冥王星とは?

太陽から9番目、太陽系の辺境にある最も小さい惑星である。冥王星はまた、惑星探査機が訪れていない唯一の惑星でもある。太陽からの平均距離が約59億kmと非常に遠いため、冥王星から見ると太陽は小さな光る点に過ぎない。
海王星が発見された時その質量は、天王星を予想の軌道からそらせるには十分でないことが分かり、天文学者による9番目の惑星Xの探索が始められた。特にアメリカの天文学者パーシバル・ローエル(1855〜1916)は熱心であった。しかし、新しい惑星を発見できないままこの世を去り、彼の夢は友人に引き継がれた。1930年2月18日、その友人が採用したクライド・トンボー(1906〜1996)により9番目の惑星が発見され、プルート(冥王星)と命名された。
冥王星の軌道は黄道面に対して17度と大きく傾斜していて離心率(楕円軌道の程度)はどの惑星よりも大きい。近日点は44億4220km、遠日点が73億8810kmと非常に細長い楕円軌道になっている。従って、太陽を一周するのに248年もかかる。この間、冥王星は近日点の領域を移動する20年間は海王星の軌道の内側に入るため、冥王星と海王星の太陽からの距離は逆転する。1979〜1999年がその期間にあたった。
1978年、衛星カーロンが発見されると冥王星の直径が2274kmに訂正された。質量は地球の1/500とされているが、これは、衛星カロンが冥王星の周りをまわるときに起こる食(カーロンが冥王星を隠す現象)の解析により求められたものである。表面温度は−230〜210℃でメタンの氷で出来た極冠が存在するかもしれない。平均密度は水の2.21倍であることから、冥王星は木星型惑星ではなくむしろ木星や土星の氷衛星に近いと考えられてれている。
1994年にハッブル宇宙望遠鏡がとらえた冥王星の画像である。表面の明暗は地形、地表の組成、霜の層、及び大気に含まれる窒素とメタンの相互作用によるものらしい。
地球と月のように、冥王星と衛星カーロンは「二重惑星」となっている。この二つの天体は距離が非常に近いので、それぞれの引力によって互いに潮汐力が働き、向き合った面は固定されたままである。地球から月の裏側が見られないように、冥王星からカーロンの裏側を見ることはできない。
1992年、太陽から約61億5000万〜72億km離れた軌道を公転している直径約250kmの氷の天体が発見された。と命名された。1992QB1と命名されたこの天体は、その存在を予測していた天文学者のエッジワースとカイパーベルトにちなんで、エッジワース・カイパーベルト天体と命名された(略してカイパーベルト天体とも呼ばれる)。以後、海王星の軌道(太陽から約45億km)から約75億km以内の領域で同じような天体が次々に発見され、これまでに約800個のこの種の天体が発見されている。
カイパーベルト天体(KBO)は、太陽から遠く離れている上に暗いため観測が非常に困難であったが、観測技術の向上やCCDカメラの使用により今後発見される数が増えると予測されている。特に2000年以後は、クワオア、2002AW及び2003DWのように直径が1000kmを超える巨大KBOが発見されるようになった。2004年3月には、直径約1700kmの2003VB12(後にセドナと命名)が発見された。2003VB12は、近日点(太陽に最も近い位置)が114億km 遠日点は1300億kmの超楕円形の軌道を公転しており、公転周期は1万500年という途方もなく長い。ちなみに、冥王星の公転周期は248年である。
そして遂に、冥王星(直径約2250km)より大きいKBOが確認された。2003UB313である。2003年10月21日、カリフォルニア工科大学のマイク・ブラウン博士を中心とするチームは、カリフォルニア州のパロマー天文台の口径1.8mの望遠鏡による観測で、直径が冥王星の約1.5倍あると思われる天体を発見した。しかしこの時点では、この天体は地球から遠く離れすぎていて詳細を把握できなかった。そのため、2004年1月8日に追観測を行い、2003UB313の直径は最大で3094km 、最小でも2859kmであることが分かった。
1930年、米国の天文学者クライド・トンボーが発見した冥王星以来最大の天体である。
2003UB313は、近日点が54億km、遠日点が146億km、そして公転周期は560年であることも分かった。このKBOはゼナと命名され、観測チームにより10番目の惑星として申請された。国際天文学連合の決定が注目される。なお、ゼナには直径約250kmの衛星(ガブリエル)があることがその後の観測で分かった。ガブリエルは、約2週間の周期の周囲を回っている。衛星を持つKBOには、直径が1575kmの2003EL61がある。
2006年1月、NASAによりプルート・カイパーベルト・ミッションが打ち上げられた。探査機ニューホライゾンは2015年に冥王星に到着する予定である。

[ 165] 日本惑星協会
[引用サイト]  http://www.planetary.or.jp/pluto.html

太陽系には冥王星よりも大きな衛星が7つもあります(月,イオ,エウロパ,ガニメデ,カリスト,タイタン,トリトン)。
この惑星の名前はおそらく,太陽から非常に遠く,いつも真っ暗であることと,“PL”がパーシバル・ロウェル(Percival Lowell)のイニシャルであることから,(そのほかたくさんの提案がありましたが)このように名付けられたものと思われます。
のちに間違いがあることが分かった天王星と海王星の運動に基づく計算が,海王星の後ろにひとつの惑星があることを予言したのです。この間違いを知らないままに,アリゾナのローウェル観測所のトンボー(Tombaugh)は注意深く空を観測し続け,ついに冥王星を発見しました。
