集中とは?
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本気で集中して作業するコツは、「メールソフトやIMを終了させる」「電話を留守電にする」「会議室を個人で予約して“1人合宿”」……いやいや、もっと集中できる方法があるのですよ。 今週最も読まれた記事は「『あの場所まで歩いて何分?』を把握する」。不動産物件情報に書かれた「徒歩○分」が“80メートル=1分”換算で書かれているというのは聞いたことがあったが、マピオンのサービス「キョリ測(ベータ)」は知らなかった。アクセスが集中して、昨日は一時期キョリ測を利用できない、という事態になっていたようだ。マピオンさん、ご迷惑をおかけいたしました。 ところで、連載「デジタルワークスタイルの視点」の今週掲載分(1月31日の記事参照)を読んだ筆者の感想は、「徳力さんは意志が強いなあ」というものだった。記事では集中するためのポイントとして「メールソフトやIM(インスタントメッセンジャー)を終了させる」「電話を留守電にする」「会議室を個人で予約する」の3点を挙げていたが、これではまだ“手ぬるい”。 筆者の場合、最も集中でき、仕事がはかどるのは喫茶店だ。特に長い原稿を書くときには効果てきめん。会社で原稿を書いていて「このペースではもう間に合わない!」となると、近場のスターバックスやドトールへ、ThinkPadを抱えて逃げてしまう。 なぜコーヒーショップで仕事がはかどるのか。その理由は3つある。1つはコーヒーを飲みながら仕事ができるから(コーヒー大好き)。次に周りに知っている人がいないから(筆者の場合、話しかけられるのはもちろん、周りで人が話しているだけでも無意識のうちにその内容を聞いてしまい、つい気になってしまう)。そして3つめはネットワークがつながらないからだ。 メールソフトとメッセンジャーを断つだけで集中できる徳力氏は、意志が強い人なのだと思う。筆者の場合、ハッと気付くとWebブラウザでどうでもいいことを調べていたり(Wikipediaなどは大敵だ)、SNSを覗いてみたり、思い出して他の仕事をしてしまったりするのだ。まったくもって意志が弱いため、ネットワークそのものを遮断し、自分がインターネットにアクセスできない状況を作り出すことが必要になる。外に行くときも念のためPHSの通信カードは持っているのだが、社内LANに比べて通信速度も遅いし、つなぎ放題プランではないので、さすがにやむを得ない場合しか使わない。 そんなわけで、自分では“コーヒーショップ最強説”を唱えていたのだが、「こうすれば集中できる」という仕事のスタイルは、人それぞれなようだ。例えばS編集長は“電車の中で仕事をするのが一番集中できる”とのこと。「目的地に着くまで○○分しかない!」と焦るので、集中せざるを得ないから……というのがその根拠らしい。また、T記者は“酒を飲みながら仕事をするのが一番”と主張する。お酒を飲んで仕事をするとさまざまな考えがひらめき、しかも「俺ってスゲー」というハイな気持ちが継続するのがはかどる要因らしい。とくにだらだらと書くような原稿のときは効果は絶大! と真顔で話していた。 そんなにはかどるなら試してみようかな……と思ったのだが、筆者の場合、電車の座席に座れば5秒で夢の中(元来いつでもどこでも眠れる上、乗り物の揺れと座席の暖かさがたまらない)だし、お酒を飲んだら寝るか気持ちが悪くなるかどちらかでまず仕事にならない。お子ちゃま体質な私には、やっぱりコーヒーショップが最強なのかも……と、ガムを噛みつつ原稿を書く冬の夜なのだった。 作業を中断させるのはインスタントメッセンジャー、メール、そして電話――。目の前び仕事に集中するための「居留守術」とは? 最後の“奥義”とは何か? 徒歩で移動する時間を把握できるようになれば、見知らぬ土地や急な外出であっても余裕を持って行動できるようになる。 3分LifeHacking:チェアのひじかけの上でマウスを操作する机に取り付けるタイプのアームレストにつづき、チェアに取り付けるタイプのアームレストを紹介しよう。 ライフハック テンプレート:#051 10年後オブジェシート周りにある身近なものの10年後を考えてみると、何が分かるでしょうか? 未来に想いを馳せてみれば、逆に現在足りないものが浮かび上がってきます。 Google Appsへのメール移行用API公開過去のメールデータをGmailに移行するためのツールが作成できるようになる。ただし、対象はStandardエディション以外。 樋口健夫の「笑うアイデア、動かす発想」:ハウリングする恐怖――社内悪口の“正帰還”ポジティブフィードバックという現象がある。会議室などで、マイクがひろったちょっとした音をアンプが増幅し、再びマイクがひろってしまい、キーンと耳障りなハウリングが起こってしまう現象だ。社内の悪口もこうしたポジティブフィードバックが起こりやすい。 シゴトハック研究所:週次レビューを確実にこなすには?【解決編】一週間を振り返る週次レビュー。習慣化するための方法の1つは、振り返るための仕事の記録が手軽に残せ、その記録を簡単に取り出せるようにすることです。 2ちゃんねる発のOSである「Mona」。プロジェクトがスタートしてから5年が経過したいま、これからのMonaOSが目指す目標とは デスマーチに身の危険を感じたプログラマ。転職活動を始めたが、他社でやっていける自信がなく休止……。3カ月後、何が起こったか? 43位:速度はレーザー、使い勝手はインクジェット──その両方を備えた、これからのビジネスプリンタとは? jobtxt1 += '30代で派遣・フリーの仕事はなくなるのか?43歳エンジニアと派遣会社担当者に聞いた'; jobtxt2 += '匿名|最高25社から査定結果が届く。査定|プロが鑑定するあなたの市場価値'; |
[ 122] ITmedia Biz.ID:“もっと”集中して仕事をする方法
[引用サイト] http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0702/06/news083.html
