球場とは?
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阪神電鉄の甲子園地区開発構想と、おりからの野球熱による大球場を望む声によって誕生した阪神甲子園球場は、日本の野球場の先駆けとなり、さまざまなHistoryを刻んで現在に至っています。 甲子園球場が完成したのは、大正13年8月1日です。この年は、奇しくも、十干、十二支のそれぞれ最初の「甲(きのえ)」と「子(ね)」が60年ぶりに出合う年でした。縁起のよいこの年にちなんで、この付近一帯を「甲子園」と、また野球場を「甲子園球場(当時は大運動場)」と名付けました。 球場建設で最も神経を使ったのがグラウンドの土でした。阪神間はもともと白砂青松の地で、土も白っぽく、ボールが見にくい状態でした。そのため、黒土を合わせようということになり、試行錯誤の結果、淡路島の土をとりよせ、粘り具合を確認しました。当時の担当者はグラウンドを走ったり、すべりこんだりして土の硬さや色目を実験しました。この熱意は今も受け継がれ、黒土と白砂のブレンドは常に変遷を経ています。現在は、国内の黒土と中国福建省の白砂をブレンドしています。なお、季節の雨量と陽射しを考慮して春には砂を多く、夏には黒土を多くし、良いプレーができるよう、グランドキーパーが配慮しています。 土とともに選手にとってはプレーが左右される芝生。人工芝が大勢を占める内外で、見事な自然芝を誇っています。球場開設当初はまったく土だけのグラウンドでしたが、2年後には外野一帯にクローバーなどの草が生えて、芝の代役をしていました。芝生は昭和4年の春に張付けが終わり、春の大会が行われました。また、昭和57年から芝生の二毛作(ティフトンをベースにペレニアル・ライグラスをオーバーシーディング)に成功し、一年中緑のじゅうたんをお目にかけることができます。 甲子園球場をベストドレッサーに仕立て上げる緑のツタ。偉容を、よりシンボリックにしています。完成された年の冬に植栽され、繁殖力が強く壁面を飾るのにうってつけでした。以来、まさに歴史を球場と共に歩んできました。株数約430本、葉の面積はタタミ8000畳分もあり、改めて甲子園球場のスケールに驚かされます。植物学的には2種類あり、大部分は新緑と紅葉が特に美しく、冬に落葉するブドウ科のツタ(一名ナツヅタ)。あとひとつは、球場正面の7・8号門を覆っているウコギ科のツタ(一名フユヅタ)で、日当たりの悪いところでもよく育つ特性を持っています。 甲子園球場の自慢のひとつに銀傘があります。現在はアルミ合金製で昭和57年にふきかえられた3代目ですが、もとは鉄傘と呼ばれていました。増設されてアルプススタンドまで覆っていたその鉄傘は、太平洋戦争のさなかの昭和18年に供出され、26年に現在の形の銀傘が完成しました。雨よけに便利な大屋根と思われていますが、当時は陽よけを目的として作られたというのも案外知られていない事実です。 建設当初の姿を再現した、ブロンズ・御影石製のモニュメント。平成6年8月1日の開設70周年を記念して、朝日新聞社、毎日新聞社、日本高等学校野球連盟から寄贈されました。このモニュメントは、スタジアムに続く駅前広場の遊歩道の一角に建てられています。 昭和4年夏に増設されたアルプススタンドは、夏の高校野球の時、白いシャツのファンで超満員。漫画家の岡本一平さんが「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」と朝日新聞に漫画を描いて以来、「アルプススタンド」と呼ばれるようになりました。 |
[ 35] 阪神甲子園球場
[引用サイト] http://www.hanshin.co.jp/koshien/alacarte/
