記者とは?
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広義の「取材者」。英語のジャーナリスト(Journalist)と同義。オーマイニュースなどの市民記者も含む。 マスメディアの「企業内記者」。テレビ・ラジオや、新聞、雑誌などで、取材・記事を編集、レポーターとして、メディアを通して自分の声で取材内容を視聴者・聴衆者に報告などを行う職業につく人物の事を指す。本稿で記載する。 2ちゃんねるのニュース系板でスレッドを立てる権限を有する人間。詳しくは2ちゃんねる#キャップ★を参照。 俗にいう「夜討ち朝駆け」で事件があればいつでも出向くのが原則。用事がなくても外へ出て記事の題材を探す好奇心が求められると同時に体力や精神的な強さも求められていく。 従って、勤務時間はあってないようなものである。そのかわりある程度自由が利くというメリットもある。休暇中も連絡が取れるように義務付けられている記者も数多い。 ラジオ・テレビニュースや新聞はその形式上、限られた文字数で記事を書かなければならないため、「短くまとめる」「専門用語は分かりやすく書く」「要点をしっかりと書く」という文章要約能力が記者には要求される。また、それらを実現するための多種多様な分野の知識に通じている必要もある。 新聞記者に小説を書かせると、あまり読みやすい文章を書けず駄文となってしまう人も多い。長文を書く作家とは要求される能力は異なるのである。 ここの項で扱う、企業内ジャーナリストとしての「記者」の特有の問題点で一般的に挙げられるのは次の通りである。 記者のサラリーマン化の問題がある。記者は報道機関に就職し活動する。当然ではあるが彼らは広義で考えれば、サラリーマンと変わらない「会社員」となるわけである。すると、そこには一般企業と変わらない「業績至上主義」や「出世争い」といった現象が起きても不思議ではなく、そこから、記者たちは報道の本来の目的・使命を忘れ、個人と企業の業績向上だけを目的として行動するようになる。つまり、記者倫理を大きく逸脱する取材行為を行うことがある危険性を孕んでおり、実際、そういった指摘があてはまる不祥事がある。 学閥が形成されやすい。ほとんどのマスコミ企業は大学卒業者からしか記者を採用せず、大手マスコミ企業では早稲田大学卒業者が多い。このため特権意識を持ちやすく、弱者の視点に立った報道がなされにくい一因に挙げられている。 日本のジャーナリストの教育体制は整備されていないという指摘がある。ジャーナリストとしての素質に欠ける原因ではないかという指摘もある。大学には新聞学部、情報学部などがある。東京大学大学院情報学環教育部が有名である。 記者の養成システムに問題がある。日本のマスメディアの人権意識の低さ、ジャーナリズム意識の低さの原因ではないかという指摘もある。記者クラブに入ることのできる特権的なマスコミの新人記者は少なからず、警察担当いわゆる「サツ回り」になる。警察官と親しくなって警察側からの情報を得ることが仕事になり、権力チェックの意識が薄れていくのである。警察発表をそのまま正しいことであるかのように流し、一般の市民の人権を無視して報道する反面、警察内部の犯罪や不祥事を知りながら報道しない傾向がある。記者クラブのマスコミが、知りながら報道しないことは、警察以外の公的権力者(政治家、官僚等)の犯罪や不祥事に対しても同様の傾向がある。 |
[ 81] 記者 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%98%E8%80%85
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記者って、どんな本を読んでいるのか?エレベータの中とか、ちょっとした時間にも、記者はよく本を読んでいる。取材のために、博識が必要なので、本から知識をつめこんでいるのかな?それにしても、いったい何の本を読んでいるんだろ。 西日本新聞社メディア部で働く、ある派遣社員からの質問に答えようと、6人の現役記者に、『今読んでいる本は。どんな本?』と調査することにしました。この際、西日本新聞の記者だけでなく、他社の記者にも出場してもらい、読書歴を一覧でご紹介します。隠れ記者の隠れ読書記も存在♪ 私自身が島で育ったので、離島にはこだわりがあります。かつて椎名さんと博多の飲み屋「やす」で会った時、思わず私の育った甑島への旅を勧めたことがありました(実際に週刊誌の企画で行ってくださったみたいです)。島を旅しながら取材して書くというこんな仕事は幸せだろうな、と思いました。