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現在、民主主義的中央集権制という組織原則を維持しているのは、一定の政治的影響力をもつ政党でいえば、世界で6党のみである。一党独裁型社会主義国の中国、ベトナム、北朝鮮、キューバの4カ国共産党・労働党と、資本主義国の日本共産党、ポルトガル共産党である。 1989年からの東欧革命とソ連崩壊で、10カ国の社会主義国が崩壊し、民主集中制も放棄された(現在のロシア共産党は不明)。ユーロコミュニズムの諸党もそれを続々と放棄した。1989年イタリア共産党、1991年スペイン共産党、1994年フランス共産党が放棄し、イギリス、オランダ、ベルギーの各共産党は解党し、または解党状態にある。 これがなぜ日本で残っているのか。日本共産党内でも、民主集中制を放棄すべきという声がとみに高まっている中で、その公式擁護論をいま一度検討する必要がある。 第一は、規約文面と組織運営実態との乖離(かいり)に目をつぶり、規約文面どおりに組織が民主的に運営されているという虚構である 党中央方針に「賛成」「支持」の立場からの発言は自由であるが、個々の決定、方針に「異論」の立場からの発言は問題視、異端視される。党大会決議案の討論でも同じである。そして異端視されるにとどまらず、その異論に対して上級機関、党中央は必ず以下8項目で述べる報復的対応をしてくるのである。 2)、「日常的にも、党中央委員会あるいは各級機関への党員のさまざまな質問や意見の提出は保障されているし、現にひんぱんに出されている」。「それらのルール、規定を軽視したり、形式的実務的にのみあつかう態度は官僚主義としてきびしい批判の対象となる」 質問、意見の提出は保障されている。中間機関およびその機関個人への批判的意見は、一定解決される。しかし党中央の路線、政策、方針、組織運営実態への批判的意見書、質問書はほとんどが握りつぶされる。「意見書の受領書」は、中央または訴願委員会からは送られてくるが、その返事は返ってこないか、形式的なものである。その意見書提出者の所属する中間機関(都道府県・地区委員会)へその意見書のコピーが送られて、要注意人物、党中央批判分子として都道府県組織部(=反党分子対策部を兼ねる)のファイルに保管される。そしてなんらかの機会を使って、党中央批判分子として排除をするのである。ただその排除の形態は様々である。 党大会議案への意見提出で、「議案を積極的賛成する立場からの提案」ならよいが、地区、都道府県役員が党中央への批判的意見を提出した場合は問題視される。 大会決定具体化と役員選出を目的とした党大会後の「下りの都道府県、地区党会議」で、その役員を次期候補者リストから削除するよう中央から強力な指導がなされる。その論理は「党中央批判の意見の内容が、日本共産党の都道府県委員、地区委員にふさわしくない」というものである。そして「意見の内容に固執しなければ、推薦できるが、撤回しない場合は、役員推薦名簿からはずせ」という一種の踏み絵を強要する。本人も意見を撤回せず、その都道府県、地区機関が、役員の排除指示に納得しないと、中央役員が何度でも乗り込んできて、排除を貫徹する。 議会主義の路線の下でも、都道府県、地区常任委員会という党執行機関が議員団に対し優位にあり、最終決定権を持つ。その関係の中で、都道府県会議員団、市会議員団の権限は他党と比較して、決定的な制約がある。常任委員会や上級機関の承認がたえず必要となるなかで、議会内での他党との約束、政策協議決定事項が上級機関の反対でひっくりかえされるケースが頻繁に起きる。一般の市町村議員団との間ではあまりないが、都道府県会議員団、政令都市議員団との間ではとくに多い。それに不満をもつか、機関の政策が自治体内や議会内での現実に合わないとして機関批判の意見書を出すと、次回の選挙で候補者をただちに変えられ、立候補ができなくなる。 このような不条理で、官僚的な党機関との関係に反発し、離党して無所属立候補する者が増大している。または、次回の立候補をやめる弁護士・医師が増える。 (3)、党機関専従(地区、都道府県、中央)であれば、「党中央批判は、一般党員には許されるが、党機関専従としては許されない」という幹部会論理にもとづいて専従解任をする この幹部会論理とは、批判的専従を解任した後に、その解任理由として各級機関の専従者会議で明言し、もしくはそれとわかる言い方で脅迫的に通告されるものである。党中央批判をしたために専従を解任された者の数は全党的に相当数に上る。 この宮本・幹部会論理により異論者は排除されつくした。表立って中央批判をする者は専従者では一人もいないという一枚岩状況が完成している(面従腹背者は当然いる)。 現在日本共産党の地区、都道府県、中央には4000人以上の党機関専従者、赤旗記者、赤旗支局員、国会議員秘書、新日本出版社社員という専従者がいる。その4000人こそ常任幹部会、中央委員会、書記局、赤旗編集部、全国49の都道府県常任委員会、数百の地区常任委員会を構成しているのである。党内におけるこれらの機関の権限は決定的なものである。中央委員会総会、都道府県委員会総会、地区委員会総会は形式的なものであり、これらの機関は、常任幹部会→都道府県常任委員会→地区常任委員会の「上意下達」ルートでくる決定の「賛成」「支持表明」「賛成の立場からの具体化」機関となっている。 (4)、党機関専従を定年退職した名誉役員、顧問の場合は、都道府県、中央への批判を出すか意見が対立したとたん、次期党会議で非推薦となる。そして同時に専従者の一種の年金に該当する顧問手当の支給も打ち切られる これらはすべて、宮本議長および党中央官僚が「任期での非推薦という合法性」をよそおいつつ、一方ではその合法性もかなぐり捨てて、党中央批判分子を党内で排除していく手口である。この(1)から(4)の党内排除に不服を申し立てると、それを握りつぶすか、別の排除手段をとる。 (5)、所属組織から隔離して「都道府県直属、中央直属点在党員」処置を強権的に行い、一切の党員権を剥奪するのである この点在党員とは、入党後または職場、住所変更による転籍後の所属する党組織がないときに、所属組織が決定するまでの全く短期間の臨時的処置なのである。それが悪用され、常任委員会決定さえすればよいというきわめて簡便な排除手段として全党的に乱用されている。この点在党員になると、意見を発表する場はなく、上級機関への意見書を提出しても、無回答で握りつぶされて終わりとなる。これは党規約にない事実上の組織隔離処分である。それはソ連共産党がジョレス・メドヴェーデフをはじめ異論者を数千人も精神病院に強制隔離した手口と同質のものである。 この(1)から(5)にさらに抵抗し、自己の意見の同調者を募ろうとすれば、排除は一段とエスカレートする。 これは処分ではない除籍規定として規約には存在する。しかしこの除籍は長期にわたる不結集、党費未払いという事実上の離党党員に適用されてきたものである。ところが最近は「除名」と同じ性格のものとして乱用されており、とくに学者、文化人の党外排除に頻繁に使用されている。