博之とは?

魁皇博之(かいおう ひろゆき、1972年7月24日 - )は、福岡県直方市出身で友綱部屋所属の現役大相撲力士。最高位は東大関。趣味はラジコン。身長185cm、体重169kg。本名は古賀博之(こが ひろゆき)。血液型はA型。
大関昇進後は豪快な相撲で地力の高さを見せ付け、横綱候補の1番手だった時期もあった。2004年9月場所に5回目の優勝を遂げ、2003年3月場所から続く日本人横綱不在に終止符を打って欲しいという期待が集まり、翌11月場所は準優勝でも横綱昇進の気運が高まっていた。しかし12日目に3敗を喫し、優勝争いから脱落したことが災いして結局昇進は見送られた。翌場所までも綱取り場所とされたが、怪我で途中休場して失敗に終わった。
2005年1月場所から2006年3月場所まで途中休場して翌場所大関角番、そして角番脱出を繰り返すようになり、大関の地位を辛うじて維持するという状況だった。特に9回目の角番となった2006年3月場所には、序盤から本来の相撲が取れず、負けが先行すると引退を示唆して、師匠の友綱と相談し負け越したら引退する決意を固めた。しかし7敗してから踏ん張り、千秋楽に朝青龍と優勝争いをしていた白鵬を寄り切って勝ち越しを決めた。
2006年5月場所以降は千秋楽まで皆勤出場の場所が増えつつも、成績は10勝すらままならず勝ち越すのがやっとの状態である。体の衰えも見て取れる程となり、いつ引退してもおかしくない状況なのだが、その割にはかなりしぶとく取っているとも言える。今現在彼を横綱候補と見る者は皆無で、今後はあと何場所大関の地位を維持出来るどうかに注目が集まっている。また2007年9月場所の番付においての35歳の大関となり戦後最高齢記録を更新した(因みに横綱には35歳10ヶ月の千代の富士がいる)。翌2007年11月場所には史上1位の11度目の大関角番となる予定で、再び進退を掛ける事となる。
それでも、2000年9月に大関に昇進して以来7年近くにわたり、関脇に陥落する事は無くずっとその座を守っており、自身の年齢や若手力士との戦いに対して定評がある。また現役力士の中では、高見盛を凌ぐほどの、相変わらず人気の高い力士の一人である。福岡県出身だけに、福岡市で開催される11月場所での館内での声援は絶大で、対戦相手は「魁皇関にとってはホームゲーム、こちらはアウェー(ビジター)ゲームみたいなものだ」と思うようである(現に元大関貴ノ浪貞博=青森県出身、現音羽山親方=このような発言をした)。
1999年に結婚、子供はいない。5歳年上の妻・充子は元タレントだが、タレントになる以前はプロレスラーであった。そのためか、女子プロレス関係者の中にもファンを有する。
2007年9月場所4日目の安馬戦で、幕内通算706勝を達成。この記録は武蔵丸の706勝に並ぶもので、大関以下の力士としては1番、現役の力士としてももちろんダントツ1位の記録である。しかし、その2日後、右太腿の負傷を悪化させまたしても途中休場。地元九州場所は、2006年同様再起をかける場所となった。このように最近は、途中休場しては翌場所進退をかける、というケースが非常に多い。特に地元の九州で行われるその年最後の11月場所は、魁皇が地元の熱烈な声援を受けながら、進退をかけて相撲を取るのは恒例となり、この時期の風物詩とも言える。
握力・腕力が強く全盛期はリンゴを握りつぶせたほどである。左四つに組んでから右からの上手投げ、小手投げを得意とするが、握力計の針が振りきれる程の怪力に頼った強引な相撲が災いして大関昇進後は腰痛など怪我に悩まされることも多い。そのため場所ごとの好不調の波が激しく、好調な時は横綱をも負かしてしまうが、不調な時は平幕にあっけなく負けることもあり、大関昇進に時間がかかったほか、何度も横綱昇進の機会を逃している。「気が優しくて力持ち」と言われるが、「怪力だが気が弱い」「蚤の心臓」と揶揄されることもある。力士の中でも大柄な体格、さらに怪力である事も相まってしばしば重戦車と比喩される。
