性別とは?

エコーで胎児の体を確認し、赤ちゃんが男女いずれかを判断すること。希望者に教えてくれていた産院が多かったようですが、エコーは性別判断のためではなく、胎児の発育状態を診断するためのものであり、また100%正しい性別判断ができるとは限らないことから、産婦人科学会では男女の告知は避けていく方向にあるそうです。
9割近くの方が事前に子どもの性別を聞いているようですね。ほとんどの場合は、教えてもらったとおりの性別の赤ちゃんが生まれているようですが、中には逆の場合も。でも赤ちゃんが生まれれば、性別に関係なくかわいいという声が多数でした。
性別を事前に聞いた人と聞かなかった人に、それぞれ「よかったこと」「悪かったこと」や、それにまつわるエピソードについて聞きました。聞く、聞かないについては、自分の意思だけではなく、産院の考え方や予期しなかったハプニングが影響することもあるようですね。
出産前に買い揃えるもの、友人・知人からお下がりを頂戴するのに助かりました。妊娠前から名前はすでに決まっていたので、お腹をさすりながら名前を呼んでどんどん話しかけました。母親の勝手な言い分ですが、すでにその頃から一緒に遊んでいた感覚、というか親子の絆が深まっていったような気がしていました。
みさっぺさん[神奈川県](出産前に性別を聞いた(生まれてきた子もその通りの性別だった))
産まれた時に看護師さんから「女の子ですよ!」と言われても感動?と言うか、あー知ってる、程度にしか感じなかった。どっちだろう?って言うワクワク感は少ない。でも、名前をしぼってじっくり考えたり、服を買うときに迷いが少なかった。もし、次が出来たら聞くのやめようかなとも思う。
みゅうさん[愛知県](出産前に性別を聞いた(生まれてきた子もその通りの性別だった))
性別が二転三転、、、最初は女の子がほしかった私。男の子と2回言われ、女の子と1回言われ、聞いてるうちに結局どっちでもよくなって、というかどうでもよくなって結局男の子でもメロメロに。
ゆうきっくさん[茨城県](出産前に性別を聞いた(生まれてきた子もその通りの性別だった))
聞いたというか聞く前に女の子ですってお医者さんにいわれました(゜_゜;)。でも聞いていてよかったと思いました。いろいろ準備するのに性別ははっきりしていたほうが準備しやすかった。
咲良ママさん[愛知県](出産前に性別を聞いた(生まれてきた子もその通りの性別だった))
うちの場合は聞いたというよりも、エコーの画像を見ていたら、子どもがおまた全開だったので、すぐにわかりました!!でもずっと聞こうとは思っていたので、うれしかったですよ!!性別が先にわかっていると、出産準備はもちろん名前もゆっくり決めれましたし、何より出産後のイメージもわきますし、雑誌を見てても、やっぱり見かたは変わったと思います!!あと、旦那さんとも、イメージの世界ではあるけれど、話は弾んでとっても楽しいです!!
8カ月頃まで病院の先生にも友人にも女の子に違いないと言われていたのに、9カ月初めに超音波の時、おちんちんが見えましたぁ〜!!と言われました。私は妊娠がわかる前に、夢で男の子の赤ちゃんを抱っこしているのを見ていたので、最初から男の子だなと思っていましたけど。
アネラさん[東京都](出産前に性別を聞いた(生まれてきた子もその通りの性別だった))
出産準備のために聞きましたが、女の子だったのと、ずっと逆子だったため判別がなかなかできず。結局ぎりぎりまではっきりとはわかりませんでした。なので、早まった姉から男の子用の洋服が届いたりしました。
はるるさん[神奈川県](出産前に性別を聞いた(生まれてきた子もその通りの性別だった))
8カ月の終わりに聞いた時は女の子と言われ、女の子用の洋服を用意し始めたんですが9カ月の健診の時に明らかに男の子とエコーでわかり、先生といっしょに「あらー」と言った覚えがあります。急いでお洋服を返品して男の子用のものに変えてきました。
まろんさん[愛知県](出産前に性別を聞いた(生まれてきた子もその通りの性別だった))
聞いてみたが、先生が赤ちゃんの性器が見えにくくてよくわからないと言われ、結局生まれるまでわからなかった。でも、よくわからない場合は女の子と言われていて、実際女の子だった。
corochanさん[神奈川県](出産前に性別を聞いた(生まれてきた子もその通りの性別だった))
