圭一とは?

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2006年8月21日北川圭一選手から「オーシャスレーベン24時間」のリポートが届きました、ぜひご覧ください。(レース2006 オーシャスレーベン詳細ページに掲載)
2006年7月28日北川圭一は2006年のシーズン終了をもって、現役レーシングライダーを引退することを決心しました。
2006年7月25日「北川圭一オリジナルTシャツ」好評発売中!!お申し込みは、北川圭一オフィシャルショップ『K1-STYLE』よりお願いします。「鈴鹿8耐・チケット」は完売しました、ありがとうございました。
2006年7月21日大好評!!プレゼント付き「鈴鹿8耐・チケット」残りわずか。お申し込みは、北川圭一オフィシャルショップ『K1-STYLE』よりお願いします。
2006年7月10日「2006北川圭一オリジナルTシャツ」受け付け開始!!「鈴鹿8耐・チケット」大好評販売中!!詳しくは、北川圭一オフィシャルショップ『K1-STYLE』をご覧ください。
2006年6月19日ポール・トゥ・ウィンで優勝!!2006世界耐久第4戦「ゾルダー6時間」で、北川圭一のカストロール・スズキが勝利。
2006年6月16日「鈴鹿8耐・応援チケット」受け付け開始!お申し込みは北川圭一オフィシャルショップ『K1-STYLE』よりお願いいたします。2006オリジナルTシャツは作成中です、少しお待ちください。
2006年6月13日「鈴鹿8耐」観戦チケット(各種特典付)販売決定!「北川圭一オリジナルTシャツ」も販売の予定です。詳細が決まり次第改めてご案内します。
2006年6月13日高濃度酸素カプセル「MedicalO2」で急速に回復、本日、北川圭一はベルギーに向け出発。詳しくは「K1ブログサイト」をご覧ください。
2006年6月9日鈴鹿300km出場中止。北川圭一選手は練習走行中に転倒、足首を傷めたために、鈴鹿300kmへの出場を中止することになりました。
2006年6月5日急きょ決定!北川圭一「鈴鹿300km」に出場。「鈴鹿300km」の詳細内容はこちらをご覧ください。
2006年6月2日5月27日のイベン会場でのトークショーの模様が「Webロックオン - MCニュース」でオンエアされました。ぜひご覧ください。
2006年5月30日北川圭一を迎えてのイベント(5月27日)はたくさんの方々のご来場をいただき大盛況でした、ありがとうございました。
2006年5月23日「イベント」のご案内。北川圭一を迎えての「イベント:5月27日開催」のご案内。詳しくは「★レーサー北川圭一のK1ブログ★ 」をご覧ください。
2006年5月22日「北川圭一」ポール・トゥ・ウィンで優勝!!FIM世界耐久選手権第3戦「アルバセテ8時間」(スペイン)で北川圭一のカストロール・スズキがポール・トゥ・ウィン!!で勝利を飾りました。
2006年5月12日北川圭一選手からのリポートが届きました。「アッセン500km」「ル・マン24時間」激走の模様が語られています。ぜひご覧ください。(レース2006  ル・マン詳細ページに掲載)
2006年5月8日「パーティー」延期のご案内。4月28日にご案内しましたパーティーは5月27日(予定)に延期になりました。詳しくは「★レーサー北川圭一のK1ブログ★ 」をご覧ください。
2006年4月28日「北川圭一」を迎えて、5月13日(土)大阪スキッシュエリアでパーティーを開催します。ご案内は「★レーサー北川圭一のK1ブログ★ 」をご覧ください。
2006年4月23日2006年 FIM世界耐久選手権 第2戦、「ル・マン24時間」で北川圭一のカストロール・スズキが昨年に続き、2位に入賞しました。
2006年4月18日優勝!!2006年 FIM世界耐久選手権 第1戦「アッセン500km」で、北川圭一のカストロール・スズキがポール・トゥ・ウィンで勝利を飾りました。
2005年11月17日北川圭一がGSX-R1000で先導車として登場!!11月23日(水・祝)「オートリメッサ杯G1秋のスピード王決定戦」
2005年11月14日北川圭一の世界耐久選手権チャンピオン獲得を記念してクリスマスパーティーを開催します!
