優しくとは?

自分は優しくしてもらって当然だと思っているので、毎日は「優しくしてくれない人に対しての愚痴や不満」で埋まる。
僕の周りにもいた。ものすごく寂しがり屋で構ってちゃんの男だった。ちょっとメールの返信が遅いと催促メールが来たり、時には自殺予告みたいなメールが来たりする。友達なんだから見捨てないでくれ!と何度も言われた。すごくイヤだった。ヒルに食いつかれてエネルギーを吸い取られる、まさにそんな感じだった。こんな奴にはなりたくない、と思った。自分は感謝の気持ちを忘れないようにしよう、と思った。
基本的にはこのエントリには同意する。だが、このエントリによって"ヒル"である人が変われるかと言えば多分それは厳しい。というのは、このエントリに同意する僕自身が、現在はヒルに近い状態になってしまっているからだ。『優しくしてくれない人に対しての愚痴や不満』でいっぱいである。リンク先で触れられている増田の中の人のようには、周りに感謝して幸せを噛み締め立ち直っていこう、等とは考えられない。ネガティブな思考や感情で頭が溢れそうだ。感謝の気持ちを持とうとしても持てない。いや形式上感謝の言葉は忘れないように気を付けているが、どうしてもそれは上っ面だけのものになってしまう。
詳しく言うと、僕は大学院生なのだが、去年研究があまりに辛くなり研究室に行かなくなった。何度か復帰しようとしたがその度に辛すぎてまた足が遠のいた。加えてもともと非コミュで人間不信だった体質が強化されて、同期の友人に会うのもすごく辛くなった。このままではひきこもりになってしまう、と本当に恐怖した。今思えば鬱だったのかも知れない。
そして現在、やっとまとも復帰しつつある。研究室の一部の教員や同僚が「優しく」してくれるようになったので、彼らを頼りつつ復帰しようとしている。かなりレベル低いところから指導をやり直してもらっている。ちょっとしたことでも褒めてもらっている。愚痴や不満を聞いてもらっている。
ここで周りの人に支えられている喜びを感じられたら、増田の中の人と同じだろう。でも僕はそうなれない。自分の内をどう探しても感謝の念は出て来ない。探せば探すほど「もっと優しくしてくれ」「優しくし続けてくれ」という思いがどんどん出てくる。
そして重大なのは、僕はそのような感情を嫌悪しているということ。ヒルのような感情を持ちつつも、自分がヒルであることに耐えられない。感謝の念を持てず、優しくされて当然だと思ってしまう自分を嫌悪している。
となるとどうなるか。優しさを要求すること、優しくされることへの罪悪感がどんどん膨れ上がる。現在、助手の先生と博士課程の先輩にほぼ頼りっきりでお世話になっているのだが、自分の要求を伝えることや指導してもらうことに対して物凄い引け目がありいつも躊躇してしまう。他の友人に対しても、優しく対応してもらうことが苦しい。感謝より先に罪悪感が出てくる。しかし優しくしてもらわずに自分で努力していけるわけでもない。何か人のためにできることもない。そのため今でも僕は逃げたしたい一心だ。ひきこもりたい一心だ。
だからこそ、相手に損ばかりさせる自分なんていない方がいいんだ、という気持ちがどうしても生じる。自分なんか一生ひきこもっていればいいんだ、と思ってしまう。自分には人に優しくされる資格なんかないんだ、うわーん。
「優しくされて当然」という考えは、この「優しくされる資格なんか無い」という考えを反転させたところに生じてくる。基本が「自分なんかいない方がいい」という思いの人が、「自分はいてもいい」と思うためには全てを他人に依存するしかない。だから開き直って人に優しさを要求しないでいられなくなる。相手に損させてるだけ?知るか!俺は優しくされて当然なんだ!「優しくされて当然」じゃなくなったら、「自分なんかいない方がいい」にまた戻ってしまうんだから。せっかくやっと「自分はいてもいい」と思えるようになったのに、また惨めな状態になるのは何としても避けたいだろう。
そんな人に対しては「優しさを強要するな」と言っても通じないだろう。かと言ってどうすればいいかも分からないが。他人に依存しない形で「自分はいてもいい」と思えるようになれればいいんだろうけど…。結局「ありのままを受け入れてくれる人」に出会わなければならないんだろうか。