1人目の時は、教えてくれない先生だった。2人目は聞いた。女の子がよかったのに、男の子と言われ、1週間落ち込んでいた。出産の時は立ち直っていたからよかったけど、聞かなかったら、マタニティー・ブルーになるところだった。
ちょろさん[新潟県](出産前に性別を聞いた(生まれてきた子もその通りの性別だった))
楽しみだったから、聞いた。だが性別を2回間違えられ(結局最初に言われた性)・・・産まれてくるまで違う性だと思っていた。洋服とか、特に揃えなかったから良かったが、この時代にそんなミスがあるのかと驚いた。タイヨウさん[埼玉県] (出産前に性別を聞いた(生まれてきた子は逆の性別だった))
タイヨウさん[埼玉県](出産前に性別を聞いた(生まれてきた子は逆の性別だった))
性別は、私にとってはどうでもいいことなので聞きませんでした。(どちらでもよかった)生まれたときに「どっちですか?」と聞いてみたかったのもあるし、先入観があるのは、おなかの赤ちゃんにとって良くないと思ったので、聞きたくないといった方が正解かも。でも今は聞く人の方が多いようで、健診のたびに「性別言ったっけ?」とドクターに言われました。わからないようにする方が大変でした。
教えて欲しかったのに、教えてくれない先生だった。自分の中ではてっきり男の子のつもりですべてブルーで揃えたのに、うまれてみたら女の子・・・。あわててピンクの服を買いにいきました(笑)。どちらも使える黄色はあまり好きではなく、知っていれば、性別に併せて色を揃えることができたのに・・と今も残念です。。
産まれてからの楽しみにしようと思っていたので、聞かなかった!産まれた瞬間に性別をきいたのはうれしかった♪でも、準備の段階で洋服の色は決められず、黄色で統一。女の子だったが、ピンク系がなかったのでかわいいのを着せてあげられなかった。
上の子も今回も聞きませんでした。あたりまえのように妊娠すると『どっち?』って聞かれることがものすごく嫌でした。私の場合は妊娠こそ奇跡の授かり物だと考えていますので出産前に性別がわかるというのが嫌なのです。性別を聞かないからこそ妊娠中も楽しめたし、出産の喜びも倍増だと思っています。
産院が教えないところだったので聞かなかった。出産直後処置中に先生に「どうして教えないんですか?」と聞いたら「100%じゃないし、本来モニターは病気や赤ちゃんの様子を観察する為のもので、性別を知る為のものじゃないから」、と言われた。その通りだと思いました。

[ 72] 性別判断|妊娠・出産の用語集・体験談|プレママタウン
[引用サイト]  http://www.premama.jp/jiten/pregnancy/preg21.html

戸籍の性別を変更する問題については、2003年7月に「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が成立し、きわめて限定的でありハードルは高くはあるが、一定の要件を満たせば、戸籍の性別を変更できることが可能になった。ちなみに、これは日本の話。では、性を変えて生きる人にゆるやかな社会であるタイはどうだろう。
タイには、戸籍制度というものはないのだが、国民全員がIDカードというものを所持していて、そのカードには性別記載がある。そして、その性別にもとづいて、男性と女性とで取り扱いが異なることがらがある。例えば、徴兵(※)は男性のみに課せられている。なお、このIDカードの性別は、性転換の手術を行ったとしても変更はできないということだ。つまり、ヨーロッパや日本のように(ただし日本は極めて限定的)、登録されている性別を変更することはできないということ。それでは、オランダやカナダで可能となった同性婚はどうか。これも、法的な制度としてはできないということ。
とすれば、日本より、さらには、ヨーロッパよりもタイの方が不自由なのかというと、これが全くちがう。制度として認められることと、実際問題として受け入れられることとの間には、発想法が全くちがっているということをつくづくと感じた。そして、私は、タイの方に軍配をあげたいと思っている。
(※)タイは徴兵制である.しかし、男性全員が徴兵されるわけではなく、なんとくじ引きで選ばれるという.地方によって必要とされる兵士数が異なり、したがって徴兵される率がちがうらしい.くじに当たりにくいように徴兵の率が低い地方に移住することもあるとか.このあたりが何ともタイらしい.
