平成とは?
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平成(へいせい)は、日本の元号の一つ。昭和の後。1989年1月8日から2007年現在までの期間を指す。2007年現在は平成19年である。 「平成」は、元号法が制定された際に陽明学者・安岡正篤が考案したと言われ、改元時の内閣総理大臣・竹下登ら政府首脳も決定前から執心していた。また、閣僚などを通じ、「平成」や「修文」などの候補が外部に漏れ、幾ばくかの国民の間には予め予想する事が可能でもあった。 政府は、昭和天皇の崩御(死去)を受け、その当日(1989年(昭和64年)1月7日)の午後、「元号に関する懇談会」(8人の有識者で構成)と衆参両院正副議長に3つの候補を示し、意見を聴いた。その際、「平成」は最初に書かれており、また、他の「修文(しゅうぶん)」、「正化(せいか)」の2候補はローマ字表記の頭文字が「昭和」と同じ「S」になり初めから選び得ないものだった。 同日14時10分から開かれた臨時閣議に於いて新元号を正式に決定し、14時36分、内閣官房長官の小渕恵三が記者会見で発表。「ただいま終了しました閣議で元号を改める政令が決定され、第1回臨時閣議後に申しました通り、本日中に公布される予定であります。新しい年号は、平成であります」と言いながら新年号を墨書した台紙を示す姿は、新時代の象徴とされた。 同日、「元号を改める政令」(昭和64年政令第1号)は新天皇の允裁を受けた後、官報号外によって公布され、翌日から施行された。 尚、大正と昭和の際と異なり、平成改元の際に翌日から施行された背景として、文書事務の煩雑化・ワードプロセッサ・OA化の普及に伴うプログラム等の変更を行うためと、当時は報道された。 「平成」の名前の由来は、『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、『書経』大禹謨(偽書)の「地平天成(地平かに天成る)」からで「内外、天地とも平和が達成される」という意味。なお、平成は慶応改元の際にも候補に上がったが、2回目で採用された。 平治以来「平」ではじまる元号がないのは、平治が戦役によって混乱した時代であったためであり、「平」ではじまる元号はこれを避けるのが故実である。 昭和57年(1982年)〜昭和62年(1987年)の中曾根康弘内閣を最後に、平成に改元された当時の竹下登内閣以降、短命な内閣が続き、平成13年(2001年)までの12年間に首相が10人、平均の在任期間が1年強という混迷の時代が続いた。この中には日本政治史上記録的な2つの短命内閣も含まれている(宇野宗佑内閣(69日)、羽田孜内閣(64日))。小泉純一郎内閣(平成13年(2001年)4月〜18年(2006年)9月)が平成初の長期政権である。小泉の首相在任期間は戦後3位(1980日)であり、私学出身者・党人派による政権としては共に戦後最長である。 派閥領袖ではない人物が多く首相に就任している。平成19年(2007年)現在、12人の首相のうち、派閥領袖として首相に就任した人物は竹下、宮沢喜一、小渕恵三、森喜朗の4人のみである。首相就任時の年齢が低下傾向にある。昭和期には60歳代後半・70歳代の首相は珍しくなかったが、平成期では多くが50歳代後半から60歳代前半で首相に就任している。70歳代での首相就任は宮沢、村山富市、福田康夫の3人のみである。海部俊樹、細川護熙、羽田孜、橋本龍太郎、小泉純一郎、安倍晋三は、50歳代で首相に就任している。橋本、小沢一郎、小泉純一郎といった世襲政治家が多く活躍した。平成6年(1994年)の村山政権以来の首相は全員、世襲政治家が占めている。 平成期は、戦後体制を見直し、バブル崩壊以降の閉塞状態を脱却しようとする機運が生まれ、選挙制度改革(小選挙区比例代表並立制の導入)、政治改革(政治資金規正法、政党助成金制度)、行政改革(省庁再編、公務員改革)など、総じて「改革」が望まれ、実現されてきた時代であると言える。また、有事法制の整備や自衛隊の海外派遣、教育基本法の改正など、保守色の強い政策への抵抗感が弱まり、自由民主党・民主党の二大政党の政策は右傾化している。