2005年10月11日「オートリメッサ秋まつり」のお知らせ10月23日(日)北川圭一世界チャンピオン獲得記念・カストロールフェアを行います。「北川圭一選手のサイン会&握手会」も開催!!皆さまのご来場をお待ちしています。
2005年9月26日2005FIM世界耐久選手権第5戦(最終戦)「バレルンガ200マイル」で、北川圭一選手のチームが見事にポール・トゥ・ウィンを獲得しました!
2005年9月19日「ボルドール24時間耐久レース」優勝!!カストロールスズキチームは終始トップを確保、北川圭一選手は昨年に続き、連覇を成し遂げました。
2005年9月16日「ボルドール24時間耐久レース」リアルタイム速報のページで決勝レースの情報をリアルタイムで速報します!
2005年9月16日「ボルドール24時間耐久レース」専用特設掲示板を設置しました!皆さんからの投稿をお待ちしてます!2005年8月15日「オーシャスレーベン24時間耐久レース」でカストロールスズキチームが優勝し、北川圭一選手は日本人で初となる世界耐久選手権のタイトルを獲得しました!
2005年7月31日2005年“コカ・コーラ”鈴鹿8時間耐久レースで北川圭一、バンサン・フィリップ組は予選7位からスタートし、決勝総合7位でレースを終えました。
2005年7月12日北川圭一特設応援団席のチケットは完売いたしました。ご購入誠にありがとうございました。
2005年7月1日2005年“コカ・コーラ”鈴鹿8時間耐久レースの特集ページをアップしました!
2005年5月22日FIM世界耐久選手権の第2戦「アルバセテ8時間耐久レース」で北川圭一選手が優勝しました!
2005年5月13日「ダウンロード」に新しいパソコンの壁紙と携帯電話の待受画像を追加しました。
2005年5月13日K1メールマガジン配信決定!登録者受付中!5月31日までメールマガジン創刊記念キャンペーンを同時開催中!是非この機会にご登録ください!
2005年5月12日「応援メッセージ」がリアルタイムで表示されるようになりました!「掲載しないでほしい」を選択すれば、表示されずに北川選手にだけメールを送れます。皆さんからの応援メッセージお待ちしています!
2005年5月9日「“コカコーラ”鈴鹿8時間耐久レース」特設応援団席の観戦チケットを当サイトにて販売することが決定しました!
2005年4月28日メニューに「ダウンロード」を追加しました。パソコンの壁紙や携帯電話の待受画像をダウンロードしていただけます。
2005年4月16日「ル・マン24時間耐久レース」リアルタイム速報のページで決勝レースの情報をリアルタイムで速報します!
2005年4月15日「ル・マン24時間耐久レース」予選結果報告!公式予選で北川選手のチームが2番グリッドを獲得しました!
2005年4月15日「ル・マン24時間耐久レース」専用特設掲示板を設置しました!皆さんからの投稿をお待ちしております!
2005年3月28日FIM世界耐久選手権の開幕戦「アッセン500km」で北川圭一選手が優勝しました!