法律を改正して、制度として、戸籍のような性の登録を変更できるようにしたり、同性婚を承認したりするということは、逆に言うと、そういった必要性を感じるマイナーな人たちへの差別と偏見が、相当程度に残っているということを意味しているともいえる。人権を錦の御旗にして制度の変更を求めていかなければ、マイナーな人が自分らしく生きることができにくいという社会であるということの裏返しなのだとも考えられる。
「そりゃ、日常的にはどーでもいいよ。わたしも、普段そんなこと気にしないし。でも、制度的にはどーでもよくない」
やっぱりね、としか言いようがない。日本の現在の状態を固定的に考えるのであれば、制度の変更を対置する以外にない。それはわかる。しかし、その発想そのものを「アメリカ的」だといっているのだ(もちろん、アメリカだけの話ではなく、そういった国々全体を指しているが)。私は、そのような「アメリカ的」な発想ではなく、タイ的な発想にもとづいた日本の社会をつくっていくことが大切なのではないかと述べたいのだ。これまでにも、日本には、ゲイボーイやニューハーフの文化があった。さらには、黒白をはっきりさせない文化、アジア人として共有できる感覚など、「アメリカ的」であることよりは、よほど、タイ的なことのほうが、日本が培ってきた文化と近いものがあるように思える。
タイでは、当事者からでも、IDカードの性別を変更せよという運動はほとんどないという。法的に同性婚を認めよという運動も聞こえてこない。これは、タイ人の意識が低いからということでは全くない。「GIDを病気というのは、欧米の誤った考え方」とはっきりと言う人がいるように、性にかかわる問題について、しっかりと考える人たちはかなりいるはずだ。なのに、性別変更や同性婚を要求する運動はほとんどない。
IDカードの性別と、リアルなその人の外見的な性がちがっていても、そのことでどうだこうだとうるさく言われることは少ない。日本であれば、選挙ハガキに印字されている性別と実際の性のありようがちがっていると、なんだかんだと詮索されるため、選挙にも行きにくいということが言われてきた。だから、一方では、戸籍の性別を変更できるようにするべきだとか、他方では、必要以上に性別欄をつくるのはやめろという運動がなされる。タイは、そういうふうに詮索されることも少ないため(性別欄がMで女性の生活をしている人など普通にいる)、あえて、IDカードの性別変更を求める必要性も生まれてこないのだろう。実際に、私のケースでいうと、入国審査でも、ホテルのチェックインでも、国内線に乗るときでも(※)、性別欄はMであるにもかかわらず、なんの質問もされずにいとも簡単にパスしたのだった。性別蘭がMの人が、スカートをはき化粧していても質問も受けずに普通に過ごせる。いやむしろ、フレンドリーに声をかけられることすらあるぐらいだ。
同性婚にしても同様。タイでは、異性カップルであろうと同性であろうと、2人が一緒に住めば「私たち結婚した」と語るとのこと。法律で認めるから結婚なのではなく、事実婚が「結婚した」となっている状況だということを聞いた。法的な婚姻カップルに格別の特典もなく、また家制度がないため、2人が生計を共にして生活しているという事実で、周りが「結婚した」と承認する風潮らしい。そうなると、法的に同性婚を認めるかどうかは、ほとんど問題にならないことになる。
(※)タイでは国内線でも、外国人はパスポートを見せなければならない.タイ人はIDカードが必要.
テレビ制作会社の男性が、私の分もあわせて、バンコクの王宮に入る入場券を購入したときのこと。窓口の係官が、私のことについてこういったという。「きれいな人だね.大切にしてあげなよ」と。もちろん、私のことを女性だと思って言ったわけではないだろう。レディボーイ(MTFトランスジェンダー)だと認識して、そのうえでフレンドリーな会話があったということだと思う。「きれい」は係官のお世辞だろうが、しかし、フレンドリーな言葉であることはまちがいない。同じ場面が日本であれば、私たちが立ち去ったあと、係官同士で笑いあうということすら考えられる。「微笑みの国・タイ」、なんとこのスローガンがあてはまる場面なのだろうと思ってしまった。「トランスジェンダーが差別されないことは人権なんだよ」と、しかめっ面して言わなければならない社会とは、かなり趣がちがう。権利とか自由とかを声高に叫ぶのでもない。理屈ではない。仏教文化が背景にはあるのだろうが、やさしく微笑む雰囲気を醸し出している社会、それがタイ社会なのだ。
戸籍の性別変更の特例法は、その条件があまりにも厳しい。そのため、条件を緩和しようとする運動もあるようだ。とくに、第3条の3「現に子がいないこと」は当事者にとってはつらい。すでに子どもがいる場合には永久に変更が不可能となるからだ。だから、この項目への不満が最も大きい。
では、緩和すれば、一応の前進があると考えられるのか? 緩和がないよりもあった方がいいということぐらいは言えるかもしれないが、緩和されても、それは、区切り線がいくらか移動しただけにすぎず、依然として、性別変更の恩恵にあずかれない当事者はたくさんいることが考えられる。緩和策などは前進でもなんでもないというぐらいの発想の転換が必要になっていくのではないだろうか。
