブテンプレートの変更は加筆とともに行ってください。 |
[ 76] ウェールズ - Wikipedia
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WalesはEnglandと全く異なる文化をもつ。ケルトの特色を色濃く残し,言語も英語と全く違う。Welshの中にはEnglandに反感を持つものも多く,しばしば旅行者が無頓着にも「England」なんて言うと,「違う,Britainだ」という返事が返ってきたりする。彼らは「自分たちの国」に対する誇りを持っているのだ。 しかし,Walesの住民に会わずとも,WalesがEnglandと違う国であると肌で感じることができる。A4でSevern橋を渡り10分ぐらい走ると,看板になじみのない文字「Croeso i Gymru」 私の友人であるインターナショナル・パートナー・グループのKristenはWelshであるが,彼女に一度Wales語なるものを話してもらったことがある。しかしその「音」の感じは全く英語と似て非なるものであった。また,Walesの学校では自分たちの言葉を守ろうという動きがある。言葉は自分たちのアイデンティティである。文化財を保護し維持することも素晴らしいことに違いないが,その源にある言葉を守ることはもっと難しいことであろう。しかし,ケルト文化の真髄はまさにこの言葉にあるのだろうとおもう。アイルランドやスコットランドを含め,ケルト民族の流れを引く人々には,ジョイスやロバート・バーンズ,イエーツなどたくさんの詩人・作家がいる。 Wales人は人種的に見てもアングロ・サクソン系のEngland人と異なる。Wales人の祖先であるケルト人は紀元前5世紀頃からブリテン島に移入した。43年ローマ軍がEnglandを従属させたが,Walesの天然の要害は攻めきれず,本国の異変によって引き返すことになる。さらに,7世紀になってアングロ・サクソン人が侵入してくる。これによって,ケルト人たちはWales,スコットランド,コーンウォールなどへと駆逐されることになる。これらの中で,Walesだけがこれ以降も長く独立を保つ。しかしながら,ついに13世紀後半Englandに併合されてしまう。しかしWales人たちの独立心は強く,エドワード王は自分の王子にPrince of Walesという称号を与え,敵愾心をけん制したという。 ところで,Walesにはたくさんの保存鉄道が走っている。これを楽しむのもよい。このあたりは良質の石炭が採掘され,North Walesの鉱山では,良質のスレートがたくさん産出した。スレートは19世紀には屋根の材料としてよく使われたものである。この博物館も興味深い。 カーディフはWalesの首都にして1999年のラグビー・ワールドカップの開催地。近代的で大きなショッピングセンターやビルが目に付き,どちらかというと観光都市というよりは,商工業都市というイメージが強い。日本のSONYやPanasonicの駐在員が多く住んでおり,ロンドン以外では数少ない日本人学校もある。長男がBathのインファント・スクールに通い始めた頃,この学校の日本人の先生が,週に一回長男の英語理解を助けるために教育委員会から派遣されて来ていた。Walesの有名な工芸品にLove Spoonという,木のスプーンに様々なパターンや装飾を彫刻したものがある。大きさ,色,装飾は様々であるが,やはり名人が作ったものは彫りが繊細で値段も高価である。WalesのシンボルであるドラゴンをデザインしたLove Spoonなどお土産にいかがだろう? さて,賑やかではあるが面白味のない街になるのを救っているのが,街の一等地にデーンと鎮座しているカーディフ城である。この城は1世紀後半にローマ軍が築いた矩形のローマン・フォートが元になっている。ここにノルマン人が11世紀に城を建てて以来,中世,近世と城主は次から次へと変わったが,18世紀後半にビュート家の手に渡り,1947年カーディフ市に寄贈されるまで同家が所有した。そして現在見られる豪華絢爛たる城の内部は,第3代ビュート候ジョンが19世紀に鬼才ウィリアム・バージェスに設計させ,巨額の資金をつぎ込んで完成させたものである。