とりあえず現状の僕は、内心ヒルでありつつもなるべくそれを外には出さないようにしている。なるべく感謝を忘れないようにしている。「ありがとう」は言いまくっている。それでも、感謝より先に罪悪感が生じてきたり、それを反転させた不満が出て来たりしてしまう。それでますます内面と外面が離れてしまって、「自分は誤解されている」という意識を強めてますます人間不信になり、感謝の気持ちを持ちにくくなる。「ありがとう」と言うのが苦しい。それで精一杯。逆に僕が相手に対して手助けをすることになっても、心から助けたいとは思わずに正直億劫だと感じながら義務感だけ行動するだろう。こんな僕が、心から人に感謝できるようになるにはどうしたらいいんだろう。feather_angel氏がどのようにしてヒル状態から立ち直ったかが気になる。
周囲に興味を持たれればよろしいのでは?他人から与えてもらえるものってすげぇ他愛ないので、大抵のずるずるべったりさん以外は自分のことちょっと覚えててくれるだけで嬉しいもんですよ。それも難しいのなら、あー、この人に興味持ってねぇなぁ、自分、とまず感じるところから始められては如何でしょう。甘やかして欲しいぃぃぃぃ、と内心で押し込めてる分には実際さして迷惑でもなく、気の使い方がちょっと挙動不審かもしれませんが長引きさえしてなければ、というか感触からするともう少し大丈夫。どーしても自己中心にしかなれそうもなかったら、自分の大事な大事な環境を維持するための素材として、いっぺん割り切って相手を見詰めてみるとよろしいですよ。そこは妥協して。
そう言われれば僕は基本的に他人に興味が無いんですよね。興味が余り無いので、「誰かの役に立ちたい」などの欲求がほとんど起こらない。自分が相手の役に立てるとか喜ばせられるとか思えないために、興味を持たないようにしているだけかも知れませんが。その割りに人からどう思われてるかばかり気にして、要は自分のことしか考えてないんですが。確かに他人に興味を持てなければ、相手を利用すると割り切るのも一つの手ですね。でもその場合でも相手にどう見られてるかが気になって強く出れなそうだなー。ていうか人を操作しなきゃいけない場面になるとその環境を放棄しがちです。ああすいません。またコメントにネガティブなお返しをすることになってしまいました。
人は親切に出来る幸せってあると思います。されるより、させてもらえる幸せです。いつか、きっと、友人も気づくときが来るといいですね。(^0^)
人を大切にできるかということと、人間関係の豊かさは重要な関係があります。その点で、osyaberiba-baさんの指摘されているとおりだと思います。≪「他人から尊重されたい」という欲求を満たすには、「いかに尊重されるか」というこだわりを捨て、まず、自分が尊重されたいように他人を尊重しなければなりません。はじめは勇気がいることかもしれませんが、それが一番の近道なのです。自分が褒められたいように他人を褒め、気を遣ってほしいように気を遣ってあげてみてください。十人のうちひとりでも愛情を返してくれる人がいれば儲けもので、その積み重ねが自信につながります。「他人から尊重される人」よりも、「他人を尊重することができる人」のほうが、百倍もすばらしいのです。自分が他人を尊重することは、誰からも侵されることのない、揺るぎない自信へとつながります。》http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/13/7.html
興味ってのは持とうとして持つ物じゃないから難しいですよね。元エントリは 優しくされて当然の人などいない=優しくしろと強制する権利なんて無いと意味を取ったんですが、優しくされる資格のない人間なんていないんじゃないでしょうか、結局相手に選択権があるんだから。つまり優しくしたいと思わない相手に優しくする必要も義務も無いんです。深読みすると、きっと構ってちゃん他色々に「俺に優しくしろよ」って求められるのを人がいいから断れなくて疲れちゃったんでしょう。義務感からでもいいのでありがとうの言葉だけでなくさらに何か行為で感謝を示してみては?たとえ義務からの優しさでも受け取った相手がヒルでなく心から感謝してくれれば嬉しいもんですよ。