佐賀の加唐島を訪ねる旅では思わずほろり。子供たちの表情がいい。日本が失ってしまったいいものが、都会とは縁のない小さな島々には残っているのかもしれません。 宮本民俗学の代表作で、東京の岩波書店でも探しましたが、在庫がありませんでした。図書館でこの本にようやく出会えました。古老たちのライフヒストリーでもあるし、強烈なルポルタージュでもあります。古老たちの話をじっくり聞いてそれをつづっていくことで、日本の民俗文化、生活を生き生きと描き出しています。これはおすすめの一冊です。深みのあるルポでした。 副題は「ケースワーカーと呼ばれる人々」です。生活保護などを扱う福祉事務所の実態に迫った本です。保護の最前線で働くことの難しさを改めて感じました。2章では北海道の母親餓死事件を取り上げていますが、浅薄な取材で行政=悪者の単純な構図で事件を描いてしまうメディアの問題を提起してちくりと痛みました。3章はここ筑豊の実態です。 読売大阪社会部長時代に数々の企画を手がけた黒田さんの本。「黒田軍団」と呼ばれただけあって示唆に富んだ話がぎっしり。先輩から勧められて図書館から借りてきましたが、新聞記者であることに疲れた時に読むと元気が出ます。記者はどこに視点を置いて仕事をするのか。何のためにこの仕事をするのか。黒田さんが「初心にかえれ」と呼びかけているような気がしました。 わたしは本好きの30代の会社員で、ジャーナリストの方々の読書歴紹介サイトを見つけ、喜んで拝見している者です。こういうサイトが大好きなので、企画して下さった方、そして書いて下さった記者の方々に一言お礼を申し上げたいです。一人ではなく、複数の記者の方々の読書歴なので読み応えがあります。本当にどうもありがとう。 本来ならプライベートな情報であるはずの読書歴を公開してくださっている記者の方々に、余計なおせっかいながら、わたしのお薦め本を伝えたくてこのメールをお送りする次第です。 マイケル・クライトンをご存知でしょうか。そうです、あのジュラシックパークのクライトンです。日頃、生々しい現実に触れていらっしゃる記者の方々には、恐竜の話などばかばかしい、とおっしゃるかもしれません。わたしがお薦めしたいのは、「エアフレーム 機体」(ハヤカワ文庫)という航空機事故をテーマにした小説です。 これは企業小説を装っていますが、実はクライトンは長年温めてきたジャーナリズム批評を書きたくて、この小説を執筆したのだそうです。ストーリーテリングの才能ある著者が、その能力を充分に発揮している、なかなか読み応えのある本です。お忙しいでしょうが、是非ご一読をお薦めいたします。(読者:高橋さんより) (・▽・)初読者投稿ありがとうございます。記者の方々の励み・参考になればと思い、掲載させて頂きました。(By ページ担当:ヒロ) (;^^)ぃぇぃぇ。本を読まないことが罪悪ではないですよ・・・活字に苦手意識を持っている私が罪に・・・・(笑 しかし槌田さんはこれまた難しい読書を・・・すごぃ。 (By ページ担当:ヒロ) 「海の上のピアニスト」(アレッサンドロ・バリッコ著、草皆伸子訳、白水社、1200円)、「北朝鮮崩壊」(チョン・乙炳《チョン・ウルビョン》著、文春文庫、657円) 純文学を対象とする芥川賞の受賞作は、ふだんあまり読まないのだが、今回は村上龍以来の長崎県出身者である青来さんの受賞。これは読まない手はないでしょう。単行本発売(まもなく)を前に某記者が探してきた純文学雑誌「文学界」の?月号(だったと思う)をとりあげて、一夜で読破しました。これまで芥川賞に何度もノミネートされながら、賞を逃してきた青来さん。今回は編集者のアドバイスを大いに受け入れて、長崎という土地の記憶をこれでもかと作品にちりばめたそうです。 簡単に言うと、長崎らしさ。東京在住の審査員の先生方のいうローカル色を強めたのです。長崎に来て1年半の私にとっては、小説に出てくる地名もほぼ理解できて、四国(私が日本で唯一、足を踏み入れてない地域)かどこかを舞台にしたものよりはずっとすんなり頭に入ったし、読みながら「ああ、あのへんね」と、だいたいの情景が頭に浮かぶのがなんとも気持ちよかった。隠れキリシタンには、以前から興味があったが、エピソードとして出てくる「ウノスケ縛り」は強烈に頭にこびりついた。想像しただけで苦しくなるような体位ではないか。拷問に使われた縛りだというから、当然とはいえ、いやはやこういう縛られ方だけはされたくない(もちろん、どんな形でも縛られるのはいやだけど)。 でも、この「ウノスケ縛り」という言葉はなかなか、妙な迫力というか、不気味さとういか、そういったものが漂っていて、すっかり気に入ってしまった。