[ 146] レーシングライダー・北川圭一オフィシャルウェブサイト
[引用サイト]  http://www.k1-kitagawa.com/

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山本 圭一(やまもと けいいち、本名同じ、旧芸名:山本 圭壱(読み同じ)、1968年2月23日 - )は、東京都生まれ、広島県育ちの元お笑いタレントで、お笑いコンビ・極楽とんぼのボケを担当していた。このコンビでの相方は加藤浩次。血液型O型。愛称は「山さん」「圭ちゃん」「山様」
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東京で生まれ、3歳で広島県広島市に転居する。圭一という名前は母親がファンだという俳優山本圭から採られた。
広島大学附属小学校から中学は地域の公立校に進み高校は私立広島県瀬戸内高等学校へ進学、野球部に入部したが20日間のみの在籍だったという。
野球部を退部後、サッカー部に移籍し数ヶ月籍を入れた後に当時同郷で「ブレイクダンスの神様」と言われた風見しんごらが流行らせたブレイクダンスに夢中になった、広島平和公園等で踊り観光客の注目を浴びた。
高校卒業後上京し、天宮良が在籍していた当時日本一有名なショーパブだった「タップチップス」の面接に合格して修行したが病気になり一度広島に戻る、20歳の時再び上京し有名になりたいと「東京ヴォードヴィルショー」の面接を受け再び合格して在籍、ここで加藤と出会い加藤の本名が“浩二”(“山本”という名字と合わせると山本自身がファンである広島東洋カープ所属の山本浩二と名前が同じになるため)と聞き運命的なものを感じてコンビを組む。
1989年、月謝の滞納が続き金銭的に苦しいと思っていた所、雑誌の切り抜きに“吉本興業、東京進出! 新規芸人募集!”の広告記事が目に付いた、これに飛び付き加藤とともに吉本興業入りし「極楽とんぼ」を結成、『新しい波』のディレクターだった片岡飛鳥(現在はめちゃイケ総監督)に舞台で見出され抜擢され、『めちゃ2イケてるッ!(めちゃイケ)』の前身『とぶくすり』出演でブレイクした。
2002年11月2日、桜美林大学の学園祭の「お笑いライブショー」に出演した際に下半身を露出し、警視庁町田署により公然わいせつの疑いで書類送検される、この事件が原因で当時「極楽とんぼ」として出演していた天才てれびくんの司会を降板する事になった(事件発覚後NHKに「極楽とんぼを降板させないで欲しい。」という要望が多数寄せられたが、NHK側はこの不祥事を重く見た上で「当番組の司会および、今後放送される当局の番組に出演させるタレントとして相応しくない。」と判断、一方的に降板された形となった)この事件は加藤がライブでの成り行き上煽った事が原因とされ共に町田署で取り調べを受ける、その結果山本は書類送検されたが加藤だけ不起訴となった、さらに過去のトラブルの多さが災いした事もあり山本だけがクローズアップされてしまう形となる。
2003年6月、一時期交際していたホステスの女性(当時23歳)が妊娠した事を打ち明けた際、「自分の名前に傷が付く!そんな子供一生会わない!」と激怒した、その女性はショックのあまり中絶し別れを決心したという、後にこの経緯が写真週刊誌に暴露され、その波紋は(当時レギュラー出演していた)「めちゃイケ」をも巻き込み、報道が発覚した週に急遽謝罪放送を行う程の騒動となった。ちなみにこの女性は後に「夏樹レイナ」という芸名でAV女優に転向し、山本との関係を連想させるアダルトビデオに出演した。
2006年7月16日、茨城ゴールデンゴールズ遠征試合で訪れた北海道函館市にて、同席していた未成年の少女から「酒を飲まされ強姦をされた」という内容の被害届を17日に提出され、同日北海道警察函館西警察署より事情聴取を受ける。この日ゴールデンゴールズの試合が行われていたが、この時萩本欽一監督とメンバーは事件の詳細を知らなかったため、欠場理由を「体調不良」として当日集まった観客に説明し、そのまま予定通り試合を行った。