冥王星の発見後,冥王星は非常に小さいので,計算のもとになった(天王星や海王星など)ほかの惑星の軌道のずれの原因にはならないことがすぐに判明しました。引き続き惑星Xの探索が続けられましたが,何も発見されませんでした。現在は存在しないと思われています。軌道のずれについては、ボイジャー2の海王星への接近によってわかった海王星の質量を使えば,ずれはないことがわかっています。
冥王星は宇宙船が訪れたことのない唯一の惑星です。たとえハッブル宇宙望遠鏡であっても,遠すぎてその表面の特徴を分析することが出来ません。
幸運にも,冥王星には衛星カロンがあります。幸いカロンはその軌道面の縁上を太陽系に向かう方向に動きだすちょっと前に発見されました(1978年)。したがって冥王星がカロンを通過したり,またその反対にカロンが冥王星を通過するのを何度も観測することができます。どちらかの天体のどの部分がいつ覆いかぶさるか,注意深く計算し,そして輝度曲線を観察することによって,天文学者は両方の天体の明暗領域のおおまかな地図を作ることができました。
冥王星やカロンの質量の和がよく分かっているにもかかわらず(これはその周期の注意深い測定やカロンの軌道半径やケプラーの第3法則から決めることができます),冥王星とカロンのそれぞれの質量を決めるのは難しいことです。なぜならそれらを知るためには,冥王星とカロンとからなる系の重心まわりのお互いの運動を決めることが要求され,ずっと精密な測定が必要となるからです。――これら二つの天体は非常に遠く小さいのでハッブル宇宙望遠鏡でさえ観測するのが難しいのに。
この二つの天体の質量の比は,たぶん0.084から0.157の間です。さらに観測は続けられていますが宇宙船が送り込まれるまでは,正確なデータを得ることは難しいでしょう。
冥王星は太陽系で2番目に(イアペトゥスの次)コントラスト(明暗の差)がはっきりしています。このコントラストの起源を調査することは,冥王星高速接近計画で提案された最優先目的の一つです。
最近,冥王星の分類について重大な論争がありました。冥王星は発見後ほどなくして9番目の惑星として分類され,それから75年間は惑星とみなされてきました。しかし2006年8月24日の国際天文学連合(IAU)の総会で,冥王星を除外した“惑星”の新しい定義が決定されました。新しい定義では冥王星は“惑星”とは異なる“矮惑星(わいわくせい;dwarf planet)”に分類されるようになりました。これは,はじめのうちは論議を呼ぶと思いますが(そして,とりわけこのウェブサイトの読者のみなさんには混乱をもたらすことと思いますが),冥王星の状態について本質的ではない中身のない議論は早く終わりにして,物理的な特性や歴史を解き明かす本物の科学に取り組めるようになると良いと思っています。
冥王星の軌道は非常に風変わりです。ときどき冥王星は海王星よりも太陽に近くなります(これは1979年から1999年まで続いています)。冥王星は大部分の他の惑星とは反対の方向に回転しています。
冥王星は海王星と3:2の共鳴で結び付いています。すなわち,冥王星の軌道周期は正確に海王星の周期より1.5倍長いのです。このために,(軌道が交差しても)両者は衝突しません。
冥王星の構成物質は分かりません。しかしその密度(およそ2 g/cm3)は,たぶんトリトンに似ていて,80%の岩石と10%の氷が混じったもののようです。その表面はメタンや窒素,二酸化炭素の氷で覆われているように思われます。
冥王星の大気についてはほとんど分かっていません。冥王星の大気を構成する物質は近日点付近にいるときだけ気体として存在します。冥王星の長い1年間のうちの大半は,大気は凍っています。近日点付近では,いくらかの大気はたぶんカロンと相互作用して宇宙へ逃げてしまいます。冥王星高速接近計画の計画者たちは大気が凍っていない間に冥王星に到着したいと考えています。
冥王星やトリトンの公転軌道の変わった性質やおおまかな共通性は2つの天体が歴史的に関係していることを示唆しています。かつて冥王星が海王星の衛星だったかもしれないと考えられていました。しかし現在は,そうではないだろうと思われています。より一般的な理論は,トリトンは,冥王星のように,いったん太陽の公転軌道からずれてしまい,後になって海王星に捉えられたというものです。地球の月のように,カロンは冥王星と他の天体との衝突の結果,生じたのかもしれません。
冥王星はアマチュア(素人)の望遠鏡によっても見ることができますが,非常に難しいです。マイク・ハービーの惑星早見表によって,冥王星の(そして他の惑星の)現在の位置が分かります。しかし正確に冥王星を見つけるためには,もっと詳しい表や何ヶ月にも渡る注意深い観測が要求されるでしょう。
カロンは1978年にJ.クリスティによって発見されました。それまで冥王星はもっと大きいと考えられていました。なぜならカロンと冥王星の像がお互いぼやけて重なっていたからです。
カロンは太陽系のなかでは,その惑星に対して最も大きな月です(地球の月は別にされています)。冥王星とカロンは惑星と衛星というより,2重惑星と考えた方がよいと考える人もいます。
カロンが同位相回転するだけでなく,冥王星もまた同位相回転しているという点で冥王星とカロンはユニークです。そのため、お互いに同じ面を向き合ったままでいます。
カロンの構成物質は分かりません。しかし,密度が小さい(1.4g/cm3)ため,天王星の月(レア)のようなものでしょう。
冥王星とカロン(FOC;微光天体カメラによる、COSTAR;宇宙望遠鏡軸交換修正光学系の搭載後の写真)
明らかに冥王星と似ているカイパー・ベルトの天体がいくつか最近発見?されました。冥王星と同じくらいの大きさのものはあるのでしょうか?