気に入ると使ってみたくなるのが性分で、「おい、何だよ、この原稿。おまえ、うのすけ縛りにしたろか」などと使って周囲からけげんな顔をされ、それを見て一人悦に入っている今日このごろなのである。ところで青来さんは私と同い年。ペンネームの由来が「セーラームーン」からきているときいて、そのおちゃめぶりが結構いいんじゃないと、より親近感を抱くようになったのでした。 久しぶりに小説を読む気になり、この土日、いずれも夕方に起きて朝方寝るという生活をしながら読了。奥付を見れば、中学生時代の購入本。改めて私にとっての公房はSFだと知る。文中、表現の細部に繊細な心配りを感じ入る。なお映画(ビデオだが)もひさびさに「フルメタルジャケット」「アンダーグラウンド」。「フルメタル」は敬愛するスタンリー・キューブリック監督。何度も見たくなる映画ってやつですな。ベトナム戦争を舞台に、普通の人間を殺人マシンに改造する前編がやはり秀逸。後編はやはりパンチ不足。 でも満足。 一方「アングラ」は前から気になっていながら見ていなかった作品。こういうのありますよな。武器商人に騙され、第二次大戦下のベオグラード地下に潜伏し武器を作り続けるクロ一味。終りなき戦争を信じる彼らが地上に戻った時、祖国ユーゴスラビアは失われていて…見て損はない作品なれど、ユーゴの悲劇を己の手触りとして感じてることのできない日本人の私。やや理解不足なのでしょう。 以上復活の男。 「道頓堀の雨に別れて以来なり」(田辺聖子・中公文庫全3巻)、「チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記」(現代企画室) 永田です。このページの読者の皆さん、あけましておめでとうございます。21世紀初の更新をいたします。 川柳作家・岸本水府とその時代、という副題がついている。田辺聖子さんによる、大阪の川柳作家の評伝。この本で初めて「反戦川柳」というジャンル(ともいうべきもの)があることを知った。「旗立てることが日本に多くなり」(鶴彬)。一方、表題作が象徴するような上方風情緒の世界もなかなかよい。それにしても文庫で上中下3巻、合計1600ページに及ぶこの本を、私はほとんど通勤電車の中だけで読んだ。(しかも帰りだけ。行きは朝刊を読みので)。恐るべし、通勤。ところで、長い本を読み通すこつについては、11月21日付け西日本新聞「天神バナナ」面に掲載の「大河小説沈没記」を参照されたし。 キューバ革命の立て役者のゲバラが、23−24歳の医学生時代、故郷のアルゼンチン(ゲバラはアルゼンチン人)からチリ、ペルー、コロンビアなどをモーター付き自転車で無銭旅行した際の日記。無理に後年の革命家の萌芽を読みとろうとするより、楽天的な青年の放浪記として読んだ方が面白い。私は実は「放浪文学」とも呼ぶべきものが好きで、ジョージ・オーウェル、ジャック・ロンドン、ブコウスキーなどのそれを読んでいる。毎日ネクタイをして家を出る勤め人は、「どこへ出発してもよい」「いつ出発してもよい」という状況に、単純にあこがれてしまうのである。 |
[ 82] 記者って、どんな本を読んでるの
[引用サイト] http://www.nishinippon.co.jp/media/A-3000/9801/book/dokusyo01.html
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この記事や節の内容に関する文献や情報源を探しています。ご存じの方はご提示ください。出典を明記するためにご協力をお願いします。 記者クラブ(きしゃ-)とは、首相官邸、省庁、地方自治体、地方公共団体、警察、業界団体などに設置された記者室を取材拠点にしている、特定の報道機関の記者が集まった取材組織であり、各団体から独占的に情報提供を受ける。基本的に記者室の空間及び運営費用は各団体が負担・提供し、記者クラブが排他的に運営を行う。このような特定のメディア以外を排除する組織は、外国にそれに当てはまる組織も言葉もないため kisha clubと言う日本語がそのまま外国でも使われる。日本の報道における閉鎖的な体質の象徴として、海外メディアでも批判の対象となっている。 取材形式としては、記者会見場を正式に設けての形式に加えて、取材者も取材対象者も歩きながらまたは、立ったままま行なう「ぶらさがり」や、取材対象者宅を訪問してリーク情報を取得する「夜討・朝駆(ようち・あさがけ)」などがある。 