原宿とは?
|
原宿(はらじゅく)とは、東京都渋谷区の一地区。明治神宮、代々木公園、竹下通り、ラフォーレ原宿、国立代々木競技場などが近くにあり若者でにぎわっている。1980年前後の竹の子族、1990年代後半の裏原宿系など先端的流行の発信地となった。現在でも奇異な格好をして街を歩く若者を多数見ることができる。そのような土地柄、「修学旅行のメッカ」でもある。 原宿は厳密に言えば表参道の北側を指す地名で、南側は穏田(おんでん)と呼ばれるのだが、現在は穏田でも原宿と呼ばれることが多く、「原宿」の名を入れた施設も多く見られる。 なお、「東京都渋谷区原宿」という住所は存在しない。現在、原宿と呼ばれているエリアは、1965年の住居表示変更前まで、「原宿」「竹下町」「穏田(おんでん)」という3つの住所表記をしていたが、変更後は「神宮前」という住所表記で統一されたためである。 江戸時代以前は鎌倉街道の宿場町があった。後三年の役の際には源義家がこの辺りで軍勢を揃えたとも言われ、この坂は勢揃い坂と呼ばれている。1582年の本能寺の変の際に徳川家康を堺から三河まで無事に帰国させた「伊賀越え」の行賞として、1590年に伊賀者に隠田村と共に原宿村が与えられた、という記述もある。 江戸時代に入ると、甲州街道の南にある原宿には江戸の防衛のために伊賀衆の組屋敷が置かれた。また、数多くの幕臣の屋敷もあった。農民の暮らしはというと、渋谷川などでの水車による精米、製粉が中心であった。しかし、やせた土地であったために生産は上がらず、生活は苦しかった。そのために農民は雨乞いをよく行っていたという。丹沢の大山阿夫利神社や榛名山に日帰りで詣でた、という話も残されている。 なお、1738年、町並が立ち並んだ箇所に青山原宿町が起立したが、これは1872年に青山北町5丁目に組み入れられ、現在は港区北青山三丁目になっている。(青山との関係で言えば、1966年の住居表示の際に原宿1丁目の一部(東京都立青山高等学校の周辺)が港区北青山二丁目に編入されている。) 明治時代以降は東京中心部と郊外を結ぶ要所として発展。1906年の山手線延伸により原宿駅が開業。1919年には明治神宮創建に合わせて表参道ができた。神宮参拝の利用客増加に対応するため、1924年には原宿駅が現在の位置に移動した。1927年に同潤会青山アパートが建設され、表参道の顔となった。 戦後は、代々木錬兵場跡地にアメリカ軍の宿舎「ワシントンハイツ」が建設され、表参道沿いにはキディランドや富士鳥居といった米兵向けの店が誕生した。1964年の東京オリンピックの際には、ワシントンハイツの場所に選手村が建設され、外国文化の洗礼を受けた若者たちによって「原宿族」が出現した。 1970年代は、1972年に地下鉄・明治神宮前駅が開業、1973年のパレフランス、1978年のラフォーレ原宿のオープンや、創刊されたばかりのファッション雑誌「アンアン」や「non-no」により原宿が紹介され、アンノン族が街を闊歩、原宿はファッションの中心地として全国的な名声を手に入れた。そのなかで原宿セントラルアパート(1958年完成)にはデザイナーやカメラマンなどのクリエーター達が事務所を構え、文化を牽引した。 1980年代になると竹の子族の影響により、竹下通りが発展し、1977年から始まった歩行者天国(ホコ天)にはたくさんの若者が集った。1990年代は表参道に海外有名ファッションブランドの旗艦店が続々とオープンした。その傍ら、神宮前三丁目、神宮前四丁目の住宅地には新たなファッショントレンドの店が並び、「裏原宿(ウラハラ)」と呼ばれる一角が形成された。2006年には表参道ヒルズがオープン。2008年には東京地下鉄副都心線が開業する予定など、これからも発展が予測される。 豊島区巣鴨 - 当場所が若者の町であるのに対して年配の購買層が多く『おばあちゃんの原宿』と使われる。 この「原宿」は、日本の地理に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。(P:日本の地理/P:日本の都道府県) 青山 | 赤坂 | 秋葉原 | 浅草 | 麻布 | 池袋 | 上野 | 恵比寿 | 大手町 | 御茶ノ水 | 表参道 | 霞が関 | 神田 | 銀座 | 汐留 | 品川 | 渋谷 | 白金 | 新宿 | 新橋 | 代官山 | 高田馬場 | 築地 | 永田町 | 日本橋 | 原宿 | 丸の内 | 目黒 | 八重洲 | 四谷 | 有楽町 | 六本木 | その他 |
[ 66] 原宿 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AE%BF