学者、文化人の規律違反とは、ほとんどが、党中央批判がふくまれている専門分野の論文、評論を党外雑誌、書籍で出版した行為のことである。党中央は、それを「党中央批判という党内問題を党外にもちだした」という規約第二条九項違反として、「権利停止処分」、「除名処分」に相当する反党行為と断定するのである。 しかし、学者、文化人を「除名」するには、所属党組織での除名理由の討議、決定と、一級上の機関承認という規約上での処分手続きをしなければならない上に、本人および所属党組織の抵抗が激しい。大学教職員支部などにそれを強行しようとすると全員が「意見の違いによる組織的排除である」と反発し、その党支部そのものが解体してしまうケースもいくつか発生してきた。しかしこの「除籍」なら、「特殊な事情である」として一級上の機関決定で簡単に党外排除(=実質的な「除名」処分)を強行でき、所属組織にはそれを事後通告するだけでよい。 その上に、「除籍」の適用要件について、1994年の第20回党大会において、重大な改悪がなされた。規約第12条に「党の綱領、規約を否定するにいたって、党員の資格を喪失したと党組織が認めた党員は除籍することができる」という項目が新設された。党内討論の条項にも「誹謗、中傷に類するものは党内討論に無縁である」とした。 従来からも、党員である学者、文化人が、日本の政治、労働運動、文化問題等に関連して、共産党の路線、政策について学問的な研究論文、評論を出版した場合、そこに一定の党中央批判がふくまれているケースは多かった。あるいは、党指導者が、党外出版社から、マルクス、レーニンの原典に基づく研究論文や文学論を出す。それに関連した論文、評論を出版した場合、その指導者のマルクス、レーニンの解釈内容や文学運動史観の内容について、その一部に学問的、専門的批判がふくまれることは、当然ありうることである。 すると、常任幹部会や党中央文化知識人委員会は、その内容を、まるでヨーロッパ中世の異端審問官のように、「党への誹謗、中傷である」「党指導者に対する党外からの攻撃である」ときめつける。その根拠として、「党指導者が、党外で出版した、マルクス、レーニンの解釈も、文学論も、その基本的論旨は、党大会や党史などで決定されているものである。よって党外出版物といえども、党指導者の理論内容を批判するのは、党大会決定に違反するという規律違反となる。それを党員研究者や党員文学者が、あたかも党外の研究者、文学者であるかのように装って、党外で勝手に論評することは許されない」と宣告する。 そして「この問題は特殊な事情に該当する規律違反であるから、所属組織に討議、決定させる必要はないと、党機関が判断した。党機関で慎重に検討した結果、あなたを党員の資格に欠ける者と認定した。あなたの所属組織には、別途この決定を通告する」として、「違法な除籍」を何人にも行ってきた。 もっとも、すべてが党中央の思惑どおりに、この「除籍」「除名」ができるとは限らない。本人の抵抗や、所属支部の反発が激しくて、その党外排除を強行できないときは、「査問中」ということで、しばらく様子を見る。本人が他の何らかの規律違反を犯したという証拠をつかんだら、そこでソ連共産党が何百万件も行ったと同じく「別件逮捕」をして、それを排除要件として、強引に「除籍」「除名」をする。 問題は、政治学、社会思想史の学問研究、各分野の歴史研究や文化評論にふくまれる党中央批判の内容の性質を、誰が、どういう基準で、「綱領、規約の否定」と判定し、「誹謗、中傷に類するもの」と断定するのかということである。上記全体の経過から見れば、これは批判者、異論者を簡単に党外排除できる無制限の権限を党中央、とくに常任幹部会に与えることを明文化したものである。 1994年後は、これに基づく「合法的な除籍」が全党で行われている。ただし、これらは、すべて口頭による通告であり、その除籍理由の文書をどんなに請求しても被除籍者本人には一切渡さない。その論理は「これは党内文書である。したがって党を除籍された党外の者には当然ながら渡さない」、「規約には、文書で通達せよとは書いてない。ただ読み上げる内容をメモに取りたいのなら、許可する」というものである。そして本人がマスコミ等で、抗議表明しない限り、その排除の事実経過が党外に知られることは全くない。 2000年、第22回大会では、「規約全面改定」をした。そこでは、民主集中制を堅持しただけでなく、重大な規約改悪をした。「誹謗、中傷に類するもの」という文言を削除した代わりに、新規約第5条5項に「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」という文言を挿入した。その条項の恣意的拡大解釈・適用により、日本共産党は、『インターネットHP掲示板発言者摘発・査問・粛清政党』となった。 過去に党中央批判の言動があったり、意見書を提出した経歴がある学者、文化人が共産党に見切りをつけて、「離党届」を提出するケースはきわめて多い。 その場合、党中央は、相手によって、二種類の対応を取る。その学者、文化人の離党届受理後に、党批判を公然とするおそれがないと判断したケースは、それを受理する。しかし、そのおそれがありそうな者には「離党届」が出されても、それを受理せず、一年以上、二年近くにわたりその処理を棚上げする。本人が事務処理を請求しても、「現在検討中」と言うだけか、全く回答さえもしない。なんらかの機会にその学者党員、文化人党員が、党中央批判の言動を所属組織内の他党員、他支部の党員にするという「党内問題を党外にもちだす規律違反」をするか、あるいは党外雑誌等で公然と言うかを、動向調査しつつ、待ち続ける。 その具体的証拠をつかんだら、二年近く保留されていた「離党届」を破棄し、「離党届を正式に受理していない以上、まだ党籍がある」として、その党員を「査問」し、「除籍」を事実上の党外排除処分として、口頭通告するのである。 なぜ「離党届」を素直に受理しないのか。その論理は「離党後、党を攻撃するおそれがある者は、離党申請を認めず、党外で党攻撃の規律違反を犯したら、除籍という措置をとるのは当然である」、「もしそれを受理すれば、党破壊活動の自由を認めることになるから、離党届は受理しない」というものである。二年近くも離党届を棚上げし、その間規律違反有無の動向調査を続ける根拠については一切答えない。この党中央の「離党の自由を認めない」規約違反に対抗しうる有効な手段は全くない。 これらの被除籍者は、被除名者と同じく、反党分子扱いとなる。どの党論文でも、党外の人には「氏」をつけ、被除籍者には「氏」をつけず、呼び捨てにしている。