戸籍と実際の外的な性のあり方が違う場合に、そこに、差別と偏見があることが根本的な問題なのであって、それに手をつけず、戸籍の性別変更で解決しようとするのは、絶対に本末転倒だ。差別と偏見が解消されれば、どういうパターンで別の性で生きる人たちであっても救われるのだが、一定の条件のもとでの戸籍の変更という方法だと、必ず、条件から漏れる人たちを生み出してしまう。差別と偏見が、あらたな区切り線に移行するだけにしかすぎないということに、私たちはもっと自覚的であるべきではないか。
いろいろな公的書類から、できるかぎり性別欄をなくしていくという運動は、これはそれなりにうなずける。区切り線を移行するという作用ではなく、どんな人でも、性別を気にしなくてもいいという効果をもたらし、ジェンダーフリーの流れとも合致する。私も大いに賛成したい運動である。しかし、あえて言いたい。本来ならば、性別欄が「男性」の人がやってきて、その人がスカートをはき化粧しているとして、そこで騒ぎ詮索するのではなく、「別にいいんじゃないの」と普通に受けとめる感覚になっていくこと。これが、本来の解決方向なのではないだろうか。
タイの社会が、十分にそうだとはいえないにしても、性を変えて生きる人たちを、かなりの程度、普通に受けとめている状況が現にあることを考えれば、本来の解決方向を模索することも、あながち遠い夢物語だと言い切る必要もあるまい。
この数年間の運動は、戸籍の性別変更、性別欄の撤廃など、なんとなく、制度を変えることに重点がおかれていたように思う。制度を変えることを悪いと言っているのではない。しかしそれ以上に、当事者以外の人たちが当事者をどのように受け入れていくのかという「共生の心」を広げていくことが片隅に追いやられていたのではないだろうか。
日本には、ゲイボーイやニューハーフのような「性を変えて生きる人たち」の文化が、かなり長い年月にわたって行われてきた。このような歴史については、ご自身もトランスジェンダーで、中央大学の講師などをされた三橋順子氏の研究がある。「彼女」が書いたものを読むと、かなり前から、日本には、性を変えて生きる人たちが現実に存在していたのだが、戦前は、そういった人たちを、少しも「微笑むことのない」国家権力が押し殺してきたという事実を知ることができる。しかし一方で、戦後のトランスジェンダーの歴史は、着実に、日陰の存在から、少しずつではあるにせよ、陽の当たるポジションを獲得してきたことを物語ってはいないか。ニューハーフの元祖・松原留美子はテレビにも頻繁に登場し、性を変えて生きる人を明るくとらえるきっかけになった。それ以前からのタレントである三輪明宏やピーターの存在も大きい。カルーセル麻紀のキャラクターもなかなか面白い。
ゲイの運動では、自分たちを受け入れさせていくプロセスとして、人権や差別撤廃を声高に叫ぶ手法ではなく、ゲイの人たちのパロディや笑いなどを通じて一般の人を引き込んでいくというキャンピィ感覚があると聞く。このあたりの分析は、ゲイのオピニオンリーダーの一人でもある伏見憲明氏の『ゲイという「経験」』(ポット出版)に詳しい。制度を変えることや人権・差別反対を叫ぶことだけでは、どうしても限界がある。ゲイの世界は、キャンピィ感覚というユニークな手法も交えて、広い意味での反差別運動に多くの人を巻き込むようになってきた。たとえば、新宿2丁目は、世界でも指折りのゲイタウンなのだが、最近では、一般の男女も、屈託なくこのエリアで遊ぶ人が増えてきているという。
キャンピィとはちがうが、トランスジェンダー界にも、上記したように、一般の人を惹きつけてきた多くの文化があった。こういった文化としっかりと結びついた広がりのある動きをすることで、一般の多くの人も、「性を変えて生きていても別にいいんじゃないの」と受け入れるようになっていくのではないだろうか。ゆめゆめ、ニューハーフの人たちと自分たちとはちがうだとか、ニューハーフ世界を切り離すような運動にしていってはならない。この点が、戸籍の性別を変更させる運動には決定的に欠けていた点だ。このようなあり方では、タイのような「微笑んで」受け入れるという社会をつくっていくことはできない。
タイは、ニューハーフのような接客・ショーの職業と、昼間の会社勤務や学校の教員、病院のスタッフなどの仕事に就く人とが2分してはいない。とらばーゆもけっこう行われている。日本も、タイの実情に学ぶべきである。ニューハーフなどの人たちが就く接客・ショーも、しっかりしたポジションである職業として受けとめられていくことが、そうではない仕事に従事しているトランスジェンダーが受け入れられることにもつながっていくのだというはっきりした意思を持つことが大切ではないだろうか。
微笑みの国・タイの、性を変えて生きる人たちをとりまく状況は、日本という私たちの社会にも、多くのことを示唆してくれている。
第2条 この法律において「性同一性障害者」とは、生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別(以下「他の性別」という)であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者であって、そのことについてその診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する2人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致している者をいう。