コメント返しありがとうございます。というかdasaitama_osamuさんはちょっと勘違いされているんじゃないかと思うんですが、多分貴方は特に自己中心的なのでもなく(もちろんそれはあるでしょうが、珍しいほど強くもない)、周囲に興味を抱けない欠落人間なのでもなく(確かに持ちにくいかもしんないけどもっと低くて普通に暮らしてる人のが多いでしょう)。一番強いのは完璧主義者の部分なんじゃないですか。周囲に興味を持つのなら心の底からでなければ気が済まず、人に親切にするのならば「本当に素晴らしいもの」を与えねばならないと気構えてしまうっつーかなんというか。んなこたぁないです、別に。言われりゃ気付かれると思いますが。周囲や世間を見回してみて、そんな気概で生きてる人のが少ないです、そこまでやってたら疲れてやっていけません。別に今やってらっしゃることの延長でいいんじゃないですか。たとえば「ありがとう」という時に、前に同じ人にやってもらったことを念頭に置き、「ああ、継続的に“親切”をやってくれるなんて一種の技能者!」という尊敬の念を上乗せすれば全然言葉の響きが違ってきますよ。しかも継続“親切”をやれるということは半ば無意識状態に入ってるはずです、熟練者の可能性も高いですよ。尊敬に値します。聖人君子として生まれて来る方もおるんでしょうが、こんな悩みを抱えた時点で全然違うんですから、いろんなことを割り切らなきゃなんないんじゃないかと思います。でも別に、そーいう人はこの世にありふれてるんじゃないでしょうか。早く技能を身につけ(周囲にその技術者がいるのならば観察させていただくのがいいですよ)、とりあえず自分が楽になれることをまず考えて、それから周囲のことを「本気」で考えられるようになるとよろしいんじゃないかと思います。死ぬまでには案外達成するかもしれません、スタートラインが遅くてもいろいろやりようはあるんじゃないでしょうか。現実の社会を見ていてもぽちぽちそういうことはありますよ。
>自分なんか一生ひきこもっていればいいんだ、と思ってしまう。自分には人に優しくされる資格なんかないんだ、うわーん。ごめん。すごく笑っちゃった。だって、面白かったんだもんこの文章。またなんか書いて。
>どれくらい氏>「他人から尊重されたい」という欲求を満たすには、「いかに尊重されるか」というこだわりを捨て、まず、自分が尊重されたいように他人を尊重しなければなりません。はじめは勇気がいることかもしれませんが、それが一番の近道なのです。>なまえー氏>義務感からでもいいのでありがとうの言葉だけでなくさらに何か行為で感謝を示してみては?僕の場合、勇気も必要ですがエネルギーが無いんです。上のエントリでは罪悪感がある等と書きましたが、他人を尊重しようとするエネルギーが無いんですよ。相手に損させてばかりと思いつつも、相手に得をさせようっていう意思がゼロです。それでも義務感で感謝の意を示そうとすると物凄く疲れます。>rbyawa氏>一番強いのは完璧主義者の部分なんじゃないですか。周囲に興味を持つのなら心の底からでなければ気が済まず、人に親切にするのならば「本当に素晴らしいもの」を与えねばならないと気構えてしまうっつーかなんというか。完璧主義はありますね。ただそれも考え方を変えてどうにかなるものでなく体質的なものになってしまっているので何とも。つまり心の底から出なければ周囲への興味がわかずに、誰かに働きかける意思が出て来ない(もしくは関わることを恐れて逃げてしまう)。「本当に素晴らしいもの」を与えられる状況じゃないと親切にする意思が出て来ない(もしくは逆に迷惑になるだけじゃないかと恐れる)。とりあえず今やってることを続けます。それで何とかやってけるようになればいいんですけど。
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ポジティブな者達が正論を吐き、ネガティブな者を叩く。その音が響き渡れば、ネガティブは加速していく - 世界のはて

[ 78] 「優しくされる資格なんか無い」「優しくされて当然」 - 誰かお尻拭いてください
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/dasaitama_osamu/20070420/1177062239



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