記者クラブは報道をする時に報道協定を結ぶが、その連絡の際に記者室の黒板を使うことから「黒板協定」と呼ばれる。多くは過剰な取材合戦を避ける狙いがあるが、警察などでは誘拐事件などにおける被害者保護のために結ぶ場合もある。 1890年-第1回帝国議会の新聞記者取材禁止の方針に対して、『時事新報』の記者が在京各社の議会担当に呼びかけ「議会出入記者団」を結成、10月にはこれに全国の新聞社が合流し、名称を「共同新聞記者倶楽部」と改め記者クラブが始まる。 1941年5月-新聞統制機関「日本新聞連盟」の発足に伴い、記者クラブの数は1/3に減らされ、クラブの自治が禁止。 1949年10月26日-日本新聞協会は『記者クラブに関する方針』を作成し、記者クラブを「親睦社交を目的として組織するものとし取材上の問題にはいっさい関与せぬこと」と規定。 1997年12月-日本新聞協会は記者クラブを公的機関が保有する情報へのアクセスを容易にする「取材のための拠点」と改める。 2005年3月24日-ライブドアがインターネットメディアとして初めて気象庁記者クラブに加盟を申請。しかし、2006年3月15日、前社長・堀江貴文が証券取引法違反で起訴されたことを理由に申請を出席社の全会一致で却下[1]。 2005年7月9日-フリージャーナリスト(ルポライター)寺澤有と船川輝樹週刊現代副編集長が警察庁と記者クラブ加盟社15社を相手どり、警察庁庁舎内で行われる記者会見などに出席し質問することを妨害してはならない、との仮処分申請を東京地方裁判所、東京高等裁判所に申し立てるが棄却。最高裁判所に特別抗告している。 特定の新聞社・放送局が取材を独占し[2]、中小メディア・フリージャーナリスト・海外報道機関の加入をクラブ側が拒否する状態が今でも続いている。批判を受けて日本新聞協会は、外国人特派員協会加盟社は新聞協会加盟社を同等に扱うとの方針を打ち出して、1990年代後半にロイターが兜クラブの加盟を認められた。以後、ブルームバーグやダウ・ジョーンズなど日本国内で大規模な報道網を持つ外資メディアは大半のクラブに加盟し、幹事業務にも携わっている。しかし、このようなことができる外資メディアはごく一握りで、大半の在京外資メディアは記者が数人しかいないため、記者クラブに加入して記者を常駐させることは不可能である。 EU(欧州連合)からは、記者クラブ制度は閉鎖的であるとして、日本の外務省発行の記者証を持つジャーナリストには公的機関での取材をすべて開放し記者クラブ制度を廃止すべきだと主張が出ている。これは英国人女性失踪・殺害事件でクラブ未加盟の外国人記者が警察での記者会見に出られなかったことや小泉首相の北朝鮮訪問の際、非加盟社が同行取材を拒否されたことが背景として挙げられる(飯島勲秘書官の発言)。また、言論の自由やジャーナリストの権利を守るための活動をしているジャーナリスト団体である「国境なき記者団」も日本政府に対して記者クラブ制度の廃止を求めている(外国人記者クラブも参照)。 記者クラブを設置することにより、官庁などでは公式発表などを迅速にメディアに伝えることが可能となる。特に伝える側が発表時刻を記者クラブに連絡して報道を簡素化できる。同時に、記者室には報道各社毎の通信設備も設置でき、取材から編集までの時間が大幅に短縮できる。また、地方自治体においても、情報を提供したい場合などに上位の自治体に設置されている記者クラブに連絡することにより情報発信が容易となる。 さらに、一定の信頼性を有するメディアに所属する記者などに限定して情報を発表することにより、歪曲された報道を抑止する効果も持つ。極めて慎重に扱うべき問題を発表する警察機関などでは、報道被害を未然に防ぐ意味でフリー記者を排除する一定の合理性が存在することも否定できない。また、歴史的に一定の信頼関係を築いてきたメディア所属の記者と、信頼関係を築いていないフリー記者を同列に扱うのは間違いであるという主張もある。 また、官庁などが記者クラブをなくしてマスコミの取材を受け付けないようにした場合、スキャンダルの報道を未然に防ぐことが出来るため、国民の知る権利が損なわれるという懸念もある。 記者クラブがなくなった場合、売名目的で歪曲報道を行うフリー記者が多数出現してしまうことが危惧される意見もある。 外国では広報担当者が、情報を公示する、あるいは会員制でなく登録制の記者会見を開くことで全く同じ目的を達成しており、日本のような会員制の記者クラブが必ずしも必要とはいえない。未然に発表すると害をなすかもしれない情報を公表しないようにするのは、警察の責任で記者クラブの責任ではないと主張するフリー記者もいる。 