[ 166] 冥王星
[引用サイト]  http://www.cgh.ed.jp/TNPJP/nineplanets/pluto.html

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冥王星(めいおうせい、134340 Pluto)は準惑星であり、太陽系外縁天体内の新しいサブグループ(冥王星型天体)の代表例となる天体である。かつては太陽系第九惑星とされていた星でもある。
パーシヴァル・ローウェルによってその存在が予想され、1930年にクライド・トンボーによって発見された。軌道は離心率が比較的大きい楕円形であり、黄道面から大きく傾いている。直径は2,320kmであり、太陽系内の衛星のうち、地球の月を含むいくつかよりも小さい。冥王星の最大の衛星カロンは直径が冥王星の半分以上あり、二重天体とみなされることもある。
冥王星は海王星軌道の外側で太陽を公転する天体(今でいう太陽系外縁天体)としては最初に発見されたものである。1930年に発見されて以来、長い間太陽の9番目の惑星であり、外惑星の一つであるとされてきたが、1992年に冥王星以外の外縁天体が初めて発見されて以降、冥王星と似た大きさの外縁天体が続々と発見され始めた。その中でも2003年に撮影された写真の中から2005年に見出された(正式には2003年発見となっている)外縁天体エリス(仮符号・2003 UB313)は冥王星よりわずかに大きかった。このような太陽系研究の進展により、太陽系の研究者の間などでは、冥王星を惑星とみなすことへの疑問の声が広まっていた。
発見から76年後の2006年8月に開かれた国際天文学連合 (IAU) 総会で、それまで明確でなかった惑星の定義を定めるとともに、「dwarf planet」(準惑星)という分類を新設することが採択された。この結果、冥王星は小惑星ケレス、2003 UB313(エリス)などとともに準惑星に分類された[1]。また、冥王星を外縁天体の「新しい下位分類のプロトタイプ」とすることも決定されたが、その分類の名称は未定である[2][3](日本学術会議では2007年4月9日の対外報告(第一報告)[4]において「冥王星型天体」という日本語名称を推奨している)。再分類された後、冥王星は小惑星の一覧に記載され、小惑星番号134340番が与えられた[5][6]。
1930年、天文学者クライド・トンボーはローウェル天文台で第9惑星を探すプロジェクトに取り組んでいた。トンボーは、当時最新の技術であった天体写真を用い、空の同じ区域の写真を数週間の間隔を空けて2枚撮影して、その画像の間で動いている天体を探すという方法で捜索を行った。撮影した膨大な写真を丹念に精査した結果、トンボーは1930年2月18日に、同年1月23日と1月29日に撮影された写真乾板の間で動いていると思われる天体を見つけた。1月20日の写真も、質は悪かったが動きを確認するのには役立った。ローウェル天文台はさらに確証的な写真を得るよう努力したあと、発見の報を1930年3月13日にハーバード大学天文台へ電報で送った。後に冥王星の写真は1915年3月19日まで遡って見つかった。このような経緯から、発見日は一般に1930年2月18日とされているが、小惑星センターに登録された一覧上では発見日は同年1月23日とされている[7]。
冥王星が発見されるまでの歴史は、海王星の発見および天王星の存在と密接に結びついている。1840年代、ユルバン・ルヴェリエとジョン・クーチ・アダムズはニュートン力学を用いて、天王星の軌道における摂動の分析から、当時未発見の惑星だった海王星の位置を正確に予測した。摂動は他の惑星から重力で引かれることで起こるということが理論化され、ヨハン・ゴットフリート・ガレが海王星を1846年9月23日に発見した。
天文学者たちは19世紀後半の海王星の観測から、天王星の軌道が海王星に乱されていたのと同じように、海王星の軌道もまた他の未発見の惑星(「惑星X」)によって乱されていると推測し始めた。1909年までに、ウィリアム・ヘンリー・ピッカリングとパーシヴァル・ローウェルは、そのような惑星が存在する可能性のある天球座標をいくつか提唱した。1911年5月には、インド人の天文学者ヴェンカテシュ・ケタカルによる、未発見の惑星の位置を予測した計算がフランス天文学協会の会報で公表された。
パーシヴァル・ローウェルは冥王星の発見に関して重大な影響があったと考えられる。1905年、ローウェル天文台(ローウェルが1894年に設立した)は、存在するかもしれない第9惑星を捜索する一大プロジェクトを開始した[8]。プロジェクトはローウェルが1916年に死去するまで続けられた。ローウェルは天王星と海王星の観測に適合する仮想の惑星Xを探していた。ローウェルが死去した後は、彼に学んだトンボーがローウェルの意思を引き継いで捜索を続け、発見に至った。
皮肉にも、捜索のきっかけとなった海王星の軌道の摂動の原因となるには、冥王星はあまりにも小さすぎる。19世紀に天文学者が観測した海王星の軌道の計算との食い違いは、海王星の質量の見積もりが正確でなかったためのものだった。いったんそれが分かると、冥王星が非常に暗く、望遠鏡で円盤状に見えないことから、冥王星はローウェルの考えた惑星Xであるという考えに疑問の目が向けられた。ローウェルは1915年に冥王星の位置を予測しており、これは当時の冥王星の実際の位置にかなり近かった。しかし、アーネスト・ウィリアム・ブラウンはほとんど即座にこれは偶然の一致だと結論付け、この見方は今日でも支持されている[9]。従って、冥王星がピッカリング、ローウェル、ケタカルの予測した領域の近くにあったことがただの偶然に過ぎないことを考慮すると、トンボーが冥王星を発見したことはさらに驚くべきことになる。