また過去にいかに党活動等に功績があっても、その著名な学者、文化人の死亡時において、他のすべての新聞が大きな追悼記事をのせても、「赤旗」だけは完全に黙殺する。その論理は「報道すれば、規律違反で除籍されたことに触れざるをえず、それは一般的には死者にムチ打つ結果になる。そのためあえて報道しない」というものである。 その黙殺が、社会的にあまり問題になると、こんどは「規律違反で除籍」ということを「赤旗」でわざわざ報道して、死者にムチ打つことまでする。さらにはその学者、文化人の追悼集会を、党員が企画、実行しようとすると、党中央はその中止命令を出す。「被除籍者の追悼集会を党員が行うのは規律違反であり、反党活動である」とする。その指示に従わず、集会を強行すると、その党員を「規律違反で除籍」する。このような党中央の理不尽なやり方に腹を立てて、離党したり、「赤旗」講読をやめた党員や党支持者はかなりの数にのぼる。 この党外排除者への呼び捨てや、追悼記事不掲載こそ、日本共産党の独善性と市民感覚の欠如を端的に物語るものといえる。もっとも、呼び捨てへの党外批判が厳しいので、2005年からは「氏」を付けるようにはなった。 (8)、これらの宮本議長および党中央官僚自身の反党行為=「意見のちがいによる組織的排除」規律違反を所属組織の他党員、他支部の党員に話せば、彼らは自己の反党的規律違反を棚上げして、規約第2条8項違反「党内問題を党外(=他党員、他支部)にもちだした」として「除名」をし、「反党分子」として除名キャンペーンをくりひろげる 地区委員、都道府県委員、中央委員でこれらの規約にない排除、見せしめ処分を見聞きした者は、宮本議長、党中央官僚へのムダな抵抗は自分の地位にとって不利ということで、意見を持っていても、面従腹背の姿勢をとることになる。そういう姿勢や「唇寒し」という状況が組織の活力にどういう影響を与えるかは目に見えている。 こうして、党中央批判に対しては、意見書提出、会議発言という党内の正規ルートであれば、 (1)から(5)の党内排除をし、また他党員、他支部に話すという『党外』か、党外出版物であれば、 (6)から(8)の党外排除をする。さらに市民運動、大衆運動においては、被除籍者、被除名者を「反党活動をしている党破壊者」とし、そこへの参加、加入を認めないことを絶対条件として、社会的にも排除を継続する。 また党員以外で共産党批判をするものは、「反共市民運動、団体」ときめつけて、反共レッテルはりのキャンペーンを行う。その運動、団体、個人とは、最近党中央が唱えている「無党派層との連携」においても、絶対に連携せず、社会的に排除する。党内、党外でも、無党派層でも、党中央批判や党指導者批判を絶対許さず、徹底して排除していくというのが、宮本議長と常任幹部会のとっている民主集中制の運営実態である。 批判者、異論者をこのように党内でも、社会的にも、排除しつくす、排除し続けるという組織体質は、いったいどこから生まれるのであろうか。それは民主集中制の本質的、制度的欠陥から必然的に形成されるのではなかろうか。次にはそこを検討してみる。 第二の虚構は、民主集中制の本質的制度的欠陥に目をつぶり、民主集中制こそ完全で最高の組織原則であると自画自賛することである (1)、民主集中制は本質的に義務優先の義務権利組織原理であり、これは暴力革命路線の秘密結社、非合法政党の組織原理である ここでは中央決定に対する義務遂行が基本であって、構成メンバーの権利=党員権、市民権尊重は第二義的なものでしかない。党内において党員権侵害、人権侵害が多発する根底にはこの権利軽視の原理が存在する。その党の規約が、党員の義務・権利という条項順序なのか、権利・義務という順序なのかは、その党の、党員への根本理念を表しているのである。 (2)、民主集中制の根幹は、「上意下達」「意見は垂直提案のみ」という実態にあるように、組織内における水平的、横断的交流の禁止という垂直性組織原理である 同一支部内の他党員、他支部との交流において、党中央支持の立場ならよいが、党中央批判での個人的、組織的交流は直ちに「党内問題を党外もちだし」規律違反とでっち上げられ、「分派グループ活動」として査問、権利停止、除名の対象となる。この水平性禁止が、合法政党、議会主義の現段階でもなぜ必要なのかについては何の説明もしない。もっとも「垂直に分断して支配」という原理が党中央官僚にとってもっとも好都合という本音を言うわけにはいかないであろうが…。 中央、都道府県、地区という党機関の選挙は、その各級党会議代議員による無記名投票制である。その候補者リストは党機関が定員枠分だけ提出する。その選挙の性格は信任投票であり、誰も落選しない。その信任率、不信任数も大部分の党会議では、その代議員にも報告されない。「全員が当選しました」と言うだけである。最近の党大会や都道府県党会議、地区党会議でも、それを報告してみたり、中止したりで、首尾一貫していない。 1)、候補者リストは常任幹部会、都道府県常任委員会、地区常任委員会が作成し、それぞれの総会へまず提案される 2)、仮にその中に一部異論者が入っていても、次には党会議前に一級上の機関の承認を得なければならない。上級からクレームのついた候補者は自動的に排除される 当該機関がそのクレームに納得しない場合は、上級または党中央が直ちに役員を派遣して、その異論者を候補者リストから削除せよと「強力な指導」をする。その脅迫的指導を受けると、都道府県、地区常任委員会は、党中央の報復を恐れ、100%屈服する。 この党中央の報復とは、異論者の削除指示に頑強に抵抗する都道府県、地区常任委員個人を、その異論者の同調者、かつ党中央批判者とみなし、「専従解任」をすることである。都道府県、地区常任委員会は、ほぼ全員が専従で構成されており、年齢給、党歴給、厚生年金、健康保険をふくむ毎月の生活費(給与)が支給されている。党中央指示に抵抗したために、専従解任された場合、次の日から家族が路頭に迷うことになる。共産党の元専従では、再就職の道で良い条件の所はほとんどない。そしてこの専従解任は、党中央の解任指示に屈服した都道府県委員長、地区委員長が、本人に口頭で通告するだけで完了というように、党外の人には信じられないほどいとも簡単にできるのである。 3)、党会議当日、代議員のだれかが、個人として自主的に立候補を申し出るとする。建前として、自由立候補は認められてはいる。しかしこれはきわめて異常なこと、反抗的なことであり、まず党会議選挙管理委員会、役員選考委員会に呼び出され陰に陽に立候補辞退を説得、強要される それでも尚立候補する者は少数であるが、投票直前には「機関推薦でなく、自由(自薦)立候補」ということが強調して報告され、異端視され、100%落選する。