記者室及び運営費用が基本的に取材側に無償提供されることもあって、取材対象との馴れ合い、癒着が生じやすく、情報提供側にとっては情報操作が容易になる。懇談会などで出た所謂オフレコを報道することに関してクラブ内の取り決めによって規制されるケースがあり、こうした取り決めに違反した場合、記者クラブへの出入りを禁止する等の措置が取られることが多々あるために、発表が横並びになる。記者は記者会見の内容を要約するだけの仕事が主になり、発表内容が真実かどうか確かめることが疎かとなり、色々な場所に出向き調査して報道できる記者が育たなくなる。その結果、報道においては、記者クラブによる発表報道が多くを占めることになる。松本サリン事件では警察庁から記者クラブを通じて与えられた情報により、第一発見者を犯人視する報道がなされた。 インターネットの普及により新聞離れやテレビ離れが進み、市民記者やブロガーといったインターネットを発表手段にする記者が登場している現在、既存メディアのみで構成される記者クラブは時代にそぐわなくなりつつあるという見方もある。 古くは1921年にガス会社がガスの値上げの承認のために当時の東京市議会の市議に贈賄工作を行ったが、その際市役所や警視庁の記者クラブに詰めていた新聞記者にも贈賄工作が行われていたことが発覚し、世論から糾弾された(東京ガス疑獄事件)。 1974年に文芸春秋が報じた「田中金脈問題」の場合、当時この疑惑は以前から記者クラブ内では知られていた話にもかかわらず、ほとんどどのマスコミが文芸春秋が記事化するまでこれを黙殺した。 1998年、TBSで放送された『総理と語る』では、当初同局がビル・クリントン大統領とのタウンミーティングを成功させたことを踏まえた上で、『ニュース23』キャスターの筑紫哲也が、当時の小渕恵三首相に対し、クリントンと同様の形式で、タウンミーティングを行うことを打診した。これに対し、小渕本人も乗り気だったが、記者クラブ側の反対で頓挫した。結局『総理と語る』はこれまで通りの形式で行うことになった[3]。 1999年、東京高検検事長の女性問題を調査していた最高検次長検事が、法務省内で複数の記者に対し「確かに浮気はあったかもしれないが、みんなそういうことを活力にしているんだ。この建物(法務省)の中の半分以上の検事はそう思っている」と発言。しかしこの発言は、記者クラブに所属していなかった西日本新聞が記事にするまで、記者クラブ内ではさほど問題にされなかった。 1999年、農水省記者クラブの会見場に国旗を置くことを巡り、一部メディアと農水省関係者が揉める事件が起こった。当時は「国旗国歌法」が成立した直後で、強制の有無を巡って議論となっていた中で起こった事件であった。この時の一部メディアの行動に対しては「国旗国歌法」を支持する側だけでなく、同法に批判的な側からも「そもそも農水省の庁舎内で騒ぐこと自体がおかしい」「記者クラブのエゴではないか?」との批判が出た。 2000年、当時の小渕恵三首相が突如日本テレビとテレビ朝日の番組に電話で生出演した。しかし記者クラブ側からは、「前例がない」という理由でテレビ朝日に抗議した(日本テレビはお咎めなしだった)。 2000年6月25日、首相官邸敷地内にある記者クラブ「内閣記者会」で『明日の記者会見についての私見』と題するメモが落ちているのが見つかった。このメモは2000年5月26日に行われた当時の首相・森喜朗の神の国発言の釈明会見で、記者側の追及をかわす方策を記した首相宛ての「指南書」とみられた。またこの問題をめぐっては主要週刊誌がその指南書を書いたメディア(NHK)を実名で取り上げたにも関わらず内閣記者会側はこの問題の真相究明には消極的だった。この指南書はNHKが記事出稿に使用する「5300」と呼ばれる端末内にある「連絡メール」の印刷様式と同じであった。また、NHKでしか使わない「民放」という表記があった。 2005年11月8日、放火事件で逮捕されたNHK大津放送局の記者が所属していた滋賀県警記者クラブを滋賀県警が家宅捜索した。しかし情報源の秘匿が脅かされるとして危惧する意見も出た[4]。 2007年9月10日、日本相撲協会は杉山邦博日本福祉大学客員教授に対し横綱朝青龍に関するテレビでの発言が協会批判に当たるとして協会発行の取材証を返還させた。これに対し杉山が会友として所属している東京相撲記者クラブ側は「批判する相手の取材証を取り上げるのは暴挙」と反発している。 元共同通信記者でジャーナリストの魚住昭は「官庁の集めた二次、三次情報をいかに早く取るかが仕事の7、8割を占めてしまうと、実際に世の中で起きていることを察知する感覚が鈍る。