7月18日、所属事務所の吉本興業は、上記不祥事の報告を本人から受けて「専属芸能家契約の解除」を発表し、山本は吉本興業を解雇された(事実上芸能界引退)。
7月21日、ゴールデンゴールズ監督の萩本欽一は、これを連帯責任であるとしてチームの解散を示唆した(解散案についてはスポンサーや後援会らの説得で後に撤回)。また、球団は同日付で山本の登録抹消と除名処分、同席していた2人の選手の当面の謹慎処分を発表した。
7月19日午後、吉本興業東京本部での記者会見上で、水上晴司取締役制作・営業統括本部長などが山本圭一の芸能活動の中止とお笑いコンビ「極楽とんぼ」の解散を文書で発表した(会見には本人は出席していない)。また、出演していたTV番組やラジオ番組のほとんどが、放送中止又は出演部分がカットされる措置が取られており、事実上現在の段階では芸能界への復帰の可能性はほとんど無くなった。同じ事務所の勝谷誠彦は「後味が悪い結果になった」、みのもんたは「山本も被害者も何考えてるんだ!」とコメントした。
上記の会見後、この事件の影響を重く見た吉本興業は所属するタレント全員に対し「当面の間飲み会及び合コンの類を禁止する」と通告する、という前代未聞の処置を施した。
8月29日、北海道警函館西警察署は山本を強姦の容疑で書類送検した→ウィキニュース。なお、読売・朝日・毎日新聞は「山本容疑者」、産経新聞は「山本元メンバー」という呼称を使って報じた。
しかし10月3日、被害者である少女(とその保護者)との和解が成立し、被害者が告訴を取り下げた事で函館地検は不起訴処分とした。
山本は現在、野球を通しての知り合いを通し東京都から宮崎県日向市に居を移しているとされる事が2007年3月放送の「アッコにおまかせ!」で公表された。現在は地元の青果市場でバイトをしながら、ホームヘルパー等いろいろな資格の取得に励み、空いた時間はサーフィンとボランティア活動を行うという生活を送っている(去年、大型特殊自動車免許と大型自動二輪免許を取得。ちなみに、現在の宮崎県知事でタレント時代に似た様な境遇の過去を持つ東国原英夫(元お笑いタレント・初代そのまんま東)は「気が向いたら知事公舎に遊びに来てください」と声を寄せていた事も明かされた。2007年1月14日には、キャンプで訪れている茨城GGの萩本監督と茨城GGメンバー全員に謝罪した。その際にスーパーモーニングのインタビューにて、事件の詳細に関連する質問に対し「事件については被害者とその家族の事もありコメントできない、悪いのは自分」と反省の弁を述べた。芸能界の復帰についての質問には、「まだ何も決めていない。まだ謝らないといけない所があるので」とコメントした。
なお、本人の公式的な芸能界復帰の意思のコメントが後に出ており、「僕は皆が思っているほど芸能界に執着しているわけではないですよ。でも、『帰りたくないのか』と聞かれてもそうでもないし、『じゃあ帰りたいんだ?』と言われても急いで帰りたい訳ではない」との事。
様々なバラエティ番組で活躍する一方、映画『黄泉がえり』『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』、テレビドラマ『ナースマン』『独身3!!』等で俳優としても活躍していた。
体重100kgを超す巨漢だが、動きが軽快でスポーツ万能な「動けるデブ」。出演した番組で時折見せる見事なダンスは若い頃に勤めていたショーパブ仕込みとの噂も(本人は頑なに否定)。 また野球のイメージが強い山本だが、サッカーでもゴールキーパーとしてかなりの実力を発揮。サッカー部出身が多く、ヒデを初め輝かしい実績を保持する吉本興業のかつての同僚だった芸人らも「チラベルトばりの攻撃的プレイもできて、相手の弱点を突くところも冴えている。野球より向いてるのでは?」と高く評価されたほど。 ちなみにデビュー当初は相方より痩せていた。加藤浩次に「キャラクターとして太った方がいい」とアドバイスされたのが太った原因とも言われている(ネタという説もある)。 「山奥〜豚の乱〜」で圭昌院様(やま様の母上)に「自分(加藤)がもてるから」という理由で太ったと言われた際、加藤が「ババァ何言い出してんだよ」と激怒した。更に『めちゃイケ』では、その風貌から「紅の豚」と呼ばれており、同時期に頭髪が薄毛になってきていた事もあった事から(本人いわく「つむじが大きくなった」と言っている)、メンバーからは「デブハゲ」と言われていた。