次回からは完全な異端分子としてマークされる。 ただし、党中央指示で、事前に候補者リストから削除された党員は、自由立候補の権利も事実上剥奪される。 4)、集団で、数人または数支部が上級党会議に批判派、改革派代議員を公然と立候補させようとすると、これまた当該機関および上級機関がそれを必死に抑えにかかる その立候補辞退の抑圧に屈服しないで、立候補を強行しようとすると、突然「同一支部内または他支部間で立候補の多数派工作をした。それは分派活動である」としてその関係者数人を一挙に権利停止に付し、その下級党会議の代議員権そのものも剥奪してしまう。各級党会議がすべて終了するまでの期間、権利停止にしておいて、その処分に抵抗する者は除名にする。 この(1)から(4)の批判者・自薦候補者排除型信任投票制の性格は、「選挙制度」といえるものではなく、まさに事実上の「役員任命制度」に外ならない。これらの排除、見せしめ弾圧を見聞きした党幹部は批判の口を閉ざさざるをえない。最高指導者に対するイエスマン、茶坊主が増加する。この選挙制度=「役員任命制度」の実態とそれに結合した異論者排除システムこそ、「満場一致型党大会」と「指導者専制」を作り上げる機構の実態である。 どのようにしたら「満場一致型党大会」になるのか。満場一致になる過程の中にこそ、民主主義的中央集権制がもつ党内民主主義抑圧の制度的欠陥が具体的に現れている。党大会に至る過程には、二段階がある。まず「上り」の地区党会議で、都道府県党会議代議員を選出する。これは地区常任委員会作成、地区委員会総会の形式的承認による代議員候補者リストに基づく信任投票である。次に「上り」の都道府県党会議で、党大会代議員を選出する。このリストも同じく信任投票となる。この二段階の地区、都道府県党会議では、上記の(1)から(4)と同様に、異論、批判を持つ代議員候補者の排除システムが完全に作動する。その上での党大会が「満場一致の拍手、笑い、満場一致の採決」になるのは自明のことである。そしてこの排除システムが「下り」の都道府県党会議、地区党会議の次期役員選挙(=選挙の装いをこらした役員任命システム)においても、また二段階繰り返される。 前章(1)から(8)の異論者排除システムに加えてこの(1)から(4)の候補者排除システムからは、即ち合計で12項目にわたる完璧な排除システムからは「指導部の民主的交替のルール」など当然ながら実現しようもないのである。尚この12項目にわたる排除事実については、都道府県名、地区名、個人名をあげないが、日本共産党内において実際に発生した具体的事実に基づいている。 この体系的排除システムを土台にした民主集中制の制度的欠陥こそ、そのさらに根底にある前衛思想と結合して「指導者専制」をほとんどのレーニン・コミンテルン型共産党において発生させてきた原因である。 民主集中制のこのような本質的制度的欠陥は、70数年前の民主主義的中央集権制の誕生経緯そのものに、その起源があるのではなかろうか。その後、民主集中制は、国家、社会、党という3つの社会機構、組織のなかで、ソ連崩壊までの74年間完璧に運用されてきた。その運用史をみると、この組織原則の反民主主義的、犯罪的本質は、歴史的に証明された。次にそれを検討してみる。 第三の虚構は、民主主義的中央集権制の歴史的経緯を意図的に隠蔽し、または歪曲し、あたかも日本共産党だけの独自の組織原則に見せかけることである 民主集中制の歴史的性格と役割を確認しておく必要がある。日本共産党は以下について全く沈黙するか、きれいごとの歴史のみを説明している。 社会主義運動全体、全歴史に共通の原則ではなく、80年の歴史で組織原理としての生命力を全世界的に喪失したのである。職業革命家の党としての前衛党を創設し、その根幹に民主主義的中央集権制を据えたのは、レーニンとロシアのボリシェビキであり、マルクスからではない。 (2)、それはナロードニキの系譜をひく陰謀的非合法秘密結社の「中央集権制」を基軸とし、それに選挙制、報告制、党内討論を加味して、「民主主義的」・「中央集権制」とレーニンが名付けたたものである 陰謀的秘密結社の組織原理の基本は「(1)暴力革命またはテロル遂行のための厳しい軍隊的規律、 (2)組織への絶対的忠誠、 (3)指導者、上級組織への絶対服従と水平的交流の排除、 (4)組織決定の絶対性と権利なき義務の遂行、(5)脱退権の欠如と裏切者への死刑」などである。ロシアにおけるこの秘密結社の組織実態、裏切者への死刑遂行の態様については、ドストエフスキーが『悪霊』において、その革命家たちの人間性喪失状況をふくめてきわめてリアルに、深い洞察を秘めて描きだしている。 レーニンは、陰謀的秘密結社の絶対的中央集権制の上に、(6)選挙制、(7)報告制、(8)党内討論を加味して、「民主主義的」・「中央集権制」と名付けた。 (3)、民主主義的中央集権制は、非合法時代において、かつ武装蜂起、武装闘争、赤色テロル遂行という軍事行動時代において、それにもっとも適合的な組織原理=軍事的中央集権制として機能してきた 端的に言えば、武装蜂起組織、赤軍、人民解放軍の革命軍事組織にもっとも適合した「軍事的集権」規律として誕生し、運用されてきたのである。軍事的中央集権制は、必然的成り行きとして、レーニンが1921年3月第10回大会で導入した分派禁止規定と一体になって、官僚主義的Centralismに変質した。 (4)、暴力革命により権力奪取した14ケ国の国家社会主義においては、共産党の組織原則というのみでなく、国家、社会、党に共通する組織原理としてこの民主主義的中央集権制が適用されてきた 憲法において「共産党の指導的役割」明示とともに、「民主主義的中央集権制」が国家、社会をも運営する最高の組織原則と明示され、正規に運用されてきた。日本共産党が「国家、社会と党の問題を混同させて民主集中制攻撃をしている」と反論するのは、この14ケ国の歴史的事実に対する大ウソである。 (5)、この民主主義的中央集権制は、権力獲得後の権力維持、強化の段階において、前衛党一党独裁の運営原理となり、国家内、社会内、党内での人権抑圧、侵害の最大の武器となってきた そもそも、前衛党とは、自らを科学的真理の唯一の認識者、体現者と自己規定する政党である。そこから、前衛党とは、その真理の実践においても無謬者となる。日本共産党が「科学的」社会主義を強調するのも、「日本共産党だけ」が科学的真理を認識、体現できる政党であり、他の政党、団体、個人はその真理を認識できないという同一の前衛党理論に立っているからである。そのような前衛党による一党独裁制度において、異論、少数意見とは、反共産党というのみでなく、非真理、非科学的認識なのである。