発見された新天体を命名する権利は、ローウェル天文台と、所長のヴェスト・スライファーにあった。トンボーは他の誰かに提案される前に早く新天体の名前を提案するようにスライファーをせきたてた[8]。名前の提案は世界中から殺到すると考えられた。ローウェルの未亡人のコンスタンス・ローウェルはまずゼウスという名前を提案し、次には「ローウェル」を、最後には彼女自身の名前である「コンスタンス」を提案したが、どれも熱心な支持は得られなかった。クロノスやミネルヴァといった神話上の名前は、提案された名前の中で多くの支持を得た[10]。
「Pluto」(プルート)という名前を最初に提案したのは、イングランド、オックスフォード出身の当時11歳の少女ヴェネチア・バーニーである[11]。天文学と同じぐらいローマ神話とギリシア神話にも興味があった彼女は、オックスフォード大学のボドレアン図書館[12]で以前司書をしていた祖父ファルコナー・マダンとの会話の中で、ギリシア神話のハデスに対応するこの名前を提案した。マダンはこの提案をハーバード・ターナ教授に伝え、ターナはこの提案をさらにアメリカにいた同僚に電報で送った。ほとんど全ての人から好意的な意見を得た後、[要出典]「Pluto」という名前はスライファーによって公式に採用され1930年3月5日に発表された。
この天体に使われた名前はローマ神話で冥府の王であるプルートのことであり、太陽系最深部の暗闇に存在する冥王星のイメージを象徴している。また、最初の2文字のPLは、パーシヴァル・ローウェルのイニシャルでもある。
日本語名の「冥王星」は、発見後すぐに日本人の野尻抱影が提案した名称である。彼はこの名称を「幽王星」というもう1つの候補とともに雑誌科学画報の1930年10月号に紹介した。この名称は京都天文台ではすぐに採用されたが、東京天文台(現在の国立天文台)では英語のままの「プルートー」が用いられた(当時、東京天文台と京都天文台は異なる用語を用いていることがしばしばあった)。1933年には中国でも「冥王星」が採用され使われ始めたが、東京天文台が「冥王星」を採用したのは1943年のことであった。現在では、中国語では日本語と同じ「冥王星」(Mingwangx?ng)が用いられ、漢字をほぼ廃止した朝鮮語では漢字で冥王星にあたる「???」[mj??wa?s??]を用いている。
漢字を完全に廃止したベトナム語では、ヒンドゥー教や仏教で地獄の守護神とされる閻魔にちなんで、漢字で「閻王星」にあたる「Diem V??ng Tinh」や、「閻王の星」にあたる「Sao Diem V??ng」などと呼ばれる。インドでも閻魔(ヤマ)に因み?? ????(Yam grah)と呼ばれる。
冥王星についての詳細はまだ不明の点が多い。これは主に、冥王星には未だに探査機などが接近観測を行ったことがなく、また冥王星が遠すぎるために地球から詳細に観測することも難しいことによる。
冥王星の見かけの等級は14等級以下であり、従って観測には望遠鏡が必要となる。冥王星を容易に見るためには、望遠鏡の口径は約30cm以上が望ましい。非常に巨大な望遠鏡で観測しても、冥王星の角直径はわずか0.15″しかないため、恒星と同じように点状に見える。冥王星の色は非常にわずかに黄色がかった明るい茶色である。
カロンが発見されたことにより、冥王星のアルベドの見積もりは上方修正されることとなった。現在では冥王星は最初の推定よりもずっと小さいとされているため、必然的に、冥王星が光を反射する度合いは以前考えられていたよりも大きくなければならない。現在の推定では、冥王星のアルベドは、かなり高いアルベドを持つ金星よりもわずかに低い程度だと考えられている。
冥王星の距離が非常に遠く、また望遠鏡の技術にも限界があるため、現在でも冥王星の表面の詳細な写真を直接的に得るのは不可能である。ハッブル宇宙望遠鏡が撮影した画像から、表面の明暗や模様などがわずかに分かる。冥王星の最高の画像は、最大の衛星カロンによる食の精密な観測により得られた、地表の明るさの分布地図である。冥王星がカロンに食されるにつれ明るさがどのように変化していくかをコンピュータ処理を用い観測する。例えば、冥王星上で明るい点が食されると、暗い点が食されたときよりも全体の明るさは大きく変化する。この技術を用いて、冥王星 - カロン系全体の平均の明るさとその変化を時間とともに追っていくことができる。
「二重天体」としての冥王星とカロン(右下)。地球と月の組(左上)も示した。それぞれの天体間の距離は正しくないが、大きさの比率は正しく描かれている。
冥王星の直径と質量は発見後数十年間にわたって誤って過大評価されていた。当初は冥王星は比較的大きく、質量は地球に匹敵すると考えられていたが、やがて観測が精密になると推定質量は急激に下方修正された。
1978年に衛星のカロンが発見されたことにより、ケプラーの第3法則のニュートンの公式を適用して、冥王星 - カロン系の質量を確定することが可能になった。元々、冥王星は水星よりは大きく火星よりは小さいと考えられていたが、この計算は観測されているのが単一の天体であると言う前提に基づいていた[要出典]。実際には1つではなく2つの天体であると言うことが一度分かると、冥王星の大きさの見積もりは一気に小さくなった。その後カロンによる冥王星の掩蔽の観測から冥王星の直径を決定することができるようになり、適応光学を用いた望遠鏡での観測により形状を決めることもできた。
冥王星(右下)と、太陽系で特に大きい衛星との大きさの比較。左上から順にガニメデ、タイタン、カリスト、イオ、地球の月、エウロパ、トリトン。
太陽系全体を通じて見ると、冥王星はどの惑星よりも小さく、圧倒的に質量が少ない。それだけではなく、地球の月と比較しても質量は0.2倍以下であり、冥王星よりも質量が大きい衛星が7つもある。その7つの衛星は、ガニメデ、タイタン、カリスト、イオ、月、エウロパ、トリトンである。冥王星は、小惑星帯にある最大の小惑星であり準惑星でもあるケレスに比べると、直径は2倍以上、質量は10倍以上もある。しかし、2003年に発見された海王星以遠にあるエッジワース・カイパーベルト天体のエリスよりは小さい。