かつて“芸能界屈指のバカ”と呼ばれていた山本だが、小学校は県内有数の国立校へ通っていた。しかし、その後年とともに成績は急降下し、中学は地域の公立校に通っていた。ちなみに高校は入試が無く「単願」で入学可能な高校だった。高校時代は、ゴルフ部に在籍した事もあり、田中秀道の3年先輩に当たる。
タレント時代は堀内健や石橋貴明らと遊ぶことがあった、自身はなんとか石橋家に呼んでもらおうと画策するも、夫人である鈴木保奈美が石橋貴明に対し「あの人だけは絶対に家には連れて来ないで!!」と釘を刺されたため、実現には至らなかった(2004年放送のフジテレビ「27時間テレビ・生笑わず嫌い王」内にて)。
派手好きであり、めちゃイケの数取団ではピンクのボクサーパンツを履いており、矢部浩之に「派手なパンツ履いとるな」と突っ込まれていた。
一時期「極楽とんぼの面白い方」と呼ばれていたことがあった。めちゃイケ内で加藤浩次が暴露し同時に自身が芸人としてではなく、俳優やスポーツキャスターとしてのテレビ出演が多いことから「極楽とんぼの面白くない方」と揶揄されていたことをカミングアウトしている。(ちなみに加藤がドラマやスポーツ番組等で出演している事に関しては数取団から派生したミニコーナー「スモウライダー」の初期テーマソング内でもネタにされていた)
父親が、全自動にら結束機「にら武蔵」(特許取得)を開発した(ラジオ等では従前より知られていたが、テレビでも2005年1月20日放送の『オオカミ少年』(東京放送)にて取り上げられた。参照HP:武蔵野種苗園)。なおその後、同結束機は「にらトップ」に改称されたようである(「ぶちぬきPresents ガレッジ・ココリコ・雨上がり・極楽・ロンブー 田舎に帰ろう 勝手に親孝行スペシャル」〔テレビ東京、2005年8月30日放送〕参照)。
2006年7月の反社会的行為による不祥事が発覚した際、週刊誌上にてマスコミや関係者に謝罪している(顔写真は公開されなかった)。
2005年7月12日のお笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャルを見て自ら出演をオファーし、同年11月15日放送の第3弾に出演、準決勝まで勝ち残った。
その作詞・作曲能力には定評があり、『めちゃイケ』での「油谷さんシリーズ」(ちなみに、テレビで最後に映ったのがそのキャラだった)や企画DVD『俺たちテレビ不適合者』内で「仮の話ですけど」等、独自で創り上げた数々の名曲(迷曲)を世に送り出していた。
番組の企画で錦野旦にドッキリを行った所、錦野に花瓶で頭を殴られた事がある。その後錦野に謝罪をしたが、ドッキリという事もあり快く許してもらえた。
2005年9月9日放送、ウッチャンナンチャン司会の番組『史上最強の人間ドック ザ・快傑ドクター3"』にて、”余命3年”との診断を受ける、その後生活をしっかり規制し、2005年12月23日放送の『史上最強の人間ドック"ザ・快傑ドクター4"』に現れるが逆に余命”2年9ヶ月”と前回を上回る悪い診断結果を受け南原清隆に「3ヶ月前に3年と言われたので丁度ぴったり、死へのカウントダウンは始まっている」と言われものすごく落ち込んだ。
ブレイクダンスに夢中になった高校時代は、小柄なジャニーズ系? で、異様にモテて女を取っ替え引っ替えしたらしいが、収拾がつかなくなり、上京の際に当時の交際相手を親友に押し付けていった(「Matthew's Best Hit TV」のなまり亭で山本の広島での親友が電話で公表)。
上京時は一緒に東京に来たストリッパーのヒモとして、若手芸人では考えられないほど贅沢な生活をしていた。