それは非科学的思想を媒介する悪として排除対象にはなっても、それを尊重するという民主主義などまったく必要としない。 その論理は、そこにとどまらず、(1)結社・言論出版の自由権全面剥奪と、(2)徹底した情報統制という反民主主義的政策こそが正しいという思考に、必然的に転化する。その論理は、それに違反した者、疑わしい者、前衛党やその指導者の悪口を言ったと密告された者を「反革命」「国家反逆罪」と断罪する。14カ国全体で、その党員、国民の精神病院強制隔離、強制収容所投獄、銃殺を、数千万人前後の規模で行ったのが、この前衛党である。ただし、この「前衛党の犯罪」犠牲者数については、数百万人説から、最大五千万人説まで、幅が広い。そこでは、民主主義的中央集権制の「民主主義的」とは、いかなる民主主義的内実も持ちえない。それは「中央集権制」の単なる枕ことばとなった。その言葉の内実は民主主義抑圧の同義語としての「官僚主義的」「中央集権制」以外のなにものでもなかった。 サハロフやソルジェニーツィンをはじめソ連、東欧の反体制派の文学作品、強制収容所記録、中国の「ワイルド・スワン」、「上海の長い夜」、映画「芙蓉鎮」などは、民主集中制が前衛党による独裁制度の組織運営原理として、人権侵害、党員権侵害の武器としていかに犯罪的機能を果たしてきたかを克明に暴露している。この中国の3つのノンフィクション、映画は、民主集中制が国家内、社会内の組織原則に拡延されたとき、いかに非人間的な国家、社会レベルでの異論者、批判者排除システムとして機能するかを告発する衝撃的な作品となっている。 (6)、日本共産党の規約は1925年の「コミンテルン模範規約」の引写しで、それに中国共産党の規約を加味したものである。その後の若干の部分的変更はあるが、基本原理においてレーニン・コミンテルン型共産党規約として、崩壊した10ケ国の共産党、労働者党規約をふくめ、現在も他の共産党と同一内容である 日本共産党は、共産党という名称変更の拒否のみでなく、この前衛党概念の放棄も拒絶する。そして14カ国の党と同じく、「一つの国には、一つの前衛党しか存在できない」という、コミンテルン以来の一国一前衛党理論に、今もなお固執している。日本一国の中では、日本共産党以外の政党、団体、個人は「科学的」真理を認識できないとする前衛党理論は、世界政治史の中でもっとも「うぬぼれた」政党イデオロギーといえよう。その「うぬぼれ」は認識論だけにとどまらず、党内、社会内における異論、批判者排除体質となり、独善的体質をつくりだす。 世論調査で、日本共産党を嫌う理由として、「独善性」がいつも第一に上げられるが、その「独善」こそが、前衛党理論から必然的に生み出される組織体質なのである。前衛党としての日本共産党において、この民主集中制は、分派禁止規定と並んで、党内での垂直性組織原理として党内民主主義の発展を妨げ、官僚的中央集権制として機能してきた。党内のみでなく、1983年の「民主文学」4月号問題での干渉と異論者排除、1984年の「平和委員会、原水協」問題でのファッショ的干渉と異論者の大量排除こそ、民主集中制を傘下の大衆組織にも外延させ、党と大衆組織とを指導・被指導の関係に縛りつけようとした強権的策動であった。 日本共産党の公式擁護論は、数多くの論文や宮本議長の再三にわたる「日本共産党は意見のちがいによる組織的排除をしたことは一度もない」という大ウソの断言をふくめ、どれをみても以上の3つの虚構に基づくまったく欺瞞的なものである。 (1)、まず陰謀的秘密結社時代、非合法時代、武装蜂起、赤色テロル等の暴力革命時代に適合性を持ち、一定の必要性もあった義務優先の義務権利関係という原理を時代錯誤的なものとして逆転させなければならない 現在の日本共産党は合法政党であり、議会主義の路線をとっている。その暴力革命放棄路線に適合した党員権優先、党員主権の権利義務関係が第一義的に打ち立てられる。党員権、人権という市民権を優先させた原理こそ、党活動をもっともいきいきとさせ、自律的で多様な運動を展開する組織的保障となる。 もっとも、2000年11月第22回大会の規約全面改定において、義務→権利条項を、権利→義務順序に変更した。しかし、その後、判明した党内外排除・除名・除籍ケースは、党中央が党員権侵害を続けていることを証明した。 今まで党中央官僚による党員権抑圧、侵害が横行していたことに対し、今後でも党機関による恣意的侵害が発生する可能性があるという見通しの下に、「党内における党員権侵害、人権侵害に対して徹底してたたかう」ということが党員の義務条項の中に入れられる。 (2)、現行の垂直性組織原理を放棄した後は、全党員間、全党組織間の水平的横断的交流権が確立される。これは「分派」の呪縛から党員を解き放ち、党内民主主義を完全に保障するものとなる ただしその場合、分派による混乱を防止するに足る政治的文化的成熟、節度ある論争レベルの確立が必要条件になる。 水平性の主張は、前衛党思想、一枚岩思想の否定に基づく。それは、「党内での意見の不一致、対立、多様性は常時存在し、たえず再生する」という観点を根底に持つ。水平的交流権の具体的内容としては、(1)、少数意見、異論の普及権を承認し、そのための集団的、横断的宣伝を認める。そして党機関はそれに対し、党事務所の提供義務、党機関紙誌への意見掲載義務を負うものとする。地区党会議、都道府県党会議、党大会への個人・集団による議案提案権は当然の権利として保証される。(2)、各級機関役員の立候補と推薦運動、各級党会議代議員の立候補、推薦運動を横断的に行うことができる。(3)、党機関による党員権侵害を根絶する制度的保障の一つとして、処分に対する横断的な異議申立権を確立する。 (3)、国家権力であろうと、政党、大衆組織、会社等の組織権力であろうと、「人間は権力の魔力には弱い」「権力者は腐敗する」という権力観、人間観に基づき「下部および全党による指導部統制」という原理が確立される 指導部は政策、方針の集約、決定、執行を全党から一定期間委任されただけであり、その任期期限制が導入される。さらに一部の指導者専制に対して横断的なリコール運動権が認められる。党中央統制委員会は、宮本議長が改悪したような中央任命の下級組織への統制機構ではなく、再び党大会選出に戻され、党中央委員会、幹部会、書記局への統制、監視が第一義的な任務となるよう改組される。こうすれば「重層的指導体制」などという指導者専制をごまかす新造語が生まれる余地もなくなる。党指導部は各地方の運動や各分野の運動の政策、方針の調整機関として、その調整能力分だけの中央集権権限の限定的保有が許される。 官僚的軍事的中央集権制としてのDemocratic Centralismの否定・廃棄と、「うぬぼれ・排他的」イデオロギーしての前衛党概念の放棄は、同時に国家権力奪取型社会主義の理念、綱領をも根本的に変更させる。それは、各組織の構成員主権、市民権が確立した自律的で民主主義的な政党を生み出し、他党派との連合形成能力を飛躍的に伸ばすであろう。 (注)、これは、「葦牙」no.19(1993、9)に掲載された初稿を大幅に加筆修正したものである。その初稿に対して、日本共産党は「赤旗評論特集版」no. 881(1993、 11、29)で『公安まがいの低劣な民主集中制攻撃』という長大な反論を発表した。 |