革新勢力は力を失い、中国脅威論や対北朝鮮制裁に国民世論が同調している。政界再編が頻発し、政権の枠組みが頻繁に変化した。この事は、政治家のスキャンダルが多く発覚したこととあわせ、国民の政治不信を呼んだ。特定の支持政党を持たない「無党派層」が既存政党への支持者を大きく上回っている。 平成12年(2000年)の中央省庁再編により、官邸主導が強まった。「竹下派七奉行」「清和会四天王」と呼ばれた大物政治家らが1990年代の政界を主導したが、過半が死去・引退した。2000年代に入り、戦後生まれの世代が主導権を握りつつある。与野党で戦後世代の党首が誕生している。地方政治では、ユニークな「改革派首長」が登場し、財政再建や過疎対策などに辣腕を振るうようになった。 偏差値重視の現行教育制度の改革が進められており、文部科学省はゆとり教育を掲げ授業時間数の削減、教育内容の減少を推進した。さらに愛国心や情操教育を盛り込んだ教育基本法の改正も行われた。 これに伴って、経済格差、地域格差を背景とした能力格差が表面化している。この原因は公教育機能が低下しているためといわれ、公教育への不信感が増大している。それを補うための学習塾や私立学校へ進学希望者が増加している。しかし、学習塾や私立学校のない地域はどうやって勉強すればいいのか、不景気の中で教育産業だけが儲かる状況は異常ではないのか、低所得者の学習意欲をどう保証するのかなど、日本国憲法が定めた教育権(能力に応じて教育を受ける権利を持つ)の問題を含めて深刻な状況にある。 そのためゆとり教育の見直し、幼稚園・保育園・高等学校の義務教育化に代表される公教育の機能強化が唱えられているが、教育観や費用の問題もあって見通しは不透明である。 少子化の進展で平成17年(2005年)には『大学全入時代』を迎えたが、学校を卒業しても親に生活を依存するニート、引きこもりといった学生や社会人が増加し、問題視されている。これは経済的には1990年代以来の不景気を背景にしているが、学校と実社会の間にギャップがあるという日本独特の問題が潜んでいるとされる。余りに学校社会になれた子供は、卒業しても社会に適応することが困難になるといわれる。と同時に、教育は学校に行くことだけがすべてではないという見方から、公教育以外の多様な施設が考案、実践されている。さらにメンタル面では不登校や児童虐待、いじめ、薬物乱用、性モラルの低下といった問題を抱えるが、これらの問題は家庭や学校のみならず、塾にまで波及しつつある。 昭和天皇の崩御とベルリンの壁の崩壊が同じ平成元年(1989年)に起こったので、世界史的には、平成は「ポスト冷戦時代」とも言える。 平成3年(1991年)にソビエト社会主義共和国連邦は、領土を構成していた共和国のすべてが独立し、解体された。イデオロギーの退潮に伴って、各地で民族・宗教紛争が顕在化、テロリズムの脅威が叫ばれている。一方でソビエト連邦解体後は、旧東側諸国が西側経済に統合され、世界経済の一体化が起こった。アメリカという超大国を軸に、欧州連合 (EU) 、中国、ロシア、日本などの中大国がそれに協力したり、地域的な覇権を争って対立もしながらも、ゆるい世界統合がなされている。その中で日本は冷戦時と同様に日米関係を外交の基軸とし、湾岸戦争やイラク戦争に協力するようになった。 海外ではアジア諸国、中国・インド・タイ・マレーシアなどに急速な経済発展が見られ、それに伴って日本との経済関係も、これまで以上に緊密になった。 このうち、北京オリンピックを控え、「四つの近代化」を進めてきた中国は急速に経済的・軍事的存在感を強め、ガス田開発、領土問題などで日本との摩擦が表面化している。 通貨危機を脱した韓国は左派政権の盧武鉉政権が登場。折からの2002 FIFAワールドカップ共催、主婦層の韓流ブームと相まって、文化面では友好ムードが高まった。しかし、政治面では竹島の領有権問題の表面化、靖国参拝で冷却化した。 また朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との間で日本人拉致問題、核開発問題が深刻化している。