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ドーム球場(ドームきゅうじょう、Domed stadium)はドーム形式の屋根を備えたスタジアム。日本では一般的に野球場をさすことが多い。 アメリカ合衆国では、1965年に大リーグ・ヒューストン・アストロズの本拠地として世界初の全天候型屋根付き球場アストロドームがオープンした。屋根付き球場建設の理由は、夏の暑さや蚊の大量発生から球場内を守り、快適な環境を確保するためだった。当時は「スタジアムに屋根を付ける」という発想そのものがあまりなかったので、アストロドームは「世界8番目の不思議」と呼ばれた。当初は屋外球場と同じ環境でプレーできるようにと太陽光を透過するアクリル屋根を設置したが、光が選手の目に入りプレーに支障をきたすことから、すぐに太陽光を通さない屋根へと張り直した。この際、建設時から育てていた天然芝が光を遮られたことで生育がストップして枯れてしまったため、世界初の繊維による人工芝「アストロターフ」が開発された(人工芝の項参照)。 当時は野球とアメリカンフットボールの兼用が可能なスタジアムの建設が流行していた。そのためアストロドームは1968年からNFLヒューストン・オイラーズ(現テネシー・タイタンズ)も本拠地として使用するようになった。これ以降キングドームやメトロドームなどが建設され、いずれもアストロドームと同じく野球とアメフトの兼用となった。またアメフト専用のスタジアムでも、シーズンが冬なので寒さを防ぐためにルイジアナ・スーパードームやポンティアック・シルバードームなどのドーム球場が続々と完成した(スーパードームでは後にマイナーリーグの試合も開催されている)。 しかし1992年開場のオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズがファンの絶大な支持を集めてからは、人工芝での選手の故障の多さが指摘されるようになったほか、青空の下での野球観戦を望む観客の意向が汲まれるようになり、原点回帰ということで野球専用のスタジアム「ボールパーク」化が推進されている。ボールパークは「野球専用」「天然芝のグラウンド」「第二次世界大戦前の古い球場や工場などを思わせるレトロ調」を特徴としている。 現在大リーグにて密閉式ドームという形で運用されているのはメトロドームとトロピカーナ・フィールドの2球場のみである。ロジャース・センター(カナダ・トロント)が世界初の開閉式ドーム球場として建設されて以来、密閉式ドームを持つ野球場は建設されていない。 さらに前述のボールパーク化が進んだことによって、開閉式屋根付き天然芝の野球場が建設されるようになった(ロジャース・センターは人工芝)。これらはらいずれも屋根がドーム形状ではないため「ドーム球場」ではない。 日本では1988年、東京ドームが「国内初のドーム球場」として東京都文京区に竣工した。前述のメトロドームをモデルに設計され、同ドームと同じ空気膜構造方式(エアドーム)を採用している。屋根には二重のテフロン膜を使用して、この幕の間に常時空気を送り込み、更にドーム内の空気圧を0.3%高めて膨張させている。ドーム開きとなった同年4月の公式戦開幕日、首都圏は季節外れの豪雪となったが、ドームの中では快適な野球環境が整えられたため「早速ドーム効果が現れた」と話題になった。 現在は東京ドームをはじめ札幌ドーム(北海道札幌市)、西武ドーム(埼玉県所沢市)、ナゴヤドーム(愛知県名古屋市)、大阪ドーム(大阪府大阪市)、福岡ドーム(福岡県福岡市)の計6箇所がプロ野球球団の本拠地として供用されており、セ・パ12球団のうち実に半数がドーム球場を本拠地としている。このうち福岡ドームはプロ本拠地としては唯一、開閉式の屋根を有している。西武ドームは既存の屋外球場をそのまま活用、足掛け3年の工期を経て段階的に屋根を架設するという、世界でも稀な工法を取り入れた。また札幌ドームでは、普段屋外のオープンアリーナで養生している天然芝グラウンドを、サッカー・ラグビーなどで使用する際に空気圧で浮上させてドーム内に移動させる「ホバーリングステージ」と呼ばれるシステムが用いられている。 この他、前述6箇所ほどの規模ではないが大館樹海ドーム(秋田県大館市)、仙台市屋内グラウンド(シェルコムせんだい、宮城県仙台市)などでも硬式野球の実施が可能である。ただ出雲ドーム(島根県出雲市)はフィールドが狭隘で、且つ試合の実施に見合う天井高が確保されていないため、現在は硬式野球の公式戦は行われていない。 また硬式野球以外では札幌コミュニティドーム、新天城ドーム、こまつドーム、長浜ドーム、四日市ドーム、但馬ドーム、豊田スタジアム、神戸市御崎公園球技場(ホームズスタジアム神戸)、大分スポーツ公園総合競技場(九州石油ドーム)などといった施設が屋根を架設しており、これらのうち長浜を除く施設では屋根の開閉が可能となっている。 