鈴木亜美が好きで、ラジオでの共演をきっかけにメールのやり取りをしたり、プジョーの自転車もプレゼントして(鈴木亜美はその自転車を「圭ちん号」と呼んでいた)、鈴木の家族を交えて食事(バーベキュー)をする間柄になった。しかし、家族と本人に2人だけで会うことを断られたりしたため、完全に脈無しと諦めた様である。
2005年7月23日放送の『25時間テレビ』にて、ロンドンブーツ1号2号の田村淳に九十九里浜で大沢あかねに振られたこと(大沢との関係は2006年にも発覚し、その後着信拒否になった事を番組『めちゃイケ』内で告白している)や、ある「椎名」と名の付くアイドル歌手[1]に振られた事をバラされた。
タレント時代はよく後輩の田村淳に死ぬほど女性を紹介してもらっていたが。両思いになった事は一度も無かった。女性の方が、「山本圭一」の名を出しただけで会う事を拒否していたらしい。さらに、知り合いの番組スタッフに頼んで『恋するハニカミ!』での出演交渉を行った所、女性タレントが所属する全事務所から「山本圭一さんだけはNG」とお断りが来るという前代未聞の事態が起きている。この事を聞かされた本人は泣く泣く出演を断念した。
年齢の若い女性が好みであるとし、「結婚するなら(相手が)23歳まで」というこだわりを公言していた。各バラエティでもロリコンと揶揄され、キャラクターとなっていた。 (2006年には「平成生まれが解禁だ!」と息巻いていた事を7月1日放送の『めちゃイケ』でネタにされている、しかし、本人は年齢について計算違いをしている事に全く気づいていなかった(2007年1月7日までは平成生まれは18歳にならない)。
以上の「若年好みの性癖」の件に関しては、極楽とんぼ時代の相方だった加藤に「若い女性にこだわらずお前を本当に愛してくれる女性と結婚するのが一番良い、年齢も近い方が良いのでは?」と散々アドバイスされていた、しかしこれに対し山本は「(自分と年齢が近い女性となると)ババァしか居ねぇじゃねーか!!」と反論、一切聞く耳を持たなかった。結局、相方や周囲の助言に従わなかった事と若年好みの性癖とこだわりが、皮肉にも自身のタレント生命を絶ち、東京ヴォードヴィルショー時代での運命の出会いから16年間連れ添った加藤とのコンビ極楽とんぼを結果的に自らの手で解散させてしまうという結末を招いてしまった。
2006年6月24日放送のメレンゲの気持ち番組内でココリコの遠藤章造のビデオメッセージによれば、なかなか結婚できない山本に遠藤が「山さん、どんな女の子がいいんですか?」と問うと、山本が真顔で浅田真央と答えたというエピソードがあり、遠藤はその時「当分山本さんの結婚は無理だと悟った」と語っている。
山本は芸人の仲間内では親分肌で後輩芸人の面倒をよくみており、主に山本を慕う東京吉本の芸人で構成される「軍団山本」と呼ばれる巨大派閥が存在していた。構成人員は100名近いと言われ、お笑いのみならず芸能界最大派閥との噂もあった。山本は「社長」と呼ばれており、他にココリコの遠藤章造(副社長)、ロンドンブーツ1号2号の田村淳(専務)、ペナルティのワッキー、品川庄司の庄司智春(係長)等が所属していた。
なかでも遠藤との仲の良さは有名で、遠藤の妻・千秋と山本がお互いに嫉妬し合うほどである(4月20日放送分の加藤浩次の吠え魂にて一時は山本との接触を禁じられていたが、現在はお互いに連絡を取り合っている事が明らかにされている)。若かった頃、仕事が無く、いつも2人で部屋でファミコンの野球ゲームをしていたという。
他にも多数の若手芸人が所属し、山本の誕生日には盛大なパーティーが開かれたが、メンバーの大多数は山本よりも遠藤や田村を慕っていた。
山本はロリコンである一方美少年好きでもあり、一時永井大の(自らの)派閥入りを狙っていた事もあった。オリエンタルラジオの藤森慎吾もかなり気に入っており、「遠藤の再来」と騒いでいたらしい。また気に入ったメンバーの写真を撮っていたらしい(軍団専属のカメラマンがいたとの事)が、なぜかワッキーだけは撮ってもらえなかった(笑っていいとも放送終了後トークより)。