役人の論理が知らず知らず自分の中に入り込み『統治される側からの発想』がしにくくなる。自分はそうではないと思っていたが、フリーとなって5年、徐々に実感するようになった。」(2001年5月26日付朝日新聞)と記者クラブにいることによって記者の精神的荒廃が起こり、ジャーナリストとしての感覚が鈍ってしまうと指摘している。 コラムニストの勝谷誠彦は記者クラブ制度を「最大の利権談合共産主義」として痛烈に批判している。その証拠として、衆議院議員河野太郎は(日本のメディアでは)記者が政治家から食事をご馳走になるのは当たり前、政治家が外遊する際には同じホテルに泊まり、「政治家と記者はよいお友達」になることがメディアでは「良い記者」とされている現状を指摘している[5]。勝谷自身も民主党の小沢一郎から講師料として50万円を受領していた。 1994年、当時新生党代表幹事だった小沢一郎が、記者クラブ以外の雑誌社記者も会見に参加できるという当時では画期的な試みを行ったが、小沢とメディアとの対立などもあって途中で挫折に追い込まれた。 2002年、当時民主党幹事長だった岡田克也がスポーツ紙や週刊誌や外国報道機関などのあらゆるメディアが会見に参加できる方式を導入した。それまでは野党クラブ以外のメディアが会見に参加することが出来なかった。 1996年4月、神奈川県鎌倉市は、全国紙や地元紙の神奈川新聞など6社でつくる「鎌倉記者会」に市役所内の記者室を使わせるのを止め、その場所を市に登録した全ての報道機関が利用できる「広報メディアセンター」として開放した。当時の市長・竹内謙(元朝日新聞編集委員、現・インターネット新聞janjan代表)の「一部の報道機関でつくる記者クラブが、税金で賄う市の施設を独占するのはおかしい」という考えによるものであった。 2001年6月8日、東京都は都庁内の鍛冶橋・有楽記者クラブに対し、同年10月からクラブ及びスペースの使用料を支払うよう申し入れたが、後にこれを撤回し、光熱・水費と内線電話代に限って徴収することになった。また、石原慎太郎東京都知事は週刊誌や外国報道機関が会見に参加できないことについて疑問を呈している。 2004年3月30日、外務省は、中央官庁・都道府県庁・警察などに対し、外国メディアの記者を会見に参加させるよう依頼する文書を発送した。 2006年3月14日、北海道は、厳しい財政状況等を踏まえ新年度から「道政記者クラブ」に対し、光熱費・水道料金等約250万円の支払いを求めることを決めた。 2007年5月11日、東国原英夫宮崎県知事は定例記者会見で、「記者クラブという存在は、先進国では日本だけ」であると述べた上で、現行の県政記者クラブの在り方を見直すべきとの問題提起を行った。 1993年6月、東京証券取引所記者クラブである「兜倶楽部」は、これまで加盟資格は日本の報道機関に限られていた規約を改正して、新たに「日本新聞協会加盟社に準ずる報道業務を営む外国報道機関」と付記し、事実上外国報道機関にも門戸を開放した。 1999年3月、経団連機械クラブが廃止。この記者クラブは、電機、造船、半導体、自動車など取材拠点として運営されていたが、家主の経団連側が退去を要求。報道側と発表主体企業側とでクラブ存続の方策が議論されたが、打開策が見つからないままクラブは消滅した。この背景には電機メーカー側はオープンな記者会見を行い、ニュースリリースもメールを利用していたので、クラブを使うメリットが少なかったからと言われている。一方、自動車業界はクラブを存続させるため、日本自動車工業会の中に「自動車産業記者会」を設置したが、朝日、読売、毎日、日経が参加を拒否し、事実上、記者クラブとして機能していない。 1999年7月、日本電信電話(NTT)の記者クラブ「葵クラブ」が、NTTの再編に伴って廃止。葵クラブについては、かねてから一民間企業に記者クラブがあったことについての問題が指摘されていたが、NTT再編を機に報道各社で作る経済部長会が葵クラブを記者クラブとして認めないことで一致。一方、NTT側もクラブ加盟社以外の雑誌や海外メディアに記者室を開放する狙いからクラブの廃止を受け入れた。 2001年5月15日、前長野県知事・田中康夫は「脱・記者クラブ宣言」[6]を発表した。県庁にある3つの記者室を閉鎖し、誰でも利用できるプレスセンター「表現道場」(後に「表現センター」に改称)を設置し、会見を記者クラブではなく県主催で行うというものだった。大手マスコミの情報独占の停止と記者室の無償提供などの便宜供与の停止が目的だったが、大手マスコミは激しく反発し、以後の県内外の大手マスコミとの確執を生んだと言われている。