左四つからの豪快な相撲は多くの観客を引きつけるほどの魅力があるが、右四つになるとなにもできなくなる。そのため左脇を徹底して固めて右四つを避けている。怪力の右腕から放たれる右上手投げは魁皇の代名詞で、右上手を取って負けることはほとんどない。突っ張りを手繰るのも上手く、比較的押し相撲には強いといえる。近年は怪我や体力の衰えもあり立合いの鋭さ・重さに欠ける。立合いの駆け引きや変化・引き技なども増え、「勝っても自身が首を捻る相撲」が多くなってしまっている。
得意の小手投げで数々の力士の腕を怪我させたことから、四股名をもじって「破壊王(魁皇)」とも呼ばれる。浪之花、栃乃洋、琴龍、栃東、玉乃島らがそれぞれ左の肩、肘を負傷した。
その人気はとどまることを知らず、2001年に登場した博多〜直方間の特急列車の名前「かいおう」にもなった(力士の四股名に限らず、人名が特急列車の名前に採用されるのは極めて異例である)。
また、地元の直方市では、魁皇が勝利した日の夜には花火が上がっている。直方市の銘菓「成金饅頭」でも地元出身の力士である魁皇を応援するため、11月場所のころ魁皇の焼印を押したものが販売されるときもある。
高砂部屋の弓取り力士に、「弓取り関取」で話題となった皇牙(元十両、2007年5月場所直前に引退。十両昇進後も引退直前まで弓取り式を務めた)がいたが、皇牙も直方市出身であり、四股名は魁皇から一字拝借したものである。
更に、鳴戸部屋出身の元前頭・力櫻(力士では珍しい奈良県出身)が、プロレス転向後「力皇」と改名したのも、大相撲では同期入門だった魁皇にあやかったものだと言われる。
明治以降では横綱に昇進していない力士の中で最多の幕内最高優勝5回を誇る(横綱昇進力士の大関以下での幕内最高優勝は、同期の貴乃花が優勝22回中7回、同期の若乃花が5回(横綱では優勝なし)、武蔵丸が優勝12回中5回記録しており、同世代の横綱に多い)。優勝力士からの白星も最も多く、地力の高さを示している。
大関昇進前、優勝決定戦にも2度出場(いずれも敗退)しているが、滅多に見られない5人の決定戦(1996年(平成8年)11月場所、当時西関脇で11勝4敗、優勝は西大関1の武蔵丸、他の相手は西横綱の曙、東大関1の若乃花、東大関2の貴ノ浪であった。東横綱貴乃花の休場のために乱戦になった)と、4人の決定戦(1997年(平成9年)3月場所、当時東前頭筆頭で12勝3敗、優勝は東横綱の貴乃花、他の相手は西横綱の曙、西大関の武蔵丸)であった。ここに記した貴乃花、曙、武蔵丸、若乃花、貴ノ浪という横綱大関陣は古今有数の強力布陣との評価もあり、千代大海がチャンスをうまく掴んで大関に昇進したが、魁皇・武双山・栃東らはこの5人衆+千代大海の影響で大関昇進に苦労した。
更に、2007年(平成19年)1月場所で、小結以上在位71場所の新記録(当該場所終了時の在位場所数は大関39、関脇21、小結11。それまでの最高記録は横綱北の湖(現日本相撲協会理事長)と、横綱武蔵丸の2人が達成した小結以上在位70場所。北の湖は横綱63、大関3、関脇2、小結2で、武蔵丸は横綱27、大関32、関脇9、小結2)を樹立した(出典=読売新聞東京本社発行・大相撲・2007年2月号、pp. 134-135)。これも魁皇の実力を裏打ちするものであり、「もしタイムマシーンがあれば、魁皇を、江戸時代の古今無双大関雷電爲右エ門(長野県小県郡東部町(現・東御市)出身)と対戦させてみたい」という声も聞かれたことがある。