冥王星ははっきりとした濃い大気は持っていない。太陽に近づくと、主に窒素、メタン、一酸化炭素の希薄な気体が冥王星を包み、表面にある固体の窒素や一酸化炭素の氷との間で平衡状態になる。冥王星が遠日点へと公転していき太陽から離れると、大気の大部分は凝固し、地表へと降下する。冥王星が再び太陽へ近づいていくと、冥王星の固体表面の温度が上昇し、固体窒素が昇華して気体となる。これが反温室効果をもたらす。この昇華する窒素は、人間の皮膚から蒸発する汗と同じように冷却効果を持つ。近年ではサブミリ波干渉計を用いて、冥王星の表面温度が予想されていたよりも10ケルビン低いことが発見された[13]。
1985年の恒星の掩蔽(恒星食)の観測から、冥王星は大気を持っているということが分かった[14]。この発見は1988年に起きた別の掩蔽の詳細な観測により確認され、著しく補強された。大気を持たない天体が恒星を掩蔽すると、恒星は瞬間的に消える。冥王星の場合、恒星は徐々に暗くなっていった。暗くなっていく割合から、冥王星の大気圧は、地球のおよそ70万分の1の0.15パスカルと分かった。
2002年には、冥王星による別の恒星の掩蔽の観測と分析が、パリ天文台[15]のブルーノ・シカルディ、マサチューセッツ工科大学 (MIT) [16]のジム・エリオット、ウィリアムズ大学[17]のジェイ・パサチョフが率いるチームによって行われた。冥王星が1988年よりも太陽から遠ざかっており、従って冥王星はより気温が下がり大気濃度も減少しているはずなのにも関わらず、驚くべきことに大気圧は従来の2倍の0.3パスカルと推定された。現在最善の仮説は、冥王星の南極が1987年に120年ぶりに影から出たため、窒素が余分に極冠から昇華したという説である。過剰の窒素が大気から凝縮するには数十年がかかると考えられている。
MITとウィリアムズ大学のエリオットとパサチョフのチームと、レスリー・ヤング率いるサウスウエスト研究所のチームは、2006年6月12日に起きた冥王星によるさらに別の恒星の掩蔽をオーストラリアから観測した。
冥王星の光度曲線、ハッブル宇宙望遠鏡の観測を元に作成された表面の地図、赤外線スペクトルの周期的な変化などから明白に分かるように、冥王星の表面は異常に不均一である。冥王星の表面のうちカロンに向いた側はメタンの氷が多く、反対側は窒素と一酸化炭素の氷が多い。
冥王星の軌道を黄道面から見た図。このように「横から見た図」では、冥王星の軌道(赤)は、海王星の軌道(青)のような普通の軌道と違って大きく傾いていることが分かる。
冥王星の軌道は、太陽系の惑星と比較するとかなり異常である。惑星は黄道面と呼ばれる仮想の平面にかなり近い面を公転しており、軌道の形は真円に近い。対照的に、冥王星の軌道は黄道面から大きく傾いており(17°以上)、離心率が大きい(歪んでいて真円から遠い)。軌道が傾いているため、冥王星の近日点は黄道面よりもかなり北側に(~8.0 AU)ある。離心率が大きいことから、冥王星の軌道の一部は海王星よりも太陽の近くに入り込んでいる。
冥王星の軌道を天の北極方向から見た図。この「上から見た図」から、冥王星の軌道(赤)が海王星の軌道(青)と比べてかなり歪んでいて、冥王星が海王星より太陽の近くに入り込む時期があることが分かる。それぞれの軌道の半分の暗い部分は、惑星が黄道面の南側を通る部分を表している。それぞれの惑星の位置は2006年4月16日のものである。2007年4月にはそれぞれの惑星の位置はわずかに1ピクセル分ほどずれる。
近日点の近くでは、冥王星は海王星よりも太陽に近くなる。最も最近この現象が起こったのは1979年2月7日から1999年2月11日までである。数学的な計算によると、この現象は前回は1735年7月11日から1749年9月15日まで続いた。同様の計算から、そのさらに前の回は1483年4月30日から1503年7月23日までだったことが分かっており、この期間の長さはほとんど1979年から1999年までの期間の長さと等しい。最近の研究では、冥王星が海王星の内側に入り込む期間は、微妙な変化はあるものの、約13年間と約20年間のものが交互に訪れると考えられている。
冥王星の軌道は海王星の軌道と3:2の軌道共鳴状態にある。海王星が冥王星に背後から近づくと、相互の重力によって互いにわずかに引かれ始め、トロヤ点を生じるような軌道上の同じ配列の間で相互作用する結果になる。軌道が歪んでいるため、3:2の比で軌道共鳴しているということは、海王星が常に冥王星と遠く離れたところにあることになり好都合である。冥王星が軌道を半周すると、冥王星は海王星に最も近づき、一見すると海王星が冥王星を捕獲しそうに見える。しかし冥王星は太陽からの重力的加速により速度を上げ、海王星の前方に留まり、冥王星の軌道の反対側で再び出会うまで前方に引かれる。
1990年代初めには、冥王星以外に太陽系外縁天体 (TNO) がいくつか見つかり、そのうち海王星と3:2の軌道共鳴状態にあるものが一定数あった。このような軌道共鳴状態にあるTNOは冥王星にちなんで冥王星族 (Plutinos) と呼ばれている。
この図では冥王星(赤)と海王星(青)の相対的な位置関係を一部の日のものを抜粋して示している。海王星と冥王星の大きさは、比較を容易にするため、距離に反比例するように描いている。最も接近したのは1896年である。
冥王星の軌道は海王星の軌道と「交差している」と言われることがよくある。しかし実際は、冥王星の軌道の交点(軌道が黄道面と交差する点)は両方とも海王星の軌道の外側にあり、距離にして6.4AU(すなわち、地球と太陽の間の距離の6倍以上)も離れている。その上、これらの天体は軌道共鳴状態にあるために、冥王星が2回公転する間に海王星は正確に3回公転する。このため、海王星と冥王星の軌道が最も近づいているところに海王星が達したとき、冥王星は軌道上ではるかに後ろにあり、代わって冥王星がその点に到達したときには、海王星は軌道上で50°以上も前方にあることになる。冥王星がもう1公転してこの点に到達した時には、海王星は軌道上で半周近く離れたところにある。その結果として、冥王星は軌道上のこの点では海王星の30AU以内には決して近づかないことになる。