第3条 家庭裁判所は、性同一性障害者であって次の各号のいずれかにも該当する者について、その者の請求により、性別の取扱いの変更の審判をすることができる。
4 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
5 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えている こと。

[ 73] 戸籍の性別変更では本質的な解決にはならない
[引用サイト]  http://miyazakirumiko.jp/Essey074.htm

性別(せいべつ)は、生命体の生殖特性を指す。一般的な種類として、「雄」(オス)、「雌」(メス)がある。人間を指すときはそれぞれ「男性」、「女性」などと称する。両方の性別を総称して両性と言い表す。また、ある性から見たもう一方の性は異性という。
人間の場合は、生物としての性別を前提としながら、精神的・文化的に、あるいは社会的な立場としても異なったものとして成長する。この意味での性の区別を生物学的なそれとは区別してジェンダーと呼ぶこともある。なお生物的な性と性自認が著しくずれたり反転しているケースが、性別不快症候群や性同一性障害である。
配偶子が異形である場合、大きい方の配偶子を雌性、小さい方の配偶子を雄性という。そして、ある個体が雄性の配偶子のみを作る場合を雄、雌性配偶子のみを作る個体を雌という。そして、その生物の個体が雄性と雌性に分かれる場合に、この状態を「性別がある」という。ヒトの場合、男性は精子のみを形成するから雄であり、女性は卵だけを形成するから雌である。動物の多くはこれとほぼ同じだが、カタツムリなど一部の動物には同一個体が卵と精子を形成する雌雄同体がある。
植物でも同じである。種子植物の場合、便宜的に雄蘂と雌蘂をもって雌雄の配偶子嚢のように見なす。多くの花は同一の花に両方を持つ。それらを別の花につけるものがあり、それぞれ雄花と雌花という。この、雄花と雌花を別の株につけるものが雌雄異株で、その場合は個体に性別がある。
胎児の状態では、遺伝的性別に関係なくその外見は男性の外性器が未発達である事から女性のそれに近い。これをもって、女性こそ人間の本質であると唱える説がある(一時は女性の地位向上の理由とされた)が、科学的根拠に欠ける。なぜなら、男性の精巣・女性の卵巣などの生殖器官はもともと同じ細胞群から分化した相同器官であり、胎児の一段階においてはこれらの細胞群が未分化状態であるため、一見すると男児も女児と同じように見えるということにすぎないからである。男性に乳首があり、女性に陰核があるように、両性は本来その性に必要のない異性の特徴を備えているのである。
この性染色体の型(X染色体とY染色体の組み合わせ)によって、性別発達の機序は大きく左右される。 これは、Y染色体の上に、女性化を抑制し男性化を促すきっかけとなるSRY遺伝子が載っているためである。
非典型的な例として、次のようなものがある。これらの多くは、精子・卵子の生産時に減数分裂に失敗したことによる。染色体異常も参照。
性染色体としてはX染色体を1つだけ持つ。まれに破損したY染色体のかけらを持っていることもある。発生率は2000人〜3000人に1人である。
二次性徴が欠落する為、治療を必要とする。全体に低身長であり、月経不順などがあることもある。腫瘍・糖尿病の危険性が高い。
多くは発現形質は男性であり、外性器はほぼ正常な男性に見える。無精子症のため不妊。思春期に乳房が発達することもある。
性染色体はXX型であるが、変異したY染色体のかけらが他の染色体に結合し、その上のSRY遺伝子が働いている。発生率は数十万〜数百万人に1人と見積もられている。
思春期には女性としての二次性徴をすることもある。性ホルモン投与により男性化を促さなければ、次第に女性化していく。
通常、個体の全ての細胞は全く同一の遺伝子セットを持っているが、まれに細胞ごとに異なっている場合がある。これが性染色体に関して発生すると、XO/XY混在型, XO/XX混在型などとなる。
クラインフェルター男性のうちの特殊なものとしてXY/XXY混在型があるが、彼らは精子を生産することができ、生殖能力を有する。
なお、X染色体は生命維持に必須であるため、YO型(Y染色体1つのみを持つ)の個体は出生されず流産となる。
また、上ではSRY遺伝子を重視して述べたが、Y染色体上の他のいくつかの遺伝子も男性化の引き金として重要だという説もある。
妊娠第4週ほどに卵黄嚢に発生した原始生殖細胞は、第6週には下腹部の生殖隆起に移動して原始生殖腺を形作る。この時点では原始生殖腺は精巣にも卵巣にもなりうる。
同遺伝子が存在しなかったり正常に機能できないために精巣への分化が起こらないままであると、第11週以降卵巣に分化していく。