特に信濃毎日新聞は、田中から執拗に質問を受けるなど、信毎は「記者会見に名を借りた糾弾だ」と抗議していた。 2006年10月3日、現知事・村井仁は「表現センター」を「会見場」に名称を変更することを発表した。また、田中時代と同様に一般の人も申し込めば会見に参加できるようにするとしている。会見は県主催なので、参加に制限はない。マスコミ各社は、初回の会見をはじめ、数度にわたり、記者会見のあり方について村井に質問しているが、村井はこれは記者会見ではなく会見であると訂正した上で、市民の自由な参加を確保しつつ、ほとんど全ての方の質問に答え終わるまで続ける運用を変えないと表明している。 東京証券取引所内に設置された記者クラブ。決算発表や、株価に重要な影響を及ぼすような出来事については、企業はこのクラブで発表するのが基本とされている。 旧国鉄の記者クラブ。現在はJR東日本の本社にある。運輸を担当している記者は国土交通省のクラブに詰めているため、ときわクラブに常駐している記者はまばら。毎日新聞記者時代の種村直樹も所属したことがあり、種村がレイルウェイライターとなってから執筆したフィクションには「ときわ」をもじった架空の固有名詞がいくつか登場する。 寄り合い所帯の様相が強く、交通政策の取材をしている記者の隣に座っている記者はゼネコンの債権放棄問題を取材しているなどの光景が繰り広げられている。 東京・中央区にある日本鉄鋼連盟の中にある記者クラブ。鉄鋼連盟にあるにもかかわらず、常駐記者は非鉄金属、化学、繊維、ゴム、紙、ガラス、化粧品、日用品(ライオン、花王など)、医薬品、アパレルなどを担当している。経済系の記者クラブとしては最も担当業界の範囲が広い。 ただ、日経、朝日、読売、毎日の4紙が記者クラブに参加しないことを決めたため主要4紙が加わらない記者クラブに。このため、新聞協会は自動車記者会を記者クラブと認めていない。 このクラブは会議所側が中小企業をマスコミに取材してもらおうという意図で設立を働きかた。しかし、現実には、流通やサービス、ノンバンク、食品業界を取材する拠点になってしまい、中小企業を取材する社は皆無に等しい。会議所側はこれに対して不満で再三、中小企業を取材するよう要望するものの実現には至っていない。 このため、クラブ運営をめぐって会議所と報道側の関係はかならずしもしっくりいっておらず、クラブ閉鎖の噂がたびたび浮上している。 総理大臣官邸の敷地内にある記者クラブ。最近は「官邸クラブ」などと呼称する場合が多いが、正式には内閣記者会と称する。永田クラブ所属の記者は、主に内閣総理大臣、内閣官房長官、官房副長官や官邸や内閣府の取材を担当する。 国会議事堂、衆議院内にある、在京テレビ局6社(NHK・日本テレビ・TBS・フジテレビ・テレビ朝日・テレビ東京)が加盟している、テレビニュースカメラマン専用の記者クラブ。 ちなみに、テレビニュースカメラマン専用の記者クラブは映放クラブが日本で唯一。 衆議院内にある、ラジオニュース専門の記者クラブ。正式には国会放送記者会と称する。民放クラブ所属の記者は、主に政治取材における記者会見やぶらさがり取材の録音をする。 ちなみに、民放クラブにNHKは加盟していない。NHKのラジオニュースはテレビニュースの音声を使用するため。 自民党本部内と衆議院内にある記者クラブ。平河クラブに所属する記者は、主に自民党、公明党の取材を担当。 自民党本部の平河クラブは「党本部平河」、衆議院内にある平河クラブは「院内平河」として区別している。所属する記者は、国会開会中は院内平河に、国会閉会中は党本部平河に詰める場合が多い。 国会議事堂、衆議院内にある記者クラブ。野党クラブに所属する記者は、主に民主党、共産党、社民党の取材を担当する。 朝日、毎日、読売、東京、日経、共同の新聞・通信社6社が加盟する「七社会」。昔はここに時事新報も加盟していたので、7社の加盟で七社会に。警視庁の記者クラブの中では最も歴史と権威がある。 NHK、産経、時事、ニッポン放送、文化放送、MXテレビが加盟する「警視庁記者倶楽部」。実質的に常駐しているのは前3社で記者クラブの中では最小規模。 労働運動に関連する記者クラブ。正式名称は労働運動記者会(所在地は労働委員会会館内)。 連合通信社[1](東京都港区芝1丁目4番9号)が幹事社である。以前は総評などが情報提供をし、加盟紙誌記者が取材していた。現在は連合が関与している。その中で労働情報としんぶん赤旗の2紙誌は、旧全逓(現・JPU)の巨額負債事件や組合予算使い込み事件を報じたため、旧全逓によって加盟を妨害されたことがある。 