実際に海王星と冥王星が最も接近するのは、軌道上のほぼ反対側であり、冥王星が遠日点を通過して(前回の遠日点通過は1866年)から約30年後に海王星が冥王星に追いつく(海王星と冥王星の遠日点経度は似通っている)。距離が最小になったのは1896年6月のことで、18.9AUまで近づいた。言い換えると、冥王星は土星に最も近づいたときよりも海王星に近づくことは決してないということである。
エッジワース・カイパーベルトは全ての短周期彗星の供給源だと考えられており、冥王星も、他のエッジワース・カイパーベルト天体(外縁天体)のように、彗星に一般的な特徴を持っている。太陽風によって冥王星の表面の物質はゆっくりと宇宙空間に吹き飛ばされており、これは彗星の場合と同様である[18]。もし冥王星を太陽の近くにおけば、彗星のように尾が発達するだろう[19]。
2006年現在、冥王星には3つの衛星が発見されている。1978年には最初の衛星カロンが天文学者ジェームズ・クリスティーによって発見された。2005年には、より小さい2つの衛星ニクスとヒドラが発見された。
冥王星は質量が小さく地球からの距離が非常に遠いため、探査機を送るのは非常に難しい。ボイジャー1号は冥王星を訪れることもできたが、制御チームは代わりに土星の衛星タイタンへの接近飛行を選んだため、冥王星への接近飛行はできない軌道になった。ボイジャー2号は元々冥王星に接近するような軌道ではなかった[20]。その後NASAはプルート・カイパー・エクスプレスミッションを計画していたが、経費の増大や打ち上げロケットの開発の遅れなどのため、2000年に中止された。[要出典]
初めて冥王星を訪れる探査機は、2006年1月19日に打ち上げられたNASAのニュー・ホライズンズである。探査機は木星の重力によりスイングバイを行い、2015年7月14日に冥王星に最接近する。冥王星の観測は最接近の5ヶ月前から始まり、冥王星とすれ違い通り過ぎてからも少なくとも1ヵ月間は続く予定である。
ニュー・ホライズンズは、冥王星とその衛星カロンの全体的な地質と地形の特徴を明らかにし、表面の組成の地図を作成し、冥王星の薄い大気とそれが流出する割合を明らかにするための、画像撮影装置と無線科学調査ツール、さらに分光器とその他の実験装置を含んだ遠隔操作パッケージを使用する予定である。ニュー・ホライズンズは冥王星とカロンの表面の写真撮影も行う。
ニクスとヒドラという2つの衛星が発見されたことにより、探査機にとっては予定外の難題が生まれるかもしれない。ニクスとヒドラの脱出速度が比較的小さいため、外縁天体との衝突で薄い塵の環が生じている可能性がある。もしニュー・ホライズンズが飛行中にこのような環の中を通過すれば、探査機に損傷を与えたり機能停止させるような微小隕石によるダメージを受ける可能性が高まる[21]。
冥王星は他の8つの惑星と性質が違い、また以前は明確な惑星の定義が存在しなかったため、少なくとも最初の太陽系外縁天体 (TNO) である1992 QB1が発見された1992年以降、冥王星を公式に惑星と呼ぶべきかどうかを巡り常に様々な議論や論争がなされてきた。1990年代後半以降同様の天体がさらに次々と発見され、論争はますます激しくなっていった。
冥王星は海王星までの8つの惑星と比較すると離心率や軌道傾斜角が大きいことから、発見された当初から「変わった惑星」だと考えられていた。発見されてからしばらくの間は地球と同じ程度からその数倍の質量を持つと推定されていたが、実際はそれよりはるかに小さいことが明らかになり、組成や予想される起源から、太陽系外縁天体ではないかという意見が有力になっていった。また、冥王星の表面を覆う氷は彗星が持っている氷と同じ成分であることから、冥王星は太陽系を形成したときの微惑星の集合体だと考えられるようになった。このような研究の進展から、冥王星を惑星とみなすことに疑問を抱く声が高まっていった。
1990年代後半には、冥王星の惑星としての地位を見直す声がますます高まってきたが、国際天文学連合 (IAU) は冥王星を惑星から外すことには消極的だった。1998年には番号登録された小惑星の数が10000個に迫ってきたことから、冥王星を小惑星に再分類し小惑星番号10000番を与えてはどうかという声が上がった。しかしIAUは1999年2月3日、冥王星を外縁天体のリストに加えることは考えているが、冥王星の立場を変更する動きは全くないとの声明を発表した[22]。結局、小惑星番号10000番は普通の小惑星に与えられた。
博物館やプラネタリウムの責任者が、太陽系の惑星模型から冥王星を省略することで論争を引き起こすことが時々あった。中には意図的なものもあった。ニューヨークのヘイデンプラネタリウムでは、改築後2000年に営業を再開した際、冥王星を除いた8つの惑星の模型を展示した。この論争は当時メディアで大きく取り上げられた[23]。
望遠鏡の技術が進歩し続けたことにより、21世紀にはさらに多くの太陽系外縁天体が発見できるようになり、その中には冥王星の大きさに匹敵するものもあった。
2001年5月22日、アメリカの天文台が2001 KX76(イクシオン)を発見。2001年8月31日には欧州南天天文台が直径は少なくとも1,200km以上である事を確認。最大のKBOと認定される。
2002年、冥王星の半分よりも少し大きい直径1,280kmの2002 LM60(クワオアー)が発見される。