このうち、一般に東京ドーム・大阪ドーム・ナゴヤドーム・福岡ドーム・札幌ドームを指して「5大ドーム」と呼んでいる。西武ドームもプロ野球球団の本拠地であるが、多くの場合これらには含まれない。 日本で一番最初のドーム球場でのコンサートは東京ドームのこけら落としとして行われたTHE ALFEEのコンサートである。 現在では、日本において、一線級のミュージシャンともなれば、前述のように日本の代表的なドームを巡るドームツアーが行われることがある。 現在では収容人数や会場規模もそれまでの日本武道館を上回る規模のこれらの公演が「ミュージシャンとしての一つの到達点(頂点)」として語られることも少なくない。ソロのミュージシャンとして初めて5大ドームツアーを行ったのは桑田佳祐である。また、2001年6月29日にゆずは「ふたりのビッグエッグ・ショー」というバックバンドを一切置かない弾き語り形式という東京ドーム公演を成功させている。 そのほかにも日本のドーム球場で記録に残るライブとしては以下のようなものが行われている。 1988年4月11日、美空ひばりは日本人ソロ歌手かつ演歌歌手として初めて東京ドームコンサートを開催。復帰は不可能と言われた難病からの復活のためチケットは即完売し、「伝説の不死鳥コンサート」と呼ばれ、5万人の観衆を魅了した。このコンサートの後、復活アピールのために横浜アリーナでのこけら落としコンサート、大阪公演をはじめとする全国ツアー敢行も予定されていたが、わずか1年2ヵ月後の1989年6月24日にひばりが帰らぬ人となったことで、これが結果として生涯最後のコンサートとなった。このことも伝説化を早める一因となり、現在では各種映像メディアが発売されている。2007年現在でもドーム球場で公演を行った演歌歌手は美空ひばり以外いない。 1993年12月30日、12月31日の東京ドームにおけるX JAPANのライブ「日本直撃カウントダウンX JAPAN Returns」は日本人ミュージシャンが最初に『年越しライブ』を行った公演である。また、彼らとしても名義を世界進出に向けた『X JAPAN』と改めての最初のライブである。現在では伝説的な楽曲「ART OF LIFE」を含む15曲を演奏したライブが行われた。特に「ART OF LIFE」は1曲が30分近い長さであることやメンバーの変遷などによりもう二度と演奏されることはないであろうということもあって同バンドの「The Last Live」と双璧をなすライブとしてファンのみならずロックを志す音楽家の間では伝説となっている。 2001年1月8日に、THE YELLOW MONKEYは東京ドームにおいて完全に活動を休止する宣言をし、復活を約束するも、3年後の2004年7月7日、復活することなく正式解散。その年の12月26日には休止宣言をしたのと同じ東京ドームにメンバーが再集結。「THE YELLOW MONKEYの葬式」として代表曲「JAM」を演奏した。なお、2001年の東京ドーム公演は結果的なラストライブであると共に、THE YELLOW MONKEY唯一の東京ドーム公演ともなった。 ドーム球場は本来『野球場』を目的に球状をした造りとなっているために収容人数という点を除けばコンサート会場には不向きなことが多く、各ドーム球場によって音響や反射などが異なるために、事前に綿密な準備が必要となる癖のある会場でもある。 世界初のドーム球場・アストロドームの完成前の1958年6月ごろ、日本テレビ放送網社長・清水与七朗らは、東京都新宿区内の社有地(現新宿六丁目地内。かつての日本テレビゴルフガーデン・新宿住宅総合展示場等立地)に、高さ70mを誇る全天候型の屋根付き球場を建設する構想を明らかにした。全面クレー舗装の屋内型野球場というものだったが、まだ空調設備の技術が未熟だったことなど問題点も数多く、結局実現には至らなかった。 ドーム球場で野球を行う場合に、屋根やスピーカーなどの懸垂物(垂れ下がっているもの)に打球が当たるなどの場合に、特別グラウンドルールを設定している。 ボールインプレイ(プレイ続行)となり、落下した地点または野手が触れた地点でフェアボールかファウルボールかを判定する。そのまま地面に落ちる前に野手が捕球すればフライアウトとなる。 実際にこれで本塁打となりそうな当たりがアウトになった不運な選手がいる。