1956年に社団法人日本雑誌協会が設立され、この中に「雑誌編集に関する取材活動の便宜をはかるため、協会会員社によって、日本雑誌記者会、日本雑誌写真記者会」が設けられる。 外国では日本のような「記者クラブ」のシステムは韓国にのみ存在し、日本の併合時代からの影響だと言われている。韓国でも記者クラブの弊害が指摘されているが、2001年6月11日には、京畿道城南市庁に出入りする『京仁日報』『全国毎日』など11の地方新聞社の記者が自ら記者クラブから撤収するなど、マスメディアの自主的な改革や、同年に仁川国際空港の記者会見から排除されたインターネット新聞「オーマイニュース」が排除差止めを求める訴訟を起こし認められたことも、記者クラブ解体に拍車をかけることになった[7]。 2003年には、盧武鉉大統領の方針によって大統領府(青瓦台)の記者クラブを解体し、新たにインターネットメディアや外国報道機関などにも門戸を開く会見室を設置した。これによって、青瓦台に登録すれば会見に参加できるようになった。 国防総省などでは比較的に日本に似た「記者クラブ」は存在するものの、あくまで少数であり、また、日本と違ってサロン的色彩が強い。 ホワイトハウスでは、特定の大手メディア記者を秘密裏に呼び集めて、「ブリーフ」と称するメンバー制の秘密会見を行っている。しかしそれ以外では、ジャーナリストであれば誰でも発行してもらえる「記者証」によって、ホワイトハウスや各省庁の記者会見に参加することが可能である。ただし、「記者証」を発行してもらうためには厳重なセキュリティーチェックを受けなければならず、また。発行されるまでに数ヶ月程度時間がかかることもある。 最近では、インターネットのブログでニュース報道を配信しているブロガーに記者証を発行し、話題になった一方で、ウェブ上でニュース報道を配信しホワイトハウスから記者証を発行されていた保守系ニュースサイトの記者が、違法ポルノサイトを運営、違法取引を行っていたことが発覚し、セキュリティーチェックの不十分さが指摘された。 これまでは議会記者証を持った記者だけが対象のブリーフィングが行われていたが、トニー・ブレア政権になってからフリー記者の会見参加が認められるようになった。また、ブレア政権発足までブリーフィングはオフレコ扱いとされていた。 ジャーナリストであれば「プレスカード」が発行されるが、この発行を受ける場合は、メディアの関係者とジャーナリストで作られている「プレスカード委員会」の審査を受けなければならない。また、この「プレスカード」によって大統領府(エリゼ宮)や各省庁の記者会見に参加することができる。 全国の多くの記者クラブでは、記者クラブのメンバーと広報担当者との間で懇親会(忘年会・暑気払い・送別会など)が行われたりしている[2]。地方の小規模の記者クラブほどその傾向が強いとも言われる。違法行為というわけではないが、ジャーナリストとしてふさわしくないという意見もある。 2002年に内閣官房報償費(所謂官房機密費)問題がクローズアップされた際、毎年行われる内閣記者会の忘年会や新年会更には慰安旅行に行く際に、官房長官が記者会側に餞別を渡し、しかもその餞別が内閣官房報償費から出ていたことが発覚し問題になったことがある。 2005年には館林市の市長と報道各社による定例会見後の昼食代が、公費から支出されていたことが市議会議員の質問で明らかになり、館林市は公費負担を廃止する意向を表明した。 ^ a b 安居院文男「『あるある』渦中フジ社長、記者クラブ員と豪華宴会(上)」 ライブドア、2007年2月3日。 ^ 筑紫はこの顛末を著書『ニュースキャスター』で明らかにしている。因みに筑紫は記者クラブ制度について批判的なことでも知られている。 柴山哲也 『日本型メディアシステムの興亡 瓦版からブログまで』 ミネルヴァ書房、2006年6月。ISBN 978-4623046089 この「記者クラブ」は、社会科学の分野に属する書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。(ウィキプロジェクト 社会科学) カテゴリ: 出典を必要とする記事 | 報道 | メディア問題 | 社会科学関連のスタブ項目 |
[ 83] 記者クラブ - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%98%E8%80%85%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96