日本政府は拉致問題を解決するために、経済制裁を可能とする法整備を進め、ミサイル発射訓練を機に制裁を発令した。 この他の東南アジア諸国でも自国の経済発展や華僑の人口増加、中国の経済発展に伴って、日本を先頭とした雁行型経済に代表されてきた伝統的な対日依存を見直し、新たな経済大国として浮上した中国や、EUなど他地域との関係を強化する事で、経済の多極化を図る動きがある。 なお、東南アジア地域においては東南アジア諸国連合 (ASEAN) が結成され、東南アジア諸国は共同体形成を模索している。 そのため、東アジア共同体 (AU) 、およびアジア共同体構想が浮上している。これはEUのアジア版であり、ASEANや日中韓などの各国が共同して立ち上げた大戦略だが、ASEANや日中韓といった地域には人種、宗教、言語、文化、経済力といった地域統合を促す要素に共通性が希薄で、また共同体の主導権をめぐって日中が激しく争う向きがあるものの、アジア諸国が日中の二者択一を望んでいないといった理由などで、構想自体が空中瓦解するだろうという見方も少なくない。 この他、国連創設60周年に当たる平成17年(2005年)には、敵国条項の削除と国連安全保障理事会の常任理事国入りを目指し、グループ4(日本、ドイツ、インド、ブラジル)を結成したが、中国、韓国、さらにはアメリカなどの反対にあって挫折した。 バブル経済全盛期。若い女性の間で、真っ赤な口紅にソバージュ頭、太眉にボディコンという押しの強いファッションが流行した。また、トレンディドラマ全盛期でもあり(代表作は東京ラブストーリー、101回目のプロポーズなど)、当時の人気俳優を起用したドラマは軒並み高視聴率をたたき出した。なお、経済的には平成3年(1991年)にバブル経済が終焉しているが、国民が景気停滞を感じ始めたのは平成5年(1993年)頃からだという見方が強い。 バブル経済が終焉し、平成不況に突入。就職氷河期が続く。1970年代ブーム。バブル期の流行から一転して細眉が流行、茶髪が一般化した。ファッションの多様化がおこり、アムラー・裏原宿系・B系などのファッションが流行。コギャルが風俗として注目された。携帯電話、パソコンが一般にも普及してゆく。平成7年(1995年)頃漫画の売り上げがピークに達する。ビーイング系、小室系、ヴィジュアル系流行の最盛期で、平成10年(1998年)頃CDセールスがピークとなる。 パソコン・携帯電話などは2000年代に入るとほとんどの国民に普及し、インターネットが一般化した。CDや漫画をはじめとする出版物の発行部数が減少したほか、一部ではテレビ離れも言われている。また、高度経済成長期や、その前後の時代を懐古する風潮も広がっている。若者のファッションは著しく多様化し、ある世代全体に広がるような流行はもはやみられなくなった。 元年(1989年) - 消費税導入。美空ひばり死去。宇野内閣が発足するが、スキャンダルなどもありわずか2ヶ月でスピード退陣、第1次海部内閣発足。坂本堤弁護士一家殺害事件。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件。東証の日経平均株価が史上最高値を記録し下落に転じる。ベルリンの壁崩壊。 2年(1990年) - 即位の礼。第2次海部内閣発足、その後新たに第2次海部内閣改造内閣も発足。礼宮文仁親王(現:秋篠宮)と川嶋紀子が結婚。日本人初の宇宙飛行士秋山豊寛が宇宙へ。 3年(1991年) - 雲仙普賢岳が大噴火。湾岸戦争勃発。第58代横綱千代の富士が引退。東北・上越新幹線東京駅乗り入れ開始。大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が国際連合加盟。宮澤内閣発足。ソビエト連邦解体。バブル経済崩壊。 4年(1992年) - バルセロナオリンピック・アルベールビルオリンピック開催。尾崎豊死去。毛利衛が宇宙へ。天皇が初めて中華人民共和国を訪問。米大統領にビル・クリントンが当選。宮澤内閣改造内閣発足。 5年(1993年) - 皇太子徳仁親王と小和田雅子が結婚。レインボーブリッジが開通。細川内閣発足により、自由民主党が野党に。