[ 123] 共産党、民主集中制
[引用サイト] http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/minshushuchusei.htm
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地元集中(じもとしゅうちゅう)とは、日本の一部の公立中学校において、中学生が公立高校を受験する際に、地元にある特定の高校1校のみを選択するように進路指導する教育運動をいう。地元集中受験運動、あるいは実施されていた地域の名称をとって高槻方式などとも呼ばれる[1]。また地元集中から地元育成と呼称が変更される例もみられる[2]。 地元集中は、大阪府の高槻市、枚方市、守口市、門真市、寝屋川市、交野市、茨木市、松原市、大阪狭山市、和歌山県などの一部の地域で1970年代前半から1990年代中頃にかけて実施されていた。日本教職員組合のみならず教育委員会も推進していた。地元集中ではないが、それを意識した進路指導は組合員の多かった神奈川県や埼玉県などを中心に全国的に行われており、特に第二次ベビーブーム世代が中学校3年生となった1980年代中頃までは顕著であったが、その画一性及び生徒個人の個性を無視した進路指導が父兄を中心として批判され、かかる運動が激しい自治体からの転居、私立中学への進学等、公立中学忌避という動きが顕著となり1990年代には終息に向かった。 確認のための文献や情報源をご存じの方はご提示ください。出典を明記し、記事の信頼性を高めるためにご協力をお願いします。必要な議論をノートで行ってください。 地元集中は、「地域の子どもを地域で育て、高校間の学力格差を解消する」ことを目的とした一種の運動であり、正式な制度ではない。大阪府や和歌山県の公立高校の普通科では、中規模な学区制を採用しているため、制度上は誰でも学区内の学力に応じた高校に進学することができる。 しかし、地元集中が展開されていた地域では、地元公立高校を目指す進路指導が徹底して行われていたため、学区内にある他の高校への進学、および学区内の他の地域から地元集中高校への進学は困難になっていた。 その背景のひとつとして、高校間格差が激しくなった1960年代末からの日教組や一部教職員の指導、すなわち「15の春を泣かすな」とのスローガンの下、学校間格差是正を目的として、高校全入運動と表裏一体の運動として進められた。当時は、受験戦争と呼ばれる競争が激しく日教組に限らずメディアや国民にもこの考え方は、ある程度は理解されていた。それだけではなく全国の教委内部においても支配的な考え方であった。その結果、東京都における学校群制度や、京都における小学区制、他には綜合選抜制など、趣旨としては同様な制度が全国で正式な制度として導入されてきた。このような制度を導入した都道府県においては非正規な手段を用いずとも個性を無視した悪平等が達成できるため、地元集中なる非正規手段は用いられなかった。 一方で、大阪府は中学区制を維持した。かかる中学区制は一学区の中に高校が10〜20校含まれ、その中で制度としては自由に受験することができた。つまり大阪府の中学区制は学区の中での伝統校をトップ校とする、学校間ヒエラルキーを維持することができたのであり、学校選択によるエリート選抜システムが機能することとなった。かかる制度に不満を抱いた一部教職員は、東京都のような学校群制度、京都府のような小学区制等を実質的に実現するために非公式なかたちで、生徒の意向を無視して、地元の公立高校を受験させるような取り組みをはじめた。つまり「地元集中」は競争排除をめざした当時の教職員運動において、競争を維持しようとした大阪府教委の判断を実質的に骨抜きにするための運動であり、中学区制の中での実質的に小学区制をとるものであった。つまり「地元集中」と学校群制、小学区制、綜合選抜制は制度として公式か非公式かの違いにすぎず、学校現場から一切の競争を排除する、かかる運動は1960年代後半以降、1990年代まで全国で吹き荒れた。 進路指導は共に地元の学校へという理念に基づいて行われた。全校生徒集会やホームルームなどでとりくまれたが、一方で学習塾に通う生徒も増加した。学校外で実施される模擬試験を受験する生徒も多くなった。 また高槻市や枚方市では、強い取り組み、つまりは学校教師による事実上の強制(一部には恫喝、脅迫行為すらもあったとされる)がなされ、クラス全員を地元高校へ進学させることもあった。その後、枚方市は市長の交代もあって、地元集中をやめていき高槻市が最後まで実施していた。 地元集中自体は、受験生が「地元の高校に行く」という行動を追求したものであるが、受験生の「行きたい高校に行く」という個人の自由が尊重されていないとの問題も指摘され、議論を呼んだ。 結果として、部分的に公立高校の学力格差が緩和したように見られる地域もある一方、生徒の個性を無視した画一的な進路指導の結果、かかる指導を憂慮した父兄が大量に地元中学を忌避し私立中学進学を選択することになった。またかかる個人の尊厳を無視した指導の結果、個性を潰された若者が非行に走るケースも目立った。総括すれば各公立高校の地盤沈下にしかつながらず、難関私立高校や国立高校及び国私立中学の受験競争がかえって激しくなり受験産業が繁栄しただけいう無残な結果に終わった。 地元集中運動を展開していた公立中学校で、進学先として勧める公立高校は、特定の地元公立高校一校のみである。 ただし、中学校によっては、生徒の居住地区により、進学先として勧める高校を2校ないし3校に振り分ける場合もあった。これは、公立高校の入学定員を勘案し、不合格者を少なく抑えるために、市内の中学校間で生徒の進学先を調整するためである。 1970年代には、公立高校が増設期にあったため、高校増設や定員増に応じて、進学先として勧める地元高校がその都度変更になった。このため、地元校が一貫していないのではないかとする疑問も保護者などから出された。 