2005年7月30日の読売ジャイアンツ対中日ドラゴンズ第12回戦では、通算350号ホームランまであと1本に迫っていた江藤智(巨人=当時)がホームラン性の当たりを放つも、天井に当たりレフトフライとなってしまい、結局この年はホームランを放つことができなかった。 この認定本塁打を放ったのはラルフ・ブライアント(元近鉄=当時)だけである。その後、センタースピーカーに打球を当てた選手にはスピーカーのメーカーから300万円が支払われることになっている。 2002年7月18日の横浜戦で松井秀喜(巨人=当時)の打球が天井に挟まり、エンタイトルツーベースと認定された。後日このボールはドーム屋根裏より発見され、本人の直筆サイン入りで野球体育博物館に展示されている。 ボールインプレイ(プレイ続行)となり、落下した地点または野手が触れた地点でフェアボールかファウルボールかを判定する。そのまま地面に落ちる前に野手が捕球すればフライアウトとなる。 ボールインプレイ(プレイ続行)となり、落下した地点または野手が触れた地点でフェアボールかファウルボールかを判定する。そのまま地面に落ちる前に野手が捕球すればフライアウトとなる。 移動式屋根「スーパーリング」の一番外側のリングに入った場合は認定本塁打となる。この認定ホームランを放ったのは中村紀洋(大阪近鉄=当時)一人だけ。西武のアレックス・カブレラの場合は一番外側のリング下部に当たり、打球方向が変化して左翼上段スタンドに入った。 2002年頃に梨田昌孝監督の提案で、二番目に外側のリングの内側に入っても認定本塁打にルールが変わった(中村紀洋が明らかに本塁打になるだろうと思われた打球が二番目に外側のリング内側に入って打球が落ちてきた結果ショートフライに倒れたことがあったため)。 ボールインプレイ(プレイ続行)となり、落下した地点または野手が触れた地点でフェアボールかファウルボールかを判定する。そのまま地面に落ちる前に野手が捕球すればフライアウトとなる。 ボールインプレイ(プレイ続行)となり、落下した地点または野手が触れた地点でフェアボールかファウルボールかを判定する。そのまま地面に落ちる前に野手が捕球すればフライアウトとなる。 ただし、外野フェア地域の天井に当たった場合は認定本塁打となる(同球場を本拠地にする西武ライオンズのアレックス・カブレラが天井に当たる打球を連発し、本塁打を多く損したことに由来)。 ボールインプレイ(プレイ続行)となり、落下した地点または野手が触れた地点でフェアボールかファウルボールかを判定する。そのまま地面に落ちる前に野手が捕球すればフライアウトとなる。 フェア地域の場合はエンタイトルツーベースとなり、打った選手に賞金500万円が支払われる。ファウル地域の場合はファウルボールとなる。 一般にドーム球場では屋外が天候不良でも試合中止になることは殆どないといわれてれるが、ごく稀に台風災害などで球場が被害を受け、試合を行うことが不可能になることがある。また被害はなくとも交通機関や観客の影響を考慮して試合が中止になったこともある。ここではその事例を挙げる。ただし、1998年の西武ドームはまだ完全ドーム化されてなかったためここには含めない。 1976年6月15日 アストロズ−パイレーツ(アストロドーム:洪水で審判、球場関係者、ファンが球場入りできなかったため) 1996年9月22日 巨人−中日(東京ドーム)(台風による強風でテント状の屋根が揺れ、照明落下の恐れがあったため) 2002年10月1日 巨人−ヤクルト(東京ドーム:台風により、ファンの帰宅に影響が出ると予想されたため) 2004年8月30日 ダイエー−日本ハム(福岡ドーム:ダイエーの選手が飛行機の欠航で移動できなかったため) 同年9月18、19日 北海道日本ハム-大阪近鉄(札幌ドーム)(プロ野球再編問題によるストライキのため) 同年10月20日 日本シリーズ・西武−中日(西武ドーム:日本シリーズのドーム開催では初の中止となった) 2007年7月27日 ソフトバンク−西武(福岡Yahoo!JAPANドーム:西武搭乗飛行機の遅延のため) |
[ 36] ドーム球場 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%A0%E7%90%83%E5%A0%B4