要するに貴族が道楽で建てた時代錯誤もはなはだしいおとぎの城なのだ。そういう点では,バイエルンの王ルードヴィヒ2世が19世紀に建てたノイシュバンシュタイン城(規模はずっとカーディフ城より大きいが)と性格が似ている。しかし,その「時代錯誤」が,現在どんなにかカーディフ市に潤沢な観光収入をもたらしていることか。(ノイシュバンシュタイン城だって同じことだ。)当時は「あの殿様いったい何を考えているんだ?」と陰口を叩かれたかもしれないが,今のカーディフで第3代ビュート候の悪口をいう人はいないだろう。市内に候の立派な像が立っている。 城はガイド付きツアーで回らなければならない。たくさんの部屋には二つとして似たものがなく,どの部屋も意匠に満ちている。アラビアの部屋,グリム童話の部屋,聖書の部屋,時計塔,八角塔…。この城をリンボウ先生のように「悪趣味のかたまり」と見るか,ヴィクトリア朝時代の素晴らしい一つの遺産と見るかは,訪ねる人の感性によるだろう。私は後者の意見に近い。 カーディフ市内から西に数キロのセント・ファーガンズ村にある広大な屋外博物館。17〜19世紀のウェールズを再現した民家,教会,よろず屋,鍛冶屋,パン屋…があり,日本でいえば明治村という感じであろうか。当時の衣装に身を包んだ女性がパンやジャムつくりの実演をしており,買うこともできる。Love Spoon製作の実演もしており楽しい。家族でたっぷり1日遊べるだろう。英国には珍しいやる気・売り気満々でサービスのよいMuseum。ショップも充実。 これは他でもない,「トラベル・ダイアリー」の壁紙として使っているお城です。 車だとM4から少し北に入った便利なところにある。今は城跡という感じであるが,その昔清教徒革命が起こっていた頃,クロムウェルの部隊によって破壊されたという塔が興味深い。また,このお城の周りには高い建物がなく,しかも堀が巡らされており,中世に迷い込んだような雰囲気である。私たちが訪ねた時には,実際に昔戦いに使用されていた「投石器」の実演が行われていたり,昔のWalesの衣装を着た人が当時の生活のデモンストレーションをしたりで,とても興味深い観光となった。 上記のCaerphilly城から車で30分ぐらいのところにあるおとぎ話に出てくるような可憐なお城。Castell Cochとは「赤い城」という意味のWales語である。Caerphilly城へ観光した後に,こちらに来ただけに,繊細な城が一層美しく感じられる。こんもりとした森の中に立っているこの城を最初に目にしたときは,文字通り鮮やかな赤色に目を奪われた。 この素晴らしい城を作ったのはカーディフ城と同じ第3代ビュート候と鬼才ウィリアム・バージェスのコンビ。やはり,古い城を再建したというより,自分たちの好みで徹底的に作り変えた19世紀の新しい城なのだ。大英帝国の時代には,個人の資金で城をいくつも建てることができたのだ。高い税金に苦しむ今の貴族には羨ましい限りだろう。規模の点ではカーディフ城より小さいものの,おとぎの城というイメージは一層強い。キープタワー最上階にあるゴシック・アラビア風の豪華絢爛な寝室でビュート候夫人はどんな夢を見ていたのだろうか。 ここに観光する数日前コーンウォール のランズエンド,リザード・ポイントというイングランドの最西端・最南端を制覇したため,Walesの最西端にも行ってみようということになった。 St David'sはWales最西端ペンブロック州国立公園の海岸線に囲まれた小さな街である。Walesの守護聖人St Davidが作った街だそうだ。人口約1500人の小さな町であるにもかかわらずWales随一の大聖堂がある。 550年にWalesの守護聖人St Davidがこの地に寺院を建てたのが始まり。現在の大聖堂は12世紀に建てられたもの。それ以後16世紀頃まで増改築が繰り返され,Walesの巡礼のメッカとなった。当時この大聖堂を3回もうでることは,聖地エルサレムへ巡礼したのと同じとされていたそうだ。本当に小さくちょっとさびれかけた街セント・ディヴィッズに似合わないほどの偉容を誇る大聖堂である。この大聖堂は城壁に囲まれており,南東の城壁の上から見下ろすと聖堂の大きさが分かる上に,眺めが非常に美しい。 