この際、多数の因子とその受容体が作用しているので、何らかの障害により精巣決定性遺伝子の有無と性腺分化が食い違うこともある。上に挙げたような染色体変異により、精巣と卵巣の中間的な形に分化したり、2つの原始生殖腺のうち一方は精巣に他方は卵巣にと分化することもある。
精巣が形成されると、その中のライディヒ間細胞は活発にテストステロンを生産し、セルトリー細胞はミューラー管抑制因子を生産する。
原始生殖腺が精巣に分化した場合、原始生殖細胞は思春期まで休眠する。 思春期になると、これらは活発に分裂を始めて精子を生産する。
卵巣に分化した場合、妊娠第3ヶ月から7ヶ月にかけて原始生殖細胞は減数分裂を始め、一次卵母細胞が作られていく。ここから9ヶ月までの間に原始卵胞が形成され、原始卵胞は思春期まで休眠する。
思春期までに99.9%の原始卵胞は卵胞閉鎖する。残ったもののうち、いくつかが月経周期ごとに何らかの機構によって選択され成長し、その内の1つがグラーフ卵胞へと成長して排卵を起こす。
この機構が卵巣や脳下垂体の間のフィードバックによって調整される種種の化学物質に支配されていることは知られているが、詳細な機構は不明な点が多い。
性腺形成と平行して、中腎管(ウォルフ管)に沿った形で中腎傍管(ミュラー管)が形成される。妊娠第7週以降、性腺の分泌する物質に依存してこれらの管が生殖管に分化していく。
また、ミュラー管抑制因子によってミュラー管は退化・消失する。ただし、一部は精巣輸出管となり、ウォルフ管に開口する。
テストステロンが十分でないことによりウォルフ管は退化・消失する。また、ミュラー管抑制因子が存在しないので、ミュラー管は発達し子宮・輸卵管に分化する。
精巣を有するがミュラー管抑制因子が十分でなかったり、あるいは抑制因子の受容体が不全である場合には、ウォルフ管・ミュラー管の両方が発達し、両性の内性器を併せ持つ場合もある。
外部からの化学物質の影響により、生殖管が性腺とは異なった形に分化する場合もある。流産防止のための母親へのホルモン投与などが影響するという説もある。
外性器の分化はテストステロンの有無に従う。原始生殖腺が精巣に分化してテストステロンを生産している場合には男性型に、そうでない場合には女性型に分化する。
テストステロンは酵素によって還元されジヒドロステロンとなる。それに曝露された外性器は第10週から第12週にかけて男性型に分化する。
生殖結節は急速に発達して亀頭・陰茎となり、生殖隆起は癒合して陰嚢に、尿道ヒダは尿道海綿体となる。陰嚢表面に見られる縫い目状の構造はこの癒合の痕跡である。
ジヒドロステロン曝露が起こらないまま第20週になると、これらは自然に女性外性器へ変化する。生殖結節は僅かに発達して陰核に分化、生殖隆起は大陰唇、尿道ヒダは小陰唇をとなる。
染色体異常により、生殖結節が活発に増殖する一方で生殖隆起の癒合は十分に起こらない場合がある。外見上男女両方の外性器を有するように見える。
真性半陰陽では、その性器の状態は人それぞれであり、またその要因は未だ解明されていない。人体に2つある性腺のどちらか一方が睾丸、もう一方が卵巣である場合と、睾丸または卵巣が左右揃い、さらにそれらとは逆の第三の性腺を持つ場合とがあるとされる。
染色体構造は46,XXについで46,XYが多く、46,XX/46,XYモザイクも多い 男性型では尿道下裂、女性型では陰核肥大、陰唇癒合
性腺が卵巣に分化した場合であっても、先天性副腎皮質過形成などによってテストステロンが過剰に分泌され、結果として外性器が男性化する場合がある。
性腺が精巣に分化した場合であっても、テストステロンを還元する酵素が欠けていたり、受容体が十分でない場合には外性器の男性化は発生しない(精巣性女性化症候群)。そのまま第20週になると、外性器は女性型に分化する。その他、遺伝子変異により生じる場合もある。
陰核の肥大が見られることもあるが、外見上はほぼ女性型である場合も多い。ただし膣は奥行きが十分でないこともある。また二次成長期になっても陰毛は生じない。
男性半陰陽のうち、思春期になると男性化を生ずるものがある。出生時には男性とみなされることもあるが、多くは女性として扱われる。
思春期に精巣のテストステロン生産が活発化することによって陰核が急速に発達して陰茎のようになり、変声・髭の発毛が起こる。このため、見掛け上は女児が男性に変わったように見える。
このケースの発生率は民族による差異が大きく、日本人では殆ど見られない。1954年にインドネシアで発見されたほか、1980年代にカリブ海の島で多数発見された。
カリブの例では全員がある1人の人物の子孫であったことから、何らかの遺伝的な要因があるものと考えられている。
脳にも性差が存在する。脳の性分化を決定するのはアンドロゲンである。脳科学の研究成果によると、男児は生まれた直後の2日目ぐらいから生後6ヶ月ぐらいまでの間、成人の半分ぐらい量のアンドロゲンが分泌され、またテストステロン受容体の脳内での分布上の性差がエストロゲンと同じく、海馬・扁桃体内側核・腹内側核等に見られる。アンドロゲンには左脳の発達を抑える働きがあり、このため少年の脳は少女よりも発達が遅い。女性は男性の脳よりも脳梁という右脳と左脳を繋ぐ神経が多い。また、男性と女性の肉体の大きさに違いがあるように、脳も男性は女性の脳に比べて約12〜3%大きい。