三賞受賞回数は15回(歴代3位)と多いが、技能賞は1度も受賞していない。魁皇以外で三賞受賞回数の多い力士は、殊勲賞、敢闘賞、技能賞の全てを満遍なく受賞している。
1992年1月場所 - 新十両。四股名を本名の古賀から魁皇(読みは最初「かいこう」、師匠に力強さが無いと言われ、「かいおう」)に改名。
2000年7月場所 - 11勝4敗で、10回目の殊勲賞受賞(歴代1位タイ)、大関昇進を決めた。大関推挙伝達式での口上は「大関の地位を汚さぬよう稽古に精進します」。1988年3月場所初土俵組では曙、貴乃花、若乃花に次ぐ4人目の大関。
2000年11月場所 - 大関として九州に凱旋(11勝4敗)。武蔵丸との一番で珍しい「一本背負い」を決めた(ちなみに魁皇は中学時代まで柔道も経験が有る)。
2001年3月場所 - 2度目の幕内最高優勝(13勝2敗)。この場所は、武双山との千秋楽ライバル対決であったが、千秋楽に二人が優勝をかけて対戦するのは、最初で最後である。
2001年5月場所 - 初の綱取り場所、腰椎椎間板ヘルニア及び左腰神経根麻痺のため9日目から途中休場。
2001年9月場所 - 2度目の綱取り場所、腰椎椎間板ヘルニア及び左腰神経根麻痺が再発のため4日目から途中休場。
2001年11月場所 - 2度目の角番。千秋楽結びで、武蔵丸に勝利した際、会場から祝福の座布団が舞った。
2004年11月場所 - 千秋楽で朝青龍を寄り切って優勝次点の12勝を挙げるも、横綱昇進を見送られる。
2005年9月場所 - 右大腿屈筋筋繊維断裂のため4日目から途中休場。千代大海に並ぶ史上最多の角番となる。
2005年11月場所 - 8度目の角番、地元の声援もあって、10勝5敗。またこの場所の琴ノ若の引退により幕内最古参力士に。
2006年3月場所 - 9度目の角番は千代大海と並ぶワースト史上1位タイ、12日目までに5勝7敗と引退の瀬戸際に追い込まれるも、13日目からの3連勝で千秋楽に勝ち越して、8勝7敗。
2006年5月場所 - 初日から2連敗して再び引退が騒がれていたが、3日目から8連勝して10日目に勝ち越し。引退説を弾き飛ばした。
2006年11月場所 - 10度目の角番。初日から勝ち続け、8日目に勝ち越しを決めて角番脱出。途中まで優勝争いにも入ったが、投げ主体の取り口で内容に乏しく後半戦は失速し10勝5敗に終わったものの、1年ぶりの2桁勝利。全日程終了後、「来年も、九州に現役で戻って来れるように頑張ります。」と、力強く話した。
2007年5月場所 - 6日目、初日から6連勝で通算861勝を達成。寺尾の通算860勝を抜いて歴代単独5位に。13日目に朝青龍を2004年11月以来、15場所ぶりに破り、連敗を8で止める。
2007年7月場所 - 4日目、史上6人目の幕内700勝を達成。11日目に勝ち越したがその後に左大腿屈筋損傷のため13日目から途中休場。
2007年11月場所‐大関在位44場所となり北天佑と並んで史上3位タイに。又11度目の角番となり、新記録を再更新。この場所に自身の進退を懸ける。
幕内成績:706勝443敗126休(85場所 - 勝率0.614)(幕内勝利数は武蔵丸とならんで歴代4位タイ)

[ 129] 魁皇博之 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%81%E7%9A%87%E5%8D%9A%E4%B9%8B



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