歴史的冷夏。1993年米騒動によりコメの部分開放を決定。ドーハの悲劇でサッカー日本代表はW杯初出場を逃す。逸見政孝死去。 6年(1994年) - リレハンメルオリンピック開催。羽田内閣が発足するが、わずか2ヶ月でスピード退陣、村山内閣発足。アジア初の女性宇宙飛行士向井千秋が宇宙へ。大江健三郎がノーベル文学賞受賞。松本サリン事件。関西国際空港開港。プレイステーションが発売。三陸はるか沖地震。 7年(1995年) - 阪神・淡路大震災。地下鉄サリン事件が発生。オウム真理教の松本智津夫代表逮捕。村山内閣改造内閣発足。ウィンドウズ95発売。野茂英雄投手がメジャーリーグ新人王に。仏大統領にジャック・シラクが当選。 8年(1996年) - 第1次橋本内閣発足。アトランタオリンピック開催。ペルー日本大使館人質事件が発生。渥美清死去。ゲーム『ポケットモンスター』が発売。北海道の豊浜トンネルが落盤事故。第2次橋本内閣発足。 9年(1997年) - 神戸連続児童殺傷事件。ナホトカ号重油流出事故。香港が中国に返還。長野新幹線開業。映画『もののけ姫』が公開。ダイアナ元英皇太子妃事故死。第2次橋本内閣改造内閣発足。サッカー日本代表がW杯初出場を決める。ポケモンショック。 10年(1998年) - 山一證券が自主廃業。和歌山毒物カレー事件。小渕内閣発足。長野オリンピック開催。サッカーワールドカップに日本が初出場。横浜ベイスターズが38年振りに日本一。 11年(1999年) - 天皇即位10周年奉祝式典が各地で開催される。小渕内閣第1次改造内閣発足、約10ヶ月後、小渕内閣第2次改造内閣発足。全日空61便ハイジャック事件発生。国旗国歌法成立。ポルトガル、マカオを中国に返還。『だんご3兄弟』が大ヒット。2000年問題が話題に。 12年(2000年) - 九州・沖縄サミット開催。二千円札発行。第1次森内閣発足、3ヶ月後第2次森内閣発足。地下鉄日比谷線脱線事故。新潟少女監禁事件の被害者発見。韓国と北朝鮮の南北首脳会談が実現。三宅島が噴火し全島避難。加藤の乱。夏季シドニーオリンピックが開催。第2次森改造内閣 (中央省庁再編前)発足。 13年(2001年) - 第2次森改造内閣 (中央省庁再編後)発足。えひめ丸事件。森内閣総辞職。「聖域なき構造改革」を唱え、第1次小泉内閣発足。附属池田小事件。アメリカ同時多発テロ事件が発生その後米英軍がアフガニスタンに報復攻撃。 14年(2002年) - ソルトレークシティーオリンピックが開催。EU圏内で新通貨ユーロに完全統合。住民基本台帳ネットワークが開始。第1次小泉内閣第1次改造内閣発足。東北新幹線が八戸駅までに延伸。アジアで初のサッカーワールドカップを韓国と日本が共催。 15年(2003年) - 東海道新幹線の品川駅が開業。イラク戦争勃発。米軍がサダム・フセイン元イラク大統領拘束。玄界灘海難事故発生。阪神タイガースが18年ぶりにセ・リーグを制する。第1次小泉内閣第2次改造内閣発足、2ヶ月後第2次小泉内閣発足。感染症SARSが世界的に流行する。 16年(2004年) - 九州新幹線が開業。営団地下鉄が東京地下鉄(東京メトロ)に。佐世保小六女児同級生殺害事件が発生。異常気象で、観測史上最多となる10個の台風が日本に上陸。『マツケンサンバ』が大ヒット。アテネオリンピック開催。第2次小泉改造内閣発足。新潟県中越地震発生。日本銀行券のデザインを20年ぶりに変更。『東北楽天ゴールデンイーグルス』がプロ野球パ・リーグに新規参入。 17年(2005年) - H-IIAロケット打ち上げ成功。福岡県西方沖地震が発生。JR福知山線脱線事故。2005年日本国際博覧会(愛・地球博、愛知万博)開幕。中部国際空港開港。郵政民営化法案が参議院本会議で否決されたが、小泉首相は衆議院解散を断行して総選挙後に成立、同時に第3次小泉内閣発足(約1ヶ月後、第3次小泉改造内閣発足)。 ディープインパクトが日本競馬史上2頭目の無敗3冠達成。本田美奈子.死去。構造計算書偽造問題(耐震偽装問題)。 18年(2006年) - 平成18年度豪雪。トリノオリンピックが開催。