乳児期以降では視床下部のネガティブフィードバックにより性ホルモンの分泌が抑制されているが、思春期になるとこの抑制能が低下し始め、これにより男女それぞれに特徴的な身体の発達を生じる。
思春期を過ぎても二次性徴を生じないもの。ターナー症候群・クラインフェルター症候群によるもの、腫瘍が原因のもの、他がある。
性指向は男性を好きになるか、女性を好きになるかの別である。ここで言う「好きになる」は「恋愛感情を抱く」「同棲したいと思う」「性交したいと思う」などの感情であるが、そのレベルは人によって様々である。単に「性交したい」だけの人もいるし、「性交したいのは女性だが、一緒に暮らしたいのは男性」といった人もいる。
一般的には、男性は女性を好きになり、女性は男性を好きになる事が多いが、男性で男性を好きになる人、女性で女性を好きになる人もおり、古くから同性愛(homosexual)と呼ばれて来ている。これに対して男性が女性を好きになる場合・女性が男性を好きになる場合は異性愛(heterosexual)と呼んで区別する。日本では男性が男性を好きになるケースを「ホモ」、女性が女性を好きになるケースを「レズ」と俗に呼んでいたが、この言葉はいずれも差別的であるとして避けられる傾向もある。特に最近女性の同性愛者達は自分たちの性指向をビアンと呼んでいる。同性愛の気がない人をノンケと言う(non+気、で日本語)。アメリカでは男女区別せずにゲイと呼ぶ。一般的に身体的特徴と社会的な性自認が一致している者が、自分と異なる性の者を愛する事をヘテロと言う。
なお世の中には男性でも女性でも好きになる人も多く両性愛(bisexual)と呼ばれている。両性愛の人の中にも男女等しく愛するタイプもあれば、どちらかというと異性愛だが、同性でも魅力的な人がいれば好きになるというタイプもあり、その程度は様々である。また、自分では異性愛と思っている人も実際に機会が無かっただけで、両性愛の素質がある場合も多いのではないか、という説もある。
基本的には異性愛である者が異性を得られない環境下(戦場や刑務所、同性のみの学生寮など)で同性を恋愛とセックスの対象に選択する場合は機会的同性愛と言う、この場合除隊、釈放、卒業などにより、異性を得られる環境が回復すれば、直ちにこの同性愛傾向は消滅する。つまり、機会的同性愛は根源的な性的指向自体によるものではなく、環境において一時的に形成される性的嗜好と見なす事が出来る。
そもそも性別が曖昧な人を好きになる場合(手術前のニューハーフが好きという男性など)もあるが、これは「性指向」としての同性愛とは微妙に異なるかも知れない。
また男性および女性のどちらをも性愛の対象としない人、もしくは性的欲求そのものがない人、およびその性的指向は無性愛(asexuality)と呼ばれている。無性愛の人の中には性的欲求は無く、恋愛感情も無いタイプと、特定の人に対して恋愛感情を抱くことはあるが、それは性的欲求に基づくものではなく、また性的関係を求めないタイプもあり、その程度は様々である。後者は特定の人を彼女・彼氏とするが、性行為(人によっては身体的接触なども含む)は望まないか拒絶する。
性自認は自分の(心の)性別を男性と考えているか女性と考えているかの別。普通は生物的な性(出生時の性)と一致することが多いが、一致しないケースが性同一性障害(Gender Identity Disorder,略してGID)である。
「障害」とまで行かなくても自分の生物的性を不快に感じている人たちもおり「性別不快症候群」と呼ばれる。この状態から性同一性障害の段階まで進行する場合も多い。また「男性」「女性」ではなく「中性」「無性」や男女のいずれとも異なる第3の性の状態でありたいという人も少なくない。
現代の日本では多くの人は生まれた時に性器の外観で性別を判定されてそれで戸籍に記載され、その性に合わせて育てられるが、しばしば物心付く頃から自分の性が反対のものであったら良かったのにと思ったり、自分の本来の性は反対のものであると確信していたりする人がいる。この人たちはやがて親の目を盗んで時々異性の服を身につけたりするようになり(異性装)、やがてひとり暮らしするようになるとプライベートでは完全に異性の姿で過ごすようになったりする。しかし社会的には出生時の性で生きることを強要されるため、そこに強いストレスが生じて劇的な変化を求めていく人たちも多い。
現代では性自認と性指向は区別されて考えられるが、昔は混同していた人たちも多かった。出生的に男性である人が性自認は女性である場合に、昔は多くの人が、それなら性指向としては男性を好きになるのであろうと考えていたようであるが、実際には女性しか好きになれないという人もけっして少なくはない。もちろん、性自認が男性で出生が女性である人の性的指向が男性に向いているケースも多い。
ことばの上でも「ゲイ」は本来同性愛を意味するのに、日本で「ゲイボーイ」というと酒場で女装して給仕をする人のことを指すのが普通であるし、また「おかま」という言葉(この言葉は差別的なので使用しない事が望ましい)も女装者の意味で使用したり男性の同性間性交の意味で使用したりして、やはり言葉の混乱が生じている。