なお、松原市には、府立高校として大阪府立松原高等学校、大阪府立大塚高等学校のほかに、大阪府立生野高等学校があるが、地元集中運動を推進する教職員には、「生野高校はかつて大阪市内にあった学校が移転してきたもので、地元校ではない」「学区(当時第七学区)最難関校で、学力格差の頂点に立つ学校で、地元集中の理念に相容れない」として批判的にとらえる者もいたので、生野高校を地元高校として位置づけなかった。このため、松原市内に立地するにもかかわらず、地元集中運動が活発だった頃、松原市内の市立中学校から生野高校への進学は困難になる事態となった。 地元集中の進路指導により進学先とされた地元公立高校側では、あくまでも公立中学校の教職員が独自に展開している運動であり、高校側が関与も賛同もしないとする立場が主流であった。 ただし、地元公立高校のなかには、高槻市内の高校などを中心として、地元集中運動に賛同・連携するところもあった。松原市にある大阪府立松原高等学校はその一例で、例えば、1978年から、入学試験では合格が困難な、知的障害を持つ地元公立中学校卒業生を、「準高生」(交流生)として、ホームルーム活動などで受け入れる実践に取り組んできた。これは、「地域の子どもを地域で育て、高校間の学力格差を解消する」という地元集中運動の理念を高校側が応じた最たるものとして挙げられる。なお、「準高生」は、教育委員会で決定された正式な制度ではなく、高校側の独自活動であり、正式な学歴としても扱われないが、長年の実践の中で、授業の受講(体育などの一部を除く)にまで受け入れを拡大した。そして、大阪府教育委員会の正式な制度、学歴取得として、2001年から、松原高校を含む複数の高校で「知的障害のある生徒の高等学校受け入れに係る調査研究」、さらには、2006年から「知的障害生徒自立支援コース」として知的障害者を受け入れるようになり、「準高生」活動は発展解消した。 日本国憲法第26条で規定される条文「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」に違反するとの意見がある。出身地や居住地によって受験資格を与えないことは表面的な平等を装った差別であり、人権侵害であるという論理である。また、条文中の「その能力に応じて」を意図的に無視していると指摘されている。 地元集中は、公立中学校教員により、制度に基づかず展開される運動であり、教育委員会の審議を経て正式に制度化されたものではないため、教育行政のあり方として疑問符がついた。教員は内心の自由や表現の自由は保障されるものの、職場である学校において生徒にそれを押し付けたり、生徒の意思を無視して進学先を押し付けるのは教師として不適切である。あくまでどの高校を受験するか、また入学するかは生徒自身で選ぶべきであり、教師は助言はするものの強制してはいけないという指摘もなされた。 学校内で実施された模擬試験や定期試験などの点数・偏差値・順位などを生徒・保護者に知らせず、生徒が自分の学力を数値的に把握できない状態が発生した。この結果学習塾等に通っていない大多数の生徒とその保護者が客観的なデータを元に進路を検討することが出来なくなり、教師の指示に従い地元の高校を受験せざるを得ない立場に追い込まれた生徒もいた。 高校入試においてはしばしば内申書の内容が入試における評価に使われるが、中学校教員が内申書を書くため、地元集中に批判的な生徒に対して、内申書の評価を低くすることが可能である。内申書という入試上重要な要素を教員に握られていた以上は生徒や保護者が教員に抗議することは難しくなるのが現状である。懇談時に内申書を見せないとの抗議があった為裁判になった事もある。 もし、公立高校の学校間格差を是正するのであれば、入試制度そのものを改編しなければならず、それは府県の教育行政・教育委員会の役割である。また、地元高校育成は、高校自らが取り組む課題である。地元集中運動を推進する公立中学校教職員は、本来であれば、府県の教育行政・教育委員会に学校間格差是正を、地元高校に、育成のための取り組みを働き掛けるべきであり、それが実現できないからといって、立場の弱い生徒と保護者に学校間格差是正と地元高校育成の責任を負担させたとする批判である。 高校間の学力格差を解消するはずの地元集中運動であるが、全市域で地元集中運動を展開していた高槻市や枚方市で、複数ある地元公立高校間で学力格差が存在していた。これは、進学元となる公立中学校の学力格差、つきつめると市内各地域の経済力格差に行き着く。地元集中により、地域の経済力格差をかえって際立たせてしまうとする批判もある。 地元集中は、1990年代中頃以降低調になり、2000年代前半頃にはほぼ終息したとされている。その背景は、 上に記されている、地元集中への批判が高まって来たこと。また、内申書を、生徒や保護者の求めがあれば開示する動きが起こり、地元集中の進路指導が難しくなってきたこと。 地元集中運動がとくに激しかった一つとされる松原市で、地元公立高校である大阪府立松原高等学校が、1996年に普通科から総合学科に改編され、大阪府の総合学科は学区制無し、入試は普通科よりも前の日程でおこなうため、広範囲から受験生が応募するようになった。また、もうひとつの地元公立高校である大阪府立大塚高等学校が、1992年に体育科を併設するのにともない、普通科の定員が削減された。結果、松原市内の市立中学校から、地元公立高校である2校への進学が減少することとなった(大阪府立生野高等学校が松原市の地元公立高校扱いではない理由は、上記の地元集中における地元高校の選定項目参照)。 同じく地元集中運動が激しかった高槻市や門真市、守口市、枚方市で、2000年代前半以降、府立高校の統廃合がおこなわれ、地元集中運動をおこなおうにも、その受け皿となる地元公立高校が減少したこと。 ただし、現在でも、地元集中の理念を持ち続ける一部教職員が、ホームルームや個人面談などで、生徒や保護者に地元高校の進学を薦めることもあるとされるが、その場合でも、以前のような強要的な性格は薄らいでいるとされる。 『「地元集中運動」の誤リを清算し、豊かな中学校教育を』 枚方教育 枚方教職員組合 1996年6月28日 この「地元集中」は、教育に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者を求めています。(ポータル 教育) |
[ 124] 地元集中 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E5%85%83%E9%9B%86%E4%B8%AD