また、軍団山本のメンバーは山本率いる草野球チーム「神様」(後に不祥事により解散)にも所属していた事がある。
2006年7月、自身が起こした婦女暴行事件による影響により、山本が吉本興業から事実上の解雇処分を受け、軍団山本は事実上一時解散。山本を可愛がっていた石橋貴明が相談役に就任し、山本の影響力を残したまま存在するとの説もあるが、今の所今後の軍団がどうなるのかは山本の意志次第である。
一方、相方の加藤を慕う派閥は「オフィス加藤」と呼ばれており、ココリコの田中直樹やロンドンブーツ1号2号の田村亮、事務所は違うがおぎやはぎの矢作兼等が属している。
高校時代、野球部には20日間在籍したが、その後は野球部先輩の眼が恐く学校へはあまり行かなかった。しかし瀬戸内高の甲子園出場時には「あの〜覚えておられます?」と母校へ電話すると「お〜覚えとるよ〜」と言われたのでボールを10ケース送った。
吉本興業の若手芸人を中心に結成されていた草野球チーム「神様」の監督兼投手兼一塁手。2005年に萩本欽一が創設した社会人野球チーム・茨城ゴールデンゴールズの入団テストに合格した(背番号77、2006年度は5に変更。 登録名は「やまもと圭壱」)。本気でプロ野球入りを目指していた事もあった(芸能活動停止後は不明)。このゴールデンゴールズ入りは、草野球チーム日本一を目指す山本が使えそうな選手を自チーム「神様」に引き抜くのが目的とも言われており、萩本は苦笑いしていた。しかし未成年に対する婦女暴行事件による影響により解雇され、ゴールデンゴールズを解散寸前まで追い込む事になり同時に自らが率いていた草野球チーム「神様」も解散する事となった。
尊敬する人物は「鉄人」衣笠祥雄。カープに在籍していた金本知憲(現阪神タイガース)とはリトルリーグ(広島中央リトル)でチームメイト、野村弘樹は2歳年下だが同期、金本を通じて仲良くなったカープの選手も多い(事件発覚後カープナイン全体が動揺していた)。今でこそ金本は連続フルイニング出場の世界記録を作り「鉄人」と呼ばれるが、子供の頃の金本は特別根性があった訳ではなく、このリトルの練習がキツく1年で退部し、その後広陵高校に入学するまでは町内会のソフトボールや通った中学校の野球部で軟式野球を続けた。反対に山本は過酷な練習に耐えリトル卒業までを全うしたのでこの時点では金本より鉄人だったともいえる。また広島アスリートマガジン(サンフィールド)に「野球美人」というタイトルのカープ応援コラムを連載していた。(但し、2006年7月25日発売の2006年8月号で連載終了)
野球好きと言えば『めちゃイケ』に「山本球団」というコーナーを持っていたが、過去3回の放送は全てプロ野球オールスターゲームの裏番組としての企画とは言えいずれも史上最低視聴率を記録し、第3回放送を最後に事実上の終了、まさに広島ファンとコアな山本ファンのみのコーナーであった。
仮面ライダークウガ(テレビ朝日系列)第7話、喫茶店「ポレポレ」に入ってくる客の役。出番は一瞬だが、OPにはしっかり名前がクレジットされている。
^ 椎名の付く女性芸能人には椎名林檎、椎名法子、椎名へきるらがいるが、「アイドルで歌手」という点から、法子説とへきる説が有力。ラジオ番組「オレたちやってま〜す」には極楽とんぼが椎名へきるとは別の曜日に出演していた。田村は椎名林檎と椎名へきるはその場で否定していた。
ちなみに、ナインティナインのオールナイトニッポンでナインティナインがこの話をした直後に椎名法子がshiinaとして発売した曲「大きなあなた小さなわたし」が流れた。
カテゴリ: 編集半保護中の記事 | 出典を必要とする記事 | お笑い芸人 | 1968年生 | 広島県出身の人物 | 過去の吉本興業所属者 | 社会人野球の選手 | 欽ちゃんファミリー

[ 147] 山本圭一 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%9C%AD%E4%B8%80



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