そもそも出生的な性、性指向、性自認は「連動しやすい」ものではあるが「完全に連動する」ものではないのである。条件を「出生の性と性自認はそれぞれ独立しており男、女いずれかである」「性指向は男、女どちらか一方を持つ」「性嗜好を考慮に入れない」とすれば下記の8種類のパターンが存在すると考えられるが実際にはこれ以外にも様々なバリエーションがあって状況は複雑である。(出生の性−半陰陽 性自認-中性、両性、無性、第3の性 性指向-両性愛、無性愛、全性愛 性嗜好-機会的同性愛、手術前のニューハーフが好き)
「社会表現上の性」である。その性別の人が社会で生きていく時に使用する生活様式であり、その性別の人ならこうするのが普通であると期待され、またしばしば強要される様式。具体的にはたとえば下記のようなものがある。(自称・語尾は首都圏方言のもの。日本語の方言には性差がもともとほとんどなかったものもある。)
こういった文化には歴史的・生物学的根拠がないわけではない。例えば、男性がズボンをはくのは馬に乗り戦をする際、生殖器を守るためであった。近年のジェンダーフリー思想から派生した思想は、こういった違いは無くしていくべきであるとする。一方で、それに反対する声もある(ジェンダーフリーは性別にこだわらない選択を認める考えであり、これはどちらかというとジェンダーレス思想に分類される)。
頭髪などもベリーショートの髪型を選択する女性などまで出てきている一方で、比較的服装その他に緩やかな職種では長髪の男性も出てきており、垣根は次第に低くなりつつある。会社員は「身だしなみ」として男性はスーツにネクタイの着用、女性は化粧をすることを事実上強制される傾向が強いが、男性でもコロン程度は使う人も少なくないし、営業系の仕事の人や政治家が軽いメイクをするケースなどもあり、また若い男性たちの間でも眉を整えている人は多く、これも少しずつ垣根は低くなっている。
服装でもユニセックスな服装は増えてきており、多く場合で女性が「男性的な服装」を着る事は許されている。一方、「女性的な服装」であるスカートや下着を男性が着る事はあまり認知されていない。男性のスカート姿は、美形の男性歌手のステージ衣装などを除けば、前衛的なファッションが許容される一部の街角や業界(ファッション業界や美容業界等)でしか見ることは少ない。そのため逆に「スカートを穿いて外出できるようになる」ということがMtFの性同一性障害の人にとってひとつの大きな心理的なステップともなっている。
近年の日本では、TPOに応じて、男女とも柔らかな態度で、はっきりした表現をするのが好ましいとされる。女性語としての語尾表現は失われ、男女とも「?だね」「?だよ」といった語尾を使うようになっているが、男性語を好んで使う男性や、話し方で女性らしさをアピールする女性も存在する。
男性は会社などに勤めて仕事をして収入を得て、女性は家庭で子育てと家事をするなどというのが基本的な思想で、又、職場でも男性がすべき仕事、女性がすべき仕事が分けられている会社は多い。又、社会的にこういう作業は男性がする、女性がすると分けられているものは多い。
ただこのような基準は地域的または歴史的に見ると随分ぶれがある。例えば日常の食料品の買物は日本などでは女性の役割と考えられがちだが、アラブ地域では男性が財布を握っているため、男性の役割になっている。
そもそも西洋では騎士文化の流れから男性は家庭の外で、女性は家庭の中でという考え方が強かったが、近代に入ってからの大規模な戦争の連続で職場の人手不足から女性の社会進出が推進された経緯があり、そこからフェミニズムの運動が起きて、社会通念上の性役割はかなり垣根を取り払われてきた。
日本では教師・看護師・電話交換手・事務員といった限られた職種から女性の社会進出(労働者化)が始まった。1980年代以降は女性が医師・パイロット・電車の車掌など男性向きと考えられた職業に進出してきている。しかし、日本では会社の中の役職者や幹部における女性の比率、国会議員の女性比率(女性政治家)が西洋諸国などと比べると格段に低い。
世界各国の男女差別の度合いを指標化した世界経済フォーラムの「男女格差報告」によると、格差が最も少ないのは北欧諸国の国々で、日本は途上国並みのレベルだった。これは日本女性が仕事に就いている割合や、また国政への参加率が低いといった実態を反映している。
しかし、最近では管理職として雇用される女性は増加している。結婚したら女性は家庭を中心に暮らすという考え方は若い世代ほど希薄になっている。若い男性の場合はこういう伝統的性別役割分担にこだわらない男性と、逆に保守的に女性の社会進出を認めない男性とがいる。しかし不況の長期化もあって、全体としては下の世代になるほど女性にも仕事をしてお金を稼ぐことを求める人が増えている。
セクシュアルマイノリティ, セクシュアルマイノリティ教職員ネットワーク, ISBN:4-7503-1695-4
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[ 74] 性別 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E5%88%A5



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