2005年7月29日、仮符号2003 UB313(2006年9月にエリスと命名された)と呼ばれる外縁天体の発見が公表された。この天体は等級とアルベドを考慮に入れただけの計算を元にすると、冥王星よりやや大きいと推測された。これは1846年の海王星の発見以来、太陽系内で最大の天体の発見であった。この天体を惑星と呼ぶかどうかの公式な合意は何も無かったにも関わらず、発見者とメディアは当初これを「第10惑星」と呼び、10個目の惑星発見という報道もされた。天文学会の他の人々の中にはこの発見を、冥王星を小惑星として再分類する最も強力な根拠とみなす者もいた。
最後まで残った冥王星の特徴的な点は、巨大な衛星カロンと大気である。しかしこれらの特徴も、冥王星特有のものではないかもしれない。他にも多くの外縁天体が衛星を持っている。また、2003 UB313(エリス)のスペクトルからは表面の組成が冥王星と似ていることが示唆され、2005年9月には衛星も発見された(2006年9月にディスノミアと命名された)。外縁天体2003 EL61(愛称「サンタ」)は2つの衛星を持ち(そのうち1つは愛称「ルドルフ」)、これはエリス、冥王星、2005 FY9(愛称「イースターバニー」)に次いで4番目に大きな外縁天体である。
2006年8月14日から、チェコのプラハで、惑星の定義を決めるための国際天文学連合 (IAU) 総会が開かれた。当初提出された定義案に従うならば、冥王星が惑星として残るのに加えて冥王星の衛星カロン、小惑星ケレス、2003 UB313(エリス)が惑星とみなされ、惑星は12個となる。しかし、天文学者などから強い反対の声が噴出し、原案は大幅な見直しを余儀なくされた。結局、8月24日に採択された議決において「惑星」、「dwarf planet」(準惑星)、「Small Solar System Bodies(太陽系小天体)」の3つのカテゴリが定義されることになった。
自己の重力によって球形になるほど十分な質量を持っていること。より明確にいうと、自己の重力により重力平衡形状になっていること。
自己の重力によって球形になるほど十分な質量を持っていること。より明確にいうと、自己の重力により重力平衡形状になっていること。
太陽のまわりを公転している天体で、惑星、dwarf planetでないほとんど全ての天体(小惑星の大部分、太陽系外縁天体の大部分、彗星その他)。
IAUは上記の定義の元で、それまでの9つの惑星のうち冥王星は惑星としての条件の3つ目を満たさないとして[24]、惑星の総数を8つとするともに冥王星を「dwarf planet」に再分類し、太陽系外縁天体内の新しいサブグループの典型例とみなすと決議した。サブグループの名称としては「plutonian objects」が提案されていたが否決された。
さらに、2006年9月8日、小惑星センター (MPC) は冥王星を正式に小惑星の一覧に加え、小惑星番号134340番を割り振った。IAU総会直前までに登録されていた小惑星の総数は134,339個で、この日同時に登録された数千個の中で最も早く発見されたものであったことからこの番号になったのである。1999年からの7年間で、登録された小惑星の数は10倍以上に増えていた。冥王星に10000番を割り当てる提案が却下されて以降、20000番のヴァルナや50000番のクワオアーのように、外縁天体の中にはキリのいい番号が割り当てられたものもあったが、冥王星には結局平凡な番号が割り当てられることになった。
天文学会の中には、この再分類に対する抵抗もあった[25]。NASAの冥王星探査機ニュー・ホライズンズの主任研究官アラン・スターンは、公然とIAUの決議を嘲笑し、「技術的な理由から、決議はお粗末なものだ」と述べている[26]。スターンの現在の主張は、地球、火星、木星、海王星は全て軌道を小惑星と共有している[27]ため、新しい定義ではこれらの惑星も惑星ではなくなるというものである。しかしこの発言は、これらの4惑星を含む、軌道付近の天体を排除している8つの惑星を「明らかに我々の太陽系は含んでいる」とする彼自身の文章と矛盾するようにも思える[28]。スターンらの行動に対しては、冥王星の「価値が下がった(ようなイメージが広まる)」ことによる冥王星探査計画への予算面での影響を恐れたからだという見方もある。
一方、IAUを支持している者もいる。エリスを発見した天文学者マイケル・ブラウンは、「このばかげたサーカスのような手続き全体を通して、何とか正しい答えに巡り合った。長い時間がかかった。科学者は、たとえ強い感情が絡むときであっても、最終的には自らの誤りを正すのだ」と語っている[29]。
一般大衆の間では、広範囲に及ぶメディア報道の中では受け取り方は様々である。再分類を受け入れる者もいるが、IAUに冥王星の惑星復活を強く求めるインターネット上の請願によって決定を覆そうとしている者もいる。カリフォルニア州議会の一部の議員が発表した議決では、IAUの「罪」の中でも特に「科学的に異端である説の主張」を非難している[30]。
冥王星は世界各国の人々に、太陽系の9つ目の惑星として長い間親しまれてきた。特に、冥王星を発見したクライド・トンボーがアメリカ人であったことから、冥王星は1930年の発見以降長い間、アメリカ人が発見した唯一の惑星とされ、発見当初からアメリカ人の誇りと思われてきた。ディズニーのキャラクターとして親しまれているプルートは、冥王星が発見された年に誕生しており、冥王星(プルート)から名前が取られている。このこともあり、多くのアメリカ人は冥王星に特別な愛着を抱いてきた。アメリカ人のこのような強い愛着が、冥王星の立場が疑われ始めてからも、長らく議論を混乱させる一因にもなった。2006年に結局冥王星が惑星から変更されることが決まると、多くの人々が困惑し、特にアメリカ人からは失望や落胆、不満の声が強く聞かれた。
冥王星が惑星でなくなるきっかけを作ったのが、アメリカによる数々の華々しい天文学上の成果と、その結果出された「太陽系惑星12個案」だったことは皮肉である。