アメリカでワールドベースボールクラシックが開催、日本がキューバを破り初代優勝国となる。第88回夏の甲子園開幕、決勝戦における早稲田実業・斎藤佑樹、駒大苫小牧・田中将大両エースによる壮絶な投げ合いが大きな話題に。安倍内閣発足。サッカーワールドカップがドイツで開催。ライブドアショックによる株式市場の混乱。秋篠宮妃紀子が悠仁親王を出産。子供の自殺が深刻化。 19年(2007年)- 日本全国で食に関する不祥事が噴出。あるある大事典捏造問題。宮崎県知事に東国原英夫(そのまんま東)が当選。能登半島地震発生。防衛庁が防衛省に移行。長崎市長銃撃事件発生、伊藤一長市長が死亡。新潟県中越沖地震発生。安倍改造内閣発足もすぐに頓挫、福田康夫内閣発足。日本郵政公社が民営化、日本郵政グループ(JPグループ)発足。21世紀としては異例の11月の最深降雪記録を各地で達する。 平成n年とグレゴリオ暦g年とは n = g - 1988 = g - 2000 + 12 の関係がある。つまり、2000年以降は西暦年の下2桁に12を加えると平成の年代になる。後者をもう少し違った観点から捉えると、西暦の最上位桁(単純に2)と下3桁を合わせ、ここに10を足すと平成の年代になる(西暦2,005年=>2+5+10=>平成17年)。 なお陰暦では平成は1年多くなるという説もある。つまり、陰暦の平成元年は1988年(便宜的に西暦を用いる、以下同様)であり、1989年ではないとする説である。これは昭和天皇の命日が陰暦では昭和63年(1988年)11月30日となるためであるが、現在の日本政府は「公式な陰暦の日付」を発表しておらず(国立天文台のFAQ)、陰暦年と元号との関係は明確ではないため、正しい説は1988年説と1989年説のどちらであるとも決めることはできない。ただし、市販されている陰暦が掲載された暦書などでは陰暦でも1989年を平成元年としている。 アニメや特撮の世界では、昭和時代から続くシリーズで平成時代に制作された作品を「平成ゴジラ」や「平成ウルトラマン」、「平成ライダー」と呼ぶことが多い。 平成に改元した直後は、平成(たいらしげる)という名前の個人を見つけ出してインタビューする番組も見られた。 小渕恵三内閣官房長官(当時)が記者会見で使用した台紙に平成と文字を墨書きしたのは、内閣総理大臣官房(当時。中央省庁再編後は内閣府大臣官房)人事課辞令専門職の河東純一である。 記者発表の20分ほど前、「平成」と鉛筆で書かれた紙片を渡され、新元号名を知る。その後、河東自らが用意した4枚の奉書紙にそれぞれに平成と書き、4枚目を額に入れ、ダンボールと風呂敷で梱包したものが小渕内閣官房長官の元へと運ばれた。河東本人談として、初めて平成と知ったとき、「画数の少ない字は形が取りにくく、書きにくい」と思ったそうである。また、4枚目を選んだのはうまい下手に関係なく、はじめから4枚目を提出するつもりだったとも語っている。 新元号を墨書する場所は、予め同官房内政審議室の会議室と決められていた。入室した際の同室では数人が別の作業を行っていたので、頼んで作業机の片隅を空けてもらい、「平成」を書き上げた。作業机は比較的高く、椅子はパイプ椅子で、周囲もやや喧騒であったため、非常に書きにくかったそうである(TBSラジオ「伊集院光・日曜日の秘密基地」より)。 河東純一は、2005年12月に職務(20万枚以上に及ぶ官記、位記、辞令及び表彰状等の作成)の功績を認められ、第18回「人事院総裁賞」個人部門を受賞した。 竹下登首相・小渕恵三官房長官の所属派閥の名前が「経世会(けいせいかい)」であり、「派閥の名前と一文字しか違わない」と陰口がささやかれた。竹下が経世会旗揚げ前に田中派内で結成した集団の名前も「創政会(そうせいかい)」であり、「○○せい」というのが竹下の好みであったのは確かなようである。 この「平成」は、日本の歴史に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。(P:歴史/P:歴史学/PJ日本史) |
[ 1] 平成 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%90