しかしながら,私たちにとってはご利益のあるものではなかったということを付け加えておきたい。夫は土手でオンボロ・フォードの後ろのバンパーをぶつけた。美しい大聖堂のとなりに朽ちかけたビショップ・パレスの遺跡があるが,まさに私たちの気分もここの石垣のように虚しいものであった。 大して何もない海辺の街であったが,ちょっと曇り気味であったためもあってか,ランズ・エンドで見た穏やかな青い海とは全く違っていた。強風にあおられながら眺めた海は荒々しかった。何だかEnglandとWalesの自然の違いを感じたような気がした。Walesはのどかな牧草地が広がるEnglandとは違って,起伏が厳しく,土地も痩せている。まさにこの海の荒々しさが私たちのWalesのイメージとなったのである。 エドワード1世によって建てられた城が美しく,しかも保存状態もよく残っている。街は城壁に囲まれた静かな環境にある。散策するのも楽しい。また英国最小の家(本当かなあ?)という妙な名所がある。この近くの手作りチョコショップのチョコは美味しかった。 スランベリス自体この山の登山客が宿泊に利用する場合が多い。スノードン山はスノードニア国立公園にある1085mの山である。日本人の感覚からすればそんなに高くないが,ブリテン島自体が起伏の少ないなだらかな土地柄であり,この山はそれからすればとても高いということになる。また,山にはあまり木々は生えておらず,登山する場合はこの日光の対策をして行った方が良さそうである。主な登山道は6つあるらしく本格的な登山を楽しむこともできるとのことである。 登山しなくても,子供連れにもありがたいこの鉄道はイギリスで唯一のアプト式鉄道である。詳しくは英国保存鉄道乗車記をご覧下さい。 St David'sに行く時,Bathから日帰りで行くのはあまりにも遠いので,途中で1泊することにした。その日は,英国で数少ない本格的遊園地であるOakwood Parkに遊びに行った。親が行きたいところに行くときには,先に子供のご機嫌を取っておくのが肝心肝心…。入場料がちょっと高い気もするが,子供たちは大喜びだった。珍しい木製コースターもある。 Oakwood Parkで遊んだ後はFarm House(農家の家)に泊まり,次の日St David'sを目指すこととする。ここに着いたとき,玄関は開いているのに家には誰もいないまま。予約してあるのにおかしいなと思ってよく見ると,「御用のある方はここから電話してください。」との張り紙がしてるではないか。早速電話すると,しばらくして農作業服を来て長靴を履いたママさんがトラックで戻ってきた。いかにもウェイルズ人といった感じの赤茶色の髪と黒っぽい瞳が印象的であった。 家の中にあげてもらい,たっぷりのお茶とクッキーをいただいた。B&Bばかりでなくたまには農家の家に泊まるのもいいもんだ!部屋は広いし,子供用の2段ベッド(英国で初めて見た)はあるし,お風呂も大きくてお湯もたっぷり。リビングでは自由にくつろげるし,子供のおもちゃまで置いてある。本当は夕食は付かないのだけれど,子供が小さいから何とかしてほしいと頼んだら,買出しに出かけて,食べきれないくらいのサンドイッチを作ってくれた。親切な農家だった。 ウェールズの民謡ではないが,スコットランド,アイルランドに残るケルト民謡を集めたCD。Past Timesは過去の色々な時代様式(例えばチューダー朝時代やヴィクトリア朝時代)の生活用品や装飾品を販売するオックスフォードに本社を置くチェーン店。このCDはデザイン,内容とも素敵だ。ケルトの伝説は妖精やドラゴンといった架空の生き物たちや魔法や魔女といったキリスト教社会が否定したものを生き生きと表現している。しばしば,詩人や作家の創作活動の源となったものである。ウィリアム・イエーツはアイルランド出身の詩人であるが、彼は熱心に妖精伝説を収集したことでも知られている。また現代でもイギリスの歌手エンヤは,これらケルトの民謡の雰囲気を色濃く表現する。雰囲気的にポルトガルの民謡ファドにも似た,郷愁を誘う曲の多くは,日本人の心にも深く訴えるものがあると思う。 |
[ 77] ウェールズ
[引用サイト] http://www.zephyr.dti.ne.jp/~tmiyaji/wales.html