1970年代初頭に打ち上げられた宇宙探査機パイオニア10号とパイオニア11号に搭載された金属板には、冥王星が惑星として描かれている。この金属板は、将来探査機が地球外文明と遭遇した場合に、探査機がどこから来たかという情報を与えることを意図しており、我々の太陽系の図も含まれていて、9つの惑星が描かれている。同じように、探査機ボイジャー1号とボイジャー2号(同様に1970年代打ち上げ)に搭載されている黄金のレコードに記録されたアナログ画像や1974年に送信されたアレシボ・メッセージでも、やはり冥王星は9番目の惑星とされている。
グスターヴ・ホルストによる組曲惑星は、冥王星発見以前の1914年から1916年にかけて作曲されており、当時未発見の冥王星は含まれていない。しかし、冥王星が発見されて以降、冥王星の曲を補完しようという試みがあり、そのうち2000年にコリン・マシューズが作曲した「冥王星、再生する者」が有名である。ただしこの作品の追加には賛否両論がある。
冥王星は、「最も遠い惑星」とされたことから、太陽系の果ての象徴とされ、SFやスペースオペラなどに描かれることが多かった。
冥王星が登場する有名な作品には、『キャプテン・フューチャー』、『宇宙戦艦ヤマト』、『銀河鉄道999』などがある。
月と太陽系の各惑星を各登場人物に象徴させる『美少女戦士セーラームーン』では、セーラープルート(冥王せつな)と呼ばれるキャラクターが存在し、その年齢はセーラー戦士中最年長(設定上900歳だが見た目小学生のセーラーちびムーンを除く)とされている。
野尻抱介のSF小説『ロケットガール』第2巻の後半では架空の冥王星探査機がストーリーの中心になる。同作品は初版が1996年、新装版が2006年11月に発売されたが、旧版の時点で既に冥王星はTNOの一種であるという考え方に言及されている。
アニメ版『ケロロ軍曹』第146話(2007年2月2日放送)は、冥王星の「降格」自体をネタにしたエピソードであった。
また、2007年3月発売のゲーム『スーパーロボット大戦W』では、「冥王星は過去に惑星だったが、現在では惑星からはずされて人々の記憶からも忘れ去られた星」(ゲームの登場人物達も、昔は第9惑星があったが、名前は思い出せないと度々語る)となっており、これが終盤大きな意味を持つ。
惑星ではない別のカテゴリの天体(の典型例)になったことは決して冥王星の存在価値を否定するものではなく、「さいはての惑星」から「かつて考えられていたよりも遥かに広いことが明らかになってきた太陽系の、新しい領域を代表する存在」になったことを意味している。しかし、発見から76年間も惑星として親しまれてきた上に、マスコミによるセンセーショナルな報道の影響もあって「冥王星が惑星でなくなった」ことに負のイメージを抱いてしまった人が非常に多いのも事実である。
『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』で知られる漫画家の松本零士は、「理論的には正しいが、人々が持つ宇宙への夢に対する配慮に欠けた決定である」といった趣旨の発言をしていた。逆に、野尻抱影にちなんでペンネームをつけたというSF作家の野尻抱介は、「理性が最良の選択をしたということだろう。一抹の寂しさは感じるものの、科学は自分自身を書き換えることが出来ると世界に示せたことには意義がある」などと自らのウェブサイトでコメントした。
この分類変更は、冥王星は惑星だと記載してきた世界の教科書出版業界にも衝撃と混乱をもたらしており、また多くの国の政治家も「この結論は歴史的なものである」といった趣旨の発言をしている。
日本学術会議は、2007年4月9日の対外報告(第一報告)[4]において前年のIAU総会で決まった新たな分類の日本語名称を提言したが、「dwarf planet」についてはその定義にあいまいな部分があり、混乱を招く可能性があるとして、学校教育などの分野では当面は積極的な使用を推奨しないとしている。
冥王星の天文学におけるシンボル(惑星記号)はPとLのモノグラムであるである。これは、パーシヴァル・ローウェルのイニシャルをも表している。冥王星の惑星記号は発見当時複数提案され、ローウェル自身が提唱したものもある。天文学が採用した結果、上記の記号が大勢を占めるに至ったが、占星術においては別のシンボル ( ) を好んで使う流派もある。このシンボルは海王星のもの ( ) に似ているが、三叉の中央の尖った部分に円がある。
冥王星の分類変更の衝撃が天文学以外の分野にも波及した例として、占星術で首都移転を決めるほどの社会的影響力のあるミャンマーの占星術師の協会がこの決定を非難したことが挙げられることがある。しかし、西洋占星術関係者の一部からは「冥王星そのものが消えたわけではない」「新たな星(象徴)の再定義の発見である」などの意見も出ている。そもそも占星術における惑星の定義は天文学的な定義とは異なる(流派によっては小惑星を含むものすらある)ため、必ずしも分類変更によって大きな影響を受けるとは言えない。
^ a b “対外報告(第一報告):国際天文学連合における惑星の定義及び関連事項の取扱いについて” (PDF) pp. 14 日本学術会議: 2007年4月9日. 2007年4月17日閲覧.
^ “冥王星の分類について、国際天文学連合が態度表明” 国立天文台・天文ニュース (238): 1999年2月4日. 2006年9月14日閲覧.
デービッド・H・フリードマン、「惑星が惑星でなくなるのはいつか」、 月刊アトランティック、1998年2月。
カテゴリ: 編集半保護中の記事 | 出典を必要とする記事 | 冥王星 | 準惑星 | 太陽系外縁天体

[ 167] 冥王星 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%A5%E7%8E%8B%E6%98%9F



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